ザ・グレート・展開予測ショー

フォールン  ― 16 ―


投稿者名:フル・サークル
投稿日時:(05/ 6/13)




「せんせえっ、せんせえっ、せんせえっ、左手と右手、どっちがより拙者らしいでござるかっ?」

 横島の眼前に突き出されたシロの両手は片っ端から買い集められたリングやバングル、リストバンド、そしてネイルアートで凄まじい事になっていた。とても何かを考えたとは思えない満艦飾の組み合わせ。

「あーーー、どっちもとてもお前らしーよ。ばか犬丸出しで」

「狼でござるようっ」

 何だかズレたポイントでむくれるシロの頭も、雑誌に紹介されていた美容室でセットしてもらったとかでかなり派手にアレンジされている。

「あら?でも・・・結構イイんじゃないかしら?」

「「―――えええっ!?」」

 ルシオラの言葉に横島とおキヌは彼女を凝視する。

「ほらほら、ルシオラどのは分かって下さるでござるよ」

「・・・・・・マジで?」

 得意げに胸を張るシロと対称的に、どーゆーセンスしとんねんって表情の横島だったが、ルシオラは構わずシロの手を取り自分の目の前に持って来る。

「シロはとにかく髪の色で目立つから・・・今日は特に。それで、服の感じもボーイッシュって言うかかなりワイルドでシンプルだし、手元がヘヴィだとバランスはいいと思うの。ただ、やっぱり少し多過ぎるから・・・これとこれは・・・」

 そう言いながらシロの手のアクセサリーを外したり入れ替えたりしてると、次第に見栄えの変化して行くのが横島にも分かる程だった。

「せんせえっ、今度はどーでござるかっ?カッコ良くなったでござろうっ」

 再び満面の笑顔で、ルシオラにコーディネイトされた両手の拳を横島に向かって突き出すシロ。

「あ、ああ・・・それにしても・・・そーゆーの詳しいんだな、お前」

「え?・・・うーん、私もあまり知らないわよ?少しは人間界の雑誌も読むけど・・・思ったままやってみただけ。慣れてるのかな・・・妹達がいたから」

 横島はその答えに納得しながらも、少し気になっていた事を思い出す―――ルシオラは最近、シロやタマモに妹のイメージを・・・もっと具体的に言えば、ベスパやパピリオを重ねて見ているのかもしれないと言う事を。



「あっ・・・ちょっといいですか?待ってて下さい」

 横島同様、半ば呆気に取られ半ば感心してルシオラの手際を見ていたおキヌが、ふと脇に注意を向けてから3人にそう言って駆け出した。
 その向かう先には4、5才ぐらいの子供が立っている。涙に濡れた真っ赤な顔でキョロキョロと辺りを見回していた。
 おキヌは子供の前に来るとしゃがんで、にっこりと微笑む。

「こんにちは。どうしたの?お父さんとお母さん、はぐれちゃったのかな?」

 子供はおキヌの顔をしばらくじっと見つめてから、小さくこくりと頷いた。

「お姉ちゃんが一緒に探してあげるから、もう泣くのやめましょうね。・・・どこではぐれちゃったか、教えてくれる?」

「わか・・・らな・・・い・・・」

 少ししゃくりあげながら答えると子供は顔を上げ、ある方向を向いた。

「あの辺、なのかな?」

 子供は再び頷く。通行人が子供に語り掛ける彼女を、何か嫌なものを見たように一瞥して通り過ぎる。
 横島はおキヌの見た方向を確かめる――大き目の交差点、その片隅にある立て看板。

『死亡事故発生現場
4月20日午後6時10分頃、家族3人乗りの軽乗用車が右折して来た前方不注意の大型トラックに巻き込まれ車は大破、乗っていた家族は全員死亡すると言う事故が当交差点にて発生しました。』

「それ・・・と・・・」

「ん?どうしたの?」

「・・・・・・くつ」

 子供はうつむいた。見ると片方の靴がない・・・真新しいスニーカーだった。

「あら本当。こっちもなくしちゃったの?」

「お出かけして・・・パパとママが・・・かってくれたの・・・かってくれた、ばかりなの・・・」

「うんわかった。ちょっと、待っててね?」

 おキヌは交差点の看板へと歩いて行った。看板の下には花束と線香、缶ジュースやお菓子などのお供え物・・・それらに埋め尽くされて片方だけのスニーカー。
 拾い上げて見ると血痕がべったりと付着していた。一瞬悲し気な表情を浮かべたおキヌだったが、すぐさま笑顔を作り直し、子供の所へと戻る。

