ザ・グレート・展開予測ショー

絶望は、イヌを殺すか?(3)


投稿者名:APE_X
投稿日時:(05/ 8/11)

 時折り甲高いスキールを響かせながら、二台の外車が都内の街並みを駆け抜けて行く。
 混雑する首都高や幹線道路を避け、すれ違いも困難な裏道や歩行者の多い住宅地などを選んで。

 しかも気のせいか、時々進入禁止の標識や路面表示を無視しているような。

 先行するイエローのポルシェが対向車にクラクションを叩きつけ、凶悪なエキゾーストで歩行者を蹴散らす。
 そうして確保した進路に、暗褐色のアストンマーチンが道交法など知った事かと言わんばかりの危険な加速で突っ込む。
 道幅5mを切るT字路をパワースライドで無理やりパスし、ドアミラーやリヤバンパーの端で歩行者を掠めながら駆け抜ける。

 歩行者や民家の外塀などをガードレールや岩剥き出しの山肌代わりにして、某豆腐屋ハチロク紛いの危険走行を繰り広げる二台。
 そのステアリングを握るのは、当然というか何というか、美神と西条の二人だった。


「きゃーっ!、今のは危なかったでござるよー♪」
「な…何でそんなに楽しそうなの…?、――っそれより西条さんっ!ちょっととばしすぎじゃあ…」

「それは令子ちゃんに言ってくれ!、僕としちゃ今は着いてくしかないんだ…!!」


 遊園地のジェットコースターのようなノリで思いっきり楽しそうなシロを余所に、顔に縦線を入れた西条とおキヌが叫び合う。
 目の幅涙を頬に伝わらせた西条のその情けない表情と声音には、おキヌも沈黙せざるを得なかった。

 だいたい、都内の道路というものは、車両が高速で巡航するには不向きなのだ。
 今日びの所謂“東京”とは、元々江戸城の城下町であった地域を指しているのだから、それも当然。
 江戸時代には、時速100kmオーバーで地上を走行する重量1トン以上の鉄塊など存在していなかったのだから。

 そんな曲がりくねって狭隘な街路で、こんな交通法規を無視した運転の挙げ句、事故でも起こした日には弁解する余地もない。
 少なくとも西条が国際公務員としての地位を失うだろう事は疑いようもなかった。

 西条がそのような危険をわざわざ冒さねばならないのは、先行する美神の車の助手席に拉致された《ウルトラ見鬼くん》の所為だ。
 ご存じ、GSの必須アイテムとも言える、霊体探知機《見鬼くん》の高級・高性能型。
 オカルトGメンの備品として西条のアストンマーチンに搭載されていたそれが、今は美神の横でぐるぐると回り続けている。

 愛らしくデフォルメされた陰陽師ルックの人形が、虚ろな眼をまん丸に見開いたまま延々と回り続ける姿は、正直ちょっと気色悪い。
 美神除霊事務所のスタッフであるおキヌとシロが西条の車に同乗しているのは、その不気味な絵面に引いちゃったせいだったりする。

 その動きは、こじ開けられた台座の裏側から美神のラップトップへと結線され、広域霊体レーダーに改造されている為だ。

 しかし、見た目はともかくとして、本来の機能・性能に関しては間違いなく一級品なのは事実。
 その探知機能が無ければ、キロメートル単位で離れた場所の霊体を発見する事など、彼らが如何に優れた霊能者でも覚束ない。

 だが今は一刻を争う―――何せ、考え無しとしては当代最高クラスの男に状況の決定権が丸投げ状態なのだ。
 シロの嗅覚による追跡では、目標の移動をトレースしなければならない為、思わぬ回り道をさせられてしまう事もあり得る。
 それじゃ間に合わないのよーッ!、っと半ギレで詰め寄る美神を、西条は見捨てられなかった。

 そもそも今回の事件を彼女に依頼したのが西条だ、という責任もある。
 ―――もっとも、黙っていても事件の方から勝手に美神の許へ転がり込んだんじゃないか、という話もあるが。

