ザ・グレート・展開予測ショー

初めてのバレンタイン(絶対可憐チルドレン)


投稿者名:UG
投稿日時:(06/ 2/ 3)



 2月14日 火曜日
 内務省特務機関 超能力支援研究局―――通称バベル本部
 局長秘書官 柏木朧一慰は手に持った包みに視線を落とし悩ましげなため息をつく。
 包みの中身は昼休みに近くのデパートで入手した義理以上、本命未満という微妙なチョコレート。
 柏木は暴発寸前の桐壺局長に渡すためにコレを購入していた。

 ―――これで治まってくれればいいけど

 柏木は昼休み前の出来事を思い出す。






 ヒュパッ!


 「こんにちは、桐壺君!」

 彼はいつものように何の脈絡もなくバベル局長室に現れた。

 「ひょ、兵部少佐! 貴様よくもこの場にっ!!!」

 反射とも言える行動で、急に目の前に現れた兵部京介に桐壺が殴りかかる。
 しかし、兵部はテレポートで難なく桐壺の拳をかわすと、地上数十メートルにある局長室の窓の外に再び現れた。

 「よしたまえ桐壺クン、今日は争いに来たんじゃない。今日という素晴らしい日に僕が味わった幸せをお裾分けにね・・・」

 兵部は勝ち誇ったように学生服のポケットから小さな包みを取り出す。
 ソレを見た桐壺の表情が悪い予感に引きつった。

 「先程、僕の女王がプレゼントしてくれてね・・・・今日、チョコレートをプレゼントされる意味は知っているだろう?」

 「クッ・・・・大方、しつこく周囲をうろついて手に入れた義理チョコだろう! 貴様みたいなジジイは兵隊さんから貰った方がお似合いだぞ!」

 周囲をうろついたのは確からしく兵部の口元が一瞬だけ引きつる。
 しかし、桐壺のセリフは兵部に何の痛痒も与えていない様だった。
 兵部は皮肉っぽい笑みを浮かべると、包みの中から多少歪なチョコレートを取り出した。

 「形は多少歪だが、初めて作った手作りチョコって感じが初々しいだろう? 溶かして固めるだけの手間だが、女王の愛を確かに感じるね」

 兵部は強化ガラスの窓越しに見せびらかすようにソレを口に運ぶ。
 窓ガラスに張り付いた桐壺の顔が平面状につぶれた。

 「まさに天上の美味・・・・桐壺君にもこの至福の味を体験させてやりたくってね。どうだい一つ味見でも」

 「ぐぬぬぬぬぬ・・・・・・・・」

 桐壺の目に悔し涙が浮かぶ。
 兵部は桐壺がチルドレンたちからチョコを貰っていないのを承知しているようだった。
 自分に向けられた憎悪の視線に満足そうな笑顔を浮かべると、兵部はわざとらしく包みを逆さにし空になったことをアピールする。

 「すまない、うっかり最後の一つを食べてしまった。来年は絶対にお裾分けするから許してくれ・・・それじゃ」


 本当に見せびらかしに来ただけらしく、高笑いのみを残し兵部は姿を消した。
 しかし彼の行動はある意味、過去のどんなテロよりも桐壺に大きなダメージを与えている。
 後に残された桐壺は強化ガラスに当てた両手を怒りに振るわせていた。

 「柏木君・・・・一年を364日に出来るのなら、ワシは間違いなく2月14日を暦から消滅させる・・・」

 目から血涙を流しながら桐壺が呟く。
 防弾仕様の強化ガラスに彼の五指がめり込み亀裂を生じさせていた。







 給湯室で柏木は悩む。
 コレを渡すことがはたして彼の機嫌を直す事になるのか?
 唯一のチョコレートが母親からのモノであった中学生の様に、とことん落ち込ませる可能性も十分あり得る。
 判断を間違うと余計事態を悪化させる恐れがあった。
 現在の時刻は15時を過ぎたばかり。
 未だチルドレンからのチョコは届けられていない。
 覚悟を完了できない柏木が3時のお茶を局長室に運んだとき、彼女はとろけんばかりの桐壺の笑顔に迎えられた。


