ザ・グレート・展開予測ショー

絶望は、イヌを殺すか?(2)


投稿者名:APE_X
投稿日時:(05/ 7/30)

「―――このっ!」


 膠着状態を避けるように、今度はタマモが先手を取った。

 掛け声とともにサイドステップして、狐火を叩きつける。
 ほぼ同時に、天に向かって笑い声を吐きつけていた『少年』の顔が、ぐるん、っと振り向いた。

 ―――攻撃したタマモの方ではなく、反対側からこそこそと忍び寄っていた横島の方へ。


『甘イ・・・!』
「ゲ・・・!!」


 ガッ!

 後ろ手にタマモの狐火をいなしつつ、掲げた片手で上段から振り下ろされた《栄光の手》を受け止める。

 そのまま手首をかえすように、霊波の籠手ごと腕を掴まれて、横島が引きつった呻き声をもらした。
 にま、っと眼を細めた『少年』と、顔一面に縦線を入れた横島が、至近距離で互いの瞳を覗き合う。

 仮にも《傾国の大妖》を前世に持つタマモと、霊的戦闘においては文句なく一流と言って良いだろう横島。
 彼らの挟撃をそれぞれ片手で受け止めるなど、どれほどの霊力と技量が必要とされる事か。

 ざっと見積もっても、妙神山管理人、小竜姫と互角以上。

 見て取った情報を脳裏に書き留めるタマモの前で、横島が一転、ニヤリ、っと人の悪い笑みを浮かべて見せる。
 いつのまにか、手に持っていた紙包みを口にくわえて。


「―――ひゃ〜んへぅあッ!、くりゃへ!ヒャイキック・ゥエコひゃまひッ!!」
(―――な〜んてなッ!、くらえ!サイキック・ネコだましッ!!)


 すぱぁあん!!

 ふがふがと良く聞き取れない気合いと共に、大振りな初撃を追うように繰り出された、コンパクトな第二撃。
 その標的は眼前の『少年』ではなく、横島自身の手―――第一撃を受け止められたまま、相手の顔面のすぐ前に静止した掌。
 互いに霊波をまとった両手の平の間で霊気が勢いよく弾け、爆竹を鳴らしたような音と光を撒き散らす。

 サイキック・ネコだまし。
 《栄光の手》を利用した、実に横島らしいバリエーション。

 口に紙袋をくわえているせいで、ワザの名前は上手く伝わらなかったが、その効果は確実に相手を捉えていた。

 鼻っ面で爆竹を鳴らされれば、それが実際にダメージとはならなくとも、目や耳は眩まされる。
 それが、人より感覚器官の優れた獣系の妖魔妖怪の類なら、なおさらの事。


『グアァッ!?』


 思わず顔を背けた『少年』の、横様に振るった腕を避けて屈み込んだ横島は、そのままダッシュする。
 脇をすり抜け様に、文珠をひとつ、置き土産に放り出すのも忘れない。
 刻んだ文字は、『臭』。

 キンッ、と澄んだ音を立ててその碧玉が輝いた途端、喰らった相手の上体が大きく揺らいだ。
 まるで強烈なパンチを真正面から貰ってしまったかのように、両手で顔を覆いながら二歩、三歩と後ずさる。
 横島の狙い通り、文珠がもたらした強烈な臭気は、妖狐の鋭敏な嗅覚に打撃を与えたようだった。

 これで少年は、五感の内の視覚、聴覚、嗅覚の三つを、霊的にも物理的にも封じられた事になる。

 抜けてはいても、横島はやはり美神令子の弟子なのだ。
 根性の汚さと計算高さは折り紙付き。


『〜〜〜ッ!!』


 声も無くよろめく『少年』の背後で、タマモと上手く合流した横島は、何を考えたか、わざわざ振り向いた。


「ふはははは!オゥアエうぃはいあ厄介あヤフ、ゥアホオいあいへひへあえっか!!アイオ〜フ!!」
(ふはははは!オマエみたいな厄介なヤツ、マトモに相手してられっか!!アディオ〜ス!!)

