ザ・グレート・展開予測ショー

萌芽


投稿者名:臥蘭堂
投稿日時:(05/11/ 9)

 それは、道路工事のアルバイト――実際には、交通整理だが――を終えて、アパートに向かう途中の事だった。脇を歩くマリアが歩を止めて自分とは逆の方向に顔を向けるのに、カオスは、ああ、またかと思った。
 果たして、マリアの視線の先には、ここ最近の例にならい、あちこち擦り切れ気味になったデニムの上下をまとう、少年と青年、その狭間にある男の背中が見えた。ややだらしなく、ややガニマタに、果てしも無く呑気そうに歩くその背中をマリアの肩越しに見ながら、カオスは、ぽりぽりと鼻の頭をかいた。

 やれやれ。これはまあ、流石にどうにかしてやらんといかんのかのぅ。

 限りなく溜息に似た呟きを漏らし、カオスは通りを曲がってその背中に近づいた。背後からは、カオスの転進に驚いたかのように、一瞬遅れたマリアが小さく駆けるように追ってきた。

「こら、小僧」
「あん? 何だ、カオスのオッサンじゃねーか、と、マリアも一緒か」
「イエス・こんにちは・横島・さん」
「何じゃ、お主もバイトの帰りか?」

 カオスは、努めて平静の態度そのままに、やや尊大な態度で問うた。ややもすれば気分を害しかねないのだが、横島は、関せずとばかりにこれまた普段通りの、はなはだぞんざいな態度で応じた。
「まーな。オッサンこそバイトは」
「今しがた終えてきたばかりじゃわい。まあ、このヨーロッパの魔王がわざわざ出向いておるのだ、今頃職場の連中も、涙を流して喜んでおるだろうよ」
「ガテン系で働く魔王っつーのも、滅多におらんと思うが」

 まるで、年来の友人の如く、カオスと横島は、横に並んで軽口を叩きあいながら、夕暮れの迫る商店街を歩いた。マリアは、その二人の背後を、数歩遅れて歩いていた。ちらりと、その姿をカオスが振り返って窺った。何故だかマリアには、その時のカオスの顔が、やけに嬉しそうにも、あるいは、何処かしら悔しそうにも見えた。

「ん?」ふと、横島がカオスの視線に気付き、振り返った。「何だよオイ。二人して楽しそうに」
「ふふん。決まっておろうが。ワシはマリアの造り主じゃぞ。ワシとマリアの間にはのぅ、お主なんぞが窺い知れぬふかーい絆と言うもんがあるんじゃ」
「ぬかせ、このヒヒ爺」
 また、騒がしく罵りともじゃれあいともつかぬ言い合い繰り広げる二人の後ろで、マリアは、当惑していた。

 楽しい? 楽しい。 楽しい。さて――楽しいとは、どういう感情だったのだろうか。自身が情動に関する回路を凍結させてから、すでに数百年。もはや、それがどういう感情であるのかは、全く解らない。いや――そもそも、自身はそれを、本当に理解していたのだろうか。ああ。何と言う事だろうか。どうなってしまったと言うのだろうか。自身は、そんな事ですらも、解らなくなってしまっている。
 楽しいとは何だろう。悲しいとは何だろう。嬉しいとは何だろう。腹立たしいとは。そして、ああ、そして一体――愛しいとは、一体、どういうものであったのだろう。解らない。解らない。何故解らない。決まっている、自身でそれを凍結させるのを選んだからだ。そうして、数百年を過ごしてきたからだ。だが――一体、何故?

「……ア」一体、何故。「……リア」何故、感情を捨てようなどと思ったのだ。何故、それを封じようと思ったのだ。捨てなければ。封じていなければ。今、今ごろこんなにも――ああ、何故「マリア!」

 ふと顔を上げれば、心配そうに、それは、それはとても心配そうに覗き込んでくる横島の顔と、最近では滅多に見せなくなった精悍な表情のカオスの顔が、そこにあった。

「あ」
「あ、じゃねえよ。どうしたんだ一体。どっか調子悪いのか? ぼさーっとして」
「調子――ノー・横島さん。マリア・異常・ありま・せん」
「いや、異常だろうよ、どう見ても。なあオッサン」

 横島の言葉にカオスは、ふむと、顎を撫でさすって考え込むような顔つきを作った。

「まあ、今日はここまでかの」
「は?」

 ぽつりと漏らされたカオスの呟きに、怪訝な顔をする横島だったが、カオスはそれを無視するかのように、マリアの肩に手を置いて引き寄せた。

「小僧、すまんがな」
「あー……まあ、マリアも調子悪そうだからな。さっさと帰ってメンテしてやれ」
「ふむ。ではまたな」
「おう。マリアも、また元気な時にな」
「――イエス・横島さん」

 横島と別れ、アパートへの道を辿る間、カオスは、マリアの方を向かず、一言も発そうとはしなかった。黙々と歩く背中に、マリアは、どうしても話しかけずにはいられなかった。

「ドクター・カオス」
「やっと、か」
 返って来たのは、そんな意味不明な、ぼやきにも似た言葉だった。
「やっと?」
「やっと、と言うか。あるいは、とうとうとでも言うべきか」
「どういう・事でしょうか」
 まるで理解できぬ言葉に、耐え切れず問いを重ねた。
「ああ、まあ大した事ではない。こちらの事じゃ」
「――イエス」

 悄然と、でも言う風に俯き加減になるマリアに、カオスは、内心で頭を下げていた。

 すまんなあ。しかし、その、な。どうしても、ワシの口から言うのも、癪じゃからな。お前が情動を封印させてから、あー、百年? 二百年? まあ、大して変わりはないか。その間、ずうっと人形めいていたお前がな。しかし、しかしだ。より問題なのは、それは、お前が封印を解除したからではない、と言う事なんじゃよ。
 
 なあ、マリアよ。ワシが当初お前に与えたものは、電気信号よってなる二進数の膨大な羅列でしかないのじゃ。人造霊魂とこそ呼んではおるが、所詮はエミュレータのようなものでしかない。学習し、進化するとは言っても、その進化の幅も、予め決められたアーキテクチャの範囲に制限を受ける。人のそれも大して変わるものではないと、あの頃は思っていた。

 しかしだ。なあ、しかしだマリアよ。我が娘よ。ワシはな、今更になって、ようやく辿りついた気がするのじゃよ。詰る所、人の心とは、魂とは、アーキテクチャたる肉体の影響を受けこそすれ、決して制限は受けぬのではあるまいかとな。忌々しい事に、それに気付くきっかけとなったのは――あの小僧なわけじゃが。

 お前もそうじゃ。良いかね、娘よ。お前が今抱くそれはな、ワシが与えたものではない。お前が芽生えさせたものなんじゃよ。お前が、自身で芽生えさせたものなんじゃよ。そしてまた忌々しい事に、そのきっかけもまた、あの小僧なんじゃがなあ。

 ああ、つくづく嫌になるわい。何でまたよりによって、あんなアホに――ああ、まあ傑物では、あろうがの。

「マリアよ」

 今は、まだ聞かせる事の出来ぬ言葉を腹の奥へと飲み込み、カオスは、マリアを振り返った。

「イエス・ドクター・カオス」
「あれじゃ、近いウチに、アヤツの所へでも遊びに行ってやるとするか」
「アヤツ――横島・さん・ですか」
「おうよ。あの目つきの悪い喧嘩バカも、アヤツの所でちょいちょいゴチになっとるそうじゃしのぅ。ワシ等も一丁、ご相伴に上がるとしよう」
「それは――――イエス・ドクター・カオス」
 マリアの応えは、いつもと変わらぬ無表情なものであったが、しかし、そこに確かに存在する何かに満足したかのように、カオスは破顔して、空を仰いだ。

 小僧は、まあ文句を言うじゃろうが。なあに知った事か。娘の父親として、殴らせろと言わないだけ、マシと言うもんじゃろうて。

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