午後3時過ぎ。
かつて美神除霊事務所と呼ばれた建物では三人の美神の女がティータイムの歓談を楽しんでいた。
艶やかなニンフの姉妹のようにも見えるし、三人並ぶと1人の美しい女性の成長の過程をそのまま切り取ったかのようにも見える。
40を過ぎてもその美しさにいささかの翳りも見当たらぬ母、美神美智恵。
命の宿る腹部が目に見えて膨らみ、その表情にも母性的な柔らかさが宿ってきた長女、横島令子(旧姓美神令子)。
そして色が変わるほど蜂蜜を入れた甘い紅茶を幸せそうに飲む次女、美神ひのめ。
「大分大きくなって来たわね。ひのめの時を思い出すわ。」
「これからあんな騒動が起こるかと思うとぞっとしないけどね。」
おどけて笑ってみせる令子。ひのめは不思議そうに令子のおなかを見つめている。
「ほんの10年前まで私もママのおなかに入ってたって言うんだから驚きよね。しかしよくもまぁ膨らむもんよねぇ。」
「ひのめ、あんたねぇ。私のおなかは発酵中のパンじゃないんだからね。」
ぺたぺたとひのめが令子のおなかを触っていると、人工幽霊一号が来客を告げる。
「西条君ね。通してあげて。」
ドアを開けて入ってきたのは確かに件の西条輝彦であったが、よく知るものでなければその判別は難しかったかもしれない。
「西条さん、どうしたのその顔?」
ひのめが呆れるのも無理は無い。日頃礼節と常識を重んじる男西条輝彦は満面の無精ひげに覆われ、目は落ち窪み、全身からタバコとコーヒーの臭いをさせていた。
「仕事に行き詰ってるって言うから気分転換に呼んだんだけど、これはまた久しぶりに凄いわね。」
美智恵も呆れ顔である。
「パイロキネシスト?」
「どうやらその線が濃いんだよ。」
美智恵は取り敢えず西条に顔を洗い、髭を剃るように言ったが、昨日は泊り込みだったと聞くとシャワーを浴びるように厳命した。
西条にはいささかサイズの小さい横島の服を着せて、着ていたものは洗濯機で回っている。
ようやく紅茶を啜る西条の口から出てきた言葉は美神家にはお馴染みの単語だった。
「わたしと同じって事ね。」
ひのめが臆すことなく言い放つ。
パイロキネシスとは発火能力や操炎能力と言った炎を司る能力の総称である。ひのめは人類有数のパイロキネシストとして生を受けた。ひのめがす、と人指し指を立てるとそこに小さな炎が点る。
「ま、そういうことね。こっちはずいぶん性質が悪いみたいだけど。」
「令子ちゃんの言うとおりだね。僅か一月の間に都内限定で5件の全焼、21件の類焼だ。都の消防署員は寝る暇もないほどの忙しさらしいよ。」
それは現場の捜査官も同じ事だがね、と言って西条は紅茶を口元に運ぶ。
「現場のって、西条さんはもうICPOの日本支部長でしょう?少しは下に仕事を任せられないの?」
令子の言葉に西条は苦笑する。
「恥ずかしい話だが、ヨーロッパの本部にピート君を取られて以来日本支部は人材難でね。今はシロ君も人狼の里に帰っているし、僕が現場に出るしかないんだよ。」
日本の警察に心霊調査が浸透しないのはオカルトの普及率の低さだけに問題があるわけではない。単純に霊視に長けた人材の不足という面もかなり強い。個人のGSの能力は世界的に見ても非常に高い日本ではあるが、反面オカルトGメンの能力は世界平均に全く手が届かないほど低い。それでも道具を使って済むような単純な捜査であれば良いのだが、西条がこれほど手こずるほどの事件である。検鬼君で見つかるような相手ではあるまい。
「私が手伝えればいいんだけど、このおなかだし。旦那は出張で地球の裏側だしね。」
「ザンス王国だったかい?オカルト絡みのテロ事件を調査しに雪ノ丞君と行ってるんだったね。まぁ、あっちも一国家の存亡が掛かっているんだろうが、こっちももう――。」
10人死んでいるからね、西条が言い放った言葉に場が凍りついた。
放火は大きな建物ばかりを狙って5ヶ所。反抗は全て人気のない時間帯に行われている為、これでも被害は軽微と言わざるを得ない。
「とにかく犯人の足取りが全く?めない。これだけ厳重に警戒しているのだから未然に防げそうなものだが、気がつくともう建物は全焼近く、手が出せないほどになっている。何十階建てという高層ビルでもだよ。爆発物や発火装置を使用した痕跡はなし。そんなもの使えばとっくに尻尾は掴んでいるんだがね。」
日本の警察は優秀である。この国で隠し事を通すのは生半なことでは不可能だ。それでも一切の証拠が出てこないとすればそれは――。
「仕掛けなんて初めからない。つまり何の仕掛けも火元すらなしに発火できる人間、ファイアスターターって訳ね。」
「でもいくらなんでもそんなになるまで頑張らなくても・・・・。西条君もいい加減いい人見つけた方がいいんじゃないの?」
すると西条は一瞬令子を見つめた後、肩をすくめて見せた。
「時間と、ご縁がないんですよ。」
美智恵が何かを言いかけたとき、人工幽霊が再び訪問の報を告げる。
「タマモ様がお帰りになりました。」
「げ。」
ひのめが露骨に嫌そうな顔をする。
