ザ・グレート・展開予測ショー

不器用なあなたへ(後編)


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:(06/ 2/ 7)




 西条が帰った後、入れ違いのように令子が戻ってきた。
 その傍らには美智恵と抱きかかえられてウトウトするひのめの姿もある。
 さらにシロとタマモもお腹をすかせて帰ってきたので、台所を預かるおキヌは途端に忙しくなる。
 賑やかな夕食が終わると、シロとタマモはひのめの相手をまかされて事務所の中を行ったり来たり。
 令子は西条に渡すデータをまとめるためにパソコンと向き合っている。
 そして、一段落付いたおキヌは美智恵と丸テーブルで雑談に興じていた。



「――ちょっと聞いてもいいでしょうか?」

「なあに、おキヌちゃん」

「西条さんって、美智恵さんの弟子だったって聞きましたけど……
 修業時代のこと、よかったら聞かせてもらえませんか?」

「西条クンの修業時代か……懐かしいわねぇ、ふふっ。
 実はねぇ、出会ったばかりの頃の西条クンって、ものすごい生意気小僧だったのよ」

「そ、そうだったんですか?」



 我が子の成長を懐かしむように微笑みながら、美智恵は語り始めた。
 西条と美智恵が初めて出会ったのは、西条が中学三年生の頃。
 無力感を克服しようと焦る彼は、反抗期を迎えていたことも手伝って荒れていた。
 どこまでもついて回る『名門の家系』という呪縛から逃れようと、家政婦のキヨの家に転がり込む。
 自分は自分以外の誰でもなく、ひとりでもやっていけるんだという精一杯の強がりだった。
 言うことを聞かない息子の扱いに困った西条の両親は、霊能の修行も兼ねて知り合いである美智恵を呼んだのである。
 西条がキヨの家の部屋でくつろいでいると、突如ふすまが蹴破られた。
 そこには、栗色の髪をした子連れの美しい女性が立っていた。
 彼女はつかつかと目の前まで歩み寄り、西条を見下ろしながら口を開いた。



「あー、いたいた。さあキミ、ボサッとしてないで出かけるわよ!!」

「ちょっ……誰ですかあなたは!?」

「私はね、キミの根性を叩き直してくれってご両親に頼まれてるのよ。
 わかったらさっさと来なさいっ!!」

「あだだだ!?み、耳を引っ張るなっ!!」

「キヨさん、令子のことお願いしていいかしら?」

「ええ、まかせときんさい」






 有無を言わさず車の後部座席に放り込まれ、西条は見知らぬ場所へと運ばれた。
 そこは前も後ろもわからぬ深い森の中。
 昼間だというのに薄暗く、冷たく湿った風が頬を撫でていく。
 背筋を走る悪寒に周囲を見渡すと、おびただしい霊の気配を西条は感じた。
 そして神通棍を手渡すと、美智恵はにっこりと笑ってこう言った。



「実はさー、ここの除霊を頼まれてたんだけど急用が入っちゃって。
 二時間後に迎えに来るから、それまでに片付けておいてくれない?
 大丈夫、数は多いけどザコばっかりだから、キミなら死ぬことはないわ……多分」

「多分て……おいっ!!さっきから勝手なことばかり……大体あんた誰なんだ!?」

「私は美神美智恵。超一流のGSよ。遠慮なく先生って呼んでいいから――ねッ!!」


 げしっ、と車から蹴り飛ばされ、西条は枯れ木と落ち葉に埋め尽くされた地面に転げ落ちる。
 慌てて身体を起こすと、美智恵は車の爆音を轟かせながら走り去ってしまった。



「うおおーーーい!?」



 西条の絶叫と共に、飢えた悪霊達が一斉に襲いかかった。
 武器は手にした神通棍ひとつ。
 訳もわからぬまま、西条は三途の川の入り口を垣間見るハメになるのであった。
 ――そして二時間後。
 言葉通り美智恵は戻ってきた。
 ボロ雑巾のように大の字に転がる西条を見て、クスクスと彼女は笑った。



