ザ・グレート・展開予測ショー

フォールン  ― 18 ―


投稿者名:フル・サークル
投稿日時:(05/ 8/29)




 横島達を乗せたワゴンは狭い角を何度も曲がりつつ、危うげに疾走する。車の進行方向を見て横島が、運転席の雪之丞に訊ねた。

「向こうの国道で高速入るのか?」

「バカ言え。そんな所Gメンがとっくに張り付いてる・・・この先にな、少し広い一方通行があるんだ・・・それを逆進して、ここから回れない筈の道へ出る」

 遠く響く複数のサイレン音。目の前に雪之丞が言った一方通行らしき、矢印標識が迫っていた。行くぜっと短く叫び、雪之丞は矢印と反対の向きへハンドルを切り、アクセルを踏み込む。

――――プァンッッッ!

 ある筈のない対向車の出現に、真ん中を走っていた軽トラックが端に寄りながらクラクションを鳴らす。その脇をワゴンは余裕を持って通り抜ける事が出来た。

「何だよこの道・・・一通なのに二〜三車線分あるじゃんか」

「停めっ放しにする奴とか多いんだろ。こんな入り組んだ場所でもたまにはこーゆー道もあるのさ・・・連中の先回りコースには俺らがどこかで逆進するって想定はねえ。この先は多分ノーマークだ・・・このまま裏道だけ使って隣区まで行くぞ」

 つき当たりのT字路で一方通行の逆進を終え、何かの敷地を広く囲む塀に沿って車を進めていた時、横島はやっと、自分が今までシロを抱きかかえたままでいる事に気付いた。
 彼女は発車時――バックしながらビルの壁に衝突した時――どこかにぶつけたらしい後頭部をまだ両手で押えていた。横島は動揺を誤魔化そうとしたのか、シロに声を掛ける。

「あー・・・大丈夫か?こぶでも出来たか?」

 逆効果だった。顔を上げたシロは、自分の体勢に気付くと次の瞬間、彼を見たまま頬を紅潮させながら言葉を詰まらせた。

「わっ、わわわ・・・えっと、その。せんせい・・・つまりでござる・・・!」

 腕の中で顔を赤らめて口ごもる彼女に呼応して、横島も顔を赤くし始める。
 二人で焦ってればますます気まずくなる――とでも思ったか、まず横島が動揺を振り切る様に、シロの身体を押し戻すと後ろを向けさせた。

「どれ、大した事ねーと思うけど、ちっと見せてみ?」

「あ、いや拙者、大丈夫でござるよっ」

「いいから」

 後頭部の髪を軽く掻き分けて覗き込み、こぶの具合を確かめる。その間、シロは大人しくされるがままになっていた。

「・・・こことか、痛むか?」

「大丈・・・夫でござる・・・」

 少し腫れてはいたが、すぐに引っ込むだろう。
 横島が頷きながら掻き分けた髪を元に戻した時、シロがふいに問い掛けて来た。

「行きがかり上、ついて来てしまったでござるが・・・先生、迷惑でござったか?」

「・・・・・・え?」

「拙者、先生のお役に立てればと思って・・・でも、ひょっとしたら・・・今、拙者がいたら・・・邪魔なのでは、ござらんか?」

「おい、何言ってんだよ?邪魔とか邪魔じゃないとかって話じゃねーだろ・・・大体、お前、今行く所ないじゃんか。西条の馬鹿のせいで・・・・・・」

 横島はそこまで言って言葉を濁す―――西条のせい、なんかではない。

「また山奥にでも行けば・・・里に帰っても、拙者は大丈夫なのでござる。でも、イヤだったのでござる・・・そのまま先生のお役に立てない事、先生を守り、見届けられない事は・・・」

 拙者のワガママなのでござる。小さい声で彼女はそう付け足した。

「だからよ、邪魔とか迷惑とか、それ違うだろって?それ言ったらむしろ俺が・・・」

「先生が、どうされたのでござるか?」

 運転席の雪之丞はバックミラーで二人をちらっと一瞥してから、声に出さずに呟く。自分の事じゃねえなら分かんのか。
 シロに問い掛けられた横島は少し視線を宙に浮かせ、再びシロに戻す。

