このお話は拙作”ハードボイルドワンダーランド”の後日譚です。お気づきの方もいらっしゃるかとも思いますが、村上春樹様の同名小説とは縁もゆかりもございません。流石に何のことやら判らないと思いますので、先に”ハードボイルドワンダーランド”を御覧いただけますと幸いです。
がたたん がたん がたたん がたん がたたん がたん
電車が揺れている。一日に走る本数が片手で勘定できるという絵に描いたようなローカル線である。電車は丁度渓谷に差し掛かっている。大自然の中を重力を無視して走る銀河鉄道のように、電車は紅葉の中を呆れるほどゆっくりしたペースで走っている。
「線路は続くよ どこまでも 野を越え 山越え 谷越えて・・・・・。」
車窓からナインテールの美しい女性が顔を出している。秋の稲穂のような豊かな金色の髪も、ボディコンシャスを強調した服装も田舎にはとてもそぐわない。
「私ったら生まれついてのシティ派なのよね。」
タマモは見るともなしに秋の絶景を見ながら、なにやらぶつくさと呟いていた。
世界の終わり
「や。」
「よ。」
久方ぶりの挨拶はそれだけで済んだ。ローカル線の終着駅から獣の足で1時間ほど歩くとこの村に行き着く。江戸時代の風土をそのまま閉じ込めたような村。人狼の里である。犬塚シロはスタイルの良い肢体に小洒落た着流しを身に纏っている。服の襟や裾に、同姓であっても目が行ってしまう。
「・・・・・太った?」
「五月蝿い。」
久方ぶりの里帰りで、犬塚シロ。いささか増量中。
「わざわざ迎えに来るとは酔狂な所もあるでござるな。」
「卒業近くて暇だしね〜。観光よ、観光。しかし気持ちがいいくらいの秘境ね。ケイタイの電波通じないんだけど。」
「案ずるな。電話線もないでござるよ。」
「・・・・・・お風呂くらいあるんでしょうね?」
するとシロは何を思ったか水桶を一つ投げてよこした。
「どういう意味かしら?」
「水を汲みに行くでござるよ。」
そう言ってシロはさっさと歩き出してしまう。
「・・・・・・・脱シティ派?」
タマモは盛大なため息を吐いた。
「綺麗な川ね。」
二人が行き着いたところは村の外れ。裏山の中腹。豊かな流れを湛える澄んだ美しい河原である。
「そうでござろう。昔はよく父上と魚など釣ったものでござる。」
シロは河原から手ごろな石を拾い上げると川に向かって水平に投げた。石は水の上を滑るように走り、向う岸に接岸した。
「上手いもんね。」
タマモが口笛など吹く。
「侍でござるからな。」
シロはよく分からない返事をする。
「どれ。」
タマモもシロにならって石を放ってみる。
とぷん
「・・・・・・・・・脱シティ派ならず。」
道は険しそうだ。
「何時間も電車に揺られてへとへとになるまで歩いてくれば、電気もTVもない秘境。まるで世界の終わりね。」
タマモはスニーカーを脱いで足をひんやりとした水に漬けている。
「それより聞いたでござるよ。西条殿と付き合っているのでござろう?」
シロがにやにやしながら聞いてくる。
「む。噂の足が早いわね。」
「お前が自分で言い触らして回っているのでござろう。」
「世界の終わりまで聞こえているようじゃ、愛の努力も報われるってもんね。」
タマモは河原に寝転がる。
「・・・・・・・背中が痛い。」
「馬鹿かお前は。」
「あんたはどうなのよ。」
言いながら勢いよく起き上がるタマモ。
「ギクッ!!」
「ギクッて、あんた。上手く行ってんの?単身赴任は辛いわね〜。」
「まぁ、自分で選んだ事でござるから。」
犬塚シロは高校卒業後人狼の里に帰ることになった。そこで土地の若者と結ばれ祝言を挙げる。ただしシロはいつまでも里にとどまるつもりはなかった。そもそもシロは人狼族が人と共存していく為のモデルケースでもある。
それに横島に対し一方的でなし崩し的な失恋をした時に、Gメンに入ると決めていたのであった。
夫はそれを受け入れてくれた。小さな村であるから今更新鮮な相手ではない。昔から山野を共に駆け回り悪戯をしては共に叱られた。
