ザ・グレート・展開予測ショー

絶望は、イヌを殺すか?(1)


投稿者名:APE_X
投稿日時:(05/ 7/10)

 ぬばたまの、闇。
 周囲を見透かすどころか、自らの姿さえ覆い隠されている、その絶対的な漆黒の底で、それは呻いた。


『―――違う。』


 いつからか、いつまでか。

 彼を囚え、蝕み続ける深淵の闇。
 わかっている。

 これは、夢だ。


『違う。これは、こんなのは、オレじゃ、ない・・・―――!!』


 それでも、呻かずにはいられない。

 孤独が、絶望が、そして憧憬が。
 彼を責め立て、蝕む。

 引き裂かれ、砕かれ、拡散させられてゆく、自らの存在。
 失われ、忘れ去られて行く彼自身の本質に、狂気という爪を立ててしがみつく。

 他人には、分かるまい。

 穏やかな彼の表層しか、見たことのない者たちには。
 その奥底に押し込められ、とうに失われた筈の、かつての彼を知らない者たちには。

 だから、彼は、呻き続ける。

 呻いて、嘆いて。
 彼は不意に、気付く。

 彼自身によく似た、引き裂かれた存在に。

 その、魂の慟哭に。

 ―――そして彼は、目覚めた。



 * * * * *



「―――コックリさん?」
「ああ。」


 きょとん、と小首を傾げて聞き返す美神に、西条は肯き返した。
 彼女にしては珍しい、年齢相応な可愛らしいその仕草に、軽く苦笑をこぼす。


「コックリさんってあのコックリさん?、今更?」
「イヤ、まあ・・・今更というか、何年かおきに流行ったり廃れたりを繰り返してるらしいんだがね」
「そーなの?、世の中ヒマなヤツが多いのね〜」


 いつもの美神除霊事務所の応接間、西条と差し向かいに腰掛けた美神令子は、心底理解できない風に嘆息した。
 軽く頭を振る、その仕草に揺れる艶やかな髪が、窓から差し込む陽光を弾いて煌めく。
 胸元がちょっと大胆なデザインのワンピースを着て紅茶を嗜む、その無造作な仕草が、十二分に絵になっていた。

 今のこの姿だけを見たら、嬉々として神通棍で丁稚をシバく普段の様子など想像もつかないだろう。


「中学校でもいま流行ってるらしいでござるよ」
「へえ、六女でもそうなの?」
「そうらしいです。なまじ霊能科が身近にある分余計に本格的だ、って鬼道先生が頭を抱えてました」


 危なっかしい手つきでお茶請けを持ってきたシロと、お茶のおかわりを入れるキヌの台詞に、大人ふたりは揃って苦笑する。

 シロとタマモは、この春から六道女学院の中等部に編入していた。
 普通科と霊能科がきっちり別れている高等部とは違い、義務教育課程である中等部ではごちゃ混ぜにクラス分けがされている。
 その分、《人間社会での常識を身につける》という、彼女たちの目的にとっては都合がよい。

 ただ、それだけに教師陣の苦労は相当なものになっているようではある。
 その最たる例が、ちょうど今話題にしているコックリさんのような、《おまじない》の類だろう。

 コックリさん、正式には狐狗狸さんとも表記されるそれは、略式の降霊術式だ。
 字面からも分かるとおり、元は農耕神である稲荷社で行われていた、作物の豊凶を占う占術の類だったらしい。
 それが民間に流布する過程で変形し、今の占いとも呪いともつかない奇妙なお遊びが生まれたのだそうだ。

 問題なのは、その術式が変形しながらも降霊術としての機能だけは失っていない事。
 本来その手の修法に必要不可欠な霊障除けの作法はキレイに忘れ去られ、霊を呼び込む道の開き方だけが健在なのである。

 ―――まあ、たかが遊びにお榊やら盛り塩、水杯なんぞを用意されても怖いが。

 そんなモノを半可通な子供の知識で本格的にやれば、間違いが起きるのは時間の問題。
 霊障に対するエキスパートを育てる学校でそんな問題を起こされたら、学院の体面に関わる。