「お前、何でここまで巻き込まれてんだよ・・・?弟子だからとか言うなよ。ただの弟子が師匠の弱音に付き合う筋合いなんかないんだからよ・・・俺がお前らの邪魔になって・・・」

「先生、さっきと言ってる事噛み合わない・・・邪魔とか迷惑とか、違ったのではござらんか?」

 横島は言葉に詰まる。直後、運転席からクククと笑う声。

「犬塚の勝ちだな・・・ったく、モテモテじゃねえか」

「――モテモテ?・・・俺がか?」

 横島は怪訝な顔を雪之丞に向ける。

「他に誰がいるんだよ?・・・おキヌと言い、そいつと言い、そんなにお前の事で胸を痛めながら走る女が何人もいてよ、それで自分はモテねえとでも言うつもりか?それでも言うなら謙遜でも自虐でもなく、ただの甘えだぜ」

 バックミラー越しに横島を見る目が、最後の一言で険しくなる。

「いや、だってこれはよ・・・」

「“これは”何だよ?――まあ皮肉なもんだな。かつてあれだけ日頃からモテねえとかモテてえとか愚痴ってたお前が、いざ本当にモテてみると、あの女の事で頭いっぱいでそれに目を向ける余裕もねえと来たか」

 手前で、ウィンカーを出し十字路をゆっくり右折しようとする車が一台。ワゴンは停止してその車が曲がり切るのを待つ。

「それとも・・・・・・」

 雪之丞が再び口を開く。バックミラー・・・今度ははっきりと横島を睨んでいた。

「お前が頭をいっぱいにしてんのは、あの女の事じゃなく・・・てめー自身の事なのか?疲れて寂しくて誰でもいいから縋り付きてえ。だけど周りの連中にはスカしていたいからそれが出来ねえ。だからあの女に戻ってきて欲しいって・・・それだけの了見かよ?」

「お前まで・・・ピートみたいな事言うのか」

「奴じゃなくたって、誰だってお前にそこん所を訊きたくなるっつうの・・・俺は別に“それは駄目”ってんじゃねえぞ。だけどな、縋り付きてえなら求める相手が・・・手段が違うぜ。あの女を生き返らせるんなら、理由がそれってのは違う・・・理由と手段にきっちり筋通せって、俺は言いたいのさ」

 横島は雪之丞から目を逸らし、傍らのシロを見る。彼女は身体の向きを変え、彼をじっと見ていたが、やがて顔を伏せてこつんと額を彼の胸へ乗せる。

「どうして、なのでござるかな・・・拙者なら・・・先生に必要とされる事を迷惑だの滑稽だのと、思ったりはせぬのに・・・」

 前方の車が右折し終えると、今度は左の角からベンツが顔を覗かせた。こちら側へ向けてウィンカーを点滅させている。
 雪之丞は左手をさっと上げて見せ、そのままワゴンを前へと走らせる。




   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



 彼らの去った後、ベンツは滑らかにタイヤを左へ向けて曲がり始める。
 その車内―――巧みにハンドルを切る秘書の後ろで、神内は携帯片手に何度も相槌を打つ。電話を切ると苦笑いを浮かべながら、バックシートに深く背中を預けた。

「とことんこちらの思惑は引っ繰り返すつもりって事か・・・意外にもやってくれると言うか、嫌われたもんだと言うか。まあ、彼だけでって事でもないんだろうけどね」

 二人とも、さっき目の前を横切ったワゴンの運転者に見覚えはあったが、正味どうでも良かった――ここで何か出来る訳ではないし、それに―――この分なら、「彼ら」は逃げ切れる事だろう。

「いかがいたしましょう?西条捜査官が横島氏達を切ったとなれば、オカルトGメンは一枚岩です・・・正直言って、我々も彼らを切るべきではと私には思えます・・・今の美神美智恵に正面からぶつかるのは、社長の今後が」

「敵に回したからって娘は渡さんとか言い出すタイプでもあるまい。そういう問題でもないんだろうが。ところで・・・随分パトカーの数が多いね」

「はあ、S区警察署より現在13台、伊達氏の車両の確保に投入されているのでしたね」

「うん・・・Gメンからの要請で“彼”が指揮しているんだね・・・?」

「当然、そうなりますね」

 質問と回答ではなく、確認に重ねる確認。神内はにっと笑った。

「・・・・・・それって、かなりまずくないかなあ?ICPOが国際法の触法犯と定義出来ない人物を、それも幽霊・妖怪専門のオカルト関連がだよ、日本警察の警官やパトカーを指揮して逮捕するって言うのは・・・?」

