おでかけしましょ! / 前編
投稿者名:犬雀 + R・ハウンド
投稿日時:(05/11/15)
晴天ときて、雲はひとつも無い。
早朝から暖かな空気に包まれていれば、目覚めは最高である。
例え、昨晩の寝つきが遅くても。
心がざわめいて、何度も溜息がこぼれても。
涙が滲みそうなほどに、胸が高鳴っていても。
階下から聞こえて来るのはラジオの音。
事務所で一番の早起きであるおキヌが朝食を作っているのだろう。
BGMを背に調理というのが、最近の彼女のお気に入りの過ごし方。
―――さて、今朝1番にお届けする曲は、皆さまご存知の『キラー・クイーン』。早朝からモエ・エ・シャンドンを片手な貴女? 紳士を口説きたければ、こんな風に流し目を送るのもありかもよ?
包丁のビートに味噌汁のフレイヴァー。
エプロンのダンスに、スリッパでステップ。
刻んだネギと茗荷で、ちょっと目尻がしみるけど。
涙が出ても悲しくないもん。そりゃあ女の子ではありますが。
さぁ、デート日和は、まさに今日。
お玉と包丁の二刀流。気分はまさに合戦場。
和風の少女は、頬を染め上げ、意を決するのだ。
「おキヌ、頑張りますっ!」
ノン・ブラインド・デートが、彼女を待っているのだから。
――― おでかけしましょ! ―――
さて。デートの定番と言えば何だろう。
観てて恥ずかし恋愛映画?
愛情一杯手作り弁当を持参してハイキング?
楽しい楽しい遊園地?
それともホテルで大人の領域?
いえいえそれはまだ早い。
期待が無いとは言わないけれど、ちょっとだけ…ちょっとだけ踏み出すのは躊躇われる。
もう一度、眦に決意を湛えて懐のメモを取り出す。
そこに書かれているのは考え抜いた今日のスケジュール。
まずは映画と行きますか。
そして次は近くの公園でお弁当にして。
幸い天気も良いですし、天気予報もバッチリチェック済み。
分刻みに予定を書き込まれたメモは真っ黒で。
消しては書き、消しては書きしてやっと決めたスケジュール。
数ページにわったて書き込まれたメモのなにやら後半の方が「秘」と書かれているのは何だろう?
ええ、きっと完遂してみせます。ホップステップジャンプです。
興国の興廃この一戦にあり!私は負けません!!
少女はグッと拳を握る。
鍋が吹き零れているけれど、それを告げるのは躊躇われる人工幽霊。
何か邪魔しちゃいけない気がする。それもかなり切実に。
だって少女はばら色の頬をしたまま、宙を見上げてニシャ〜と笑ったのだから。
「あ、いけない!」
おキヌが異変に気がついたのは味噌汁の中身があらかた無くなってからだった。
ついでに視線に気が付いたのも、その後すぐという間の悪さでありまして。
「で、味噌汁は作りなおし? それとも汁物は抜き?」
「うひゃあはっ!?」
ああ、所長さん。上司さん。いえいえ、美神令子さん。
どうしてそんなに笑っているの? 額に微かに浮き出た青筋がとてもキュート。
おキヌは身構えていた。身構えてしまった。
そりゃそうでしょ。猛獣より怖いから。
いや、だからってお玉で闘えるなんて思ってはいないけど。
「お、おはよぉございまぁす・・・・・・」
「はぁい、おはよう。おキヌちゃん♪」
「め、めずらしいですねぇ。こんなに早起きさんなんて」
「あれぇ、そうかなぁ?」
ウソだよぉ。絶対にウソだ。
憎々しいまでに、流し目が言っている。語っている。
こんな時ばっかり、私にもいじめっこな美神さんだと知ってたはずなのに。
学校で聞いた、目薬で眠り薬というものを試してみれば良かった。
ええ、悪い子だってわかってます。
だってだって、と言い訳もしちゃいます。
言わなきゃやってられません。
じっとしてるだけの良い子は、時代だけじゃなくって、競争にも負けちゃうんです!
