ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE・外伝〜ピースメイカー〜(中編)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/ 9/19)

 轟音が地下墓地(カタコンベ)を鳴動させた。

 剣士の頭部が砕け、血が霧のように舞う。




 ――いや、砕けてはいない。砕け、弾けたかに見えた頭部の『着弾点』を中心として舞うのは、血の色の霧……。

「なッ……まさか、こいつは――」その身を霧と変え、必殺の銃弾をやり過ごす、という一部始終を見ていた唐巣の眼光から鋭さが損なわれることはなかったが、遥かな昔から伝説とともにある、人間にとっては深い恐怖をももたらすその名が口から飛び出してしまうことを止めることは……出来なかった。「吸血鬼!!」


「……ご名答」
 人を食ったかのようなバリトンは、唐巣の背後から聞こえた。

 危険を直感し、振り向きつつ一歩飛び退ろうとする唐巣だが、血の色の霧から突如として顕れた腕が、その左腕を掴んでいた。
「遅い……な」

 唐巣の左腕をつかんだ左腕……そして、空中に現れた頭部を核として、人の形に密度を増した霧が一点に集まって行き、ヴァレンティノの肉体が顕現する。

 着衣や鍔元を血に染めた長剣もそのままに顕現した元執行官は、左手一本で唐巣の左腕を巧みに極めつつ、逆手に持った長剣を唐巣の顔に突きつけて「男の首筋に吸い付く趣味は持ち合わせていないんだが……霊力を持った者の血は少しであっても力を与えてくれる、との主の仰せなのでな――――」耳元で囁くように言った。




 睦言の甘さをも秘めた囁きは……銃声によって中断した。

 ヴァレンティノの両肩が弾け、腕に込められていた力が抜ける。

 『チャンスは、今しかない』睡魔との必死の奮闘を繰り広げながら、辛うじて持ちこたえた座学の記憶を掘り起こし、夜の眷属の王たる存在、といっても差し支えない吸血鬼の持つ特性を脳の記憶野から引き出した唐巣は、人間には到底不可能であるその再生能力を発揮するより早く自らを戒めていた吸血鬼の腕の届く範囲から逃れる。


「悪い……助かったぜ」
 言いつつ、ピースメーカーのリボルバーを開いて弾を込めなおす黒髪の少年に「ふん……減点だな」一切の感情を乗せることなく返す銀髪の青年。

 だが、一旦は危地は脱したものの、現在の状況が危険であることに変わりはなかった。

 射撃と同時に行われた抜き打ちの斬撃を、あえて前に出ることによって切れ味の弱い鍔元で受けることには成功したとはいえ、やはり無傷というわけにも行かず、ルッカは脇腹に出来た傷口から血を滴らせている。

 最初の攻防で相手の武器の間合いは把握出来た。

 だが、こちらの唯一と言っても過言ではないアドバンテージである『間合いの差』も、相手が自らの身体を自在に霧に変えることが出来るとあっては、余程の好機に恵まれない限り大した意味をなさなくなってくる。


 どうすれば、その『余程の好機』を作り出せるか――――考えてみるが、判らない。


 判るのは、この膠着が、こちらにとって不利であるということだけだ。



 夏でありながらも底冷えする、地下墓地の乾燥した空気に包まれながら、唐巣の首筋に汗が一筋流れる。



「どうした?こないのなら……こちらから――――」ヴァレンティノのその言葉とともに、再び霧が周囲を満たす……一欠片の違和感とともに――。



 ――――――――違和感?


 違和感の正体が霧の色の違いにあることに気付いた唐巣は、照準を絞る余裕をかなぐり捨てて銃爪を引く。

 見当で撃った銃弾は一発が空中を裂いたものの、続けて放ったもう一発がヴァレンティノの群青の法衣の腹部に赤い血の華を咲かせ、完全に霧となる直前の吸血剣士の動きを一瞬だけ止めた。

 そして、その一瞬を見逃す程、“隼”の名を戴く武装執行官であるルッカも甘くなかった。剣士の持つ最大の攻撃手段でもあり、同時に急所でもある『剣』を潰すべく右腕に狙いを絞り、マガジンに装填された弾丸全てを叩き込む。

