ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE〜追放者〜(14・最終話)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/ 7/14)

「……そぎゃんこつがあったとか」半ばまで空いた球磨焼酎の酒瓶を弟が差し出す。

「ああ……いうたら生き別れた自分の子供と会うようなもんだけん、恵比寿様も、よろこんどらした」
 米から蒸留された液体を茶碗で受けつつ、兄が答える。

「バッテンが、よかとか?恵比寿様の話じゃ、恵比寿様が……ヒルコ様、やったか……生き別れになっとった神様と一緒になったことで、もしかしたら影響がでるかもしらん、っちいう話をされとったちやなかか。ほんなこつ(本当に)大丈夫か?」

 自分自身も信仰心は深いということは自覚しているが故に、その『揺り返し』が自分や会社にも影響を及ぼさないか、ということを懸念しつつ、ムラエダ・フーズ社長――村枝正将が、不安を露わにしながら兄に尋ねる。

 兄――村枝商事社長……村枝賢一は、茶碗になみなみと注がれた米焼酎を一息に飲み干すと豪放磊落に笑い、一升瓶を差し出しつつ心配性な弟に返した。

「多少の影響やら、関係んなか!神様のご利益のこつばっかり心配するよりも、ヌシがとこの社員をしっかり信じとかんか!!」

 メドーサ絡みの政府や企業との取引を、何らかの理由をつけて停止する決意は固めている。中でもキエフ支社の受ける影響は特に大きいだろうが、キエフ支社長・馬場の確かな手腕ならばその影響を一年程度に押さえ込んで凌ぎきれるだろう。

 昨日初めて顕現した恵比寿神が下したその言葉――『人の絆を信じ、神を頼ろうとしなかったからこそ、助言を与えることもなかった』を噛み締めながらの賢一の返答に、正将は呑まれつつも笑顔の形に顔を歪めて「そぎゃんやな……そぎゃんタイ」応じた。










 ――と、賢一の携帯電話のコールが、一度……二度と鳴った。





 液晶画面に記された番号は、黒崎の携帯電話のものであることを物語っている。

だが、数ヶ月前からスケジュール調整を行い、ようやくとった三日の休暇の中でも今日というこの日が賢一にとって何人たりとも侵せないものであることは、黒崎ならば充分に承知しているはずだ。


 もしかして、昨日の廃坑での一件では後の処理の全てを任せていた黒崎に捌き切ることの出来ないほどの、何か不測の事態が起きたのだろうか?


 一抹の不安に、軽い酔いが醒めていく。

「私だが……どうした、黒崎君?」

「朝早くに申し訳ありません、社長……ナルニア支社から連絡が入りまして――横島支社長が『誤ってベランダから落ちた』とのことです。
 生命に別状はありませんが、全治一ヶ月にはなるだろう、という報告です」

 『誤ってベランダから落ちた』――社内でもごく一部の人間にしか理解できない、“惨劇”が起こったことを伝える符丁である。

「本当かね?……確か彼の住まいは『三十九階』だったはずだが」
 冷たい汗が頬を伝うのが理解できた。

「あの方は……そこが『百階』どころか、エベレストの山頂であろうとも、成層圏であろうとも、飛び降りかねない方ですから」
 無機質な……だが、恐らくは賢一の流す汗と同種のものを流しているであろう黒崎の声を感じつつ、賢一は口を開く。

「判った。それならば一ヶ月の間、横島君の代理として郷間君を回すように手配しよう。彼には私の方から連絡をつけておく。ご苦労だった」

「――社長…もしかして、ニュースは御覧になっていらっしゃらないのですか?」

「……?」
 その言葉に、リモコンのスイッチを手にとり……TVをつける賢一。

 薄い灰緑色の靄がかった光景が画面に広がる。

 ヘリのローター音と……「やんのかコラーッ!!いてまうでアホンダラーッ!!」それをかき消すかのような関西弁の大音声が、賢一の耳に飛び込んできた。

 あまりの光景と、関西弁の馬鹿馬鹿しくも荒々しい言葉に一瞬声を失った賢一に……黒崎が進言する。

「差し出がましいようですが……メドーサ女史がエージェントとして間に立った各団体に対しての取引停止は、少しタイミングを遅らせてみては……」
 中枢である東京本社が麻痺状態に陥り、急激に高い収益を上げた『ナルニアの奇跡』の立役者が、『いつもの病気』の報いで“紅ユリ”によって死なない程度に痛めつけられた状態にあっては、影響が出ることは避けられないという現状を把握した上での進言である。