「基本を教えられてるとはいえ、ぶっつけでここまで出来るなんてやるじゃない。
 よく頑張ったわね、えらいゾ」

「……」

「あら、どうしたの?喋る気力も無くなっちゃった?」

「えらいゾ、じゃないだろぉぉぉ!!」

「あん、急に大声出さないでよ」

「いきなり人をこんな目に遭わせて、何考えてるんだ!!
 大体、僕はそんな話聞いてない!!」

「言ってないんだから聞いてるはず無いわよね。要するに私があなたの師匠に付くってこと。
 それはともかく……これから一ヶ月間、私と一緒に生活してもらうからね、西・条・ク・ン」

「はぁ!?」

「照れなくてもいいのよー。というわけでゴー!!」

「人の話を聞けぇ!!そして質問に答えろぉっ!!」



 またしても強引に車に乗せられ、美智恵はキヨの家へと爆走していった。
 年季の入った木造の家でちゃぶ台を囲み、、美智恵は娘の令子と共に当たり前のように夕食を口に運んでいる。
 一体どういう神経をしているのかと、目が点になった。



「美味しいですねーキヨさんの作る料理。この漬け物もいい味だわ」

「自家製の逸品やからな。今度作り方教えたるさかい」

「まあ、嬉しい。私キヨさんのファンになりそう」

「ほら、令子ちゃんもたんと召し上がれ。おかわりもありますでな」

「はーい」

「ホラ、キミもそんなところに突っ立ってないで食べなさい。
 ちゃんと食べないと強くなれないわよー?」



 ――ぷちっ。



 美智恵の発言は、まるで自分の家気取りである。
 あまりのあつかましさに、とうとう西条の怒りは限界を超えた。



「いきなり押しかけてきて師匠だとか一緒に暮らせとか、いい加減にしろ!!
 それにどうして僕があんたみたいなおばさんの言うことを――!!」












 色々と過激な描写が続くため、しばらくお待ちください。












「す、すいませんでした……どうか一ヶ月の間、よろしくお願いします……若くて綺麗な先生……」

「そーそー、素直がいちばんよ」



 縁側の外でひっくり返ったまま、ボコボコに顔を腫らした西条は呟く。
 美智恵は先程と変わらぬように座り、のほほんと食事に箸を伸ばしている。
 手も足も出ずコテンパンにやられては、もはや頷くしかなかった。
 そしてこの日より、地獄のようにハードな美智恵との共同生活が始まるのである。
 修行の内容は普段やってきた三倍以上の基礎トレーニングに加え、除霊の現場に連れて行かれて悪霊とのガチンコ勝負。
 当然、こんな事は色々と法律やら規則に引っかかるのだが、美智恵はお構いなし。
 しかも本当に死にそうな場面以外、彼女は決して西条に手を貸そうとはしなかった。
 生活面では礼儀作法から炊事洗濯、箸の上げ下げに至る生活態度の全てを厳しく管理された。
 家事の全てを自分ひとりでこなすことを命じられ、ミスや手抜きがあれば食事をもらえない。
 美人で快活な見た目とは裏腹に、美智恵の教育方針は徹底したスパルタであった。
 逃げようとしたり反抗してみても、中学生が超一流の現役GSに敵うはずもない。
 時折見せる美智恵の実力は、感動すらおぼえるほど熟練されているのだから。
 西条はくたくたに疲れ果て、美智恵に殺意を抱いたのも一度や二度ではない。
 そんな毎日を繰り返し、一ヶ月はあっという間に過ぎていった――。