 「いやー柏木君! 今日はなんて素晴らしい日なんだろう!! やっぱりこの手のイベントは日常に張りを与えるためにも絶対に必要なモノじゃないかね!」

 「・・・あら、それは誰かからのプレゼントですか?」

 桐壺の満面の笑顔に迎えられた柏木は、苦労して驚きの表情を隠すと努めて冷静に彼の手にした包みについて質問する。
 彼の手の上には、その話題を振って欲しい気満々に二つの包みが握られていた。

 「あ、気づかれてしまったか! 実はたった今、チルドレンと梅枝君が持ってきてくれてね」

 桐壺の笑顔は夏場のチョコも真っ青のとろけっぷりだった。

 「丁度良かったですわ。3時のお茶請けに味見をしてみては・・・」

 柏木の言葉に桐壺は顔色を変え、チルドレンから貰ったであろう小さな包みを懐に庇う。

 「こ、コレは絶対に食べないぞ! 彼女たちの真心をカロリーと二酸化炭素に変化させるなんてとんでもない!! コレはアクリル樹脂で封印してワシの宝物にするんだっ!!」

 中学生でも考えないようなコトを真顔で口にする桐壺に、柏木は軽い頭痛を覚える。
 しかし、先程まで心配していた危険な状態は脱したようだった。
 お茶を桐壺の前に置き、軽く一礼すると柏木は局長室を後にする。
 ポケットに入れたままのチョコレートは完全にその役割を失っていた。







 局長室を後にした柏木は、給湯室にトレイを返しに行く途中でチルドレンと遭遇した。

 「朧さんこんにちわー」

 大きめな袋を手にした3人組が礼儀正しく挨拶する。

 「こんにちわ。局長にチョコありがとね。さっきまで不機嫌だったのが嘘みたいに舞い上がっているわ」

 柏木は3人の目線に合わせるようにしゃがむと桐壺へのチョコのお礼をする。

 「気にすることあらへん! チョコがすっごく余ったから資源の有効利用をしたまでや」

 「うっさい! 黙れ!! 葵がやった方が余るだろ!!!」

 葵と薫の目に怖いものが混ざる。
 何のことか分からない柏木は、漂いはじめた険悪な雰囲気にただオロオロするばかりだった。

 「葵ちゃん曰く、海老で鯛を釣るだもんね」

 紫穂は、そんな気配をあえて無視して袋の中にあるチョコの数を確認する。
 兵部と桐壺が見たら絶望しそうな数のチョコが其処にはあった。
 この光景を二人が見たときの様子を想像し、柏木はほんの少しだけ二人に同情する。

 「局長はホワイトデーに相当大きな鯛をプレゼントしてくれそうね。梅枝さんもソレを狙ってたのかしら?」

 「ちっげーよ! さっきはスッゲエプレイだったぜ。ナオミ姉ちゃんがドSだって良くわかったよ」

 「谷崎さん以外全員にチョコを配るなんてなかなかできるもんじゃないわね」

 先ほど読み取った谷崎の意識を思い出した紫穂も薫に同意する。
 しかし、谷崎の落胆っぷりを気の毒とはこれっぽっちも思っていなかった。

 「・・・・・・・・・・・・・・」

 あまりにも生々しい話を聞かされ、柏木は額に汗を浮かべる。
 鮮明に浮かんだ壊れた谷崎のイメージを必死に追い払い、努めて明るい声で少女らしいバレンタインの話題へと変換を計る。

 「み、皆本さんにはもう渡したの?」

 柏木の問いに、薫は下卑た笑いをうかべる。
 オノマトペならばゲヒャヒャヒャヒャヒャだろう。

 「皆本にはスペシャルなヤツを後でね・・・・アイツの人生で一番インパクトのあるチョコになること間違いなしだぜ!」

 「まあ、たしかにインパクトならね・・・」

 意味深な紫穂の言葉に首をかしげる柏木。

 「さあ、もうひとふんばりや!沢山ばらまかにゃ来月に投資分を回収できん!!柏木はん、それじゃあ」

 意地でも材料費以上の見返りを追求する葵は、時間がもったいないとばかりに二人をつれ何処かにテレポートしていった。
 廊下に一人立残された柏木は、ポケットのチョコレートを自分で食べる事に決める。
 無用な軋轢を生じさせないためにはそれが一番だと彼女は思っていた。