『・・・・・・!!』


 せっかく成功した奇襲の成果を、自らフイにしかねないと承知した上で、捨て台詞をぶちかます。

 ―――こう言うところもまた、やはり師匠譲りである。

 くぐもって聞き取りづらい喚き声を叩きつけ様、何事かと見守る人並みを掻き分けて、今度こそダッシュ。
 現在の相方である妖狐の少女は、すでに人混みの向こう側。


「―――いちいちムリに喋んなくて良いから。何言ってるか分かんないし。・・・それに、アタシの服にヨダレついちゃうじゃない!」
「・・・・・・。文句あんなら、自分で持っとけ!!」



***



 白井総合病院の駐車場の一画に、美神のポルシェ911と、西条のアストンマーチンが並んでいる。
 二台とも、車両そのものの値段は当然、税金その他の維持費も素敵に高額な、どこからどう見ても立派な《高級外車》だ。

 薄給の筈の身でそんなモノを乗り回したりしているから、西条は『道楽公務員』などと呼ばれてしまうのだが。


「この用紙、ホントにいらないのかい?・・・手がかりぐらいにはなると思うんだけどね」


 キャンバストップを開放したポルシェのカエル顔の前で、西条が掲げて見せたのは、ビニールでパックされた一枚のルーズリーフ。

 赤いペンで鳥居が、黒いペンで九桝の魔方陣と、《いろは》の長歌が書かれている。
 今回の被害者が使用した、《コックリさん》の用紙だ。

 問いかける西条のすぐ脇で愛車のラゲッジに屈み込んだ美神は、何やらごそごそと探しながら振り返りもせずに答えた。


「―――発見されるまでに、その辺の雑霊が通りまくってるから・・・意味無いわ」


 その用箋の中央、やや上方に描かれている赤い鳥居は、霊体を『迎える』ための《門》だ。
 今回は、施術者である少女達が儀式を完了させずに昏倒してしまったため、その霊道が開かれたままになっている。
 今はパックされているから取り立てて何も起こっていないが、放置されていた間はそこに低級霊が群がっていただろう。

 雑多な霊気がまとわりついてしまったその用箋は、追跡用の手がかりとしては役に立ちそうもない。


「・・・ま、モチロン手がかりは多いに越した事はないけど。―――今回は多分、何とかなると思うわ」

「そうでござる!西条どの、あの悪さを働いたヤツの匂いなら、もう拙者が覚えてるでござるよ!」
「ん、アテにしてるわよ。それに、他にも手がかりがあるしね」
「「・・・?」」


 やる気満々なシロに頷いてやりながら、美神はようやく探し出した都内のロードマップを愛車のボンネットに広げた。


「ここ最近、カーナビしか使ってなかったから・・・っと、この辺りね」
「―――今回の事件の発生現場、ですか?」


 ぶつくさ言いつつ、しばしページを行きつ戻りつさせていた美神が、目的の箇所を見つけ出す。

 開いた地図帳のとじ目を押さえつける美神の脇から、ページを覗き込んだおキヌが問いかけた。
 巫女装束のアシスタントの問いにどこか満足そうに頷いてから、美神は指で地図上を示してみせる。


「そうよ、よく見て。最初がココ、次はココ。その次はこっち・・・」

「――・・・あっ!コレって・・・!?」
「・・・都営線か!」


 指し示された線を辿って眼を動かせた西条とおキヌが、同時に思い当たって声を上げた。
 事件が発生した学校はいずれも、東京の地下に張り巡らされた路線の一つに隣接している。


「―――『コックリさん』が、地下鉄で移動してるって事ですか?・・・ずいぶんハイカラですねえ」


 ぽやや〜ん、っと。

 感心したようなおキヌの呟きに、美神は黄色いボンネットの上に突っ伏した。
 美神たちの背後に立つ西条や、コンバーチブルの助手席に潜り込んだシロも、何となく引きつり気味だ。

 氷室キヌ、三百十七歳。
 知識面はともかく、感覚面での三百年の格差は、二年やそこらでは埋まりきらないものらしい。
 ―――それとも、通わせている学校が悪いのか?