「――はい、終了〜!!」

「ぜえ……ぜえ……や、やっと終わった……」



 夕方の基礎トレーニングを全て終え、キヨの家の庭先で美智恵と西条は向き合っていた。
 汗だくになった西条に、そっとタオルが差し出される。



「お疲れ様、西条クン。最後までくじけずに、よく頑張ったわね」

「えっ……?」



 今までこんな事をしてもらったことがなかった西条は、キョトンとしながら美智恵の顔を見た。
 その顔は厳しい師匠のものではなく、優しい女性の笑顔だった。
 つい見とれてしまった西条は、気恥ずかしさを隠すようにタオルを取って顔を押さえた。



「実は最初、キミが最後までついてこれるとは思ってなかったわ。
 今までこのメニューをやらせた連中は、み〜んな一週間も持たなかったのよ」

「当たり前でしょ……こんな修行、無茶にも程がありますよ。
 僕だって何度逃げようと思ったか……」

「でも、逃げなかったじゃない」

「そりゃ……僕だって男ですから。悔しいじゃないですか」

「キミは将来、立派なGSになれる。私が保証するわ」

「ちょっ、待ってください。僕はGSになるなんて一言も――」

「あら、じゃあ何かやりたいことでもあるの?」

「やりたいこと……僕の……わからない……」

「?」

「一体何がしたいのか、何ができるのか……ずっと考えてるけど、わからないんです……
 確かに僕の家は霊能者の家系だし、両親も反対はしないと思います。
 だけど、GSになったとしても、その後どうしたらいいのか……
 なんとなく流されてやっているだけなんて、何の意味もないですよ……」

「わからない、か……そんな時には、これを見るのがいちばんね」



 美智恵はどこに持っていたのか、一冊の本を取り出しページをめくり始めた。
 西条は、見覚えのあるその本を見て驚愕した。
 それは小学校の卒業文集。
 将来の夢や希望、思い出を書いた作文が載せられた、誰でも持っている記念品。
 しかし小学生の頃に書いた作文など、恥ずかしくて他人に見せたくないものである。
 慌てて美智恵から文集を取り返そうとするが、ひらりとかわされてしまう。
 そうこうしているうちに、美智恵は西条の作文が載っているページを開いた。



「あったあった、どれどれ……六年三組、西条輝彦。
 僕の夢は、困っている人を助けたり、悪い奴らをやっつける――」

「わああっ!?声に出して読むなぁぁぁっ!!」

「――正義のヒーローのようになることです」



 あまりの恥ずかしさに西条は背を向け、目元を手で押さえながらガックリとうなだれた。
 作文に目を通し終えた美智恵は、文集を閉じて西条の肩に手を置いた。



「笑いたければ笑えよッ!!子供だったんだから仕方ないじゃないか!!」

「なぁ〜んだ、それじゃあ私と同じなのね」

「へっ?」

「西条クン、どうして私がGSをやってると思う?」

「え、えーと……どうしででしょう?」

「私もね、TVのヒーローになりたくてGSになったのよ」

「!!」

「正義は勝つ。悪は滅びる。世の中はそうじゃなくても、この仕事はそれが通用する――
 そう信じて、私はこの道を選んだのよ。そんな私が、キミを笑えるはずないでしょう?」

「先生……」

「子供の頃の夢は、素直で純粋なものよ。
 GSというヒーローになって、人助けをする。悪と戦う。
 それはとても素敵なことだと思うわ……そこで質問」

「は、はい」

「ヒーローの条件とは何でしょう?」

「条件、ですか……う〜ん、やっぱり勝つこと……かな」

「確かにそれもあるわね。
 だけど、本当に大事なのは――『ヒーローを続ける』ことよ」

「ヒーローを、続ける……」

「誰だって負けることもあるし、悩んだり苦しんだりするわ。
 悪者に立ち向かうだけなら、普通の人にだってできることよ。
 ヒーローがヒーローと呼ばれるのは、傷つき倒れても立ち上がり、戦い続けるからなの。
 自分を信じて、後悔しないように――」

