ザ・グレート・展開予測ショー

モンジュは反則バカップルの宴 (1)


投稿者名:Nar9912
投稿日時:(05/ 8/19)

※ これは、モンジュは反則アフターエピソードです。時間的にはK神父…の前です。 ※

……世に恋の形は多くあれども人とは異なる恋がしたいと恋に恋する者達は別段珍しくもない。
しかし乍ら昨今恋に恋したその挙げ句実際に恋した際に人目を憚る事もしない輩がいる。所謂
バカップルである。彼等自身は至極幸福なのであろうが公私すなわちプライベートとその他と
の使い分け所謂TPOを弁えて欲しいと思う人も後を絶ちはしない、その様な周囲の空気など
読まない事こそがそもバカップルたる所以ではあるのだが。
ここに余人とは少しばかり違ったバカップルライフを送る者達の日常の一齣を視るとしよう。


ケース1 Yさんの場合

彼は幸福である。彼女も幸福である。二人の生活は充足しており二人は己の半身が傍らにいる
という何物にも代え難い恋人同士ならではの期待に満ち溢れお互いにその期待を裏切らないと
常に充実した毎日いや毎時毎分を謳歌していた。実際の所は恋人同士ではなく婚約者同士では
あるのだがその様な呼称の違いなど二人を含め誰も皆どうでも良いと思ってはいた。であるが
夢見る二人はお互いに恋愛の経験が無く……こう語ると紅涙を空知らぬ雨をそうそうと流して
尽きぬ男がいたのだがその男こそ今覚めぬ夢に身を任せている彼横島忠夫その人である。彼の
婚約者であるルシオラに至ってはそも生まれてまだ碌々月日も過ぎていない為に恋愛経験など
ある筈が無く彼に惚れた恋したと言ってはみたがその恋情を如何に表わして良いやら殆ど知り
もしなかったのである……一般の者達であればそうなる前段階として存在したであろう二人で
過ごし語り合い分かり合ってお互いがそこにいるだけで満ち足りる様になっていくその時間を、
今更記すまでもないかの事件に因り共に過ごせなかったのである。無論世の中には一目惚れと
いう彼等と酷似した始まりを持つ恋愛も存在する。しかしその恋愛が成就するには大抵二人で
過ごす時間という経過を伴うのが普通である。互いに一目惚れという恋人達も中にはいるので
あろうが恋というものは特に一目惚れから始まる恋というものは得てして片想いから両想いへ
と片想う者時には周囲の者達のそれも含めた努力に依って成長していくものである。

しかし乍ら彼等のそれは普通ではなかった。



……

命を無くす半歩前で信じられぬ救いを得た事で敵味方を越えた何よりも信ずるに値する己には
手に入れられる筈も無い絆の幻を垣間見、しかし確かめたならば只夕焼けを一緒に見たからと
いうほんのそれだけの理由で敵である己を自身の身さえ危険に晒して助け、迷いはしたものの
其の信念に従って助けの手を離す事が無かったのである。古来より女は己を助けてくれる男に
惚れるものと相場が決まっている。彼女は己がそう単純な女では無いと思いつつも見返り無く
己を助けたその相手を、女ではあれど所詮戦いの為だけに作られた道具である筈の己を助けた
その相手を、己との思い出などは殆どが絶対的な上位者と奴隷の間にあるそれである筈の己を
助けたその相手を、それまでは単なる小間使い雑用係であった筈で何時裏切るか分からないが
小物であると決めて掛かっていたが故に見逃していただけに過ぎない筈であったのにその場に
居合わせた勢いで助けただけかも知れぬ己のそれと異なり逆天号の窮地を救い先走った妹をも
助けたその相手を前に、何一つ残さず儚く消えて無くなる筈であった己の生きた証を思い出を
残したくなったのである。彼女の末妹が彼に服を贈った様に、いやそれ以上の何かを。

極めて稀有な形ではあったが、それは、確かに恋の始まりだったのだろう。

彼女は知っていた。彼は別段己の事など女性であるとさえ認識してくれていたかどうかすらも
分からない程度にしか考えてはいなかった事を。むしろ現実に敵同士であるのだからその様な
思考を持つ事自体おかしいという事を。しかし乍らそれでも己の命をどうでも良いとも思える
理由の為に、言葉を取り繕う事など全然にして出来そうにない……事実経験の少ない己がその
スパイであるという偽装を看取出来ていた……彼が口にしたその理由の為だけに助けてくれた
事を。

そして、彼に取って己が特別に大事な存在でなど決して無いというその事を。

己は何故にこの様な事を考えているのか。思考の渦に埋もれた彼女はしかし既に彼にとっての
己がどうあるべきだろうと考えている己を一方で何処か冷静に見詰めておりそれすなわち己が
彼に良く思われたい詰まりは彼に彼にとっての己の価値を見出して欲しいと只夕焼けを一緒に
見たというそれだけの理由で助けられたに過ぎない己の価値を己の存在を彼の中にもっと強く
残したいと望む己のその願いが更にはその願いを抱いた己が如何な状態であるのか聡明な彼女
には分かっていた。だが己にその資格などあるのだろうか。己は与えられた任務が終了すれば
跡形も無く消え行く身。その己がたまたま彼が男性であり己が女性であり命を助けられたから
といって道具である己が人に恋などして良いのか。いやこれが果たして恋なのか否かは己には
分からない。経験の無い己が危機を救われた事で彼に恋愛感情を持っていると錯覚しているに
過ぎないのではないか。いやそも彼は人、魔族であるばかりか人類の敵である己に彼の……