プロポーズは彼からだった。村の外れに呼び出され、オーソドックスな殺し文句。シロは突然の事にびっくりしながらも、一も二もなく頷いたのだった。
「拙者きゃりあうーまんでござるからなぁ。」
「あんたはブルーワーカーでしょうが。キャリアってのは私みたいなのを言うのよ。」
「・・・・・・・Gメンに入るのでござるか?」
「・・・・・まぁね。」
「後輩でござるな。こき使ってヤルでござる。」
「キャリアだっつうのに。」
「・・・・・・・・進学を考えていたのではござらんか?」
「・・・・・・・・・・・・・、この前ね。テロリストと対峙する機会があったわ。」
タマモの雰囲気が変わったのを見てシロは居住まいを正した。タマモは信じられないくらいに晴れ渡った空を見るともなしに見ている。
「その時、私あろうことか東京を救っちゃったのよ。でまぁ、いろんな人に褒められたし、あの人と付き合うきっかけにもなったんだけど―――」
「―――――その時男の子を殺したわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「私やあんたと年の変わらない男の子。男の子って年じゃないのかもしれないけど、それでも背伸びして戦場に来てた。自分の命を爆弾に代えて、他の誰かの為に死のうとしてた。ううん、ただ死ぬだけじゃない。何100万人という人を道連れにしようとしてた。それでもあの子の気持ちはね、私とそんなに変わんなかったのよ。ただ、守りたかっただけなのよ。」
話すうちにタマモの目には涙が溜まっていた。それは今にもあふれ出そうとしていたが、タマモはそれを必死に堪えている様だった。
「殺すしかなかった。殺さないと私の大切な人が大勢死んじゃうから。でもそれはあの子もきっと同じだったのよ。どんなに理屈が捻じ曲がっていようが、誰かに吹き込まれた虚実だろうが、あの子にとっては誰かを守る為の戦いだったッ!!あんたや私が戦う理由とどこが違うって言うのよッ!!」
語りの後半は激昂だった。シロに叫んでいるわけではない。自分が殺した少年に叫んでいるわけでもない。自分自身に叫んでいるわけでもない。ただ自分が硬い殻のようなものに包まれているように感じられてならなかった。圧迫感がひどかった。叫び続ければ、それが割れてくれると感じていたのかもしれない。叫び続けていなければ不安で押しつぶれそうだったのだ。
「拙者は――――――、タマモが生きていて良かったでござるよ。」
「・・・・・・・・・・シロ?」
「聞けばその男、もともと死ぬつもりだったのでござろう?タマモはこうして生きている。拙者馬鹿だから上手くしゃべれないのでござるが、生きていれば今はどうしようもないことでもいつかきっとなんとかなるかもしれない。生きていればいつか自分を許せる時がくるかもしれない。生きていればそのうちきっといい事があるはずでござる。」
「シロ・・・・・・・。」
「だからタマモが生きていて、良かったでござるよ。」
「ふ、あぁぁぁっぁぁっぁぁあぁぁぁっぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁ。」
その日、タマモはひとしきり泣いた。その事を知るのはシロだけだったし、シロはその事を誰にも話そうとはしなかった。自分の夫にさえも。でもいつか自分に子供が生まれたら、その時は話すかも知れないとも思った。勇敢で、脆くやさしい自分の親友の物語を。
タマモを包んでいた硬い殻のようなものは、晴れ渡る秋の空の彼方に溶けていった。
「けほ、けほ。なんで私が火を焚かなくちゃなんないのよ。」
「後でちゃんと代わってやるでござる。今日は泊まっていくのでござろう?」
「あのねぇ、私はあんたを迎えに来たのよ?それにこんなところから日帰りさせる気?」
「東京に戻ったらタマモと一緒に働くのでござるなぁ。」
「・・・・・・・・ふふん、こき使ってあげるわよ、ブルーワーカー。」
「やっぱお前来んな。」
後日、金髪の美しい妖狐がシロの同僚として配備された事は言うまでもない。