「見つけたよ、ハイッ」

 彼女の手にあるスニーカーに子供は顔をぱっと輝かせた。おキヌは子供の足に、その靴を履かせる。

「これで両足揃ったね。うんっ、ステキだよっ」

「おねえちゃんすごい、どこでみつけたの?」

「お姉ちゃんに任せておけば何だってすぐ見つかるんだから。お父さんもお母さんもすぐ呼んで来てあげる」

 おキヌは自分のバッグから細長い棒状の包みを取り出した――彼女の、彼女だけのオカルトアイテム「ネクロマンサーの笛」

「もうすぐ来るから、ここで一緒に待ってようね・・・その間、お姉ちゃんの笛聴いててくれるかな?」

 行き交う人々で混雑するその歩道に、彼女の笛の音が響いた。
 子供の幽霊だけではなく、通行人の何人かも足を止め、魅入られた様におキヌの演奏に耳を澄ます。そして、二人を見守っていた横島とシロとルシオラも。
 やがて子供の幽霊が光に包まれながら、宙に浮かび上がるのが見えた――“迎え”が来たのだろう。
 ぱたぱたと走る子供の姿は、拡散する光を残して掻き消えた。



「ごめんなさーい、待たせちゃったね」

「いやいや、心に染み入る立派な笛の音でござったよ」

「少しもの悲しかったけどすごく綺麗だった・・・本当に、魂に伝わる音ってああいうのを言うのね」

「何つーか・・・ああ言うとこって、おキヌちゃんだよなあ・・・」

「――横島さん・・・!」

 おキヌは顔を赤らめながら、抑えた声で横島を咎めた。しかし、横島は構わずに言葉を続ける。

「俺も何となくは気付いてたんだ。けど、見過ごしちまっている・・・仕事でもないのに実害のない霊なんて構おうと思わないからな・・・。何かしようとしたってもっと手荒く、事務的に“片付けようと”するだろう・・・」

 今度は彼が顔を赤らめ、頭を掻きながら答える。

「でも放っといたんだ、薄情かな?余裕がないのかもな・・・あそこであの子を見つけて、あんな風に導いてやれたのは、おキヌちゃんだからなんだよ」

「私・・・だから、ですか?」

「そうだよ。だからおキヌちゃんは・・・世界でも特別な、誰にも替われない様なGSになる・・・そう思う」

「横島さん・・・」

 おキヌはうつむく。横島の言葉は彼女のアメリカ・ニューイングランド留学を念頭に置いたものだった。

「おキヌちゃんが自分の人生を掴めて、俺も嬉しいんだ。おキヌちゃんだからこそしたいと思える事がある・・・おキヌちゃんだからこそ出来る事がある。だから、頑張って来てほしい・・・」






「違う・・・ヨコシマは薄情なんかじゃない・・・」

「えっ?」

 これから事務所に戻ると言うおキヌ達と別れ、二人はしばらく通りを歩き公園の地下にある駐車場――何を動力にしているのか分からない、あのルシオラの車が停めてある――の入口まで来る。
 その時、ルシオラがふいにそう口にした。

「そおかあ?でもやっぱ・・・あの子供の霊にしたって」

「それは、おキヌちゃんがいたから・・・いち早く動くって分かってたからだよ。もし、おキヌちゃんがいなかったら・・・確かに最初は見過ごしてそのままにしちゃうかもしれない・・・だけど、必ず最後に戻って来て、ヨコシマはあの子を助けたわ」

「それは買いかぶりだよ。俺はそんな・・・」

 数台続けて並んだ車の端、柱の脇にルシオラの車はあった。主の戻る気配を察知したのかボンネットが僅かに開き、中にいる何かが「キイイッ」と鳴く。
 その何かに「今日もお願いね」と一声掛けると、運転席へ向かって歩き出す―――かに見せかけてクルッとターンすると横島の前に向かい合って立っていた。
 突然の事だったので横島はびっくりする・・・真っすぐ向けられた彼女の視線に胸が早鐘を打ち始めた。