 皆本のマンション
 こぼれんばかりにチョコを詰め込んだ手提げ紙袋を足下に置き、皆本はドアのロックを開けようとポケットからカードキーを取り出す。
 しかし、そのカードを皆本が差し込むよりも早く、目の前の扉が開き皆本を紙袋ごと部屋の中に吸い込んでいった。

 「!! また薫かっ!?」

 真っ直ぐキッチンのテーブルに誘導された皆本は、着地のショックに備え身を固くする。
 薫のPKは強力すぎるが故に加減が難しい。

 ストン!

 思ったよりもソフトな着地に驚く皆本の目前に、遅れて運ばれてきた紙袋が大きな音を立てて着地した。

 「紫穂! 出番やで!!」

 葵は手慣れた手つきで、紙袋から次々とチョコの包みを取り出し隣りにいる紫穂に手渡していく。


 「看護婦さん・・・義理・・・スーパーのバーゲン」

 「安全!」

 「保険のおばちゃん・・・営業・・・販促物品」

 「安全!」


 サイコメトリーで次々にチョコの情報を読み取る紫穂。
 薫はその情報からチョコを危険度別に分類しているらしい。

 「コラッ!ヒトの持ち物を勝手に・・・・」

 慌てて止めさせようとする皆本だったが、その体はいつものように薫のPKによって動きを封じられていた。

 「皆本、コレはお前の為でもあるんだっ! 免疫のなさそうなお前がうっかり食われないようにするにはなっ!!」

 「それが小学生の発言かああ―――ッ!!!」


 皆本のツッコミを無視し、サイコメトリーを続けていた紫穂の手があるチョコで止まった。

 「野分ほたる・・・本命・・・コヴァ」

 「危険っ!! 高級ブランドじゃねーかっ! あの巨乳姉ちゃんマジで皆本を食うつもりだなっ!」

 薫は危険と判断したチョコをテーブルの隅に隔離する。
 どうやら右端が安全、左端は危険らしい。


 「明石秋江・・・本命・・・デルレイ&ブルガリの時計」

 「か、母ちゃんがっ!?大危険!!皆本はホストじゃねえぞっ!」

 「明石好美・・・本命・・・手作り・・・血は争えないわね・・・・ガラナ混入」

 「超危険!!何考えてるんだ姉ちゃんはっ!!!」

 「ナニのことでしょ・・・・」

 時に薫以上に危険な発言をする紫穂がボソリと呟く。
 想像以上に危険な現状を理解し、皆本もいつの間にかチョコの鑑定をおとなしく見守るようになった。







 「分別の結果、安全:危険=4:1か・・・・・皆本はん、モテモテやな」

 算数で習ったばかりの比を披露しつつ、葵が危険物扱いにした高級チョコを口に運ぶ。
 当然、皆本の許しは得ているのだが誰も好美のチョコには手を出そうとしなかった。

 「・・・・・・・・・・・・・」

 げんなりした様子の皆本は虚ろな目でテーブルの上のチョコを眺める。
 少なくとも、ブルガリの時計は薫の母親に返すつもりだった。
 ソレすらも秋江の作戦の一部であることに、3人はおろか皆本自身も気づいていない。


 「しっかし、こんなに沢山チョコ食わして、本当に皆本はんを太らしてから食べるつもりなんかなー」

 先程までのあまりにも生々しいチョコ鑑定のせいか、皆本は明らかに他の二人とは性知識のレベルが異なる葵の発言に癒される気がした。
 二人は敢えて葵に説明しようとはせずその発言を軽くスルーする。


