ザ・グレート・展開予測ショー

蜂と英雄 第16話 〜運命の邂逅〜


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:(06/ 1/ 3)






「ところで小僧、ワシがぶった切ってやった――」



 老獪な魔導師の瞳が紅に妖しく光る。
 その視線を向けられると、心の奥底まで覗き込まれているような悪寒が背筋を貫く。
 ――いや、確かに覗かれているのだ。
 心の隙を突かれぬため思考にプロテクトを施しているというのに、
 それをこじ開けんとする強力な精神波がいつの間にかジークを包み込んでいる。
 すでに戦いは始まっていた。
 そしてルシエンテスがわずかに口をすぼめ、小さく息を吸い込むところをジークは見逃さなかった。



「脚の具合はどうかね……?」



 ふっ、と吐き出されたわずかな呼気。
 それは魔力を伴い、肉眼では捉えられぬ真空の刃となって放たれた。
 ジークはそれが見えていないのか、構えも取っていない。
 なんとたやすい――そうルシエンテスがほくそ笑んだ刹那。
 背後より立ちこめる殺気が、深いしわの刻まれた目元を見開かせる。
 まばたきよりも素早く、ジークは死角に回り込んでいた。



「同じ手が二度も通じるものか」



 その手にはすでに拳銃が握り込まれ、ルシエンテスの後頭部に狙いを定めている。
 だが、ジークは引き金を引かなかった。
 感覚を研ぎ澄ましていなければ感じ得ぬ空気の逆流。魔導師を取り巻く魔力の壁。
 ルシエンテスの周囲には、あらかじめ魔力によって作られたシールドが展開されていた。
 これに気付かず弾丸を撃ち込んだなら、それは跳ね返され自分自身を襲う凶弾となっただろう。



「撃たんか……用心深いの」

「――貴様もな」

「これはこれは……いささか見くびりすぎておったようじゃ。
 では、こんなのはどうかな?」



 ルシエンテスがパチンと指を鳴らした瞬間、なんの前ぶれもなくジークの頭上に巨大な氷の塊が出現し、落下してきた。
 ジークはそれを難なく避けたが、氷の塊は地面まで落下せず空中でピタリと止まる。
 そして表面に細かい亀裂が走ったかと思うと粉々に砕け散り、
 まるで刃のように鋭く尖った破片の雨がジークに襲いかかった。



「ぐッ――!?」



 不意を突かれたジークは手足を数カ所ほど切り裂かれ、たまらず後退してしまう。
 傷口は瞬時に凍り付き、激痛を伴う凍傷となる。
 人間ならばこれだけで戦意を失ってしまうところだが、魔族であるジークは肉体の感覚を意識的に切り離すことができる。
 幸い傷は深くない――それを確かめると、痛みにうろたえることなく氷の破片の軌道を見極め、冷静に避けていく。
 全ての破片をやり過ごして安堵しかけた瞬間、過ぎ去った氷の破片が向きを変えて再び襲いかかってきた。


(追ってくるのか――!!)


 氷の破片はそれ自体が意志を持つように、執拗にジークを追跡してきた。
 まるで嵐のような氷の乱舞を、いつまでもかわしきれるものではない。
 ジークはしばし飛び回り、破片が一時的に一ヶ所に集まるように仕向けると、
 その瞬間を逃さず一発の銃弾を撃ち込む。
 放たれた弾丸が氷の破片に命中した刹那、翠玉の輝きを思わせる閃光がそれらすべてを包み消し去った。



「精霊石の弾丸か。味な事をしてくれるわい」

「遊び半分の手で殺せはしないぞ。今のうちに本気を出しておくことだ。でなければ――」



 ぎりっ、と拳を握り締め身構えるジーク。
 何かを仕掛けてくることは一目瞭然。
 ルシエンテスには、彼が何をしてこようとも回避する自信があった。
 だが、続いて囁かれた言葉は、現世に復活してから初めて彼の心胆を寒からしめた。



「――後悔するぞ!!」



 そう、それはすぐ傍で『囁かれて』いたのだ。
 来るとわかっていたのに、気付いた時には間合いに入られていた。
 それを認識した瞬間、ジークの鉄拳が頬にめり込んでいた。
 打撃を防ぐシールドを展開させるヒマすらもなかった。