「……僕も、先生のようになれるでしょうか?」

「西条クンは私の修行を最後まで耐えて、戦い抜いたじゃない。
 この一ヶ月で積み重ねたものは、決してあなたを裏切らないわ。
 だから胸を張って、自分の夢に向かって進みなさい」

「ありがとうございます先生……ありがとう……ございます……」



 西条の胸はいっぱいになり、熱いものがこみ上げてきた。
 長い間心に覆い被さっていた暗雲が晴れ、光が差し込んだような――そんな気がしていた。



「本当はもっとじっくり面倒見てあげたかったんだけど、私も色々と忙しくてね。
 この一ヶ月に教えることは全部叩き込んでおいたから、これからは自分ひとりで修行を続けられるはずよ。
 たまに様子を見に来るから、怠けちゃダメよ?」

「はいっ!!」

「それじゃ最後に一言。自分と、自分の進む道に誇りを持ちなさい――」



 美智恵は言った。
 誇りとは活躍や栄華を誇示するのではなく、未来を信じて積み重ねたものが自分自身と重なり、誇りとなっていくのだと。
 そして、彼の夢とこれから向かう道が素晴らしいものであるのだと――。
 翌日、令子を乗せて走り去る車の姿が見えなくなるまで、西条は深く頭を下げ続けていた。
 この一ヶ月を境に、西条の中で何かが大きく変わった。
 悩み苦しみ、迷走を続けていた心は向かうべき道を見つけ、目に映る全てのものが新鮮で、素晴らしく思えていた。

 その後も休むことなく西条は修行を続け、時々様子を見に来る美智恵との交流も続けていた。
 GSの見習いを始めたばかりの令子と、何度か共に修行もした。
 そして高校に進学した西条は、GSという職業を調べているうちにオカルトGメンの存在を知る。
 高額な報酬を支払えない民間人のために設立された公的機関は、彼にとって理想的な職業だった。
 ところが、まだ日本にはオカルトGメンは設立されておらず、環境も整っていなかった。
 ならば自分がそれを実現させたい。
 そして、困っている人の役に立ちたい。
 西条の夢は形を持ち、輝きながら動き出した。
 卒業間近になって美智恵が原因不明の病気で倒れたが、彼女は病床にあっても夢を追い続けなさいと励ましてくれた。
 イギリスへ留学し、修行と共に勉強を続け――十年の歳月を経て夢は現実となる。
 日本での環境はけっして充分とは言えないが、西条は胸に宿る誇りを胸に、今も歩き続けている――。






「とっても素敵な思い出ですね……なんだかそういうの、憧れます」

「西条クンは何でも一通りこなせるから、万能選手のイメージが強いけど……
 本当はライバルに負けないように必死なのよ。絶対に口に出しては言わないけどね」

「不器用なんですね、男の人って。でも――」

「そうそう、男の子って――」

「「そこがかわいいのよ(ですよ)ね〜」」



 同じタイミングで同じ言葉を口にして、二人はクスクスと笑いあう。



「そういえば明日はバレンタインだったわね。おキヌちゃんはもう準備してるの?」

「はい。でも、もうひとつ余分に作りたくなっちゃいました」

「まあ、欲張りなのねぇ」

「そ、そういうのじゃありませんよう。
 なんというか、いい話を聞かせてくれたお礼というか……」

「……おキヌちゃん、あなた令子より素質あるかもね」

「何の素質ですか?」

「悪いオ・ン・ナ」

「もう、なんてこと言うんですかぁ。美智恵さんのイジワル」

「あはははっ、冗談よ」



 じゃれ合うような、笑いの絶えないやりとり。
 まるで長い付き合いの友人のような二人の雰囲気に、令子もシロもタマモも目をぱちくりさせていた。









 翌日、まとめ終わった悪霊や妖怪のデータを渡すため、おキヌは事務所の隣のビルにやってきていた。
 ドアをノックし、中に入ると昨夜の令子のように西条がモニターとにらめっこをしていた。