 今のおキヌと酷似した言動を日常的に繰り広げてくれる、学院経営者ご令嬢の顔なぞ思い出しつつ。
 でも霊能の専門課程がある学校なんて他にないし、っと美神は煩悶する。


「イヤ、そーじゃなくて・・・多分、件の妖狐はこの路線づたいに何かを探しているんじゃないかな」

「あ、そっか。そーですよね、よく考えたら必要ないですものね」


 テヘッ、と少し顔を赤らめながら、西条のフォローにおキヌが納得する。

 だがこの時点で、すでに話の腰は見事にへし折れている訳で。
 西条も美神も、再度シリアスモードに突入し直すには、若干の間が必要そうだった。

 天然、恐るべし。


「『ちかてつ』でござるか?拙者あんまり乗ったコトない・・・あ、でもココならこないだ乗った所でござるな」
「え?・・・シロちゃんが、地下鉄?」


 美神達が立ち直るまでのひと呼吸分、会話が途切れる。
 その合間を埋めるように、シロがおキヌの反対側から、助手席のフロントグラスを乗り越えて地図を覗き込んだ。

 おキヌが目を丸くするのもムリはない。
 この人狼の少女は、一息で都営線の五駅分ぐらいは普通にダッシュするのだ。
 地下鉄の敷設された範囲など、シロにとっては軽い『さんぽ』の領域の筈。


「ほら、ココの信号の所。先生の家からすぐ近くでござるよ。
 ―――『こんな夜中に女の子がオモテをうろついちゃダメだ』って、ココまで先生が送ってくれたでござる!」


 横島に言われた台詞の『女の子』の部分を強調して、きゃーん、っと身をくねらせる。
 どうも、普段あまり女性扱いされていない分、余計に嬉しいらしい。


(((―――きっと、散歩に付き合わされるのがイヤで、口八丁言って追い返したんだな・・・)))


 もう幸せ絶頂な様子のシロを眺めつつ、読まなくても良い裏を読んでしまう美神たち。
 まあ、シロが気付かないウチは、わざわざ水を差すほどの事でもない。


「って、ちょい待ち!・・・これ、『コックリさん』の進行方向、よね・・・?」
「「―――あ゛」」


 未だハートマークを撒き散らしつつ、一人幸せ一杯な様子のシロの事は意識から放り出して、美神が確認する。
 シロが先ほど指差した箇所は、確かにこれまでに霊障が起きた現場の、時系列的な進行方向にある。

 その事を指摘した美神と、指摘された西条とおキヌ、三人は何故か引きつった顔を見合わせた。

 彼らの脳裏に浮かぶ、情けない表情と、裏腹な逞しさとを同居させた少年の顔。
 その持ち主は、いつも不幸に恵まれては窮地に陥り、そのピンチの極限でのみ、異様な悪運を見せて生き延びる。

 人生の幸、不幸は釣り合った天秤の様な物、とはよく聞く話だが。
 彼の場合は自らの不運で招いた状況を切り抜けるのに、やはり自らの幸運を使い切っている訳で。
 まさに人生、ひとりマッチポンプ。


「あ、あはは・・・まさか」
「・・・・・・そ、そうだよ、いくら横島君でも・・・」
「そー毎度毎度、巻き込まれたりは・・・ねえ!?」


 今回の事件に、横島が―――当人の望みか否かは問わず―――関わっているのではないか。
 そんな自身の想像を、空笑いで誤魔化そうと試みる三人。

 だが、彼ら霊能者の予感、直感というものは、えてして霊感による予知である場合が多い。
 ことに今ここに集っているのは、日本GS協会が誇る世界でもトップクラスの霊感の持ち主ばかり。
 彼らの勘の的中率は、それこそ『コックリさん』などとは比べ物にもならないのだ。


「・・・そーいえば、今日二人で遊びに行ってるのって―――」
「ぐ・・・っ。お、同じ路線ね・・・」

「――・・・ぐーぜんだよ、ぐーぜん!あっはっはっは」
「何が可笑しいのかしら・・・?コッチは笑い事じゃないってのに・・・!」
「は・・・あ、あれ?」


 ついさっきまで一緒になって空笑いに勤しんでいた美神が、今度は急にブチ切れて西条に凄んで見せる。

 別に、横島が面倒事に巻き込まれるのは、地上に空気があるのと同じレベルの日常茶飯事。
 横島当人も腕はかなり立つ方だし、今日はタマモも一緒である。
 それこそ魔神クラスの相手に強襲されでもしないかぎり、あの二人ならどうとでもするだろう。

 だから、彼らの無事については美神もおキヌも取り立てて心配などしてはいない。
 西条に至っては、タマモはともかく横島は少し痛い目を見てくれないかなー、などと半分以上本気で思っているぐらいだ。

 むしろ問題なのは、『どうとでもして』しまった場合の事だった。

 何しろ今回、相手は稲荷神―――仮に悪さを働いていたとしても、一応神族なのである。
 それをもしシバき倒したり、ましてやまかり間違って極楽送りにでもしようものなら、もう目も当てられない。