「ぬぐッ……!?」



 頭蓋骨がきしむ。
 奥歯が数本折れ、口内が裂けて鮮血が吹き出す。
 派手に吹き飛んだ身体をどうにか立て直すが、目の前にはすでにジークが間合いの内に位置取ってこちらを睨んでいる。
 殴られた拍子にハットは宙を舞い、ゆっくりと火口へ落下して燃え尽きてしまった。
 口元から数滴の血が滴り、シャツに紅の染みをいくつも作っていく。



「しばし見ぬ間に、ずいぶん速くなりおったな……少々油断したぞ」

「仲間や無関係の人間達が受けた痛み……その程度ではないぞ!!」

「痛みなどと……馬鹿者めが。服が汚れてしまったではないか」

「さあ――この距離で得意の魔法が使えるか?」

「今日は以前にまして活きがいいのう。だが――」



 折れた歯を吐き捨て、あくまで飄々とした態度でルシエンテスはステッキを構える。



「いつまでも調子に乗るのはけしからんな……小僧!!」



 石突きで繰り出される電光石火の三段突き。
 それは肝臓、喉、心臓を正確に狙った熟達された技だった。
 ジークが身を逸らしてかわした瞬間、顔面を狙う鋭い蹴りが弧の軌道を描いた。
 そして、骨がぶつかりあう鈍い音。
 ジークは反射的にガードしたものの、予想以上の蹴りの重さに腕が痺れてしまう。
 動きが一瞬止まったその隙を見逃さず、ルシエンテスは硬直した腕を掴んで力任せに上空へと放り投げた。


「ほれっ」


 投げ飛ばされた勢いの止まらぬ所に、ルシエンテスの掌から炎の球が連射される。
 初弾が命中し、炎が飛散し爆裂する。
 それを皮切りに次々と火球が炸裂し、次第に巨大化していく爆発がジークを包み込んでいく。
 鋼鉄をも溶かしひしゃげさせる高熱と圧力。
 大気を揺るがす轟音と爆炎の向こうにジークの姿はかき消されてしまう。
 すべてが計算された連続攻撃。
 これは格闘技術においても、ルシエンテスが劣る事はないという証明でもあった。
 ニヤリと笑いながらその様子を見つめていると、炎の向こうから数発の何かが放たれた。
 咄嗟にそれをシールドで弾き返そうとすると、着弾した瞬間にそれはまばゆい閃光を放って視界を奪った。



「む……精霊石弾かッ!?」



 ホワイトアウトした視界の向こうで、黒い影が素早く動いたのを感じた。
 危険を感じたルシエンテスは後方に大きく飛び、間合いを取る。
 視力がわずかに回復したと思った刹那、超スピードで眼前に迫るジークの姿が両眼にはっきりと映り込んでいた。
 彼は鞘に収められたままの長剣の柄を握りしめ、剣術でいう『居合い』の体勢をしていた。
 相手が何をしてこようと、不死身の自分が負けるなどとはつゆほども思わない。
 が、ジークの瞳に宿る必殺の気配をルシエンテスは敏感に感じ取っていた。
 これを受けるべきではない――老獪な魔導師は即座にそう判断した。
 念のために手元に一発だけ残しておいた火球を目の前に置くように放ち、爆発させる。
 あとわずかで間合いに踏み込もうとしていたジークの身体は、火炎の熱と圧力に押し止められてしまう。
 炎を振り払いルシエンテスを目で追うと、彼は爆発の圧力を利用してさらに大きく距離を取っていた。
 その用心深さに舌打ちしつつ、ジークは柄から手を離す。



「男子三日会わざれば刮目して見よということわざがあるが……
 今日は歯ごたえが違うのう、小僧」

「――逃げるとはずいぶん消極的じゃないか」

「嫌な予感がしたものでな。年寄りの勘は大したもんじゃろう?」

「まったく……恐れ入る」


 不敵な笑みを浮かべつつ、ルシエンテスはジークの剣に目を留めた。


「――それがお前の切り札、というわけか」

「……」

「振り回してこないところを見ると、気安く扱える代物ではなさそうじゃな。
 使えてせいぜい1〜2回くらいと見たが……どうじゃ?」


 その言葉にジークの瞳の奥がわずかに揺らいだのを、ルシエンテスが見逃すはずもなかった。


「ククク、図星か……なぁに、初歩的な推理じゃよワトソン君」



 人差し指を立て、笑いながらチッチッとジェスチャーをしてみせるルシエンテス。
 手の内を見透かされ、ジークの身体に嫌な汗が滲み出す。
 こと心理に関わる土俵では、やはり相手の方が一枚も二枚も上手だと認めざるを得なかった。