「おはようございます西条さん。頼まれていた『でーた』持ってきました」

「やあ、おはようおキヌちゃん。わざわざありがとう。
 どこかその辺に置いておいてくれないか」

「はい……って、結構ちらかってますねー」

「う……面目ない。片付けようとは思っているんだが忙しくてね」

「私が片付けておきましょうか?」

「いや、職員でもない君にそんなことはさせられないよ」

「じゃあ、机の上だけでも。ごちゃごちゃしてるとお仕事はかどりませんよ」

「はは、まいったね……」



 おキヌは机の上に放り出してあった本や書類、飲み終えたコーヒーカップなどをてきぱきと片付けていった。
 西条は一時作業を中断し、おキヌのために紅茶を入れて来客用のソファーに座らせた。
 自分も向かい合うように座り、少し恥ずかしそうにありがとうと礼を言った。



「好きでやっているんですから、気にしなくていいですよ」

「おキヌちゃんにはかなわないな……」

「……昨夜、美智恵さんに西条さんの修業時代のことを聞かせてもらいました」

「そうか……あの頃の僕はバカだった。
 先生に出会わなければ、今頃どうなっていたか。感謝してもしきれないよ。
 つまり僕の原点は、ヒーローになりたいっていう子供心からだった、という話さ。
 とはいえ修業時代の話なんて、マヌケなことばかりで恐縮だが……」

「そんなことないですよ。西条さんの知らない部分を色々知ることができて嬉しかったです」

「そう言ってもらえるとホッとするよ」



 ミルクを入れた紅茶を口に運びながら、二人はにこやかに微笑む。
 そしてカップを静かに置くと、西条はいたずらっぽい表情でおキヌに尋ねる。



「僕の話ばかりで盛り上がるのも少し恥ずかしいな。
 どうかな、よければおキヌちゃんのことも聞かせてもらえないだろうか」

「私のこと……ですか?」

「あ、無理に話さなくてもいいんだ。最近あったことでも構わないし」

「そうですね……誰にも話して無いことがあるんですけど、せっかくだから話しちゃおうかな」

「それは嬉しいね。もちろん、他の人には秘密にしておくよ」

「ありがとうございます。これは私が……幽霊になったばかりの頃の話です――」






 おキヌは遠い記憶をたぐり寄せながら、静かに話し始めた。
 三百年前、死津喪比女を封じる装置の人柱としておキヌは命を落とした。
 死の間際、死津喪に襲撃された友人を救おうと夢中になって身を捧げた彼女の記憶は大きく失われてしまう。
 気が付いたとき、そこは暗闇の中だった。
 出口も見あたらず、静寂と不安に押しつぶされそうになりながら、数日をそこで過ごした。
 ある日、壁を通り抜けられることに気付いたおキヌは外に出てみる。
 光と緑に溢れた世界が、そこにあった。
 自分がいる崖の上の方からなにやら気配がするので、彼女はそこへ向かって飛んでいく。
 崖の上には神社があり、粗末な衣服を着た村人たちが手をあわせて祈りを捧げていた。
 鼻を垂らした小さな子供が、ここにはどんな神様がいるのかと父親に尋ねる。
 父親はその子の頭をなでながら、優しい目をして答えた。



「ここにはな、この地を救うために命を捧げた、ありがたい巫女様が眠っているんだべ。
 彼女は山の神様になって、今もおら達を見守ってくれているんじゃ。
 ほら、お前もお祈りせんか」

「うん」



 おキヌの記憶はおぼろげだったが、自分が人柱になったことだけは思い出すことができた。
 自分は大事な人を守りたいと強く願ったはず。
 だけど、その後のことが何も思い出せない。
 自分でわからないなら、聞いてみようとおキヌは村人に声をかけた。
 ところが――
 いくら呼びかけても、誰も返事をしてくれない。
 そればかりか、歩いて行く村人の前に回り込んでおキヌは愕然とした。
 村人たちは、自分の身体をすり抜けてそのまま通り過ぎていってしまったのである。