 鬼道教諭の胃に穴が開く日は近そうである。


「それで実際に霊障が出ちゃった、ってことね?」
「そうらしい。それも複数の学校で、連続してね。で、まあ、教育委員会を通じてウチに話が回って来たんだが・・・」


 目礼して紅茶のおかわりを受け取りながら、西条は言葉を切った。

 ちら、っと見回した室内には、彼の目当てとしている相手がいない。
 妖狐の少女と、殺しても死なない・・・つまり何をさせても罪悪感を抱く必要のない男(西条主観)が。


「それでタマモ君と横島君の手を借りようと・・・、えーと、どうかした、のか、な・・・?」
「「・・・・・・」」
「・・・別にっ!どーもしないわよっ!!」


 ずどおおおん、と。

 西条が姿の見えない二人について言及した途端、室内の雰囲気が豹変した。
 目の前にいきなり魔神でも降臨したかのような、おどろおどろしくも禍々しい気配に、西条の腰が引ける。

 その発生源である三人の女性を前に、彼に許された行動はといえば、だりだりと脂汗をかきつつ硬直することだけだった。


(僕がいったい何をした―――!?)


 諦めろ、西条。
 不幸はまだ始まったばかりだ。



 * * * * *



 地下鉄の駅からほど近い、うどん屋の軒先。
 《信田屋》と達筆で書かれた暖簾をくぐりつつ、横島は嘆いていた。


「ううっ、サイフが軽い・・・そのウチ風船みたいに飛んでっちまうんじゃねーか・・・?」


 ボヤきながらGジャンのポケットに財布をしまい、歩道に出る。
 先に店を出ていたタマモが、ふわり、っと余所行きのワンピースの裾を翻して振り向いた。


「ヨコシマ、ごちそーサマ!」
「あーハイハイ、お粗末様・・・人のオゴリでしこたま食いやがって、コイツは・・・!」


 極上の笑顔で礼を言ってくるタマモに、縦線入りの泣き笑いで応じる。

 今出てきたうどん屋は、最近タマモがひいきにしている店だった。
 お揚げにうるさい、ちょっとお洒落な妖狐の少女が推すだけはあって、たしかに味も雰囲気もかなり良い。

 ただ、その分お値段も良いのが欠点か。
 元から薄っぺらい横島の財布から、普段の彼なら三日は食い繋げるだけの大枚が一度に飛んで行ってしまった。
 もっともこれは横島の主観での話であって、世間一般的にはさほど法外な金額というわけではないのだが。


「何か文句でもあるの?、アタシ学校ですっごく苦労したんだから!」
「・・・ソレってオレのせいじゃないよーな・・・?」

「寝ぼけてシロに余計なコト吹き込んだのはあんたでしょ!」


 控えめな反論は、ぴしゃり、っと一言で切り捨てられてしまった。
 実際、横島が迂闊だった事は間違いないのだ。

 事の起こりは数週間前の朝、シロがいつも通り横島を散歩に誘おうと叩き起こした所から始まる。

 その前日、除霊が長引いた為に、横島が布団に潜り込んだのは明け方近かった。
 ほぼ寝入り端を強襲された横島は、当然のようにシロの誘いを無視して二度寝を決め込む。
 横島にしてみれば当たり前だ、碌に寝てもいない状態でフルマラソンなど誰だってご免被る。

 だが、横島との散歩を生き甲斐とするシロにとっては大問題、の筈だ。
 いつもなら駄々をこねて大騒ぎするところ。

 だがこの日は、シロにしては珍しく大人しく引き下がった。
 かと思えば、何を考えたのか横島の布団に潜り込んで来たのだ。
 後日聞いたところでは、級友の一人に『これでオトコはイチコロ』なる妖しげなワザを色々伝授されたらしい。

 ちなみにそれを伝授したという少女については、浮いた噂一つ聞いたことが無い(タマモ談)そうである。

 横島は、それを新手のお強請りだろう、っとある意味正しく、しかし根本的にトチ狂った判断をした。
 後になって考えてみれば、如何にこの時の横島が寝ぼけていたかが良く分かる。
 そして、タマモの言う『余計なコト』を不用意にも口走ったのだ。

 『まだオマエじゃ誑かされねーよ、タマモならともかく・・・』と。

 横島としては『妖狐ならともかく』と言ったつもりだったのだが、個人名を出したのが如何にもマズかった。

 耳元で『先生の浮気者〜ッ!!』と絶叫されて、一撃で夢の国へ旅立った事自体はまだ良い。
 どのみち寝直すつもりだった訳であるし。

 本当にマズかったのは、シロがそれを引き摺ったまま登校してしまった事だ。
 教室で散々不機嫌っぷりを披露した挙げ句、級友を巻き込んで『タマモが先生を誑かした』っとぶちかました訳である。

 これは当人の与り知らない話だが、六道女学院中等部では、シロタマの編入以来、横島はちょっとしたアイドルだった。

 曰く、当代最高のGS、美神令子の一番弟子。
 曰く、妙神山で修行した、俗界最強級の霊能者。
 曰く、年少者や女性にはとことん優しい、頼り甲斐のある年上の男。

 勿論、これらの噂の発信源はシロである、というか他に居るわけがない。

 確かにウソではないし、間違ってもいない。
 それに、六女の中等部の生徒と横島が実際に出会う可能性などほぼ皆無である。
 だからタマモも、その実像からかけ離れた横島の《偶像》を否定はしなかった。

 タマモも、わざわざ当人のいない所で貶すほど、横島に悪意を抱いている訳ではないのだ。
 シロほど手放しで全肯定するには、少々行動面に問題のある男だとも思ってはいるが。

 だが、いつも冷静なタマモが否定しなかった事は、シロの必要以上に好意的な横島観に説得力を与えてしまった。

 その結果、本来は些細な筈の美点のみで構成された、完全無欠のヒーロー像が一人歩きしているのだ。

 そうなれば、天下のお嬢様学校、六女の生徒とはいえ、いまだ夢見がちなお年頃の少女達の事。
 シロの無闇に熱っぽい力説とも相まって、直接見た事も会った事もない《横島忠夫》にみんな揃って悩殺状態。

 その《アイドル》横島を、タマモが『落とした』となれば、これはちょっとしたゴシップである。
 しかもその話題は、スキャンダルっぽいニュアンスをも多分に含んでいた。
 何しろタマモと、横島狙いであることが確実視されているシロとは、親友と見なされているのだから。

 大衆誌の見出し風に言えば、《驚愕!タマモ(2)、親友の憧れの彼(18)との熱愛発覚!》といったところか。
 ―――実にアホらしい。

 慌てたのは、まったく身に覚えのないタマモである。

 『何でこのアタシがあんなのと!』という叫びに始まり、紆余曲折を経てようやく前後の状況を聞き出すまでに丸一日。
 さらに、その間に広まってしまった噂と誤解を払拭するのに、実に一週間にも及ぶ苦難の日々を要したのだ。

 シロにはきっちり誤解を解く手伝いをさせて、とりあえず矛を収めたのだが。
 散々に苦労させられたタマモとしては、それだけでは割に合わない事甚だしい。
 そもそもの発端であるたわ言をかましてくれた横島に、何の罰もなしで済ますなど、到底納得できる事ではない。

 謝罪の意味で何かオゴれ、と詰め寄った結果、本日のお出かけと相成った訳である。

 だが、わざわざ仕事を休んだ挙げ句、おめかしをして二人で出かける事を、世間ではデートと呼ぶのだが。
 その辺については、双方とも自覚していないようである。


「さ、次はあっちのブティック見て―――」
「言っとくけど、今オレは文無しだからな」

「誰もそんな事まで期待してないわよ。良いから付き合いなさい!」
「へいへい」



***



「現代医学はッ、現代医学はぁ〜〜〜ッ!!」


 すーはー、すーはー。

 今日も今日とて、錯乱した院長の雄叫びが轟く白井総合病院。

 ―――笑気ガスはヤバいんじゃないか、先生。
 マスタードやVXよりはマシかもしれないが。


「相変わらずうっとーしいオッサンねえ・・・」
「ま、まーまー。ウデは確からしいですし」


 何故か神通棍を取り出そうとする美神を、おキヌが宥めている。
 その背後には、シロが尻尾を丸めて縮こまっていた。

 錯乱する白井医師の姿に、予防接種の恐怖を思い出してしまったらしい。

 この辺にまともな医者はおらんのか。


「・・・で、このコたちがその被害者ね?」
「あ、ああ・・・」


 振り向いて確認する美神に、それはもうぐったりと、まさに精根尽き果てた風情の西条が応じた。
 彼はあの後、美神たち女性陣が気を取り直すまでずっと、吹き荒れるプレッシャーの嵐に耐え続けていたのだ。

 夜魔の女王もまっ青な冷気と霊気を放出する美神だけでも、充分常人の手には余る。
 そこへさらに、黒キヌは降臨するわ、シロは野生の闘気を無制限に解放するわ。

 五体満足で冷たくも固くもならずに事務所から出られた時、西条は命の有り難さを心底から実感したという。


「教室で机を囲んだまま発見されたそうだ。それ以来ずっと眠り続けてる。」

「ふーん・・・。でも変ね?、特に何もおかしな霊気は感じないんだけど・・・」
「たしかに、何かに取り憑かれている様には見えませんね・・・?」


 気を取り直した西条の台詞に、美神とおキヌが首を傾げた。

 ベッドの上に横たえられ、点滴のチューブに繋がれた少女達は、ひどく穏やかな寝顔を見せている。
 その様子からは、とても霊障の犠牲者とは思われない。
 素人目にも、まるで安らかに眠っているだけとしか見えなかった。

 ましてここにいる氷室キヌは、稀代のネクロマンサーであると同時に当代屈指の霊視能力者でもある。

 なにせ神族情報官であるヒャクメから、じきじきに仕込まれたのだ。
 基本的に攻撃型の美神よりは、かなり精確な霊視が可能だった。

 条件次第では霊視ゴーグルの補助すら必要としない、そのおキヌの見立てに引っかからない。
 それはつまり、少なくとも人間にどうこうできる《何か》が取り憑いている訳ではない、と言うことだ。


「これはどちらかというと、タマモちゃんの幻術に近いような・・・」

「やっぱりそう見えるかい?」
「ま、原因がコックリさんだしねー」


 おキヌが控えめに見解を述べると、西条と美神はあっさりとうなずいた。
 どうも最初から目星をつけてはいたらしい。


「ああ、それでタマモちゃんの手を借りたいって言ってたんですね」
「そうなんだ。妖狐の事は同族の彼女に聞くのが一番だと思ってね」


 実際、今ここにいる面子はおそらく、現代日本で最も妖狐に親しく暮らしている連中ではある。
 だがその彼らにしたところで、タマモ以外の妖狐同士の見分けなどつけられない。

 これは一部のお年寄りが、紅毛碧眼の相手を全て《ガイジン》と一括りに見てしまうのと同様の問題である。
 要するに、個人を特定するには直接的な接触経験の蓄積が圧倒的に不足している、という事だ。

 その点、同じ妖狐であるタマモならば、確かにそのような気遣いはないだろう。


「そーは言っても、いないモンはいないんだしね。ここは一つシロの嗅覚で・・・って、何やってんのよ、アンタは!?」


 振り向いた美神の視線の先では、シロがベッドとベッドの間にしゃがみ込んで、頭を抱えていた。
 ぷるぷると震えている様子からして、どうも白井医師から隠れているつもりらしい。
 美神に怒鳴られて上げた顔の中で、目尻にたまった涙が光っていたりする。