 発表にある程度の期間を置いて傷口を大きくしないというのは、方策としては正しいだろう。

「いや、予定通り行くよ」だが、賢一はその進言を受け入れなかった。

「考えても見たまえ。メドーサ女史はあれだけの捨て値で私にヒルコ様を含んだ財宝を売りつけたんだ。近いうちに何らかの動きを見せる――そのための資金を欲していたということになるのではないのかね?」

「なるほど……差し出がましい口を聞きまして、誠に申し訳ありませんでした」

「いや……気にする必要はないさ。リスク・マネジメントの点から考えると君の考えも間違っていないし、横島君が職場に復帰してナルニアが再度軌道に乗るまでの期間、馬場君とメドーサ女史絡みの企業を切り捨てる理由を協議する方が、選択としては正しいのかもしれないんだからね。
 何はともあれ、一度に事が続いたことでかなり影響は受けるかもしれないが……ここを乗り切ろう!
 ――苦労をかけるが、用地買収の件は来月一日(いっぴ)の会議に間に合うよう、纏めておいてくれたまえ。では、失礼するよ」

 携帯電話を切り……賢一は右手で目の上を押さえながら青ざめる。

 口ではああは言ったが、ざっと行った試算では、年間の売上が一気に60億は減少することは避けられそうにない。

 ――これも恵比寿様の仰っていた『揺り返し』か?

 そう思い、萎えそうになる自分を……「えーい、なんちゃなか!」一喝し、奮い立たせる。

 何はともあれ、現状で最も必要なのは東京の一日も早い復旧だ。そのためならば、自分個人の財産はいくら切り崩しても構わない。


「正将!お前ンとこに米と水……在庫はどがしこ(どれだけ)あるや!?」

 『人の和』に最も重きをおく男が、復旧のために尽力する者のために出来ることを見出し、行動を開始したその一歩であった。









 携帯電話をポケットに仕舞い、黒崎は建物の内に歩を進める。

「即決か……やはり、社長だな」
 知と情をバランスよく見極め、自分とは違うアプローチで正解を導き出し、即座に決断を下す――村枝賢一という男を、黒崎は素直に評価していた。

 ナルニア支社のスタッフを纏め上げ、使いこなすことで海外の支社の中でも有数の収益を挙げることに成功した横島大樹――かつての上司を失い、裏社会を彷徨っていた黒崎を拾い上げた現ナルニア支社長の持つ、優れた人心掌握術とはまた違う……長年営業部のエース級であり続け、なおかつ、社長に就任してからは適材適所の配置と二歩、三歩先を読んだかのような経営戦略で村枝商事の業績を飛躍的に伸ばした、圧倒的な経験から来る決断……これ以上のものはかつて『紅ユリ』と呼ばれた才媛の持つ“天才”以外にはありえないであろう、さしもの黒崎の『計算』も一歩及ばないものであるといえた。

 また、昨日今日で立て続けにおきた一連の件で大きな傷を負うであろう会社の逆転の一手となるであろう『精霊石の鉱脈』の開発……これをどのような形で着手するか――営業企画部のトップとして自分に課された責任も大きい。

 採掘から精製、保全、販売にいたるまでを一貫して村枝商事で行うには数年がかりのプロジェクトになるだろう。また、世界に出回っている精霊石のシェアの98%を誇るザンス王国からの技術供与をスムーズに行うためにも、外務省を動かし、現在のザンスの政治的鎖国状態を切り崩す必要も出てくる。そういう大規模なプロジェクトだからこそ、他者に食い込まれることなく、極秘裏に進めなければならないのだ。

 問題は山積しているが……希望もある。予定の上では本格的にプロジェクトが始動する頃はナルニアから高いカリスマを誇る上司が帰還を果たしているはずだ。自分が中心になって動くより、はるかに効率よくプロジェクトは回る。

 それまで最低二年……自分のやるべきことは――情報の操作と外見上の現状の維持、そして、ナルニアから横島が帰還し、本格的にプロジェクトを動かすための足場作り。

 そのためならば、いくらでも泥にも血にも塗れてみせる。

 それこそが、黒崎のもつ数少ない人間らしい感情……自分を拾った横島への忠誠心であった。



 チン!