彼をデッキに呼び出したルシオラは己にも自由にならぬ己の感情と思考にどう対処して良いか
その少ない経験からは答えが出せないでいた。だが己は間違いなく彼に己の思い出を残しそれ
を持ち続けて欲しいと願っている。惑う思考を感情を持て余しながら彼女は彼の事を何も知ら
ないと改めて気付いた。いや己は消え行く身、彼の事を知ったからといって何になるというの
であろうか。

だがせめて思い出を残す相手の名前くらいは知って、逝きたい。

彼女はそれが果たして恋情なのか殺し合う前に己の名を相手に告げる戦士のそれと同様なのか
分からなくなっていた。そう考えてみるまでもなく彼と己とは敵同士である。むしろ普通なら
後者であって然るべきでは無かろうか。己の裡で荒れ狂う思いに名を聞いて返す返事が己にも
制御不能な響きを帯びる。

私は、彼を試しているのだろうか。

彼は案の定激しく動揺し敵であると自ら告白したも同然の態度を取った。彼女の為すべき事は
己の創造主でもある魔神の目的であるエネルギー結晶を手に入れる事。その障害と為り兼ねぬ
要因が自ら敵であると告白したも同然である。優秀な道具としては偶然の積み重ねとはいえど
逆天号撃沈の危機に最も活躍した彼が敵に回るいや敵方に返る事を阻止すべきでは無かろうか。
己の願いを正当化出来る可能性を見出した思考は即座に彼に言葉を返させる。己は演技をして
彼を繋ぎ止めようとしているのだろうか、それともこれが己の本心なのだろうか。彼女は自身
理解出来ないまま彼の胸に飛び込み抱きついて少ない経験から振り絞った”告白”を行なう。
彼女としては演技かも知れぬと思ってはいたがそも知性ある者は本心のみで行動する訳でなく
人間ならば幼少の頃に既に自らの思いをより相手……大抵は父母……へ伝える為に大仰に振る
舞う演技を自然身に着けるものであり特に女は成長しても想いを確かめる為に多かれ少なかれ
演技をする生き物、大体彼女の立場で演技をしても繋ぎ止めたいとの思いを持つ事自体それが
恋情であると示しているのであるが当時の彼女にはまだ理解出来てはいない。しかし、理由は
ともあれ思いを恋に昇華させる為の”告白”はきちんと口に出して為されたのだ。


「もっとおまえの心に――――残りたくなっちゃうじゃない…!」
「敵でもいい、また一緒に夕焼けを見て……ヨコシマ!」


彼女はこの時己の想いが成就するなど欠片も考えてはいなかった。それ故に逆天号のデッキで
為されたこの”告白”はしかし只再び夕焼けを共に見たいという言葉にしか出来なかったので
ある。

それはしかし確かに”告白”であり、彼女が初めて彼の名を呼んだ瞬間でもある。

色々致命的に欠けた所があると思われる欠点の多い人物ではありその欠点の中に鈍感且つ間が
悪いというものがあった彼横島忠夫は、しかし彼女の思いをまだきちんとした形にもなっては
いないその想いを確かに感じ取ったのだ。それはそうだろう、高校生の男子たる者が女に胸へ
飛び込まれて何も感じないのならそれは既にある種病気だ。至って健全な……全く不健全でも
あってある意味正直過ぎる……彼は自身へと寄せられた想いにしかしいつもの様に素直過ぎる
その内心を口にする事は無かったのである。これは相手が自身を一瞬で殺す事の出来る存在で
ありそも敵であるとの認識が在ったからであろう。そうこの時彼はまだ彼女に恋をしてはいな
かった。ただ女から自身の胸に飛び込んで来たとの事態に舞い上がりその事から健全な肉体を
持つ高校男子ならば誰でも連想し得るその先を想像しただけに過ぎない。

以前氷室キヌにストレートな告白をされた時とは状況が異なる。その際はそれまでを考えれば
自身に恋していたとして不思議ではない経緯があった。自身は人に非ざる者に好かれる存在で
ありキヌは元幽霊しかも自身のナンパを阻止するべく肩に憑いた事もあった。自身にもキヌが
大事な存在であるとの認識もあり共に戦い助け合ってきた令子同様戦友でもあった。それ故に
その際は小鳩との偽装結婚の時の様に照れて言葉も出ないという事などなく、生半に遠慮など
無い仲であった事が災いして一気にたがが外れ自分勝手で短絡的な想いを口に出してしまった。
それも当事者でない者達から見れば恋人達のじゃれ合いに見えた事だろう。だが間が悪かった。
その時は直後にグーラーへ”恋”の文珠を使いその事でキヌの怒りを買ったのである。事態の
解決には良い手段であった事も確かではあるが恋する乙女からすれば有耶無耶になったといえ
告白したばかりの相手が他の女を隷属させたのだ。思わず罵倒の言葉が口から漏れた事は未だ
若い彼女の責任とはいえない。その罵倒と雰囲気更には上司であり彼が当時最も大事に思って
いた憧れでもある令子にまで……こちらはいつもの事ではあるが……人間の屑といった扱いを
され、客観的には味方ではなかったグーラーを死の危機から救った事で彼女から特別な存在と
見なされた事がキヌと令子の二人に点った怒りの炎を勢いよく燃え上がらせた結果、せっかく
二人きりになれたキヌが感極まって行なった告白も無かった事同然に記憶の彼方へと追い遣る
事に繋がる受難の時となったのである。