「だって、お前は・・・私を見つけてくれたわ。逆天号の上で千載一遇のチャンスも棒に振って、あの隠れ家での夜だって・・・私の事、ちゃんと見ていてくれた・・・助けようとしてくれた・・・・・・そう、“あの時”だって」

 ルシオラは、さっと周囲に注意を払った―――入口の奥に係員が一人。横島の手を引くと柱の陰へと回り込んだ。
 彼の背中を柱に押し当てる形で身体を寄せ、もう一度周囲を見る―――誰も見えない・・・誰からも、見えない。

―――あの時・・・・・・あの・・・時・・・・・・?

「やっと・・・二人っきりになれた・・・っ!」

 言うやいなや、ルシオラは横島の頭を両手にかき抱くと、唇を重ねて来た。
 何度も繰り返される、激しいキス。
 絡み付かせる様に舌の動きを合わせながらも、横島は目まぐるしくも朧げな“あの時”の記憶を思い出そうとする。

あの時・・・東京タワー・・・至る所で活性化し騒ぎ出す悪霊・・・コスモプロセッサ・・・死にかけた俺・・・送り出す笑顔・・・・・・あれっ・・・?

 思考がまとまらないのは、唇と舌からの痺れる様な感覚のせいばかりだろうか―――――?






「わりーーなー・・・ったく、少し高い店行くとコレだ。俺がオゴるどころか、半分以上お前出してるし」

「いいのよ、私は奢って欲しかったんじゃなくヨコシマと来たかったんだから。でも、そろそろ美神さんに給料上げてもらった方がいいと思うわ・・・デートとかじゃなく、いつものご飯食べるのにも足りてないでしょ?私みたいに砂糖水だけで間に合う訳じゃないんだから」

「我ながら、よく毎月生きてたよなーと・・・まあ、タダメシも多かったからな・・・」

「もし、交渉が一人じゃ難しそうだったら私からも一緒に――――色気に負けて、妥協しちゃダメよ・・・・・・?」

「ハハッ・・・アハハハハハ・・・」

 駐車場を出てしばしドライブの後、二人は六本木ヒルズまで来ていた。ルシオラのリクエストした店で食事を取り、二人は屋上に登る・・・勿論、無許可で。
 風は強かったが、見渡す夜景は最上階の展望スペースよりも広く、鮮明に感じられた。

 ルシオラは広がる夜景の中、ある一点を眺めている――その視線の先にはイルミネーションで彩られた赤い鉄塔が間近にそびえていた。
 “あの時”にはまだ完成していなかったこのビルは、最も東京タワーに近い高層建築物の一つだと言えるだろう。

「東京タワーは・・・変わらないわね・・・」

「あ、ああ・・・」

「人間界で暮らし始めてからも、よくあそこに登って夕焼けを眺めてた・・・と言っても、この前も登ったわね」

「そーだな、あんまり過去形じゃねーな」

 苦笑いしながら横島が答える。ルシオラも彼に顔を向け、照れ臭そうに微笑んだ。
 そして再び夜景に・・・東京タワーに視線を戻す。

「そして・・・“あの時”も私達はあの場所にいた・・・・・・」



―――ズクンッ・・・

 ルシオラが回想を呟いた時、横島のこめかみが脈打った――さっき、屋根裏部屋で感じたのと同じ鋭く早い痛み。

「夕方じゃない、こんな感じの地上がやけに明るくて空には星も月も見えない夜だった・・・でも私はヨコシマに霊体を分け与えた後、力尽きて、一緒に見た夕焼けを心の中で見ていた・・・その時だった、お前が戻って来たのは」



―――ズクンッ・・・ズクンッ・・・

 さりげなく指でこめかみを押えつつ、横島は“あの時”の事を思い出そうとする――駆け付けた時、今にも消えそうだったルシオラ。
 彼は文珠で彼女の霊体の崩壊を一時的ながら止めてパピリオ達の到着を待ち、彼らにルシオラを託した後、アシュタロスとの最終決戦に赴いた――
 それを"思い出そうと"すると、何故か頭を横切る不快感はますます強くなる。

