ザ・グレート・展開予測ショー

ジパング 天下を追う者 (その3)


投稿者名:黒咲影一
投稿日時:(06/ 1/18)

 天下、人はそれに魅せられる。
 多く人が天下を目指した時代、それが、戦国の世であった。

 しかし、そんな戦国の世も、終わろうとしていた。

 1582年、本能寺の変などがなければ、信長が、もっと早く天下を治めていただろうが、実際に、そうはならなかった。
 1587年、秀吉が太政大臣になったこの年、天下に届く勢力とされたのは、やはり、[豊臣軍]。(史実では、豊臣姓を名乗ったのも、この年から。)奥州などに勢力を残すものの、すでに、「流れ」は、秀吉にあった。
 しかし、秀吉が、真に危惧したのは、家康などの内部勢力。
 一応の手をいくつかはうってはいたのだが、家康などが、本気になれば、その手は、何の意味も持たなくなる。
 秀吉は、何度、家康を討とうと思ったことか・・・
 だが、家康を討てば、多くの火がつく。その多くの火の中で、最も恐ろしいのは、[徳川伊賀忍軍]。服部半蔵率いるそれは、数ある[忍]の中でも、最大勢力を維持していた。
 そして、そんな[徳川伊賀忍軍]にも、敵がいた。
 世に言う[豊臣甲賀忍軍]、こと、[豊臣忍軍]である。
 この二つの勢力により、[豊臣家]の太平が完成したのだが・・・
 [北条忍軍]や[武田忍軍]の存在でわかるように、[忍]の数は、あまりに多い。
 この世界、[徳川伊賀忍軍]と[豊臣甲賀忍軍]とに、並ぶかのごとく、[上雲忍軍]が存在した。


 “[上雲忍軍]首領”、“大械”。
 “[徳川伊賀忍軍]忍頭”、服部半蔵保長。

 1587年、比叡山、この二人が対峙していた。
「しょうがねえですね。」
 そう言い、半蔵は、背中の刀を抜いた。
 半蔵は、抜き終えると同時に、その刀を振り下ろした。
 だが、それは、いともたやすく、“大械”によって止められた。
「あんたの能力は、もう一人の能力者と同じもの・・・?」
 半蔵の振り下ろした刀は、“大械”の体に巻いたロープによって、止められていた。
「違うな。俺の力は、能力者の中でも、最強だ。」
 そう言うと、“大械”は、半蔵を殴りつけた。
「・・・その力、[武田忍軍]の残党に聞いた話だと、かつての能力者の中で、信玄さまと闘った男が、そういう力を持っていたとか・・・・確か、名は・・・」
「“剛力”。俺の力は、細胞さ得れれば、その能力を自らのものにできるというもの。」
「やはり、殺すべきだ・・」
「まだ、殺せる気でいるのか?」
「・・・・あぁ。」
 半蔵が、そう言い、腕を動かすと、そこから、四つのくないが飛んだ。
 “大械”は、それをロープでとりながら、素早い動きでそれをかわし、半蔵の背後へと回り、くないを半蔵の首へ向けた。
「やはり、貴様が、信長の死を願ったのは・・・伊賀攻めか?」
「伊賀攻めなんてのは、どうでもよかった・・・」
「じゃあ、本当に、[松平家]のためか・・・俺には無い心だな・・・・その心を評価し、今日のところは、逃がしてやろう。」
「オレのような大物を逃していいんで?」
「・・・心配するな。俺は、二度も、信長を逃した男だ。・・・だが・・・これだけはもらっておこう。」
 そう言うと、“大械”は、半蔵の右腕からくないで皮膚を採り、半蔵の後ろ頭を殴り、気絶させた。
 “大械”は、ロープを操り、林の中へと消えていった。

 服部半蔵は、倒れているのを部下に見つけられ、1度、身を引く。


 [上雲忍軍]は、その後も暗躍を続けた。


 1588年、半蔵は、[上雲忍軍]を討つため、大阪城へと向う。
「・・・何奴?」
 そう言ったのは、“[豊臣甲賀忍軍]頭領”猿飛佐助であった。
「“[徳川伊賀忍軍]忍頭”、服部半蔵保長。」
「何故、こんなところへ?」
「見たところ、“[豊臣甲賀忍軍]頭領”、猿飛佐助殿とお見受けするが?」
「いかにも。・・・今は、まだ、[徳川十六将]とは、表立った存在ではないが、確かに存在し、貴方も、そこに名を連ねているはず。ここへ来るなら、表からどうどうと来れるはず。」
「いや、なに。秀吉さまに用がありましてね。」
「秀吉公に?」
「なに、暗殺とかじゃねえんですよ。なんなら、あんたに、忍具を全部渡してもいい。」
「しかし・・・」
「なんですかい?秀吉さまってのは、武器無しの者に殺されるような男なんですかい?」
「・・・・わかった。来い。」

 用意された部屋には、秀吉を奥に置き、[大阪城五人集](長宗我部盛親と後藤基次と毛利勝永と明石全登と真田幸村の五人)を手前に、半蔵の後ろに、猿飛佐助を置いていた。
「久しぶりだな。何の用だ?・・・俺は、[忍]は嫌いなんだ・・・」
「護衛がいなくなったりしますからね・・・・実は、その[忍]にも関係があるんですが・・・・“天回”を覚えていらっしゃいますか?」
「“天回”!!!奴がどうかしたのか?」
「“天回”の残した[天回宗]。それが、また、“大械”の下、[上雲宗]として復活したようです。・・・・それも、あるところから[忍]を得て、[上雲忍軍]というものまで作っています。」
「その「あるところ」とは?」
「・・・やはり、知らなかったようですね。・・・・[上雲宗]に手を貸したそれの名は、[豊臣甲賀忍軍]。」
「何!?・・・猿飛、どういうことだ?」
「まあ、待ってください。佐助殿は、“天回”について知らなかったのですし、“大械”とも会わなかったので、“大械”の正体に気付く機会もなかった。・・・何より、[上雲宗]が、秀吉さまの敵とならぬために、なさったこと。」
「・・・・わっかった。・・[豊臣甲賀忍軍]のことは、不問としよう。・・・・して、「“大械”の正体」とは?」
「・・・明智光秀。」
「な!・・・やつは、死んだはずだ!」
「どこからか、影武者を得ていたようですね。」
「そうか・・・あとは、[豊臣甲賀忍軍]にやらせる。」
「いえ、それが、“大械”のやつ、ある面では、すでに、“天回”以上。かつてのあのときと同様に、[連合軍]を用意するべきでは?」
「[徳川伊賀忍軍]と[豊臣甲賀忍軍]の[連合軍]か・・・[連合軍]はいいが、「あのときと同様」では、お前は、裏切るのでな。裏切らんことを約束してもらおうか?」
「あのときは、それを踏んでのものだったはず・・・・」
「ならば、今回は、どうする?」
「裏切る理由がねえじゃねえですか。」
「いつやるつもりだ?」
「天正17年(1589年)でどうでしょう?」



 1589年8月1日、伊達政宗や真田幸村などの武将とともに、秀吉自ら、比叡山へ向う。
 同日、[徳川伊賀忍軍]と[豊臣甲賀忍軍]も、比叡山へ。

 

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