ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE・外伝〜ピースメイカー〜(エピローグ) (GS)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/10/31)

 感じる痛みに、唐巣は掌を見る。


 砕け散った樫製の銃把の破片が三つ、押し当てた右掌に突き刺さっていた。


 全力を出し切ったためだろうか、破片を抜こうとする左手の握力も殆どない。

「……つっ!」
 仕方なく、歯を使って突き刺さった樫の断片を引き抜いた。


 口に広がる血の味と一緒に、引き抜いた破片を吐き捨てる。


 二つ目の破片を引き抜いたその時、拍手が唐巣の耳朶を打った。
「まずは、見事、と言っておこうかの?」




 ぱち、ぱち、という音が壁にもたれかかるクラウディアの『両手』から、ゆっくりと弾けて辺りに響いた。


「馬鹿な!?唐巣さんの攻撃は奴を確実に打ち抜いたはずだっ!それに呪縛ワイヤーは……?」

「ニンニクの臭いを中和する際に言ったはずだぞ?この周辺に私の因子を含んだ霧を振り撒いた、とな。
 それに、ヴァレンティノが封を破ったことで現世に戻ってより、お前達のような侵入者を察知するためにも、この地下墓地全体に私の因子をばら撒いておる。故に、この地下墓地自体が極僅かながら私の因子を含んだ……いわば私の支配する領域とも言える場所なのだ。
 その領域に振り撒いた因子を再び集めれば、腕くらいは再構築出来るし……片手が動けば、間に合わせの呪縛ワイヤーを切ることなど、私には造作もないことよ」

「まだ倒せなかったか……だがっ!」

 ピートの焦りを含んだ声を片手を上げて制し、力ない拍手を勝者に送ったクラウディアは自らの胸の中心を穿つ20センチ弱の大穴を示すと、微笑とともに続ける。
 
「そういきり立つでない。ピート坊の言う通り、この傷なら私はじきに死ぬ。その前に、私を殺したお前を動かし、その力の源となった『覚悟と誓い』とやらを聞いた上で死ぬのも一興……そう思うただけのことよ」
 唐巣に向けたその顔に――薄い笑みを浮かべて。

「死に行く敗者への餞(はなむけ)と思うて、聞かせてはくれぬか?
 ……それとも何か?『邪悪な闇の眷属には末期の情けなど不要』とでも言う気か?だとすれば、ずいぶんケツの穴の小さい神の使徒よの」
 力のない薄い笑みが、妙な力強さを持った悪戯っぽいものに変わる。

 その人を食った笑みに一瞬呑まれた唐巣だが、呑まれたことで逡巡はその一瞬で消えていた。微かに頬を染めつつ返す。

「別になんてことはないことだよ……俺の使ってた拳銃の名前……ピースメーカーって名前に賭けて誓ったことだからな――こんな力を持ってしまった以上、俺に関わる全ての人を……その一人一人の『平和』を守りたい――そのためなら、どんな傷を負うことも厭わないってな」

「……『平和を守る』か……私も、甘い男に殺されたものよの」
 くすり、と笑いながら応じたクラウディアに、不機嫌そうな顔を覗かせる唐巣だが、その『何だよ、悪いかよ』という無言の抗議を右手を軽く挙げて制すると、続けた。


「なに、別に甘いからどうということでもない。むしろ、神の道具に徹しようとする、面白味もなければ敬意も払いたくないような無粋者に殺されるよりは、キリストと同じ……甘いことを言う男に殺されるのは、逆に喜ばしいことよ」

「俺が……イエスと同じ?」

「その通り。
 あ奴も甘いことを言っておった。『重荷を負うて苦労している全ての者の重荷を自らが負おう』などと――行く先々で迫害を受けようとも……人の変革を信じ続けてな」

 戸惑いを隠せない己の発した言葉を、穏やかさすらも感じさせながら肯定する吸血姫――自らとは真逆の存在である主の代行者たる聖者の名を、追憶とどことはなしに滲み出る憧憬の色を交えながら語るクラウディアに、唐巣は問うた。

「そうか……って――イエスに逢ったことがあるのか?!」
 問いには多分に驚きが混じっていた。

「うむ……とはいえ、一度だけだが、の。
 私が神族や魔族……妖怪といった人間を超えた霊力を有する存在から得た血でないと活力を得ることが出来ぬことは言ったはずよの。既に半神として生まれ落ちたあ奴の血を頂こうと訪ねた私を、あ奴……問答無用で殺しかけよってな」
 クラウディアは語る――力なくも、心の底から楽しそうな笑顔で。