だがその際は違った。ルシオラは別段彼に取って大事な存在でも無ければそも異性として愛を
注ぐ対象の範疇から遙か彼方にいた存在である。それだけに彼女の告白はしかし彼の心に深く
深く刻まれる事となったのだ。かの事件直前母が訪れた際キヌに関しては誰にでも優しい所が
あるといわれておりそれが母の煽動であった事に気付かず事実として受け止めてしまった彼は
キヌの想いを只の優しさと勘違いしていた。だがルシオラについて思い違いの介入する余地は
一切無い。対等な接点が殆ど無かった彼女がいきなりにして自身の胸の中にいる。人類の敵と
恋仲になる事へ躊躇いは当然あるがしかし彼女が自身に求めたのは夕焼けをまた一緒に見たい
と形になっているものは只それだけ。女が今まさに自身の胸の中にて返事を抱擁を待っている。
葛藤はあった。だが彼がその葛藤に片を付けるのは時間の問題ではあったのだ。惜しむらくは
時間が掛かり過ぎたが為に彼がその手で彼女を抱き締める決心をする前に彼女の方から離れて
しまった事である。彼女はまだ己の想いが恋なのだと分かってはいない。いや恋と認める事に
怖れがあったのだ。彼女はすぐに消えてしまう身でありそれでなくとも彼とは敵同士であるの
だから。だからこれは恋であってはならない。己がまた一緒に夕焼けを見たいとしか言わずに
いたのはそれで正解なのだ。

これ以上彼に寄り添っていては恋であると勘違いをした己が禁忌を犯し己自身の消滅はおろか
逃げ場の無い状態でそうなってしまっては彼の身にも危険が及ぶ。既に思考の中心が主である
魔神の為ではなく彼の為と置き換わってしまっている事への自覚もなく、彼女はその場を離れ
これまで通りに振る舞い、しかし彼との間にある物理的な距離が幾分近付いているとの状況を
作り出していたのである。もしこの時に彼が彼女の想いを真剣に受け止めていたならば初心な
二人の行動は瞬く間に周囲へ知れ未来は全く違ったであろう。だが幸いにもこの時彼にはまだ
恋心は無かったのだ。只自身を受け入れてくれるかも知れない女としてしか見てはいなかった
のである。彼の周囲には仲間だから友達だから自身をかろうじて受け入れてくれる女性達しか
いないとの相当誤った考えを持つに至っていたからこそ彼女の直截的過ぎるアプローチは彼に
とって魅力的だった。彼女は決して自身の仲間でも友達でも無く彼女に取ってみれば自身など
瞬殺だ、利用価値が利害関係があるからではない事が明白な行動を前に……ルシオラの建前は
演技であったかも知れないがその真剣さが彼女の建前を裏切った……彼は自身のその煩悩をも
受け入れてくれるかも知れないと期待を見出していたのである。尤も彼の期待はこれまで常に
裏切られた事また彼女が人類はおろか三界の敵というこれまでとは違った立場にいる事もあり
彼から積極的に動く事は無かったのだが。

敢えて隣には座らず己からは彼のそして彼からは己の姿がよく見える四人席の向かい合う側へ
座った彼女はしかし人間に偽装する為買った服と異なり電車へ乗る前に買った本を読みそれに
目を落とす事で過剰に彼へ向いてしまう己の視線を抑制していた。因みにその本は半ば当然で
あろうが恋愛ものである。抱いた感情が恋か否かと判断が付き兼ねる彼女は恋では無いと確認
したい思いと恋なら己はどうすべきかと行動の規範を無意識に求めた事そして己が今最も没頭
出来るものはと一部が冷静なまま考えた結果として恋愛を描いた物語を手に取ってしまったの
である。だがその行動は既に恋愛感情を持つ者のそれであり物語というものは大抵障害があり
その障害を打破乃至悲劇的に破れるものが大半である。彼女が読んだそれが何れであったかは
ともかくその恋情をより募らせる事となったのは語るまでも無い。

隠れ家へ着いてすぐ彼女は今出来る事を実行しようと行動に出た。横島を指し何とかそれまで
通りポチと呼び己の想いを誰にも……当の横島はおろか己自身にも気取られぬ様に言葉少なに
話し掛けて二人だけとなる為買い物へと連れ出したのだ。ところで女性はほぼ例外なく買い物
好きである。買い物の最中には抑え難くなりつつある己の想いも幾分紛らせられるであろうし
買い物の最中ならば注意が逸れ横島を暫くの間見ていなかろうと後でどうとでも言い訳がつく
というもの。彼女はその時彼に連絡の機会を与えたのだ。一時とはいえ念願適って二人きりと
なったにも関わらずルシオラが横島の隣にいようともしなかった理由がこれである。仮に連絡
されても隠れ家に帰るまで今一度だけなら一緒に夕焼けを見る事が出来る、それが彼女の思い
であり横島の立場からは理不尽な事ではあるが連絡するか否か彼を試していたのである、そう
考えもせず、或いは己をこそ試していたのかも知れないが。

横島はしかし連絡しなかった。彼は盛大な馬鹿であり愚直なまでに男だ。それが好意を自身に
寄せる美女ならばたとえ人類の敵であれ切り捨てる事など出来はしない。ルシオラはその事に
気付いてしまい人類の行く末と自身の煩悩とを秤に掛け煩悩を取る事が出来る程に女を愛せる
男というその非常識なまでに男な彼への想いが深くなった事を僅かに自覚した。そんな馬鹿に
男を感じた己自身大莫迦者だと思いながらも本で見たそれとは逆であるが想う相手とドライブ
するとのシチュエーションをせめて一度なりとて味わいたかったが為に運転しつつ彼と会話を
試みる。己の想いを押し隠したそれはしかしそも共通の話題など殆ど無いのであり横島自身が
警戒心と煩悩とに思考の大半が占められ単調な受け答えしか出来なかった為会話に成りはしな
かった。が、二度に亘り彼を試した彼女は……実際の所彼女から見れば試したと思えるだけで
彼には殆ど試しになっていなかったのであるが……己を助けた恩人に、己のみならず逆天号や
仲間達をその機転と特殊能力で助けた恩人に、己の様な消えて無くなる女を女性として求めて
くれるかも知れない程男である彼に、終に恋をした事を認めたのである。一旦想いを認めれば
恋愛初心者である彼女は消える身の己に格別のプライドなどはある訳もなく想いを告げる事に
躊躇いなどなかった。第一消えてしまう己が欲したのは彼の心に残る事だけである。夕焼けを
一緒に見たとのその事実だけで敵である己の命を助けたある意味最も男らしい男と後一度だけ
夕焼けが見たいのである、であるからこそ想いを告げてしまっても構わない。女の身勝手では
ある、だが何も己の求めは添い遂げて欲しいなどと適わぬ望みではなく只夕焼けを一緒にとの
それだけである。彼女は想いを隠す事を止め相手の都合を考えずに一人その気になってせめて
雰囲気だけでもと考えた己への自嘲また後悔そして彼への謝罪と共に己の想いを明かしたのだ。
そこに恋が成立するには相手へ想いを伝える事が必要で告白したにも関わらずその気になって
くれない鈍感な彼も直截惚れたと言えば少しは己を想ってくれる、仮にそうなりはしなくとも
彼に取っての己が少しはその心に強く残る存在になれるのではとの計算が混入していても彼女
を責める訳にも行かないだろう。そも恋をして追い詰められた女性とはそういうものであって
たとえ無意識であろうと相手に己を想って欲しいとの考えは極自然な流れである。下っ端魔族
は惚れっぽいとの言はまさに彼女が恋した女性である事の証明であり己の想いをなるべくスト
レートにしかし理由も付けて告げる辺り経験が無くとも女は女という事であろう。

彼女はまたしても彼を試したのだ。今回は完全に無意識ではある、ではあるが己の消滅という
未来を早速と迎える事になろうとて女としてこれ程女を愛してくれる男と結ばれたいと只一度
だけ結ばれて満足の中で消えて逝きたいと思ったのだ。男からすれば横島からしたならこれぞ
理不尽極まる女の身勝手そのものである。だが恋する女に理屈など通用しない。更には彼女も
自身無意識での計算でしかない。表立っては未だ只夕焼けを一緒に見たいとの望みでしか無い
のだ。

そして、彼女の最後にして最も意味を持つ試しにもまた、彼は応えた。


「ルシオラ………!! 一緒に逃げよう!!」


彼は彼女の言葉を聞き即座に決断した。今や自身を想っている事が明らかになった魔族の女は、
彼に取って訳の分からない存在である魔族などではなく自身を想う可愛い女と成ったのである。
元来妖怪変化に好かれる体質であった彼は比較的他種族に対して寛容であった、それが自身へ
危害を加えない限りに置いて乃至女子供である限りに置いては。その彼は今更乍らにこの女が
只一年しか生きられない事と自身へ寄せる想いとは裏腹にその望みが只夕焼けをもう一度だけ
一緒に見たいと健気にも過ぎるその望みをしかも哀しい事ではあるが女に縁の無かったと彼は
思っている自身へ……一度は味方にさえ見捨てられたこんなにまで無価値な自身へ……謝罪と
共に告げた事に考えが至ったのだ。

