ザ・グレート・展開予測ショー

蜂と英雄 第3話 〜彼女〜


投稿者名:ちくわぶ
投稿日時:(05/ 9/25)





 彼女にとって、この世界の全ては『自身に向けられた敵意』でしかなかった。
 この世に生まれ落ち、本能のまま泣きじゃくっていた彼女に父親が与えたものは、人肌のミルクではなくガソリンとライターの火だった。
 常軌を逸したその行動は、父親が重度のドラッグ常習者であるがゆえのことだったが、そうでなかったとしても彼は愛情などというものを持ち合わせている人間ではなかった。


 母は狂ったような叫び声を上げて我が娘に布をかぶせて火を消し、病院へ運んだ。
 父親は直後、通報を受けて駆けつけた警官ともみ合いになり、転倒した際に頭を打ってあっけなくこの世を去った。


 だが、彼女を待ち受ける運命は、自らを包んでいた炎と共に命の火を消してしまった方が幸福であったかも知れないと思わせるほど壮絶なものだった。










 皮膚はただれて引きつり、二目と見れぬ姿となり果てた。
 そんな娘を他人に晒すまいと、母は彼女を自宅の部屋に隠してしまう。
 窓には板を打ち込み、日の光さえ届かぬ部屋に彼女は取り残された。
 時が経つにつれ、疲れた母は心を病んでいき、その衝動の矛先はあろうことか哀れな娘へと向けられてしまった。


 理由無き暴力、3〜4日食事を与えられないことも当然のようになっていった。


 言葉よりも、肌の温もりよりも、目に映る世界を認識するよりも先に……彼女は自身に向けられた理不尽な敵意を知ってしまった。
 しかし、自ら立って歩くこともままならぬ幼い彼女に、いかほどの防衛手段があるというのだろうか。
 やがて彼女の本能は、自身を守る唯一の方法を導き出す。




 この世界が敵意に満ちているのなら……ありとあらゆる感覚を閉じてしまうしかない。
 人間に備わる五感……視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
 肉体が感じる外界からの情報をシャットアウトすることでしか、彼女が自分を守る術は残されていなかった……




 完全なる虚無……ある意味宇宙とも取れる無限の闇に、彼女の心は浮かんでいた。
 そこに、およそ人としての感情を形成するものは何ひとつ存在しなかった。
 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも……それを認識することさえ、彼女はできない。




 深い闇の底にただ在るだけ……




 それが彼女という『存在』の全てだった。















 この世の全てを拒絶した彼女は母からも疎まれ見捨てられ、最低限の庇護を失い日に日に衰弱していった。
 そしてついに、そのあまりにも哀しい命の灯火が最後の時を迎えようとしていた……


『ファファファ……ワシの声が聞こえるか……?』


 それは夜中――といっても、永劫の闇をさまよう彼女に昼夜など意味を成さないが――に聞こえてきた。
 正確には、声ではなく魂に語りかけるメッセージ……言霊とでも言うべきものか。
 およそ初めてコンタクトというものを味わった彼女の心はひどく揺らいだ。
 だが、確かに感じたその声を聞いても、彼女は何もすることはできなかった。
 そもそも言葉も感情も彼女にはないし、返事をするという発想自体が無い。
 かすかにすら動くことなく、いつもと同じように彼女はただじっとしていた。


 その声はさらに続けた。


『ワシはずっとお前のような魂を探しておった。全ての世界を閉ざし、深淵に身を横たえる者よ……お前こそまさしく、ワシの理想とする素材じゃ。』


 彼女にその言葉の意味は理解できなかったが、何かを自分に訴えようとしているのだということだけは感じられた。
 不思議な感覚だった……。
 初めて敵意以外の感覚を知った瞬間だった。


『しかし、哀れなことにお前には何も無い……じゃからワシが、お前という存在に意味を与えてやろうではないか……!!』


 相変わらず意味はわからなかったが、そこから感じられるものは彼女の心にかつて無い衝撃を与えた。
 静寂の水面に落ちた水滴が波紋を広げるように、彼女という輪郭が激しくさざ波を立てて震えた。