「ああ、やっぱり気になっちまってな・・・またドヤされるんだろなーとか思ってたら・・・」

「気付かなかったでしょうけど、やっぱり怒ってたのよ私。向こう大変なのに早く行かないと駄目じゃないって・・・でも、私が消滅しない様に応急処置してから随分遅れて行って・・・結局それでどうにかしちゃったんだものね」



―――ズクンッ・・・ズクンッ・・・

 痛みは止む事もなく、特定の感情を呼び起こす―――焦燥、不安、違和。
 いや、痛み・・・その感覚自体がそれらの感情で形作られていると言ってもいいだろう。

 何に焦るのか・・・何が不安なのか・・・何が、違うと言うのか。

 横島はそれらの感情を頭から振り払おうとした。痛みは少しだけ退いた。
 疲れてるんだ・・・タマモの言う通り、ここしばらく仕事か部屋でゴロゴロするばっかりで、こうして二人でデートするなんて事もなかったから、ストレスやら申し訳なさやらが溜まっていたのかもしれない・・・いや、そうなんだ。

 自分に言い聞かせる様に。

 気分を落ち着かせようと彼は、傍らの気配と温もりを意識しながら、夜景に目を向ける。 
 しばらく一緒に鉄塔を眺めていた横島だったが、ふと思い出し、彼女の横顔に尋ねた。

「あのさ・・・パピリオやベスパとまた一緒に過ごしたいと思ったり・・・するか?」

「・・・どうしたのいきなり?」

「いや、お前がシロやタマモと仲良くしてんの見ててさ・・・お前面倒見いいし、アイツラも何だかんだでお前を慕ってるみたいだし・・・それはそれでいい事なんだけど・・・何となく思ってたんだよ、妹達に殆ど会えなくなって本当は寂しいんじゃないかって」

 ルシオラは少し目を細める。東京タワーよりもっと遠くを見る眼差し・・・例えば、人間界ではないどこかとか。

「そうね・・・あの子達は生まれてからずっと一緒に過ごして来た、唯一の仲間で家族だった」

 しばらく経って返って来た返事は、あっさりとした肯定。
 アシュタロスとの戦いの後、彼女達三姉妹は離ればなれとなっていた・・・妙神山へ復旧の手伝いを兼ね修行に行ったパピリオ、魔界正規軍に入隊したベスパ・・・そして、ルシオラだけが人間界に残った。
 妹達と全く音沙汰がない訳ではない。人間界での自由行動が取れないベスパからも時々手紙が届くし、パピリオも一年に一・二度くらいは小竜姫と一緒に遊びに来る・・・・・・だが、それだけだ。

「でもそれぞれ思う所があって別々の道を選んだ訳だから・・・会えなくなる別れじゃないわ」

 彼女の眼差しが再び眼下の街並に戻って来た。間を置いて言葉が続く。

「それに、ここにいるみんなだって私にとって家族みたいな人達で・・・ううん、そういう事じゃないわね・・・・・・ここには、お前がいるから」

「え、えっ・・・!?」

 急に話題の矛先が自分に移り、横島は少し慌てて聞き返した。
 彼の動揺と対称的に、ルシオラは穏やかに笑って横島を見返す。

「私は、ヨコシマと一緒になりたくて、ここに残る事を選んだ。それでいい。今の私には、ここにヨコシマがいるって事が何よりも大事なの」



―――ズクンッ・・・ズクンッ・・・
―――嘘だ

「ねえ知ってる?私はヨコシマがいるから強くなれるんだって・・・人間達と暮らしてくのって本当に色々、良い事ばかりじゃなく色々あるけど・・・お前の事を思うとそれだけで全部平気になってしまうの・・・・・・そして、ヨコシマといる為にもっと強くなれる・・・不思議なくらい」



―――違うだろ

・・・いいや、嘘じゃない・・・違わない



―――ズクンッ・・・ズクンッ!・・・ズクンッ!
―――ズクンッ・・・ズクンッ!・・・ズクンッ!



「ヨコシマ・・・私、今とっても幸せなの・・・言葉で言い表せないくらいお前の事が・・・」

 手を握られる感触。ずっと忘れないあの小さくて柔らかい手のひら。
 近付いて来る・・・寄り添って来る気配。



―――いいや、嘘だ・・・いや・・・夢だ。
―――だって本当は・・・



・・・やめろ



「ヨコシマ・・・ねえ、ヨコシマ・・・・・・」



―――ズクンッ・・・ズクンッ!・・・ズクンッ!