「そんなの、彼らにしてみれば今更では?些末な問題行為はあのトップがいる限り・・・」

「今まで、問題にする者がいなかったからさ。彼女の力の及ばない場所でね」

 笑いながらの神内の言葉に秘書は頷く。

「とりあえず、この辺となるとさすがに僕だけではな・・・親父に話通してみるとするか」



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



 緊張――そして脱力。Gメン庁舎内は相反する二つの空気がない混ぜの、異様な雰囲気に包まれていた。

 横島忠夫と伊達雪之丞が発見される。しかし、同僚であったシロが内通者と確定され、その全員が逃走。
 警察の協力で非常線を敷くも、その30分後、突如、全ての警察車両と警官が現場を離脱し、西条他数名の捜査員が国際協定・諸法令違反で身柄を拘束されてしまった。
 法務省と公安委員会の上層部からGメンにかなりの圧力が掛かったらしい――それが、神内の差し金であった事は言うまでもない。
 Gメンはこの件での捜査を凍結し、国家公安委員会への諸事報告を求められていた。

 当然ながら、それ以外での捜査についてもストップ――今日の勤務に就いていた捜査官・職員全員が、僅かな事務処理を除いて何も出来ないまま、庁舎で待機している。

 突然の業務停止に憤りをぶちまける者。冷静に努め、状況を整理しようとする者。新たな指令の庁内放送を待ち、構えている者。
 そして―――すっかりどうでもよくなり脱力している者。どうしたらいいのか全く考えられず呆然としている者。

 後者の雰囲気はある一角において特に、強く漂っていた――シロの所属していた部署を中心とする、普段彼女と関わりの強かったエリアにおいて。

「どうすんだよ。もし中止命令解除されたって・・・俺ら何も出来ねえじゃん。全部の案件に犬塚抜きで回せねえ話が随分あるんだぞ」

「仕事どころか、同じセクションの私ら、真っ先に参考人扱いよ・・・連帯責任だって問われるわ。最悪、何かの処分を受ける事になるかも」

「うわ、本当に最悪じゃないっすか・・・シロさん、何だってこんな・・・普段の彼女から考えられません」

 本当の意味で“普段の彼女”を知る者――彼女の横島への思い入れを知る者――にとっては、十分考え得る事だったが。
 若い捜査官の呟きにあった“普段の彼女”とは、言うまでもなくGメンの勤務においてのみの“普段の彼女”であっただろう。

 彼らの一人・・・最初にシロ抜きで出来ない仕事について口にした男で、最も彼女と協力し合う事の多かった・・・がぼんやりと顔を上げると、すぐ側を通り掛かりがてらに見下ろす者がいた。
 普段シロに険悪な視線を向けていた中年男――例の妖怪排斥論者の職員だった。
 いつもの様に敵意を前に出したぎすぎすした顔ではない。完全に勝ち誇り、僅かに同情しつつも嘲る、優越感に満ちた顔。
 それ見た事か、化け物と信頼し合おうとなんかするからそういう目に遭うんだ。全身でそう語っていた。
 その顔を見て彼は深く息を吐きながら、再びうなだれる。

 こんな風に彼らがトラブルに見舞われて意気消沈している時、一人一人元気付けて前向きのムードを取り戻して行くのも、長いこと彼女の役割になっていた――そんな事をふと思った。

「大体あの・・・人・・・正式に採用された職員じゃないじゃないですか。西条捜査官と美神隊長が連れて来て殆ど独断で臨時職員扱いにして、それでGメンの仕事手伝わせて給料出してたんでしょう?・・・遊び半分で社会人としての自覚や責任感なんか本当はなかったんじゃないですか?普段はそう感じなかったけど・・・結局、真面目に“遊んでた”だけなんですよ、あの・・・人」

「いや・・・そういう事ではないのかもしれないな・・・」

 後輩の口にしたシロへの非難。男の耳にはその内容よりも、彼が「あの人」と言った所で口篭もったのが引っ掛かっていた。
 つまりはそういう事じゃないか―――彼女は「社会人」とか以前に・・・・・・「人」、じゃない。

「人間同士でそうする様に、アイツを仲間だと思って信頼するのが間違っていたのかもな・・・これはアイツに仕事を任せ勤務中の行動に自由を持たせた俺の責任でもあるが・・・アイツをGメンに呼び寄せた西条さんや美神隊長の責任でもある筈だ。所詮、妖怪か・・・人間同士でのルールやチームワークとは無縁の・・・」

 言葉終わらぬうちに胸ぐらを掴み上げられた。強い力で引っ張られそのまま椅子から立たされる。
 周囲の視線が一斉に、彼と彼を掴んだ者とに集まった。

「―――いつまでそうやって、無意味な愚痴を垂れ流しているつもり?」

 シロの同僚だった男のシャツに両手を掛けたまま、タマモは一字一句区切る様に冷たい口調で言った。
 周りにいた他の職員達も席を立つ――身構えて、後ずさりながら。

「――シャキッとしなさいよっ!バカ犬一匹どっかへ行ったくらいで、ころころ考え変えてフヌケてんじゃないわよ!アンタたちって、一体“何”なの?ICPOオカルトGメン日本支部なんでしょう!?」

 タマモの一喝に彼らの動きが止まる。彼女の大声はフロア全体に響き、離れたエリアの職員・・・普段彼女と殆ど言葉を交す事のなかった、彼女の部署の同僚も・・・こちらを凝視している。

「・・・高額の報酬を要求し法整備も整っていない私設GSに代わって、無料で除霊や妖怪退治を請け負い、また、そういった存在と人間社会との接点にて橋渡しを行なえる事を目指す国際機関・・・私達にとっての、人間どもからの代表なんでしょう!?妖怪に振り回されて妖怪に説教されてんじゃないわよ!」

 Gメン内で近寄り難く寡黙だという印象の強い彼女がここまで――しかも人間相手に――怒鳴るのは、今までにない光景であった。シロとの喧嘩の時みたいな狐火への警戒も忘れ、職員達は彼女を注視している。

「いい?これは人間と妖怪の壁なんか持ち出す様な話じゃない・・・あのバカ犬は横島につく事がGメンより優先で、だからそうした・・・人間同士でもよくある話だわ。だからアンタ達は、人間の同僚がそういうモメ事起こした場合と全く同じ様に動けば良いのよ・・・違う?」

 そこまで言ってタマモは彼から両手を離した。視界の端に、立ち去りかけていた中年男が振り返った姿勢のままで、呆然とタマモを見ているのが映る。彼女の剣幕に対してもそうだろうが、彼らに――人間達に妖怪がオカルトGメンの自覚を促すという内容に、大きく驚かされたのだろう。
 その男や周囲には構う事なく、タマモはシロの部署のメンバーだけを見回す。

「おバカな同僚が勝手な所へ走ってって迷惑だって言うんなら、追いかけて捕まえて、お仕置きくれてやればいーのよ。それだけの話だわ。溜息ついて自分の仕事に失望したり、誰のせいにするかで悩む様な場面なんかじゃない―――さあ、今すぐ行動を始めるのよ。それがアンタ達の果たす責任ってやつでしょ?」



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「お待たせでござる」

 そう言って横島の前に立ったシロはさっきまでのスーツから途中で買った服に着替えていた。少し擦り切れたジーンズと原色の花柄が鮮やかなシフォンのキャミソール。
 三人の乗った車は23区を西の外れまで行くと高速に上り、今はパーキングエリアで小休止している所だった。

「何か横やりが入ってGメン動けねえんだってよ。警察ももう俺らを追わねえらしい」

 多分、神内のダンナだな。運転しながら無線を傍受していた雪之丞が明るい口調で言う。これで当分はのんびり行けるぜ。
 車を降りるなり雪之丞はレストランコーナーへと急ぎ足で向かう。朝から何も食ってねえんだ、との事。
 さっそく買った服に――横島の目の前で――着替えようとするシロを女子トイレへと放り込み(・・・ったく、コイツは色んな意味で覗くとか以前の問題だ)、横島は建物の隅でジュース片手に佇んでいた。

―――あれっ?

 シロが普段より大人びて見えたのは、見慣れないスーツ姿のせいだと横島は思っていた。しかし、いつもの格好に近いカジュアルな姿の彼女からも何となく、スーツ姿と変わらない大人の女の雰囲気が漂っている様な気がする。
 建物の端から少し行くと鉄柵と崖と呼んでも良いくらいの斜面があり、その向こうの山々を一望出来た。横島の隣でシロは鼻をくんくんと動かして呟く。

「涼しくていい風でござるな・・・山と緑の匂いも久し振りでござる」

「甲府の方に向かってるからな。もっと涼しくなると思うぞ」

「おお、甲府でござるか。散歩で何度か行ったでござるな」

「朝の日課の散歩で普通にそんな所まで行ってるってのが何だか悲しいよ・・・」

 横島のげんなりしたセリフにへへへとやや気まずそうに笑うシロは、やはりいつもの彼女だった。しかし、その子供っぽい動作にも、彼の感じた雰囲気は消える事なく漂い続けている。

「どうしたでござるか?先生、さっきから景色ではなく拙者の方ばかり見てるでござる」

「え?」

 気がつけば、シロがきょとんと・・・少し頬を染めつつ、横島を見返していた。彼女の言う通り、意識しないまま見つめ続けていたのだろう。

「あーー、お前・・・背、伸びたか?」

「何言ってるでござるか。拙者育ち盛りなゆえ、毎日ぐんぐん伸びてるではござらんか」

「毎日って・・・タケノコじゃねーんだからよ」

 彼女の雰囲気について直接触れる代わりに持ち出した背丈の話だったが、確かにシロの身長は急激に伸びていた。
 横島も高校生の頃と比べると結構伸びたのだが、彼女は今、そんな彼と殆ど同じ・・・頭身や体格のスリムさで彼より高く見える時もあるくらい・・・にまでなっている。

「何だか今日はいつもより、先生が拙者の事を見てくれているでござるな・・・照れるけど、やはり嬉しいでござるよ」

「・・・散歩とか、ここしばらく付き合ってやってなかったしな」

「そういう事ではなくて・・・散歩に連れてってもらってた時でも・・・」

 照れ笑いを浮かべながらも、シロは顔を伏せた。横島は少し訝しげな顔を浮かべる。
 うつむいたままの彼女・・・横にぱたぱたと振られ続けるしっぽだけが妙に目を惹いた。

―――やっぱり、違うな・・・・・・いや・・・

 “違う”のではなく、“違ってた”のではないだろうか?――かなり前から――自分が気付かずにいただけで。
 彼がそう思い当たったのと彼女が顔を上げたのとはほぼ同時だった。

「先生にとって、拙者はやっぱり子供なのでござろうか?」

 そう尋ねる彼女の顔に照れ笑いは浮かんでなかった。
 誰もが息を呑むほどのまっすぐなまなざし――彼女でなければ出来ない様な――例外なく、横島も言葉を失う。

「拙者、ただの弟子とかただの師匠とか、ただの同僚とか“それ以外の感情”とか言われても分からんでござる。拙者にとって横島先生は横島先生でござるし、拙者の横島先生への気持ちも、横島先生への気持ちと名付けるしかないもので・・・そこに区切りなどない全てが詰まっていて・・・」

 事務所の中で違いの距離が固まってきた様に感じ始め、空気を読もう、乱さない様にしよう。そんな風に思い始めたのはいつ頃の事だったろう。
 そして、保って来た空気からも自分が置いて行かれるのを感じ始め、「笑顔で見送る役割」を自分に課し始めたのはいつ頃の事だったろう・・・そんな中で渇望する様にルシオラを求め始めたのは――

「先生にあの方が忘れられないかけがえのなかった方なのは承知。だけど・・・もし、そこに、雪之丞どのの言う様な所があったというのなら・・・・・・拙者にとってそれは・・・非常に残念な事なのでござる。どうしてそこで拙者が呼ばれなかったのかと・・・先生の声に応えられるほどの想いがここにあるのにと」

