ザ・グレート・展開予測ショー

結婚前夜


投稿者名:不動
投稿日時:(05/10/23)




『あなたと別れるわけじゃないの ただ、そっと離れるだけ
 けれどもう、2人の線は交わる事はないの』


 備え付けられたラジオから流れている歌は失恋の歌。


『だから、あなたにはサヨナラという言葉でこの日にピリオドを
 それがまた、2人の始まりとなるはずだから』


 バラード調の女の声は優しく、悲しげなものでささくれ立った心を静めてくれるようだ。


 男が一人、夜の路地裏の屋台で酒を飲んでいた。年は40を越えたか越えないかぐらいだろう。男のチビチビと舐めるように酒を飲む様は、少ない小遣いで少しでも味わおうといういじましさのようにも見える。何かを惜しんでいるかのように、まるで酒を飲む時間を少しでも引き延ばそうとするかのように、明日という日が来るのを少しでも遅らせようとするかのように。

「明日………か」

 何度目の呟きになるのか分からぬほどに口にした言葉。あと一ヶ月……半月……1週間……明後日……そして明日。明日なんて来なければ、時が進まなければいいのにと何度思ったろうか。けれど時は無常にも止まることなく変わらぬ明日を迎えようとしている。

「……やれやれ」

 男は俺も弱くなったもんだとため息を吐きつつ、ようやく酒が3分の一程になったコップに継ぎ足そうと日本酒のビンに手を伸ばす。

「そこまでしておいたらどうだい? 横島君。 新婦の親が酒臭いなんてかっこつかないだろう」

 と、背後から呆れ混じりの声がした。そこには男より少し年上ぐらいの長髪の男が立っていた。

「……いいんだよ。そしたら行かないだけだからな。大体お前何しに来やがった」

 声に振り向きもせずに変わらぬゆっくりとしたペースで酒を飲み続ける横島。

「君の奥さんに頼まれたんだよ。『どうせいつものところで飲んでるだろうから迎えに行って』とね。全く……今の僕を電話越しにこき使うような人は君の奥さんぐらいなものだぞ?」

 と、横島の隣の席に腰掛けながら勝手に新しいコップに酒を注ぎ始める男は西条。

「俺が惚れた女だからな」

 ニシシと惚気ながらの笑みを浮かべる。西条が困るという事は多くても多すぎるという事はない。少し沈み込んでいた心が浮き始めた。

「ふん……しかし君も案外ベタな男だね。娘の結婚式を明日に控えた父親が場末の屋台で一人で酒を飲むなんてB級ドラマでもお目にかかれないよ」

「うるせぇよ……」

  
 明日は横島の娘の結婚式だった。過去の恋人ではない。

 結局彼女との再会はならなかった。外見も性格も彼女と似ている部分はほとんどなくヒャクメの「この子は彼女じゃないのね〜」という間延びした答えがとどめをさした。正直どちらでもよかった。いや、ほっとしたという面が強かったのかもしれない。
 
 そんな娘も成長し、親から離れる時が来た。




『運命だなんて言葉は使いたくないの 2人で過ごした日々は2人だけのもの
 離れるという結末も、きっと2人だけのものだから』




「――やっぱり、辛いかい?」

 西条は訊いた。娘を嫁に出すのが? という意味なのだろうか、自分でもよく分かっていなかった。横島の事情を知ってはいても心情など何一つ理解していないくせに無責任な言葉を吐く自分に戸惑いがあったが、酒のせいだという事にした。


「俺は別に……な。今の俺よかあいつのほうがずっと辛かったろうに。苦労ばっかりかけさせちまって」

 素直に答えるのも酒のせいか。苦味を含んだ過去を振り返る。お世辞にもあの時の自分はいい男でもいい亭主でもなかったなと言葉を続けた。


 今思えば周りが見えていなかったということだ。渦中の人間よりもそれ以外の人間に負担がかかる事はよくある事なのに。

 娘が生まれ変わりではないという事に残念さだけでなく安堵が入り混じった感情があったのは事実。しかし、それはそれとして家族を愛する決意をした時に妻から離婚届を渡された。訳が分からぬまま問い詰めた横島に妻はこう答えた。