―――ほら・・・もう目が覚める

・・・やめろ・・・・・・やめろ・・・っ!



ズクンッ!ズクンッ!ズクンッ!
ズクンッ!ズクンッ!ズクンッ!
ズクンッ!ズクンッ!ズクンッ!



―――駄目だ。これが現実だ。だって俺はあの時・・・

・・・やめてくれ!・・・・・・お願いだ!

・・・俺は目覚めたく、ない・・・!



 そして・・・・・・ルシオラは



     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・


「―――――――――っっ!!」



     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・


















 横島は、目を開いた―――目を、開いてしまった。

 僅かな光に照らされるばかりの、暗く殺風景な仕分けスペース。薄汚れたコンクリート。ベルトコンベアーなどの機械が縦横に敷かれたままで放置されている。
 何故、目を開けちまったんだ――横島の脳裏を鈍く後悔が横切った。
 荷物の分類用らしき長い台の上にマットを敷き、その上で横たわっていた彼は、のろのろと身を起こす。



・・・・・・ぐらり

 台から降りようとした時、床が傾くのを感じた。着地すると同時に膝から崩折れる。

「あ・・・あ、わ・・・・・・」

 実際には、どこも傾いたりなどしていない。彼にそう感じられただけだ。
 彼の足元の地面は、傾斜を増しながらゆっくりと回り始める。
 遊園地みたいだ。彼はそう思った。先々月アイツと一緒に行った遊園地で乗った、回転するティーカップをもっとゆっくりにした様な―――

 違う。

 俺はティーカップに乗ったりなんかしていない。遊園地になんか行かなかった。
 アイツと一緒になんかじゃない。だってアイツはここには。

 違う。

 行っただろ・・・アイツと二人で。ほら自分でも気付いてなかったみたいだけどさ、アイツ昆虫系の妖怪だから人間よりもぐるぐる回るモンに弱かっただろ・・・ソッコーで目、回しちゃってさ・・・大変だったろ?

 違う。

 何が違う?いいや何も違わない。おかしな所なんか、何一つない・・・全く同じ現実じゃねーか。

 違う。
 だってアイツは。

 違わない。
 だってアイツは。

 靴も履かずに横島は引きずる様な足どりで歩き出す。傾き揺れる床はコンクリートであるにも関わらず、何だか妙にブヨブヨして感じられた。

 ・・・そうさ、呼べば良いんだよ。アイツの名前を。
 すぐ近くでアイツが返事してくれるから・・・そこの裏手から、少しびっくりして、少し心配そうな顔を浮かべながら姿を見せるから。

「・・・・・・ルシ・・・オラ・・・」

 そうすれば、そんなワケのわからん妄想はキレイさっぱり吹き飛ぶだろ?
 ―――「ルシオラがいなくなってしまった」なんてさ。

「・・・・・・ルシオラ・・・っ!?」



なあに?いきなりどーしたの、ヨコシマ?



 応える声はない。
 暗がりの中、彼自身の声だけが反響し、再び静寂が戻った。

「あ・・・・・・・・・・・・」

 横島の意識の表面にようやく浮かび始める――いいや、知っていた。目を開いた時に気付いていた。



 これこそが現実だった。ルシオラはいない。
 “あの時”の後に彼女と過ごした日々などない。

 ―――どこにもない。
 ―――全て、夢だったのだ。



 いつからいないのか、何故いないのか・・・・・・いつまでいないのか。



「あ・・・うあ・・・あ・・・」

 彼は駆け出した。あちこちぶつかりながら、床に散乱するコードやダンボールに足を取られて転びながら。
 機械と機械、機械と柱の間を縫って裸足のまま、よたよた走る。

「あああ・・・・・・ああああっ!」

 何度目かに転んだ時、横島は自分の足に絡んだダンボールを掴み寄せると、その上面を一気に破った。その中に詰まっていたのはどこかの会社のパンフレットの束。彼は次々とそれらを周りに放り投げ、あらかたなくなると首を突っ込む様に中を覗き込んだ。
 箱の中だけではない。今度は箱をびりびりと裂き始め、ダンボールの断面――その隙間まで凝視する。彼が何かを探しているのは明白だった。
 一通り覗き込み、ダンボール箱であったそれも脇へと投げ捨てる。彼は前方にある木箱を見た。
 木箱に這い寄り飛び付くと、その蓋をこじ開けようとする・・・何かで固められ開かないと見るや、拳を作り何度も打ち付け始める。