 シロは、横島をまっすぐ見つめたまま言葉を探し、継ぎ足す様に話している。分かっているのだ。この状態で言葉が途切れたら、抑えている感情が溢れてしまいそうだと。
 横島は彼女の言葉に、自分の足元が揺らぐ感触を覚えていた。自分がどこかで何かを大きく間違えてここに来ていると思った――いや、最初から何となく分かっていたその事を、改めて思い出していた。

「シロ・・・・・・」

「拙者が先生にとって子供なのは、気持ちを区切らないからなのでござろうか・・・いいや違う・・・きっと・・・甘い言葉を尽くしてでも、拙者がここにいると先生に伝える・・・それをしなかった事でござろうな・・・この期に及んでも手管の一つも思い付かないのでござるよ」

「シロ・・・もう、いい・・・」

 さっきまでのシロだったら――さっきまでの、大人びた雰囲気とかを感じてなかった時のシロだったら、こんな気分にはならなかっただろうか。もっと冷静に聞けただろうか・・・自分の心が揺れる事もなく。
 横島はシロに言葉を続けさせるのに耐えられなくなり始めていた。自然と制止の言葉が口をついて出る。
 シロもまた、まっすぐな視線の目元が潤み始めていた。目を逸らさず話し続け、様々な感情を抑え切れなくなっているのは誰の目にも明らかだ。
 それでもなお、彼女は横島から目を離そうとしない。

「だから、拙者は・・・先生のお役に立てないとしても・・・先生の、寂しさや辛さを埋めあわせる事ができなくとも・・・・・・せめて・・・弟子でござる・・・美神どのやGメンの仲間達に背く事になろうと・・・せめて、全て見届けられればと・・・」

「―――もういいっ!お前ちっと黙ってろ!もういい!いいんだっ!!」

 怒鳴りながら力いっぱい両手で肩を引き寄せていた。イメージしたよりも彼女の肩が華奢なのに気付き、少し力を緩める。
 シロは一瞬ビクッと身体を震わせてから言葉が途切れ、その瞳から堰を切って溢れるものがあった――それでも口を真一文字に固く引き結んで、嗚咽の声は上げようとしない。
 横島は右手を彼女の頭まで伸ばして、その髪を乱暴にくしゃくしゃっと撫でる。
 掻き回すと言った方が正確かもしれない位の乱雑さで。

―――本当、何やってんだろうな俺・・・美神さん、おキヌちゃん、シロ・・・みんな怒らせるだけならともかく、泣かせてるじゃねーか・・・こんな筈じゃ、なかったんだよなあー。もっとこー、お前のそんな事情知ったこっちゃねーと言うか、そーゆー温度の低い反応を・・・考えてた・・・のにな

「せんせえ・・・ぶつけたところが、痛い」

「・・・うるせえ」

 呟いたシロに乱暴に言い返すと、更に力任せに激しく髪を撫でた。
 痛いと言いつつも嫌がっていないのが、しっぽの振られ方で分かる。
 シロは両手を頭の上に伸ばして、くしゃくしゃ撫で回し続けている横島の手の上に重ねた。もう泣いてはいない・・・もう大丈夫だ。そう言いたげな微笑み。
 その笑顔に誘われる様に、彼女への言葉が口をついて出ていた。

「・・・シロ、悪い・・・俺・・・いつも勝手だよな」

「・・・まったくでござる。拙者の師匠どのは、ワガママでござる」

「ちゃんと見なくちゃいけないモンも見ねーで、間違ってばかりで・・・」

「取り返し付かなくなってから気付くんでござろう?知ってるでござるよ」

「ああ、そーなんだよ・・・・・・でも、引き返せない・・・引き返さないから、俺」

 狂う前に、自分のそばにこんなに色んな想いが在った事を気付けば良かった・・・待っていてくれた事を気付けば良かった・・・辛く思った時は素直に甘えれば良かった・・・
 だが、そんな後悔すら彼はしていなかった。「人生にIFはない」、彼はその事を良く分かっていたから。
 「あの時」に自分が選べた選択肢は「あの時」に自分が選んだ事のみなんだと言う事を。
 そして、今気付いたから軌道修正が出来る――引き返せる話じゃない事は、もっと良く分かっていた。
 ここで進路を変えたとしても、ルシオラのいないという事実も、それに限界な彼自身も、何一つ変われはしないのだから。