 そうだ――自分はあの時死んだのだ。そして、いまは幽霊――


 ようやく、おキヌは自分がどのような存在であるのかを知ることになる。
 そしてそれは、気の遠くなるような孤独と寂しさの始まりを意味していた。
 長い年月を経て、おキヌは幽霊として様々なことを学んだ。
 あちこちウロウロして、自分がここから離れられないことを知った。
 幽霊は成仏して、天に帰るべきもの。そして自分はなぜか成仏できないのだと知った。
 自分の姿が生きている人間には見えないこと、声が届かないことを知った。
 誰にも気付いてもらえず、成仏することもできず、寂しさの中でおキヌは泣き続けた。
 その哀しみが募った時、ある大きな力が彼女に宿る。
 なんと、イメージしただけで物を動かすことができるようになったのである。
 願った瞬間、崖の岩が剥がれて落ちた。
 これは『たたり』という霊障の一種で、使いすぎれば悪霊に堕ちてしまう危険な力。
 しかし、そのことをおキヌが知るはずもなかった。
 これを上手く使えば、自分に気が付いてもらえるかもしれない。
 いや、誰かに替わってもらえば、ここから解放されることだって――。
 どす黒い感情が、その心を覆い隠そうと忍び寄っていた。


 ある日、三つの人影が崖の下の山道を登ってくるのが見えた。
 おキヌは木陰に身を隠し、彼らが近付いてくるのを待つ。
 そして崖の真下に村人が辿り着いた時、おキヌは『たたり』を起こした。
 突然岩壁が崩れ、真下にいる人間たちに襲いかかった。



「父ちゃん!!母ちゃん!!」



 少年の声だった。
 それはいつか、崖の上の神社で鼻を垂らしていた少年。
 そしてその両親が我が子を抱きしめかばおうとした姿を見た時、おキヌは我に返った。
 崩れた岩は親子を避け、さらに崖の下へと落ちていった。
 自分達が無事であることに気が付いた親子は、互いの無事を喜び合う。
 そして――
 神社の方角に向かって、両手を合わせて祈ったのである。



「山の神様が、おら達を守ってくださったんじゃ。ありがたやありがたや……
 どうかこれからも、末永く見守っていてくだされ……」



 深々とおじぎをし、村人たちは歩いて行った。
 取り残されたおキヌは、自分の犯した過ちに悲しくて苦しくて、今すぐ消えてしまいたかった。
 自分は浅ましい思いで人の命を奪おうとしてしまった。
 それなのに、村人たちは助かった事を山の神様のおかげだと――感謝したのだ。



(違う――私は、私は――!!)



 なんという恐ろしいことをしようとしていたのか。
 自分自身が怖くて、恥ずかしくて――
 暗闇の中に舞い戻ったおキヌは、小さく丸まって自分を責め続けた。
 成仏もできず、かといって誰かに替わってもらうこともできない。
 これから自分はどうしたらいいのか、何をすればいいのか。
 途方に暮れて、日が暮れて――。
 そんな時、無意識のうちに口ずさんでいる歌があった。
 心の奥に刻まれた、優しい子守歌。
 誰に教わったのか、憶えていない。
 だけどこの歌を口ずさむと、心の痛みが和らいでいく。



(そうだ……私は誰かのために人柱になったんだっけ……
 どうやって山の神様になるのかわからないけれど、自分にできることを頑張ってみよう。
 そしたらきっと……きっといつかは――)



