ザ・グレート・展開予測ショー

ルシのめ!


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(06/ 1/31)

 美神所霊事務所所員……横島忠夫(22)は白井総合病院の病室で語る。
「俺は無実や〜!アレがきっかけでこんなことになるとは、想像も出来るかー!!」
 その言葉は大幅に間違いの部分が多いが、『ある意味』正しい……こればっかりは神を恨むしかない。

 だが、運命の女神の寵愛を一身に受けまくり、他の男からすれば羨むばかりの状況に置かれていると言ってもいい男のその言葉は、他の男の……特に隣のビルに生息しているどこぞのロン毛公務員(33・独身)にしてみればやっかみの対象にしかならないものであった。






  〜ルシのめ!〜






 事の発端は、とある土曜の昼下がり―― 徹夜になった除霊も終わり、事務所に戻ってきた彼らが疲れを癒す休息の時間の出来事であった。

 野性の本能からだろうか、シロとタマモの居候二人は食後それほど時を置かずして床に就いている。

 とはいえ、緊張感と空腹感が一気に満たされた上、徹夜明けという状況だから無理もない。

 起きている三人も、それぞれやらなければならないことがあるから起きているだけだ。


 事務所を切り盛りする美神令子は報告書の作成、従業員である横島忠夫は文珠のストックを生成、もう一人の従業員である氷室キヌは5人分の食事の後片付け……それぞれ、今の受け持ちが終わればこの日一日の仕事は終わり、ということもあり、眠いながらも表情にも張りが見える。

 事務所のドアが開いたのはその時だった。

「おねーちゃん、おにーちゃん、こんにちわ――――ッ!!遊びにきたよ――――ッ!!」
 ドアがけたたましく開くと同時に、明るい声が響く。

 幼稚園から直接遊びにきたのだろう、幼稚園の制服を身に纏ったその幼女は、その声音と同じく明るい表情で目当ての青年を発見すると、即座に駆け寄る。

「ねぇ、横島おにーちゃん」
 


「なんだい、ひのめちゃん?」
 その呼びかけに、振り返って応じる横島。

 横島は女好きであることに違いはないが、それ以前に子供好きでもある。

 だからこそ、ソファに座って予備の文珠を生成している最中でありながらも、自分に纏わりついて甘えてくる幼女―― 雇い主の妹であるひのめを鬱陶しがることなく笑顔を向ける。

 やはり、文珠を生成する能力に覚醒して五年というキャリアは伊達ではない。最初のうちはちょっと雑談をしただけでも暴発させてしまったのが嘘のように、このようにコンディションが思わしくなくても……しかも、脇見をして応対してもなお、その右手の中では着々と霊気が球状に圧縮されていく。

「……抱いて?」
 だが、横島の相槌に対して放たれたその言葉は、想像と常識を綺麗に超えていた。

 その言葉の意味を知らない子供ならではの発言ならばまだいい。しかし、ひのめの発したその単語の中には、淫靡な響きを明確に醸し出す、甘ったるい感情の発露が見えている。

 言ってみれば、「呑みすぎちゃった。もう歩けなぁい」と狙いを定めた恋人未満の男性に甘えるOLのような、ある種の含みを持たせた言い方である。

 K点を越えた上に捻りすらも加えたかのような言葉の大ジャンプは、文珠生成に慣れと余裕を持って当たっていた横島を動揺させ、文珠を生成する霊力を暴発させた。


 無論、それだけでは済まない。美神は口に含んでいたコーヒーを吹きだしているし、おキヌは拭いていた皿を取り落としている。


 一言で言えば、事務所内は大惨事だ。





 だが、それ以上の惨事が訪れるであろうことを、横島は本来の2.5倍以上の濃度と長さがあるのではなかろうかという錯覚を覚える5年間の経験で悟っている。



 逃げなければならない―― この件に関して言えば、彼自身に謝らなければならない落ち度や逃げ出さなければならない失態など何一つないというのに、横島の動物的勘はそう叫びつつ警鐘を鳴らしまくっていた。

 だが、遅かった。
「ひのめにナニを教えたか、貴様――――――ッ!!」
 横島が動物的勘を発揮する前に、美神の狩人的経験が横島の行く手を遮り、出力過多によって変形した神通鞭が容赦なく横島を打ち据える。



「横島さん……アプローチしても手を出してくれないからおかしいとは思ってたけど……そんな人だとは思わなかったです―― こうなったらあなたを殺して私も―― 」
 なにやら暴走気味な台詞を吐きながら、包丁刺しから元・妖刀にして現・包丁という経歴を持つ柳刃包丁を引き出すおキヌ……『こうなったら』というものがどういう状況を指すのか、というのはさておき、いろいろな意味でとても危ない。


『き……ききききききききき、斬っていいのか?拙者、そやつを斬って構わないんだよなッ?!』
 久々に望む活躍の場を準備され、大喜びを通り越してかなり動転気味にハイテンションな元妖刀の柳刃包丁ことシメサバ丸!


