ザ・グレート・展開予測ショー

巷に雨の降る如く


投稿者名:臥蘭堂
投稿日時:(06/ 3/25)

 驟雨に降られ、マリアと共に商店街の軒先で雨宿りをする中、カオスは、この国の言葉の中に、やたらと雨について表現が多い事を思い出した。
 時節ごとの雨の呼び名に、雨の降り方、種々様々な言葉の存在は、この国に雨が多い事を表すと同時に、基本的に日本語と言う言語が叙情表現に長けた――反面、理的にはいささか弱い――言語である事の証明なのだろうと、カオスには思われた。

 そう言えば、他国の詩を訳すのも、この国の連中の得意ではあったのう。あれは、何と言う詩であったかな。ああ、確か――

 なけなしの記憶を手繰ろうと、ふとそらした視線の先で、若い男女が口論していた。どうやら、痴話喧嘩であるらしい。他愛もない、世にありふれた光景だ。しかし。

「――」

 脇に立つマリアは、その他愛もなく、決して珍しくもない光景をじっと凝視していた。マリアは、じっと黙したまま、二人を見詰めていた。果たして、その思考回路にはどのような情報のやりとりが行われているのか、彼女の作り手であるカオスにも、推し量る事は出来なかった。やがて。

「ドクター・カオス」

 そのマリアが、顔を向けて聞いてきた。

「あの人・たち・は・何故・争っている・ので・しょうか」
「ああ? あー、さてなあ。まあ、きっと詰まらん理由ではあろうよ。見れば、ありゃあ恋人同士と言う所じゃろう」

 実際、血縁にも見えぬ若い二人は、やがて男の方が女の腕を掴み、自分の方に引き寄せると言う行動に出た。二人からすれば相当な盛り上がりなのであろうが、第三者からすれば、他所でやれと言いたくなるような光景だった。

「詰まらない・ので・しょうか」
「ふむ。まあ、必死そうに見えはするがな。が、余人にしてみれば、まったく詰まらん理由である事がたいがいじゃ」
「しかし――」

 珍しく、抗弁するかのような言葉に、カオスはマリアを見やった。そこには、やはり表情と呼べるものは存在しない。しかし。

「しかし、何じゃね」
「しかし――あの・人たちに・は・きっと・とても・重要な・事なのでは・ない・でしょう・か」

 マリアと会話するうちに、その二人はすでにうやむやの内に和解していたらしい。カオスからすれば全く馬鹿馬鹿しいとしか評しようはないが、二人は、肩を並べて歩み去る背中を見せていた。

「やれやれ。まあ、確かにそうではあろうよ。余人にすれば如何なる些事であろうと、当事者には重大な問題と言うのは、珍しい事もない」
「――」

 見れば、マリアは立ち去る二人の背中を、ただじっと見やっていた。相変わらずの、無表情のままで。その姿を見て、カオスは、はたと気付いた。


 なるほど。なるほどな、娘よ。そうであったか。お主には、無いのであったな。そうした「些末な重大事」と言うものが。しかし。しかしだ娘よ。気付いておらんかね。娘よ。お前は今正に、そうした「些末な重大事」に悩み、苦しんでおるのじゃよ。人を理解出来ない。人の心が、人の魂が、人の感情が、理解できないと言う、我等にすれば全くもって些末な、そして、お前にとっては途轍もなく重大な悩みに。
 良いかね娘よ。わが娘よ。今お前に降るその雨は、しかし、お前に心あるからこそ降る雨なのだ。何時か、それに気付いておくれ。

 そして、カオスは思い出した。全く些末な、本来ならば、彼の希少な記憶層からはとうに消えうせていておかしくなかった筈の、古い詩の言葉が。

「巷に雨の降る如く 我が心にも涙降る――か」
「――?」

 問いかけるかのように首をかしげるマリアに微笑みかけて、カオスは軒先から通りに歩み出した。

「さて、雨も止んだようじゃ。そろそろ行こうかの、マリアよ」
「イエス・ドクター・カオス」

 そう、巷に雨の降る如く、お主の心にも涙は降る。そして、なあ、マリアよ。わが娘よ。

「止まぬ雨は、この世にはないのだよ」

――了――

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