 その日からおキヌは、自分が動ける範囲全ての動物や植物の様子を見て回った。
 山の神様になるはずだったのだから、そうすることが自分の仕事だと思ったのだ。
 毎日あたりを見回り、心から自然を大切に思うようになった頃、物に触れることができるようになった。
 傷ついた動物を治療したり、枯れかけた花を移し替えたりとこの能力は大いに役に立った。
 そしてさらに、人に聞こえる声も出せるようになった。
 危ない場所へ近付こうとする村人や旅人に警告を発し、安全な方角を教えたりした。
 ひとつずつゆっくりと――おキヌは自分にできることを続けていった。
 いつの日か山の神として認められ、昇華する日を信じて――。
 時は経ち、時代は流れ、三百年という途方もない年月が過ぎた。
 そしてようやく全てが報われる――輝きに満ちたその日がやってくる。
 呪縛から解き放たれ、新しい人生を与えてくれる愛すべき二人との邂逅を果たすその日が――。



「ひとりぼっちで泣いていると、悪いことを考えちゃうんですよね……。
 だから私は、毎日が楽しくなるようにって考えながらず〜っと幽霊をやってたんです。
 もちろん今でも、そうしてますよ。ふふっ」



 曇りのない笑顔で、おキヌは笑った。
 西条は年甲斐もなく、十以上も歳が離れているこの少女の笑顔に見とれてしまった。
 いや、これに見とれない男はいないだろうと、思った。
 なんて強く、美しくて――優しい魂の持ち主なのだろうか。
 彼女は想像を絶する孤独に負けず、暗闇の中でたったひとり答えを見つけ出したのだ。
 それにくらべて自分の悩みなど、いかにちっぽけなものであったか――それを思うと、恥ずかしくなる。
 かつて女性など、ろくなもんじゃないと思っていたことがあった。
 だが、もうそれは訂正しなければならない。
 生き方を教えてくれた師匠、美神美智恵。
 その娘にして愛すべき妹のような、美神令子。
 そして、限りない優しさと強さを併せ持つ元幽霊の少女、おキヌ。
 こうした素晴らしい女性達に巡り会えたことは、大きな幸福である。
 女性は偉大である――誰が言ったかは忘れてしまったが、まさしくその通りだと思った。



「――おキヌちゃんは……強いな」

「え?そんなことないですよ。だって私トロいしドジだし……」

「話してくれて、ありがとう。大切なものを教えられた……そんな気がする」

「そ、そんなにあらたまって言われると……恥ずかしいですよぉ」

「それなら、恥ずかしい同士であいこにしよう」

「はい、そうしましょうっ。うふふ」

「はははっ――」



 オフィスの中に、明るい笑い声が響き渡った。
 今まで意識していなかったものに目を向けたとき、見えなかった一面が見えてくる事もある。
 本当の姿を見た時、がっかりすることもあるだろう。
 もっと好きになったり、嬉しく思うこともあるだろう。
 人と人は離れているもの。
 だが、小さなきっかけで近付くことがあったなら、もう一歩踏み出してみてはどうだろうか。
 人を知るということは、人と繋がっていくということなのだから――。



「――それじゃ、お邪魔しました。お仕事頑張ってくださいね」

「それじゃ気をつけて――って、すぐ隣だが……」

「あっ、そうだ。これ、受け取ってください」

「これは……?」

「今日が何の日か忘れちゃったんですか?」

「……ああ、そうか。ありがたく受け取らせてもらうよ」

「良い話を聞かせてもらったお礼です。じゃあ、私はこれで――」

「ああ、またいつでも遊びにおいで」



 おキヌを見送った後、西条は手のひらに乗った可愛らしい包みを見る。
 ピンク色の包装に、黄色いリボンで結ばれた小さなもの。
 リボンをほどいて中を見てみると、一枚のメッセージカードが入っていた。



『――不器用なあなたへ――』



 おキヌちゃんにはかなわないなと、西条は笑いながら手作りのチョコレートをつまむ。
 口に放り込むと、優しくて甘い味がした。



(あと何年かして、立派なレディになったなら……
 そのとき隣に立つ男がいなければ、誠意をもって口説かせてもらうよ。
 君は素晴らしい女性だ……ありがとう、おキヌちゃん――)


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