ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE・外伝〜ピースメイカー〜(後編) (GS)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/10/ 4)

 赤みを帯びた魔力の光は、唐巣とルッカそれぞれを霞めるだけにとどまった。

 肩口を霞めた空気を焦がすきな臭い匂いを感じながら、唐巣はピースメーカーの銃爪を二度引く。

 見た目に躊躇するだけの余裕は、唐巣にはない。

 今必要なのは、見た目からは想像もつかない力を有する吸血鬼をこの場で倒すこと――さもなくば、800年前に一度封じられたというこの吸血姫は、殺戮と数少ないまでも強力な眷族を世に生み出すことになる。

 発射した銃弾二発を首を横に逸らすことで簡単に回避されるが、『必殺の弾丸を見切っている』という格好のアピールとなるこの行為も、唐巣が抱く不退転の決意を揺るがすには至らない。

 方法を変えるべく、首にかけたロザリオを左手に握る。

「主は言われた……『肉をその命である血のままで口にするべからず。汝らの命の血を流すものに我は必ず報復するであろう。我はいかなる獣にも報復する』!!」
 右手に銃を、左手に十字架を握り締め、聖句を呟いた。

 それに伴い、唐巣の左手に握られた十字架を核として空気が白く輝く。

 瞬間の後、聖句によって神聖さを付加された霊力の塊が左手から解放され、かすかに赤みがかった金髪の吸血姫を、やや遅れて再び放たれた一発の銀の銃弾とともに襲った。

 また躱される――というピートの懸念はコンマ1秒にも満たない時間で霧散した。

 放たれた銀の銃弾は霊気の塊を貫き……そのスピードを緩めることなく紅いドレスの吸血鬼に襲い掛かっていたからだ。


 ただでさえ破邪の力を持つ銀の弾丸に、更に効果を持たせようとして工夫のなされた白銀の拳銃……その十字架を刻み込まれたグリップを通して増幅された持ち主の霊力は、撃針に集められることで弾丸に宿り、更なる浄化の力を弾丸に加えることになる。

 その弾丸が、神霊力の塊にとって、いうなれば散弾銃の撃針の役割を果たしていた。

 追いつかれ、貫かれた上で追い抜かれた神聖な霊力の塊は、さながら水の大量に入った風船を投げつける最中に銃弾で撃ち抜いたかのように爆ぜ、扇状に拡散する。

 再び銃弾を殆ど動かずに躱すことで、圧倒的な力量差と余裕を見せようとしていたクラウディアに、突然拡散した霊気の弾丸を躱す術はなかった。

 白い光を帯びた幾百の霊気弾の群に呑み込まれる寸前、クラウディアは両の掌を前に差し出す。

「ふむ……なかなかやるではないか?」

 両手に纏った魔力の紅い塊によってその威力を相殺したクラウディアが満足げに微笑みながら呟く。

 そのドレスの端々には唐巣の放った攻撃によって幾つかの穴が生じており、所々から白い肌が覗いていたが、その肌を破らず、血の一滴も流れていないことから、霊力の散弾はクラウディアにとっては目晦まし程度にしか効いていなかったことを如実に物語っていた。


「ち……効いてねぇか。それに、連射が出来ないんだったら意味がないな」

 咄嗟に思いついた攻撃がさほど効果を現さないことに毒づく唐巣に、クラウディアは余裕の笑みとともに言う。

「確かに、効いてはいないが……それでもなかなかにいい感じではあるぞ。それに、800年前に私を異界の狭間に封じた魔法使いは生真面目な奴でな――楽しむ暇を与えることなくあっけなく封じてくれよったからな……お前達は、違うよの?」

 見た目と大きなギャップを持つ妖艶さを湛えた笑顔でくすり、と笑むと、降りかかってきた拳を左手一本で受け止める。

「話は最後まで聞け、とブラドー坊やには習わなかったかの?」

 饒舌に述べる隙に飛び掛ったピートの右拳に爪が立つ。握り締めた拳を無造作に放り投げたクラウディアは、爪に残ったピートの血をどことなく恍惚さの潜む表情で舐め取りながら……言った。

「ブラドーがまともに子育てが出来ると思うな!大体アレのお陰で僕がどれだけ苦労していると思っているんだっ!」
 対して、叫びで返すピート。拳から滴り落ちる血はその叫びが空気から消えるとともに収まっていくが、頭に昇った血の方はそうはいかないとばかりに表情には明確な憤慨の色が伺える。