 小動物チックに怯える表情を見て、思わず(ちょっと可愛いかも)などと考えてしまったのは、おキヌだけの秘密だ。


「きゅーん・・・だ、だって・・・!」
「だっても何もないって・・・わっ!?」

「現代医学はぁッ!、退かぬッ、媚びぬッ、かえりみぬううう〜ッ!!」


 美神達の背後から、すっかり忘れ去られていた白井医師が雄叫びを上げつつ再登場。

 自らたっぷり吸い込んだ向神経系ガスの所為か、頭のネジがまとめてブッ飛んだ様子。
 一時期、パチンコ屋のノボリに良く見かけた、某世紀末覇者の台詞をパクッて喚き散らしている。

 本当に大丈夫なのか、この医者、というかこの人。


「あーもー、うっとおしいってのよ!!極楽へ逝かせてやるわっ!!!」
「きゃーっ!ダメですよっ、美神さんッ!!」
「そ、そうだよ令子ちゃん!、横島君じゃないんだ、そんな事したら本当に逝ってしまうぞ―――!!」
「のほおおぉ〜〜〜!?」


 どげげげん!!

 おキヌと西条が慌てて制止するも、時既に遅し。
 美神が振るった神通鞭の一撃の前に、闘う院長先生はお星様になりました。

 そのような惨劇にも構わず、冷静にお辞儀をして退出して行くナースが非常にシュールだ。


「と・に・か・くっ!!ちゃっちゃとこのコたちにくっついた人間以外の霊気を嗅ぎ分けなさい!」
「はっはいッ!!」

「おキヌちゃんは念のためにお札で浄めの結界を張って!終わったら一旦事務所に戻るわよ」
「はい!」


 ムダに騒ぐオッサンを叩き出してスッキリした病室内で、美神はてきぱきと指示を下して行く。
 その指示に従って、シロとおキヌは素早く作業にとりかかった。

 シロは三人の少女たちに付着した霊気を嗅ぎ取り、より正確に対象の匂いを特定しようと、ベッドの間を繰り返し往復する。
 その間に、おキヌはシロが担いできた荷物(横島が普段担いでいる物よりは二回りほど小さい)からお札を取り出す。

 一切ムダのない、まさに当代最高のGSに率いられた除霊事務所の名に相応しい仕事っぷりである。


「・・・すぐに術を解いてあげないんですか?」
「施術者が何を意図してこんなマネをしたのかが分からないと、どんな仕掛けがされてるか見当もつかないわ。
 ウカツに手を出してこのコたちを廃人にでもしちゃったら責任問題よ。―――オカGの」

「それは困る」


 霊的に無防備な状態の被害者たちを護るため、結界を張っていたおキヌが美神に問いかけた。

 たしかに、只の幻術ならば解呪して目覚めさせてやるのはそう難しい事ではない。
 ―――この事務所の面々にとっては、だが。

 そうすれば、わざわざお札を消費してこんな結界を張る必要も無い筈だ。
 必要以上の出費を厭う美神の気質を十二分に把握した、おキヌならではの気遣いに、しかし美神は頭を振った。
 その語尾に付け足された不穏な気配漂う一言に、西条も慌てて口を挟む。

 ここで美神にいつもの調子を取り戻して『どーせオカGの責任だしー』とか言い出されては、非常に困る。
 オカルトGメン日本支部の隊長代理としても、この件に関わる一個人としても。
 いたいけな、と言えるほど知っている相手ではないが、少なくとも未来ある若年者を廃人にしてしまうのは避けたい。

 ごく限定された、というかある一名の男性以外に対しては、西条は至って真っ当な倫理観を備えているのだ。


「ありがとう、助かるよ。今回の件、オカGの装備と人員じゃあ、正直手に余ってるんだ」
「・・・好きで引き受けるんじゃないわよ」


 不穏な話題から美神の気を逸らそう、というだけでもなく、西条は礼を述べた。

 実際、オカGの人員は、エリートではあるが実質的な能力はさほど高くない者が殆どだった。
 個人レベルで高い能力を備えた人間は、皆自前でGSになってしまうからだ。
 あくまで公務員であるオカGの職員よりは、そちらの方が実入りが良いのだから、これは当然と言える。