 とまれ、西条は彼らしい責任感と打算の結果として、《ウルトラ見鬼くん》の使用を許可した。
 打算とは、言うまでもなく美神の前で頼りになる『お兄ちゃん』を演じたかった、という事だ。
 が、彼はあくまで、『使用』を許可しただけ、の、筈である。

 間違っても、現状で施されているような破壊行為紛いの改造を許可した覚えはない。
 覚えはないが、そこはそれ、相手は『あの』美神令子である。

 相手が一歩引いたら、二歩踏み込む。
 そんな人生哲学を堂々と掲げる彼女を相手に、一度でも首を縦に振った方が悪い。
 病院の駐車場で天を仰ぎ、シロの霊波刀まで使用した改造工作から目を逸らした時点で、西条はそう諦観していた。

 始末書の事を考えると、胃とか頭皮とか、色んな所にダメージがスゴそうなので、考えない事にする。


「―――だいたい、タマモちゃんがきちんとケータイを持ち歩いてくれてたら…――はっ!!」


 ドキャアア!!っと耳をつんざくような音を立て、タイヤから千切れた生ゴムを撒き散らす911のテールを追う。
 飛脚の絵が描かれたトラックをやはり強引にタイヤを痛めつけてパスしながら、西条は思わず愚痴をこぼしていた。

 こぼしてしまってから、それが地雷に思い切りネリチャギかますのと同義だ、と気付いても、もう遅い。


「そーですよね、いくら『デート』の邪魔されたくないからって…!!」
「…だいたい、あの女狐には事務所スタッフとしての自覚が足りないんでござるッ!!」


 ひゅーどろどろどろ、っと。

 文字通り周囲を威圧する、危険な濃度の霊気が助手席と後部座席から湧き起こる。
 半ば物質化したそのおどろおどろしい霊波に内装が軋み、もっとも脆弱な窓の周辺からはイヤな音まで聞こえだした。
 雷雲のように帯電した車内の霊気に、インパネのデジタルクロックが真っ先に消し飛び、液晶が真っ二つ…。


「わ、わかったっ!、もー分かったからッ!!今はやめてくれー!!」


 普通、一日に二度も三度も味わうとは考えられないような、強烈な怨念紛いの霊圧に、西条は速やかに降伏を申し出た。

 実はこの追跡行のスタート前にも、すでに同じ話題で同じ目に遭っている。
 ただしその時は美神も一緒だった為に、べそをかく事さえ憚られるぐらい本気で生命の危険を感じさせられたのだが。
 それでも懲りずに同じ轍を踏むあたり、学習能力に問題があるんじゃなかろうか。


「はっ!?…――あ、すみません。わたしったらつい…西条さんには関係ないのに。――…そう、後で関係のある人に、たっぷり…」
「うううう…せんせーの浮気者、せんせーの浮気者ぉ…」

「……。」


 霊圧こそ下がっても一向に収まらない瘴気に、西条の呼吸がそろそろヤバくなってくる。
 もっとも彼の顔色が悪いのは、そればかりでもなさそうだが。

 西条は出来るだけさりげなく、パワーウィンドウを全開にして車内の空気を入れ換えつつ、少女たちの声を風でかき消そうと試みた。

 うふうふと助手席で笑う黒髪の少女は、西条の記憶に間違いがなければ、たしか『美神除霊事務所の良心』だった筈だ。
 が、今日の彼女はどうも、某本職の『呪い屋』とか、『現代の魔女』とか、『魔界正規軍士官』などより、よほど禍々しい気がする。

 後部座席でぶつぶつと唸っている人狼の少女共々、一体後で誰に、何を『たっぷり』するつもりなのか。
 聞いてみたい気もするが、何だか怖くて彼にはとても聞けそうにない。
 ヘタレと言いたければ言え。

 自慢ではないが、彼にはこんな厄介極まりない女性を二人も三人も相手に出来る神経などない。
 せめてもの救いは、先方でも西条に用はないらしいという事か。


(横島くん…とっとと出てきてくれ。僕はもーそろそろ限界だ…!!)