「確かに、ブラドー坊やに子育ては似合わんとは思うが……息子にそこまで嫌われるとは坊やも不憫よの?」

「なにをっ!」
 くすくすと笑みを溢すクラウディアになおも噛み付こうとするピートだが、その背後に駆け寄った黒髪の少年がそれを押し止める。

「冷静になれよ…………ピート?
 ただでさえ強い相手だというのに、そんなに頭に血が昇りすぎてると、更に勝ち目がなくなるぜ?」
ピートの肩を叩いて一声かけた後、唐巣は首を僅かに巡らせてクラウディアに視線を叩きつけながら、続ける。
「第一、お前……自分がブラドーの息子だって名乗りを上げたか?」

 言われて、ピートは唐巣に向けていた視線を紅衣の吸血姫に向ける。

 視線の先のクラウディアは頬を笑みの形に崩し、さながらこちらがどう動くかを興味深げに観察するような眼差しを見せている。

「こっちの意識を読み取ってるのか、どこかで見ていて俺達の会話を聞いていたのかは判らんが……奴は俺達のやることをあらかた読むことが出来るだろうし、さっきのように空間を渡ることも出来るんだ。単純なやり方だけで勝てる相手じゃないだろ?」

 言いながら、ハンマーをコッキングする。


「やり方は、前もっていろいろ策を練った上でここに来たお前が一番持ってるだろ?従うから……援護は任せろよ」
 唐巣の覚悟のこもった眼差しが、ピートの意識に冷静さと熱を両立させた。

 ピートは頷きとともに、懐に手を伸ばす。
「精霊石よ」
 ホールに残るほの暗さが、ピートが懐から取り出した精霊石によって振り払われ、昼間の明るさに塗り替えられる。


 光に照らし出される二人の顔に、諦めの色はない。

 

「そうそう……それでないと、私も張り合いがない――もう少し、楽しませてくれよ?」
 微かな勝機をも見逃さない、といわんばかりの確固たる意志の光を宿した瞳の色を向けられ、クラウディアが満足そうに微笑みながら呟いた。



 





















 魔力を凝集した紅光の軌跡は、背中から近寄りながら自分を霞めるかのように伸びている。

 一瞬に間合いを陥れたクラウディアを察知すると同時に、自らの“特別な目”を呼び起こしたことで直撃ではないことを既に悟っていたルッカは、間合いを詰めに掛かったヴァレンティノに銃口を向け、フルオートで残弾を撃ち込む。

 銃身を横に倒して銃爪を引くことで反動を利用して水平に薙ぎ撃つそのやり方は、一般に銃と剣とが対峙した際に突かれる、『弾丸の軌道を読みきった上での間合いの侵略』に対しての効果的な対処法だった。

 だが、それはたった一斉射――それも、弾倉に残った弾丸は6発のみ……一秒にも満たないそれを躱されれば、ヴァレンティノの振るう長剣に対してルッカに対処できる術は一切――ない。

 それはヴァレンティノも充分理解していた。

 この『好機』を見逃さず、目前に迫った白銀の弾丸の一発をその剣尖で弾き飛ばした、かつて“獅子”のコードネームを戴いていた元執行官は……ただ一歩の踏み込みで互いの間に存在していた6mの間合いを2mにまで縮めていた。

 2mの間合いは、腕の長さと長剣の刀身……この両者が合わさった上でもっとも殺傷能力を発揮する、言わば必殺の間合い。

 そして、その生を人に仇なす魔の眷属を斬り伏せる道に捧げ、日々研鑽を続けることで並の達人すらも大きく凌駕する域にまで達していた上に、吸血鬼として生まれ変わることでその力量をさらに数段跳ね上げた、かつてウーゴ=ヴァレンティノという人間の名を持っていた吸血剣士の本気の一閃は、防弾・防刃効果の極めて高いケブラー製のコートを斬り裂き、“隼”のコードネームを持つ執行官の薄皮一枚から血を滴らせていた。

「――今の一撃も……<戦>里眼で見えた……か。案外本気だったのにな」
 言いつつ、内心でほくそ笑むヴァレンティノ。

 ――このままでいい。

 いかにヴァレンティノといえ、かつての自分と同じく、ヴァチカン武装執行官の中でも特に高い実力を有し、“ノアの禽獣”と称される動物の二つ名を与えられた7人の一人であるこの男を斬り捨てることは余程の偶然がないと難しい。

 だからといって、互いに人外の域にまで達している者同士が戦っている以上、その力を出し惜しむこともまた出来ない。

 さもなくば、『偶然』という気まぐれな重石が勝敗の天秤に乗る以前にバランスは崩れ、天秤から弾き飛ばされた側は無残な死を迎えることは目に見えているからだ。

 故に、ヴァレンティノと戦うことはルッカにその最大の能力である人外の瞳――自在に光を操作することで360度の視界をもたらし、かつ、数秒の限定された予知能力をも与える<戦>里眼を絶えず使用させるほどのギリギリの域を強いる。そして、その力を許容量を超えるまで使用させることでオーバーフローを生じさせ、人間以上の存在として生まれ変わらせることで『人としての生』を終えさせることは可能だ。