これ程の想いに応えずして、何が男か横島忠夫か。

彼は自身の信念に基づき女を愛し抜く男だ。その信念が少し……と彼だけが見ている……一般
と異なるからといって自分は大事な女を見捨てる様な真似だけはしない。そうだ自分は大事な
者を切り捨てる様な真似は絶対にしはしない。自身の為に働いた者をたとえどんな思惑があれ
切り捨てる事の出来る者達の様な真似はしないのだ。それが令子の様にある種の信頼から来る
ものであれば彼には許せるが彼が見て来た事例は切り捨てた者の死を前提にしたものがあった。
今までの緊張が無くなり入れ替わりに自身が見て来た仲間を切り捨てた者達が脳裏に浮かんだ。
彼等にも各々の言い分があり自分の信念に従っただけの事であろう。だがしかし作戦の為とは
いえ当の自分が捨て駒とされた事は彼の元より偏った思考を加速させ初めて……では実際の所
ないのだが……打算も何も無く只ひたすら自身を想ってくれた女にその想いに応える事を選択
させる。皆自分達の信念をエゴを貫いている、自分がそうして何が悪い、元来自分は女の為に
こそ動く男なのだ、この儚い女を自分に想いを寄せてくれる女を何としてもモノにする。その
想いも今は只もう一度夕焼けを一緒に見たいとしか言わないその女の想いも絶対に適えてやる。
仲間達をいや全ての者を説得してみせる、人類であろうと神族であろうと魔族であろうと必ず。

この時漸く、彼に取ってルシオラは恋情の対象となったのだ。

しかもこれは敵の戦力を殺ぐ事に繋がる。彼は自身の信念を貫く事に置いては奇跡をも起こす
男である。正当化し得る理由など幾らでも見つけられるというもの。そう敵の戦力を削るだけ
でなく自身の為に動いてくれるなら味方にしたと言えば。誰にも……神や魔にも反対させない、
どんな事をしようが手を貸させてみせる。いや自身の知る彼等ならきっと……


「寿命だって、俺達んとこに来りゃ何とかなるって!!」
「神族と魔族がついてるんだから……」

「夕焼けなんか、百回でも二百回でも一緒に―――――!!」


諦めと共に想いを口にした彼女は己がこの男に抱いた恋情が過ちでなかった事を確信して己の
全てを捨ててでも彼を愛した証を残したいと願い今度こそ無意識下であろうとても一切の打算
無しに彼を抱き締めた。


「お前…優しすぎるよ。」


泣いてはならぬ。泣けば大変な事になる。恋する女というものは愛する男に危険が及ぶ事など
は願いもしないものである。己は捨てても主である魔神や上司と妹達をも捨てるに至るまでの
覚悟は生真面目過ぎな彼女にはまだ無い。恋を取り己を捨てる覚悟も出来たというのに仲間を
捨て逃げる事は出来なかったのだ。勿論その思考には逃げたとしたなら制約を解除し得る者に
遭い解除して貰える様になるだけの時間的余裕が己に無いとの判断も手伝ったが。今は行動の
自由はあるが制約は主が自由に変更出来る。彼女は己を捨て彼に思い出を己に出来る己が知る
最高の行為をもって彼の中に思い出を残し消え彼には逃げて欲しいと願ったのだ。その思いが
成し遂げられた際に彼へ与える衝撃を思う余裕も無く。いやもし彼女が女性が持ち得る破滅的
恋愛願望に酔っていたとすれば己が消える事で彼に己の思い出が何時までも残るとさえ考えた
かも知れない。女性は時に男が思う以上に残酷な行為に出る事がある。恋に盲たすなわち己に
訪れる筈も無ければ幻想を持つ事すらもが許されなかった恋をそれを認めた愛する男の返答を
得たのだ。常の彼女に閃く事すら無い筈の考えが浮かんだとしても彼女を咎められるだろうか。

彼女にとって彼の返答はプロポーズに応えてくれたも同然であり従って己がこれからする事は
不思議でも何でも無い事、只普通で無いのは想いを遂げた直後に己が消えて無くなるであろう
事だけ。だが人間でも想いを遂げる事無く去ってしまう者もいる、己は想いを遂げられるだけ
幸せなのだ。思考は暴走仕掛けている。それは自覚出来たがしかし想いも遂げられずに寿命が
尽きて消えるだけの一年と想いを遂げてすぐ幸せの内に逝ける今、考えるまでも無い。想いを
持っていなかったこれまでならば儚く消える事に疑問も持たなかったであろうが今は違う。

ルシオラは横島に己のこの後の行動を告げる、その結果己が消えてしまう事は告げずに。何故
逃げられないかも告げはしない。泣いてはならぬ事同様それを告げたならこの男は女に余りの
優しさを見せるこの男は何をするか分からないいや考えたくない。繰り返すが恋する女という
ものは愛する男に危険が及ぶ事などは願いもしないのだ。勝てる可能性がある相手を前に己を
助ける為に動く男との状況に憧れる女はいなくもないが実際に愛する男へ危険が及ぶ事は願わ
ない、確実な死の危険が及ぶなど。その実現を真に願う様では正しく愛してなどいない。己に
取ってさえ強大に過ぎる相手逆らう事も出来ぬ相手、幾ら強運が味方しようと幾ら多少機転が
利こうと如何に反則的な能力を持っていようと力の次元が違い過ぎる。彼女は不可能な希望を
抱くには理性的過ぎ男を伴って死のうと思う程に己の価値を認めてはいない。すぐに消え行く
身の己が愛した男を死なせる訳には行かないのだ。