 「ウチは太った皆本はんなんかイヤやけどなー」

 「葵っ!ソレについてはあたしも同意見だぞっ!!」

 「という訳でこのチョコは私たちのおやつに・・・・」

 しかし、何気ない葵の発言に薫は激しく同意し、紫穂はそそくさとテーブルの上のチョコを回収しはじめた。


 「研究者らしからぬプチマッチョだからな皆本は!はだけたパジャマから覗く腹筋から腰にかけてのラインといったら・・・皆本っ!グッドジョブだっ!!!」

 薫の視線に皆本の肌が粟立った。
 親指を立てイヤらしい目つきで皆本を眺めた薫は、ゲヒャヒャヒャヒャと下卑た笑い声を上げている。

 「だがしかしっ!!」

 薫は皆本の前に大きな包みを差し出す。

 「コレはあたしたちからのプレゼントなんだ。皆本・・・・全部食ってくれるよな?」


 ガサゴソ・・・・・・


 期待に満ちた三人の視線に見守られながら、皆本は丁寧にラッピングをはがし箱の蓋を開ける。
 箱の中には大きな板状のチョコが入っていた。


 「画期的だろ! デザートにもオカズにもなるチョコレートなんて!」


 ゲシャシャシャと、下卑た笑いを浮かべる薫。
 しかし、皆本は何のことか分からず不思議なモノを見るように首をかしげチョコを眺めていた。


 「・・・皆本、テメエ。ソレが何の形か分からないって言うのか?」


 殺気をはらみはじめた薫の視線に皆本は注意深くチョコを観察する。
 基本はただの巨大な板チョコの様に見える。
 違う点は一度溶かされているため表面のブロックが無く、その表面には微かな・・・本当に微かな起伏二つと、チョコを注ぐ際の気泡と言ってしまえばそれだけの二つの突起が存在した。
 特殊な性癖の者なら察しそうなシルエットだが、ノーマルな皆本は気づかず自分自身の死刑執行の書類に自らサインするような発言をしてしまう。


 「えーっと、まな板?・・・・・・・グハッ!!!」


 薫の逆鱗に触れた発言に、皆本はキッチンの壁にいつもより大目にめり込む。


 「誰の胸がまな板だあああぁ―――ッ!」


 「そんなモン想定外の外だっ!! お前はどこのエロオヤジだッ!!!」


 ようやくチョコを作る際の元型を理解した皆本は、薫を怒鳴ると同時にチョコを視界の外に追い出す。

 「やっぱり、企画に無理があったんちゃう?」

 ある程度、皆本の反応を予想していた葵がやっぱりという表情を浮かべた。

 「いやっ、インパクトを与えるという意味では間違っちゃいない!問題は実行が早すぎただけだっ!」

 壁に皆本を押しつけたまま薫は悔しそうに拳を固める。


 「でもね、薫ちゃん。インパクトでも負けてるみたいよ・・・・」

 いつの間にか皆本の腕をとった紫穂が残念そうに呟く。
 意識を探られ、皆本の表情が動揺した。


 「なにっ!過去にもっとすっげえチョコを貰ったって言うのか!?皆本はっ!?」


 「そうみたい・・・よっぽど大切な思い出らしく、気合いを入れないと探れないけど」


 「止めるんだ、紫穂っ!勝手にヒトの思い出を探るなっ!!」


 必死に抵抗を試みる皆本だったが、薫のPKにより壁に張り付いている状態では何ともしようがない。
 PKは更に強まり、ご丁寧に皆本のシャツのボタンを飛ばし胸をはだけさせた。


 「紫穂、全力だっ!」


 「了解・・・皆本さん、隠してもダ・メ(はあと)・・・私にはちゃーんとわかるのよ?」

 紫穂が悪女の微笑みを浮かべ皆本の胸に手をはわせる。

 「ほら・・・胸の中・・・全部透視せて・・・・・・」


 「分かった! 自分で言うっ!! 自分で言うからヤメロっ!!」

 紫穂は抵抗を諦めた皆本から手を離す。
 本音を言うと、透視するのではなく皆本の口から聞きたいと紫穂は思っていた。
 薫と葵には伝えていないが、皆本から微かに感じたのは甘酸っぱく悲しい感情・・・多分初恋だった。



