ザ・グレート・展開予測ショー

雨異伝(0)


投稿者名:NATO
投稿日時:(05/ 6/14)

雨異伝

たった、4℃の温度差。
絶対に埋まらない。埋めることを許されない、温度。
この温度が、3%の味の誤差を生む。
そして。
埋まらぬ溝に、機械仕掛けの心は軋む。
だが、その感情が今ではわからない。
過去、それは痛苦に似ていた。
それから、諦観。そして、虚無。
今は、そうして開いた空洞に、思い浮かぶ影がある。
それが何を意味するのか、わからない。演算の繰り返しは常に答えを提示せずやがて数万桁のループに達する。
定められたシステムは、それでも試行をやめず。
数百の試行から導き出される数十万桁に及ぶ演算が全てエラーを弾くのと同時に。
オリジナルより4℃だけ低い、お湯が沸く。


「ドクター・カオス。紅茶が入りました」
「……うむ」
難しい顔で手紙を読んでいたカオスが机から顔を上げた。
「お手紙・ですか?」
「うむ?……ああ、古い友人じゃよ。魔術師のな」
「友人……お名前は」
主の答えをまち、検索をかける準備。主の交友は数、年代共に広いため、こういった話題のための情報はある程度準備しておく必要がある。
最近のファイル使用状況。主は友人の話をあまりしない。最も近いところで、ネルソンという男。時期は――。
「ああ。おぬしが会ったことは無いはずじゃ。わしと同じ不死をまったく違うやり方で果たした、わしと同じ天才で、まあ、相棒みたいなものかのぅ……だが」
面識が無い。カオスがそう言うとき、たいていの場合情報を自身が所持しないことを示す。
アプリケーションを終了。
紅茶を口に運ぶ。3%。ほんの少し、マリアでないとわからぬくらい微かに顔を歪ませ、直ぐに笑う。
「ま、いろいろあってのぅ。もう会う事もあるまいと思っておったが。巡り合わせというやつか」
「……ドクター?」
めったに見せない険しい顔。しばらくして。
「……マリア、すまないが用事を頼まれてくれんか?」
そういった主の顔を、マリアは“決意”と認識した。


マリアを送り出し、カオスは最近馴染みの場所になりつつある胡散臭い店の前に立つ。
マリア。送り出すときの言葉、表情。いくら自己更新機能を備えているとはいえ、よくもあそこまで情緒を手に入れたものだ。幾分嬉しく。……疎ましいと思う自分が居ることもまた、自覚していた。
振り切るように頭を一つ左右に流し、力を入れると崩れそうな引き戸をスライドさせる。
「ん?アンタ独りアルか?あのロボットの嬢ちゃんはどうしたネ?」
厄珍堂の店主は、珍しく真面目に店番をしていた。テレビはついておらず、カウンターの上に何か怪しげで細々とした部品を乱雑に散りばめ、器用に指先を動かしている。
「……預け物を、取りに来たんじゃが」
このお気楽な老人が見せたことのない、重々しい声。
だが、それを聞いた店主も驚きはしなかった。
「いつもの卦で、ある程度は予想していたアルが……。あんなもの、本当に使うことがあるとは正直思わなかったネ」
胡散臭い語尾も、どこか険しい。
「わしも、もう二度と使わんと思っておった。だが、必要なのじゃ」
「……預かり物アルから、渡すのはかまわないネ。だけど……」
「安心せい。あれの勝手はわかっておる。それに万が一“アレ”を使うことがあったとしても、そのときのことくらい考えてあるわ」
その言葉に安堵したのか、店主は静かに立ち上がる。
「わかったアル。……私も相変わらず小心者ネ」
「慎重なのじゃろう。悪いことではない」
ため息をつきながら。
「これでも昔は……。アンタにいうことじゃないアルね――あんなものを作った挙句、その歳で引っ張り出して使おうなんて、正気とは思えないアル」
カオスは、静かに笑う。
「わしは科学者じゃよ。正気とは、一番遠いところにおる」