がんっ、がんっ、がっっ・・・がっっ・・・がっっ・・・

「ふうっ・・・うう・・・ふっ・・・う・・・」

 拳の皮が切れ血が飛び散るのも構わず何度も腕を振り上げる――霊波や文珠の使用も思い浮かばなかったのか。
 やがて鈍い音を立てて木板の中心が割れた。そこに手を掛け、左右にむしり取って行く。
 木箱の中には何も入ってなかった。しかし、横島はその空っぽの箱から何かが飛び出して来たみたいに後ずさった――彼から見ればその箱には・・・その箱にも・・・ぎっしりと詰まっていたのだ。

 「この世界に彼女はいない」と言う事実が。



「―――ああああああっ!!」

 横島の血まみれの右手には過剰に霊波が収束し、ハンズ・オブ・グローリー・・・と呼ぶにはいささか肥大し形の崩れた何かが形成されている。
 振り絞る様な絶叫と共に、それが目の前のベルトコンベアーに思い切り叩き付けられた。
 炎を吹き上げ部品や金属片が舞う。熱を持っている残骸を、触れた所の皮が貼り付いて焦げるのも構わずに、掻き分け、執拗に覗き込む。
 しばらく覗き込んだ後、横島はその鉄屑を一気に横薙ぎにした。



   微笑んではくれない。
   抱き締めてキスしてはくれない。
   何も話しかけてはくれない。
   姿を見せてはくれない。

   愛してはくれない。

   ここにいてくれない・・・・・・



 モーター、シャフト、操作機器、それらが丸ごと瓦解しながら宙を舞った。
 横島は見開いた目のままその向こうへと突進する。
 目に写るものを片っ端から吹き飛ばし、柱も、床も、壁も引っ掻く様に抉り取る。



 認めるな・・・認めるな・・・認めるな・・・
 粉砕しろ・・・嘘を暴け・・・
 アイツはここにいて・・・隠されているだけなんだ・・・・・・



 ―――まさか。アイツはいない。あの時からいない。
 お前の命を救って、他の女を助けに行くお前を見送って、一人で消えてしまったんだ。

 お前のせいだ。お前のせいだ。かわいそうなルシオラ。あんなにお前を愛していたのに。
 他の何よりもお前を大事にしてくれたのに。そんな娘、他に現われやしないのに。

嘘だ嘘だ嘘だ

 どんな夢を見ようとアイツは戻らない。
 アイツの霊体は四散し、復活のチャンスだった結晶は壊れた・・・お前が自分で破壊した。
 平和が戻ったってそれらは戻らない。二度と戻らない。

 “いつまで?”・・・笑わせるなよ・・・“いつまでも”に決まってる。

嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嘘だ

 お前の苦痛を慰め癒す誰かなどいない・・・お前にそんな事をしてやる筋合いの誰かなどいない。
 そもそも、そんな事があって良い筈ないだろ?そんな事を望むのが許される筈ないだろ?

 「どうせ後悔するなら」、アシュタロスがくたばってから――お前はそう言った。
 ――つまり、こういう事だ・・・今、後悔しろ。思う存分後悔しろ。死ぬほど後悔しろ。
 安らぐ場所もなく後悔し続けろ・・・お前がそれを選んだ、そうなる事を望んだのだから。

 ・・・・・・アイツがどこにもいないこの世界で・・・一人っきり・・・こうなる事を。



「あーーーーーー!!あーーーーーーーあーーーっ!!
あーーーーーーーーー!!あーーーーーーーーっ!!
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」



 咆哮はやがて鳴咽へと変わる。
 煙と埃、細かな破片、飛び散る霊波が辺り一面に漂う中、足元の床をガリガリと削りながら横島はひざまずいて突っ伏していた。

「あーーー・・・う・・・ぐ・・・ああ・・・ひぅ・・・・・・」



 毎日の様に繰り返される、幸せな・・・幸せの夢。
 彼の現実を苛む夢。

 そこではもう一つの日々が続いて来た。
 ルシオラのいる、彼女と共に過ごして来たもう一つの日々が。

 そして、毎日の様に目覚めて突き付けられる――彼女がいない現実を。
 彼女を見殺しにし、そのもう一つの日々を葬り、ただ一人狭間に浮かび続ける自分自身の現実を。
 彼にとって、「彼女の不在」は世界中のあらゆるものに・・・自らにさえ充満するものであり、彼の意識はそれによって圧迫され続けていた。