 「あれは僕が今の君たちと同じ年・・・まだ、普通の小学生だった頃―――」

 PKから解放された皆本は、胸にしまってあった大切な思い出を紐解きはじめた。













 「ミナモトー、ドッチボールやりに行くぞっ!」

 15分休み
 やることもなく下らない話をする友人もいない皆本は、最近一人の少女にドッチボールに誘われるようになった。

 「ありがとう。藤壺さん」

 皆本は何処か救われたように少女に礼をいうと、十数名のクラスメートと共に校庭へと向かう。
 彼を特別視し始めた教師の影響も多分にあるのかも知れないが、他者と自己を比較し始める時期にさしかかり、皆本の周囲は何処か彼を特別視し始めている。
 既に高校以上の学力を備えた皆本であったがその精神はまだ大人とは言えない。
 たとえ精神が学力と同レベルに達していたとしても、異質な小学生として集団の中で孤立させられればかなりのダメージを心に刻むはずだった。

 「ミナモトはコッチのチームな」

 成長が早く、体力的に男子を上回っていた藤壺は、チーム決めのジャンケンに勝つと真っ先に自分のチームに皆本を引き入れる。
 周囲から冷やかしの声が上がったが、藤壺はソレを下らないという風に毅然とした態度で周囲の子供たちに言い返す。

 「勉強ばっか目立つけど、ミナモトは運動神経もいいんだぞ!」

 藤壺の一言に、クラスの運動自慢の目の色が変わる。
 現に藤壺とジャンケンをしている運動自慢の男子は、既に皆本をロックオンしていた。
 休み時間は短い。
 次々にメンバーを決め、ボールか陣地を選択するジャンケンに勝った藤壺は迷わずボールを選択する。

 「ミナモトっ!」

 藤壺は内野に入っていた皆本にボールをパスした。

 「あたしはモト外野になるからお前投げろ」

 自分より頭一つ大きい藤壺を皆本は見上げる。
 藤壺は不敵な笑顔を浮かべていた。

 「みんな、目の色を変えてお前と勝負するぞ!勉強じゃ勝てないが運動は別だってな・・・死ぬなよ。ミナモト」

 そう言うと藤壺は外野に出て行く。

 「勝負だ!皆本っ!!!」

 敵チームの運動自慢が皆本を挑発する。
 皆本は心からの笑顔を浮かべると、全力で敵コートにボールを投げつけた。










 「ミナモト、悪いっ! 少し助けてくれないか?」

 ある日の放課後
 教室の窓から藤壺に声をかけられ、家路に向かおうとしていた皆本は再び下駄箱に戻る。
 別段一緒に帰る友人も、放課後の習い事もなかった。
 上履きに履き替え教室に向かうと、無人の教室で一人プリントと格闘する藤壺の姿があった。

 「それって今日までの宿題・・・」

 「家に忘れた事にして時間を稼いだんだけど、絶対に一人じゃ無理だっ!」

 皆本にとって単なる作業でしかない分数の計算も、藤壺に取っては宇宙の真理にも似た複雑なモノに感じるのだろう。
 鞄を藤壺の前の席に下ろすと、皆本はその席の椅子に逆になって座る。
 椅子の背もたれを抱きかかえる様な体制で、藤壺のプリントのすすみ具合を見たが彼女は最初の問題でつまずいている。
 1/2を少数にする段階から藤壺は理解出来ていないようだった。

 「1を2で割るだけだよ」

 「なんだよ、ソノ馬鹿にしたような目」

 藤壺は前に座った皆本をジト目で睨んだ。

 「ち、違う、馬鹿になんかしてないよ」

 皆本は慌てて藤壺の誤解を解きにかかる。

 「ただ、意外だったんだ・・・藤壺さん国語や社会の授業はとても良くできるし、作文なんか僕なんかよりとても良い作文書いてたから」

 皆本の言葉に藤壺は機嫌を直したように笑顔を浮かべると、開き直った様に背もたれにもたれ掛かった。

 「だってよく考えるとあり得なくないか?1が何でそれよりでかい2で割れるんだ?100円を二人で分けたら50円だけど、1円は二人じゃ分けられないだろう?」

 「0.5円」

 「それは既に金じゃない」

 ぴしゃりと言った藤壺の言葉に、皆本は藤壺の疑問が単に計算上の問題で無いことを理解した。

 「それじゃ藤壺さん、5個のケーキを2人で食べたらとしようよ」

 「一人二個ずつで一つ余るな」

 帰ってきた即答に、皆本は藤壺の計算力が低くはない事を確信した。

 「余った一つはどうする?」

 「強い方が食べる」

 迷いのない答えに、皆本は藤壺家のおやつ事情を想像する。
 どうやら藤壺家には半分こという発想はないらしい。
 皆本は、想像上の彼女の兄弟に微かに同情した。



 「たとえを変えようか。昼間やったドッチ・・・・」

 「ちょっと待てミナモト!」

 皆本が何気なく言った例えを藤壺は慌てて止める。

 「なんかすごくスプラッタなイメージが浮かぶんだけど・・・本当にその例えでいいのか?」

 「あっ!」

 皆本は自分のあげた例えが藤壺側に与するものである事に気付き、自分の迂闊さに頭を抱えた。
 自分が機械的に理解していたものであるだけに、基本の部分を揺すぶられると弱さを感じてしまう。
 皆本は自分が周囲が言うような天才だとは思っていなかった。
 藤壺は勝ち誇ったような笑みを浮かべたが、教室の時計を見て顔色を変える。

 「カンニングはポリシーに反するけど、今日は見たいTVがあるし・・・・割り算に関する議論はまた今度にして、今日の所は答えだけ教えてくれないか?」

 割り切れない事が苦手な藤壺が口にした、割り切った妥協案に皆本は乗ることにした。
 反射的とも言える速度で次々と計算ドリルの答えを口にする。
 書き写すだけの藤壺が追いつけない程の速度だったが、藤壺はなんとか書き写し、ほんの1分ちょっとで作業を終了させた。

 「すっげえな、さすがミナモト! 助かったぜ」

 「藤壺さんには世話になってるからね。これ位たいしたことないよ」

 「世話?どういう意味だ?」

 藤壺は悲しげな表情を浮かべた。

 「だんだんクラスから浮いて来たのが分かっているからね・・・君が誘ってくれる休み時間のドッチボールだけが自分を普通の子供だと・・・」

 「ミナモト、お前は特別じゃないぞ! 絶対的に普通ってヤツがいないようにな。他人が自分と違うのは当たり前じゃないか!!」

 割り算に悩む子供の言葉とは思えない藤壺のセリフに皆本は驚く。
 藤壺は優しい笑顔を皆本に向けた。

 「人と違うのが当たり前ならば、特別という状況はあり得ない・・・そう思わなきゃこの先やっていけねーぞ!」

 「すっごく救われる意見だね・・・まるで年上のお姉さんみたいだ」

 皆本の笑顔に藤壺は声をあげて笑った。

 「本当にお姉さんだからね! あたしはミナモトより半年早く生まれている・・・あたしが自立呼吸している時に、ミナモトはまだ胎児! この差は永久に埋まらないよ」

 この時の皆本は、藤壺が自分の誕生日を知っている事を不思議に感じなかった。
 ただ、胸のつかえが取れたような気がして藤壺に右手を差し出す。

 「これからもドッチボールに誘ってくれるかい?」

 差し出された右手に手を伸ばしかけ、藤壺は躊躇うようにその手を止めた。
 その姿はまるで何かの誘惑に耐えているかのようだった。

 「今回は破ったけど、やっぱりカンニングはポリシーに反する!!・・・・先生にプリントだしてくるわ!」

 こう言うと藤壺は急いで教室を後にする。
 途中、ドアの所で振り返ると藤壺は大きな声で皆本に宣言した。

 「ミナモト、約束だ! これからもドッチボール誘うから絶対に参加しろよ! それと、たまにでいいから算数を教えてくれ」

 「え、ああ、分かった・・・」

 咄嗟に出た返事は無人の扉に空しく跳ね返される。
 皆本の返事を待たず走り出した藤壺の足音が、無人の廊下に響き遠ざかっていった。









 それからしばらくの間、皆本の毎日は似たような感じで繰り返される。
 授業中に感じる疎外感と、それを払拭する休み時間のドッチボール。
 そして、放課後の教室で時折行われる算数講座。
 奇妙なバランスの上に成り立っていた皆本の日常は2月14日に微かな変化を迎えた。