『さあ……手を伸ばせ……さすればお前は、ワシの道具として意味を持ち再生するじゃろう!!』




 その言霊のひとつひとつが強烈な熱量となり、彼女の芯を煮立たせ、焦がしていた。
 もし彼女の心という『形』を表現するならば、それは宙に浮かんだ水の塊のようなものであったろう。
 その水の塊の表面は波打ち、やがて一本の小さな水柱が現れすぅーっと伸びてゆく。
 それは初めての自己表現。
 彼女がほんのわずかでしかない今までの生涯で唯一『自分』を動かした瞬間だった。


 初めて彼女に触れてきた自分以外の何か。
 自身の奥底から湧き上がってくる不思議な感覚の意味を理解できずとも、求められるままに動き出すことを止めることはできなかった。


 やがて水柱の先には五つに分かれた小さな突起が現れ、それはあたかも赤ん坊の手を思わせた。
 わずかに残された命を振り絞って、彼女は『手』を伸ばした。




 そして……




 深い…深い暗闇の中で誰にも知られることなく、誰にも看取られることなく彼女の鼓動は短すぎるその役目を終えた……。


 祝福も、優しさも、愛情も……彼女の生涯にそれを与える者はなかった……








 闇の中に、彼女の手が溶けてゆく……
 すべてが、根源たる場所へと還ろうとしていた……




 が――――




 少しずつ失われようとしていたその手を、闇を切り裂いて現れ握り返すものがあった。 それは彼女をの手を……そして彼女全てを一気に闇の海から引き上げた。













 気が付くと彼女は煌々と闇を照らす満月の真下で横たわっていた。
 その体は幼く小学生かそれ以下の年齢程度でしかなかったが、自らの力で立ち上がり動き回れる程には発育していたし、ピンクのシャツにデニムのオーバーオール、スニーカーなどの衣服もしっかり身につけていた。
 肩に触れる程度の髪は月の光をそのまま宿したかのような金糸であり、風にゆらめくそれは可憐な美しさを放っていた。


 覚醒した彼女の意識は初めて知る世界の膨大な情報に圧倒され混乱し、軽いめまいを起こしていた。
 やがて落ち着きを取り戻した彼女が目を開くと、自分の方に向けられた革靴のつま先がそこにあった。
 彼女はゆっくりと、ぎこちない動きで身を起こし始めた。
 だが、今の彼女には上体を起こし、人形のように足を投げ出して座るのが精一杯だった。


「目が覚めたか。ワシが誰だかわかるな?」
「あ……。」


 彼女が見上げた先に立っていたのは、色素が抜けきり見事なほどに白い髪にヒゲをたくわえ、仕立ての良いブラウンのスーツとハット、そしてステッキを持つ老紳士風の男だった。
 顔には相応の年齢を思わせるシワがいくつも刻まれていたが、その瞳の輝きは老いどころか強力なエネルギーに満ちあふれてさえいた。


 彼女に投げかけられたその声は、まさしく闇の中で語りかけてきたものだった。
 そして不思議なことに自分の中には様々な知識や言葉が宿っており、こんな時どうするのか……何と答えるのか全てを理解することができるようになっていた。


「あなたは……私の手を引いてくれた……。」
「うむ、ワシは不死と魔術の真髄を極めし魔導師ルシエンテス。ワシによってこの世に再生したお前は今から何をするべきかわかっておるな?」
「はい……私は……あなたの道具……そのために私は……。」
「よろしい。それでは仕上げに、ワシがお前に名を与えよう。名を持つことでお前の魂は力を持ち、深淵を知りたる魔力の使い手として目覚めるのだ!!」




 老紳士――ルシエンテスは両手を広げて月を仰ぎ、彼女の名を呼んだ。


 アンジェラ――――――


 それは人々の歴史から忘れられた、太古の魔女の名であった――――














 ジークがルシエンテスの行方を捜索し始めてからすでに1週間が経過しようとしていた。
 あの時魔界の空に消えたルシエンテスの行方を観測所でも追ってもらったが、すでに魔界にその気配は感じられなかった。
 そして泉に逃げ込んだナックラヴィーもまた、忽然と姿を消してしまっていた。


