ザ・グレート・展開予測ショー

GSホームズ極楽大作戦!! 〜バスカヴィル家の狼〜 4


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(05/ 6/19)

パディントン発プリマス行きの急行がウィンチェスターを離れると、車窓に流れる風景が変わったことに気がついた。
古くはイングランドの首都でもあったことのあるこの都市を過ぎると、今まで黒茶色だった土の色が赤みを帯びてきて、レンガづくりの家から白い花崗岩の家が目立つようになってきた。
低木の生垣をゆったりと廻らせた牧場は青々と広がり、立派に育った牛がのんびりと草を食んでいる。
朝夕に霧が立ち込めるほどには湿気が多いにしても、土地が肥沃で気候が温暖なことを示していた。

背後から時の過ぎ行くように流れゆくのどかな田園風景をよそに、我が友シャーロック・ホームズは窓の外を眺めることもせず、ロンドンを出てからのあいだ、ただじっと黙考に耽るばかりだった。
網棚の上に乗せた旅行鞄に詰めてあるタバコのかわりに石炭を、パイプのかわりに機関車がもうもうとした煙を上げて西へ西へと邁進していた。
ホームズの癖に慣れきってしまった私は、わざわざ声を掛けるような真似はせず、ぼんやりと今度の事件について考えてみた。

あの日、ベーカー街でヘンリー・バスカヴィル卿の話を聞いたとき、私は得体の知れぬ恐怖感を味わったが、それと同時に、どこかすんなりと受け入れるような気持ちにもなっていた。
元来私はホームズが言うようにはロマンチストでも神秘主義者でもなく、従来であればこのような話など、ただのおとぎ話と一笑に付していたことだろう。
しかし、複雑怪奇な事件を次々と解決していくホームズとはまた違う、知られざる彼の別の一面を垣間見るにあたって、この世界には我々とは異なるものが並存していることを私は知った。
長年つきあってきた私にしても、ホームズの卓越した推理は人ならざる何かによるものではないか、と時折錯覚することがあるが、そういった気配にも似たものがヘンリー卿の話の奥に漠然と感じられたのである。
あの美しき踊る人形事件のときのマリアのような、人ならざる者への出会いの予感と期待に、私の心は躍るばかりであった。



聞いたこともない寂しい田舎の駅で汽車を降りると、色の剥げた白塗りの柵の向こうに、二頭立ての馬車が待っていた。
わざわざ出迎えてくれたヘンリー卿と握手を交わしているあいだ、愛想のない小柄な御者が手荒く荷物を馬車に載せ、我々が乗り込むや否やに馬に鞭を入れた。
真っ白に乾ききった広い道を、もうもうと土ぼこりを上げて走り出した。

道の両側には牧草の大海原が果てしなく続き、大波のように起伏を繰り返しながら丘陵を登っていった。
ところどころ鬱蒼とした樹木の切れ目から、素朴な古い石づくりの家々がぽつりぽつりと間隔を開けて点在しているのが見えた。
天高くつき抜けた青い空には白い綿のような雲がふわりと浮かび、音もなく静かに東へと流れていた。
ロンドンの澱んだものと同じ、とは思えぬほどに澄んだ空気には心地よい冷たさがあり、長らく汽車に揺られた身体が引き締まめられる思いがした。
風光明媚を絵に描いたような田舎の光景に、私は思わず、ほう、と息を漏らした。

「ワトソン先生はここがお気に召したようですね」

「いや、実に素晴らしい。私もこんなところに住むことが出来れば、さぞかし充実した日々を過ごせるでしょうね」

「ははは。私もここで馬車を止めることが出来れば、どんなに嬉しいことかと思いますよ」

そういってヘンリー卿は、冗談とも本音ともつかない妙な顔をして笑った。
ほんの少しだけその表情が私の気に障ったが、その訳は馬車が脇道を曲がるとすぐにわかった。

馬車は幾重にも重なる轍の跡の残る小路を、蛇のように曲がりくねって登っていく。
道の両側にはじめじめとした苔やシダの類が岩肌を埋め尽くし、嫌な形の葉をした草が生い茂っていた。
先程までの暖かな様相とは一変して、どんよりとした暗さが我々の頭上を覆っていた。
ときおり濡れた路面で馬が脚でも滑らすのか、不愉快な衝撃が馬車の床を突き上げるようにして襲ってくる。
私は一体どんなところを走っているのだろうと気になり、窓を開けて前方を覗き込んでみた。
そのとき、やたらと湿っぽい風が私の首筋をねっとりと撫でるようにして吹き去り、思わず背筋にぞくりとするものを感じた。

「ワトソン君! すぐに窓を閉めたまえ!」

それまで一言も口を聞かずに考え込んでいたホームズが急に大きな声で叫び、私は再び驚いて馬車の中を振り返ってみた。

「急にどうしたというんだい、ホームズ?」

「いいから窓を閉めるんだ! 早く!」

横柄なまでの言いように少々腹も立ったが、何か深い訳があるのだろうと思い直して窓を閉めた。
そのとき、微かではあるがホームズが、ほっとしたように姿勢を緩めたのを見て取った。
向かいの席を見ると、それまで陽気に話していたヘンリー卿までもが黙り込んでしまい、ときおり不安そうに襟元にせわしなく手を這わす有様だった。
窓の外の風景につられるようにして、急に陰鬱とした車内の空気に私は戸惑い、仕方なく座席へ身を預け、黙って再び窓の外へと目を向けるほかはなかった。
それ以後、館へ着くまでの間誰一人として口を聞かず、あたかも苦行に耐える修道士のように、長く辛い道程を過ごしていた。



だらだらと続いた坂道を登りきると、突然ティーカップの底を見下ろしたかのような窪地が現れた。
縁に生えた樫や楡の木は、長年の風雨に晒されて腰が曲がり、枝を精一杯広げて生えていた。
その木々の間から見えるのは、壁も屋根も石塊を積み上げた農家が、寄り添うようにして点在している様子だった。
峠を越えた馬車はその家々の間を通り過ぎ、やがて暗い森を背にした小高い丘に建つ二つの塔を持った古い館が見えた。

館の門は苔むした門柱に支えられた鉄格子によって閉ざされ、馬車の到着に気がついた門番があわてて押し開いた。
さして長くもない小路を急いで進むと、広い芝生を前にして館の建物が建っていた。
白亜の壁は二階の窓の上まですっかりと蔦で覆われ、なるほどこれが拐かされた娘が伝って逃げたという蔦か、と思った。

玄関の前に到着するや否や、文字通り飛び降りるようにして御者はドアを開き、我々を急きたて、荷物を放り出さんばかりにして馬車から下ろした。
そして、まるで呪われた廃墟から逃げるとでもいうようにして、車輪を軋ませて走り去っていったのである。
後に残された我々は、その様を呆気に取られて見送るより他はなかった。

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