 拳が割れ、腕と右半身の肉が銀の銃弾によって引き裂かれる。

 しかし、その危難にあってもヴァレンティノがその身を霧と変えることは許されなかった。

 ――――左の二の腕に巻きついた一本のワイヤーが、ヴァレンティノの身体を呪縛し、繋ぎとめているのだ。


「ち……呪縛ワイヤーかっ!」舌打ちとともにヴァレンティノは右手から長剣を取り落とす。


 だが、それは長剣を握るだけの力を喪ったが故のことではない。確固たる意志を持っての『行動』だった。

 取り落とした長剣が床に落ち、甲高い音を立てて跳ねる一瞬……剣士の右脚が翻り、長剣を掬い上げていた。

 掬い上げられた長剣は明確な意思を持ったかのようにヴァレンティノの左腕に向けて飛び、その二の腕に突き立つことで……主に巻きつき、この場に縛り付けていたワイヤーを切り離していた。


「なにっ!」
 極細の鋼と女の髪とを幾本も拠り合わせ、剛性と弾性……そして呪力を兼ね揃えたワイヤーを難なく断ち切られたその様に、驚きを湛えた――唐巣のものとは違う少年の声が響く。


 その驚きと、白い霧の中から突然現れた金髪の少年の姿に一瞬目標を見失ってしまった戸惑い……そして、モーゼルのマガジンを交換する一瞬の隙が……吸血鬼と化した剣士にその全身を霧に変えるに必要な一瞬という『時間』を与えていた。



 血のような紅さの霧が四方に飛び散り、乾燥した壁面に吸い込まれるかのように消える。





「くっ……逃げられたか」

 強敵を取り逃がした痛恨に歯噛みする金髪の少年に、「助かったけど…何者だ、アンタ?」黒髪の少年が駆け寄り、尋ねる。

「……僕は――」

「見て判るだろう――こいつも吸血鬼だ」ハンマーを起こす、かきり、という音が――金髪の少年の言葉を遮った。




 その光景に唐巣は己が目を疑う。

「……な、なに考えてるんだ、アンタ!?」

 目の前には、自分達の危険を救うきっかけとなった金髪の少年の眉間に銃を突きつける銀髪の青年の姿があった。

「敵の敵は味方、とは限らないということだ。ましてや、こいつは主の祝福を受けることなどありえない存在――吸血鬼だ。何がどうあれ、ゆくゆくは人に仇なすことは判りきったことだろう」

「そんなことは、言い切れねぇだろうがっ!!」
 当然の如く言い切るルッカと戸惑いを見せる吸血鬼の少年の間に割り込み、唐巣は言い放つ。

「どけ、唐巣……邪魔だ」
 生徒の反抗を意に介さず、冷然と応対する。

「どかねぇよっ!こいつは俺達を助けたんだ!それを撃とうとするなんて、アンタはそれでも人間か?!」

「人間、か……お前が執行官を目指すというのなら、自分が人間であることは忘れろ」

「なんだと?」

「お前には覚悟が足りないようだから、この際言っておく。
 執行官というものは神の剣であり、盾である――ただそれだけの存在だ。人間である必要はない――そうではない奴は……いくら腕が立とうとも、仲間を巻き込んで壊れて堕ちる。あのヴァレンティノの様にな」
 徹底して表情を消したルッカの言葉が――唐巣の心を揺さぶる。




 だが、それでも唐巣の眼差しはルッカの銃口を正面に捕らえ、喰らいつき――離さない。




 二人の間を隔てる1mに満たない距離にわだかまり、纏わりつく……殺気にも鉛にも似た沈黙――それを解いたのは、金髪の少年がその右手から放った霊波砲と……霊波砲によって貫かれ、人が並んで通れるだけの大穴を剥き出しにした壁面の一角が崩れ落ちる音だった。

「貴様、何をす―――!」
 唐巣の身体を死角として、横合いに霊波砲を放った吸血鬼の少年を訝り、声を上げるルッカ。



 その声が、途中で止まる。


「ヴァチカンの武装執行官の方とお見受けします」
 ホール状に開けた地下墓地の一角に、通る声が響く。

「僕を倒す、というのなら、あとで改めて全力で立ち向かいます――――ですが、今はそんな場合じゃないんです!」
 無茶苦茶な物言いをしつつ、壁に開いた穴……舗装され、踏み固められたそれまでの通路とは明らかに違う、土壁によって封じられていた自然の洞窟に向かう蜂蜜色の髪の吸血鬼―――その脚が……壁の残骸を乗り越えた。
「今は何よりも、一刻も早く彼女を――“夜魔の女王”の二つ名を持つ吸血鬼・クラウディアを倒さないといけないんです!」

