ザ・グレート・展開予測ショー

ジーク&ワルキューレ出向大作戦9 『LAST MISSION 聖夜の黄昏 10』


投稿者名:丸々
投稿日時:(06/ 1/23)

「ぬぅぅッ!」


突如ルシオラの義体から凄まじい霊圧が放出され、カオスが唸る。


「これは一体、何事じゃ!
ドグラ、何かわかるか!?……っておい、ドグラ!!」


仲間に声をかけるが、肝心の土偶は目を見開き身を震わせている。


『おお…………!
この気配は……この霊圧は……!!』


歓喜にむせぶように、その丸い瞳からは涙がとめどなく溢れている。
カオスの声が届いていないのか、一心にルシオラの義体を見つめている。


「……こ、これは、嬢ちゃんのものではない!
この凄まじい霊圧……!一体何者じゃ……!!」


とてつもない霊圧に吹き飛ばされそうになりながらも、必死にカオスが堪える。
カオスの前に立ち、霊圧から守ろうとしていたマリアが、突然カオスの方へ振り向いた。


『ドクター・カオス。
データバンク照合完了しました。
この霊圧の正体は98.89%の確率で――――』



「――――なんじゃとぉぉぉ!?」



驚いたカオスの叫びが手術空間に響き渡った。






















顕現したグングニルを男が構える。
ただそこにあるというだけで圧倒的な霊圧を放出していた。

今回のバルムンクはニーベルンゲンの指輪の力により、霊力の漏洩は抑えられている。
以前の富士の樹海での戦いの時のように、簡単に肉体が崩壊する事は無いはずだった。
だが自分の全ての霊力をバルムンクに凝縮させているため、本体の霊力は極端に低くなっている。

グングニルの放つ霊圧に耐え切れず、ジークが膝をついた。


「お前は充分に頑張ったよ。
私も誇りに思う。だが、これ以上は無理だろう。」


荒い息を吐くジークを見下ろしながら、男が声を掛ける。
そこには先程の怒りに歪んだ顔は存在しない。
いつもの穏やかな、それでいて少し寂しげなものへと戻っていた。

神具グングニルの特性は持ち主の手から放たれた瞬間、主の敵を討ち滅ぼすというものだ。
相手がどこに隠れていようと、違う空間に居ようと、持ち主が敵を認識出来るなら必ず命中する。
単純極まりない特性だが、それ故に隙は無い。

つまり、男が妙神山に侵入した時点で勝負はついていたのだ。


「何故です……!
本当はあなたも躊躇っているのでしょう……!
何故そこまでして、キリストを討つ事にこだわるのです……!」


男は穏やかな表情のまま、少し考え込んだ後、首を傾げる。


「……私が躊躇っている?」


最後の力を振り絞り、膝を震わせながら、ジークが立ち上がる。


「そうです……!
キリストを討つ事が目的なら、最奥部まで向かわなくても良かった筈です……!
あなたのグングニルなら妙神山の敷地に入りさえすれば、充分狙いはつけられるのだから……!」


ああ、なるほど、と男は納得したように手を叩いた。


「ああ、確かにその通りだ。
だが最後に、お前がどんな場所で過ごしてたのか、この目で見てみたかったんだよ。
ふふふ、なかなか良さそうな場所じゃないか。私も安心したよ。」


男が居住区を見て回っていたのは、特に理由があっての事ではなかった。
ただ大事な部下がどんな場所で生活していたのか、最後に見てみようと思っただけだったのだ。

だがジークはその言葉に強い口調で反論した。


「ならば、何故、姿を隠さなかったのです……!
あなたの力なら、霊圧と姿の両方を隠すのは難しい話ではないでしょう……!
だがあなたは霊圧を隠しただけだった……本当は誰かに止めて欲しかったのではないのですか……!」


イエス・キリストを討つだけが目的なら、姿も光学迷彩で隠せば良かったのだ。
それをしなかったため、結局小竜姫やワルキューレに捕捉されてしまったのだから。
無駄な争いを避けたいなら、最初から姿を見えなくするのは当然の処置だろう。

何かそれにも理由があるのだろうとジークは考えていたが、意外な事に男は言葉を詰まらせた。
ジークの指摘で今初めて気付いたかのように、呆気にとられた表情を浮かべている。