 小竜姫やGS協会経由で根回しをしてからこっそり、というならまだしも、いきなり公衆の面前でそんなマネをしでかしたなら。
 神界からの抗議は当然来るだろうし、GS免許の剥奪もあり得る。
 それどころか、ヘタをすれば業界から永久追放されかねない―――師匠の美神と一緒に。


「あのバカ―――もし軽はずみなマネでもしていやがったら、殺す・・・!」
「―――ちょ、令子ちゃ・・・く、苦し・・・!やめ・・・!!」
「み、美神さんっ!落ち着いて下さい!ソレは横島さんじゃありませんー!!」

「当たり前よッ!!もし横島クンなら最初っから手加減なんかしてない・・・!!」


 キーッ!!とテンパった唸り声と共に、美神の手が西条のネクタイを引っ掴んできゅーっ、と締め上げる。
 比喩でも何でもなく、ネクタイの裏側、細い方のベロだけを引っ張っているので、やられた西条はたまらない。
 赤、青、紫、と順繰りに変色した挙げ句、土気色に落ち着いてしまった顔で、必死に美神の腕をタップしている。

 美神としてはいきなり神通鞭でシバかない分だけ、まだ手加減しているつもりらしいが、それでも普通の人間は充分死ねる。
 こんな扱いを受けて平然と生きているのは、それこそ横島ぐらいのもの。

 ―――よい子のみんなは間違ってもマネしないよーに。



***



「どわあッ!!」
「キャアッ!」


 轟ッ、と鈍い音を立てて、飛来した巨大な炎の塊が、街路樹を一瞬で包み込む。


「何じゃ、あのバカでかい狐火はッ!?」
「アタシに聞いたって知る訳ないでしょ!!」


 身を屈めて炎上する立木の脇を駆け抜けながら、横島とタマモは互いの無事を確認するように怒鳴り合った。


「もー少し大人しく寝ときゃ良いモノを・・・!」
「ぶーたれてるヒマあったら、走る!・・・ほら来たッ!!」


 クオォォー・・・ン!

 人間の喉からは決して出せない、高音の雄叫びを上げて、小柄な身体が横島たちの背後に迫る。
 振るわれた腕を、横島は触手のように伸ばした『栄光の手』で絡め取り、弾きながら、カウンター気味に蹴りをくれて逃れた。

 そのまま点滅しているスクランブルの横断歩道を一気に渡り、路駐の列を楯にしながら歩道を駆け抜ける。


「クソ、何ちゅう立ち直りの早さだッ!?」
「・・・そーでもないみたいよ。パワーの割りに狙いが甘い・・・っと!」

『カァッ!!』

「ぅおわーッ!!」


 ドンッ、とすぐ脇のショーウインドウに炎が弾けた。
 タマモの言うとおり、先ほどの『臭』い文珠が効いているらしく、その炎撃は半ば盲打ちに近い。
 もしかしたら、意識自体が飛びかけているのかも知れなかった。

 焼け溶けて砕けたガラスの奥から、数体のマネキンが燃えながら路上に転げ落ちて来る。
 悲鳴を上げてそれらを飛び越しながら、横島は横目で追っ手の様子を窺った。

 一度は蹴り離した筈の紅毛が、渋滞中の自動車の列を八艘跳びに踏みつけつつ、再度追いすがって来ている。


「し、しつこい・・・!、タマモ、おまえ何か恨まれるよーな事でもしたのか!?」
「アタシじゃないわよ!そーいうヨコシマこそ、何か怒らすような真似、したんじゃないの!?」

「知らん!ネーチャンならともかく、ヤローに恨まれるよーな覚えはねえッ!・・・こっちだ!!」


 色々な意味で非常に度し難い台詞を吐きつつ、思いつきで路地を曲がる。

 次々と容赦なく襲いかかる炎の奔流を紙一重でかわしながら、ジグザグに裏通りを曲がり、再び広い通りに転げ出た。
 目の前には、首都高の高架とその下を走る片側四車線の車道。
 車道には渡れそうな交差点も見あたらず、路駐の列もなければ街路樹もない、身を隠すには最悪の地形。