 ならばと人間界の動向にも目を光らせてはみたが、人間界は魔界と違って物事の移り変わりが速く、とても全ての情報を処理しきれるものではなかった。
 ルシエンテスも特に目だった行動を起こさなかったため、その足取りは完全に途絶えてしまっているのが現状だった。




 行き詰まったジークは発想を変え、唯一ルシエンテスと接点があったであろう人物……アシュタロスの身辺をもう一度調査することにした。
 彼の魔族との交流やその周辺関係を調べれば、ルシエンテスにまつわる何らかの手がかりが掴めるかも知れない。
 そして、そのあたりに最も詳しい人物といえば、アシュタロスに最も古くから仕えていた土偶羅魔具羅をおいて他にはいない。
 ジークは神界に連絡を取り、ヒャクメに引き渡された土偶羅と会う事にした。










 〜妙神山〜







 ジークはベスパの他、強く希望したワルキューレも同伴して妙神山に訪れていた。
 ハーピーは妙神山に個人的な接点が無く、魔としての性質がジークらよりも強いため魔界で待機することとなった。




 現在ここは神族の霊的拠点としてだけではなく、神・人・魔が交わり共存するという、和平の道と可能性を示す重要な場所となっている。
 交換留学生としてここに滞在しているジークも、アシュタロス事件の後に引き取られた蝶の化身パピリオも上手く生活に馴染んでいた。


 久しぶりに土偶羅に会えるというので、パピリオは浮かれていた。
 生まれて1年足らずということに加え、他人との繋がりに乏しいパピリオにとって土倶羅は同じ時間、同じ過去を共有した数少ない『家族』に違いなかった。
 それに加え姉のベスパもここに来ているのだから、仕事上のこととはいえ彼女にとって今日は家族が揃う最良の日だった。




 パピリオや小竜姫らと話し込んでいると、神界からのチャンネルが開きヒャクメと土偶羅が姿を現した。


「お待たせなのねー。」
「おお、久しぶりだなベスパ、パピリオ。2人とも元気にしておったか?」


 土偶羅がちんまりとした手を上げて挨拶をすると、パピリオが勢いよく抱きついて頬ずりを始めた。
「きゃーー!!久しぶりでちゅ土偶羅様!!相変わらずちんちくりんでちゅねーー!!」
「ぶっ!?こ、こらパピリオ、前が見えんではないか!!それに今失礼なことを言わんかったか!?」
「細かいこと気にしてるとハゲまちゅよー?」
「毛など生えとらんわ!!それにもしそうだったら絵的にまずいだろーが!!」
「何のことを言ってるんでちゅか?」
「子供は知らんでいいッ!!」
 パピリオは抱きついていた体を離し、不思議そうに首をかしげる。
 そのやりとりを見ていた一同は、笑いをこらえるので必死になっていた。


「そんなことより――何かワシに用があるのだろう?」
 土偶羅は咳払いをし、ジークの方を見る。
 ジークはコクリと頷き、真剣な目つきで口を開いた。
「――早速だが本題に入らせてもらう。土偶羅魔具羅、お前は500年ほど前にアシュタロスに接触したという魔導師を知っているか?そいつの名はルシエンテス。凶悪な魔獣を連れた奴だ。」
「魔導師だと?ふむ、ちょっと待っとれ。」


 土偶羅は自身のメモリから、ジークの言うキーワードに当てはまる事象を検索し始めた。
 なにしろ500年も昔のこと、土偶羅に蓄積された膨大なデータの中からそれを探し出すのは少々骨が折れる事だった。