 西条輝彦、28歳。
 世間的には超一流のエリートである彼も、美神除霊事務所の面々にとっては『横島忠夫の不出来な代用品』でしかないようであった。



***



 斜め下方から突っ込んでくる獣人の鼻っ面めがけて、霊波のかぎ爪を真っ直ぐに叩き込む。

 すくい上げるように迎撃された《栄光の手》は、相手のパワーとウェイトに負けて大きく撓み、天に向かって弧を描く。
 だが、それも横島の計算の内。


「《栄光の手》には、こーいう使い方もあるんだッ!!」


 釣り竿のようにしなった、その振り戻しを利用して、タマモを抱えた身体の進路を急激に変化させ、ほぼ垂直に跳ね上がる。
 振り抜かれる獣人の掌を支点に倒立した横島は空中で腰を捻り、振り回される勢いに乗せた膝を相手の延髄に叩き込んだ。


『―――ッガ…!!』


 今度は少なからず効き目があったらしく、空中で姿勢を崩した元少年の身体がもんどり打って緑地に墜ちて行く。

 それを眼の端に留めつつ、横島はちょうど眼下を通過していた黄色いラインの入った電車に霊波の腕を引っかけた。
 たぐるように身体を引き寄せ、膝と《栄光の手》で落着の勢いを殺しつつ、並んだパンタグラフの中間に着地する。

 電線を避けて屈み込み、背後を気にする横島に向かって、同じく片膝を突いたタマモが呆れたように囁いた。


「アンタ、日ごとに強くなってくわね。…――もしかして、また雪之丞来たの?」
「…先週な。あんにゃろ、本気でムエタイ勉強して来やがった…」


 視線は後方に向けたまま、心底げんなりとした様子で横島は答える。

 直接使用する部位のみならず、腹筋や背筋を含めた全身の筋力と体重を乗せて、縦横無尽に振るわれる雪之丞の肘や膝。
 掠めただけでも皮膚が裂け、ガードした腕や脚はそれだけでへし折られかけた。

 そも、生来固い骨が突出したそれらの箇所を使用した攻撃は、普通でも危険すぎる。
 現代では、プロの格闘技界でもほぼ全面的に禁止されているというのに。
 ましてや、雪之丞のように全身を連動させる事に長けた者がやると、その威力はシャレにならない。

 対人殺傷能力に関して言えば、本身の日本刀と多分良い勝負だ。
 そんなもので襲いかかられれば、そりゃ誰だって死ぬ気で避けるし、殺す気で反撃もする。

 雪之丞が覚えてきたワザの内の幾らかは、こうしてイヤでも横島の目に焼き付いて行くのだ。


「―――何が悲しゅーて自宅の真ん前で、意味もなく命がけのバトルを繰り広げねばならんのだ…!!」
「…それって、アンタがいちいち付き合わなきゃ良いだけじゃない。―――それとも『漢の友情』ってヤツ?」

「んーなサツバツとした潤いの無い人間関係、全身全霊を以てノーサンキューだッ!―――ぅおッ!?」


 当の雪之丞が聞いたなら、半眼で舌打ちしそうな事を無闇にきっぱりと言い切る。
 思わず、見上げるような体勢のタマモの瞳を見返した横島の視界の片隅で、木立が大きく揺れた。

 緑地を迂回するように弧を描いて敷設された線路の内側、車両の窓とほぼ同じ高さの梢を突き抜けて、褐色の塊が飛び出してくる。

 ドォン!!っと、重量感のある着地音と共に、横島たちより二〜三両後方の屋根に降り立ったのは、あの獣人。
 横島に蹴たぐり落とされた位置から、緑地を中央に広がる溜め池ごと跳び越えてショートカットして来たらしい。
 風に流されて聞こえないが、此方を見やる目つきの爛々とした輝きから見て、威嚇の唸り声でも上げているようだ。


「…ちょっとしつこすぎねーか!?」
「そーね、ちょっとウザいかも…!」


 女には絶対モテないタイプね!、っと吐き捨てるタマモに片頬だけで苦笑して見せつつ、横島は周囲に目をやる。

 目の前のコイツが、振り子運動の連続に良い加減適応してきている今、先ほどのような逃走手段はあまり有効とは言えない。
 が、それでもこの不安定な足場の上で、あのパワーと真っ向から勝負するよりはまだマシだろう。


「――…いっそ二手に分かれて見るってのはどう?アタシは変化すれば飛べるし、ヨコシマ一人なら充分逃げ切れるでしょ」
「ダメだ。ヤツの狙いが分からん。返ってあっちの思うつぼかも知れんし」


 横島の思案を読み取ったのか、そう提案してきたタマモに、じりじりと距離を詰めてくる獣の眼を睨んだまま首を振る。

 タマモの提言は、横島に関しては確かに正しい。
 パワーとスピードは相手が勝っているが、逆に言えばそれ以外は横島の方が圧倒的に優勢だ。
 直線的な力任せの突撃など、雪之丞や美神のエゲツない攻撃の数々に比べれば、単調すぎてあくびが出る。

 横島の方は、タマモの身体を抱えていなければ、両手に《栄光の手》と《サイキック・ソーサー》を展開できるのだ。
 単純に力押し一辺倒の『獣人』をいなすのは容易いだろう。
 この場合、むしろ問題なのはタマモの方だった。

 速度ではほぼ互角、力では相手が勝り、横島ほど戦闘向きでないタマモが狙われたら。
 おそらく、今のタマモではあの攻撃は捌き切れない。
 霊力に差がありすぎて幻術は届かないだろうし、狐火はこれまでにもことごとく無効化されている。

 横島とタマモ、どちらが元『少年』の狙いであるのか、そもそもそれ以前に相手が何者なのか。
 それが分からない内は、意地でも横島が楯になってやるしか対処のしようがない。


「チッ…こんな時、美神さんなら何か思いつくだろーに…!」
「……」


 ぐいっ、と再び自身の腰に腕を回した横島の口惜しげな横顔を、タマモは微妙な表情で見上げた。

 彼自身が考えているほど、美神と横島の差は大きくはない、と、タマモには思える。
 美神とて無謬ではない、というかむしろそそっかしい方だし、横島はその経験年数からは信じられないほどの腕利きだ。
 仮に美神がこの場に居合わせたとしても、結局彼の負担が大きくなるばかりのような気がする。

 第一、現状において力が不足しているのは彼ではなく、タマモの方なのだ。
 先の提案はそれが分かっていて、自身が足枷になってしまう事を嫌ったからこそのもの。

 それを一顧だにせず庇って見せながら、なお力が足りないと歯噛みする青年の奇妙な心理に、タマモはいたたまれなさを覚えた。

 業界の一部―――主に冥界とその関係者の間で『無敵』と奉られる彼は、真実、無敵である事を希求しているのかも知れない。
 『何か』―――あるいは『誰か』を絶対に護り抜くための、護り抜けるだけの、圧倒的な力を。
 その『誰か』は、とっくに失われてしまったというのに―――。

 対して、かつて『傾国の大妖』であった筈の自身は、今はただの子狐に過ぎず。
 客観的に見て彼の重荷でしかなく、彼に護られる事で何かを返せる『誰か』でもない。

 無条件で庇護して貰える、その関係は決して不快ではないけれど、と。
 妖狐の少女は、奥歯に力を込めて、ぐらつく足場に苦戦しているらしい獣人を睨み付けた。
 やはりタマモには、一方的に何かをしてもらえる事を素直に喜べるほど、人間に心を許す事など出来ないらしい。

 ―――いつか、対等にギブアンドテイクで付き合えるようになるまでは、借りておこう。
 それが、今のタマモが自身に対して出来る、最大限の譲歩だった。

 どうやって返すのか?、とは、彼女自身あえて考えていない。


「―――そーいやオマエ、ケータイ持ってなかったっけか?…って、何故目を逸らす?」
「……」


 気を取り直した横島が、ふと気付いたように尋ねる。

 自身ではどうにもならない場合には、素直に助けを呼ぶ。
 ムダなプライドなど最初から持ち合わせていない彼らしい思いつきに、しかしタマモの答えはない。

 頑なに瞳を合わせようとしないタマモの頬に、冷や汗が垂れているように見えるのは気のせいか?