 「あいかわらず割り算が苦手だね」

 例によって算数のプリントに苦しめられた藤壺からのSOSに、皆本は放課後の教室に残っていた。

 「少し自分でも考えたんだけど、割り算ってかけ算で解くよな?人間の脳みそって割り算には向いていないんじゃないか?」

 「確かにそうだけど、分数が出来ない言い訳にはならないよ」

 手を休めた藤壺に、皆本は本心からではないが冷たい態度をとる。
 小学生らしからぬアカデミックな会話の後に、ただ答えを写す時間が待っているのは数回の経験で学習済みだった。
 計算能力は結局の所、繰り返しによって生じる脳の回路が重要である。
 皆本は心を鬼にして藤壺に反復練習を行わせるつもりだった。

 「割り切れないモノを無理に割ろうとするところがどうもね・・・私が女だからかね?歌にもあるだろ、「好きと嫌いだけで普通がないの」って」

 再放送で見たアニメの歌詞だったが、見ていない皆本には何のことかサッパリ分からなかった。
 ただ、藤壺に説明するため学習したものに今の発言と類似した分野があったことを思い出す。

 「今の話を0と1に置き換えると似たような考えが出来そうだね」

 「また、難しい話か?」

 「そうでもないよ・・・コンピューター上の数値の扱いの話」

 「あたしには十分難しい・・・で、それが何なの?」

 藤壺には完全に理解の外にある内容だが、皆本との会話を楽しむのが目的となっているため特に止めはしない。

 「0と1で小数を表現するのは意外と苦労するってこと。君の言う通り、割り切れないコトを扱うのはとても難しいことみたいだ・・・」

 「何か新しい発見があったか?」

 のぞき込むような藤壺の視線に皆本は笑顔で答える。

 「なんか勉強が楽しく感じてね・・・学校で習う事が全部じゃ無いことは分かってたつもりなんだけど」

 「あたしも新しい発見があったぜ!」

 藤壺はこういうと皆本の目の前で分数の問題をスラスラと解いていった。
 その格段の進歩に皆本は驚きの表情を浮かべる。

 「分数って割らない割り算なんだな! とりあえず割り切れない問題を先送りにして、その後の約分に期待する・・・多分、あたしみたいに割り算が嫌いなヤツが編み出した表現なんだろう!? なんで学校じゃ、せっかくの発明を小数に直すところから教えるのかが未だに分かんないんだけどさ」

 「すごいじゃないか藤壺さん!」

 皆本の賛辞に藤壺は得意そうな笑顔を浮かべる。
 基本問題である分数の小数化以外の問題は全て正解していた

 「ミナモトのおかげだよ。そういや腹へってないか?」

 「え、そう言えば少し・・・」

 時刻は4時を回っている。
 空腹という程ではないが、昼食からは大分時間が経っていた。

 「良いモンやるから目つぶってみ」

 「良いモンてな・・・ふがっ!」

 藤壺に促されるまま目をつぶった皆本の口に、何とか口に収まる大きさのチョコがねじ込まれた。
 驚き目を開けた皆本は、不敵な笑顔を浮かべつつ顔を赤らめた藤壺と目を合わせる。
 舌で感じ取ったチョコの形は、多分ハート型だった。