「……確かに、その通りだ。
何故だ、私は何故そうしなかった……?」


本当に理由がわからないのか、男が頭を抱える。
今改めて考えてみれば姿を隠すのは当然の処置だと思える。
だが今この瞬間まで、そんな事を考えもしなかった。

ジークの言うように、自分は本当は誰かに止めて欲しかったのか?
その可能性も考えてみたが、ジークには悪いが、それは有り得なかった。


「――――ウオオオオオォォォォォ!!」


荒ぶる咆哮にハッと我に返ると、ジークが間合いを詰めバルムンクを振り下ろしていた。
咄嗟にグングニルで受け止めようとするが、慌てて自ら後方に跳び、衝撃を逃がす。
バルムンクとグングニルが接触した瞬間、稲妻のような閃光が空間を切り裂いた。

後方に跳んだ男は壁へと叩きつけられる。
それを追い、ジークが逃げ場を失った男を追撃するべく、再びバルムンクを振り上げる。


「チィッ!よせ、ジーク!!
お前のバルムンクでは――――!!」


男の制止の声を振り切り、バルムンクが振り下ろされた。
それを受け止める、男のグングニルとジークのバルムンクが鍔迫り合いの格好になる。
霊力と霊力がぶつかり合い、天地を揺るがす凄まじい轟音が鳴り響く。

目も眩む強烈な閃光の中、男がジークを引き離すべく、説得しようと試みる。


「やめろ!ジーク!!
こんな事を続ければどうなるか、お前がわからない筈が無いだろう!!」


圧倒的に有利な体勢にも関わらず、ジークの表情は苦痛に歪んでいる。
良く見ると、美しい蒼水晶にも似たジークのバルムンクに細かいヒビが入りつつあった。


「他に方法があれば、そうします……!
ですが、俺に出来る事は他に無いんですよ……!!」


グングニルとバルムンクは術者の霊力を具現化している、という点では同等の存在だ。
だが一つ決定的な違いがあった。それは術者の霊力差という根本的な問題だった。
ニーベルンゲンの指輪の力で強化しているとは言え、上級魔族と神話クラスの力の差はその程度では埋まらない。

結果、グングニルとバルムンクが接触するだけで、バルムンクは対消滅してしまうのだ。
それを覚悟の上で、それでもジークは己の力がグングニルを超える可能性に賭けたのだ。
例えその確率が絶望的に低いとしても、彼に打てる手はもう他に無いのだから。


「さっきお前は、何故そうまでしてキリストを討つのかと尋ねたな……!
ならば私もお前に問う……!何故そこまでして私を止めようとするのだ……!
お前は……我ら北欧の神々を魔へと追いやった、キリスト教の連中が憎くは無いのか!!」


男の問い掛けに、ジークが力の限り叫ぶ。


「それは……俺だって納得いきませんよ……!
ですが、だからといって、あなたの存在と引き替えにしてまで……!
自分を犠牲にして怨みを晴らしたところで……そんな物、ただの自己満足ではないですかぁぁ!!」


ジークの激情に呼応するかの如く、バルムンクに更なる力が漲る。
その魂の叫びに、男の表情に小さな微笑みが浮かんだ。


「……そうか、お前は気付いていたのか。」


淡々と呟く男に、ジークが歯を食いしばる。


「もしキリストを討っても、世界のバランスを守るためすぐに復活させられる……!
ですがその時、もしも同等の存在が……あなたがこの世界から消えていれば……!
バランスは崩れず、あのアシュタロスのように、キリストは復活しない……!
キリストを道連れに、この世界から消滅するというのが……あなたの筋書きだったのでしょう!!」


男は何も言わないが、その苦い表情が全てを肯定していた。


「襲撃にホムンクルスを使ったのも、使い魔を犠牲にしたくなかったから……!!
あれだけ大掛かりな陽動を行ったのも、俺達を出来るだけ遠ざけたかったから……!!」


ジークの両腕に渾身の力が込められる。


「ベスパの心を折ろうとしたのも、いくら傷ついても彼女は止まらないと知っていたから……!!
小竜姫を殺さなかったのも、そんな事をすればバランスをとるために誰かを犠牲にしなければならないから……!!」


反発する霊力に弾き飛ばされそうになるのを必死で堪える。


「わざと俺を怒らせるような事を言ったのも、あなたが消えた後、俺が気にしないようにするため!!」


互角の鍔迫り合いだったのが、徐々にジークが押し始める。


「クッ……!!」


男が異空間に姿を隠している使い魔に念波を飛ばす。


――スレイ、転移だ……!
このままではジークが……!