「うげ・・・ッ!ヤバいっ!!」
「わ、考えてるヒマない・・・!!」


 ドッ、とたった今駆け出てきた路地から炎が噴き出し、追っ手の接近を知らせてくる。
 わたわたと周囲を見回した横島は、半ばヤケ気味に振り向くと、本日二個目の文珠を左手に取り出した。
 あまり無断で消費すると、後で雇用主のお仕置きが待っているのだが。

 歩道と車道を隔てる、イチョウの紋様をあしらわれた手すりの上に、路地から飛び出してきた『少年』が降り立つ。
 幻炎に炙られたアスファルトの余熱か、自ら放つ霊気の流れか、褐色の頭髪を軽く舞わせて、横島たちを視界に収める。

 その鼻っ面に、横島は生成したばかりの碧玉を思い切り叩きつけた。

 ―――カッ!!

 さいぜんの攻撃がよほど堪えたのだろう。
 咄嗟に鼻を覆った少年の目の前で、『閃』の文珠が発動し、周囲を純白に染め上げる。


『〜〜〜ッ!?』

「バ〜カ、アホー、マヌケ〜!そー何度も同じテばっか使うかよッ!!」


 網膜を灼かれてたたらを踏む『少年』の、そのはるか頭上から横島の嘲笑が降り注いだ。

 見上げてみれば、左腕にタマモを抱えた横島が、『栄光の手』で高架上のランプ表示板を引っ掴んでぶら下がっている。
 両脚を大きく振って勢いを付けた横島は、振り子運動の頂上で宙返りを打ちながら、霊波の籠手を一旦引き戻した。
 空中で器用に身を捻って体勢を入れ替えると、再度伸ばしたかぎ爪を対面のビルの屋上に引っかける。

 手繰るように縮めたその霊波の命綱に引かれて高度を上げ、見上げる追っ手を尻目に、一気に高架を飛び越えた。
 サーカスの空中ブランコ顔負けの曲芸をカマして、距離を稼いだ横島は、さらにからかってやろうと振り向き。


「ヘッ!さすがに空中までは追って来れまい・・・―――って、何だあッ!?」
「―――ええっ!?ウソっ!!」


 ―――目にした光景に愕然とさせられた。

 グググ、っと力むように上体をたわめた『少年』の身体が、急激にその体積を増加させる。

 ざわっ、と紅毛が逆立ちながら爆発的にその面積を全身に広げ、鼻面と爪先が伸びて獣のそれに変じて行く。
 両耳もまた天に吊り上げられるように尖り立ち、引き裂けたジーンズの腰からは褐色の毛並みに覆われた尻尾が突き出す。

 一瞬ののちに顕れたのは、月夜の人狼のような、獣人の姿。


『クゥオオォー・・・ン!!』

「はっ・・・反則だーッ!!」


 逞しく張った後脚をたわめて跳躍した『ソレ』が、高さ約15m、直線にして40m近い距離を一瞬でゼロにする。

 泣き喚きながら、突き出された鋭い爪を、後先考えず振り上げた足で払い除け。
 バランスを崩した横島の身体が、不規則に宙を泳ぐ。

 だが、爪による斬撃こそ防いだものの、『獣人』の巨躯そのものは未だこちらに向かって突っ込んで来ている訳で。

 ―――ドガァッ!!


「ゴフゥ・・・ッ!!」
「キャアッ!!」


 体積とともに質量まで増加したらしい、強烈な体当たりをまともに喰らってしまう。

 それでも、タマモの細い身体だけはかろうじて庇って見せるのが、横島の横島たるところだろう。

 自分以外の存在が女性に不埒を働く事を、彼は一切許容しない。
 それがどのような意図を持った行為であっても。
 実はフェミニズムでも何でもないただの我が儘なのだが、こういう場合には確かに女性を慮っているように見える。

 それが横島忠夫。
 あの両親のハイブリッドとして生まれた、非常時限定型『白馬の王子様』の正体である。


「ぐ・・・こ、のッ!!」


 その『普段はただのおバカなスケベ男』は、歯を食い縛って霊波の腕を急激にたぐり寄せる。
 高度を稼ぐと同時に、その運動エネルギーで暴れる身体を落ち着かせた横島は、息も荒く眼下を見やった。