「――…オイ?」
「…〜〜だってッ!美神もシロもおキヌちゃんも、明らかに邪魔する気満々だったんだもん!!」


 ジト目で見下ろす横島の視線に根負けしたように、タマモは渋々と口を開いた。
 相部屋の人狼の少女が時々するように、ぷっ、と頬を膨らませ、口を尖らせて捲し立てる。


「小銭入れ取りに戻ったら、三人とも電話かける姿勢で固まっちゃって…慌てて隠してもバレバレだってのに!」
「―――で、アタマきてケータイ置いてきた、と」

「……うん」


 重ねて問いかけた横島に、タマモはややぎこちなく頷いた。
 一応、気まずいものを感じてはいるらしい。

 前方から近づいてくるトンネルのような高架に飛び移るタイミングを計りながら、横島は思い切り息を吸い込んだ。


「んな下らん理由でなんつー使えんマネさらすんじゃ、このアホ狐〜〜〜ッ!!」
「アホってゆーなあ!!」


 ぎりぎりのタイミングで高架の上に跳び上がって、電車の屋根に置き去りにした当面の『敵』をトンネルの中に隔離する。
 電車の速度にも助けられ、一気に舞い上がった環状線の高架の上空で、着地点を物色しながら、互いに喚き合う。
 何のかのと言いつつ、まだ結構余裕がある彼らだった。



***



 《ウルトラ見鬼くん・改》に導かれ、お堀端を疾走していたポルシェの前方から、奇妙な光景が近づいてきた。

 デニムの上下に赤いバンダナを締めた男性が、金髪をなびかせる少女を抱えて車から車へと、義経ばりの八艘跳びを披露している。
 いちいち確認するまでもなく、横島とタマモの二人だ。

 その背後からは、やはり横島と同じように車の屋根を飛び移りながら、褐色の怪物が二人を追いかけていた。
 だが、互いに速度も屋根の高さも違う車の間を器用に飛び歩く横島に、身体能力では上回る筈の『ソレ』が翻弄されている。
 器用な事に、横島は自身も不安定な足場を跳ね回りつつ、時折り相手の着地や踏み切りに合わせて霊波の楯を投げつけてもいた。

 そのチクチクとした嫌がらせに、月夜の人狼に酷似した怪物は力の方向を逸らされ続け、満足に襲いかかる事も出来ずにいる。
 つくづく、どこまで行っても力押しの通用しない、実にイヤらしい戦い方だ。

 内心どこかほっとしながら漠然とそんな感想を抱いた美神は、一旦彼らをやり過ごしてからクラッチを踏み込み、ギヤを叩き落とす。
 同時にこじったステアリングに従ってスピンターンを決めたカレラは、一気に加速して横島たちを乗せたトラックに追いすがった。

 前方では、手前でターンしたらしい西条のアストンマーチンの窓に手を掛けたシロが、屋根の上に躍り出る。


「―――美神さんッ!?…助かった〜!」
「何情けない声出してんのよ!まったく、いつまで経っても…」


 こちらに気付いた横島の半笑いに、美神は怒鳴り返した。
 ―――お叱言めいたその内容の割りに、あまり不機嫌そうに見えないのは何故だろう。


「横島クン、ソイツを路肩に叩き落としなさい!後はこっちでやるから!!」
「ハイぃッ!?…――イヤあんた、いきなりそんなムチャな事を…!!」


 抱えていたタマモを降ろし、こちらへ押し出そうとしていた横島の動きが、美神の指示を聞いて停滞する。
 思わず完全に足を止めて喚き返した横島の腕に、ここぞとばかりにタマモがしがみつき直した。
 ちら、っと美神を流し見て、口許で笑ってみせる。

 その小馬鹿にしたような表情に何故かムカッときて、美神は理不尽に横島を怒鳴りつけた。


「ムチャでも何でもいーから、私がやれっつったら、やんなさいッ!!―――ホラ、来たわよ!」


 ズドオォン!!

