ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(10)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/ 6/27)

会食が始まってから、一刻が経過していた。
その間、カオスはテレサに促されるまま、自分の過去の体験談を語って聴かせる事になった。この時代になる迄にすでに三百年は生きている事になっている為、その様な話には事欠かない。ただ、彼の記憶力が基本的にトコロテン方式なのが問題ではあった筈だったが、文珠の影響か、はたまた懐しい中世の料理の味に刺激されたのか、カオスは次々と、その口から物語を紡ぎ出してゆく。
古代の魔術を修める為、イギリス、アイルランドの他ゲルマン各国でフィールドワークを行なった事。
科学と錬金術を究める為、コルドバ、アレキサンドリア、シリア等々アラビア諸国に留学した事。
不老不死を求める為、果ては中国大陸をも越えて東方の島国にまで足を伸ばした事。
魔術と科学の有用性と、神学と哲学の合理性を習合せしめる為、フランスやローマの名立たる神学者たちと議論を闘わせた事。

「ねえカオス様、わたくし、風の便りに伺ったのですけれども……。」
特にテレサが熱心に聴きたがったのは、『ヨーロッパの魔王』ドクターカオスとそのパートナー『麗しき鋼鉄の乙女』マリアの冒険譚であった。
しかしカオスの方はと云うと、どうした事かマリアの話題になろうとすると、他の話題に切り替えたりして、何やら意図的にはぐらかそうとしている様子である。そのカオスの様子から、自分の姉をモデルに、しかもその姉と同じ名前を持った人造人間などを創ってしまった事を言い咎められやしないかと心配しているのではないか、などと一行の中には考えていた者も少なくは無い。
「ねえ、カオス様ったら……」
「おお、そうそう、そういえばあの時のあやつの悔しそうな顔と云ったらな、……」
「……んもう、分かりましたわ……。」
カオスの頑固さの前に、テレサは一旦その紅い唇をクリスマスカクタスの蕾の様に小さく尖らせてみせたが、すぐに気を取り直したらしく、今一度座り直して居ずまいを正すと、今度は全身を耳にしてカオスの物語に聴き入りだす。