 エレベーターが到着を告げた。扉を潜り、黒崎は意識を切り替えると……特別室へ通じる階層へのボタンを押した。







 ノックへの応えの声に従い、特別室の扉を開けた黒崎の目に飛び込んできたのは、白いシャツと黒いパンツを身に纏い……そして、大慌てで黒いネクタイを締める雪之丞の姿だった。

 カップうどんの空き容器を備え付けのゴミ箱に無造作に捨て、浴衣もぞんざいに畳んだ様子から、相当な慌てぶりであることは判る。

「どうしました?もしかしたら東京で何か?」
 黒崎の問いに、「東京なんかどうでもいいんだよ……そんなことより、すぐ退院出来るんだよな」東京在住の人間が聞いたら刺しに来かねない言葉を吐き、雪之丞は黒崎に尋ねる。

「ええ、出来ますよ。一応の検査という形で入院して頂きましたが、異常なしとのことなので、手続きさえ済ませればすぐにでも退院は可能です。
 しかし、どうしました?そんなに慌てて」

 確かに、十数分前には慌てて立ち上がろうとしたファルコーニを制しつつ、泰然とカップうどんをすすっていた人間と同一人物であるとは思えない慌てようであった。

「カレンダーを見ていなかったのですっかり忘れていたらしいが――明日が母親の命日なのだそうだ」
 悠々とジャケットを羽織りながら、ファルコーニが返す。

「なるほど……うわごとでママママと連呼していただけのことはありますね。見事なまでの取り乱しぶりです」

 眼鏡を押し上げながら、失礼なことを口走る黒崎ではあったが……『すぐにでも退院できる』という言葉を脳内に刻み込んだ雪之丞の耳には一切届いていなかった。

「世話になったな……じゃあなっ!」
 すっかり帰り支度を整え、魔装術使いの少年は風を巻いて病室を飛び出そうとする……のを、村枝商事の誇る人間コンピューターが、そのネクタイを掴んで止めた。

「まぁ待ってください。まだ手続きもありますし、当方もまだ報酬を支払っていないんですよ?」

「――とりあえず……起こす方が先じゃないのか、クロサキ?」
 ファルコーニのその言葉に、黒崎は手元の20cm下を見る。そこでは、不意を打たれた格好の雪之丞が…………ものの見事に『落ちて』いた。








「いやぁ、申し訳ありません」雪之丞に活を入れた黒崎が、まったく誠意の感じられない謝罪の言葉を吐く。

「別に気にしちゃいねぇよ。簡単に落ちた俺の鍛え方が足りなかっただけだ」
 言葉とは裏腹に、こめかみや頬に見事な怒筋を浮かべている。


 やはり気にしているようだ。


「そんなことは兎に角――報酬ですが、伊達さんは当初の予定通りに口座振り込みで、ファルコーニ神父には小切手で1400万円。そして、それぞれに現金で100万円になりますが……治療費を差し引きまして――支払いはこちらになります」

 雪之丞の傷ついた心を『そんなこと』と断じた黒崎は、3mm程度の厚みの封筒と病院の名前が印字された請求書を二人に手渡す。

 入院・治療については特に明文化されてはいなかった問題だが、先を制して有無を言わせずに治療費を差し引いている辺りは流石といえよう。

 もしもこの依頼を受けていたのが『日本最高のGS』だったりしたら、特に明文化されていない治療費の請求で大揉めに揉めていた率は果てしなく高いだろうが……幸いにも、一日入院していたこの二人はどちらも金にそれほど執着するタイプでなかったため、世界大戦に匹敵しかねないビジネストーキングが展開されることはなかった。

 気もそぞろに書面に必要事項を記入する雪之丞に対して、黒崎が尋ねる。

「明日、ということならば……それほど急ぐ必要はないとは思いますが?」

「それがあるんだよ!たった今飛行機が全面運休になっちまって陸路しか使えなくなったってのに、東京が通れねぇとなるとどのルートを通っても帰りが明日になっちまうんだ」

「よく判るな」

「鈍行の旅は慣れているから、厭でも覚えちまうんだよ!」
 本心から感心する自覚なき方向音痴のイタリア人だが、雪之丞はその暇も惜しいとばかりにあえて突っ込むことなく署名を書き込みつつ返した。


 仕上げに拇印を捺印し……風を巻いて病室を飛び出そうとする雪之丞――――を、再び黒崎が呼び止める。

「そういうことでしたら、手は貸せると思いますよ――ひとまず、ファルコーニ神父が書類を書き終えたら外へ……」
 黒崎の顔には、底知れない薄い笑みが浮かんでいた。








 それからおよそ二時間の後……雪之丞とファルコーニは機上の人となっていた。

 二人を揺らすのは、輸送ヘリ……CH−46『シーナイト』――無論、二人だけではなく、20人あまりの屈強な兵員が完全武装で同乗している。

「一体何者だったんだ……あの黒崎ってヤツは?」
 確かにそれは言える。英語だったので何を話しているかは判らなかったが、病院外に出るなり、携帯電話で5分ばかり話し込んでいたかと思うと、それから30分ほどでまるでタクシーを呼び出すかのように米海兵隊の輸送ヘリを呼びつけ……二人を送り出したのだ。雪之丞ならずともその正体をいぶかしみたくもなる。


「別にいいじゃないか、クロサキはクリスチャンで……信用できる人間だ。それだけで充分だろう」

「うるせぇ黙れボケ外人!」
 カトリック信者と思うと目が曇るヴァチカンの執行官の意見は、即座に却下していた。


「Hey!」……と、年のころは恐らく20代から30代であろう、スキンヘッドの黒人兵士が雪之丞にカロリーバーを手渡しつつ声を掛ける。「今のうちに食っておかないと……もたねぇぞ――アー……?」

「伊達、雪之丞だ」流暢、とまでは行かないが、聞き苦しさはまったくない日本語を操る黒人兵士の手渡した、飾り気のない軍用のカロリーバーを受け取りながら、雪之丞は返す。

「OK、ユキノジョー!よろしく頼むぜ。俺はこの対霊チームのチーフ、デビッド=ムーアだ」

 『これが正しい対応だよな』――思いながらムーアの差し出す手を握り締めようとして、雪之丞は一つの違和感に気付く。

「ちょっと待ってくれ、よろしくって……どういうことだ?」

「ケンソンしなくてもいいって……ウチのボスが言ってたぜ。『民間の腕の立つGS二人が協力を申し出てくれた。合流してトーキョーに向かうように』ってな……これほどの大規模な作戦は初めてだから、頼りにして――――ん?どうした?」

 雪之丞が思わず差し出した右手を握り締めたまま、左手で雪之丞の肩をどやしつけるムーアが……頭三つばかり小さい日本人の肩がひくひくと震えていることに気付き、怪訝そうに声を掛ける。

「戻れ―――――っ!!あの野郎、気が済むまでブン殴らせろ――――――ッ!!!!」
 がーっ!!という獣じみた唸り声を上げながら、雪之丞が突如として爆発した。

 どうやら黒崎が、二人を『この非常事態に協力を申し出た民間GS』として売り込んだということに気付いたようだ。

 しかも、恐るべきことに本人達には一切話を通さずに――確かに、雪之丞ならずとも爆発してもいい話だ。

「まぁ落ち着け、日本人。クロサキのことを少しは信用してもいいだろう」
 ……怒りを爆発させないどころか、この期に及んで信じきってる奴もいたが。

「信用できるかぁ―――――ッ!」落ち着き払ったイタリア人の態度に再度爆発した雪之丞は転がっていたパラシュートを拾い上げつつ、ハッチに向かって飛び出そうとする。

「ど、どうした、ユキノジョー!?」暴れ狂う雪之丞を必死で押し止めるムーアら海兵隊の面々……の何人かが一撃で叩き伏せられる。

 魔装術を使っていないのは、一応理性が残っているからだろうか?

 輸送ヘリは瀬戸内海上空を進んでいた。



 大阪遷都の野望が断ち切られる、ほんの15分ほど前の出来事であった。









 都内某所……住宅街の一角に、一台のジープが停車した。

 日は没しかけ、赤い残照を僅かに見せている。

「それでは、こちらでよろしいですね?」日本での勤務が長いのだろう……白人兵士が、ジープから降り立つ二人に流暢な日本語で尋ねる。

「ああ。ここで構わねぇぜ」
 全身黒尽くめの小柄な東洋人が、ごく僅かに不機嫌さを交えた口調で返答する。

「タクシー代わりに使ってしまって、申し訳ない」
 長身の白人が、ややすまなそうな口調で米軍の兵士に頭を下げた。

「お気になさらずに……大佐からは『大事な協力者だから丁重にもてなせ』との指示を受けていましたからね。
 では、私は基地に戻ります。ご協力、感謝致します!」

 敬礼を送り、二人に別れを告げた兵士を乗せたジープが……やや緑がかった茶色の塵埃を散らせ、来た道を遠ざかっていった。

「クロサキを信じていて良かっただろう?警戒のために交通規制が解かれない以上、防衛隊か米軍……もしくは警察や消防、救急のような公的な組織以外は進入が制限されるのも当然だからな」
 『あの思慮深いクロサキのことだ……恐らくはこの事態をも計算に入れていたのだろう』……そう心の中で結論付けながら、銀髪のイタリア人が、諭すように雪之丞に向けて言う。

「そんなモン結果論だ、結果論ッ!!下手すりゃ成り行きだけで無理矢理戦わされる羽目になってたんだぞ!それでもいいのかッ?!」
 だが、雪之丞もその程度で納得できるような男ではなかった。雪之丞自身、戦うこと自体には抵抗はない。だが、自分で納得行く理由で『戦う』のは兎に角、自分の思惑とは一切関係なく『戦わされる』というのは性に合わない。

 だが、その青臭い意見をファルコーニは「別に構わんさ」と頷いて返した。
「第一、否も応もない戦いばかりさ……執行官というものは、な。
 だが、私が戦うことで一人でも多くの敬虔なる神の子達が救われるのなら、その戦いは私には意味がある」一旦言葉を切り……街路や住宅のあちこちに灯りが点り始めた辺りを見渡して続ける。「この東京という街には――無数の神の子達がいるんだ。その生命を守ることためならば、いくらでも戦える――執行官というものは、そういう人間の集まりでもあるのだからな」

「……へっ!」真顔で言う武装執行官に、魔装術使いが斜に構えた笑いで返した。



「で、よ――唐巣の旦那もピートの野郎も戻ってきてねぇみたいだけど……本当にここでいいのか?」笑いを数秒で噛み殺し、雪之丞はファルコーニに尋ねる。その言葉通り、辺りの住宅と違い、完全に倒壊した建物とその周囲には人の気配はない。

 ――耳を澄ませば「トーキビ、トーキビ」「食べて食べて、私を食べて」などという微かな声を建物脇の植え込みからキャッチできたかもしれないが……もしもそんな言葉が聞こえたとしても、それは紛れもない幻聴だ。確かに人の気配はない……ないったらないのだ――あってたまるかっ!

 ナレーションが何だか投げやりになってきたことには構わず、ファルコーニは応じる。
「ああ。ヴァチカンに帰るより先に、唐巣神父に会っておきたくなってな」

「……そうか。じゃあ、ここまでだな」言って、右手を差し上げる。

「ああ……世話になったな」本格的な浄化のためにヴァチカンへと持ち帰ろうとしていた大荷物――死の妖精が手にしていた長剣を包んだ布包みを、アタッシュケースを持つ左手に持ち替え、同じく右手を差し出す。

「あばよ」「じゃあな」『――――戦友!』手を打ち合わせると同時に、異口同音のハーモニーが引き起こされた。










 しかし――無駄にカッコつけて振り返らずに歩いていた雪之丞は気付かなかった。改めて右手に荷物を持ち直したファルコーニが門を通らず……明後日の方向に進んでいくことに――。

 コードネーム“隼”ことエンツォ=ファルコーニ……この男は、その異名に基づいた一つのあだ名を持っていた。それは『帰巣本能のない隼』……尋常でない超方向音痴であるが故の――――実に的確なあだ名であった。





 余談だが……ファルコーニがこの場に戻ってこれるまで、実に一晩まるまる歩き通しだったことだけは、しっかりと付け加えておこう。
















 雪之丞が実に一年ぶりに我が家に戻ってきたその時……時刻は午前1時を回っていた。

 交通機関が復旧するまで、徒歩で4時間。それから電車で2時間を費やしてようやく到着した田舎町にある実家は……家族の帰りを待ちわびるかのように、一年前と同じに煌々と灯りを照らしている。


「……帰ったぜ」からり、と引き戸を開きながら、小さく呟く。

「ああっ!お久しぶりです、若様〜ッ!」その音を聞きつけたのであろう、家の奥からぱたぱたと足音を立て……15歳前後の和服少女が飛び出してきた。

「よぉ、トオノ……親父は……まだ死んじゃいないみたいだな」土間に揃えられた、埃に煤けた靴を見つけて言う雪之丞。

「ご主人を勝手に殺さないで下さいよ。なにより、ご主人には善鬼と護鬼……二人の兄さん達がついてるんですからね!あの二人を撃破してご主人に危害を加えることができるのなんて、わたしが知っている限りでは遠野の里の長か高千穂の悪太郎様だけしかいませんよ」おかっぱ頭の和服少女――の見た目を持つが、頭頂部に人間にはありえない小さな角を一つ生やした……いわゆる『一角鬼』と呼ばれる鬼の眷属である少女は、ふう、と頬を小さく膨らませて抗議する。

「そんなことは判ってるんだよ。それでも、毒殺でもされてやしねぇか、とも思ったんだよ。仕事が仕事だろ」

「……ああ」
 言外に心配を滲ませてのその言葉に、一角鬼の少女は少し沈んだ顔で頷く。

 だが、その重苦しい沈黙は廊下の先から飛来してきたおたまによって粉砕された。

「ひ弱な馬鹿息子と一緒にすんじゃねぇよ!多少の毒なら慣れてるんだよ!」
 おたまの奇襲によって頭部を痛打し、悶絶する雪之丞。

 廊下の奥……台所からおたまを投げつけたのは、息子のものよりは短めにまとめている漆黒の黒髪と三白眼を持つ、やや『不良オヤジ』じみた印象を与える中年の男――ここ数年、とある華僑にボディガードとして雇われている雪之丞の父・焔之助だった。

 どうでもいいが……ツッコミどころはそこでいいのか?


「帰ってきたんなら、まずトオノに礼を言っとけ。トオノが家精としてここに括られてくれているお陰で、かーさんが待ってるここをさびれさせないで済んでるんだからな」

 言われるまでもなく、この若草色の和服を纏った鬼には感謝している。

 マヨヒガ――遠野物語にある不可思議な家屋とされた実家の家精として派遣されたというこの鬼族の少女は、雪之丞が物心ついたときから乳母として……また、あるときは姉代わりとして何かと世話を焼いてくれた。

 その甲斐甲斐しすぎるほどの世話焼きを一時は鬱陶しく感じ――また、食事も家財も必要な時には必要なだけ現れる、というこの『簡易型のマヨヒガ』というものは、幼い頃には便利ではあったが、年を経て『誰よりも強く、美しくなる』という母と交わした心の誓いを強固なものにした雪之丞には、あまりに甘すぎる環境であった。

 そのため、中学を卒業して間もなく家を出て以来……年に一度、母の命日だけにしか家に戻ることはないが、それでもなお、以前と変わらず暖かく迎えてくれる。

 白龍会……そして、メドーサの下で我武者羅に修行に明け暮れていた頃には気付かなかったが、裏の世界で仕事をこなすうちに知った世間の荒々しい寒風に打ちひしがれ、獣に堕そうとする自分が、その暖かさによって人に立ち戻ることが出来た……そう思えるようになっていた。

 その思いがあるからこそ「……ありがとうよ。ママの待ってるこの家を守ってくれて――苦労かけるな」照れもなく、ごく自然に感謝の言葉が口を衝いていた。

「ご、ご主人〜っ!若様が、若様が初めて誉めて下さいましたー!」
 余程嬉しかったのだろう、エプロンを纏った焔之助の下に駆け寄ると、さながら仔馬や仔犬が親の足元にじゃれ付くかのように、ぴょんこぴょんことリズミカルに跳ね回る。

「明日は雨です〜っ!!集中豪雨です〜っ!!」
 思わず頬を緩めてしまった直後、超弩級に失礼なことを言われ……雪之丞は見事にすっ転んだ。











 五合入っていたおひつが、そのしゃもじの一掬いで空になる。

 トオノによって用意されていた秋刀魚の塩焼きや焼き茄子、筑前煮や金平牛蒡はとうの昔に腹に納まっていた。

 十数分前までは中華鍋に満たされていた麻婆豆腐は、赤く色づくラー油だけがその名残として残っている。

「――少しはマシになったか?」
 不意に、麻婆豆腐の製作者である父が尋ねる。

 深皿に残る麻婆豆腐を飯にかけ、一気に掻きこんだ雪之丞は、ふぅ……と息をついて答えた。
「……さぁな――この一年旅してきて、まだまだ弱いってことだけは判ったけどよ」
 