白い部屋。誰も居ない。見渡す限りに壁の無い、広くて白い部屋。
こぽり。突然、そのピンク色の塊は地面から這い出てくる。割れ目があるわけではない。床もまた、一面の白。侵食するように広がるピンク。
――ぬるり。
屍肉だった。
ぞわり。
それは、確かに屍肉なのだ。
そこに広がっている鮮やかなピンク色の粘液にも似た蛋白質の塊は。
触れば冷たいはずだ。多少なりとも霊力を有するならそこから来るおぞましさに身を竦ませ足早に立ち去るか、あるいは一抹の憐憫から祈りを捧げるかという。
“その程度のものであるはずなのだ”
ぬるり。
ちゅぷ、ぐちゅ、にちゃ、ねと、とろり。
その屍肉はゆっくりと水音を立てながら寄せ集まる。
いつまでも綺麗な、腐ることも“蛆”が湧く事もない屍肉は、まるで肉そのものがピンク色の蛆であるかのように寄せ集まり、正常な空間を侵し、犯し、貪り、汚し、穢す。徐々に、徐々に、一箇所に集まり、それは巨大な蛆の塔を作る。ねと。粘液のようなそれは、重力によって崩れ落ちながら、それを超える速さで自分自身を上っていく。ねとり。ずるっ。たれ落ちながら、それでも重力の呪縛から逃れようとするように、地の底から逃げようとするように。それは、あまりにも純粋な生の営み。生きるものすべてに備わる摂理への反逆。本能に刻み込まれた神への冒涜。“であるはずだ”
この屍肉は違った。
この行為は神への冒涜などではない。神すら嘲笑う戯れだ。
この逃亡は地底への恐れなどではない。蹂躙し尽くした地獄からの凱旋だ。
蛆の塔が、突然その形を変えていく。
先端からは、金色の糸が無数にあふれ出す。
それが十分量に達すると下の蛆が肌色の皮に変わりその皮を突き破るように内部が躍動する。徐々にそれが収まるとそこにはくぼみが三つと突起が一つ。
突起の先端が膨らみ、下部に穴が二つ。
いつの間にか金色の糸のすぐ下に並んだ穴二つに白い球体。中心にぼんやりと蒼い色が浮かび上がる。
突起物の下にある少し大きなくぼみの周囲が少しずつ盛り上がり、それにあわせてくぼみはさらに深くなる。……口。
それは、顔だった。髪、目、鼻、口。
気がつくと髪に隠れた場所には新たな突起ができ、耳を模ろうとしているのがわかる。
蛆は、人に代わろうとしていた。
顔の次は、首。首の次は肩。肩の次は――。
完璧に、そして急速に。
性器の形さえ忠実に人を模っていく。男性体を模しているのだろう。股間には皮に包まれた塊が歪にぶら下がり、躍動を繰り返している。
数分か、数秒か、あるいは刹那だったのか。
時間さえ侵食したおぞましき肉塊は、その構成を完全に裸体の男性へと変えていた。
それは、あまりにも自然で、当たり前な成人男性。
美青年、といっていいだろう。西洋に由来する金の髪、青い瞳。細身のわりにしっかりとついた筋肉。表面に群がるぬめり以外に、もはや彼が元は肉塊であった名残は無い。
あまりにも、自然すぎる人間。それゆえに邪悪で、不自然だった。
その佇まいも、少しばかり顔をゆがませて見せる微笑も、体の動きも、自然。
美しすぎるわけではなく、かといって醜いわけでは決してなく。
しばらく立ち尽くし体の変動が完全に収まったのを感じると、彼は軽く一つ腕を振った。
下ろした手に握られる黒衣。無から生じたそれも、何故かまた自然だった。
おもむろに身につけ、今度は指を鳴らす。
微かな煙。浮かび上がる純白の杖。
何の飾り気も無い。T字型の杖の幹を握る。
微笑を顔に貼り付けたまま、青年は杖を小脇に抱えて歩き出す。
真っ白な部屋。先ほどまでただ屍肉があったのみの部屋から、“全て”が消える。
彼が歩くに合わせるように、時間が、広さが、色が、存在までも。
彼が、白い部屋から突然消失していくのと同時に。
その部屋もまた完全に消滅していた。

「……ドクター・カオス。座標をロストしました」
マリアは、空を見上げて呟いた。何の感慨も感じられない声。
初めてでは、無い。
だが、ここ数百年ではなかったことだった。
マリアが把握するカオスの座標を常に更新するためのシステムは、カオス側から送られる情報でしか設定されていない。つまり、第三者によるジャミングならばエラーはあってもロストはまず考えられない上、そもそもカオスのみにしか扱えない錬金術や“魔化学”によって与えられる、マリアでさえ完全に掌握していない領域をそうやすやすと突破できる存在など神魔においてもまずいない。よって、このロストはカオスによる意図的なものである可能性が高い。
最終更新座標から現在位置を推定しようと検索を掛ける。エラー。
数年間にわたるカオスの位置座標の情報としての使用にプロテクトがかかっていた。
一瞬でここまでできるのはやはり製造者であるカオスしか考えられない。
そしてその情報はマリアの中で危機レベルを一つあげる。
マリアにおけるカオスのための防御機構という役割の優先順位はそれほど高くない。
カオス自身が不死であることもあるがそれ以上にマリアの機動性は防御よりも攻撃に優れ、護衛よりも対象殲滅のほうがよほど効率的であるからだ。と、理由付けがなされている。
だが。
幾度かの演算処理と情報収集の結果から、マリアは主には確認していない一つの仮説を立てていた。
“Dr・カオスのもつ戦闘能力は、ある一定の条件下において現存するあらゆる戦力を上回る”
つまるところ、マリアはカオスという狂化学者のための安全弁なのではないか。
誰にも言ったことはない。所詮被造物である自分は創主が秘匿する情報に手を出す術はない。
だが、それでもマリアの高度な演算能力はこの結論を支持していた。
その主が自分を美神令子の元へ向かわせる最中に消息を絶ったということは。
安全弁の外れた究極の頭脳がその英知を戦闘に使用する可能性が高いということを意味した。
「ブースト・起動。目標・美神除霊事務所。行使可能な限りで最速」
アシュタロス戦役でさえその全てを明かさなかった狂人にして天才が、マリアに観測できる限りにおいて始めて何者かに牙を向く。
この結論は、同時にある兵器の使用を意味する。
核や水爆でさえ及ばない、究極の破壊兵器。主の作った主のためだけの最強装備。
マリアは、怯えていた。
自身にさえ知らされない負の最高傑作が、そして。
「緊急事態。“zero”の発動確率、1%以上に増加」