会食の前にはアルプスの万年雪の如く白く輝いていたテレサの柔肌は、飲んだ葡萄酒が身体の内側から徐々に滲み出しているのではと錯覚してしまいそうな程に赤く上気している。嫋やかなその首筋から剥き出しの肩口にかけて、この世の者とも思えない濃縮された妖しげな色気が充満している。
無論この様な『美味しい』状況に於いて、横島が黙っている筈は、無い。
「ボンソワール、マダーム! どうかこの僕と一緒にダンスを踊って戴けませんか? この澄みきった銀色の月光のスポットライトの下、煌めく大小の星々の羨望の視線を浴びながら、遥か彼方から奏でられる甘美な潮騒のコンチェルトにのせて……。」
いつの間にか黒の正装に身をやつした横島は、思いつくままに美麗辞句を並べたてると、二重瞼からの流し目に加えて薄く開いた歯を光らせて、自身の紳士的な魅力を一所懸命アピールしている。
しかし、テレサは完全に昔話の方に夢中になっているらしく、横島の執拗なアタックに対しても、ただカオスを見積めたまま知的に微笑んだり頷いたりするばかりで、横島の方に関心を示す気配は微塵も無い。
ただ、テレサの傍らのピエッラだけは、そのくりくりしたオーシャンブルーの瞳を輝かせてながら、その横島の所作を真似たり、手を叩いて喜んだりしていた。
「ジュッテーム、マダーム!」
「………………」
「……ナカメシグルリアーン?」
「………………」
「……アノー、モシモーシ?」
「………………」
「……あの横島さん、もういい加減に、しておきましょうね!」
一見、母親が聞き分けの無い我が子の事を諌める様なキヌの声と共に、横島の左腕が後方に引っ張られていく。いつの間にやら横島の背後を取っていたキヌは、彼の腕を両手でしっかりと抱え込むとテイブルから踵を返し、そのまま部屋の入口の方に向かって歩き出した。上気したそのこめかみには、うっすらと血管が浮かんでいる様に見える。
「ああ、何をするんだおキヌちゃん! 折角の、貴婦人との、アヴァンテュールが……」
「あの、私の服、そろそろ返して戴きたいのですが……。」
入口の扉の隙間から、例の執事が頼り無く、白髭を覗かせている。
「ほら横島さん、執事さんも、ああおっしゃって、ますしね!」
「あああああああ……そ、そんなあ……。」
自分よりも一回り小柄なキヌの牽引に、横島は必死の抵抗を試みてはいるものの、年期物のスニーカァの踵と深紅の絨毯とが擦り合う音と共に、どう云う訳か全くの等速度で後退して往く。駄々っ子の様なベソかき面で手足をバタつかせている横島と比べて、キヌの方は口元に薄ら笑いすら浮かべていた。
「テレサ様! 横島さん、ちょっと疲れが出てきた様なので、パーティの途中ですけど、お先に失礼させて、戴きます! 本当に、ごめんなさい!」
「……ええ、別に宜しいんですのよ。」
横島の身体の陰から頭だけ出したキヌが挨拶すると、テレサは今漸く横島の騒ぎに気付いたらしく、僅かな間の後すぐに、別段気を悪くした様子も無く、ただ優しく微笑みを返した。
「そうね……それではテレサ様、私どももそろそろ下がらせて戴きたく思います。」
それまで沈黙を守っていた美神が、それは名残り惜しそうに、ゆっくりと立ち上がる。
というよりも美神には、カオスの昔話など退屈以外の何物でも無かった。冒険物語に胸ときめかせる程『子供』では無いし、学術論争に興味を持つほど『学者』でも無いのである。
従って、自分にとっては全く価値を持たないこの時空から穏便に逃れられるタイミングをずっと見計らっていた、というのが彼女の本心である。
さりげなく正面に視線を向けると、相変わらずピートが俯いているのが視える。
「あらピート、あなた、さっきから下向いてばかりで、全然食事が進んでないじゃないの?」
「え……ええ、まあ、その……」
歯切れの悪いピートの返答に、美神が殊更気遣わしげに眉を細めた。
「そう……あなたも旅の疲れが出ているのね……じゃあ、今晩はもう休んだ方が良いんじゃないかしら?」
「……そうかも知れませんね……。」
ピートは音も無くそっと立ち上がり、扉の方へと歩き始める。その間、彼は横を向いたりして、誰にも顔を合わせようとはしなかった。
「そうですか、それでは本日の宴はこれまでと云う事に致しましょう。それでは皆様、どうかごゆっくりとお休みになって下さいな……ヴィットーリオ、皆様を客人用の寝室へとご案内して。それとピエッラを寝かしつけてあげて。」
「はい、畏まりました、奥方様。」
テレサが声高に告げると、扉の向こうの執事がおうむ返しに答えた。ピエッラは椅子から降りると、ひらひらとフリルをはためかせながら、一行に続いた。
横島は懲りもせず、扉の向こう側にその姿が見えなくなるまで、テレサにラヴコールを送り続けている。
「旦那の居ぬ間の、貴婦人との、一晩の甘い夢の一時が……ジュトジュデニジュー? ……タコハポンイカジュポーン? ……」
「……もう、ばか……。」
そんなキヌの呟きは扉の閉まる直前、美神の鉄拳の唸りの前に掻き消されてしまった。

「……と、言う訳なんじゃよ……って、おや、いつの間に儂とテレサ殿だけに?」
「……カオス様……。」
『ヨーロッパの魔王』ドクターカオスは、自分の物語に夢中になる余りに、先程までの騒ぎに全く気が付いていなかった。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa