ザ・グレート・展開予測ショー

夏の夜の……


投稿者名:ししぃ
投稿日時:(05/ 7/13)

 夏の夜に起こされて、差し込む月が近く見えた。
 午前3時。
 となりのベッドに丸まって眠る狐の寝息が穏やかすぎて、少し腹立たしい。
 全身にまとわりつくパジャマを脱いで、音を立てぬよう部屋を出た。
 明かりのない廊下に目を慣らせば、リンとした静寂が耳に響く。
 フローリングの床を滑るように歩き、手探りで探したスイッチを入れる。

 洗面台の鏡に映るのは自分の姿。
 一瞬驚いてしまって、恥ずかしくなる。
 里の水鏡ではこんなに鮮明な姿を映せなかった。

 父譲りの白銀の髪。母譲りと聞いた前髪の赤。
 伸ばしっぱなしの髪は動く時に邪魔と思うこともあったけれど、どうしても切る気には
ならない。

(……先生との思い出でもあるのでござる)

 髪が伸びた日。
 暖かく抱きしめてもらった記憶に頬が染まるのを感じて、慌てて首を振り下着を脱いで、
浴室へ。

 冷たいシャワーを浴びて、汗を流す。
 最近、先生がシャンプーしてくれなくなった。
 ちょっと前には狼の姿に戻れば、ぶつぶついいながらも全身を優しく洗ってくれたのに。
 いつもの犬(改め狼)用シャンプーを手にとって、一瞬悩んでボディソープに手を伸ばす。
 犬神には少しきつい花の匂い。
 こんな物で体を洗ったら他人との嗅ぎ分けが出来ない。とも思うのだけれど……
 ナイロンタオルに泡立てて、腕をこする。
 毛のない肌を強くこするこの感じ、あまり好きでないのだけれど、先生がシャンプーして
くれないから、自分でやらなくちゃ仕方ない。

(父上も強くこすれって言っておったでござるなー)

 ……2年も過ぎていないのに、父と一緒にオフロに入った日々は遠い。
 悲しみに囚われていた心は優しい出会いが癒してくれた。
 少し早くなる鼓動に手を当てる。
 忘れられない胸の痛みすら、今は思い出として引き出すことができる。
 心を支えてくれる暖かさに鼓動は強くなっていく。

 恋。

 通いはじめた学校で、クラスメイト達が口にする言葉。
 彼女達の言葉とは少し違う気がして、先生の事を口にする事はできなかったけれど、
多分、きっと。

 これが恋。

 キスをした、抱きしめられた。
 そんな言葉を思い出して頬が染まる。
 朱を落したくてナイロンタオルを強くこすれば、真っ赤な跡が鏡に映った。

 何度も抱きしめられては、いる。
 キスはしてくれない。
 親愛の情を示して頬を瞼を鼻を嘗めても、先生は唇だけは避けてしまう。

 唇に指をあてる。
 冷たいシャワーのせいだろう、少し熱を持った紅色は指先よりも熱くて、自分のもので
はないようにすら思えた。

(先生……)

 目を閉じて鏡に唇を寄せても、飛沫に濡れたガラスの感触。
 先生のキスはきっともっと暖かくて、絶対もっと柔らかい。

(馬鹿みたいでござるっ)

 鏡に映るのは自分。
 目を開いてしまえば瞼の君はもういない。
 容姿に自信はあるけれど、それにうっとりするような性癖は無かった。

 鏡を離れ、吐息する。
 なんでこんなに先生が好きなんだろう。

 ……助けてくれたから?
 違う。それが始まりだったとしても、依存したいわけじゃない。
 助けられるお姫様になりたいわけじゃない。

 ……強いから?
 先生の強さは底が知れないけれど、それを言うならもっと強い人はいる。
 強さに憧れはあるけれど、強さなんかなくても、先生は魅力的だと思う。

 ……霊波刀の師だから?
 未熟だった力の使い方を教えてくれた先生。
 ただ強くなりたいという意思を受け止め、導いてくれた。
 生きる力を与えてくれたその教えは、正解に近い気がする。

 けれど、なにかもっと……

 ……あの人だから。
 軽すぎる態度も。
 えっちすぎる行動も。
 素直すぎる叫びも。
 彼独特の──ともすれば誤解されやすい──優しさに裏付けられた全てが、心を揺さぶる
のだろう。

「……せんせい」

 目をとじて、泡を流せばきつく感じた花の匂いも、恋に備えた乙女心の頼もしい鎧にも
思えてくる。

 キスしたい。

 抱きしめられたい。

 クラスメイトたちが話していたもっと過激なことだって、先生が望むなら受け止めるのに。

 替えの下着を持ってきていなかったから、体を拭いたバスタオルを巻いて屋根裏部屋に。
 会いたいな、と焦る気持ちが立てた音に狐が目覚めてしまったけれど、彼女はあくびを
噛み殺しながら

「いってらっしゃい」

と、再び眠りの中に落ちていった。



 距離と時間の新記録を打ち立てたサンポの後で、青年に水浴びさせてもらった狼は、
一つだけ願いを叶えたらしい。







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