(――とはいえ、少々困った。この肉体では小僧の動きを目で追うのが精一杯か。
 もはや人間では付いていけん世界に突入しとるからのう……)



 真っ白なヒゲをさすりながら、ルシエンテスは考える。
 ジークの切り札がわかったとはいえ、根本的な問題は解決していない。
 先程感じた必殺の気配と、どういうわけか飛躍的に上昇しているスピードはまぎれもなく本物。
 これ以上のやりとりを続けていれば、人間の身体などあっという間に使い物にならなくなるだろう。
 最悪、想定外のダメージを受けてしまう可能性も充分考えられる。
 だからこそ常に手下を敵に仕向け、極力自分は戦わずにすむように努めてきたのだ。
 しかしこのままでは、この肉体を捨てて戦わざるを得なくなる。
 気に入っているこの姿を捨てねばならないのは、極めて屈辱であった。



(やれやれ……適当な魔物の一匹でも連れておくべきだったか――)



 忌々しそうに眉をひそめ、間合いを保ちながらルシエンテスは次の手を考えていた。
 ジークもまた、いかにして敵の魔力を浪費させ隙を突くかに思案を巡らせていた。



 その時――。



 海と大地を揺るがす地響きと共に火山が鳴動を始め、紅蓮の火柱が天高く突き抜けた。
 赤熱した岩石や溶岩が、赤く燃え盛る雨となって降り注ぐ。
 止めどなく溢れる灼熱の濁流が、いくつもの筋を作り斜面を流れ落ちる。
 そしてエトナ火山を取り巻くように、重い暗雲が広がり空を覆い隠していった。



「これは――!?」

「ファファファ!!魔神が猛っておるわ……地の底より這い出し、自由になりたいとな!!」



 太陽の光は遮られ、真夜中のような暗闇が訪れた。
 風が吹き荒れ、大気の摩擦によって発生した雷が空を切り裂く。
 全てを呑み込まんとする暴風は渦を巻き、天を支える柱のごとき竜巻へと姿を変える。
 ひとつ、ふたつ――それは次々に出現し、徐々にその数を増やしていく。
 動物が、建物が、大地が――全ての物がなすすべもなく呑み込まれ、蹂躙された。
 巻き上げられた瓦礫や草木はその強大なエネルギーの奔流にねじ曲げられ、粉々に砕け飛び散っていった。
 シチリア島へと向かっていた逆天号からその様子を見ていたワルキューレは後に語る。
 それはまさしく悪夢の体現であり――うねり暴れる巨大な竜巻が、必死であがく者の手のようであったと。
 そして天を突く灼熱の火柱は、夕焼けの太陽よりも紅く燃えていたと――。



「――あの竜巻が何だかわかるか?あれは苦しみ悶える奴の指先よ。
 たったそれだけでこの凄まじさ……見たい!!何としても破壊の権化の全てを!!」

「バカな……奴を解き放てば、全てが失われてしまうことが何故わからない!?」

「滅びようが生き残ろうが……そんなことは貴様らが勝手にしていればよかろう。
 ワシはこの世界に未練も用もないわ――」

「なんだと……!?支配や復讐、あるいは秩序の崩壊だとか、そういう目的があると思っていたが……
 後のことなど何ひとつ考えていないというのか――!!」

「神、魔物、人間などと――小さな話よ。所詮貴様らは誰かが決めた枠の中でしか生きていけぬ。
 だが、ワシは違うぞ。誰にも指図されぬ。思うままに、したいようにするだけよ……
 魔族とは――そういうものであろう?」



 その言葉に、表情に、瞳の色に。
 一切の感情が――そう、嘘でさえも――含まれてはいなかった。
 それはあくまで、認識する事実として淡々と語られたに過ぎなかった。
 大義名分があるわけでも、憎悪に駆られているわけでもない。
 ――ただ、したいからするだけ。
 そのためならば、全てを破壊し犠牲にしても構わぬと。
 ある意味魔族として純粋すぎる答えに、ジークは湧き上がる戦慄を禁じ得なかった