 「今日、チョコを貰う意味は知ってるな?」

 口の中いっぱいのチョコに邪魔され皆本は無言で肯く。
 その顔が赤いのは、呼吸困難による酸欠の為でも、チョコレートの成分による興奮の為でも無かった。

 「この問題は分数みたいに先送りは無しな、ホワイトデーにきっちり割り切った返事を聞かせてくれよ!」

 藤壺はこう言うと振り返らずに教室から走り出していく。
 呆然と見送る皆本の口の中から、頬張ったチョコの味はしばらく消えなかった。

















 「かーっ!甘酸っぺーっ!!」

 まるでレモンをかじったようなしかめっ面をした薫の言葉に、皆本の追憶は一時中断した。

 「静かに聞いてなよ薫ちゃん」

 紫穂の注意に、薫は頭を照れくさそうに掻いた。
 両思いっぽい話を聞いていられなくなった事は内緒だった。

 「そうや、薫は続きが気にならんのか?」


 「いや、続きは気になるけどよ・・・・想像してたのと違ってたからつい。あたしはてっきり10歳の天才児皆本が、中学校の先生になって生徒とエロエロな・・・・」


 「時節柄、危険なネタを言うんじゃないっ!!!」


 下ネタ以上に危険な話題に皆本が必要以上の大声を出す。
 先程までの甘酸っぱい空気は消えかかっていた。


 「皆本はん、一つ聞かせてえな。藤壺さんってどんな人だったん?」


 葵の質問に、薫、紫穂の二名も固唾を飲む。
 実は話の結末と同じくらいに気になっていたことだった。

 「そうだな・・・・・・」

 皆本は藤壺のことを思い出し、優しく、そして寂しげな笑顔を浮かべた。

 「顔立ちは葵に似ていたかな・・・・」

 その言葉に葵が頬を赤らめる。
 皆本の初恋の人の面影が葵にはあるらしい。
 薫と紫穂は露骨に不快な表情を浮かべた。

 「性格は薫みたいに正義感が強く男勝りだったし・・・下ネタは言わなかったけどね・・・・」

 薫の額から青筋が消える。
 下ネタの件は敢えてスルーした。

 「そして、すごく大人びた考え方は紫穂みたいだった・・・・これはこの話の結末に関係するけどね」

 不思議そうな顔をした紫穂に視線を向けてから、皆本は順番に他の二人を見回す。
 皆本は3人の中に初恋の人の姿を見つける時があった。




 「結論から言うと、僕はホワイトデーに返事を伝える事ができなかった。彼女は家庭の事情でその前に転校してしまったからね・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・」

 3人は黙って皆本の言葉に耳を傾ける。

 「お別れ会の席で、藤壺さんは僕とだけ握手をしてくれなかった。カンニングの誘惑に勝てないからって・・・今にして思えば、彼女はテレパスだったんだろう・・・レベルはさほど高くなかったろうけど」

 こう言うと皆本は紫穂の頭を撫でる。
 紫穂は意識して皆本の心を読むのを避けた。

 「結局、僕の気持ちは藤壺さんに伝わらずそれっきり。女々しいかもしれないけど、時々こう思うんだ・・・もしあの時、藤壺さんが転校しなかったらどうなってたろうかって。藤壺さんがいなくなってクラスから本格的に浮きはじめた僕は、特別教育プログラムへの参加を承諾した・・・」

 「皆本はん・・・ひょっとして後悔してるの?」

 心配そうに自分をのぞき込む葵に皆本は笑いかけた。

 「そんな事はないよ。おかげで僕は君たちとこうしている・・・・・・・あの時、割り切れなかった問題は、君たちという新たな要素によって無事に約分することができたんだ。それに、昔から初恋は実らないって言うしね」



 バキッ!



 初恋は実らないという皆本の言葉に、薫はPKで自分の胸をかたどったチョコを粉砕した。
 そんなジンクスはチョコと一緒に粉砕してやるとばかりに。
 薫はその欠片の一つを皆本の目の前に移動させる。


 「食え、皆本」


 「薫、急にどう・・・ふがっ」

 10年前の今日と同じように皆本の口にチョコがねじ込まれた。
 皆本の脳裏に鮮明にあの時の味が思い出される。


 「うまいか?皆本・・・」


 皆本はあの時と同じく無言で肯く。
 その肯きに、薫は満足そうな笑顔をようやく浮かべた。

 「来年はもっとスッゲーチョコ食わしてやるからな!」

 薫はこう言うと冷蔵庫から牛乳パックを取り出し一気飲みをはじめる。


 「まさか・・・」×3


 その光景を見ていた3人はこの話のオチを何となく予想した。



 「明日のためにそのいちーっ!!!」



 「来年もヤルつもりかい!!!」

 来年のチョコに向けたバストアップ体操を始めた薫に、葵のツッコミが炸裂した。







 余談

 1年後、皆本は少しだけ大きくなったチョコを貰うこととなる。

 そして数年後
 薫はさらに「ものすごいチョコ」を思い付くのだが、そのネタは心の中だけにしまわれることとなった。

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