 つまり、わざわざオカルトGメンを目指すのは、自前ではGSとしてやって行けない、霊能者としては二流以下の者ばかり。
 結果的に、西条の麾下に配属された要員は、知識や訓練だけは一流のものを受けてきた一般人、というのが実情である。

 その分、高価な装備を潤沢に用いることで、オカGの実行力は確保されているのだが。
 如何せん、今回のように変則的で時間的な余裕に乏しい事件に関しては、やはり民間のGSに頼らざるを得ない。

 多感な思春期の少女達の、『おまじない』遊びを否定する事はできない。
 馬鹿らしい事だと切って捨てるのは簡単だが、それはやっている当人達もどこかで自覚している筈なのだ。
 それでも、とつい手を出してしまうのは、それこそ多感な年頃に誰しもが味わう、戸惑いの一種にすぎない。

 それ故に、この事件は早急に解決する必要がある。
 きっかけとなる『コックリさん』を禁止できない―――してもおそらく意味がない以上、放置すれば被害は拡大し続けるだろう。

 それに、すでに被害に遭っている少女達も、あまり長期に渡って現状のまま、という訳には行かない。

 霊的にも物理的にも穏やかな様子から見て、それほど酷い目に遭っている訳でもないようではあるが、所詮、夢は夢。
 貴重な現実の時間を食いつぶしてまでそれに浸り続けるなど、損失以外の何物でもない。

 それらを踏まえた上での西条の謝辞に、しかし美神は苦虫を噛みつぶしてしまったような渋面で応じた。


「今回もまた金銭にならないんだろうけど、どーせ断らせてなんかもらえないんだろーし・・・ああっ、腸が切れそう・・・!」
「「「・・・・・・」」」


 腹を押さえてわなわなと打ち震える。

 実際、もし西条の依頼を断れば、美神が頭の上がらない数少ない相手―――母の美智恵がしゃしゃり出てくる事は間違いない。
 そして最終的には否応なく、なし崩しに丸め込まれてしまうのだ。

 それを自覚しているからこそ、儲けなど期待できないこの話に大人しく付き合っている訳だが。

 それでも、美神令子は美神令子。
 当代屈指のGSであると同時に、当代随一の守銭奴でもある彼女にとっては、やはり儲からない仕事は相当に苦痛らしい。

 断腸の思い、という表現を全身で体現して、ぜーぜーと息を荒げる。
 そんな彼女の姿に、一同は黙って引きつる以外のリアクションを取れないのだった。



***



「たかがタンクトップ一枚買うのに、何でこんな長時間かけられるんだ・・・!?」

「何言ってるのよ!、今日は一応、気を使って手早く切り上げてやったのに!!」
「アレを手早いっつーなら、カタツムリだって音速に挑戦できるわーッ!!」


 喧々囂々。

 駅に向かう人混みの中、紙包みを抱えた横島と、並んで歩くタマモが言い争っている。
 どうも、タマモが服を品定めする間中、居心地の悪い思いを味あわされた横島が、文句を垂れたのが発端らしい。

 どちらが間違っているという訳でもない、些細な意見の相違。
 それをネタに口論しながら、しかしお互いに距離を取ろうとはしていない。
 傍から見れば実に仲睦まじい、見事なまでのバカップルぶり。

 そりゃシロでなくとも、『誑かした』と考えて当然だ。
 ―――どっちが、とは判じえないにしても。


「「!」」


 そんな、嬉し恥ずかしくも微笑ましい、見ようによってはちょっと鬱陶しい会話が、不意に途切れる。
 いち早く顔を上げたタマモに続き、横島もまた、進行方向―――歩行者天国の端に目を向けた。