 ―― いいからお前は黙ってろ!



 というか、霊力に目覚めていない頃とはいえ、かつては横島が乗っ取られたこともある妖刀を、人間に向けているにも関わらず乗っ取られていない辺り、おキヌとシメサバ丸の間にはかなりの信頼関係が出来ているらしい。





 閑話休題(それはさておき)――。





 楽しそうにそんな惨状を眺めていたひのめだが、悪戯っぽく笑うと姉に向かって言う。

「相変わらずね、美神さん……やっぱり、令子おねーちゃんといった方がいいかな?1000年待ってた人に譲る心算だったけど、思ったより早く転生しちゃったから、ね」

「ひ、ひのめ……まさか?!」
 容赦なく横島を踏みしだきながら、驚きの声を上げる美神。

「もしかして―― ルシオラさん?」
 美神のその声を受ける形で、目を白黒させながらおキヌが言った。












「……で、なんでまた、よりにもよってひのめに転生してきたの?」
 悲しい別れを経た知り合いがこのような形であれ帰ってきてくれた事が嬉しいような、だが、思いもよらない場所から余計なライバルが現れてしまって厄介でもあるような、複雑な心境を言葉に載せて、美神が訪ねる。


「『作者の都合』とか『面白そうだったから』というのはなしよ?」
 オレンジジュースをグラスに注ぎながら、おキヌも“ひのめ”に対して、というよりはむしろ、別のどこかに座っている誰かに向けて念を押す。


 ―― 目が笑ってない笑顔で、怖いことを言わないで頂きたい。



 二人から生み出される妙な圧力を感じつつも、「私も信じられなかったけど――」と前置くと“ひのめ”は笑顔で返す。
「私が生まれるちょっと前に、横島おにーちゃんがママのお腹を触ったでしょ?その時に僅かに残っていた『ルシオラ』としての残留思念が、魂の形が完全に定まってない状態の私に張り付いてね……そのまま取り込んじゃったみたいなの。
 で、美神の家系って、代々強い霊力を持ってしまうじゃない?それが『ルシオラ』が持ってた光を操る能力に影響しちゃって、発火能力として現れてしまったみたいなのよ」
 恐らくは、母親の教育の賜物だろう……その語り口はあまりに軽い。

 言われてみれば、美神やおキヌではなく、横島が『ママ』―― 美神美智恵のお腹に触った時が、ひのめが初めて発火能力の片鱗を発揮した時だった。


 加えて、彼女達がこの五年間で何度となく“ひのめ”を世話した時に感じていた一種の違和感……以前世話したこともある、過去の美神こと『れーこ』の我侭放題に比べたら、ひのめの方が遥かに手のかからない―― というよりは、『不自然なまでに手がかからなさ過ぎる』―― という印象もまた、ひのめがルシオラの意識を自我形成の下敷きとして持っていたことが影響していたのだとすれば、頷ける。

 なにより、美智恵はチューブラー・ベルの因子を持っており、その美智恵から血肉を分けられた実の姉・令子もまた魔族の転生者である……そういう『先例』がある彼女もまた、魔族との親和性が高かったのも当然と言えるかもしれない。

 それにしても、親子二代で魔族と吸収融合……これも因果というものだろうか?



「でも、さ……復活に必要な霊基を他から補充したら、別人になってしまうんだろ?」
 フローリングの床にしつらえられた『被告人席』に正座しながら、土偶羅の言葉を思い出した横島が尋ねる。

 何も悪いことはしていないというのに散々な扱いであるが、本人もそれには慣れているらしい。

「まぁ、私も100%『ルシオラ』って訳じゃないの」横島の言葉に頷いて、ルシオラは応じる。

「令子おねーちゃんや横島おにーちゃんとは違って、死んでからすぐの時点で生まれ変わることが出来たから、前世の記憶をある程度鮮明に持っちゃったことには違いないけど、『ルシオラ』の記憶以上に、遥かに『美神ひのめ』としての生活と記憶の方が強いのよ。言ってしまえば、あくまで『ルシオラ』の因子を少しだけ持って生まれた『美神ひのめ』ということかな?」