 そして、この執行官をはじめとした強力な能力者の『人としての生』を奪い、便宜的に天使と呼ばれる“超越者”に変じさせることが、吸血鬼の中でも突然変異的に強力な魔力を有して産み落とされてしまったが故に、人間の血に宿る程度の霊力・魔力ではその存在を維持出来ないという皮肉な宿業を有してしまった主、クラウディアがこの戦いで彼に与えた使命であり、彼女の渇きを癒すための唯一の道でもあった。







 シチリア島の対岸に位置するイタリア本土の街……レッジョカラブリアに出現した悪魔……チューブラー・ベルを打ち倒し、その末に悟ったことがある。





 それは、自分のような『力』を持った存在は、暴走とは紙一重の存在であるということ……そして、自らの魂を蝕み、人間以外のものに書き換えようとしていくその『力』、そして、その力を持つに至った『運命』というものは、人間には到底抗い難いものである、ということだ。





 人としての生を喪った引き換えに得た悟りと呼び声――チューブラー・ベルを打ち倒した直後に聞こえた歌うような声が……今も聞こえる。


 『運命はキミを望んでいる。暗き闇と永劫の時の狭間に囚われた姫君を救い、彼女に忠節を尽くす運命に選ばれたキミを――』

 ただでさえ、人の心を捨て、ただ悪魔を切り払うだけの自分というものに疑問を抱いていたヴァレンティノには、その甘美な歌声に逆らうことは出来なかった。

 強敵を倒した安堵に息をつき、肩を叩いた仲間の胴を横薙ぎの一閃で切り払った瞬間の、解き放たれた意識。そして、陶酔した意識を満たす血の匂いが、彼の振り子を堕天と狂気の側へと傾け……止まる。

 至近距離で起こったはずの驚きと怒号が………………歌声に掻き消され、遥か遠くで聞こえていた。












 ――――その歌声が、今も囁くように耳元で響いている。

 『目の前に立ちふさがる敵の魂を斬り裂くんだ。キミの剣に血を吸わせ、彼の人から解き放たれた生命をキミの姫君に捧げよう』

 その歌声に混じる微かな嘲笑の響きに気付くことなく、ヴァレンティノは霊剣を振るう。

 “隼”ルッカ=ファルコーニの『<戦>里眼』を基軸とした予知と常軌を逸するほどに精密な射撃や、“狼”ロベルト=ガレアーノの『獣化』とそこから来る人間を大幅に凌駕したシンプルだが強力な身体能力など、人間の範疇から外れた理外の力を持つヴァチカン武装執行官の中でも“ノアの禽獣”と呼ばれる者達はそれぞれ特に並外れた異能の力を有している。

 それはヴァレンティノも然りだ。

 自らを覆うことで瞬発力や耐久力、破壊力を飛躍的に上昇させるだけでなく、霊具の力を限界以上に引き出し、本来以上の間合いを作り出すのみならず、対峙する者の精神を圧倒し、押し切る『抑圧』――東洋の武術で言う『氣当たり』をも可能にする膨大な霊力で相手を捕らえ、縛り、駆逐する。
 全てを支配する、と言いかえても過言ではない桁外れの総量の霊気を意のままにする――まさに“獅子”の異名に相応しい圧倒的な『力』だと言えた。

 しかし、ルッカがヴァレンティノの攻撃をいなし、躱し、反撃を試みるために<眼>を使用してもなお、吸血鬼となることでさらに強化された身体を有するに至ったヴァレンティノの斬撃全てを完全に躱すことは出来ない。


 剣閃が白銀の光条を描くたびに、斬気による血が薄く舞う。


 血が流れ、消耗するごとに……そして、<戦>里眼を使用すればするほど、クラウディアの望み通りにルッカは一歩一歩人とは異質なものに近づいていく。

 みし、ミシ――。

 ルッカの耳の奥で、自分が人外のものに徐々に書き換えられてゆくことの証左である頭蓋が軋む音が、鈍く響いていた。










 だが、人としての生を奪い去ろうと軋む足音を立てて迫り来る鈍色の死神――これに対しての恐怖は、ルッカにはなかった。

 故に、ルッカは横薙ぎの斬撃を身体を沈み込ませて躱すと同時に撓めた膝のバネを開放し、ヴァレンティノの懐に飛び込んでいた。



 一点に打ち込むべく、反動を抑えるために両手を添えた銀のモーゼルが銃火を生み出した。

「お前にしては珍しく、いちかばちかか……だが、甘い!」
 言い放つとともに、ほぼ零距離からフルオートで放たれた銀の弾丸を、人間の頃から使用していた愛剣を盾のように使って受け止め、弾く。

















 ――――ヂン!






