 怒鳴られた横島が咄嗟にトラックの前端へ飛びすさるのと、美神の頭上を跳び越えた『人狼もどき』が殺到するのとがほぼ同時。
 巨体が落着した衝撃で、大きく進路をブレさせたトラックを避けて後退した美神のポルシェは、その後方に着け直した。


「ほーら、どーすんの!?私の言うとおりにするしかないでしょ!!」
「くくく…!美神さんのオニー!アクマー!守銭奴おぉ〜!!…分かりましたよ、やりゃいーんでしょ、やりゃー!!」

「ほーっほほほほ、何とでもお言い!アンタはそーやって素直に私の言う事聞いてりゃいーのよッ!!」


 何故かお嬢様チックに高笑いする美神に悪態を突きながら、横島はヤケクソ気味に《栄光の手》を霊波刀状に変化させる。

 実際、これでは、横島にはタマモを降ろす事も、逃亡を図る事も出来ない。
 トラックの前方にいる西条の車に向かってタマモを降ろすなど言語道断。
 加速度や風向きから言って、巧く飛び移らせる事自体が難しい上に、失敗すれば今乗っているトラックに轢かれてお陀仏だ。

 かと言って、現状の手の届くような距離からでは、先ほどまでのような足場の悪さを活用したアドバンテージも期待できない。

 と、なれば後は美神の言うとおり、相手をどうにかするしかないのだが、それにもタマモを置き去りにする訳には行かなかった。
 もし横島が単独で突っかけた場合、眼前の獣人が横島を避けてタマモを狙う可能性は高い。
 少なくとも横島が相手の立場ならそうする。

 本来の標的はどちらであれ、物理的な打撃を放つ横島より、完全に無力化できる狐火しか持たないタマモの方が狙いやすいのだ。
 そしてそれを防ぐには、彼我の反応速度が違いすぎていた。

 消去法的に、横島に取りうる方策は『タマモを抱え込んだまま突貫する』という、極端なハンデ戦しか残されていない。

 タマモとしては、ついさっき殊勝な事を密かに誓ったばかりなのに、眼の前に美神が顕れた途端にこれだ。
 どうも殊勝な心がけよりも、女の意地の張り合いの方が優先されてしまうらしい。

 今更それを自覚したのか、少々気まずげなタマモの表情には気付きもせず、横島はタマモの両脚に腕を回し直し、抱え上げた。


「横島忠夫、突貫しますッ!!」
『…ック、オ、オオオオォ…ン!!』


 獣人のごつい後脚がパンピングし、上体が引き絞られた弓のように撓む。
 つがえられた矢が放たれるのに呼吸を合わせて、横島はやぶれかぶれに怒鳴りつつ突っかけた。

 突如発生した思いがけず強烈なGに、横島の肩口にしがみついたタマモの眼が瞠られる。
 横島の突撃は、蹴り出しも踏み込みも共に、それら自体は所詮、人間のレベル。
 筋力も骨格も、反射速度も、目の前の人狼もどきやシロは言うに及ばず、特に鍛えている訳でもないタマモ自身にも劣る。

 だが、蹴り出す脚力に完全に乗り切った荷重―――タマモの体重を含めて―――に、完全に連動した上体。
 それらが結果的に発生させたのは、タマモの身軽な本性での全速にほぼ匹敵する、強烈な加速度。

 その加速に連動して腰が捻られ、霊波刀を掲げた右肩を突き出すように、身体が真半身に開いてゆく。
 蹴り足が伸びきるのと、身体が開ききるのと、腕が伸びきるのと、それら全てが完全に同時だった。
 正確には分からないが、最終的な霊波刀の切っ先の速度は、シロの突き込みよりも速かったのではないだろうか。