 しばらくして古い電子レンジのような「チーン」という音と共に検索は終了した。


「該当データは一件。確かに500年ほど前、アシュタロス様の元に尋ねてきた魔導師がおったよーだ。」
「その事を詳しく聞かせてくれ!!」
「ちょ、ちょっと待たんか、コラ!!」
 身を乗り出して迫るジークを押し返し、土偶羅はやれやれと放射能混じりのため息(?)をつく。
「ワシにはそういうデータが記録されているだけで、実際会ったこともないし何があったのかは知らされておらんのだ。」
「……そうか……残念だ。」
 がっくりと肩を落とすジークだったが、そんなジークを見て土偶羅はさらに付け加えた。
「何ならその現場となった基地に足を運んでみるといい。アシュ様は重要な事柄は複数に分けて記録しておったから、お前の知りたがっている情報も残っているかもしれんな。」
「本当か!?」
「ワシはウソなど言わん。」




 土偶羅はジークにアシュタロスの基地跡の座標を伝えた。
 そこは魔界……少し前ナックラヴィーに襲われた湖から200q程東に離れた荒野のただ中であった。
 ただし入り口はカモフラージュのための特殊な封印が施されているとの事で、それを解除するために土偶羅も同行することとなった。
 さらにパピリオが付いていきたいと激しく駄々をこねたので、小竜姫はジークにしっかりと護衛するように命じてこれを許可した。




 こうして、土偶羅魔具羅とパピリオという新たな仲間を加え、ジーク達は魔界のアシュタロス基地跡へと向かう。
 小竜姫とヒャクメは宙に消えていく彼らに手を振り、それを見送っていた。










 魔界に戻ったジークらはハーピーと合流し、土偶羅の言うポイントへと向かっていた。
 道中危険な箇所がいくつもあったが、周辺に詳しいというハーピーのおかげでそれらを上手く回避できたし、彼女もガイドとしての任を果たすことで先の失敗の汚名を返上することができた。




 そこは乾いた砂とむき出しの岩石がゴロゴロとしており、絶えず岩の間を通り抜ける風が亡者のうなり声のような音を鳴り響かせている。
 視界のすぐ先では雷を伴う竜巻が発生し、ひどい砂嵐が空を覆い隠していた。
 これ以上は先に進めそうもないが、土偶羅の言うポイントはこの先である。


 一行が困っていると、ジークに抱えられた土偶羅はとある何の変哲もない岩を指し、その前にやってくると腕から降りて岩の表面に触れた。
 すると岩の一部が機械的に開き、中からキーパネルとディスプレイが現れる。
 さも当然のようにそれを操作すると、竜巻が消え砂嵐が晴れ、荒野の中に小さなほこらのようなものが姿を現した。




 ほこらに近づくとそれは自動的にスライドし、地下へと続く階段が口を開いた。


「ここが……あたし達の知らないアシュ様の基地……。」


 口を開ける基地への入り口を前に、ベスパは複雑な感情が交じり合った声で呟いた。
 彼女やパピリオにはアシュタロスについて知らない事の方が多かった。
 ここに足を踏み入れることは、彼の墓を暴くような……過去に土足で上がり込むような気がして気が咎めた。


 そんな気持ちを察してか、ジークは後ろからベスパの肩に手を置いて言った。


「……ルシエンテスを野放しにしておくことは、奴を封じたアシュタロスの遺志に反するのではないかと私は思う。お前の気持ちもわからなくはないが……我々は敵を知る必要があるんだ。行くぞ、ベスパ。」


「ジーク……。」


 彼はどこまで他人の気持ちに聡い人なのだろうかと常々思う。
 魔族でありながら他人の感情に目を向け、それを酌み取ることに労を惜しまない。
 軍の中では異端者扱いを受けているベスパだったが、魔族らしからぬ性格ゆえに苦労したであろうジークだけが彼女に奇異や遺恨の目を向けなかった。
 そんなジークだからこそ――彼女も安心して彼を信用できるのだが。




(ありがとう……)




 誰にも聞こえぬよう心の中で小さく呟くと、ベスパは顔を上げた。
 その瞳に、もう迷いの色は見えなかった。


「行こう!!」


 力強く頷き、ベスパは闇の奥へ続く階段へと足を踏み入れた。
 仲間達もその後に続いて階段の奥へと消えていった。








 魔導師ルシエンテスが何者なのか、目的は何なのか……
 アシュタロスとの間に何があったのか……
 その答えを求め、魔界の戦士たちは歩み出すのであった。

   

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