 そちらに突如あらわれた、巨大な霊圧の源を探して、二人の眼が素早く人混みを追いかける。


「何!?この霊力・・・!」
「わからん・・・!、だが、ただ者じゃねえ・・・気をつけろ!」


 言い交わしつつ、ごく自然に両脚を肩幅に開き、いつどこから襲いかかられても対応できる姿勢を取る。
 肩と肩を触れ合わせるように、互いに逆方向な半身の構え。

 どちらかが、前衛に特化したシロか、逆に近接戦力を持たないおキヌだったら、このような立ち位置にはならない。

 中間距離主体ながら遠近いずれにも対応可能なタマモと、こちらは文字通り汎用型の横島。
 彼ら二人がこのように臨機応変なコンビを組める相手は、互いを除けば所長の美神令子ぐらいのものだ。


「あいつか!?」
「―――人間じゃないわね。それに友好的でもない・・・!」


 緊張を隠しもしないまま、二人が目を留めたのは、一見どこにでもいそうな少年の顔だった。

 外見上の年齢は、十二、三くらいだろうか。
 金髪というよりは赤毛と表現した方がしっくりくる、そんな色合いの頭髪を、シャギーのかかった短髪にまとめている。
 どこか幼さを残しながらも、端整に整った容貌。

 その切れ長な眼に、あからさまな悪意と関心を籠めて、彼らを見つめる。
 にやり、とその口許が歪むのと、膨れあがる霊気に反応した横島が踏み込むのとは、ほぼ同時だった。

 ひゅっ、と呼気を鳴らして、一瞬で霊気の籠手、『栄光の手』を纏わせた右手を振り上げる。

 叩きつけられた幻炎の塊を逆袈裟に叩き、右斜め上方に逸らしながら、その反動を利用して自身の軌道をねじ曲げる。
 横島と同時に地を蹴ったタマモは、『敵』の前を斜めに横切る横島の上体に隠れるようにして、距離を取った。


「フンッ!!」


 踏み込んだ足を軸に反転した横島の『栄光の手』が、斜め後方から少年の延髄目掛けて打ち込まれる。
 しょっちゅうメシをたかりにきては、礼替わりに、といって組み手を強要して行く、傍迷惑な友人に叩き込まれたその動き。
 横島自身は良く分かっていないのだが、それは劈掛拳(へきかけん)の一手、倒発鳥雷(とうはつうらい)の型。

 師がよほど良かったのか、はたまた生来の器用さか、一辺の淀みもないその動きは達人級の練功を思わせる。
 それに会わせて、正面からはタマモが狐火を吹きつけた。

 互いに軸を微妙にずらした、絶妙のコンビネーション。
 並みの魔族であれば避ける事も耐えることも叶わない、必殺と言って良いそれが、標的をまともに捉える。

 だが、横島もタマモも、構えを解かずに半歩後退して、その『少年』を睨み付けていた。


「―――今の、狐火か!?」
「ええ、コイツ・・・アタシと同じ・・・!」


 横島の半疑問形の叫びに答えるタマモの背後で、逸らされた幻炎の直撃を受けた看板が盛大に炎上する。

 降り注ぐ火の粉と看板の破片に騒然とし始める人混みの中、ソレは纏い付くタマモの狐火を振り払い、悠然と立ち上がった。
 その所作にも、立ちのぼる霊気にも、今の攻撃にダメージを受けた様子は見られない。


『クククッ・・・!面白イ、面白イゾ・・・!―――クフッ、フフフ・・・ハーッハハハハ!!』


 ごおおおっ、と、竜巻のように。

 莫大な霊気を立ちのぼらせ、どこかひずんだ声色で哄笑するその少年。
 その狂気を滲ませた高笑いを聞きながら、横島達は思い切り引きつった。


「こ、こらアカン・・・!!」
「まるで堪えてない・・・!?」


 やる前から分かってはいたが―――相手が悪い。
 ヘタをしなくとも、上級魔族に引けを取らない霊力。
 そして、平然と他人を巻き込み、人間を敵に回す事を厭わない、その狂気。

 仰け反るように天を仰いで笑い続ける『少年』を挟んで、横島とタマモは密かに目配せを交わした。
 二人とも、こんなところで死ぬ気はないのだ。

 三十六計逃げるに如かず―――彼らの目は、そう雄弁に物語っていた。

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