・・・・・・いや、弓さんと一文字さんの受け売りですけど・・・・・・。
BGMは静かに流れる。
朝もやを切り裂いて、味噌汁の湯気を掻き分けて。
2人の乙女の静寂を、微笑みながら切り裂いて。
助けて、ラジオのミス・DJ。
声だけだけど、救いを私に。
一大決心と決意と計画を、練りに練りあげた今日この日。
妨げられちゃかないません。
なのに、どうして?
追い討ちまで来ちゃうのでしょう。
味噌汁駄目にしたバツなのかなぁ。
「おはよーでござる、おキヌどの」
「おっはよ、おキヌちゃん」
ごめんなさい。舌打ちしちゃっても良いですか?
それでも何とか無事に朝食に始まりました。
普段とは違って皆さん無言なのは気になりましたけど。
シロちゃんとタマモちゃんは時々視線を交わして何かのやり取りをしてました。
とっても…嫌な予感がします。
美神さんはいつものように経済新聞を読みながら何食わぬ顔で食べてましたけど、私見ちゃいました。
新聞に開いている穴からそっと私を伺っている美神さんの瞳。
マジです。
マジモンの目です。英語で言えばMAJIMON?
違いましたっけ?
「あ、おキヌちゃん。今日は何か予定ある?」
う゛っと言葉に詰まります。
見ればシロちゃんタマモちゃんも興味津々と言うか、狩る目というかキラキラと瞳を光らせてこっちを見てます。
とりあえず誤魔化さなきゃ…あうぅぅぅぅ。どうしよう…。
「え、えと…えと…ちょっとお出かけしようかなっと…」
「へー」
「ほー」
「ふーん」
あ゛あ゛あ゛…みんなの視線が痛い。
あれは絶対に何かを企んでいる目です。危険です。ピンチです。
「んで…どこに?」
来ました。さすが美神さん。いきなり核心をついてきましたね。
でも…でも今日だけは引くわけに行きません。
「お、温泉に!」
あうぅぅぅぅ。私の馬鹿…。ドジ!天然!!
「ほほう…温泉ってこの近くにあったっけ?」
「は、はい!えーと…えーと…」
その時、かけっぱなしになっていたラジオから私に助け舟が。
ありがとう!ミスDJ!!
(…というわけで、秘湯中の秘湯。天然グドン温泉 売虎温泉!なんと今日は料金半額だそうですよ〜。ここは縁結びの効果もある温泉なんですね〜。あ、でもツインテールさんは気をつけてくださいね〜)
「売虎温泉ですっ!」
「あ、〇〇県のでござるな?」
シ、シロちゃん?!知っていたの?もしかして横島さんを誘おうとか考えていた?!
驚く私に美神さんの追い討ち。ああ、ホントーに美神さんっていじめっ子です。
「そっか〜。私も行こうかな。なんか肩が凝るのよね〜。やっぱ重いせいかしら?」
何がですか美神さん…。すっげー気になります。というか気にくいません。
その高みから見下ろす目は何ですか!い、言いたいことははっきり言ってください。いえやっぱり止めてください。頼みます。
「私たちも一緒に行っていいんでしょ?」
「そうでござるな。」
あああ…シロタマちゃんまで!あなたたちはお風呂って嫌いだったはずじゃ…。
いつも蚤とりシャンプーを嫌がっていたじゃないですか!!
「で、私たちも行っていいわよね…おキヌちゃん…」
「駄目ですっ!」
あうう…反射的に答えちゃいました。この後、ど、どうしましょう。案の定、美神さんはニヤリと笑ってます。
その顔は「かかった!」と言う顔ですね。そうですね。
「なんで?」
あ、ああ…追い討ちが。
「せ、先行偵察してきますっ!」
「「「は?」」」
私の…馬鹿…ぐすん。
―――――――――――――――――――――――――――
というわけで、陽気加減でおでかけしましょ、なはずだったんですけど。
陽気どころか陰気な話です。ひどいです、ひどすぎます。天に唾しちゃってもバチは当たり・・・・・ますよね、やっぱり。
で、でも、いくら自分がうっかりさんだからって、もう少し運命も容赦してくれたって良いじゃないですかぁ!