―――ごめんなさい……あの人を生んであげる事が出来なくて


 寂しげに言う妻を強く抱きしめる事しか出来なかった。バカヤロウとかふざけるなとぶつけたい言葉はあったのに、謝る事しかしない腕の中の妻の前にそれは消えた。逆に自分の馬鹿さ加減に呆れ果てるほどだった。

 過去の自分を知っているのなら、あの時の戦いを知っているのなら、あの時の結末を知らないはずがない。自分の娘として再会し愛情を注ぐという結果は、それこそ犠牲という周囲の後味の悪いものから拾い上げた希望というものだった。あくまで可能性という話だったが。

 だからこそ、その中で自分の子供を産むという事がどれだけの重圧だったのか、どんな気持ちで生もうとしているのか。それを分かろうとも、知ろうともせず、ただ娘に彼女が宿るのかどうかを気にかけていた。


 その結果が自分の腕の中で謝り続ける妻の姿だった。


 ごめん、と一言だけ告げて強く強く抱いた。また、同じ間違いを繰り返すところだった。自分の言葉に敏感に反応し、びくっと震える姿に、ここまで追い詰めていたのかと悲しくなった。彼女は自分がルシオラを産む事を望んでいると思い己の中の感情と葛藤していたのに、自分はそれに気づくことなく悩んでいただけだった。大切なものは目の前に、自分の腕の中にいる人だと、これか共に歩き生きていく人だと知っていたはずなのに。

 
 過去に囚われて現在を踏みにじっていた。

 
 運が良かったのは、失う前にそれに気が付くことが出来た事。腕の中でようやく落ち着いた彼女に対して逆にやり直そうと泣き倒し、謝り倒し、逆切れ、自分の持つ交渉術を最大限に使い、しまいにはやり直してくれないと死んでやると脅したりもした。 


 それからは派手な喧嘩もなく順風満帆に……いや、周囲の人間や娘すら敬遠するほどの仲の良さで過ごしてきた。


 その円満家族で、娘が結婚したいと相手を紹介してきたのはちょうど1年前の事。当然自分は怒り狂い、友人の持つ国家権力を使い住所を調べ、相手の男の家に『爆』『砕』『滅』の文珠を投下しようとしているところを娘と妻に実力で阻止されている。
 
 妻には怒られ、娘には泣かれ、自分には賛成するしか道は残っていなかった。せめてもう少し待てないかと、二十歳になったばかりの娘に譲歩案を提出するも、

―――私、惚れっぽいから。躊躇いたくないの。

 と、どこかで聞いたような言葉を返されて、しょうがないかと許してしまった。 


「ま、君の女遊びに苦労をかけたのは確かだろうけどね。安心したまえ。端から見ると君も奥さんも幸せそうに見える……十分にね」

「娘が生まれてから女遊びなんかしてねえって」

「この間ピート君が高級クラブでの飲み代をGメンの経費で落とせますかときいてきたんだけどね。ひどくうろたえた顔で」

「………………………」

「それに僕のところにも身に覚えのない飲み代の請求書が回されてくる事があるんだけどね。話を聞くと僕の名前で飲み食いをしているグループがいるそうだよ」

「……真面目なだけじゃ生きていけないってことさ」 

「……この件のことは覚えておこう。で、何時までここで飲んでるんだい?」

 西条が訊いた。横島が何時から飲んでいるのかは分からないが西条がここに来てから1時間を過ぎようとしている。時間にして9時半というところか。

「……もう少しだけ、な」

 と、横島の気だるげに、何かを惜しむような言い方に西条はヤレヤレとため息で返した。横島が今日に至るまで平坦な道のりではなかった。少しぐらいは感傷に浸るのも父親の特権というものかと西条自身にもよく分からぬ理論ながら。