「……おい」
 唐巣の抱いた驚きは、光の速さで怒り混じりの呆れにすり替わっていた。

 唐巣の見せた呆れとも怒りともつかない表情の変化を意に介さず……むしろ楽しむ表情を見せたクラウディアは息を一つつき、過去を幻視するかのような遠い眼で言葉を紡ぐ。

「あ奴もまだ5つに満たぬ程幼かった故、辛うじて逃げ延びることは出来たが……それ以降、この島の民たちからもキリストについての噂を耳にするようになっての――やれ盲いた者の目を開いただの、やれ病んだ者を癒しただの、やれ荒れた海を鎮めただの……あ奴に起こした奇跡に関する噂だけでも、かなりの数の話が耳に入ってきよったわ。
 挙句の果てに、処刑されたにも関わらず、その三日後に蘇ることで……お前達の崇める神と同一の存在にまで駆け上がってしまったと聞いた時には正直驚いたが……納得もした――半ば神として生まれながらも自らを人であると位置付け、『人を正しき神への道に導く者』として生きることを望んでいたあ奴の中には『人は変われる』と信じる心があったからの。
 そして、その心の力というものは、お前が私を倒す力の源となった誓いと通じるものであり……私が人間から別のものへと変じた者達の血から得るものの中でも、最も好ましいものでもある。
 お前達の教えにあるように、血は生命であり、その者の魂を直接に伝えるものである故な」



 ――――ばさり。




 クラウディアの左の二の腕の中程……呪縛ワイヤーが食い込んでいた辺りから先が、突然崩れ落ちた。

 魔力を含んだ微細な因子の群体とも言うべき細胞を繋ぎとめ、一つの肉体として纏め上げている呪力を徐々に喪っているからだろうか――崩壊を開始した肉体は極微の時間で灰と化し、鈍い音を立てて床に落ちたときには更に細かい微粒と化し、濃密な魔力とともに煤けた空気に混じって拡散する。

 よく見れば、致命傷を受けていた胸の中央もその表面を灰と化しており、今もなお徐々に崩れ落ちてはいるが、迫り来る消滅の刻を意に介さず、2000年以上を生きた力ある吸血姫は続ける。


「私は正直、人間の心の力というものに憧れておった。いや、私が、というよりもむしろ……私を含む闇の眷属全てが、人の心の持つ力――時には奇跡をも起こせる、強靭な意志の力というものに憧れを持っている、といっても良かろう。
 ピート坊ならば、その憧れは多少なりとも判るであろう……力では劣りながらも、闇の中でも光を見出そうとし、諦めることを知らぬが故に、一時的にではあれど時に運命をも捻じ曲げる奇跡的な力をも引き出すことの出来る、人の心の輝きの目映さを羨ましく思う闇の眷属の抱く嫉妬にも似た想いという奴は?」

 ――戸惑いながら、ピートは首を縦に振る形で返答する。


 その情熱と執念、そして、常に高みを目指す強い欲求こそが、闇に生きるブラドー島の仲間や獣人たちのような闇の眷族に比べて遥かに儚く、脆いはずの人間に奇跡に等しい発展をもたらしたことを――そして、その“奇跡”は、歩む時が短いが故に生の濃密さで補おうとし、運命を容易く受け入れることをせぬ儚き人間にのみ起こせる類いのものであるということを、父・ブラドーの野望を阻止するための手段を求める旅の中で知ったからこその肯定だった。


 その頷きを認め、クラウディアは続ける。

「ふふ……血は吸えなんだが、その輝きに満ちたお前の魂は――ここで直接味わったでな……満足した」
 大穴の開いた、薄い胸板を指し示した右手が塵となって崩れたが……クラウディアは嘘の色は一切ない、満ち足りた表情で言った。
「――だからこそ……私に止めを刺してはくれぬか?胸の悪くなる神の道具などにではなく、あくまで人であろうとするお前によって死を与えられたことを誇りに思えば、黄泉路の道行きも誇りを抱いて行ける故、な」




 その微笑みに抗う術を、唐巣は持ってはいなかった。






「『主は土塊から人を作られた。土より作られた人はパンを作る……土に返るそのときまで。始原の姿に戻る時、塵にすぎない人は塵に返る。土は土に、灰は灰に、塵は塵に……』」
 懐から聖水を取り出し、聖句を呟く。