彼女が冷静でなど無かった事は良く分かるだろう、冷静に考えたならば己が純潔を捧げたその
相手が己が消えた後どうなるのか、女を愛する事に掛けては世界最高の男といっても良い彼が
どう動くか、容易に想像出来る彼の受ける衝撃をその後の行動を全く考慮に入れていないのだ。
尤も特に障害など無い恋愛に置いてさえ己の純潔を愛する者へ捧げる前に冷静でいられる方が
おかしい、彼女が己の消滅後に考えが及ばなかった程度に冷静で無かった事また実に身勝手に
己の欲求を満たそうとした事はだがしかし女の思考行動として不思議ではない。

己に出来る限りの事を愛する男の為に行なおうとしてそれを伝えた彼女ではあるが、その途端
実はそれで純情な面がある相手は出血大サービスであった、いや文字通りに大量出血したのだ。

彼は馬鹿である、それも壮大なまで。それが自分が愛して良い女であれば種族は元より敵味方
の区別すら無いのである。流石に自身が殺されそうになれば生存を優先するのであるがそれも
一旦喉元を過ぎたなら忘れてしまう程に女が好きなのである。或いは目の前に令子の着替えか
何か適当な写真を用意して彼の頭に竿を固定しその竿の先に吊ったならばその走る速度は人の
限界を軽く凌駕してもおかしくは無い程に。その時点ならばもしルシオラが空を飛んで逃げた
ならば走って追いつけそうな程に。女への執念を示す際の彼は通常の三倍などでは済まないの
である、それは韋駄天でさえ使いこなせていなかった者が居た程の極意である超加速に如何に
影法師であれ追いついた程なのだ。それ程にすなわち常軌を逸している程にまで女好きであり
ながら高校生になり令子と出逢ってその挑発的な容姿と服装に酔いセクハラこそ酷くなったが
無理強いはしないすなわち霊力の差からも元々適わなかった令子だけでなく一般人にも美人で
あれば飛び掛かりはしたがその先へは相手の同意が無ければ決して進もうとしなかった辺りが
彼の隠された良さすなわち小学校時の同級生ら極少数の者だけが知る彼の人間的魅力の一つを
暗示しているのである、令子の恋情と同程度に分かり難いのであるが。尤も普段飛び掛かりは
するがその先に進まない事は女体の感触だけで煩悩が爆発していきなりのセクハラに憤慨した
女性がその先へ進む前に動きの止まった彼を迎撃するからでもあったであろう。それでも男が
本気を出したなら彼女を狙った三鬼の内不意を付けた筈のベルゼブルを攻撃態勢に入っていた
魔族を得物も用いず拳の一撃で迎撃したくらいに霊力を纏うが故に彼より強かった令子以外の
女性には無理矢理事に及ぶのは全く可能であった筈なのにそうしないでいた事で彼が屈折して
いながらも女性に優しくする気持ちを持っていなかった訳では無いと分かる。これまでも時折
あるにはあった女性からその身を彼に凭れ掛からせるに至った際も相手の同意無く行為に及ぶ
事は無かったのだ、尤もその際常にアプローチに失敗していた辺り本当に大樹の息子なのかと
疑いたくもなるのであるがあの異常振りは間違いなく親子であろう。

この際も抱きつかれた瞬間に押し倒して事に及ぶ男は幾らでもいるであろうが彼はそうしない
でいた。相手が自分を赤子の手を捻るが如く殺せるとの事実はこの場合関係ない。彼女の言動
から彼女が彼を想っている事が分からない男がいたとしたら男を止めた方が良いくらいにその
言動は分かり易かった。その場で事に及ぼうとしても拒む可能性の方が低かったであろう。

が、彼の思い人への対応は他へのそれとは異なり思い人の意志を尊重するのである、普段から
それが普通に女性全般へ対して器用に出来ていたなら父大樹を疾うに超えていたかも知れない。
そんな面でだけ超えるのは人間として如何なものかと思われるが。ともあれ後に霊能研究者の
間で人格の欠陥といって良い極端さこそが強い霊能を持つ資質と断言した者達が出た程である。
尤もその研究者達は更なる条件として極端な執着を持つ性格とそれでも自身のぎりぎりの所に
ある信念……或いは判断基準と表す方がより正確だろうか……を譲らぬ事を挙げたのではあり、
事実何時でも互いに殺し合いをしているかの様なトップクラスのGS達はしかし誰も実際には
亡くなる様な事態には決してならないのである。訳の分からない力を強く持つ者はやはり訳の
分からないしかし確固たる基準を持っておりそれだけは譲らないという説である。唱えた者が
その後発表した論文の追補で一生を終わった程には訳が分からない基準なのではあるが、その
近しいたとえとしてアンチヒーローとの語を持ち出した者もいた。この場合は己の基準だけに
従い動く者との意味を籠めて。結局訳が分かっていないのにそれをその語で表わそうとしたと
批判を浴びてその語は公用される事は無かったのだが。