「少しだけ……って?」
 湧き出てきた疑問に、思わずおキヌが尋ねる。

「…………四割七厘?」
 少し考え込んで、どっかの超一流安打製造機の打率ばりのパーセンテージを応えるひのめ。

「細かッ!!」

「いや、細かいとかそういう話じゃなくって―― 全然『少し』じゃないじゃない!?」
 ツッコミどころが微妙に違う横島にツッコミを入れ、改めて突っ込む美神。

「え〜、でもその因子の大半は発火能力に行っちゃってるのよ。それがなくなっちゃったら、私のレゾンデートルもなくなっちゃうじゃない?!
 ―― まさか、可愛い妹をライバルとして抹殺する気ッ!?同じ人を愛したからって、そんな昼メロみたいな殺伐とした姉妹関係はやめてッ!!」


 ―― 言っている本人の言葉こそが、実に昼メロ臭い。


「5歳児がレゾンデートルなんか気にしないッ!!それに、私と横島クンの間に愛だなんて変なこと言わないッ!!」

 図星を差された形で顔を真っ赤にしながらも否定する美神。

「じゃあ、横島おにーちゃんは私のもので―― 」
 その否定を聞いたことで、ひのめは嬉々として返す。

「妹をそんな危ない目に会わせるわけには行かないわよっ!!」

「その『妹』本人がいいって言ってるんだから、いいじゃない♪」
 やはりその言葉は、ルシオラが混じっているとは思えないくらいに軽かった。

「そんなコト言ってるんじゃなくって―― 第一、横島クンは私の犬よッ!!」
 言うに事欠いて犬扱いしやがった。

 ―― というか、案の定、どっちの娘さんも教育の仕方を間違ってます……美智恵さん。











 美神家の教育方針がどちらにせよ破綻していることが明らかになったことは兎に角、美神と『ひのめ』が言い争うことで、なにやら蚊帳の外に置かれてしまった状況の中――。

「なんつーか……魔族と融合するのが好きな家系やなぁ」

「……横島さんは人の事言えないと思います」

 半ば呆れつつ、犬扱いされた悲しさも交えながら呟いた、人外の者に好かれる特異体質の持ち主である横島に、おキヌはジト目で応じる。
















「でも、横島おにーちゃんを令子おねーちゃんと取り合うかどうかは別にしても、私は令子おねーちゃんの妹として―― 美神の家に生まれてきて幸せよ?」

「え?」
 永遠に続くかと思われた、口頭での姉妹喧嘩の最中に唐突に投げかけられた言葉に、思わず舌鋒を緩める美神。

「だって、未来が明るいじゃないッ!ママもそうだし、令子おねーちゃんもそうだし……ていうか、遠い先祖のメフィストからずっと、美神の家系ってしっかり出るとこ出てるのよッ!」


 ――そんな理由かよ。


「あ、あの……ひのめ?」
 話題が厭な方向に転がる予感を感じたのだろう……自分の前世が実は自分の家系の源だった、という意外な事実もスルーしながら、美神はひのめを止めようと試みる。

 だが、美神がサイドブレーキやフットブレーキを必死に探したところで、そもそもひのめにブレーキはなかった。

「もし今の私として転生出来ずに、おキヌおねーちゃんの娘として転生したりしようものなら未来は真っ暗ッ!計る価値なしだったパピリオを除いたおっぱいランキングで最下位だった前の屈辱を避けられただけでも―― ひっ?!」
 拳を握って暴走気味に力説していたひのめだが……黒い妖気の塊を感じて息を呑んだ。










 ―― やっと、黒塗りのBMWやベンツに全速で追突した、ということに気付いたらしい。










「うふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ―――― 。
 横島さん―― 月に一回は面会にきて下さいね?」
 その黒髪以上の黒いオーラをその身に纏い、すらり、と黒髪の娘さんがシメサバ丸を抜き放つ。

「お、おキヌちゃ――――――んッ!!それだけは、それだけは止めるんだッ!!」
 その底冷えする恐ろしさに引きながら、横島は説得を試みる。


「ええ――、拙者、女子供は斬りたくないのだがなぁ――――?」
 流石に武士道バカな妖刀である……どうやら女子供を斬る、という行為は不本意極まりないらしく、抜き放たれたものの、シメサバ丸は心底厭そうに渋る。
「大丈夫、お隣からすぐに剣の達人の人がくるから……満足したいならそっちを思う存分相手にすればいいわよ。だから、その前に私に力を貸して頂戴?」