 唐巣の口から流れ出る聖句に伴い、クラウディアに振りかけられた聖水から浄化の光が溢れ出す。



「―――――『A−men』」


 あるがままに、かくあれかし―――その言葉に併せて十字を切る。

「――――では、さらばだ。出来れば、輪廻の果てにまた出会おうぞ」
 その気楽な――花見か何かの場所取りにちょっとだけ先に行って待っているとでも言っているかのようなごく軽い言葉の響きを残し、クラウディアは眩しげに目を閉じる。



 十字を切るとともに弾けた光は年経た吸血鬼を包み込み――――――芥ほどの塵も残さずに……闇に消えた。


















 



「結局、封じる方法は判らずじまいだったな?」
 四肢を貫かれ、自力では動くこともままならないルッカに肩を貸しながら声を掛けた唐巣に、ピートは笑顔で応じる。

「ええ……結局のところ、魔法が失われた現代となっては、空間を捻じ曲げてその間に封印する、という方法は取れませんからね。
 ――ですが、大丈夫です。敵でしかないと思っていたヴァチカンの武装執行官の中にも、貴方のような方がいると判ったんです。万一の時にはヘルシング教授やドクター・カオス、そして、貴方といった腕の立つ方々に協力を仰ぐことが出来るということが判っただけで、僕にとって何よりの力になります」
 ピートの希望に満ちた横顔が輝きを見せる。


 だが、その輝きは他ならぬ唐巣の言葉によって奪い去られた。
「――――いや、悪いが……俺は執行官にはなる心算はない」

 希望を絶望に塗り替えるに似た驚きに、ピートは信じられないといった表情で唐巣を見る。
「どうしてですか?貴方ほどの力があれば……いや、力だけじゃない。僕を仲間として見てくれた貴方という執行官がいると判れば――――」
「それが……いいだろうな」
 ピートの言葉を遮るかのように、唐巣の手を借りて辛うじて立っているルッカが唐巣の言葉を肯定した。

「確かに唐巣の力は大したものだ。だが、心の力――感情から生まれる意志の力を源にして力を生み出す者など、感情を殺さないといけない執行官としては役立たずになるだけだ。
 第一、執行官はその任務の都合上、生きている人間も――堕天使に導かれた者や魔神崇拝の狂信者達……そして、道から外れた異端の徒も相手にする……そんな相手を前にして、こいつが冷静さを保つことは出来るとは思えないからな。
 そういう甘さを残したこいつに指導員として言えることは――『不適格』という評価……それだけだ」

 あまりに冷然としたルッカの断じ方に、当の唐巣ではなく、脇で聞いていたピートが食って掛かろうとする。

 が、それを押し止めたのは、やはりルッカの言葉であった
「しかし――だ。奇跡というものは往々にしてそういう甘さを持っている者にこそ起こせるのかもしれないな……例えば、我々のような執行官には倒す対象でしかない吸血鬼どもと和解し、共生するという新たな道を見出すという奇跡などは、な」

 思ってもない言葉を耳にした驚きに、すぐ横にあるルッカの顔に視線を投げる唐巣。

「どうした……私が情を見せるのがそれほど珍しいか?」



「珍しい、というより――――贋者か?」
 およそ2週間の訓練期間の間で初めて見た指導教官の態度に、思い切り戸惑ったのだろう。得体の知れない上に失礼さも加味された質問をぶつけて返した。



「本物だ」
 失礼な生徒の言葉に、ルッカは不機嫌極まりない口調と態度で応じる。



「……そ、そんなことより早く外に出ないと!僕が身体をミスト化して外まで運びますから、唐巣さんは後からついてきて下さい!」
 慌てた口調で叫びつつ、問答無用でルッカを巻き込みながらその身を霧と化すピート――既に、ルッカの胸に刻み込まれた傷口から流れ落ちる血液の勢いは失われ、傷口の大きさにも関わらず、滲み出るような量をじわじわと出しているに過ぎなかった。




















 ――――というより、もっと早く気付け……お前ら。





















 ピートが地下墓地に入ろうとしていた頃に残っていた夏の熱気は、乾いた夜気によって払い尽くされ、火山特有の硫黄分を含む、臭気を帯びた風もどことはなしに涼しさを感じさせていた。