「ひ・・・ぐ・・・・・・ううっ・・・え・・・あ」

 今や、熱も冷たさも、光も闇も、匂いも音も静寂も空気も汗も地面も頭上も時間の流れも・・・「彼女の不在」を内包する世界の全ての要素が、不快な粒子となって押し寄せて来る。
 自分自身の記憶・・・自分自身の存在すらも・・・「まして」と言うべきか。

 外から――そして内側で、それらは増殖し・・・彼を今にも食い破ろうとしている。
 精神も、身体も。



 身体中をのろのろと掻きむしりながら声を詰まらせて泣いている彼に、異変は突然起こった。
 
ごぼごぼっ・・・・・・

 横島の口から泡の様な音が響き、次の瞬間殆ど胃液の吐しゃ物が口と鼻から同時に溢れ出る。
 先ず膝が折れ、両手を床について四つん這いになり、最後に顔を下に向けて吐しゃ物を床へと撒き散らしていた。

びしゃっ・・・びしゃびしゃびしゃっ・・・

「げぼっ・・・ご・・・が・・・うう・・・・・・げへぇっがあっ・・・・・・ひ・・・ひあ・・・」

 初め僅かに・・・やがて胃液以上の量で、吐しゃ物に赤いものが混じり、床を染め始める。

「かはぁーーーっ・・・けへぇーーーーっ・・・はあーーー・・・はっ・・・」

 肩や背中をびくびくと震わせ、口元からTシャツの胸までを汚しながらも、横島は顔を上げた。
 その顔はしっかり前を向いていたが、そのぎらついた目はどこも見てはいない。



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「やはり、行ってみるべきだろう・・・横島氏は嘔吐される事も多い・・・喉に詰まらせている可能性だってある。それにコンクリートや鉄の破片で負傷する事だって・・・」

 身じろぎもせず階段入口の向こうの闇と静寂とを凝視していた二人だったが、神内が抑えた声でそう言うと、タイガーは肩の力を抜いた。

「お、おう。そうジャ・・・そろそろ横島サン、我に返っとる筈ジャケン・・・いつもなら・・・」

 階段へ向かって歩き出そうとした二人だったが、その足は二、三歩ばかりで止まった。
 ・・・足音もなく目の前に、階段入口から横島の姿が現れたからだ。
 横島は感情の浮かばぬ顔でじっと二人を見据えながらそのまま近付いて来る。
 神内は少し慌てながらも姿勢を正し、いつもの含み笑いを口元に浮かべて見せた。

「こんばんは横島さん。昨日の今日ですが、お邪魔してますよ。今日からは計画も大詰めかと思われますので・・・」

「横島サン、もう起きても大丈夫なんですかいノ?いつもより“戻る”のが早い・・・まだ夜ジャケン、こいつとか気にせんでも・・・」

 タイガーも心配そうに・・・また、横島の具合が普段よりも良さそうな事に安心して声を掛ける。
 横島は二人の言葉に何の反応も見せず、ただ距離を詰めて来る―――二人を見る目に正気が宿ってない事・・・右手に霊波が集まり、ハンズ・オブ・グローリー出現の構えを取っている事にタイガーが気付いたのは、彼との距離が2mを切った時だった。



 どこか虚ろな目で二人を見据えながら、横島は尋ねた。

「―――――なあ・・・ルシオラどこだよ?」



次の瞬間、横島は二人に飛びかかり右手を一閃させていた。神内を脇へ突き飛ばし、かろうじてその一撃を受け止めるタイガー。
 一撃、また一撃。一撃。一撃。身体に染み付いているのか、右手を振り回しているだけに見えてもその攻撃は的確だった。

――ビュオッッ!―――ドガドガドガドガッ!!