 その刃が、異音とともに鍔元から折れた。


 思わず驚きに目を見開くヴァレンティノに、その次に放たれた一発の銀弾を躱すことは出来なかった。

 霊的に強化された銀の弾丸は、大量の霊力を宿しているがために霊剣の周囲にわだかまる霊気の渦に絡みつかれることでその威力を減殺し、弾かれていた。

 だが、その中に紛れ込ませていた、たった一発の通常弾……弾頭を鋼鉄でコーティングされた徹甲弾はそうもいかない。霊的に強化されていないが故にシンプルすぎる物理的な破壊力のみを持って霊剣に襲い掛かり、あっけなく根元から折り砕いていた。

 刃を立てていれば、折れることはなかったかもしれない。だが、そうなればその前に放たれ、斬り割られた銀の弾丸を正面から受け、致命的な打撃をその身に受けることになる。

 弾倉の中に隠されていた必殺の罠によって、拠り所である剣を折り砕かれた剣士は、発達した犬歯を持つ口を歪め、苦悶の声を上げる。

「当たりを……引いたようだな」
 罠にかけた側のルッカは一切の感情を載せることなく、かつての仲間に対して冷たく言い放つ。

「ふん……まだ、だよ!」
 言いつつ、その身体を霧に変えようとするヴァレンティノだが、その瞬間、彼は「…『主は光を見て“善し”と言われた』」その言葉を聞いてしまい――精霊石の発する光を増幅して放たれたその光条を見てしまった。

「人にも魔にも……光は――――躱せん」
 増幅された上で位相を変えられ、太陽のそれとごく近い波長を与えられた太い帯状の光が、その言葉とともに吸血鬼を襲う。

 半ば以上を紅色の霧としていたヴァレンティノの肉体が……朝日に溶け消えるように散った。

「ましてや、神の祝福を受けた光は……な」
 その言葉とともに、足下に残った『それ』に声を掛けるルッカ。

 そこには、左の二の腕と頭部だけを残したヴァレンティノの残骸が残っていた。






「ふん……『神の祝福』か――やはり、神を盲信するお前の<眼>に真実は見えない、というところか?」

 ほぼ頭部のみとなったヴァレンティノが嘲笑混じりにルッカに毒づく。

「神が俺達に何をした?欲しくもない力を与え、心を縛り、自らの意に沿わぬものを死に至らしめる尖兵にしただけじゃないか。そして、自分が与えたにも関わらず、力を使いすぎて魂を擦り減らした犠牲者を堕天使と称してその始末を別の犠牲者候補にさせる……今、お前がそうしているようにな」

「神の意志を推し量るな。ましてや、堕ちたお前が神を騙るな」
 やはり冷たく応じたルッカは、折れた霊剣を拾い上げると、逆手に握る。

 刀身に残る霊威がルッカの皮膚を蝕み、じゅう……と、音を立てた。

「――相変わらず固い野郎だ。
 まぁいいさ……奈落の淵で、お前が――お前達が堕ちてくるのを待つとするよ」



 忠実な神の使徒と神に疑いを抱く者の意見は、噛み合うことはなかった。



 心臓を喪っているからであろうか……疲れを感じないはずの夜の眷属が、疲れたかのように息をつく。 

 かつて人間だった存在の首筋に、霊力を帯びた聖剣が突き立った。



 互いの霊力同士が相殺しあい、肉体と剣とが対消滅を開始する。

 青白い火花が弾けて、消えた。



 残るものは一握の灰と……主を失い、霊力の供給がストップしたことでぼろぼろに錆付いた刃――その灰は、洞穴に迷い込んだ微かな硫黄臭を含んだ風にさらわれ、吹き散らされた。
























 ルッカが光を操るおよそ2分前、ピートは懐から取っ手のついた筒状のものを取り出していた。
「――吸血鬼を倒すには、心臓に致命傷を与えることと日光を浴びせること、そして、他の吸血鬼がその血を吸うこと……ですが、的確に心臓に致命傷を与えることは難しいでしょうし、こんな場所で日光は望めません……だから、僕が血を吸って彼女の魔力を奪います」
 筒状のそれを唐巣に手渡しながら、続ける。
「ドクター・カオスを尋ねた時、万一のために、と渡された対吸血鬼用の特殊弾を使用している携帯式グレネードランチャーです。銃器に関しては僕よりも貴方の方が手馴れているでしょうから、これを使ってください」
 “ヨーロッパの魔王”の異名を持ち、既に伝説になっている錬金術師の作り上げた武器である。たとえその一撃で倒せなくても、決定的な隙を生み出せることは間違いないだろう。その隙に乗じさえすれば、ピートが血を吸うために接近することも難しくはないはずだ。