「……全く、夜だというのに暑いよなぁ」
 北国で生まれ育った唐巣以外には……。



 だが、唐巣が流れ落ちる汗を拭い去ったのは、その生まれから来るものだけではない。



 一人残された玄室前のホールからおよそ一時間……懐中電灯の灯りだけを頼りに走り通しで地上に戻ってきたのだ。汗だくになるのも無理はないだろう。

 その上で身体に慣れた温度より遥かに暖かい空気に包まれるのである。夜気による涼しさは殆ど感じることはないと言ってもいいだろう。


 荒い息を一つ、二つと続けて吐き、呼吸を整えようと試みるが、巧くいかない。


 慌てて駆け寄るピートを手で制した唐巣は、思い切り息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。


「悪い……落ち着いた」

 言葉とともに顔を上げ、唐巣は周囲を見渡す。

 そこには肋骨を一本引き抜かれ、肺にも傷を受けて死に瀕していたルッカの姿はなかった。


「えっと……あいつ――ファルコーニ…サンは?」

「彼は通信機を持っていましたからね……地上に到着した際に救援を要請していました。タオルミーナに駐留する軍のヘリコプターで市内の病院に搬送されたのは、30分くらい前だったと思います。
 彼の見立てでは、二時間は持ってくれる。ヘリでの往復の時間を加味しても、1時間もあれば輸血を受けるには充分だ――と言っていましたから……恐らくは今ごろ手術を受けているのではないか、と思いますよ」
 ピートからの言葉に、明らかな安堵が、唐巣の胸……そして表情に覗く。


「聞かせてもらって……いいですか?」

 唐巣の顔に浮かぶ安堵の色が、ピートの一声によって鈍い、真剣さを含んだ色に変わる。

「心配しなくても、『その時』が来れば協力はするよ。執行官になるのは止めるとは言っても、こんな力を持っちまった以上、使いこなして生きていく――それが『為すべき事を為せ』と言う神の声を聞いて力に目覚めた俺に課せられた行き方なんだしな」
 


「いや……僕が聞きたいのは、そのことなんですよ。持っている力を使いこなして生きていく、というのなら、ヴァチカンという組織にいる方が力を使いやすいんじゃないんでしょうか?」
 人の力……その中でも最大のものは、ちっぽけなはずの互いの力を組み合わせ、強力な魔の眷属にも立ち向かう事を可能とする組織の力であることを、人の世を旅して回ることで知り、そして、学んだが故の疑問であった。

「確かに……言う通りかもしれないな」ピートに応じて返した唐巣は一旦言葉を切ると、星空を見上げ――――穏やかな口調で続ける。「だけど、な。心を殺してまでもデカい組織に居たんじゃ、人の泣いてる声は聞こえやしないし……自分が人間だってことも忘れちまいかねない。
 それじゃいけないんだ。『為すべきこと』っていうものは誰に言われるってものじゃなく……自分の心に――自分に刻み込んだ『正義』に従って決めたいんだ。泣いてる人の涙を止めるって言う『正義』に従って、な
 なにより、ファルコーニ……さんが言ってたように、もし将来自分の力に振り回されて呑み込まれる時が来るとしても……それまでは叫んでやりたいんだ――『俺は人間だ!』ってな!」

「……そうですか。強い、ですね。
 ――僕にも、そんな強さを得ることは出来るでしょうか?」



「大丈夫さ――大丈夫に決まってる。第一、俺も変わることが出来たんだからな」
 半吸血鬼の少年のその問いに、唐巣は是で応じた。

 力強い言葉に頭半分長身の唐巣を見上げるピート。そのピートを見る唐巣の目には、優しい笑みが覗いていた。

 その笑みを崩すことなく続ける。

「ちょっと前の俺は……負けるのも折れるのも嫌いだった。何より、負けたり折れたりすることで変わるのが怖かったんだ。狭い世界でただ自分を押し通し続けたところで、何にもならない取り巻きばかりが増えるばかりってことも知らずにな……そんなわけで結局、心を許せるダチもいなくなっちまったし、親も俺から目を逸らすようになっちまった。
 だけど、孤独だった俺は変われたんだ。神の声を聞いてなんかじゃなく……どうにかして俺にまともな道を歩いてほしい、と願ってくれた波戸のじーさん……親にも見捨てられた俺を諦めることなく導いてくれた教会の神父の『誰かのために生きることが出来れば、それだけでいい』って口癖のお陰でな。
 こんな力に目覚めたのも何かの巡り合わせなら、誰かのために使ってやる――それが俺の『為すべきこと』だってな」