「夜魔の……女王?」

「……クラウディア、だと?」驚きに目を見開いたルッカが、鈍い銀の光を放つ愛銃をホルスターに収めながら続ける。「―――詳しい話を、聞かせてくれるのだろうな」



















「――――シチリア島というのは、様々な文化が交じり合っている、というのは知っていますよね?」
 ピエトロ=ド=ブラドー……ピートと名乗った少年は、自らを吸血鬼ブラドー伯爵を父に持つ半吸血鬼であると告白すると、懐中電灯の灯りを頼りに歩を進める聖職者とその見習いにそう切り出す。
「ギリシャの頃に始まり、原始キリスト教、ムスリム、ノルマン……そして、カトリック――様々な勢力がこの島を支配しましたが、他の地域と違い、不思議とこの島ではそれまでの文化を破壊するという愚行はそれほど起こりませんでした。原始キリスト教時代の遺産であるこの地下墓地が今もなお形を止めていることが、その証拠です」

 眼前に広がる漆黒から目を切ることなく、こつりこつりと高い靴音を立て、ギリシャ神話でいう奈落の牢獄――タルタロスの深淵を思わせる闇へと歩みを進めるピートに、見た目では同年代の少年が苛立たしげに声を掛ける。
「別に歴史の講釈はいらねぇよ。肝心な……えっと、クラウディアって言ったか――その吸血鬼について教えて欲しいんだけどな」

「判りました」短気さを隠そうともしない唐巣の応えにも厭な顔を見せず、頷き一つを見せて応じると、ピートは言葉を紡ぐ。
「“夜魔の女王”クラウディア――かつてこのシチリア島の夜を支配していた、齢2000年にも及ぶもっとも強い吸血鬼の一人です。直接は知りませんが、もともと彼女も今のブラドー島のみんなと同じく人間との共存を選ぶ吸血鬼だったそうですが、800年程前に突然人との共存を捨て、最終的にはこの地下墓地に封じられた、ということです」


「ブラドー島?」ピートの口から流れ出たその聞きなれない地名に、唐巣は怪訝そうに首を傾げる。


「ああ……説明するのを忘れてました――ブラドー島というのはこのシチリア島から北におよそ300キロ離れた場所にある僕の故郷です。700年前、『ヨーロッパの魔王』の異名をとる伝説的な錬金術師――ドクター・カオスによって滅ぼされかけたブラドーが残された魔力を使って結界を張り、人間には知覚出来なくなっているんですが……それもブラドーが目覚めるまでのことです。
 その前にブラドーを封印する手段を探していたんですが……2、3ヶ月前、ブラドーと同等の力を持つ吸血鬼がこの地下墓地に封じられている、という話を聞きまして――」

「その封印の方法を知りたい、ということで、ここにやってきたということか?」

 ピートの頷きが、ルッカの言葉を肯定する形に動いた。

「ですが、ここに来る前にロンドンのヘルシング教授やプラハで偶然出会ったドクター・カオスの下で情報を仕入れてきたのが仇になりました。まさか、封印が解かれてしまうとは思いませんでしたし、まして、あれほど強力な眷属を従えているとは――」
そこまで述べると、何かを思い出したかのようにピートは二人に向き直り、尋ねる。
「しかし、気になることがあります。彼女が“夜魔の女王”と呼ばれ、恐れるようになったのは、もともと人間に害を為す妖怪や魔族からのみ吸血を行い、その魔力を自分のものとしていたからです。実際、文献を調べてみても、人間を襲うようになった時にもただ殺戮するだけで、吸血行為は行わなかった、とありましたからね。
 でも、あの元執行官は明らかに吸血鬼でした。彼女ほどの吸血鬼が眷族を増やす、ということになると、厄介なことになります。最悪、かつてブラドーがヨーロッパを席巻した時と同じように、ヨーロッパに多大な被害をもたらす事態に陥るかも――――」

 青ざめた顔で言う半吸血鬼の少年の言葉。だが、「その心配はそれほどないだろう」ルッカがその心配を即座に否定する。

「奴はまず間違いなく、堕天使になった末にその吸血鬼――クラウディアの眷属になったのだろう。ここに来る前に、悪魔を祓いに向かったチームの仲間三人を斬り捨てて逃走したのが、奴が堕ちた何よりの証拠だ」