「じゃ、じゃあ、わたしそろそろ帰るわね。西条さんお仕事頑張ってね。お姉ちゃん紅茶ご馳走様。」
「ちょっと、ひのめ?」
ひのめがランドセルを手に取り慌てて部屋から出ようとすると、窓のほうから彼女に声がかけられた。因みにこの部屋は二階である。
「あらひのめちゃん、もう少しゆっくりしていったら?それとも急ぎの用事でもあるのかしら。」
ひのめが恐る恐る振り返ると、金髪をナインテールに結び上げた美しい女性が窓の縁に腰掛けていた。
「例えば、家庭教師が来るのをママに黙って出かけて・き・た・と・か?」
「ひのめ、あんたって子は。」
「あぁ〜ん、許してママ〜。そんな魔人も裸足で逃げ出すようなメンチ切らないで〜ッ。大体なんで先生ここが分かったのよ〜。」
ひのめは泣き出しながらタマモに話しを振る。タマモはひょいと飛び降りると重さを感じさせない軽やかな歩調でひのめに歩み寄り、額に軽くでこピンする。
「あんた、馬鹿?あんた、さっき発火したでしょう?どんなに小さな炎だってあんたほどの能力者が力を使ったら、狐火使いの私が分からないわけないでしょう?」
・・・・・・・・・・・・。
「「「「あ。」」」」
「な、なに?」
一同の視線が自分に集まり、思わず身を竦ませる妖孤であった。
「十中八九ここだわ。」
胸元を強調する白いセーターにタイトなミニスカート。成長したタマモの服装は大家のファッションに少なからず影響を受けていた。
「済まないね。学生の君に出張ってもらって。」
西条は本当に済まなそうに苦笑して、缶コーヒーを口元に運ぶ。
「別にいいわよ。お小遣いも欲しかったし修論も大体終わって気分転換したかったし。それよりなんでこんな昼日中からこんなところにいるのかしら?」
タマモたちが行き着いたのは都内某所の某高層ショッピングモールであった。平日の昼間とはいえここは多くの人で賑わっている。
「現場の下見に来ているのかもしれないな。ターゲットはここではないということも考えられるし。取り敢えずタマモくんには安全な所から犯人を特定してもらって―――。」
「!?」
瞬間、タマモの絶世の美を誇る相貌に獣の表情が浮かぶ。それは背筋が凍るほどの――美しさであった。
「ど、どうした、タマモくん?」
「奴が火を使ったわ。こんなに人がいるところで。正気なのッ!?」
駆け出すタマモを西条が慌てて制止する。
「この先は君の領分じゃない。今から応援を呼ぶから君は安全な所に―――。」
「そんな暇はないわ。相手は瞬く間に高層ビルを焼き落とすほどの能力者なんでしょう?それにこの力、ひょっとしたらひのめ以上の・・・。」
タマモは制止を振り切って駆け出す。
「クソッ。待ちたまえタマモ君ッ!!」
西条が悪態を吐いたのはタマモに対してではなかった。それはショッピングモールの中でもひときわ大きな建物、高層のセントラル・ビルからあふれ出てきたどす黒い煙とパニックになった人々に向けられたものだった。
「はい、横島です。何だ、あなた?どうしたの国際電話なんか掛けてきて?」
『令子か。こっちの仕事のほうは雪ノ丞となんとかしたんだが、ちょっとまずい事になった。取り敢えずお養母さんと連絡をとって東京を離れろ。』
「どういうことよ。ママならここにひのめといるけど。」
その様子にただならぬ気配を感じた美智恵が電話をモニターにする。
『丁度良かった。ザンスの王立特殊部隊と一緒にザンス解放戦線の根拠地に突入したまでは良かったんだが、奴らとんでもない隠し玉をもってやがった。人造魔族だよ。』
「人造―――ッ!?でもこうして電話してきてるって事はそいつは倒したんでしょう?」
『雪ノ丞と【同】【期】して漸くな。』
「!?」
『残った情報をかき集めて分かった事がある。どうやら同じ人造魔族が日本にも送られてるってことだ。どうしてそいつが潜伏したまま目立った行動を起こさないのかまでは分からんが、とにかくお前がその体で東京にいるのは危険だ。今すぐお養母さんと東京を離れろ。次の便で俺はすぐに日本に戻る。【転】【移】したいところだが日本までだと文珠を何個使うかわからん。奴と戦うにはなるべく温存しておきたいしな。』
「それ程の相手なわけ?どんな奴なのよ。」
『・・・・・・・・・今雪ノ丞は集中治療室に入っている。命に別状はないが危うく右腕を持ってかれそうになった。』
「忠雄くん。怪物のベースになった魔族は一体何なの?」
美智恵がたまらず口を挟む。
『わかりませんが、かなり高位の魔神の組織体を使ったようです。炎を操るんですが、反応がコンマでも遅れてれば、雪ノ丞の腕が魔装ごと蒸発するところでしたよ。』
「炎・・・・・・・・。」
「ママッ!!」
「あんたが今回の元凶ね。」
タマモと西条はビルの中程のロビーに行き着いた。そこには黒ずくめのスーツ姿の男がいて、今しも魔獣の本能を開放せんとしていた。
「ギ、ギギギギギギ。」
「なんだかわかんないけど苦しそうね。心配しなくても今すぐに、極楽に、行かせてあげるわ!!」
(続)