そんな非常識な存在達の中にあっても彼は特別製で素質ならばあるのにそれを活かす事をせず
緊急避難的な修業だけでいや場合に拠っては単にテンションが高まっただけでその霊的な力を
開花させて来た彼はそれだけの事があって非常識そのものであった。出血も無かったかの様に
呆気なく回復した彼、もしその事を見た人間がいたなら煩悩で霊力だけでなく血液までも作り
出す男として解剖でもする事を考えたかも知れない彼は恋情こそ意識したものの先立つものは
やはり煩悩でしかし相手の都合もしっかり考えるとの訳の分からなさがいや増した状態で演算
兵鬼の話し相手を務める事もその話が無限ループに陥って暫く過ぎるまでこなした程にも付き
合いの良さを持っていた。
それが出来た理由は思考の大半が来たる初体験に繋がるであろう彼女が抱きついて来た情景が
脳内で繰り返されていたからかも知れず、実は単に美神除霊事務所で慣らされていただけかも
知れず。

各人が胸に抱いた各々異なる激しい思いを他所に夜は静かに更けていった。いざという時には
女性の方が見た目は落ち着いているものである。己自身が燃え尽きそうな想いを抱きながらも
いつもより丁寧にその身体を洗い清めた……初体験前の女性は経験を重ねた女性とは異なって
臭いや汗が気になるからとの理由で入浴する訳ではなく、勿論それもあるのだがより精神的に
身を清める意識を持って禊ぎの如くそれを行なうものである……ルシオラは姉妹揃って風呂に
入る最後の機会であったにも関わらずその告白を聞いていなくともベスパが二人の関係を変に
思ったであろう程上の空といった態で入浴を済ませ、彼女は己の中で儀式の如き思いを抱いて
その上司に永久の別れの挨拶代りに言葉を掛け、その頬の上気を抑えきれずに思い人へ言葉を
紡ぎ来たるべき時を待つ為部屋へ戻った。一方で血の気が多過ぎるその思い人はまたも大出血
していたのであるが幸か不幸かその様子を目にする事は無かったので百年の恋も冷めるという
事は無く……見て覚めない程には恋に盲目であったではあろうが……その様子に元よりあった
確信が動かし様の無い真実でありその想いを今夜にも遂げる積もりであると悟らざるを得ずに
いたベスパはしかし実妹が説得すれば或いはとの思いを持ち姉の暴挙を止めようと考えていた。

深夜、常より遙かに居心地の良い部屋でしかし自分へと想いを打ち明けた彼女の唐突な女性の
側からのお誘いに常でさえ誘惑には弱い彼は自身の都合の良い部分だけを考えるのが精一杯で
あった。この辺り若い男女である以上お互いの事を想いながらも自身の都合を優先してしまう
事は別段珍しい事ではない。だがそれでなくとも迫る初体験に逸る思考はそのお相手が人類の
敵である事を止めようともしない点には流石に躊躇いを見せていた。一緒に逃げようと侠気を
見せた彼はだが若く常人とは比べものにならぬ煩悩を満たす欲求とその躊躇いとで初体験の為
にセッティング……電灯があるのに蝋燭を用意するなどしておりもしオーディオ機器があれば
BGMでも掛けていたかも知れない……を行なったその部屋で一人悶々としていた。ここまで
来てまだ体験出来ない可能性が浮かぶ辺り日頃彼が如何に報われない日々を送っているのかの
証明である様だが、期待に昂ぶる身体を持て余して先走ってしまいいざという時に役立たずと
なる様な事態は間抜けに過ぎる。心臓は早鐘を打ち思考が深夜にも関わらずそのままに言葉と
なって放たれる、それでなくとも警戒していたベスパに気付かれたとも知らず。長姉が語るに
落ちた様で破滅へと忍び歩くその気配を臨戦状態にあったベスパが気付かない道理は無く最早
言葉では止められるかどうかの瀬戸際であると悟った彼女は長姉を外に連れ出し最後の説得を
行なうのであった。生殺しのままで消耗しつつあった横島はベスパの大声に事態が思い通りに
進んでいない事を知りその会話を細大漏らさず聞く事に神経を集中したのだ。