「何なんだ――お前は、いったい何なのだ……!!」

「ククク……ワシにここまで食い下がってきたのは後にも先にもお前だけじゃ。
 そのしつこさに免じて話してやろう……ワシが誰であったかをな――」



 白髪の老紳士――いや、その身体を借りている狂気の魔族は語る。
 魔導師ルシエンテスという存在がいかにして誕生したのかを――。











 遡ること約700年前。
 ドクター・カオスが全盛期を迎えていたのと同じ頃――
 イタリアのとある街に、1人の男がいた。



 その男は自閉症気味で他人と接することを好まず、何をするにも常に冷めていた。
 何かに熱中したり、執着するということが彼の中には存在しなかったのである。
 だから三十路をとうに越してもろくに働かず、家の中に閉じこもってばかりいた。
 社会に適合できない落ちこぼれ――それが彼に対する社会の評価だった。
 ところが、男にはたぐいまれな美術の才能が生まれつき備わっていた。
 絵を描いたり、粘土をこねて動物や人間の彫刻を作ることが、その男の唯一の退屈しのぎだった。
 毎日黙々とそれらを作り続けているうちに才能はさらに磨かれ――
 いつの間にかその技術は芸術の域にまで高められていく。
 そうして作られた美術品の完成度は素晴らしく、彼の母親がそのひとつを市場に持っていったところ、
 予想もしなかった高額な値段で買い手が付いたのである。
 こうして男は、図らずも日々の糧を得て、自立する事ができるようになった。



 それでも、彼の退屈は消えることはなかったが――。



 ある日のこと――男は彫刻の材料の粘土が足りなくなったので、いつものように川べりの土手へと向かった。
 これまでいろいろな粘土を使って彫刻を作ってみたが、ここで採れる粘土が一番具合が良い。
 足を滑らせないように注意しながら川岸へと降りていくと、川の真ん中に誰かが立っている。
 さほど深くはない川であったが、流れはそれなりに速く安全であるとは言い難い。
 誰が、何をしているのだろうと目を凝らしてよく見てみると、
 それは女性――それも若い女――の後ろ姿だった。
 淡い紫の髪が背中を覆い隠していたが、その奥に隠れているしなやかで美しい肢体に思わず息を飲む。
 その女性は、衣服を身につけていなかった。



(なんて美しい……それに……普通の女と何かが――)



 女性が纏う不思議な雰囲気を、男は確かに感じた。
 それは今まで感じたことのない衝撃となって、彼の心に突き刺さる。
 のぞき見をしているという事さえ忘れてしまうほど、それは強烈な体験だった。
 どうやら娘は水浴びをしているらしく、川の透き通った水をすくっては身体にふりかけていた。
 やがて娘が身体の向きを変えたため、裸身の全てがあらわになる。
 つり上がった目元に、縦長の細い瞳孔。
 高く通った鼻筋と、藍の口紅を引いた肉感的な厚い唇。
 肌は透き通るように白く、張りと艶のある豊かな乳房。
 そして砂時計のようにくびれた腰と、すらりと伸びたしなやかな手足。
 少女の面影をわずかに残すその女性は、男が今まで見てきた誰よりも素晴らしい美貌を持ち――
 一度捉えられたが最後、決して逃げ出せぬような妖しさをその身に纏っていた。
 男は目を見開き、ごくりと息を呑み込んだ。
 生まれて初めて感じる衝動が灼熱のマグマのように沸き上がり、駆り立てる。
 だが、彼の脳裏にあったのは卑しい下心よりもむしろ、新たな境地を垣間見た芸術家のそれに近かった。



(私は今日まで美しいと呼ばれた人間の絵や彫刻をいくつか作ってきたが、
 彼女はそれらを遙かに上回る――まさしく生きた芸術品だ。
 美貌もそうだが、特にこのゾクゾクするような妖しさは今まで感じたことがない。
 知りたい……この感覚の正体を。
 そして――自らの手で彼女の纏う雰囲気を再現できないだろうか――)



 もっと近くへ――より鮮明に全てをこの目に焼き付けておきたい。
 欲望に逆らえず身を乗り出したその時、運悪く足元にあった小石を蹴飛ばしてしまう。
 その音に気が付き、女性は男の存在に気付く。



「――誰だ!!」



 氷点下の殺気さえこもった声が聞こえたと思った瞬間――
 男は何が起こったのかしばらく理解できなかった。
 いつの間にか目の前に女性が立っており、自分は彼女を見下ろしていた。

(――見下ろす?)