――無理です、マスター!
マスターとジークの霊力が干渉しあってて、ワームホールが造れません!!


男の念波にスレイが悲鳴にも似た声を上げる。


「ウ、オ、オオオオォォォォォ!!」


最後の力を振り絞り、ジークがバルムンクを振り下ろす。




――キィィィィィィン――






澄んだ音と共に手応えが無くなり、バルムンクが振り抜かれていた。





































草原に一人の女性が座り込んでいる。
柔らかい陽射しのなか、女性は遠い目で地平線の彼方を見つめている。

その時、前触れも無くつむじ風が吹き抜けた。
女性は目を閉じ風をやり過ごす。

もう良いかな、と思い恐る恐る目を開けると何時の間にか隣に男が立っていた。

女性が瞳をまたたかせ男を見上げる。
長い髪を後ろで縛り、男は質の良さそうなスーツに身を包んでいる。
その立ち居振る舞いにはどことなく品があった。

良く憶えていない。
しかしどこかで出会ったような気がする。

女性は男から懐かしさのようなものを感じていた。


「隣、良いかな?」

――ええ、どうぞ


男の問いに笑顔で頷く。
男も穏やかに微笑むと女性の隣に腰を下ろした。

座り込んだまま二人とも何か話をする訳でも無く景色を眺めている。
だが男がふと尋ねた。


「君は、こんな所で何をしているのかな。」


女性が考え込む。


――わからないんです


また、男が尋ねる。


「誰かを待っているのかい?」

――わからないん、です


だがその言葉は何か引っ掛かる気がした。
何かを思い出しそうになる。

その時、また風が吹いた。
まるで彼女が何か思い出すのを拒むかのように。

思い出しかけていたものがまた記憶の底に沈もうとした時、男が静かに呼びかけた。


「現実から目を逸らしては前には進めない。
自分の世界はさぞ心地良いだろう。
だがそこに逃げ込んだ所で何になる。」


そっと肩を掴み女性の瞳を覗き込む。
またも女性の記憶の底から何かが浮かび上がる。
そして、それに呼応するかのように周囲の風景が変貌していく。

太陽は輝きを失い、緑の草原は茶色く枯れ果てていく。
光が溢れ、暖かかった世界はまるで冬が訪れたかのように、暗く冷たい世界へとその姿を変えていく。

変化を拒み、世界が悲鳴を上げているかの如く凄まじい突風が男に牙を剥く。
だが男は女性の肩を掴んだまま微動だにしない。

静かに、しかし力強く呼びかけ続ける。


「君が創造主に背いたのは何のためか。
勝てないとわかっていたのにベスパと戦ったのは何のためか。
君の願いを――本当の願いを、思い出せ!」


――私は


女性が白い息を吐く。
枯れ果てた草原に霜が降りていく。


――この人は


頭上で輝いていた太陽が光を失う。
夜の闇が辺りを浸蝕していく。


――彼は


地響きと共に大地に巨大な亀裂が走る。
砕けた大地が沈降していく。
世界が崩壊するかの如く、激しく大地がその身を震わせる。


――私の願いは


男に手を引かれ、女性が立ち上がる。
男の顔を真っ直ぐに見据え、全てを思い出し叫んだ。





――ヨコシマと共に生きること!