元より説得などより戦闘の方が得手であるベスパだ、すぐに力ずくで止める事を決意して姉を
攻撃した。マリアとテレサの姉妹喧嘩を凌ぐ史上最強の姉妹喧嘩の始まりであった。日頃から
の疲れが……精神的なそれと遊び疲れとに分かれそうであるが……出たか演算兵鬼と末妹には
全く起きる気配が無かったのだがこの喧嘩はもし近所の家というものがこの隠れ家且つ基地に
存在すれば即座に通報され横島の帰還無くして姉妹達がいる間にオカルトGメンの面々が着き
余計な被害を出したであろう、それは生じなかった事ではあるが。三姉妹には人間同様の情が
ある事を暫くの間だが共に過ごした横島は知っていたがベスパに取り姉を失わせる障害を看過
する事に比べれば彼への借りなど些細で自身への死刑宣告に戦慄した彼はだが続く戦闘で辺り
の森一面に被害が出た後互いに隙を狙った小休止に行なわれた会話にその身を自身の為でなく
一瞬強張らせてしまう。人類の敵という極辛のスパイスが利いた相手との初体験に元々異常で
ある煩悩を常以上に募らせていた彼はしかし途端に醒めた。一時の快楽だけを求めてしまった
自身に純潔を捧げると告げた彼女のその行為がその消滅に直結すると知ってしまったのである。
未だ恋へと至っていないが故にデリカシーに欠けた表現をする妹の言葉を訂正しているロマン
ティストなルシオラをしかし彼は最早直視出来なくなった。彼は自分の側と判断した女性には
とことん優しい男である。その彼に自分を愛してくれる女の消滅が認められようか。

彼の思考は終に、彼女の為を第一へと変貌した。

パワー重視の妹を幻術と霊的麻酔で破り麻痺させたルシオラは通じもしないであろうが慎みを
表現する為にと着ていたパジャマが駄目になったからと多少煽情的な姿で妥協して訪ねた彼の
部屋にはしかし彼は既にいないと知り、彼女は罪の無い枕を引き裂いて彼の後を追う。因みに
引き裂いたのは横島の枕であり己のそれはそのまま持って追跡した。初めてが森の中でも良い
のだろうかと突っ込みたくなるのだが単に己の想いを諦めきれずにいただけの事である。流す
涙が血涙で無い点こそ彼の思考が彼女中心となった事を示しつつ分かり易く叫びながらも森を
歩いていた彼の元へと飛んできた彼女には己の想いを遂げる事しか頭に無く……下着姿で枕を
抱えて空を飛ぶ事がそれを表わしていた……やはり彼奴らはお似合いだと思えなくもない夫婦
漫才を展開しつつ彼女は己の想いを遂げようとする。しかし常ならば巫山戯る側の横島は真剣
であり今や彼女を救う事が最大の目的となった彼は誓う。


「アシュタロスは―――――――俺が倒す!!」


それが自身の欲求の為でなく彼女の為であった事を示していたのがその後の三姉妹全員を考慮
した台詞であった。彼は初めて煩悩からではなく真摯な想いからルシオラを軽く抱いてキスを
した。恋する女性でなくとも女性に取ってキスは重要な意味を持つ。体は許してもキスは駄目
という女も多い。それが軽く触れただけのキスであれいやだからこそ彼の真剣さはその全てが
彼女に伝わった。彼女は己の愛した男が何処までも男である事に改めて惚れ直しその絶望的な
現実を思って尚心の何処かに希望を抱かずにはいられなかった。



……

だが、彼女の願いは元来適いはしなかった。彼女は満足したであろうが最初の約束は果たされ
なかったのである。しかしほんの少し先の未来の横島達の策が成功して彼女は今願った全てを
手に入れている。

そして今彼女は改めてあの時を思う。あの時美神美智恵が行なった攻撃は実際の所相当大した
ものであり、もし、もしも横島があの時己や妹を助けずに離脱していたならば今頃は自分達が
生きてはいないであろう事、更には逆天号自体も撃沈され、仮に末妹が美智恵を重く見て挑む
事を避け助かっていたとしても逆天号の撃沈と共にエネルギーを供給せんが為に眠りに就いて
いた魔神が起きる事すら無く破れていたかも知れない事を。そう、戦いの趨勢はあの時点から
既に横島の手に握られていた事を。運命は強者にのみ操られるものではない。時には弱き者が
運命の行く末をその手に握る事もある。あの戦いの横島はまさにそうであったと振り返る。

彼女の想いは適った。だが彼女は元来起き得た筈であった未来も知ってしまった。振り返れば
己の想いにどれだけ恋に暴走した女の身勝手が含まれていたかが良く分かる。彼はだが未来で
起きた彼女の死に対する自身の不甲斐無さにこそ思う所がある様でそれ故か二人きりでいても
口数が少なくなった。その推測が誤りで例えば流れを読めと何度も言い放った未来の己の言葉
にこそ無口さの原因があって欲しいとむしろ最初は己が流れを読まずに迫った事を思い出した
彼女は二人の愛を妨げる記憶や感傷を払い除ける為にも自ら流れを作り出そうと呼び掛けるの
である、何時でも。


「ヨコシマ」


勿論彼女のその呼び掛けには四分音符八分音符スタッカート、時には全休符やレガートまでも
用いられているのは最早語るまでもない事であろう。全休符やレガートを用いるか否かなどで
その時の心情まで分かると来たものである。彼女が呼び掛け横島がその行動で返す光景は今や
周りの者達も見慣れたものとなっているのだ。黙り勝ちな彼に周りの状況など殆ど構わず声を
掛けて百合子から教えられた節度は守るもののいちゃつく彼女と彼は見事なまでにバカップル
であった。だがそれが原因不明である彼の無口さをカバーする為の行為である事もまた近しい
者達の気付く所となっており事件の報道もあって一般人を含めた彼等を見守る目は皆温かい。

(ケース1後編へ続く)

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