「生き返そうと、思わないのですか?」
微笑。
「……」
「別に、私でなくともいい。ほかの方法だってある。あなたなら、できるでしょう?」
古城の一室。一人の老婆が、一生を終えたところだった。
それを、立ち尽くし見つめている男。
傍らに立つもう一人。
「彼女がそれを望まないなら、やはり私が……」
青年。やはり、微笑。
「彼女を、マリアを、冒涜するのかね?」
男、カオスの言葉に含まれる自嘲を汲み取るように青年は哂った。
「死の否定は生への冒涜ではない。そして、冒涜を恐れるあなたでもない」
「ふむ」
「簡単なことです。彼女を、あなたのそばにおきたい。そう思うなら、そうすればいい。彼女の魂を浄化したいなら、私がやります。何もこれから先人形遊びに現を抜かすほど衰えても居ないでしょう?」
「お前のそれは、人形遊びではないと?」
「……そうですね。そうかもしれません。魔術の世界に居る私とあなたにとって、魂も、肉体も、有も、無も、生も死も、すべて遊びに過ぎないのかもしれません。ですが、それでも私は彼女と離れたくありませんでした。あなたにとってマリアさんは、そういう方ではないのですか?」
「お主の氷女と、わたしにとってのマリアは違う。……“愛”についての、見解もな」
初めて、青年は小さく顔を顰めた。その単語は、よほど彼にとって気に入らないものであるらしい。
「あの発条仕掛けの人形があなたの“愛”だと?」
「……むしろ“minus”の狂気こそが、わしの愛なのかもしれんな」
「だとしたら、あなたはこれからどうするつもりなのです?」
「わたしはマリアを愛した。それは事実だ。ならば、それだけを頼みに人として生きるほか無かろう。minusとわしの心を封印して、な」
「私は、邪悪です」
「知っておる」
「それでも、私はあなたを許せないと思い、そしてまた、許す気が無い。私が彼女を愛したようにあなたがマリアさんを愛したわけではないことを差し引いても、あなたはあまりに冷たすぎる」
「……愛に狂うか。違うものに狂うか。それだけの差だよ」
「私の魔術は愛ゆえに。あなたの愛は……」
「学ゆえに……ということだったのだろうな」
その言葉を聴いたとき、青年は確かに激怒した。表情も、仕草も変わらなかったが、彼は目の前に居る男を嫌悪し、侮蔑し、憎悪し、唾棄した。
何事か言いかけ、かろうじて思いとどまると青年は振り返ることも無く立ち去る。
「それでも。それでもわたしは確かにマリアを愛していたのだよ」
その後姿を見届けながら、カオスは呟いた。
空虚な古城の一部屋、遺体を前にした空間に響くその言葉はあまりに空虚で、カオスは小さく苦笑する。
眼からあふれ出る生暖かい水は、あえて気にしないよう努める。
ただ、自分の喉が鳴る意味不明の獣のような唸りだけは、否応にもカオスの心を突き刺していた。

数百年に及ぶ確執は、ここから始まる。
舞台は整った。キャストも追々揃ってくるだろう。
主演は誰か。結末はどうなるか、敵の目的は。そんなことはたいした問題ではない。
この物語の中で、誰がどう思い、どう動くか、それこそが重要なのだ。
さあ、始まる。
彼ら、彼女らの苦悩が、痛苦が、相違が、対立が、絶望が、希望が、そして。
最後の一つは語られない、あまりに陳腐で、それゆえに抗えぬ呪縛は、物語の根底にさえあれば良い。
さて、幕を開こう。最初は、東京タワー。そう“あの場所”だ。

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