「いい方ですね……その方は……それに、貴方も」

「……そ、そうか」
 ピートの人懐こい笑みに、照れながら応じる唐巣。






 その顔には、自らの生きる道を悟った晴れやかさと力強い希望が満ちていた。

































 瓦礫を横に臨みながら蒼天の下で執り行われた早朝ミサには、およそ30人という近所の住人が集まっていた。



 瓦礫の中から引っ張り出され、修理されたオルガンが奏でるメロディに併せ、拙いながらも敬虔さの込められた聖歌が早朝の住宅街を優しく揺らし、目覚めの時を告げてからさらに十数分の後……差し入れとして半ば強引に渡された、手作りのクロワッサンが詰まった紙袋とブラックコーヒーで満たされたポットを前に、唐巣が口を開く。



「結局、タオルミーナの病院で面会謝絶されてしまったせいでルッカさんに逢うことはなく帰国することになったんだけど――幾つかの噂は聞いたよ。
 イタリアから帰った半年後……私が小竜姫様の下で修行を受け、本格的にゴーストスイーパーへの道を歩むことになったことで破門にされそうになった時には、当時の執行官長のバッゾ師に掛け合って破門を取り下げるように働きかけていただいたとのことや、除霊に陰陽の技法を取り入れて破門になった時にも、異端として処断されるのを止めて下さった、ということ……それに何より、絶えず息子の自慢をしていたことなんかをね」


「――――そうですか……父が、私の――」

「……ルッカさんのことは聞いているよ――――気の毒だったね」
 沈んだ口調で応じる“隼”の二つ名を継ぐ男、エンツォ・ファルコーニに向ける唐巣の言葉は、あくまでも優しい。



 しかし、その優しさが、ファルコーニに痛みを強いる。



 強いられた痛みに耐えかねたかのように……銀髪の執行官は口を開いた。
「――その父を撃ったのは、私です。
 私にとっては、父である以前に指導者でした……その教えを守り、堕天使化した父を撃ったことを納得はしていたと思っていたのですが――正直、10年経った今になって、それが正しかったのかどうかが判らなくなってきました。
 貴方が送った報告にあった、魔装術使いの…………日本人の姿――古き神との不利な戦いの中にあってもなお、暴走し、魔族と化す危険を常に孕むはずの魔装術に振り回されることなく戦い抜いた彼を見たことで――人の心を切り捨てる我々の戦い方は本当に正しかったのか、という疑問に揺さぶられてしまいまして…ね」

「……雪之丞に、会ったのか――」
 かつては敵として戦い、香港での共闘を経て得た一人の“友”の姿を思い浮かべるピート。

 『天国のママに見てもらうために』という理想の下、強くなるためならばいかなる修行や労苦を己に課す求道者でありながら、ともすれば暴走しかねない魔装術という名の暴れ馬を乗りこなし、あくまで人たらんとする姿勢を貫く雪之丞の激しいまでに一本気な熱気を前にしては、心を凍らせることで強さを維持しようとする神罰機関のやり方に疑問を持つのも無理もないことかもしれない――半吸血鬼の少年は、そう感じ取る。
 

 そして、そう感じ取ったのは、唐巣もまた同じだった。

「なるほど――彼に会ったのなら疑問を抱くのも判らなくはない。彼の強さの源はその強すぎるまでの意志の力であり、激情と言ってもいいほどの感情の力だ。執行官にもっとも求められる、理性を前面に押し出すものとは明らかに違う強さの引き出しを持っているからね。
 そして、その疑問を晴らすために私を訪ねた、といったところかな?心を殺すやり方に異を唱え、執行官への道を捨てた末……異端と断じられ、勝手に教会を建てながらも不問とされ、処断されることがなかった……ヴァチカンの下した唯一の例外といってもいい決断の対象である私を……ね」

「有り体に言えば、そうです」
 唐巣の問いに銀髪の青年は頷く。「自らの全てを理性の下に統合し、コントロールする――執行官のそういった戦い方の全てが間違っている、とまでは思ってはいません。しかし、人としての感情を零し落としてまで戦いに臨む、というやり方が正しいのか……心を捨て、己を人ならぬものに完全に堕としてまで得る『正義』に価値はあるのかが、判らなくなりました。
 そして、悩んだ末に貴方という存在に思い当たりました。人ならぬ力をその身に宿しつつも、人であり続けることに拘って正義を行い、ヴァチカンにおいて“神の公正”の名を冠するにまで至った世界最高の悪魔祓い……唐巣和宏という、私にとっては最大の矛盾とも言える存在に――」




 碧眼が、レンズの向こうの黒瞳を捉える。



「大した言われようだけど……私はそんな大それたものじゃあないよ」
 視線を正面から受け止めた上で、苦笑とともにファルコーニの言葉を否定しつつ、黒髪の聖職者は言葉を継ぎ足した。
「私は、ただ単に自分の誓いに従っているだけに過ぎないよ。私が執行官となるべく選んだ銃に誓った『自分に関わる全ての人の平和を守りたい』――そのたった一つの決意にね。そして、その誓いに従っている限り、私は神の声を聞くことが出来るんだ。『汝の為すべき事を為せ。そのための力を汝に与える』という声を――」