「ちょ……ちょっと待ってくれよ。堕ちたとか、堕天使になったとか――そりゃどういうことだよ?」
 こともなげに言い切ったルッカの言葉に、唐巣は驚きに目を丸くする。

「そのままの意味だ。奴は力を使いすぎた挙句、その力に呑みこまれて人ならぬもの――我々の間では便宜的に“天使”と呼んでいる亜神になり……そして、堕ちた。結果、奴は主と人の敵となったということだ」
 唐巣の驚きを意に介することなく、銀髪の執行官はさも当然といった風情で淡々と返した。

「別に驚くことではないだろう。
 人ならぬものを相手にするためにこちらも人外の力を振るって対抗している以上、その限界を超えてしまえばああなることもある、ということだ。私も、お前も含めてな――。
 覚悟を云々したのは、つまりはそういうことだ。精神の磨耗と力を使うことが侵食を招き、暴走を引き起こすならば、自らを鍛え上げ、人外の力を振るう頻度を出来るだけゼロに近づけることで暴走の危険性を押さえ込むことが最良の選択だ。だが、余計な感情を持ち続けていては、万一暴走した場合に昨日までの味方を撃つことも、一秒前の味方に斬られることも出来なくなる。
 あいつはそれが出来なかった。そして、その心の弱さを持ち続けたまま戦い続け、結局耐え切れずに――堕ちた、ということだ。だが、ただ堕天使化しただけならまだしも、吸血鬼にまでなっているとは……多少は厄介だな」

 だが、唐巣の耳にそのルッカの言葉の後半は半ば届いてはいなかった。

 魔装術というものがある。

 ネイティブアメリカンの間に伝わる、化粧と踊りなどの儀式によって『偉大な精霊(グレイトスピリッツ)』の力をその身に降ろすことにより、その身体能力を大幅に引き上げるシャーマニズムの一種――所謂サン・ダンスなどに極めて近いが、化粧や儀式といった触媒を使わずに自らの身体そのものを依代として魔力の装甲を纏うと同時に、身体能力を飛躍的に向上させることで攻防両面を強化するものだが、触媒無しに即座に行えるが故にその制御が巧く出来なければ暴走を引き起こし、最悪の場合、自らがその身に宿した魔力に侵食され、魔族に変じてしまう邪法でもある――魔装術について唐巣がそう教わったのは、つい一昨日のことだ。

 その時に改めて『力に呑み込まれないように、心を強く持つ』と心に刻み付けた唐巣にとって、心を切り捨て、人であることを放棄する、という自らの決意と真逆のやり方で侵食、そしてその後に来る暴走を抑え込むルッカの言う方法論は、その邪法と何ら変わりない――そうとしか、思えなかった。




「俺には……」その想いが、唐巣の口から零れ落ちる。「俺には、それは出来ねぇよ」


































「ふむ……手ひどくやられたな」
 金髪の『少女』が、跪くことで自らの目線の高さにまで高度を下げたハシバミ色の髪を右手で梳(くしけず)りつつ、ただ一人の眷族に向けて言う。

「申し訳ありません。最大の障害となるであろうファルコーニを討ち漏らした上に、抜け道まで察知されてしまうとは――」

「ふふ、まぁそれについては仕方あるまい。あの局面で助っ人……ブラドーの息子が来ると察知することなど、私にも無理……それこそ、ヴァチカンの『666階』の主でなければ知ることなど出来ぬことよ」幼さの覗く顔に似合わぬ時代がかった口調で、眷属の髪をいとおしそうに撫でながら返すと、その形の良い顎で中空に浮かぶ映像を指し示す。「しかし、お主の存在のお陰であ奴らに想いがけず迷いと不和を撒くことが出来た。それで善しとするが良かろう」

「そう仰って頂き、助かります」

「なに、そうかしこまることもなかろう。私に巣食う“彼奴”は不和の味を味わい……そして、その動揺を持ったまま私に挑むことが天使化を加速させることに繋がり、私はその末に生まれた天使の血によって、漸く乾きを満たすことが出来るのだからな」
 言葉とともに、ヴァレンティノのいまだ傷の癒えぬ右目の上に深く食い込む銀の弾丸を抜き取ると、幼さと妖艶さを絶妙なバランスで両立させた容貌を持つ吸血姫・クラウディアは刃の鋭さを持つ紅爪をそのまま握りこむことでその右拳から数滴の血を滴らせる。



