ザ・グレート・展開予測ショー

さんま、さんま、さんま苦いか 塩っぱいか


投稿者名:とおり
投稿日時:(05/11/16)

「さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸を したたらせて…」

有名な佐藤春夫の詩。
サビッっていうのかな、さんまの上に蜜柑の酢をしたたらせてなんて
想像しただけでさんまが食べたくなるフレーズが気に入って、旬のさんまを焼く時はつい口ずさむ。
脂がたっぷりでしっとりした青い身がぷりっとしてて、ワタがほろ苦くて
塩を振った皮のおこげが、なお美味しくて。
なにより皆が喜んで食べてくれるから、あたしも大好きで
最近はちょっと、出しすぎかもしれないけど。

いい色に、焼きあがってきたかな?










―――さんま、さんま、さんま 苦いか 塩っぱいか―――










事務所の食堂は少し大きめで、入ってすぐに10人は掛けられそうな大き目のテーブルが目に入る。
炊事場が右奥にあって、シンクや冷蔵庫、電子レンジ、ガス台や食器棚が整然と並べられていてお料理がとてもしやすい。
カウンターが備え付けられていて、調理が出来た皿からテーブルに運んでいけるのがありがたいし、料理しながら準備してくれているみんなの姿が見れるのも嬉しい。
テーブル横の壁には大きめの窓が付けられていて、お昼ごはんの時はこの季節でも暑い位の日が差し込む。
おかげで食べ終わった後に眠気に誘われて、美神さんはゴロンとその為にわざわざ運びこんだソファーに寝転がる。
私が牛になりますよー、なんて言うと古いわねえって返される。
いくら食べても太らないから大丈夫、今はうとうとしてたいのって。
実際不思議なほど太らないから、少しだけずぼらな美神さんがうらやましく思う。
でも、骨くらいしか残さず綺麗に食べてくれてるのを見ると、美味しく焼けてよかったなって
あたしのお料理でみんながゆっくりくつろいでくれているのを見る時は、とても嬉しいから
ついつい、甘やかしちゃう。



一回美神さんにさんまを七輪で焼いてみたいわね、ってお願いされたけど
事務所には道具がなくて、出来なかった。



「七輪で焼くと美味しいですよね」

「あら、なんでおキヌちゃんが知ってるの?」

「やだ美神さん、一回里帰りの時に宅急便でさんまを送ってくれた時があったじゃないですか。
 あの時実家の七輪で。
 皆よろこんでましたよ。実家の軒先に七輪を出して焼いたんですけど、煙が凄くてびっくりしちゃって。
 でも、皮がぱりぱりしてるのに中がやわらかくて、美味しかったですよ」

「そうだったの。
 あたしは一回も七輪で焼いた事無いのよねー。話聞くと美味しそうだし、今度道具買ってこようかしら」 

「あんまり高くないだろうし、それもいいですよね」

「でも煙がもくもくしすぎて、これ以上匂いがつくのは嫌だわね」

「換気扇しっかり回して、団扇で扇ぐから大丈夫ですよ。元々魚を焼く時は煙でいぶされないようにしますし」

「…そう言えばそうだったわね」

「それに、この食堂はもう色んな匂いがついてますよ。人工幽霊一号が折に触れて取ってくれてますけど」



この食堂は、炊き立てのご飯、挙げ立てのコロッケ、煮込んだシチュー、焼いたお肉…
普段からの匂いがしみこんでいる。
さんまを焼く時のもくもくとした煙が勢い良く換気扇に吸い込まれる時も、少しずつ匂いがついているんだろう。
染み付いた様々な匂いは、この食堂がよく使われている証拠。
元が事務所の食堂だからさほど頻繁に利用されるものじゃないのだろうけど
私は事務所に居候しているし、
横島さんや美神さんのお仕事前のお食事にとちょこちょこと使ってる。
私は匂いが少しつくくらいが、ちょうどいいんじゃないかと思う。
それはたくさんの時間をここで過ごしたという事だし、色んな思い出も出来るから。

多分、お料理をしたことが無い人にはわからない感覚だろうけど
自分が出したお料理を皆が喜んでくれるのは、本当に気持ちが温まるから
食べてくれた当人には大したつもりは無くとも、料理したほうはささいな事でも印象に残る。
そんな記憶が、おなじ食材をお料理している時にふいに浮かび上がってきたりする。
あの時は水も飲まずにがつがつと食べてたな
嫌いな玉ねぎをちょっと混ぜたのに気がつかなかったな
美味しく出来たけれど、渋滞のせいで美神さん達帰りが遅くなって
だけど冷めちゃったのをうまいうまいって言ってくれたな、とか。
包丁を入れたり、串を刺したり
パン粉をつけて、鍋に入れるとき
今度はどんな風に食べてくれるんだろうって。


さんまも同じ。
私はふと、思い返す事がある。
それは彼女がいた季節。
寒さが少しずつ広がってきた、静かな秋だった。



網の上でさんまがじゅうじゅうとはぜた音を立てて、赤く熱を帯びた鉄板にふつふつと身から湧く脂を落とす。
その度に白い煙が立ち昇り、芳しい香りが広がっていく。
さんまの焦げた香りに誘われるように、横島さんがひょいと調理場に顔を出した。



「さんま、さんま、さんま 苦いか 塩っぱいか…ってね
 スダチでもかけて、食べたいね」

「あら横島さん、さんまの詩なんて、よく知ってますね」

「ちょいと前に学校でね。でも、さびって言うのかな?ここくらいしか覚えていないんだけど」

「ふふ。横島さんらしい」



少し長めの菜箸でさんまの腹をつつき焼き上がりの感触を確かめる。
つつく度にさんまから溢れる脂がぽたぽたと落ち広がってじゅわっと音を立てる。
その音がまるで横島さんの催促の様にも聞こえた。



「美味しそうな匂いだね」

「この時期のさんまは脂がたっぷり乗ってて、美味しいですよね」

「焼き方が悪いとすぐこげたりするから、美味しく食べるのって簡単でもなかったりするんだけど。
 おキヌちゃんが焼いてくれてるから、安心だね」

「おだてたって、何も出ませんよー」

さんまの様に口をとがらせて、いーとひょうけた顔を横島に見せてみる。

「あはは…」

「もうすぐ焼きあがりますから、食堂で待っててくださいな」

「ん、そうしようかな。なにか手伝う事があったら呼んでね」



横島さんは声をかけると、食堂に向かう前にとんとんと屋根裏部屋に上がっていく。
―――居候している、ルシオラさんを呼びに。
一時の休息とも言える時間に、美神事務所は南極で敵味方に分かれた者同士が不思議な同居をしていた。
南極でアシュタロス一党に核攻撃を行った後の静けさ。
あの攻撃で無事で居られるはずが無い。
だけど、取り留めの無い不安がかえって私や事務所の皆を努めて明るく振舞わせた。
今日のさんまにしてもそう。
いつ何があるかわからないから、気持ちがどうしても張り詰める。
せめて美味しい物をと、魚屋のおじさんにとびきりの新鮮なさんまをお願いしたものが、今日入ってきた。
頭を握るとピンと立って、青々した刃紋にも似た光で本当にいいさんまだとわかる。
だけど、私の頭の中はこのさんまみたいにすっきり、ピンとした状態じゃ無かった。



自分の感情がどういったものか、よく分からなかった。
横島さんとルシオラさん。
先日美神さんに言われた様に、自分は二人に妬いているのだろうか。
こうして食卓を囲んでいる間にも、ぐるぐると想いが巡り、巡るほどに思考が現実から離れていく気がしてならない。
テーブルの対面、ならんで座る横島さんとルシオラさん。
砂糖水しか飲めない彼女は、せっせとさんまを口に運ぶ横島さんをものめずらしそうに眺めている。
テーブルに肘をつき、首を左に向けて箸を運ぶ様子をじっと黙って見て
時折、さんまの箸からこぼす横島さんに、やあねえなどと言葉を挟みながら。
微笑を湛えながら穏やかに見る様に、でもそれをどこか引いた視点で見ている自分に混乱する。

二人と向かい合った位置に座って、焼きあがったさんまに箸をつける。
こんがりと香ばしく焼きあがったはずのさんま
塩を十分に振って、頭の方の身とワタを一緒に、口に入れた。
だけど私にはその塩っぱさと苦さが、とても重たくて冷たくて
甘いはずの身の味など分からなくて、半分も食べきらないうちにそっと箸を置いて

彼女が居た残りの日々
さんまを焼く事はついになかった。


そしてすぐ―――
ルシオラさんはいなくなった。
彼女に対する気持ちも、整理がつかないままあやふやに浮いて
でもいつしか心の奥底に沈んでいった。





思い出したのは、実家でさんまを焼いた時。
美神さんが送ってくれたさんまを、皆とても喜んだ。
お義父さんやお義母さんが子供の頃にはここまでは新鮮な魚は届くことが無かったそうで二人は特に喜んで
お義父さんがせっかくだから美味しく焼こうと蔵から七輪を引っ張り出してきて、軒先で焼いた。
実家の周りは境内の中でも緑が深いところで
赤、緑、紫、黄色、茶、だいだい、青紫
色づいた7色の紅葉
その隙間から光と影が佇んで
さんまから立ち上る白の煙がとても綺麗に映って
不意に風が吹いたかと思うとざぁっとまるで雨が落ちるような音が、七輪の炭にさんまのあぶらが落ちる音と重なった。
音と色と、それだけでおなか一杯になった気がして
焼きあがったさんまには少ししか口をつけなかった。
それを不思議に思ったのか、お義父さんがほら脂がこんなに載って
ちょうどいい加減に塩も効いているから、苦手かも知れないがワタと一緒に食べてごらん、きっと美味しいよと勧めてくれた。
ほら、青い蜜柑もあるからと小さめに切ったものをお皿に載せてくれて
私はおろした大根と一緒に、一まとめに口に運んだ。
脂の甘み、蜜柑の酸味、皮の塩っぱさ、ワタの苦味、大根の辛味
本当ならすがすがしいくらいに美味しいのだろうけど
塩っぱさと苦味ばかりが口に残って、あの時の思い出が顔を出した。



「さんま、さんま、
 さんま苦いか、塩っぱいか、かあ…」

「おキヌちゃんには、まだ早かっただべかなあ」



こんなに美味しいのにと早苗お姉ちゃんが笑う。
そうね、私にはまだ早かったかもと答えたけれど浮き上がってきたぐちゃぐちゃした感情の塊が、自然と表情を変えてしまっていたのかもしれない。
その変化を、お義父さんが見止めていたのだろう。

食事が終わった後、お義父さんに声をかけられた。
庭を散歩しないか、と。
夜が昼を追い出そうと、でも昼が逆らうように真っ赤になって燃えている時間。
ほんの少しだけの抵抗だけれど、山を燃え上がるせるように映し出す光が、とても綺麗だった。



「さっきの詩、さんまの詩のことなんだけどね」

「うん」

「おキヌは知ってるかな、あの詩は佐藤春夫という作者が人妻に恋をして
 でも結局恋は実らずに終わってしまい、会うことも出来なくなった彼女に向けて詠った詩なんだ」

「…うん、知ってる。学校の先生も、同じ事を言ってたから」

「でも、その様子じゃあその後の事は知らないみたいだね」

「…その後? 」

「人妻の方にも色々とあってね、何年かした後、結局春夫と一緒になることになったんだよ」

「え…
 そう、なんだ…」

私はつい視線をお義父さんとあわせる。
お義父さんは一息おくと、また私を見つめ返してこう言った。

「うん。春夫も人妻も恋が実るまで辛い思いをしただろう、周りに非難されもしただろう。
 随分と思い悩んで、苦しんだに違いない。
 冷たい世間を、自分の境遇を恨んだかもしれない。
 でも、だからこそ
 自分の想いを通すことで、最後には幸せになれたんだよ」

「幸せに…なった…」



お義父さんは言い終えると、さあ寒くなってきたから家に戻ろうかとサッと踵を返して歩いていった。



―――あはれ
秋風よ
情こころあらば
伝へてよ…



お義父さんは背を向けながら、さんまの詩を詠う。
誘われるように風がふき、ひらひらと紅葉が二、三葉舞い落ちる。
そっと紅葉を救い上げると、まるで夕日を写し取ったように燃えていて
私は視線を空に移して、夕日が山すそに落ちていく様子を見つめていた。
徐々に夜の勢いが強くなり、最後の日の光が消えていく瞬間
もっともっとゆっくりと見つめていたかったけれど
最後の一瞬夕日はなお強く輝いて
すぐに、夜があたりを支配した。
手元の紅葉はまだ紅く燃えていて、それが私は嬉しくて
足早に部屋に戻ると、そっと白い紙でおした。












「あ、いけない」


慌ててさんまをひっくり返す。
少し焼きすぎたかなと思ったけれど、案外といい色づきで美味しそうだ。
さあ、皆を呼びに行くかな…
お皿に綺麗に盛り付けて、摩り下ろした大根と蜜柑をそっと載せて。
火を落として、皆が待つ居間に向かう。
今日もまた、この食堂で皆で楽しくお食事が出来る。



―――あはれ
秋風よ
汝なれこそは 見つらめ
世のつねならぬ団欒まどゐを。
いかに
秋風よ
いとせめて
証あかしせよ かの一ときの団欒まどゐ ゆめに非ずと



あの時の彼女との食卓は、確かに夢じゃなかった。
でも春夫とは違って、夢の様な心持などでは決してなかった。
苦くて重い、冷たい食卓。
いや、それは私だけが感じていたものだったのだろうけれど。



―――さんま、さんま
さんま苦いか 塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
いづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは 問はまほしくをかし



さんまは苦くて、塩っぱいけれど
確かにその脂は甘くて、焼きあがった皮は香ばしくて
蜜柑をちょんと付け合せて
一口に頂けば、ほっぺが落ちそうに美味しくて
私は今では苦味も塩っぱさも、大好きになった。
美神さんは大人になったのね、なんて笑っていたけれど
それはきっと、きっとあの人への
私なりの挨拶になるはずだから





居間の扉を開けると、皆がそぞろに視線を寄越す。
美神さんは読んでいた本をたたんで。
横島さんは雑用の手を止めて。
仲良く喧嘩しているシロちゃんとタマモちゃんは、お互いを掴みながら顔だけこちらに向けて。

嬉しくて、嬉しくて
私はいつものように、声を出した。





「皆、ごはんが出来ましたよー」

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