 抜けるような秋の空に視線を投げ……唐巣は続ける。


「だけど、ちょうど君と同じぐらいの歳の頃だったかな……破門されたこともあって自暴自棄になっていたのと、私の力では救いたくても救うことの出来ないとある事件とが重なってね――自分の無力さに絶望するあまり、私にも主の御声が聞こえない時があったんだよ。
 しかし、その迷いの最中に出逢ったGS見習の少女の――君も名前だけは知っているだろう?かつてヘルシング教授の門下生でも『天才』と称されるほどの実力を持っていた美神美智恵くんの、決して諦めないひたむきな姿を見て悟ったんだ。諦めと迷いの中で、私は何時の間にか誓いを忘れていた、ということを……だからこそ、私の耳には神の声は届かなかった、ということをね」

「美神……というと、あの美神さんの?」
 ふと出てきたよく知る名前に、思わずピートは横から口を出す。

「ああ、5年前に亡くなった、彼女の――美神くんのお母さんだよ。彼女がもし生きていたなら、美神くんも多少はマシに……いや、これは失言だったかな」


 比類なきまでに失言だが、あいにく、ピートにはそれを否定するだけの材料の持ち合わせはなかった。


 ピートの乾いた笑いに気付き、照れ隠しに頬を掻きながら唐巣は続ける。
「……話が妙なところに逸れてしまったけど……私はこう思うんだ。
 『汝、迷うことなかれ。汝、疑うことなかれ。信じよ、されば救われん』という言葉はね……他でもない、自分自身の心に住まう神をどれだけ信じることが出来るか、と言うところにあると――そして、自分自身の心に住まう神……良心といってもいい――これを信じる者にこそ、主は恩寵を与えてくれるとね」

「心に……住まう神――ですか」
 唐巣の言葉に、銀髪の武装執行官は思わず呟く。
 

「そう――――そして、これが私が異端と呼ばれている最大の理由だと言ってもいい。唯一絶対の神に仕える身でありながら、天に住まう神の他にもう一つの神の存在を語っているんだからね」
 優しい瞳で悩みに囚われた青年を見つめ、続ける。
「もちろん、かつての私や、今の君のように、悩む心や迷う心も人間ならば当然持っている。いや、持たないといけない――そうでないと、心というのは容易く折れてしまうからね。
 かといって、少しの間立ち止まって休むのはいいが、いつかは前に進まなければいけない以上……その支えになってくれる最大のものは、やはり他でもない自分の心なんだよ。そして、私の心に無尽の力を与えてくれるのは――他でもない、彼らなんだ」
 視線をファルコーニから外し、瓦礫の山となっている教会へと向ける。



『頑張れー!みんな張り切って、ダンナのお家を直すんでーい』
 そんな声援を背に瓦礫を取り除いていく十数人の老若男女が、そこにはいた。

「っ…………彼らというと……あの…『野菜』も含めてでしょうか?」

 振り返り――――見てはいけないものを見て、凍った心の持ち主であったはずのファルコーニも碧眼を丸くする。




 ――――見るな!忘れろ!!




 唐巣は一つ咳払いをすると、目の前でシュールな映像を見せる悪夢からピントをあえてずらして応じる。
「は、ははは――あれに関しては…………………忘れてくれないか?」

 辛うじて平静を保ちつつそうは言ったものの、師の頬に伝う汗に気付き、弟子もまた端整な顔立ちを引きつった笑みに変えていた。



 自分の季節は過ぎ去ったからと熱心に声援を送ったり、食べてもらうべく真っ赤に色づこうと瓦礫の山の上で光合成にいそしんだり、近所の奥様から有機肥料の差し入れを頂いたりと、シリアスな空気を一気に台無しにしてくれた野菜どもは置いておいて、唐巣の話は続く。
「彼らの大半は、かつて霊障に悩まされた末に私を頼ってきた人たちでね。
 彼らは純粋な信仰心から、主と彼らを繋ぐ寄る辺として私を頼ってくれた……そして、孤独な戦いに挫けそうになった時にもなお、彼らからの気持ちを受けて力を引き出せる私がいた――そうした戦いを何度と経たことで知ったんだ。『誰かのために生きることが出来れば、それだけでいい』……かつて、恩人に教えられたこの言葉に込められた真理――人は、一人じゃあ生きていけない。自分が他人を守っているようで、実は自分も他人によって守られている――ということをね」