 体当たりで勢いを失い、落下した『獣人』の姿を求めて、素早く地上を眺め回す。


「―――美神さんの全力よりキツイぞ、ありゃ・・・いくらオレでも、あと二、三発もらったらヤバい・・・!」
「・・・・・・」


 すぐ分かるウソをつくな、とタマモは思ったが、口にはしないでおく。

 体当たりを喰らった瞬間、横島の霊的防御を貫いて伝わった衝撃。
 あの大きさは、おそらく美神の神通鞭の倍ではきくまい。
 普通なら一撃で瀕死の重傷を負っている。

 だが横島の強がりは、自身に言い聞かせるのと同時に、タマモに気遣わせまいとして発せられたものだ。

 男が意地を張るなら、それを巧く活用してやるのが佳い女というもの。
 妖狐の本能でそう悟ったタマモは、ビルからビルへと渡って行く横島の腕の中で、超感覚をこらして索敵に専念する。


「―――ヨコシマ!後ろ!!」
「ッ!?」


 叫び様に狐火を叩きつけるタマモを抱えて、横島は咄嗟に霊波の腕をさらに伸ばした。
 振り子の後半、上昇に向かっていた身体が、高度を犠牲にして速度を得る。
 その頭上、掲げた腕のすぐ脇を、赤褐色の体毛に覆われた巨体が、風を巻いてすり抜けていった。

 タマモの狐火に目を眩まされていたのだろう。
 至近距離にもかかわらず、爪を横に伸ばすでもなく、むなしく空を切って斜め前方のビルの壁面に突っ込んで行く。

 襲撃をやりすごした二人が、ほっと一息つく間もなく、両手足を壁面についたその獣は再び跳躍して来た。


「な、なんつーデタラメな・・・!ニュートンのリンゴは落ちるんだぞーッ!!」


 訳の分からない事を喚き散らしつつ、少し離れたビルに無理やり『栄光の手』を伸ばし、進行方向を入れ替える。

 さすがに空中で軌道を変える事はできないらしく、再びむなしく空を切った獣人は、頭を巡らせて狐火を叩きつけて来た。
 それに応じて、タマモもひゅっ、と狐火を吹き付けて迎撃する。


「くっ・・・――何なのよ、コイツは・・・ッ!?」
「何なのって、キツネだろ?さっき自分でも―――」


 背後で爆発的に弾ける幻炎の嵐に金色の九尾を嬲られながら、思わず、タマモは唸るようにこぼした。
 その台詞を、斜め後方からの追っ手を気にかけつつ、横島が聞きとがめる。

 細かく軌道を切り替えながら聞き返す横顔に、タマモは眉をしかめて叫んだ。


「そーだけど!―――たしかに狐火を使ってるけど・・・」


 ビルの壁面を蹴りつけ、再三再四、追撃を重ねる、その長く突き出た鼻面を睨み付ける。


「でも、あれは妖狐じゃない・・・!!」



***



「あ、めーる・・・『緊急』・・・?」


 目の前で発生しつつある殺人(未遂?)事件を余所に、シロがいそいそと携帯を取り出す。
 幸せ満開お花畑の彼方にぶっ飛んでいた筈の意識も、メール一発で現実に戻ってこれるらしい。
 ちなみに着うたはエアロスミス。

 ―――微妙にシブい。

 そんな、学ぶべきか否か微妙な一般常識を身につけつつあるシロの、人狼族の将来に不安を兆すその見事な現代っ子ぷりに。
 騒ぎ散らしていた美神たちの動きが、何故か凍る。

 大体において、こういった場合に外部からもたらされる情報というのは、妙にタイムリーだったりする訳で。
 しかも題名が『緊急』ときている。


「美神どのっ、コレ!、コレ見て下され!」
「イヤ。見たくない聞きたくない知りたくない―――!!」

「でもでもっ、横島先生が―――」
「だからイヤだっつってんでしょー!?空気読め、空気ッ!!」


 全ての事象は認識されなければ存在しないのよーッ!!と、あくまでも現実を拒否して泣き喚く。
 哲学的な言い回しも、こういう使い方をするとただの駄々にしか聞こえない。