 唐巣は頷きで返すとハンドグレネードの照準を絞り、引き鉄を引く。
 弾速は銃弾に比べて遅いが、現在のクラウディアと自分たちの射線の先には壁だけしかなく、その壁の距離もおよそ2mと近い。今までと同様に余裕を持って躱したところで、背後から襲い掛かる爆風には対処できないということを読んでの攻撃だった。

 唐巣の読み通り、吸血姫は小馬鹿にした表情でグレネードを回避し、手に魔力を溜めるが……その背後から突如として襲い掛かる何かに、その集中した魔力を霧散させた。

「う……コレは……」その『臭い』に、別段苦手というわけでもない唐巣も思わず顔をしかめる。

 無理もない。グレネードの弾頭に詰められていたものは榴弾ではなく、摩り下ろしたニンニクとそれを撒き散らすための僅かな炸薬だったからだ。
 壁に着弾したそれは、炸裂すると同時に周囲に半ば液状のニンニクと濛々とした臭気とを振りまき、クラウディアの動きを見事に封じていた。

「うぉっ、コレは……?! ……目が、目が痛っ?!」
 日光と十字架に並ぶ吸血鬼のもう一つの弱点とも言うべきニンニクは、それ単体では直接致命傷に結びつけることは難しいものの、このように臭気を利用するだけでも吸血鬼に対して強烈な催涙弾に等しい効果を与える。
 さしもの齢2000を数える真祖級の強力な吸血鬼であってもそれは例外ではなく、地味に……だが、理想的な効果を与えていた。

「よし、今だ……ピー…ト?」
 快哉を挙げ、仲間に止めを託す唐巣だったが、次の瞬間には思わず目が点になる。

「う……うう」
 ピートも涙を流しながら倒れていた。

 その光景に思わずコケが入ってしまった唐巣だったが、素早く立ち直ると左手のグレネードを投げ捨て、右手に握ったピースメーカーの撃鉄に添える。

 銃爪を引くと同時に左手でハンマーを叩き、コッキングを行う。

 それをもう一度繰り返して行った三斉射は、いっそう濃密な血の色の霧を巻き込むだけにとどまった。

 ホールに拡がる血の臭いと緊張感……だが、唐巣には微かな安堵もあった。

 霧の姿をとっている限り、クラウディアもこちらを攻撃できない。排莢し、弾丸を装填し直すにはそれなりに時間を必要とする以上、そうした『時間』を与えることに繋がるクラウディアの苦し紛れの霧化は、唐巣にとっては何よりも有り難かった。

 だが、程なくして唐巣の胸に降り立った安堵は、手にする白銀の拳銃とともに砕かれた。



「――今のは効いたぞ」
 油断していたところに意表を突く攻撃を受けたことが相当の消耗を強いたのか、肩で息をしつつ唐巣の目前に顕現を果たしたクラウディアが言う。
「だが、あんな嫌がらせのような攻撃を切っ掛けに殺されては間抜けだからの……かなりの力を使ったが、私の因子を含んだ霧で塗り潰させてもらったぞ」
 その言葉通り、ホールを支配する臭気は強烈なニンニクのそれから濃密な血臭に変わっている。

 圧縮された魔力の弾丸を発射した右手の人差し指を立て、ことさら挑発的に左右に振るクラウディアを唐巣は目を細めて睨み付けながら対し、言う。

「そうかよ……それでも、もう一発喰らってそんなことを――」
 言いつつ、よろめきながら立ち上がったピートに『もう一発』を促すが、半吸血鬼の少年は血涙を流しながら首を横に振り、その『もう一発』の存在を否定した。

「なにっ!もうないのか?」

「ありませんし、あっても渡しません!僕もまさかニンニク弾とは思いませんでしたよっ!」

 『ドクター・カオスの発明』の諸刃の剣ぶりを痛切に体感したためだろう、ピートは思わず血涙混じりに叫びながら応じると――背後の殺気に対し、振り向きざまの手刀を見舞う。

「ふむ、返してきたか。その勘といい、攻撃の鋭さといい、流石にブラドー坊やの息子よの」ドレスの左脇を霞め、微かに傷を与えられたピートの一撃に、むしろ満足そうに微笑むクラウディア。「だが、いささか真っ直ぐすぎる。その程度では倒されてはやれぬぞ」

 鈍い響きとともに――ピートの胸に軽く添えられた右手が魔力による衝撃波を放った。

「ぐぅっ!」
 ピートの苦鳴が響く。

 通常人ならば死んでもおかしくない一撃を辛うじて踏み止まり、数歩たたらを踏む程度に収めたものの、体内で衝撃波が暴れ回り、脳や心肺にも甚大な被害を受けている事には違いはない。

 平たく言えば、立っているのがやっと、という状態だ。






 ――だが、その止めを刺す好機にあってもなお、クラウディアの追撃はなかった。






 その様は唐巣に違和感をもたらす。

 最初の言動からは、『猫が獲物をいたぶるように、戦いを楽しんだ末に死に至らしめる』ことが目的のように思っていた。

 だが、今の消耗した状態であればピートの血を吸い、その魔力を奪うことを優先してもおかしくないというのに、それをしなかった。むしろ、今のようにわざわざピートの回復を待つ節さえある。敵であるはずの自分たちの成長を促し、自らの滅びを望んでいる――唐巣にはそのようにしか見えなかった。



 違和感は疑問に変わり、疑問は口をついて溢れる。
「お前……何を考えてやがるんだ?」




 疑問を口にした唐巣の背後で、増幅された上で位相を変えられた光が、その身を霧と変じようとしていたヴァレンティノを呑み込んでいた。






「何を、といわれてものぉ……私は単に、あまりにつまらぬ戦いなぞしたくないだけことよ」
 眷属が致命傷を受けたにも関わらず、こともなげにクラウディアは言い切るが「……違うね!」唐巣はその言葉を否定した。

「お前は心の底では死にたがっている……だから、殺せる可能性を持った俺達を生かさず殺さずでいたぶり続けているんだ。いざという時に出る人間の思いがけない力――火事場の馬鹿力というのを期待してな!」
 言い切る言葉とともに、ホルスターの脇に差していた細い筒状のものを抜き放つ。




 キンッ!





 抜き放たれたそれは、甲高い振動音を発すると同時に筒の先端から力場を作り出し……光り輝く杖を形作った。


 未だ試作段階ではあるものの、霊剣のように持ち主を選ばず、モニタリングにおいても高い効果を実現しているとの評価も高い対霊武器――神通棍を青眼に構え……唐巣は吸血鬼を見据えた。




「ふふん、面白いことを言うが……青いな」
 だが、その回答にクラウディアが返したものは挑発的な嘲笑だった。

 その唐巣の言葉と熱の強い視線を、小馬鹿にした童顔から発する見た目と時代がかった口調のギャップの激しさを殊更に強調する笑みで封じると、少女の外見を持つ吸血鬼は芝居を思わせる大げさな身振りを交えて続ける。
「確かに追い込まれた人間の出す力はなかなかのものがある。しかし、それでもなお私を滅するには足りぬよ。なにより、私も、こやつにも――死ぬ意思なぞは毛頭ないのでな」



 静かに断言したその時、何かが破れる音がした。







 蝙蝠を思わせる黒い翼。


 紅玉と黄金と象牙によって形作られた人形のような出で立ちにおよそ似つかわしくない、醜さの集合体の如き黒翼。


 全身を覆う鮮やかな紅を包み込むかのような巨大な闇色が、一対の翼の形をなしてクラウディアのドレスを引き裂き……背中を突き破っていた。


「……私が、異界の狭間で800年近くも生きることが出来たのもこやつ……800年前に私が植えつけられたチューブラー・ベルのお陰での――私に寄生し、食い荒らすはずだったこやつを逆に枯れぬ程度に吸い尽くしたことで、私は辛うじて生命を保つことが出来た」
 嘲笑ではなく、妖艶さを湛えた笑みで、吸血姫は唐巣に語り掛ける。

「だが、あまりに吸い尽くしすぎて、どうやらこやつとは魂レベルで癒着してしまったようでの――恐らくは、魔族特有の衝動、という奴であろうの……私は普通の吸血鬼に比べて遥かに血を見るのを好むようになってしまったのだ。
 ノルマン人とともにやってきた、ケルトの詩人の神を名乗った古神族の小僧……確か、コープルと名乗っておったか――そやつに不意を討たれて種を埋め込まれた当初は、その衝動を御せずに何人もの民を殺してしもうてな。お陰で、自分以外には何もない異界の狭間に弾き飛ばされ、封じられてしもうたのだが……堕ちたヴァレンティノがコープルの植え付けた意志に導かれて封印を解いてくれた今ではすっかり御しておる」

 その両手の肘から先が消えた。

「――――お前達が人のタガを外すその時まで戦いを楽しみ……タガを外した瞬間に敬意を持って吸い尽くして差し上げる、という理性を持てるくらいに、の」

 消えたと思われた両手が、霧を巻いて現れたその時、クラウディアは右手に銀色の塊……左手には血に濡れた白っぽい何かを掴んでいた。

 卵か焼き菓子を握り潰すかのような容易さで粉々に粉砕されたものがルッカの持っていたはずの銀のモーゼル、左手に握られた細長いそれが何かの骨である、ということに唐巣が気付いたその時――唐巣の背後で水音が起こった。

「『神は土くれよりアダムを創り、アダムの肋骨からイブを創った』……か。あいにく、私は神ではないからの――当然何も生み出せぬ」

 だが、唐巣にはお道化た口調ですらすらと『創世記』にある一節を読み上げたクラウディアの姿を見ることは出来なかった。





 ――――何故か?





 水音に振り返った唐巣は、右胸の下辺りに生み出された拳大の傷口から夥しい量の血液を溢れさせるルッカの姿を見てしまったからだ。

「純粋な人間なら、これだけの血を流せば充分死ねるはずだというのは、明白よの。しかし、古のアダム同様に人間以外のものの因子を色濃く持って生まれ、それに目覚めようとしているからこそ、そやつは生きておる。肋骨を無造作に抜き取られてもなお、人を地に満ちさせるために930年もの年月を生きたアダムや、ゴルゴダの丘で処刑されたにも関わらず、その三日後に復活を遂げたキリスト同様に、の。
 無論……カラス、かの……お前も同様よ。故に、私はお前達を殺さずに成長を促しておるのだよ。人の域を超えた者の血でないと、私の渇きを癒すことは出来ぬでな。
 判るか?私は死にたいのではない……二つの意味で生を味わいたいのだ。自らの生と、喉に流れ込み、私を潤してくれる血の持ち主の生を、な」

「汚らわしい……吸血…鬼の……戯言だ……耳を……貸す…な、唐…巣!」
 肺を傷つけられたのだろう――言葉の合間合間に血を吐きながらも叱咤し、ルッカは目の前に立つ吸血鬼に視線を送ると聖句を呟く。

 しかし、既にクラウディアの右手は姿を消していた。


 密度の強い霧がルッカを覆ったかと思うと、無数の光条がその四肢を貫き、数多くの小さな穴を穿つ。





「鬱陶しい……下がっておれ。お前のように心を殺し、生を諦めたまま戦おうとする者となど、戦うに値せぬわ。闇に生れ落ちた私ですらも一定の敬意を払っておる『人間』を捨て、意志を捨てた神の道具になり下がろうとしている者などにはな。
 大人しく、そこで人としての生を終える時を待つがいい。堕ちるとともに肝まで喰ろうて眷族に仕立ててやるでな」

 傷つき、跪いたルッカに轟然と、そして、半ば憮然とした声音で宣告すると、クラウディアは唐巣に……そして、一つ咳き込んで血の塊を胸の中から押し出したピートに向き直り、続ける。

「安心せい……今のは使わぬ。第一、私の因子を含んだ霧を通して攻撃するのは正直疲れる上に、一度見せた以上、二体一では隙の方が大きいでな――だからこそ……失望、させるでないぞ?」
 妖艶な笑みを纏い、クラウディアは手刀を作った。





















「ダンピール・フラッシュ!!」

 ピートの視線を核として生み出された、妖力を帯びた光がクラウディアを襲った。

 視線と視線が絡み合い、文字通り火花を散らして消える。

 光が散り、空気に溶けたその時、唐巣は祈りを呟きながら、手にした神通棍を突きの形に構えて突進していた。
「『土は土に、塵は塵に……灰は灰に!!』」躱された神通棍を薙ぎ払いながら聖句を叫ぶ。

 渾身の力と祈りを込めた苛烈な斬撃は、手刀の先から伸びた爪の剣によって受け止められ、手首の返しで跳ね上げられ……巻き取られる。

 間髪入れずに振り上げられた左の爪剣が首にかけたロザリオの鎖を断ち切り、唐巣の首筋を血の筋の薄紅い線で彩った。


「『父と子と聖霊の御名において命じる!!汝、吸血鬼クラウディアよ!!主の導きに従い、現世より立ち去れ!!』」神通棍を弾かれ、内懐に入り込まれた唐巣が聖句を叫ぶ!
「『命じる!命じる!命じる!!』」
 力強い口調の聖句がその口から飛び出るに伴い、クラウディアを捕らえた光もその明度を増し、雷光にも似た一瞬の輝きを見せて、弾けた。