いや、でも・・・・・・。
ドキドキしてますけどね。これはこれで。
「おキヌちゃん」
「は、はいっ、なんでしょう、横島さんっ!?」
ああ、デートです。デートなのです。
衣服おっけい、御化粧も無問題、荷物は言うまでもありません。
さぁ、横島さん。何でも聞いちゃってください。
氷室キヌ。誠心誠意を持ってお答えしちゃいますっ。
「えと・・・・・・今日は買い物じゃなかったの?」
「い、いえっ。お買い物はお買い物なんですけど、ちょっと遠くになるんです、はい、ええ」
「へぇ、なんかの食材? だとしたらすっげえよなぁ。どこまで行くの?」
「え、ええと・・・・・・○○県の」
すみません、ごめんなさい。横島さん。
そんなに目がまん丸になっちゃうなんて、わかってたけど、気にしたくありません。
えーん、なんでこんなことになっちゃったんだろ。せっかくのデート日よりだって言うのに。
でも、良い気分ではあります。
いや、むしろこっちの方で良かったかも?
な、なーんちゃって・・・・・・えへへへ。
でも、責めないで下さいね。
こうやって列車に揺られてお出かけなんて、そうそうないんですから。
「あの、それってひょっとして東北?」
「・・・・・・ですねぇ」
「ま、マジかいっ!?」
ビックリした顔って良いですよね。
たぶん、彼だからなんて思っちゃったりもしますけどー。
あ、いえいえ・・・・・・ごほんごほん。
それにしても、騙しちゃった形になっちゃったんですよね。どうしよ、ほんとに。
なしくずしに、っていうか美神さんたちのせいで温泉に行くはめになっちゃったんだけど。
あ、でもちょっと待ってくださいよ。
・・・・・・今日はわたしと横島さんでお出かけの予定でした。
ちょっとしてないけどちょっとしたトラブルで、こうして遠出する事になりました。
いきなり取り止めもいけないと思って、横島さんと一緒に行く事にしました。
わ、やばいです。
顔が、顔が!
紅くなります、唐辛子です、キムチ入り麺類です!
あわててミネラルウォーターを取り出して、一息にあおっちゃいました。
わ、気管支直撃。
「げふぶはごはげへ・・・・・・」
「おキヌちゃん、大丈夫!? ど、どしたの、いったい!?」
横島さんの優しさが心と咽喉に染みます。
ああ、乙女で良かった。
え、咳き込んだところ見せちゃったから減点?
いいんです! 前向きなんですよ、悪いですか?
「はい、大丈夫です、横島さん」
笑顔は忘れず、ちょっと気弱げなところは重要だそうです。
弓さん式・乙女所作道です。
けど、免許皆伝までは遠いなぁ。
「ねぇ、おキヌちゃん・・・・・・」
あ、横島さんの声も気弱そうになってる。
これって『しんくろにしちー』っていうんですよね。
ああ、やっぱり並んで座席に座ったもの同士、こういうやりとりって大事ですよね!
心が潤います。咽喉はまだ痛いけど。
「美神さんたちなんだけどさ・・・・・・お出かけっていってたよね?」
やっぱり出ちゃいましたか。
さて、なんと言ってごまかしちゃいましょうか。
あんまり、ウソって好きじゃないんだけどなぁ・・・・・・。
でも時には良いし、仕方ないですよね。
昔の人だって言ってます。『ウソも方便』だって。
お買い物に行った、ということが一番普通かもしれません。
そう言おうとしたわたしの視界には、横島さんの青ざめた顔が見えました。
電車酔い・・・・・・なんでしょうか?
「なに、あのウィメン・イン・ブラック?」
私は寝てれば良かったと、本当にそう思いました。
だって、だって・・・・・・。
向こうの車両に座っている人たちが見えちゃったんです!
黒い毛皮を纏ったいかにもセレブの奥様と言うような美神さんの姿を。
豪華な黒の毛皮の下は黒いスーツ。そして黒いサングラス。
なんというか宇宙人を捕獲に来た上流階級の奥様って感じなんです。
だって首にはやたらとモコモコしたキツネの襟巻きですよ。
そして持っているゲージの中からチロチロと私たちを見ているのは、茶色い柴っぽい子犬です。ところどころ茶色がはげているのが首に巻いた赤いリボンとマッチして凄く可愛いです。
あ、今、襟巻きと目があった。
あ、逸らした。
あ、柴犬も目を逸らして汗なんかかいている。
って…バレバレじゃないですかぁぁぁぁ!!!