「ふん……謙虚じゃねぇか」言いつつ、焔之助は熱い茶を一口啜る。

 一年前にした同じ質問に対して、息子は「俺は強い」と言い切って憚らなかった。だからこそ、「じゃあ試してやる」と、守護鬼神の力を借りることなく小突いて実力を判らせてやりもした。

 だが、一年の時を経た息子の解答は変わっていた。恐らくは、この一年で数え切れないくらい壁にぶち当たったに違いない。

 同じ華僑に雇われる同僚から、香港での一件は耳にした。また、用心棒という立場上、黒社会に近いこともあり、どうしても『若き魔装術使い・伊達雪之丞』の噂は伝え聞いてしまう。

 その伝聞では、成功した、という結果しか聞こえることはなかったが、本人の言を聞いてみると、それに溺れることなく、その中の失敗を踏まえた上で反省すべき点は受け入れている。

 『井の中の蛙が……大海を見た、か』己の弱さを知り、なおかつそれを受け止めている雪之丞の発言に、焔之助は安心とともに思う。

 ――多分、今は亡き妻との間に生まれたこの一人息子は、そう遠からず全盛時の自分をも超える強さを身に付けることだろう。

 寂しさや悔しさよりも、嬉しさが先に立っていた。




 そのような内心を知るはずもない雪之丞は、父のごく薄い賛辞の言葉にやや照れを浮かべつつ否定する。

「別に謙虚でもねぇよ。親父にも勝てなかったし……昨日も運良く仕事には成功したけど、霊能もないただの人間に情けねぇ位に負けちまったからな」

アレが『ただの人間』か?という果てしない疑問はいいとして、雪之丞はそう言うと、思い出したかのように言葉を継ぎ足した。「で、よ……一昨日と昨日で稼いだ分は合計2,500万だけど……利子ぐらいにはなるよな?」

「……あー、まぁな」しばし考えた末に、頷く。「……にしても、完済まで先は長げぇな。16年返し続けてやっと半分だ」

「まぁな――何しろ40億……山三つ分だしな」

 先の長さに息を一つつきながら雪之丞も頷く。

 ……と、数分前まで修羅場と化していた食卓の脇で、もくもく、と小ぶりの茶碗でご飯を食べていたトオノが何かに気付いたかのように声を上げた。

「…………?
 ――ご主人、確か……4年前に帰ってきた時に借金は返し終わった、って……ぃひゃう!?」




 肝心なところで――――――影に呑まれた。





「……トオノ、何か言ってなかったか?」父を睨み付けながら、雪之丞が凄む。

「気のせいだろ」息子の殺気だらけの視線を真正面から受け流し、焔之助が返した。

「――借金は返し終わったとか……聞こえたんだけどな」腕や脚に、霊気が徐々に纏わりつく。

「耳悪くなったんじゃねぇのか?明日かーさんの仏壇に線香供え終わったら病院行っとけ」落ち着いた風情で湯飲みに残った半分ほどの茶を飲み干した。

「……トオノ、あんたの影に呑まれたんだけどな」霊気の鎧が具象化する。

「善鬼か護鬼だろ。あいつらも妹に会うの一年振りだから、積もる話でもあるんじゃねぇのか?」ゆっくりと立ち上がり、ゆったりとした風情で肩を回した。

「で……俺も一生懸命になって返していたはずの借金は――どこに行ってるんだ?」明確な殺気が、有無を言わせない風情で父に向かって放射される。

「一つだけ言っとく」その殺気に、焔之助は初めて神妙な顔で受け答える。「……今の世の中、陰陽師てのは恐ろしく金かかるんだよ。特に、式神と違ってしっかりとモノを食わせなきゃいけない、鬼使いってのはな」縁側に続く障子を開き、馬鹿に爽やかな笑顔で雪之丞の殺気を受け流した焔之助が、そこにいた。





 何かが切れた音が、雪之丞の耳元で、確かに聞こえた。

「ざけんな、クソ親父!!」

「来いや、馬鹿息子!!」

 深夜2時……実にはた迷惑なこの時間に――丑三つ時の百鬼夜行もこれを避けるかのような親子のどつきあいが、始まった。



















「お疲れさんです、主人殿」

 屋内の光が移す影から染み出すように現れた黒い影が、肩で息をする焔之助に声を掛けた。外見は若い人間のそれに近いが、額から二本の角を生やした――黒尽くめの修験者風の出で立ちの鬼だ。

