ザ・グレート・展開予測ショー

alcohol


投稿者名:ししぃ
投稿日時:(05/11/30)

 こんな仕事だから、全てが終わるのは深夜になる事が多い。
 二時を過ぎた応接から、キッチンに電気をつけながら移動する。

「横島クン、電車ないわよね。送るからちょっと待ってて」

 先月免許を取った彼にそのままキーを渡しても良いのだけれど、おとといから睡眠不足に
させてしまっていた雇用者としては、労災の可能性は少しでも減らしたかった。

「報告書は明日に回していいからさ、コーヒー淹れるわ」

 キッチンには作り置きのカレー。
 温めて食べてください、とおキヌちゃんのメモが張ってある。

「夜食あるみたいだけど食べる?」

 ケトルに火を入れると、冷たくなっていた指先が軽くしびれる感じがする。
 秋から冬。
 そろそろワードローブの整理も始めたい季節だった。

「横島クン?」

 返事がいつまでも来なかったので、ドリッパーを持って応接を覗いてみたら、彼は
ソファーの上で崩れるように眠っていた。
 ひんやりとした部屋の空気にゆったりとした寝息が響く。

「風邪、引くわよ」

 思わず小声になってしまって。苦笑する。
 不自然な格好。
 寝違えるかもしれないから、起こしたほうがいいんだろうけれど。

「おつかれさま」

 エアコンをつけて、あたしのデスクに用意してある膝掛けを被せた。
 んあ、と寝言ともつかない呟きとともに彼は布の端を握り締める。
 涎とかつけられたら嫌だなー、とちょっと見つめていたらケトルが吹き上げる音に
呼びつけられた。
 軽く欠伸して。
 車を出す必要が無いなら飲み物を変更することにする。


 隣に座ってグラスを二つ。
 GSという仕事の醍醐味はもしかするとこの瞬間にあるのかも知れない。
 ブランデーを流し込めば指の先まで痺れていく。
 ……お酒、好き。
 横島クンに時々相伴してもらうけれど、まだ彼は本当のおいしさがわからないようで、
そんなに沢山は飲まない。
 女より先に潰れてしまうのが悔しい、という言葉を聞いたこともある。
 あたしに勝とうなんて十年以上早いのに。
 多分横島クンの飲み方はお父さん譲り。
 お酒の先を気にしながら、微妙な自制を続けてる。
 あたしは多分、ママ譲り。
 美味しい物をとことんまで味わって、後の事なんか考えない。
 高校を卒業した頃から覚えた味。
 協会の斡旋の仕事をこなしていた頃は、仕事帰りにエミと一緒に遊びに行ったりしてた。
 今思えば、背伸びしていたんだなと可笑しくなる。
 あたしもエミもその気なんか全然無いのに、声を掛けられた数や流し込んだアルコールの
値段を競っていた。
 お互い事務所を開いて、飲みに行くようなことは無くなったけれど彼女との距離感は
あの頃とずっと変わらない。
 一人でカウンターバーに行く趣味はないから、再び通うようになるのはきっと後数年。
 隣でぐったりしている彼が高校を卒業したら、かな。
 無造作な髪。
 除霊の作業着的に選んでいるデニムとか。バンダナも。
 無防備に眠る姿はまだ男の子で、並んで座る姿は想像しにくい。

「むりやり連れて行ってもいいんだけどね」

 名前を呼んで髪に手を伸ばしてみた。
 よほど疲れがたまっていたのか、彼の眠りは深くて反応は無かった。

「急いでね」

 呟いた言葉は望んでいるような望んでいないような。
 アンバランスな今はそれはそれで心地よいのだし。 
 進むアルコールと伝わる体温に軽く指先が痺れる。
 心の深いところが、小さく震える。
 静寂という音楽が響きすぎて、思考が剥がれ落ちていく。
 求めるままに延ばしそうになる手を引き戻して、冷たいグラスへ。
 琥珀色は鎮静剤にはなりはしない。
 喉に運べば高まる鼓動。
 ストレートのブランデーが微かに甘いカクテルになる。
 彼の事が好きなのだ、と自覚する瞬間。
 近くに居るというだけで、幸せになれる。
 ……緩やかな恋心は始末におえない。
 きっかけも無く染み渡ってしまった想いは、きっとどんなことがあっても消え去りは
しない。
 そして。
 こんな風に機会をみつけては、あたしを刺激する。
 以前は認めなかった。
 一度は忘れようと決めた。
 けれど今も、ずっと在り続けている。
 ……彼の気持ちが変わっていたとしても。

「どうなのよ」

 最近の物理はあてにならないから、横島クンはあまり覗きをしてこない。
 ……21世紀は量子力学の時代らしいから仕方ない。
 やめる理由がシロの一言だったりするのは少しいらつく点だったりもする。
 覗かれたいわけじゃないケドね。

「間が悪いのかな」

 あるいは、あたし達の間の恋愛感情の流通量には制限があるのかもしれない。
 彼があたしを求めていたとき、あたしはそれを避けていたし。
 あたしが彼を認めていくほどに、彼はその愛情を他者へと向けていった。
 ……ちょうどバランスが取れたとき、あの娘がいて。
 その先の天秤はずっとあたし側が傾きっぱなし。
 好きじゃなくなったら、求めてくれるのかな。
 案外、それが真理というものなのかもしれない。
 明確な恋心なんか、小学校に置いてきたから正しいやり方なんか知らない。

「……だめだよね」

 傷つけることに臆病になってしまった横島クン。
 だから気付いているのかもしれない。
 あたしに。
 あるいは、おキヌちゃんに。
 それとも他の誰かに。
 ……応えてしまう事が誰かを傷つけてしまう行為だということに。
 あたしだってそうだ。
 彼の事が好きだけれど、同じぐらい、あるいはあたし以上に彼に恋する女の子達を傷つけて
しまいたくない。
 やさしい彼女達を悲しませたりしたくない。
 ……今は、まだ、ね。
 閉じた瞼。
 呼吸の音が意識すれば強く聞こえる。
 変わらないものなんか無い。彼が卒業すれば、彼女が決意すれば、あの子が成長すれば、
きっと何かが変わってしまう。
 間近に迫っているその時まで。
 心地よい曖昧さを保ちたい。
 グラスに透かせば、近くて遠い距離。
 すぐ隣なのに、小さく見える。
 微かに映る自分と重なる彼。
 セピアの領域が全てのような二人きりの世界。
 香りが、現実感を押しつぶしていく。 

「欲張りね」

 幾つもの願い。
 湧き上がる渇望。
 全てが叶うわけがないと理解しているから、あたしは世界を飲み干した。
 夕方から何も食べていないのが効いているのか、早いアルコール。
 鼻の根元に朦朧と何かが像を結んだ。
 追いかけて出てきそうになる言葉。
 一言目が音になる前に、あたしはゆっくりと唇を彼の頬に押し当てる。
 『今』から切り離された、沈黙が鳴り響いて。
 ただ鼓動。
 自分の行動と唇の温度に軽く眩暈。
 眠りの中の彼は気付かない。
 深い呼吸を二つ。

「横島クン」

 明日の朝はきっと彼の方が先に起きる。
 ルージュに気付けばどんな反応をするだろう。

「酔っ払いのやることだから許してね」

 肩を寄せて、膝掛けのぬくもりの内側に。
 呼吸を合わせて。
 鼓動を併せて。
 彼の腕を抱え込めば、やがて眠りが訪れる。

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