その言葉を契機に、二人の周囲を残し、大地が崩れ落ちていく。
崩壊していく世界で男が満足そう頷く。


「目が覚めたようだな、ルシオラ。」


力強く頷く女性に自分の背後を指差す。


「そこを抜ければ目覚める事が出来る。
さあ、君を待つ者の元へ、行くと良い。」


男の後ろに光の柱が出現する。
暗闇の中突然現れた光は、まるで違う世界へ続く扉のようだった。

新たな一歩を踏み出そうとした時、誰かが背後から女性の手を掴んだ。
その氷のような冷たい手に、背筋に寒気が走る。

思わず相手の正体を確かめようと女性が振り返った。
だがそこに居たのは自分と瓜二つの氷像だった。




































振り抜いた体勢のジークの指から、バルムンクが滑り落ちた。
それと同時にジークの身体から力が抜け、男に倒れかかる。

壁を背にした男はジークを抱きとめた。
男の表情は苦悶に歪み、歯を食いしばっている。


「だから、やめろとッ……!
もう、やめろと言ったんだッ……!!」


噛み殺すように絞り出されたその言葉は、ハッキリわかるほどに震えていた。


男とジークの足元には、アクアマリンの欠片のような宝石が散らばっている。
ジークの手から落ちたバルムンクは柄と握りだけを残し、蒼水晶の刀身は粉々に砕け散っていた。


「――ジーク!!」


ワームホールを潜り出現した、紫陽花色の髪の少年が悲鳴を上げた。

ジークを抱きとめたまま、男は壁に握り締めた拳を叩きつけた。


「私達の使う、霊力の武器化は、かなり強力な力を持っている……!
だが、己の霊力そのものを形にしたそれが砕けるという事は……!」


喪失の痛みに耐えるように男の身体は震えていた。
きつく握り締められた拳からは、爪が皮膚を貫いたのか赤い滴が零れている。

その時、ジークの弛緩した指からニーベルンゲンの指輪がすり抜けた。
軽快な金属音をたて指輪はころころとどこかへ転がっていった。

指輪の能力により物質化していたバルムンクが霊力へと戻っていく。
床一面に散らばった宝剣の欠片は、霊気へと還るべく、ふわりと浮き上がる。

ジークの霊力そのものを凝縮したバルムンクは、それが分解される際、その中身を映し出す。
浮かび上がる欠片の一つ一つが、ジークがこれまで体験した事をまるでビデオテープのように記録しており、消える間際にそれを再生している。

その幻想的な光景に惹かれるように、男は消えていく欠片へと目を向けた。


神話の時代、まだ北欧の神々が神族として扱われていた頃の記憶。
魔族へと堕とされ、力を磨くために魔界軍に所属し始めた頃の記憶。
妙神山へ留学生として派遣され、あのアシュタロスの事件に関わり始めた頃の記憶。

そして、この一年ほどの、人間界で任務に励んでいた頃の記憶。


それらの全てが、文字通り、ジークの生きてきた証と言えた。
溢れ出しそうな涙を堪えながら、決して忘れぬよう、男はその全てを目に焼き付けていく。




――――二人にランプの精をやってもらおうと思ってな。


全てはこの一言から始まったのだ。





――――ジーク、釣りは好きか?


ワルキューレに漁船に売り飛ばされ。





――――それに……俺はまだルシオラを諦めてなんか無いんだ……


今回の件の発端となる話を聞き。




――――この辺りに珍しい山菜があるはずなのだ。


時には息抜きも交え。




――――せめて今夜は付き合いなさいな、酒は私の奢りだからさ。


時には汚れ役にも耐え。




――――1秒でも早く貴様を殺し、ここから脱出する!二度と私は死にはしない!!


生き延びていたデミアンに借りを返し。




――――少尉は働き詰めのようですからな、これを機会に少し休まれると良い。


ちょっとした休暇を楽しみ。




――――ちょーっと待つワケ。おたくらにも手伝ってもらうわよ?


成り行きで犯罪行為にも手を染め。





――――ジークさん〜〜紅茶のお替りはいるかしら〜〜?


人間界のVIPとも親交を深め。





そして今この時へと、記憶の欠片は集束していった。



その全てを見届け、ぐすんと少年が鼻を鳴らす。
涙で濡れた頬をローブの袖でこすりながら、ふと主の顔を見上げた。

もしかしたら泣いてるかも、という少年の予想は見事に裏切られる。
一体何がおかしいのか、男は笑っていたのだ。

ジークを抱きとめたまま、髪をかきあげながらクックックと乾いた笑い声を漏らしていた。


「何がおかしいんですか、マスター!!
命を懸けて、マスターを止めようとしてくれたジークがそんなにおかしいんですか!!」


使い魔が主に反抗するなど許されないが、少年は思わず叫んでいた。
だが男はそんな少年の言葉など聞こえていないのか、次第に喉を反らせ大声で笑い始めた。


「クックックックック…………!
ハハ、ハハハ、ハハハハハ…………!!
ハーッハッハッハッハッハ――――!!!!」


見損なった、と少年がもう一度声を上げようとした瞬間、男の笑いがピタリと止まった。
そしてフッと寂しく微笑むとポツリと呟いた。


「…………茶番だな。」





































驚きのあまり目を見開く女性を嘲笑うように、氷像の口元が歪む。


「ダメよぉ、ルシオラ。
どうせあなたにヨコシマを振り向かせるなんて無理なんだから。」


咄嗟に手を振り払おうとするが、何故か腕が動かない。
目をやると何時の間にか自分の肘の辺りまで氷に包まれている。
恐怖のあまり駆け出そうとするが女性の背後から氷像が羽交い絞めにする。