 その背後では、かろうじて明日の新聞の一面を飾らずに済んだ西条を、おキヌが気遣っていた。


「西条さん、大丈夫ですか・・・?―――もうっ美神さんったら!、西条さんじゃ、横島さんの代わりなんて出来るわけないのに・・・!」

「げほげほ・・・――心配してくれてありがとう、と言うべきなのかな・・・?何だかもの凄く引っかかるんだが・・・」
「?・・・――そうですか?」

「・・・・・・。イヤ良い、忘れてくれ・・・」


 ―――気遣っていた。多分。

 きょとん、っと聞き返すおキヌの完全に無自覚な言葉の暴力に、西条はトドメを刺されて男泣き。

 一方その頃、何やら身も心も滅多打ちにされたような西条の様子には気づきもしないまま、美神はシロに追い詰められている。
 わたわたっ、と一生懸命に振り回している携帯の液晶を、ついに根負けした美神が、心底嫌そうな顔つきで覗き込んだ。


《件名:緊急!
 発信者:みゃあ

 これってタマモちゃんだよね?何か犬っぽいのに追っかけられてるみたいだけど、お仕事?》


 届いたメールは2件。
 その一通目のメールに添付されていたのは、どこかのビルを仰向けに撮ったらしい写真だった。

 生命保険会社のビルの屋上から、Gジャンを来た男性が、右手から伸ばした光る紐のようなものでぶら下がっている。
 残る左腕に抱えられた女性らしき人影の頭部からは、特徴的な金色の九尾にまとめた髪がなびいていた。
 見間違えようもなく、そこに映っているのは横島とタマモだ。

 どうも、《栄光の手》を使って、某ハリウッド製のSFX蜘蛛男の真似事をしているようである。
 若干ブレているとはいえ、結構な速度で移動しているらしい被写体を携帯の写メール機能で捉えるとは、大したものだ。


《件名:緊急その2
 発信者:みゃあ

 一緒にいるのが、横島先生?ブチどのがそうじゃないかって》


 二通目のメールに添付されていた画像は、さらに高度だった。
 手ブレ補正オフ、デジタルズーム最大で勘と動体視力に任せて追いかけたらしいその写真には。

 滅多に見せない真剣な表情の横島とその腕に手を掛けたタマモが、揃って後方を見やるバストショットがしっかりと映っていた。



***



「ヤバ・・・!!」


 宙返りを打ちながら、横島が慌てたように呻く。
 支点を入れ替えながら繰り返す振り子運動、その上端で無防備に滞空する一瞬に、『イヌもどき』の元『少年』が合わせてきた。


「くッ、この!」


 かぎ爪を振りかぶる紅褐色の影に、タマモが指先をあてがった唇から狐火を吹き付ける。
 が、袈裟懸けに振るわれた掌にその幻炎は薙ぎ払われ―――。


『―――ガアッ!?』
「へッ、ザマー見やがれ!!」


 炎を突き抜けたその鼻っ面に、霊波の手裏剣のようなものが叩き込まれた。
 《栄光の手》を一旦解除した横島が、至近距離から《サイキック・ソーサー》を投げつけたのだ。
 顔面で爆発した霊気に叩かれて、失速した巨体が落下してゆく。

 その頭上で逆に爆風を利用して宙を舞った横島は、霊波の腕を伸ばして次の支点を確保し、逃走を再開した。
 あの程度ではダメージにもならないだろうが、とりあえず時間稼ぎぐらいにはなった筈だ。


「ところでヨコシマ、ひとつ聞きたいんだけど」
「――・・・何だよ、こんな時に!?」

「アイツ、さっきからもの凄い臭いんだけど。アレ、あんたの仕業よね?・・・一体何のにおいなの!?」


 今し方のクロスプレーで初めて喰らった、先ほどの『臭』い文珠の効果に、微妙に顔色を青ざめさせたタマモが問いただす。


「・・・えーと、ジャーの中で黴びたご飯とか、半月ぐらい捨て忘れてたカップ麺の残り汁とか―――」
「もう良い、それ以上聞きたくない」


 なんというか、日頃のいい加減な生活態度が丸わかりだ。


「あ、あと三日はいた靴下なんてのも・・・」
「聞きたくないって言ってるでしょ!黙れッ!!」


 ちょうどその真下で、最前の交戦の一部始終を級友に見られていたとはつゆ知らず。

 ましてやその友人たちが、『映画みたい・・・素敵ですね・・・』だの、『やーっぱタマモちゃん、イイ感じなんじゃん!』だの。
 好き勝手な妄想を膨らませたりなどしているとは知る由もなく。

 タマモは、『素敵』でも『イイ感じ』でもなく、どこまでもしまらない男に、半泣きで噛みついていた。


「―――って、また来た!」
「あわわ・・・!美神さあーん!助けてーッ!!」

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