 目の前の青年に向けてというよりはむしろ、今は亡き人生の師への思いを乗せた薄い笑みを零した唐巣は、遠くを見つめる眼差しでさらに語る。
「君も執行官だから、果てしなく孤独な『護る戦い』を続けてきた事は判るよ。だけど、相互に護り、護られている……これを悟ることは、心の繋がりを経てはじめて出来ることなんだと私は思うんだ。
 心と言うものは確かに移ろいやすく、弱さを生み出すものかもしれない。私が以前見た、堕した挙句の果てに吸血鬼になってしまった執行官のように、悩みを抱えたまま生きることは、執行官としては大きなマイナスであることには違いはないだろうね――だが、辛い時には愛する人たちや仲間、そして、神がそこにいることを心が感じている限り、その困難を乗り越えることは不可能じゃあない……そして、私は心を取り戻したことでその一歩を踏み出す機会を得た君を――――祝福するよ!」

 聖職者としてではなく、同じ道を歩んだ先達として、いつもの温和な語り口に力強さを加え、唐巣は言い切った。


「でしたら、一つ頼みがあります――――その一歩を……今、ここで踏ませては頂けませんか?そう……彼らのような敬虔なる神の使徒と並んで歩むことを第一歩とすることをお許し頂きたい」
 やや戸惑いの覗く声で訪ねながら、カソックを脱ぎ、テント下のパイプ椅子にかけたファルコーニに、同じく法衣を脱ぎ、ややくたびれたトレーナーとパンツと言う軽装になった唐巣は「……ありがとう」その言葉とともに頷きで返した。


「お心遣い、感謝します」
 一礼し、瓦礫の山と化した聖堂へと歩を進めるファルコーニを眩しげに見つめながら、やはり作業をし易いようにシャツの腕を捲り上げたピートに、唐巣は声を掛ける。
「ピートくん……やはり、彼も『人間』を捨てることは出来なかったようだね。君がそうであるように、人と人ならぬものの間で揺れ、そして――激しい痛みを感じながらも、人たらんと足掻いている。
 やはり、年かな……そんな姿を私は美し――――」

 ――――言葉は、途中で途絶えた。





 ――――何故か?


 瓦礫の山の片付けに行こうとしていた心算のファルコーニが、何故か家庭菜園の方向に向かっていたからだ。



 たった十数メートルの距離を真っ直ぐ向かっていたはずが、いつの間にやら曲がっている――――方向音痴もここまで来ると、芸術の域に達しているといってもいいかもしれない。


 が、暢気にそんなことを考える暇はなかった。

 唐巣とピートがあっけに囚われるとほぼ同時――ファルコーニが家庭菜園の前に立ったその瞬間に、おのおの気ままに行動していた野菜達の本能が見知らぬものの犯した行動を縄張りを荒らされたとみなし、問答無用で総攻撃を開始したからだ。


 微笑みとともに空を舞うトマト!!

 巨大な一つ目を血走らせて狂戦士の如く襲い掛かるナスビ!

 哄笑を撒き散らしながら踊りかかるペポカボチャ!!

 ロケット弾を思わせる軌跡を描いて飛来するトーキビ!

 矮躯を活かして潜り込んだかと思うと、跳躍とともに痛烈な回し蹴りを放つダイコン!

 ガトリング砲の弾丸の如く、外敵を貫こうと一直線に襲い掛かる大豆の群れ――――って……なんか増えてるぞ!

「――っ!?」
 あまりの馬鹿馬鹿しさに半ばあっけに取られたファルコーニに、容赦ない攻撃が降り注ぐ。

 唐巣の敷地に棲む……いわば唐巣の家族といってもいい彼らに対して反撃していいものか――また、シリアスな思考回路の持ち主であるファルコーニにとって、突然世界をギャグに塗り替えられたことで思考を停止した状態だったことが災いした。

 ナレーションも無視しきれないほどの自己主張を開始した野菜達の攻勢にさらされたファルコーニが<戦>里眼を発動させることも出来ずに被弾し、花畑の向こうに佇む父の姿を見たのは……ペポカボチャのジャック・オー・ランターンの初撃を受けてから数えて、コンマ4秒後のことであった。





















 ――――21時19分・成田空港……かつて、コブラで強行突入を果たしたこの空港のバス・ターミナルに、GS・唐巣和宏は弟子である半吸血鬼・ピエトロ・ド・ブラドーとともに降り立った。

「手伝ってくれてありがとう……それに、あんな仕打ちをしてしまって済まなかったね」
 後ろを振り返り、遅れてバスから降車する長身の青年に声を掛ける唐巣。

「そうお気になさらないで下さい。幸いにもこうして怪我らしい怪我は残ってはいませんし、気を抜いて彼らの住処に足を踏み入れてしまった私にそもそもの非があるのですから」


 恐縮して頭を下げるファルコーニにさらに頭を下げて詫びる唐巣。



 ――どうでもいいが、出入り口のまん前で立ち止まるな、お前ら。



 それを代弁するかのように、たまりかねたバスの運転手がクラクションを一つ鳴らした。

 エア・ホーン特有のどことなく間の抜けた音が響く。

「はは……先に行こうか」その音に慌てて顔を上げた唐巣は照れ隠しの苦笑一つを見せ、小走りにその場を立ち去る。

 とはいえ、申し訳ない、とばかりにその場から数歩離れたところでバスを降りる乗客とバスの運転手とに深々と一礼を向けることを、この善良なる神の使徒は忘れてはいなかった。



 四六時中光が乱舞し、日本語と英語を中心に構築された、様々な言語によるざわめきの絶えぬこの不夜城を三人は歩む。
「――それにしても、もう少しゆっくりしてくれてもいいのに」

「そういうわけにもいきませんよ。私がかつて聞いた神の声は『我に身を寄せる者の盾になれ』ですからね。貴方が『為すべきを為せ』という言葉に従うように――私も主の言葉に従い、一人でも多くの人々の盾にならなければならないのですから、ね」
 出国ゲートを前にした“隼”の名を冠する執行官は振り返りつつ言うと、息を一つつく。
「いや、ならなければならない、というのは少し違うな――神の使徒としてではなく、一人の人間として悪魔や亡霊に苛まれる人を救いたい……そのためにも、私は一刻も早く帰国したい――今は、そう思っています」
 その瞳は、真っ直ぐに前を見据えている。


「そうか――じゃあ、引き止めることは出来ないね」
 道具としての『神の盾』ではない、文字通りの『生きた盾になる』強い意志の込められた眼差しと言葉を前にした唐巣は、ただ笑みとともに返すだけだった。

「――――オルガンを直してくれたことには、感謝している……それと―― 朝はすまなかった」
 殴りかかったことを詫びるとともに、ピートは右手を差し出す。

 素直に差し出された右手を握り返すファルコーニが、「最近、魔の眷属の動きが活発になってきています」ふと思い出したかのように言葉を紡いだ。
「――香港の一件の中心にいたメドーサが東欧でも暗躍していた、という情報も耳にしましたし、ヨーロッパの各国でも強力な魔族が出現しています。
 近いうちに、何らかの大きな動きがあるかもしれません。その時には――」

「判っている、協力するよ……私も、ピートくんも……そして、君もまた神の使徒だからね――『彼の重荷を背負わん』という言葉は知っている心算だよ」
 応じたのは、優しい笑顔だった。



「では――私はここで」一礼し、ゲートに向かう銀髪の聖職者――。

「そうだね――また会おう」軽い笑みとともに応じる黒髪の聖者――。

「『その時』には僕も手伝うよ」金髪の若き半吸血鬼――。

 ――それぞれが異口同音に言葉を発した。

『In Nomine Patris, et Filii, et Spritus Sancti ――――――A-men(父と子と聖霊の御名において ――――――アーメン)』

 誰が始めたというでもなく、自然に十字を切り、唱える聖句――神に仕える三人にとって、別れの言葉や抱擁よりも似合いの……再会を期した挨拶であった。





















 空港から戻った二人を待っていたのは、深夜の教会にわだかまる人影とざわめきだった。

 訝しげに駆け寄る二人に慌てて飛びついたのは、かつて酒毒の妖怪にとり憑かれていた貧乏大工・亀井だった。
「せ……先生!!あの……今日ミサを手伝ってくれた外人さんが――こんなものを!!」
 亀井手に握った紙切れを唐巣に渡す。
「『教会の建て替え費用に充ててくれ。先生には内緒だ』って言われてんですが……なにぶんにも額が額ですし――って、先生!大丈夫ですかっ!!」

 眩暈を起こし、倒れた唐巣の手からこぼれた紙切れ……一枚の小切手には、1400万円と言う額が記載されていた。



                EXILE・外伝〜ピースメーカー〜――了――

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