 つまり、進むしかなかったし、進むしかないのだと。

 呟く様な彼の宣言に、シロは自信を持って答えた。

「承知してるでござる」

「このまま間違ったままで進むから・・・間違い続けて、行き着く所まで行くから」

「お伴して、見届けるでござるよ」

「それに・・・アイツの為にアイツを生き返らせたいのだって、やっぱり本当の事なんだ」

 シロは言葉で答えず、何度も首を縦に振って頷いた。
 頷きながら両手を横島の背中に回し、シャツの布地をきゅっと握り締める。

「先生・・・拙者、横島先生の弟子としてこの先も精一杯頑張るでござる。だから今は・・・もう少しの間、このままで・・・・・・もっと強く、こうしていて下され」



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―






どうして・・・・・・



どうしてこんなになるまで、黙っていたの?



いつもみたいに・・・
いつもみたいに、いつもの5割増しか倍くらいで、ジタバタとダダでもコネればいいじゃない。
「誰かあーーっ、俺に愛をくれえーーーっ!」とか言っちゃってさ。



そりゃ私はあまりにも見苦しいからってブン殴って黙らすでしょうね。
そこでおキヌちゃんが、仲裁とか手当とか言いながら、ちゃっかり自己アピールしてたり・・・意外とそういう所で抜け目ないから、あの子。
シロなんかだとヒネりもクソもなく、「ぷりちーな拙者がついてるでござる!だから散歩!散歩行こーでござる!」なんて血まみれのアンタ引きずって行こうとしたり。
タマモは・・・まあ、「そのついでにお揚げ買って来て」とかいうんじゃない?

でも、私だって・・・私も・・・・・・

私は・・・・・・



そうやって、いつもやってきてたじゃない、わたしたち?



いつから、そうなったのか・・・・・・なぜ・・・黙る?
何故、隠す?



――からんっ・・・

 力の抜けた白く細長い指を、空のグラスが滑り落ちる。
 「お客さん」とバーテンが心細そうに声を掛けた時、美神は足元に転がる大量のボトルに自分が少し飲み過ぎていると実感した。バーテンの声に含まれる不安は、彼女の体を気遣ってでもあったが、それ以上に店に現存するボトルの大半を飲まれた事による部分が大きかった。

 歩けなくなるまで飲むつもりはない。彼女は立ち上がると清算を済ませ店を出る。
 いつもならこんな酒には西条を付き合わす事が多い。だけど、昨夜あんな事があった西条とはまだ顔を合わせたくない・・・実際別の意味でも不可能だった。捜査上のトラブルで、逆に警察に捕まって身柄を拘束されたままらしい。
 かと言って、神内にも会いたい気分ではない。会っている時は相手のペースに乗せられるばかりだったが、その分、会ってない時は・・・特に酒が入っている時は、不快な面がやたらと思い出され苛々する。

「アンタと・・・こんな風に飲んだ事はなかったよね」

 ふと彼女は口にする。こんな酒と横島。今まで、結び付けてイメージした事すらなかった。

 夜道をとても酩酊状態とは思えない程颯爽とした足取りで歩む美神。その威圧感ゆえか人目を惹いても、声を掛けられる事は殆どない――それでも二、三人は恐れを知らない(空気を読めない?)ナンパやスカウトマンが声を掛けて来たが、ちらりと(凄まじい目つきで)一瞥されると同時に、爪先をずらしてすぐ横のケロヨンに挨拶を始めたり、一人でガードレールの凹みの美を品評し始めたりする始末。

 歩きながらも、脈絡もなく巡らされる思考の欠片。



行くのね

どこへいくの
今 どこにいるの



どうして閉ざしていた 誰が閉ざしていた



誰でも良かったの?

誰でも良いの?
泣いていたのね


アンタは
私は



どうして彼は去ったのですか? 私は彼をどうしていたのですか?



行くのね  どこへ
いいえ   それでもダメよ



だめ 許さない 認めない
隠すな 黙るな 誤魔化すな

逃げるな



だって・・・アンタが・・・・・・



・・・アンタは・・・

私の―――









   ― ・ ― 次回に続く ― ・ ―

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