 そう思った瞬間、喉元に凄まじい激痛が走る。
 気管を潰され呼吸が出来ない。
 あたふたしながら目線を下ろしてみると、女性の右腕が自分の喉を掴み身体ごと持ち上げている。
 この華奢な細腕のどこにこんな力があるのか――振りほどこうとしても、まるでビクともしない。
 意識が遠のきかけたその時、男は川の中に放り投げられた。
 呼吸が苦しいところを水の中に落とされ、しこたま水を飲んでしまった男は苦悶の表情を浮かべて川岸に這い上がる。
 両手を地面に付いて激しく咳き込んでいると、女性はサディスティックな表情を浮かべて男の背中を踏みつけた。
 やはりそれはものすごい力で、男はカエルのように地面にへばりつくことしかできなかった。
 そして、男を見下ろしながら女性は次の言葉を発した。



「ふん……人間の分際であたしの裸を覗くなんて、太い根性してるわねぇ。
 この代償、あんたの命で払ってもらうよ!!」



 水に濡れて光る髪がひと房、意志を持ったように男の首筋に掛かる。
 ふわっと鼻腔をくすぐる甘い香り。滑らかな感触。それだけで脳がしびれそうな気がする。
 しかしそれも束の間、それはみるみるうちに醜い怪物へと変化していく。
 デタラメに浮き出た複数の目玉、血のように真っ赤なたてがみを持ち、
 頭部の半分以上を占める口腔にはびっしりと鋭い牙が生え揃っていた。



「うわ……わ、ひええッ!?」



 地面に押しつけられた顔の横で不気味な怪物がガチガチと牙を鳴らすと、
 本能的な恐怖から男はみっともない悲鳴を上げる。
 その声を聞いた女性は心底楽しそうに男の顔を覗き込む。



「ほうら、もっと情けない声を出して命乞いをしな。
 コイツに噛まれるとアンタは石像になって、ゆっくりと死んでいくんだ――あはは!!」

「――!!」



 石像――その言葉を聞いた瞬間、すっかり混乱しきっていた男の思考は一気に引き戻された。
 何が起こったのかはやはりわからないが、とにかく自分は殺されそうになっている。
 普段ならば生きることに未練など持たぬ自分であるが、今は違う。
 彼女の全てを再現した作品を作ってみたい――その思いだけが、彼の全てを支配していた。



「じ、時間――時間を」

「あ?」



 予想していたどの言葉とも違う返答に女性は眉をひそめる。



「一度でいい……君の姿を私の手で再現してみたい。だからそれまでの時間を――」

「あたしの姿?おっさん、最近流行りのゲージュツ家ってやつかい?」

「絵や彫刻で生活している人間をそう呼ぶなら――そうなんだろう」

「あ、そう……でもね、そうやって上手くはぐらかそうったって――」

「作品が完成したら――その後は好きにしてくれ。住所は教える。
 正直、生きているのは退屈だから……それを最後に終わってみるのも悪くない」

「……」



 女性はしばらく沈黙していたが、やがて彼の背中から足をどける。
 男に顔を上げないようにきつく言うと、布地の少ない衣服を手早く身に纏う。
 胸元と腰回りだけを包む身体に貼り付くような服と、ふとももの付け根部分しか隠していない短いスカート。
 すねの半分あたりまである長いブーツは紐でしっかりと固定されている。
 背中と肩、そして脚と、女性の服装はかなり露出が多い。
 そこには裸体とはまた違った魅力と、健康的な色気さえ感じる。
 そしてようやく身を起こすことを許された男に、女性は不機嫌極まりない顔をして呟いた。



「ふん……興が削がれたわ。生きる気力のない人間を殺したって、魔族の間じゃ笑い物になるだけだからね」

「魔族……君は、魔物だというのか?人間にしか見えないが……実際に会うのは初めてだ」

「そうさ……あたしはメドーサ。こう見えても札付きの悪党よ。
 昔住んでた土地を、悪さのしすぎて追放されたくらいのね――」



 女性はメドーサと名乗り、見つかった時よりも数段強力な殺気を放つ。
 たったそれだけで男は吹き飛ばされ、土手に叩きつけられる。
 彼女が魔族であるという、これ以上ない確かな証明であった。



「絵でも何でも、そっちこそ好きにしな。せいぜい長生きしてつまらない人生を過ごすがいいわ!!」



 そうとだけ言い残し、メドーサは紫の髪をたなびかせながら宙に舞い、空の彼方へと消えていく。
 男は半ば呆然としながら、いつまでも彼女が消えた虚空を見つめ続けていた。



 そしてその日から、男の中で何かが大きく変わっていった。
 彼は自分のアトリエにこもり、不眠不休でメドーサの姿を再現させるべく作品を作り始める。
 初めは絵を描いてみた。
 だが、何枚描いても納得できる絵は描けなかった。
 平面であることがいけないのか――そう思い、こんどは彫刻を作る。
 記憶のひとつひとつを正確に思い出し、やがて精巧な彫刻が完成した。
 それは造形、表情、仕上がりの美しさと、どれをとっても申し分ない。
 今まで作り上げてきた作品の中でも最高の出来映えだった。
 ところが、いざ完成してみると男は重大な事にようやく気が付く。

 ――何かが足りない。

 そう、あの日――メドーサを目の当たりにした瞬間に感じたもの。
 彼の心を惹きつけてやまないあの雰囲気。
 最高級の香水さえ霞んでしまいそうな、匂い立つあの妖しい気配が足りないのだ。
 造形の再現にばかり気を取られ、失念していた。
 だが、造形的にはこれ以上手を加えられないため、男は行き詰まってしまう。
 失望した男はそれまでの疲れもあって、数日間を泥のように眠って過ごした。



 そしてある朝、夜明けのまどろみの中で彼は夢を見る。
 メドーサとの邂逅。そして交わした会話のひとつひとつが繰り返されていた。



『ふん……興が削がれたわ。生きる気力のない人間を殺したって、魔族の間じゃ笑い物になるだけだからね』



 魅惑的な唇がその動きを見せた瞬間。ひと筋の光明が心に差したような気がして男は勢いよく飛び起きる。
 そう――彼女は魔族であった。
 彼女にあってこの彫刻に足りないもの。
 普通の暮らしをしていておよそ知り得ぬであろう感覚。
 その正体はおそらく、魔族が魔族たる根源の力――魔力に違いない。
 この彫刻に魔力を宿せば、きっとこの作品は完成するだろう。
 こうして男は、魔力を手に入れるためにオカルトの研究に着手する。
 男は学問の憶えも速く、砂が水を吸うかの如く知識を貪欲に吸収していった。
 文献を読み漁り、霊能者を捜しては教えを請い――そうしてようやく答えに辿り着く。



 それは人間の――とりわけ若い女の生き血を悪魔の祭壇に捧げ、彫刻に吸わせるという邪法であった。



 男はメドーサに出会うまで、何かに熱中したり執着したことはなかった。
 すべては退屈で、くだらない。だから他人にも、自分自身にも常に無関心だった。
 それが今、何としても成し遂げたい目的が心の全てを支配している。
 もはや彼にとって、それが全てだと言っても過言ではなくなっていた。
 倫理も罪悪も、男にとって何の価値もない。
 自分自身の命にさえ執着しなかった人間が、どうして他人の命に関心を持つことができようか。


 方法があるのなら、それをただ実行するのみ――。


 人間社会で暮らす一員として、男は精神構造に致命的な欠陥を抱えていた。
 決して越えてはならぬ一線――誰もがためらい悩むはずのそれを、彼はいともたやすく踏み越えてしまう。
 まるで子供が戯れに花を摘むように、取るに足らない事象の如く。
 そして――。









 ――満月の美しい夜。
 ひとりの若い娘がこの世界から姿を消した。









 ついに完成したメドーサの彫刻を前に、男は人生で初めてであろう笑みを浮かべていた。
 血を吸い魔力を宿した彫刻は、あの時のメドーサと同じような、心に迫る妖しさを放つ。
 何と素晴らしい――今まで作り上げてきた全てがゴミに思えてくる。
 それほどまでに、心が躍った。
 しばらくの間は彫刻と共に家に閉じこもり、自らが成し遂げた成果に満足しながらそれを眺め続けていた。



 だが――それは終わりではなく、始まりに過ぎなかった。 



 やがて、男の中に新たな欲望が沸き上がってくる。
 この世にはまだ自分が見たことのない魔族がたくさん存在しているはず。
 彼らもまた、今回と同じように自分に興奮と感動をもたらしてくれるに違いない。
 もっと見たい、知りたい――作りたい!!
 心はすでに、引き返せぬほど魔の虜となってしまっていた。
 歯止めは――いや、最初からそんなものは存在しない。
 そして男は、誰にも何も告げぬまま旅に出る。
 まだ知らぬ魔族の姿を求め、そして自らの手で再現するために――。



 こうして男は魔族の姿を求めて世界中を巡り、そして彫刻を作り続けた。
 ひとつ作るたび、ひとつの命を捧げながら――。
 しかし、そんな生活も長くは続かない。
 その所業はやがて人々の知るところとなり、彼は捕らえられる。
 魔物の偶像を作り、数え切れないほどの命を奪った殺人鬼として。
 裁判で彼に下された判決は、当然の如く死刑であった。
 ところが――オカルトの研究を続け、魔術の奥義を身につけるまでになっていた男は死ななかった。
 絞首台に吊るすと、何度やっても縄が切れる。
 槍で突いても、血が流れない。
 水に沈めても、火であぶってもまるで効果がなかった。
 困り果てた人々は、当時名高い錬金術師であるドクター・カオスに助言を求めた。
 カオスはその男が魔力に魅入られ、普通の方法では殺せない術を身につけていることを見抜く。
 そこでカオスはひとつの方法を提案した。
 生命の育たぬ死の砂漠に魔力を封じる構造の塔を建て、男を幽閉する。
 外界と遮断された男は魔力を補給できず、やがて干からびて死ぬだろう――と。



 カオスの指示によって男は長い道のりを運ばれ、死の砂漠に取り残された。
 男は数ヶ月も飲まず食わずで生き抜いたが、そろそろ限界が近付こうとしていた。
 塔は砂嵐で半分以上砂に埋もれ、外界との繋がりといえば手が一本通るくらいの小さな窓だけだった。



 その窓から絶望的に広がる砂漠を見つめ、男は思う。
 自分は心を震わせる理想を追い求め、そのためだけに生きてきた。
 旅をしながら見てきた人間達は、誰しも形は違えど自分と同じように生きていたはずだ。
 それなのに、なぜ自分だけがこれほど糾弾されなければいけない?
 これが人間の――誰が決めたかもわからぬシステムだというのか。
 ――なんとくだらない。
 自分は、こんなつまらない最後を迎えるのか。
 まだ何も満ち足りていないというのに。
 解き放たれたい――この場所だけでなく、全てのくだらないしがらみから――



 どれほど願ってみても、この場所では詮無きこと。
 やり場のない感情を憶え、窓の縁に積もった砂を握りしめたその時――。
 砂を踏む足音が聞こえた。
 もちろん自分のものではない。それは塔の外から聞こえてきたのだ。
 貼り付くように窓を覗くと、そこには黒ずくめの人間が立っていた。
 その人物はフードで頭部を覆い、その表情をうかがい知ることは出来ないが、
 視線がこちらに向けられているのは確かだった。
 久しぶりの人間に、男は話しかけずにはいられない。



「あんたが誰でもいい……解き放ってくれ……ここから……」

「それは――できません」



 異様な風体からは想像も付かないほど、それは柔らかな声だった。



「そうか……私の最後を見物に来たのか」

「私はこの砂漠に暮らす者……あなたを最期まで見届けるよう、
 ドクター・カオスに頼まれました」

「……名前は」

「え?」

「誰かもわからない奴が最後の話し相手では……いささか寂しい」

「それも……そうですね」



 黒ずくめの人物は小さく頷くと、ゆっくりとフードを脱いでいく。
 溢れるように黄金の髪が流れて腰まで垂れ、その瞳はエメラルドのように透き通っている。
 それは美しい――女だった。



「私はアンジェラ……人々からは、砂漠の魔女と呼ばれています――」



 女が問う。
 あなたの名を聞かせて欲しい――と。



 男は答える。
 半ば忘れかけてさえいた――ルシエンテスという名を。






 これこそ男の――ルシエンテスの運命を大きく変える、二度目の邂逅であった。


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