「善鬼か……呼んでもねぇのに出てくるなよ。それにしても、ホントに疲れたぞ……必要以上に強くなりやがって」
 傍らには、絞め落とされた雪之丞がぐったりと横たわっている。

 殴るは蹴るは投げるは絞めるは……霊波砲や術法がないだけまだマシな、総合格闘技も真っ青なバリエーションの親子喧嘩の勝利者となった父親は、庭の惨状を眺めつつ、妻の好きだった花壇だけは傷一つつけなかった自分達の深層心理に苦笑する。


「いいんスか?『若さんの稼いだ分には手をつけてない』って教えてやんなくても」
 にやり、と人を食った笑みを浮かべながら尋ねる善鬼。

「いいんだよ。少なくともこの馬鹿のマザコンぶりがマシになるまではな」
 歳に相応しくない悪戯小僧の笑みで返した焔之助は、「この分じゃ……当分先だろうけどな」と続けながら、倒れている息子の額に『獏』と書き付けられた霊符を一枚貼り付けると、足先で地面を二度叩く。


「俺はいいから、馬鹿息子を治してやってくれ」影の中から応えに応じて現れた、白尽くめの鬼――頭巾で目とこめかみ辺りから飛び出した二本の角以外の顔全体を覆い、色と両腕を埋め尽す夥しい数の呪符以外は善鬼と同じく修験者風の出で立ちをした鬼に指示を出すと、「……鋭!」念を込めた。

 熱のない炎が霊符を焼き尽くし……千々に散らす。

「一先ず夢と思わせて忘れさせるが……次バラしたら……影にこもって三日三晩護鬼の説教受けてもらうからな。護鬼もいいな?」

「――御意」何枚かの呪符を雪之丞の怪我の酷い個所に貼り付けつつ、白尽くめの鬼が頷く。

 泣きながら影から這い出るトオノ。何だか精神的に参っているらしい。
「はぃ〜、すいません〜!!」

 だが……家事万端をしっかりこなすが、それ以外では少し抜けたところのあるこの一角鬼のことだ。恐らくは来年にはあっさりバラすだろう。

 願わくば、それまでに色恋の一つや二つは経験し、マザコンが少しは緩和されてくれれば――父としての切実な、だが、あまりに儚い願いだった。

















 花の香りと、かすかに漂う線香の香りが、目覚めて間もない雪之丞の意識をはっきりと覚醒させた。

 布団から跳ね起きる。

 シャツとトランクス……何時着替えたかは覚えていないが、普段と変わらない寝る時の服装だ。

 ――何時着替えたのだろう?判らないまま首を捻る。

「あ、おはようございます、若様!」
 動く気配を察したのだろう、若草色の出で立ちの一角鬼が障子を開けた。

「よぉ……トオノ――親父は?」

「一刻ほど前に出られましたよ。『もう出ないと飛行機に間に合わない。花は置いておくから、奥方様のお墓には若様だけで行ってくれ』って仰ってました」

「――そうか」父が華僑の用心棒として雇われてから5年近くを経過し、現在は大陸にいる割合が圧倒的に多い以上、仕方ないことだが……やはりそこはかとない寂しさがある。


 話したいことはいろいろあった。


 聞きたいことも同じくらいあった。


 だが、恐らくは母体と引き換えになるだろう、とまで言われた母を2年と半年も持たせた治療と、その死後に遺された雪之丞を不自由なく育てるため、遠野の隠れ里の天狗・山ン本長五郎に、近辺の山を私有し、住処を奪われつつある妖怪達に開放する、という条件で自らの家をマヨヒガと変じさせたために生じた莫大な借財を返すため、16年を経てもなお働き続けている以上、仕方ない。


「また、来年……だな」

 落胆はない。今よりも更に強くなり、大きな仕事をこなして一刻も早く借金を返してしまえば幾らでも話せる。


 ――その時こそ、言う心算だ。


 何よりも最初に、10歳の時に貰ったきり、礼を言うことすらも忘れて遊び続けていた、生涯たった一つの『クリスマス・プレゼント』の礼を――。












 机の一角には『プテラノドンX』と『'89タマヤカップ準優勝』の記念盾――そして、お決まりの文句の上から太い墨文字で「来年頑張れ」の走り書きがされた賞状が、埃一つなく並べられていた。

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