 真祖の血に宿る魔力が、眷属の傷ついた身体を爆発的に癒す。



「……なんにせよ、あの人間嫌いのブラドー坊やに半吸血鬼の息子か……長生きはするものだのう」
 含み笑いが、薄明るい玄室の中に拡がった。




















「出来ない、だと?」

「ああ、出来ないね。俺は心を捨ててまで人間止めてまで強くなることは出来ねぇし、人を護ることも出来やしねぇ。第一、心も何もねぇただの道具が他人を護ってやれるはずなんてねぇに決まってるだろうが!」
 憤懣を露わにして噛み付く唐巣。

「言ったはずだ……余計な感情を持ち続けていては――堕ちるだけだ、とな」
 しかし、噛み付かれたルッカの側はその感情の発露を若さ故の憤りとばかりにいとも簡単に斬り捨てる。
「疑いも、迷いも持たぬ神の盾であり、剣である――執行官というものはつまりはそうあるべきものだ。感情を拠り所にするような奴は、その神経を磨耗させて堕ちるだけだ」

「そんなこと言い切れるのかよ!」
 無下に斬り捨て、更に先に進むルッカの肩を掴む唐巣の耳に「無論だ」即答が、帰ってきた。

「私が堕ちた『元人間』を何人見て……そして、何体の堕天使を狩ってきたと思っているんだ?」限りなく殺気に近い、凄みのある視線を自らの肩を掴む黒髪の少年に向け、続ける。「……12年で23体だ。それだけの元仲間を狩って、人間の感情を持ち続けることの出来る人間などいるはずはないだろう?ましてや、元仲間を狩りに行き、その最中に精神を折り、堕ちる者も一人や二人じゃあない――心を斬り捨て、精神を凍りつかせるというのは、それを防ぐには最も有効な手段……違うか?」

 肩を掴む右手首を掴み、引き剥がす。

「違う!」
 受け止めた視線を正面から跳ね返し、真っ向から強い視線と反論とを返した。
「確かに執行官には憧れてるし、俺を送り出してくれた波戸のじーさんにためにも、俺は執行官にならなきゃいけねぇ……だけどな、それ以上に俺はあくまで人間だ。
 第一、俺が一番最初に聞いた神の声は『為すべき事を為せ』だ!その『為すべき事』を、心を殺したままで判断出来るはずねぇに決まってるじゃねぇか!」


「ふん。青いことを言うのは勝手だが……主の御名を自分のエゴを押し通す理由に使うな。
 心というものは、いくら鍛えようとしても、絶対に脆さは残る。戦いの中で磨耗し、壊れた精神が堕天を引き起こす最大の要因であるということが判っているのならば、いっそ感情を持たない方がいい。
 私はそうして生きてきた。それに……」
 唐巣の右手首を解放したかと思うと、瞬く間にその胸倉を掴み、洞穴の壁へと押し付け、続けた。
「言っておくが、私が生まれた時からずっと聞こえ続けている主の声は『神の正義を為す“剣”となれ』だ。自分だけが神の声を聞いていると思って、利いた風な口を聞くな」
 銀髪の神の使徒が放った静かな恫喝は、唐巣を解放することですぐに収まる。
「余計なことは考えるな。今はただ、危険極まりない敵を倒し、その上で生き残ることだけを考えろ」

 押さえ込まれたことで数瞬活動を止めた肺が空気を要求したことによって咳き込みながらも、その視線に込めた力を敵愾心とともに増して睨みつける唐巣と、その唐巣に心配そうに駆け寄るピートを無視し、ルッカは背に吊られた白銀のモーゼルを再び手に取ると、マガジンを装填し直す。



「大丈夫ですか?」

「ああ、すまないな」
金髪の少年の差し出した手を取り、すまなそうに立ち上がると、唐巣はふと脳裏を霞めた疑問を口にする。
「気分を悪くするかもしれないけど、一つだけ教えてくれないか……何で自分の父親のことを、名前でも『親父』でもなく『ブラドー』って呼んでるんだ?」

 半吸血鬼のあどけなさを残す顔が、一瞬引き締まる。
「気を悪くしたんなら謝るけど……俺も、正直親父とはいい関係とは言えなくて、つい気になってな」
 幼さの覗く顔を苦笑の形に変えて、多少の恥ずかしさを見せながら言う唐巣に、ピートもまた、苦笑しながら応じる。

