ザ・グレート・展開予測ショー

GSホームズ極楽大作戦!! 〜バスカヴィル家の狼〜 3


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(05/ 6/14)

ヘンリー・バスカヴィル卿は上着のポケットから、丁寧に織り畳まれた古い書類を取り出し、我々のいるテーブルの上に広げてみせた。
およそ百年以上経っている紙は黄色く変色し、ところどころ痛んではいたが、読むのにさほど支障があるというわけでもなかった。

「ここを見たまえ、ワトソン君。こういった書体の特徴も、年代を推定する材料の一つになるんだよ」

「ふうむ」

ホームズが指摘するように、Sの字を一つおきに伸縮させる独特の筆跡で綴られたバスカヴィル家の伝説を、この若き当主が滔々と読み上げていく。
耳障りの良い声に語られた物語は、私が今までに見聞した中のどれにも増して奇怪で、不思議に満ちた物語だった。



それは今から二百五十年ほど前、かのチャールズ一世を弑逆するに至った大反乱時代にさかのぼる。
国内の動乱において比較的平穏であったデヴォンシャーのバスカヴィル家は、当時ユーゴーという男が当主の座についていたが、そのユーゴーなる者、生来より粗野で低俗であり、神をも恐れぬ不埒な男であった。

時おりしも聖ミカエル祭の当日、この男は五、六人の無頼の徒とともに、かねてより懸想していた郷士の娘をさらい、非道にも館の奥へと閉じ込めてしまった。
男どもが猥雑な酒に酔いしれているあいだ、娘は己が身に降りかかった不幸を嘆き悲しんではいたが、密かに階下の宴が寝静まるのを待ち、ついに決心を固めた。
娘は館の壁一面を覆っていた蔦を伝い、月のない夜の闇に紛れて逃げ出したのだった。

やがてまどろみから覚めたユーゴーが娘の逃げたのを知ると、彼は烈火のごとく怒り狂い、「かくなるうえは、この剣にて切り殺してくれん!」と叫び、黒々とした巨馬を駆って飛び出していった。
酔いつぶれていた男たちも次々に目を覚まし、口々に慌てふためきながらも残酷な狩りに興奮して馬に跨り、犬を放って後を追った。

ほんの一、二マイルほど行ったところで夜回りをする羊飼いに出会い、「娘を見なかったか」と大きな声で尋ねた。
荒くれ者にどなりつけられた羊飼いは、震える声で「見た」とだけ答えたが、それは彼らが恐ろしかったためではなかった。
一心不乱に逃げていく可哀想な娘も、狂乱の眼差しで疾駆するユーゴーとその黒馬も見たが、その後を地獄から這い上がってきたかと思うほどに巨大な犬が、世にも恐ろしいうなり声を上げて駆けていった、と言うのだった。
その体は、漆黒の闇に浮かび上がって見えるほどに青白く、その頭はあたかも獲物の血で染まるがごとく、燃えるように赤々とした毛をなびかせていたという。
息も絶え絶えに話す羊飼いからようやくに聞き出した男たちは、背筋がひやりとするような得体の知れぬ面持ちになったが、その恐れをごまかすために哀れな羊飼いを口々に罵り、ユーゴーの去った道を追いかけていった。

すると、彼らの前方からあの黒馬が駆け戻ってくるのが見えた。
てっきりユーゴーが娘を取り逃がしたか、あきらめたのかと思って密かに安堵の息を漏らしたが、口に泡を吹いて足早に通り過ぎる馬の上には誰の姿もなく、手綱だけがひらひらと空しくひらめくばかりだった。
いよいよ只ならぬ様相を呈してきた事態に、男たちもすっかり意気消沈し、互いの顔を見合わせるばかりだった。
しかし、ユーゴーをこのまま打ち捨てて帰れば、後々のことがやっかいでもあり、仕方なく先に進むより他はなかった。

やがて、窪地へと差し掛かる坂道の手前で、先に放っておいた犬たちの姿が見えた。
けれども、犬は普段の猛々しさなど微塵も見せず、頭を垂れて尻尾を巻いてか細く鳴く有様だった。
男たちは馬を降り、ランタンを掲げて岩の陰から窪地の底を覗き込んでみると、そこには逃げた娘が着ていた服が横たわっているのが見えた。
だが、不思議なことに娘の姿はどこにも見あたらなかった。
さてはここで情事に及んだか、と下卑た笑いが力なくも上がりかけるが、それすらも途中で凍りつくこととなった。

人を人とも思わぬほどの悪漢どもを震え上がらせたのは、哀れな娘の死体でも倒れていたユーゴーの姿でもなく、彼の上に覆い被さるようにして立つ、一頭の青白い大きな犬の姿だった。
今まさにユーゴー・バスカヴィルの喉笛を食い破らんとして見える白き獣は、たしかに犬の姿をしていたものの、あの羊飼いが言ったようにこの世のものとは思えぬほどに巨大なものであった。
ほんのしばらくの間、男たちは声もなく立ち尽くしていたが、その怪物が爛々と輝く目を彼らに向け、けっして忘れられぬほどに恐ろしい咆哮を上げると、男たちは悲鳴を上げて我先へと逃げ出していった。
どうにかして命からがら館へは辿り着いたものの、そのうちの一人は恐怖のあまり、その夜のうちに死に至り、残る者も数年のうちには皆死に絶えたという。
これが、バスカヴィル家に代々伝わる恐怖の物語であった。



「いかがでしょう?」

ヘンリー卿は、この不思議きわまる物語を語り終えると、ホームズの目をじっと見つめて聞いた。
ホームズはあくびを一つ漏らし、火の消えた葉巻の吸殻を暖炉に放り込んだ。

「なかなかおもしろいですね」

新しい葉巻を玩びながら、ホームズは言った。

「しかし、私は民俗学の研究者ではありませんのでね」

「それでは、今度は私の話を聞いていただきましょう」

こういった反応をされるのをある程度予想していたのか、ヘンリー卿は大して気分を悪くしたような素振りも見せずに言った。

「先程あなたが推理されたように、私の叔父であるチャールズ・バスカヴィルが亡くなったのは、つい先月のことです。叔父は結婚もせずに独りで過ごしてきたため、子供もおらず、それがために私が後を継ぐこととなったのです」

「叔父上の死になにか不審な点でもおありですか」

「いいえ。叔父はかなり前から心臓を患っていたらしく、その発作によるものだそうです。詳しいことはこれをご覧になっていただければわかると思います」

そう言ってヘンリー卿は、上着の別のポケットから六月十四日付の新聞を取り出した。
ほんの少し身を乗り出したホームズの顔には、僅かだか興味をそそられた色が浮かんで見えた。
そこには故人の経歴や評判と並んで、詳しい死亡状況や検死の結果が載せられていたが、別段疑問を抱くような不審なところはなかった。

「私には特に何も問題のないように思えますが」

「ええ、叔父の死因については私も問題はないと思っております。それよりも気になるのは、叔父が飼っていたという犬についてのことなのです」

「その犬がなにか?」

「村人の話によれば、叔父は白い大きな犬を連れて散歩をするのが日課だったそうでして、連れ立って歩く姿をよく見かけたそうなのです。それは実に見事な、狼かとも見紛うほどに精悍な白い犬でしたが、実に温和で、誰一人として吼えかけられたことすらないそうです」

「ほう」

「それが、叔父が亡くなった日を境にぷつりと姿を見せなくなってしまったのです。村人たちの中には、愛する主人を失った悲しみのあまりにどこか遠くへ走り去って行ってしまったのではないか、なとど涙する者までいたくらいでした」

「よく聞く話です」

「ですが、そうとばかりも言っていられなくなりました。叔父の葬儀も終わってしばらく経った頃、夜な夜な森の奥の方から、悲しげな犬の遠吠えが聞こえてくるようになったと言うのです。さてはあの犬が帰ってきたかと、昼間に何度も村人が森の中を探してみたのですが、犬の姿はおろか、そこにいたという形跡すら見つけられません。もしや、あれは伝説のバスカヴィルの魔犬ではないか、村人たちはそう囁き合うようになったのです」

「あなたもそう信じておられるのですか」

「無論、私はそんな迷信など信じませんでした。ですが、ある日用事があってかなり遅くなり、暗い夜道を一人歩いて帰らねばならなくなりました。館の辺りは昼間でも人気が少ないのですが、月のない夜道はことさらに心細く感じられました。不意に背後に人の視線を感じ、慌てて振り向いてみましたが誰も居りません。気のせいかと思って足を進めるのですが、また人の気配を感じました。私はついにたまらなくなって急ぎ駆け寄ってみましたが、やはり誰も居りませんでした。しかし、私はそこにはっきりとした痕跡を見つけたのです」

「足跡ですか?」

「ええ、足跡です」

「男のものでしたか、それとも女のものでしたか?」

ヘンリー卿は私たちの顔を見て少しためらい、声を落としてほとんど囁くように答えた。

「ホームズさん、それが実は大きな犬の足跡だったのですよ!」

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