「どうしたのおキヌちゃん?」
「へ?あ、いえ…なんでもないです。」
「そう?ところでさ…」
「はい?」
「あれって…美神さ…「さあ!横島さん!もうすぐ目的地ですっ!」…そ、そう?」
「はいっ!」
私の勢いに飲まれたのか横島さんもぎこちなく頷いてくれました。
こういうときって勢いとか気迫って大事ですね。
さすが美神さん。学校では教えてくれないことを教えてくれます。
ああ、やっぱり美神さんについてきて良かった…ついてきては欲しくなかったけど。
そんなこんなで電車は目的地の駅に着きました。
私は慌てて横島さんの手を握って走り出します。なんとしてもまかなくちゃ。
「え?ちょっとおキヌちゃん?」
「急ぎますよ横島さん。時は金なりです!」
ダッシュで改札を駆け抜けると目の前にタクシーが止まってました。
すかさず開いたドアに飛び込みます。
。
「運転手さん!売虎温泉まで!!」
「へーい。」
車が動き出すと同時に後ろを振り返ると、先ほどの奥様がタクシーに乗り込むところでした。
もはや一刻の猶予もありません。
「運転手さん!いそいでくれたらチップはずみます!!」
「らじゃっ!」
さっきの呑気な返事からは予想も出来ない素早さで運転手さんは車を加速させました。
思わずひっくり返る私。横島さんが抱きとめてくれなければガラスに頭をぶつけたかもしれない。
あ、今気がついたけど私って横島さんの手を握ったままでした。
ううう…恥ずかしいです。ていうか抱っこされている今はもっと恥ずかしいんですけど。
でも…いいですよね。危機を突破したご褒美ってことですよね神様。
「あのさおキヌちゃん?」
「はい?」
「ここって温泉一杯あるの?」
なんか青ざめた横島さんの言葉に答えたのはいつの間にかタスキがけしてハンドルを握っていた運転手さん。
「いんや、ここは売虎温泉しかねーだよ。」
「そうなんすか…」
……………えーと…つまり目的地は一緒…ってことかな?
……………てことは…ここで美神さんを振り切っても意味は無いと…。
チップはずむって言っちゃったしなぁ…今月のおこづかい…早くもピンチです…。
横島さんの腕の中でぐったり肩を落とした私を乗せたタクシーはラリーカーとも見紛うスピードで温泉への山道を登って行くのでした。
―――――――――――――――――――――――――――
まぁ、世の中には金銭に代えられないものがたくさんあるといいますけど。
出会いとか思い出とか、精神的なことですけど。
そういうのって、私はとても大切な事だと思っています。
生き返った後は、特に。
こうやって山に登った時。とても綺麗で澄み切った空気が私を癒してくれる。
なーんて、そんな気分になっちゃったりします。気のせいなんかじゃないですもん。
湯気が見えたりしたら、ああ、もう最高の気分です。
だって温泉ですよ、天然ですよ?
地面のふかーいところであったまったお水が、わざわざ地面に出てきて、温泉になるんですよ。
これはもう私たちに入ってくださいと言ってるのです。そうに違いありません。
あ、もちろん私『たち』ですよ?
お肌がきれいになったりした日には、もうドキドキものです。
つるつるで、すべすべ。
お手入れを欠かすだなんて、とんでもないと思っちゃうほどに効用ありなのです。
もちろんお化粧道具だって、ちゃんと持参してきました。ぬかりはありません。
温泉には着きました。
ちょっと、というより、かなり懐具合が悲しいですけど、でも来て良かったと思える光景が広がっています。
空は向こうの向こうまで青くって、雲も無くって。
緑と花々と、牛や馬が草を食んでいて。
泣きたくなるくらい、のどかです。
無防備になっちゃいたいくらい、平穏です。
となりには、横島さんがいてくれます。ちょっと呆然としているけど、わたしの荷物を持ってくれて。
風に吹かれると、素敵な一日が始まる事を実感できます。
「あ〜、良いところでござるよ〜」
「やっほー」
「静かにしなさい、二人ともっ」
はい、静かにして下さい。数十メートル先にいるあなたたち。
ホントに静かにして下さい。こっちを気にしてないようでちゃんと見てるあなたたち。
忌々しい、ってこういうときに使うんですよね。よくわかりました。
「お、おキヌちゃん、事務所でなんかあったの?」
「いーえ、なにもありません。ないったらないんですっ!」
「わ、わかったわかったわかりましたっ。そんな泣きそうな顔したらあかんて!」
「な、ないに決まってるもん・・・・・・」
涙さん、こんにちは。
悲しさ半分、嬉しさ半分。
愛子ちゃんじゃないですけど、これが青春なんですね。
やな事と良い事が半分半分。つまり美神さんたちと横島さん。
フロントに向かう足取りがスキップ一歩手前なのは、これはもうしょうがありません。
現実逃避? なんとでも言ってください。
『彼氏と彼女の事情』という言葉があります。
いいですか? 彼氏と彼女です。余人はいないんです。
すなわちこの場合当てはまるのは、わたしと横島さんだけなんです。
美神さん? バカ言わないでください。シロちゃんタマモちゃん? とんでもないです。
横島さんです。横島さんだけなんです。
だれが、なんといおうと、今日はデートなんです!
まぁ、横島さんもいったい何が起こっているんだといわんばかりに怯えてますからね・・・・・・。
ごめんなさい、責任は美神さんが8割でミス・DJが1割、わたしが1割悪いんです。
え、わたしもたくましくなったって?
あははは・・・・・・め、面子が面子ですからね。
「いらっしゃいませ、売虎温泉へようこそおいでくださいました」
フロントの人は優しそうなおばさんでした。
「さて…ご宿泊ですか?それとも日帰り入浴ですか?」
「「宿泊っ!?」」
驚く私たち。
だ、だってそんな宿泊だなんて…まだ早すぎます。
い、いえ…嫌じゃないですよ。むしろ望むところ…げふんげふん…。
け、けど…やっぱりこんななし崩しみたいなのはちょっと…。
やっぱりこういうことはその段取りが必要だと思うんです。
それに…何か後ろの方から凄い殺気が飛んできてますし。
横島さんもガクガクと震えています。
顔色が赤いのと青いのが混じって紫になってます。
大変!なんとかしなくちゃ横島さんが倒れちゃいます。
「ひ、日帰りで…」
うわ…自分でも声が上ずっているのがわかる。凄く恥ずかしい。
ところがもっと恥ずかしいことはその後に起きました。
ドロドロドロドロとどこからかドラムロールが鳴ります。
はえ?と首を傾げる私に優しそうなフロントのおばさんはニッコリと微笑みました。
「パンパカパーン!おめでとうございます!お客様は本日100組目の日帰り入浴のお客様です!」
「へ?」
何が何だかわからずに首を傾げ続ける私たちにおばさんは一本の鍵を差し出しました。
「当温泉のサービスとして『家族露天風呂』が一日貸切となります〜。」
「「あ、どうも…」」
二人揃って頭を下げるとおばさんは私の手に鍵を渡してくれました。
なんでお風呂で鍵なんでしょうか?
もしかしたら凄い秘湯なのかな?
あ、なんか後ろで凄い音がした。
そーっと振り返ってみると美神…セレブの奥様が入り口のドアに挟まってました。
チャンス…じゃなくて大丈夫でしょうかね。
ふと横島さんを見れば冷や汗を垂らしながらずーっと前を見つめています。
その口から小さく震える声で「振り返っちゃ駄目だ…振り返っちゃ駄目だ…」とうわ言のような音が漏れてます。
はい。全面同意です!行きましょう横島さん。
今日は折角だから温泉を楽しみましょう!
「行きましょう横島さん!」
私はかすかに震えている横島さんの手を引いて歩き出しました。
従業員の方が先に立って案内してくれてます。
増築を繰り返したのか迷路のようになった温泉内ですから、私たちだけじゃ迷ってしまったかも知れません。
やがて硫黄の匂いが強まってきて、私たちは一つの扉の前に立ち尽くしていました。
従業員さんは「どうぞごゆっくり」と完璧な営業スマイルで去っていきます。
でも…そんなことはどうでもいいのです。
ドアの上に貼ってあるプレートを見て私は気づいてしまいしました。
「家族」ってことは……………混浴じゃないですかぁぁぁぁぁ!!!
混浴。混浴。混浴。
ああ、混浴、混浴、混浴。
呪文のように唱えてますねぇ、わたし。
なに他人事のような事言ってるんだって?
・・・・・・あのですね。わたしだってテレビは見るし、週刊誌だって読んでます。
そういうのを目にしてれば、自然に知識だってつきます。
役に立つか立たないかはともかくとして、そういうもののなかにこの単語も内容もあったんです。
混浴。
ええ、言っちゃいます。
俗に言う・・・・・・えーと、『ぶっちゃけ』ちゃいます。
氷室キヌ。宣言というか、告白します。
恥ずかしいなんてものじゃありませんっ!!
だって温泉ですよ、服を着ないんですよ!?
興味がないなんて・・・・・・・・・言いませんけど。
で、でもですよ!? こんな成り行きなんて予定外なんてものじゃありません。ほとんど陰謀じゃないですか!
そもそも今日はデートの予定だったんです。
デートといえば、普通もうちょっとのんびりしたものだと思ってました。
それがどうして、温泉で混浴になっちゃうんですか!?
予定は未定だなんて言葉じゃ納得できませんよっ。
第一、お部屋の前に温泉に案内なんですか?
確かに疲れてます。汗もかいたからお風呂に入りたいです。
でも、なにも横島さんが横にいるときに、「さぁ、どうぞ♪」なんて言われても、どうやって入れっていうんですかぁ!
あうう・・・・・・頭の中で、悪魔と天使のわたしが囁きます。
だれですかぁ、呼び起こしちゃったのは。ううう。
『うっふっふっ、これは千載一遇のチャンスですよ〜。がけっぷちに横島さんを追いつめちゃうのですよ〜♪』
『ああっ、いけません、おキヌちゃん! 乙女は清らかに生きろ、とまでは言いませんけど、その時はまだなのですよっ』
天使なわたし、悪魔なわたし。
なんと辛く苦しい戦いなんでしょう。
でも2人が持ってる武器ってなんなんでしょうか。
天使さんの方はお玉とフライパンで、悪魔さんの方は塩と胡椒?
『お・キ・ヌ・ちゃ〜ん♪ ホントの意味で女になっちゃう時なのですよ〜。ブレイク・スルーしちゃうんですよ〜♪』
『いけませんっ。おキヌちゃんはまだまだティーンエイジャー。いまは辛抱が心を鍛えるのですよっ。そうすれば男の子を。横島さんを正しくゲットできますっ』
混乱してきました。眩暈がしてきました。
お風呂入る前から、くらくらしてます。
でも、でもなのです。
不思議と意識と足取りはしっかりしています。
これはなんでしょう?
オカルトな力か何かでしょうか。
全身に流れる熱いものが、確かに感じます。
天使さんの、悪魔さんの一言一言が、自分の足を手をしっかりと動かしてくれてます。
『いっちゃえいっちゃえー♪ クールな女の子はシャイな男の子をロックしちゃうのですよ〜♪』
『クールでなくても良いのですよっ。ピュアな気持ちとちょっとの打算。計略が恋心の成功の秘訣ですっ。さぁ、おキヌちゃん。心の赴くままになのですっ!』
なんだかどっちとも唆しているような気がしてきましたけど・・・・・・。
まぁ、とにかくお風呂はお風呂ですよね。
横島さんも、わたしには・・・・・・そ、その・・・・・・ヘンな事しない、はずですから。
そこがちょっとだけ不満でもあるし、嬉しくもある・・・・・・って、なに言わせるんですかっ、もう!
『正直になるのですよ〜。えへへへぇ。わたしは悪魔ですよ〜。さぁ、ちゃっちゃと一歩進んじゃうのです〜♪』
『なんてことをっ。急いては事を仕損じると言うではないですか。ここはひとつ粛々と進んじゃうのです。淑やかさは大事ですよ?』
気が付いたら、お風呂への扉の前でした。
擦りガラスで、でもガラス越しに見えるのは、空の青さと立ち込める湯気と、お湯の流れる音。
あ、わたしってばいつの間にかお風呂に入る支度ができてますねぇ。
・・・・・・って、え?
ま、まさかわたしにまで、妄想癖がぁっ!?
思わずその場に崩れ落ちそうになっちゃってました。
ふええん、どうしよ〜?
続く
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