「……そう、だったんですか」



 共通の話題があったのが幸いしたのだろう。
「――――実を言うと、あいつを親父と呼ぶのが……恥ずかしくて……」

「頭の中身が13世紀のまま、か――なるほどね……それは」
 打ち解けた二人は並んで歩きながら言葉を交し合う。

 だが、その会話は途中で途切れざるを得なくなった。



 侵入者を阻むかのような重厚な扉……その一部が――おそらくは鋭利な刃物による斬撃で――破壊され、侵入者を阻み、中に住まう者を閉じ込めるその役目を果たせなくなった扉が懐中電灯の灯りに照らされて存在を明らかにしていたからだ。











「これだけの魔力を……隠しもせずに……」
 姿を見せていないにも関わらず、空気を微かに振動させるほどの圧力を伴った魔力を放出させる扉の中の住人――その存在に背筋に冷たさを覚えるピートの横顔に静かに指示を出したのは、意外にもルッカだった。

「気を抜くな…貴様の半分は吸血鬼とはいえ、もう半分は人間だ。私や唐巣と違い、主の御加護を受けていない以上、純血の吸血鬼よりは魔力に対しての抵抗力は薄いはず……違うか?」


 思わぬ人間からの指示に、ピートは思わず怪訝そうにルッカに視線を巡らす。

「自分で言わなかったか――あとで相手になる、と?
 ここを生き残らなければ『あと』も何もなくなる以上、戦力として使えるものは使ってその『あと』を生み出す率を上げる……それだけだ」



 やはり静かに言いながら、銀の髪の武装執行官は右手に持っていたモーゼルの銃爪を引く。

 その冷たさの覗く視線は前に保ったまま、肩越しに、後へと――。




 金属同士が触れ合う音が響き、漆黒の闇に火花が生み出される。


 二発、三発と続けて放たれた銀の弾丸が同じく弾き飛ばされ、その都度生み出された火花がハシバミ色の髪を持つ吸血剣士の輪郭を、闇の中から浮かび上がらせた。


「何時の間に後に?」
 驚きを隠さない唐巣に向けて、視線を前から外すことなくルッカは言う。

「恐らくは、魔力を過剰放出することによって、抜け穴か何かから背後に回った眷属を察知されることを避けるように仕向けたのだろうが……相手が悪すぎたな」

 応じるバリトンは、ややお道化た響きを含んでいた。
「確かに『全てを見通す目』の持ち主のお前を相手に奇襲が通じるとは、思ってもいなかったが……冷たい奴だなぁ。元仲間だというのに、名前で呼ばずに『眷属』呼ばわりとは」


「堕ちた上、あろうことか吸血鬼になったような執行官の面汚しが言えたことか……元執行官の下っ端吸血鬼?」ヴァレンティノに対して視線を交わすことなく応じたルッカは「お前達はこいつの真祖を……吸血鬼クラウディアを倒せ。特に唐巣――お前はまだ検定中だ。私が合否を決めるまでは死ぬことは許さん」二人に言うと、踵を返して改めてヴァレンティノに向き直った。


「判ったよ。アンタのフォロー抜きで倒してやる」腰に吊ったホルスターから、『平和を作るもの』の異名を持つ拳銃……コルト・シングルアクション・アーミーを抜き放ちながら――。

「……気を付けて」霊力をその両手に纏わせて――。

 背中越しにルッカと言葉を交わした二人は、眼前にわだかまる闇に視線を投げかける。




























 『ふふふ、どこを見ておる?』含み笑いの混じった声は、『三人の』背後から聞こえた。

 思わず振り返った唐巣とピートは己の目を疑う。

 その身を霧と化した訳でもない。だが、唐巣達とルッカとの間、その3mにも満たない隙間には、燃え立つような金髪を有する赤い瞳の少女の姿があったからだ。


 ――――まさか、魔力を放出していたのは、転移する自分の存在をカモフラージュするためか?

 戦慄とともに唐巣がそう思い至ったその時、鮮紅色のドレスを纏った少女の両手には既に圧縮された魔力が宿っていた。






 クラウディアが、胸の前で交差させていた両腕を……ゆったりとした風情で左右に開く。



 『吸血姫』の両掌から左右に……極限まで圧縮された魔力が放たれた。

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