身動きを封じられた女性を完全に捕らえるべく、氷はさらに女性の身体を包み込んでいく。
女性の姿からその身を氷の塊へと変えた氷像が、唯一女性の姿を模したままの頭部で囁く。


「うふふ、あれから三年もたってるのよ。
まさか、ヨコシマが待っててくれているとでも思ってるの?」


くすくすと笑いながら氷像が囁く。


――そ、それは


時間の経過に気付かされ、女性が言葉を詰まらせた。
心の隙間に入り込もうとするかのように、囁きは続く。


「ヨコシマは優しいもの。
あなたが戻ればきっと喜んでくれるわ。
でも彼が本当に好きなのはあなたじゃないのよ。
彼の心を覗いた時の事、忘れちゃたのかしら?」


その言葉に、女性がびくりと体を強張らせた。
彼の意識に接続した時の記憶がよみがえる。

あの時、自分と『あの人』が入れ代わっているのを見て、心がバラバラになりそうな程のショックを受けた。
あの時は夢だからと割り切る事が出来たが、もしも現実世界で同じ光景を目にしてしまったなら。
恐らく自分には耐えられないだろう。

女性の身体から力が抜けていく。


「何も自分から辛い思いをする必要なんて無いでしょう?
あなたが望むなら、私がどんな世界でも用意してあげる。
今度は海が良い?もちろん山でも川でも構わないのよ。」


すでに氷像は女性の手足を完全に飲み込み、今は胴体部にまで手を伸ばしつつあった。
それまで、ただ黙って見ていただけの男が前に出た。

だがすでに女性は寒さと精神的な負荷で意識を手放しかけていた。
氷像が楽しそうに笑う。


「お久しぶりですわ、アシュ様。
せっかくですが私達はここから出るつもりはありませんので。
どうか、余計な口出しは慎んで頂けますかしら。」


芝居がかった口調で氷像が男に話しかける。
もしまだ人の形をしていたなら間違いなく踊りだしていただろう。

そう思わせるだけの、狂気と紙一重の歪んだ笑みを氷像は浮かべていた。

だが男はその言葉を気にもせず近付く。
しかしその間も分厚い氷の壁と化した氷像が女性をその身体の内に取り込んでいく。


「どうするつもりです、アシュ様?
ルシオラを解放するために私を砕きますか?」


その言葉を無視し、男が女性に話しかける。


「わかるか、ルシオラ。
これが君の深層心理だ。」


すでに女性の瞳は光を失っている。
男の言葉に何の反応も示さない。


「私は手出しするつもりは無い。
このままここに閉じこもるか、それとも現実に戻るか、君が決めるんだ。」


女性は何も答えない。
氷はすでに女性の胸元まで飲み込んでいる。


「だが、待っているだけというのも退屈だな。
少し喋らせてもらうぞ。
なに、ただの独り言と思って聞き流してくれて結構だ。」


男は過去に想いを馳せるように目を閉じた。


「君は、傍に彼が居ないという現実が怖くて仕方ないようだな。
確かに、あれから三年経つ。彼とメフィストの仲も進展してるかもしれないな。」


メフィストの名が出た瞬間、氷の速度が増した。
氷は胸元を飲み込み、首を這い上がる。

だが男は慌てる事無く言葉を続ける。


「逃げる事を選ぶか?それも良いだろう。
だがその前に一つだけ、君の知らない事を教えてやろう。」


氷の浸蝕速度は衰えない。


「メフィストは、彼を君に譲るつもりだったぞ。」


気のせいか、氷の浸蝕速度が僅かに落ちた。


「君が、彼とメフィストの絆には勝てないと感じたように、
メフィストはメフィストで君と彼の間には割って入れないと感じていたのだ。
だからこそ、あの時メフィストは偽りの世界を受け入れた。
恐らく、メフィストの魂に直接触れた私しか知らない事だろうがね。」


氷の浸蝕が完全に停止した。


「わかるか?
君が命を投げ出さなければ、彼の傍に居たのは君だったのだ。
もっとも、君が生き残った結果、世界がどうなったかはまた別の話だが。」


少し含みのある言葉を呟く。


「無論、あの時と今では状況も変化している。
それに、心とは変わり行くものだ。私とて言い切ることは出来ない。
だがこれだけは断言できる。彼は手に入らない存在では無いのだよ。」


その時、ぎしりと大きな音を立て氷の壁が軋んだ。


――ヨコ……シマ……


消え入りそうなか細い声で女性が小さく呟いた。
だがそれを拒否するかのように氷の顔が叫び声をあげる。


「認めないわ!
そんな事、絶対に認めない!!
私はもう傷つきたくないのよ!!
あの人とヨコシマの絆がどれだけ強いか、私が一番知ってるんだから!!」


氷の壁から無数の腕が生え、女性を強引に引きずり込もうとする。


「確かに、彼らの絆はとても強固なものだ。
だが、だからと言って何もせずに諦めるのか。」

「ウルサイ!ウルサイ!ウルサイ!ウルサイ!ウルサイ――――!!」


ヒステリックに叫びながら全てを否定するかの如く首を振る。
だが堅固な筈の氷の壁には幾筋もの亀裂が走りつつあった。
壁から生えた無数の腕もボロボロと崩れ落ちていく。


「メフィストは自由になるために創造主である私に挑んだ。
私もまた、押し付けられた役割から逃れるため宇宙の意志に挑んだ。」


ぎしぎしと軋みながら、氷壁の亀裂は増え続けている。


「ルシオラ、君はどちらを選択する。
傷つく事、失う事を怖れて逃げる道を選ぶか。
後悔しないため、望みを叶えるために戦う事を選ぶか。」


「やめて……やめて……やめてぇぇぇぇ――――――!!」


最後に一際大きく叫び、澄んだ音をたてながら氷の壁は粉々に砕け散った。


「道を決めたようだな。」


穏やかな表情の男に、女性が少し遠慮気味に微笑んだ。


――私も……アシュ様の娘ですから


「ふ、良い答えだ。」


男も満足そうに微笑む。
すっと横に移り、男が道を譲った。


――アシュ様はどうされるのですか。


女性の問い掛けに静かに首を振る。


「私の役目は終わったのだ。
いつまでも舞台に残るつもりは無い。」


――そう、ですか


男の答えに申し訳なさそうに目を伏せた。


「たとえ宇宙意志の掌の上で転がされていたとしても、私に悔いは無い。
そして、君達姉妹はもう自由の身だ。これからは自分の人生を生きてくれ。」


立ち止まっている女性の背中を軽く押してやる。
光の柱に包まれ、ルシオラは天へと吸い込まれていく。
ルシオラが目覚める影響で、僅かに残っていた足場も崩れ始めた。

崩壊していく世界で、天を仰ぎながら男が静かに呟く。


「これで歪みは修正される。
世界の歯車よ、再び時を刻むがいい。」


小さく息を吐き目を閉じた。
次の瞬間、まるで最初から存在しなかったかのように、男の姿はかき消えていた。





































「茶番……?」


スレイが聞き返すのを、男が黙って頷いた。


「何を言っているのですか、マスター……?」


急に雰囲気が変わった主に恐る恐る問い掛ける。


「ジークの記憶を見て、全て合点がいったよ。
何もかもが既に決められていたんだ。そしてそれは今回の件だけではない。
この世界で起こる様々な事象は、全てあらかじめ定められた結果に向けて引きずられているんだ。」


さっぱり訳がわからず、少年が首を傾げる。
そんな少年を余所に、男は静かにジークを横たえた。


「マスター……ジークを……生き返らせられないんですか……」


横たわるジークに、涙を浮かべながら主に懇願する。
北欧の最高神であるこの男にも、出来ないものは出来ない。
そうとわかっていても聞かずにはいられなかった。

だが男はあっさりと答えた。


「おいおい、ちょっと待て。勝手に殺してやるな。」


男の言葉にパチクリと目をまたたかせる。


「え、でもさっき、マスターが。」


「まったく、良く見ろ。
ちゃんと息してるだろうが。」


男が指差すと、ジークの胸は確かに小さくだが上下していた。
つまり呼吸をしているという事だ。


「確かに、バルムンクが粉々になった事でジークの力は殆ど失われてしまった。
でも命に関わる事じゃない。ちゃんとジークは生きているよ。」


パアッと少年が顔を輝かせたが、それもすぐに翳ってしまった。
それを見た男がグシャグシャと紫陽花色の髪をかきまぜた。


「……安心しろ、キリストを討つのはやめにしたよ。
どうにもグングニルが当たらないような気がするしな。」

「え、そんな……マスターのグングニルは神話の時代から的を外すなんて事は……」


おずおずと申し出る少年に、つまらなさそうに首を振る。


「いやいや、もしかしたら一斗缶が降って来て私の頭に命中するかもしれないぞ?
それで狙いが外れる、何て事も、無いとは言い切れない。」

「あの、マスター、本気で言ってます?」


主の頭がおかしくなったのか本気で心配してそうな少年に、気まずそうに手を振る。


「もちろん今のは只の例え話だが、要するに何かの邪魔が入るって事さ。
とにかく、撤収だ。どうせホムンクルスの魔法陣も破壊された事だし、さっさと魔界へ帰るぞ。」

「ホントだ、魔法陣が何時の間に……あ、はい、すぐにゲートを繋ぎます。」


少年に命じるが、ふと何かを思い出したのかジークの懐を探る。
ジーク以外の霊圧を探り当てるとひょいと取り出した。

男の手には最後の二つの文珠が握られている。
男は向こうで倒れる重傷のべスパに目をやると、文珠に己の霊力を上乗せする。


「万能の霊具、文珠か。
ふん、どうせ何か用意されていると思ったよ。」


文珠をべスパに放り投げると、男の霊力の助けで普段の何倍もの効果で傷が癒えていく。
べスパの顔色が良くなっていくのを見届けると、もう一つの文珠にも己の霊力を込める。
文珠の形が維持できる限界まで霊力を上乗せし、今度は建物に向けて文珠を発動させる。

男の霊力の手を借り、文珠は今回の一連の戦闘で破壊された箇所を修復していく。


「これで、証拠隠滅完了だな。
そして、それが出来るように文珠が用意されている、か。」


またも妙な言葉を呟き、天を仰ぐ。


「アシュタロス……君とは面識が無かったが、恐らく私と同じ事に気付いてしまったのだろうな……
まったく、嫌な世界だよ。全ては宇宙意志の掌の上、って事か。」


グングニルを霊気に戻し収納しようとした時、バルムンクを受け止めた部分に一筋の亀裂が入っているのを見つけ、微笑む。


「ふふ、ジーク……本当に立派になったな。」


(そして、もしもグングニルを投げていれば、この傷が原因で狙いを外すようになっているって訳か。)


軽く舌打ちしつつ、べスパが目を覚ます前に男は姿を消していた。




































小さな吐息が聞こえ、ルシオラの目が開いた。

それに気付いたカオスが慌てて駆け寄った。


「おお!嬢ちゃん、目が覚めたか!!
身体に違和感は無いかの――――――どわぁッ!?」

『ルシオラ!アシュ様は!!アシュ様はどうなったんじゃ!?』


声をかけていたカオスを突き飛ばし、ドグラが血相を変えてルシオラに詰め寄る。
ルシオラから放出されていたアシュタロスの気配は、今は跡形も無く消え去っていた。

最初は恐る恐る試すように、そして次第にハッキリと、ルシオラは言葉を紡ぐ。
その声色は以前と全く同じだった。

「ド、グラ様、アシュ様は……もう行ってしまわれました。
でもあの方は最後に私を導いてくれました……」

『うぅ、そうか……』


クッと涙ぐむとドグラはルシオラに背を向ける。
ドグラもアシュタロスにもう一度逢いたかったのだ。


「ま、まあ、色々ハプニングもあったが、結果は上手くいったという事じゃな。」


ドグラに突き飛ばされ、壁にへばりついていたカオスがふらふらと近付く。


「さて、早速じゃが小僧が待っとるぞ。
もうお主らの邪魔をするものは無い。存分に甘えたらええぞ。」


「ドクター、その事でお願いがあるんですけど……」


何かの決意を秘めた表情で、ルシオラがカオスを見つめていた。
























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