 ドレスのそこかしこから白煙を立ち昇らせつつ、クラウディアは爪剣を十字に交差させてピートの拳を受け止める。

「う…………おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
 雄叫びとともに、ピートは受け止められた拳から渾身の霊力を込めた霊波砲を放つ。

 押し付けられた状態で放たれた不可避の砲撃は、唐巣の放った浄化の光で皹を入れられていた爪剣を折り砕いた。


「ふふ、いいぞ……その調子だ。それでこそ、私も本気を出せるというものよ」
 ガードを貫き、頬を霞めた一撃にほくそ笑むクラウディアの姿を映した二人の視界が、黒に遮られた。

 クラウディアの背に生えた黒翼が羽撃き――――颶風が、巻き起こる。

 頬を叩く魔力の塊を撒き散らし、吹き荒れる風が二人を襲う。

 瞬間……倒れることを拒んだピートに二つの刃が突き立った。

 右の肩口に突き刺さるクラウディアの爪と、左の太腿に突き立つ刃と化した黒翼が、ピートの赤い血に染められていた。

 左右同時に繰り出された攻撃を、踏み止まることが出来ずに転がされたことで躱せたという偶然が唐巣に味方した、と言っても過言ではないが、いかに半吸血鬼の回復力がピートにあるとはいえ、再びピートが立ち上がることが出来るまでは恐らくは数十秒の刻を必要とするであろう。

 その永劫に近い数十秒を一人で凌ぎきらなければ、勝機はない。

 喉が張り付くかのような緊張感に唾を呑もうとするが、うまく行かない。

 巻き取られ、取り落とした神通棍を探す。

 見つけたそれは、クラウディアの足下にある。

 いかにクラウディアが余裕ぶっていても、みすみす拾わせることはないはずだ。

 十字架もどこかに落としてしまった。

 有効な武器になりそうなものを探し……何かが足に触れる感触に、唐巣は視線を足下に落とした。

 そこにあるのは十字を刻まれた銃把……唐巣の持っていたコルト・シングルアクション・アーミーの残骸だった。

「へ……思い出したよ」
 銃把を拾い上げ、一人ごちながら唐巣は立ち上がる。

「ほう。何を考えているかは判らぬが……吹っ切れた、いい顔だの。覚悟を決めた、というところかの」
 楽しげに目を細めるクラウディアに応じて、唐巣は言った。

「覚悟を決めたわけじゃない……思い出しただけだよ。よりによってこんな使い辛い拳銃を選んだ――覚悟と誓いって奴を、な。
 その誓いがある限り……俺は人間だ!そして、その誓いに賭けて、俺はお前を倒してみせる!!」
 断固たる決意を込めた叫びとともに唐巣は霊波砲を放つ。

 銃把に刻まれた十字の刻印を核とした増幅機構によって、その速度と威力を大幅に増した霊波砲の渾身の一撃はクラウディアを襲い、右側の翼と右腕を巻き込み、その半ばから先を吹き散らしていた。

「なるほど……意志の込められた、なかなかの威力よの……しかし!」
 意識を集中させ、クラウディアは瞬時に肉体を再構築する。







 ――と、ほぼ同時だった。









 強化された霊波砲に巻き込まれ、破損した神通棍の振動子に使用された聖霊石が弾け、クラウディアの至近で浄化の力を付加された閃光を周囲に撒き散らしたのは。


 本来ならば、取るに足らない一撃だったに違いない。


 だが、再構築されたばかりの右腕と右の翼は、それに耐えるだけの魔力を供給されてはいなかった。

 再構築直後に再び崩れ落ちた右側に生まれた隙を狙い、唐巣が間合いを詰める。

 左手に魔力を込め、向き直ろうとしたクラウディアの動きが、止まった。


「――呪縛……ワイヤー?!」
 ヴァレンティノによって斬り破られ、元の長さの半分程度しか残らなかった呪縛ワイヤーを投げつけたのは、当然ながら半吸血鬼の少年!

 本来ならば出来ない隙だった。だが、意識を唐巣と唐巣によって生み出された痛手に向けてしまったことで、クラウディアにその隙が生み出されていた。

 その好機を見逃さず、ピートが投げつけた呪縛ワイヤーがクラウディアの左腕と左の黒翼を捕らえ、その場に縛り付けているのだ。


 視線から生み出された光が唐巣の頬を霞めた。



 クラウディアの薄い胸板に、皹の入った銃把が押し当てられる。


 銃把に刻まれた十字に沿って拡がる皹が光を発する。


「『殺害の王子よ、キリストに道を譲れ!!主が汝を……追放するッ!!!』」



 叫びとともに放たれた光は――砕けた銃把とともに、クラウディアの胸の中心を貫いた。

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