 ―― だから目の笑っていない笑顔は止めてください。夢に見てしまいそうなくらいに怖いです。


 ナレーションがついつい下手に出るくらいの殺気である。さしもの妖刀も従うより他になかった。
「わ、わわわ判り申した。拙者、不本意ながら力をお貸しいたそう」

「んー、不本意?」……優しく、尋ね直す。

「―――――――――― 是非、喜んで」
 更に激しい妖気に晒され、小刻みに震えながら訂正するシメサバ丸―― かつて目があった鍔があったなら、間違いなく涙を流しているに違いない。

 ましてや、直接向けられているひのめは更にキツいものがあるだろう。

 血涙を流しながら近寄るおキヌに気圧され、涙を滲ませて後ずさっている。


「お、おキヌちゃん……それくらいで勘弁してあげよ?この通り、ひのめも反省してるんだし……ね?」
 反省している、というよりはこの場合、地雷を踏んだことに恐れをなしている、と言う方が正しいかもしれない。

 だが、そんな型どおりの説得は虚しいとばかりに、おキヌはしゃくりあげながら返した。
「―― ぅ……ぐすっ……美神さんには判りませんよ……ユニコーンさんにまで『色気イマイチ』『カマトト』『影が薄い』だのって馬鹿にされた私の気持ちなんか―― 。
 その上、結局ユニコーンさんはひのめちゃんの膝の上で眠ってたっていうことは、ヒロインとしてのランキングも大きく水を開けられたっていうことですよ?」
 ひのめの赤ん坊時代の一件を持ってきましたか。


 だが、その一言は地味に効いたらしい。


 美神は無言で頷くと……おキヌの横に並んだ。


「れ、令子おねーちゃ――――――――んッ?!」
 黒いオーラに侵食された実の姉に、更に激しい涙を流して抗議する。















 ―― ああ、世界に救いの神はいないのか?











 ―― いや、救いの神はいなくとも、『かつて世界を救った男』なら、この場にいた。




「おキヌちゃん……美神さんの言う通りだよ―― それくらいにしようよ」
 まぁ、その膝から下はガクガク震えてる辺りがあまりにも横島らしいが……シメサバ丸までもが飲み込まれた恐怖を噛み殺しつつ、優しい口調で語りかけながら、一歩一歩おキヌに近寄る。

 想い人の真剣な眼差しに……おキヌの黒いオーラがわずかに翳りが生じた。

 おキヌは一歩退くが、おキヌが退いた分だけ横島は更に前に進んでその正面に立つと、真っ直ぐにおキヌの瞳を見つめ……その肩を抱いた。

 おキヌが身に纏っていた妖気が薄れていき、小刻みに震えていたおキヌの身体もまた、精神が平静を取り戻すのと歩調を合わせるかのように落ち着きを取り戻していく。

「俺なら、気にしないから――」耳元で囁いた。

「横島―― さん?」
 正気を取り戻した故だろう―― 固く抱擁されていることに今更ながらに気付き、その顔を朱に染めたおキヌの右手から……シメサバ丸が落ちた。


「俺は胸の大きさなんか気にしない!そりゃ、大きければ大きい方がいいとは思うけど、ちっちゃいのならちっちゃいのなりにイイところがあるんだし、何より肝心なのは相手なんだから―― って何を言ってるんだ、俺は?!」
 自分でも、何を言いたいのかを充分に把握しないまま動いてしまったのだろう……支離滅裂なことを述べつつもおキヌの両肩を掴んだままその顔を見据えると―― 顔を真っ赤にして、続けた。

「…………胸がちっちゃかろうが、怒らせたら実は美神さん以上に怖かろうが!カマトトぶっていようが!!趣味が年寄り臭かろうが!!!俺はそんなおキヌちゃんの方が誰よりもいいんだよッ!!!!」


 フォローしてるのかけなしてるのかは正直微妙だが、その言葉が進むごとに……一区切り一区切りごとに語気を強めた結果、最後には叫びと化していた。


 事務所の残響が薄くなっていくに従い、四人の頭に血が昇っていく。

 まぁ、端から聞いててもこっ恥ずかしくて仕方ないシチュエーションだ。その渦中にいれば尚更だろう。


 姉妹喧嘩の隙に、両者に共通する最大の強敵によって横から攫われた格好になる美神姉妹は、顔を見合わせて自らの痛恨を悟り、おキヌは怨念に曇っていた瞳をにわかに輝かせ―― 肝心の横島はというと、自分の言葉に対する照れからだろう……虚空にその視線を漂わせていた。