『あなたのサヨナラという最後の言葉が一番優しくて
 最後はきっと、私も笑えたと思う』

 
 
 2人の間には会話もなくなりラジオから流れる歌だけが屋台に響いていた。

 静かに時を刻んでいた。



「お父さんっ!!」

 それを破ったのは女性の声だった。

「ん? 何だ、どうしたんだ?」

「どうしたんだ? じゃないわよ。全く……ちょっと出かけてくるって行ったっきり帰ってこないで……あんまり遅いから迎えに来たんじゃない」

 酔っ払った父親とそれを迎えに来た怒る娘の図。

「これから帰ろうと思ってたんだよ」

 決まり文句な受け答えをしても横島の顔は穏やかである。

 なるほど、ただ感傷に浸って酒を飲んでいただけではなく娘が迎えに来るのを待っていたという事か。見ると横島の娘の顔も不満げながらもどことなく楽しそうだ。おそらく娘自身も父親を迎えに行くのを待っていたという事だろう。父と娘の最後のふれあいという物か。

「何ニヤニヤ笑ってるんですか! 西条さん! お母さんが『きっと頼んだ西条さんも一緒になって飲んでる』って言ってたけどその通りじゃないですか!! お使いも満足にできないんですか?」 

 と、両者とも素直でない親子を見てニヤニヤと暖かい目で見ていた西条に気づいた娘から言葉の刃が襲う。

「ち、違うんだよ。君のお父さんがもう少しって言うから」

「弁解はいいです。そんなだからまだ独身なんですよ!! もう!! 明日は私の結婚式なのに2人して〜〜」

 鋭すぎる刃が西条を襲う。

 別に独身貴族を気取るわけでもないがそれほど焦りを感じてるわけでもない。気が付いたら責任のある立場に自分が立っていて、軽はずみな行動を慎まなければならない状況になっていただけである。もしも自分の立場がもう少し低ければ好きなように恋愛し、好きなように結婚していただろう。

 けれどこうにも、あからさまに言われてしまうと傷つくというものだ。それも知り合いの娘に言われてしまうと。

「ほれ、あんま西条いじめんなよ。帰るぞ?」

 珍しく助け舟を出す横島。もっとも、自分の娘が西条と話しているのに嫉妬をしているという面もあるのかもしれないが。

「わかったわよ……じゃあ西条さん、さようなら。明日は遅れないでくださいね」

「あ、ああ、分かってる……気をつけて帰りたまえ」

「じゃあな西条」 



 嵐のような親子が帰り、残ったのは傷ついた男だけである。

「……もしかしてここの支払いは僕が持つのかな」

 そういえば、2人とも支払いの事には全く触れずに帰っていった。

(まぁ、このツケは今度横島君に払ってもらうとするか。今までの分を含めてね)

 とにやりと笑う。今まで自分宛に来た請求書は全て保管してある。店への聞き込みと証言内容も取れている。それを渡せば娘が嫁に出て、少し寂しさの漂う夫婦間にはちょうどいいスパイスになるだろう。辛すぎるかもしれないが。


「勘定は横島忠夫につけておいてくれないか?」

 最初からずっと黙って新聞を読んでいた店主に告げる。

「あんた名義のつけも溜まってるんだけどな」

「………それも全て横島忠夫名義にしておいてくれ」


「……はいよ、毎度」

 店主の忌々しげな機嫌の悪そうな声に苦笑しつつ、暖簾をくぐる。 

 酔い覚ましに歩きながら明日のことを考える。

 おそらく明日の結婚式も一悶着あるだろう。ここまでの彼の殊勝な態度は擬態で周囲を油断させる明日のための布石なのかもしれない。自分の娘を攫うか神父を攫うか式場を破壊しようとするか……要するに、ただ祝うだけじゃ癪で面白くないという事である。

 


 明日が楽しみだと楽しそうな笑みを浮かべながら夜道を男が歩いていた。






 

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