「あぁあああああああああっ!」

「――――ぐぅ・・・おお・・・・・・っ!」

 防ぎつつも、圧されて行くばかりのタイガー。やがてバランスを崩し転倒した所を、横島に踏みつけられる。

「どこにもいねーんだよ・・・おかしいよな?なあ、おかしいよな?どこだよ・・・どこに隠したんや?何でそんな意地悪するんや?返せ・・・返せよ、この野郎!!」

「ち、違うんジャ・・・・・・がぁっ!」

「う・・・わわっ!?」

 タイガーを踏む足に重圧を掛けながら、横島は四方の空気を切り裂き、床の表面を抉り取って行く。神内は声を上げながら慌てて伏せた。

「どこだあーーーっ!?返せ!返せ!・・・・・・返せ返せ返せ返せ返せえええっ!!」



ガッ・・・パラッ・・・パラパラ・・・・・・

 辺りを埃が舞い、砂粒状の破片が家具やベッドにも、三人の上にも降り注いでいる。

「いない・・・こっちも・・・そこにも・・・いない・・・いない・・・ふざけんな、そんな筈は・・・・・・ああ、そっか」

 横島は呆然と自分の破壊した場所を見回していたが、何かに気付いた様子で動きを止める。そして、足元のタイガーを見下ろして勝ち誇ったように・・・とても嬉しそうに笑った。

「・・・そこだ」

 再び霊力を手元に集め霊波刀を出した横島の笑顔は、タイガーの巨体に向けられていた。
 その言葉と態度の意味を理解したタイガーの背筋が凍り付く。
 力づくで起き上がろうとするが、横島に肩を踏み抜かれ再び床に貼り付いてしまう。

「返せよな・・・どこに隠したって、無駄なんだからよ。絶対に見つけ出すんだ・・・俺からアイツを取り上げるなんて・・・絶対に、絶対に、無駄なんだよ・・・っ!」

「―――――やめろっ!」

 横島は霊波刀を振り上げた手を止め、ゆっくりと側から叫んだ神内に視線を向ける。
 それまで彼の動きしか見ていなかった神内は、ここでようやく今の彼の目を見て、言葉の通じない、"交渉出来ない"相手である事を悟った。

「そうか・・・てめーが・・・?――――てめーが!俺からアイツを隠してやがるんだなっ!?」

 タイガーから離れ、こちらへと目標を変えて接近して来る横島に、神内はひっと喉の奥で悲鳴を上げた。霊的戦闘力の全くない一般人である神内が霊波刀やハンズ・オブ・グローリーを食らえば一たまりもない。

 しかし、タイガーはその隙を見逃さなかった。起き上がり、神内へと向かって行った横島に背後から組み付く。今まさに神内を掴もうとしていた横島の身体は神内から離れ、床へと押え込まれた。
 両腕を背中に固定された状態では霊的攻撃も殆ど無理であり、腕力だけでは横島はタイガーにとても敵わない。

「横島サン横島サン!わっしです!横島サンっ!?落ち着いて・・・落ち着いて!まずは呼吸を・・・」

「―――ああああああああーーっ!!があああああああーーっ!!」

 じたばた動く膝下以外全く身動き出来ないにも関わらず、横島は渾身の力でもがき、床に押し付けられた顔で眼前を見据えて咆哮を繰り返していた。



 その視線の先で神内はへたり込んでいた。彼の目を見て・・・そこに宿るものに圧倒され微かに震えながらも、やがて笑い始める。

「ククク・・・クク・・・ハハ・・・アハ・・・アハハハハハハ!これだ・・・!横島さん、貴方は本当に素敵な不協和音ですよ・・・。僕のシナリオさえ圧倒する情熱と混乱・・・恐ろしく・・・そして愉快だ!全てを手にするのが僕でも、その全ては貴方を中心に回っているべきだ・・・ハハッ、君もそう思わないか?」

「・・・・・・お前は、黙っとれ・・・っ!横島サン!横島サンっ!」

 神内に吐き捨てながらもタイガーは手元の横島に言葉を掛け続けるが、彼の錯乱は収まる気配がない。

「あああああっ!ああああああああっ!」

「ハハハハ・・・・・・ハハハハハハハ・・・ッ!」



 薄暗く長い通路の中、横島の動物的な叫びと神内の哄笑とがしばらくの間、響いていた。









   ― ・ ― 次回に続く ― ・ ―


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