「あ……よ……横島さん――」その双眸に大粒の涙が溢れ、零れ落ちそうになる。









 
「―――― でも、どうしても大きくなりたいっていうんなら、俺も協力してあげるぐぐッ!」




「アホか―――――――――――― ッ!!」
 美神の渾身のストレートをモロに受け、微妙に危険な絶叫を上げつつ壁に磔にされる横島。
















 仕方ない……なんと言うか、おキヌの血の涙を嬉し涙に変えようとしていた矢先に自分で全て台無しにしてくれたのだから、まさに自業自得としか言いようがない。

「相手がおキヌちゃんじゃあ仕方ないってんで諦めようとしていたってのに……あんなアホな一言でおキヌちゃんを泣かせるとは何事か――――――ッ!!!」
 神通鞭に横島を巻きつけたまま振り回す!

 休みを前にして、折角片付いていた書類の類も局地的な大嵐によって撒き散らされていたが、構わなかった。

 壁や柱のあちこちにぶつけられ、血塗れになって倒れた横島の前に、エプロンの端が見えた。

 いつもなら、バカをやった自分が美神に折檻されるのを止めに入り、助けてくれる……慈愛に満ちた―― 最も愛しい女性に縋ろうと、顔を上げる横島。






 だが、そこには―― 笑顔の鬼がいた。




 無駄と判っていたが、謝ろうと試みる。

「えっと……あ―――― ゴメン……って、ひのめちゃん……なんで、おキヌちゃんに釘が一杯打ち付けられたバットなんか、手渡してるのかな?」



 判りきった解答を求め、尋ねる。



 尋ねられたひのめは、少しだけ困ったかのような表情を見せると、満面の笑顔で横島を見る。



「横島おにーちゃん……待ってるから、出来るだけ早く転生してきてね♪」



「ひ……ヒィッ!!」
 笑顔で見送られ―― 釘バットが振りぬかれたその瞬間、横島の脳裏には……それまでの思い出が、よぎった―― 。




























 ―――― 氷室キヌ……今季一号のホームランは場外に消える特大弾!!


























 何度も続く、鈍く……激しい轟音と、ガラスが割れる高い音に飛び起きたシロとタマモが、階下で見たものは―― 一対の窓ガラスを失った血塗れの部屋と、そこに散乱した書類、そして、二人して顔を見合わせる美神姉妹と……惨劇の部屋の中心で、釘バットを握り締めたまま肩で息をするおキヌの姿だった。






 窓から流れ込む風の影響だろうか……窓辺に降り注ぐ日差しが、近づく春の陽気を感じさせるはずだというのに、シロとタマモの二人には、寒気しか感じることは出来なかった。





























 面会謝絶が解除されて五分が経っていた。

 
「あーあ、失敗したなぁ……令子おねーちゃん以上の強敵を作っちゃったかな?」
 さっさと駆け込んだ四人とは対照的に、廊下の椅子に座ったまま一人ごちる“ひのめ”。


 前世がどうであれ、『人間』として転生した自分は誰よりも大きなハンデを負っている。

 どう足掻こうとも、17歳という年齢の差は覆ることはないのだ。


 あと十年余りもあれば、横島を誘惑するに足りる身体は得ることが出来るだろう。

 だが、横島も男ではあるとはいえ……それ以上に『人間』だ。それまでに愛し、その老いをともに歩む伴侶に恵まれていたならば、間違いなくそちらを選ぶに違いない。


 その点から言えば、今回の一件で横島本人の意識を大きくおキヌへと傾かせたことは、彼女の言葉を借りるまでもなく、紛れもない失敗だった。


 姉である令子の言うとおり、おキヌという女性に対して言えば、この『横島忠夫争奪戦』において、負けても仕方ないと諦めるしかない、数少ない……そして、最高のライバルの一人なのだ。



 だが、『令子おねーちゃん』『おキヌおねーちゃん』という最強にして最高の強敵二人を向こうに張っても、負ける心算は全くない。




 欲しいものは手に入れる―― それが『美神の女』の生き様であり……彼女もまた、そんなヴァイタリティ溢れる『美神の女』の一人なのだから!!


 ―― 負けないからね、おねーちゃん達!



 胸中で下した宣戦布告―― それとともに悪戯っぽく微笑むと、短い間に数奇な遍歴を経た魂の持ち主は―――― 愛しむべき人々が待つ、病室のドアを開けた。

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