『ッグアアアァッ!?』
「「「「「―――!!」」」」」


 普段の、そして以前の彼からは想像も出来ない、鋭すぎる剣技に、西条を含めた事務所の面々が驚愕する。

 彼らは未だ横島の技量を低く見誤っていた。
 だが、考えてみれば横島は霊的にも身体的にも、まだ成長期なのだ。
 しかも雪之丞という、戦闘力に関しては折り紙付きの押しかけ師匠までいる。

 ―――折り紙だけでなく札もたっぷり付いているという、ちょっとアレな師匠ではあるが。

 無論、横島自身は雪之丞のようにいつも武芸者として気を張って生きてはいないから、傍からではそうとは判じにくい。
 また実際のところ、横島には今のように真っ直ぐ突撃する以外の状況では、こんなマネは出来ないのだが。
 それでも条件付きとは言え、これほどの技量を彼が有しているなど、事務所の面々には寝耳に水を差されたような物。

 まして西条にして見れば、横島に対するアドバンテージの一つであった筈の剣技で、実質的に追い抜かれたのだ。
 思わず愕然と目を瞠る以外に、リアクションの取りようがないのも当然だった。

 だが、彼らが息を呑む間にも、状況は流転している。

 向けられる驚愕の視線のただ中で、直接それを身体で味わった元『少年』だけが、驚く暇もなく、仰け反るようにたたらを踏む。
 凄まじい相対速度で喉元に突き込まれた霊波刀は、力負けしてひしゃげながらも、苛烈な打撃を与えたようだった。

 伸ばし切る前に迎え撃たれた腕が宙を泳ぎ、重心がぐらりと大きく傾く。
 わずかな喀血を宙に散らした巨躯が、足をもつれさせて半歩下がろうとする一瞬の隙に、横島は付け入った。
 未だ褐色の毛並みに突きつけていた霊波刀をかぎ爪状に変化させ、喉元を鷲掴む。

 体勢を片側に崩したまま踏ん張った獣人の力に、逆らう事なくぐにゃりと伸びる《栄光の手》。
 喉に加えられた締め付けから、もっと強靱な腕を想像していたのだろう。
 思い切り引いた自身の膂力で獣人はさらに体勢を崩し、横島が腰を捻るとあっけなくトラックの屋根から転げ落ちた。

 一騎打ちとしては、横島の完全勝利だった。
 ここまでは。

 ほっ、と気を緩めた横島が霊波の腕をかき消すよりも速く、その光る触手に手を掛けた獣人が苦し紛れに腕を振るう。
 自分まで引き摺り落とされては堪らない、と慌てて《栄光の手》を解除した横島の身体は、反対側へ投げ出され―――


「〜〜〜っどおぅわああああ!!?」
「キャアアァ!?」


 繰り返しになるが、横島たちと美神たちが合流したのは、お堀端だ。
 で、美神たちがいるのが、道路の路肩側。
 件の獣人が落ちたのも、そっち側。

 その反対側に跳ばされた横島たちは、当然、お堀に向かって一直線なわけで。


「ああああッ!?何でこー、いつもいつも…!!」
「なに途中で気ィ抜いてんのよーッ!?」


 ―――ドッポォン!!

 巻き添えを喰らったタマモ共々、詰めの甘さに泣き喚きながら、ドブよりはちょっとマシ、ぐらいなお堀の水面にランデブー。
 アオミドロに濁った、常人なら間違っても泳ぎたいとは思わない水が、盛大な水柱を立てる。


「「「「「……。」」」」」


 一時期の3D格闘ゲームにあったような、両者リングアウトという間抜けすぎる幕切れに、何とも微妙な沈黙が美神たちを包み込む。
 直前に見せた技量の凄まじさがアホな現状をよりシュールに引き立てて、それはもう見事なまでの落としっぷりだった。
 惜しむらくは、ついたオチがあまりにもシュールすぎて、観客を置き去りにしてしまった所か。

 ―――端的に言えば、イタイ。


「なんていうか…安心できていーわよね。お約束って…」


 ギャキョキョッ、とタイヤを啼かせて急制動をかけたポルシェから降りつつ呟いた美神の台詞が、現状では精一杯のコメントだった。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa