ザ・グレート・展開予測ショー

〜 『キツネと羽根と混沌と』 第31話 〜


投稿者名:かぜあめ
投稿日時:(05/ 6/ 3)


夕闇に広がる冷たい空と、彼女の染まった奇妙な灰は…ひどく不似合いで、それでいて、とても寂しげなものだった。
ぼんやりと見下ろす街の景色に、少しずつ闇が溶けてゆく。髪を揺らす風からは、硝煙と血の匂いがただよっていた。

「……横島?」

澄んだ声。
ガレキに腰掛けていた横島は、のろのろと小さく顔を上げる。そのヒザ上で寝息を立てる、灰の天使を抱えたまま…。
安らかなはずの彼女の寝顔は……しかし、泣き顔にしか見えなかった。

「…となり、座ってもいい?」

ためらいがちなタマモの視線を怪訝に思う。どうしたというのだろう?別段、断りを入れるようなことでもないと思うが…。
それとも、今の自分は彼女にまで心配をかけてしまうほど、情けない顔をしているのだろうか?

(そうなのかもな………)
苦笑を浮かべ、横島はゆっくり頷いた。言われた通り、すとん、と腰かけるタマモの姿に……少し吹き出す。
理由は分からない。しかし自分は…もしかしたらその時、彼女に何をしゃべりかけていいか、分からなかったのかもしれない。

「終わったのよね…。今度こそ…」
「…だな。なんか、色々後味悪いけど…」

気だるげに頭をかきながら、ボソリと横島が声をもらす。無人の街の非常灯が、ぽつぽつと明かりをともし始めていた。
そのさまは、まるで―――――――――

「せつねぇよなぁ…どーにもこーにも…」
それは、冗談めかしたつぶやきの声。ため息とともに覗きこんでも、ユミールは決して目覚めようとはしない。
このまま、2度と起き上がることなんてないんじゃないだろうか……昏い不安に、2人は思わず押し黙った。

「…これから、どうしようか。横島は、どうするつもり?」
「さぁ…な〜。やらなきゃいけないことが多すぎて、何から手をつけていいか、迷うなあ…」



「横島…?」

「ん?」

「横島は…大丈夫?」

「……あぁ」



目も合わせぬまま、タマモの指先が触れ、横島の手を強く握った。
横島は一瞬、目を見開くが……すぐに笑うと、かすかに頷き、その指先を握り返す。それは、夕闇に消えゆく街の景色…。
誰も知らない、ひとりぼっちの世界……。


――――――――…。


「…あの2人…いつも、あんななのかい?」

呆れたようにメドーサがつぶやく。遠巻きにユミールを……横島とタマモを見つめながら、彼女は小さく鼻を鳴らした。
人を置き去りにして、一体、何だというのだ…。なによりも、今の2人のやり取り。あれではほとんど……

「ああいう雰囲気になるのは…本当に時々ですけど。横島さん、普段は私たちの前で、弱音なんて絶対吐きませんから。」

寂しげな声音で、側に立つおキヌが首を振ってみせる。我知らず振り向いた先には……意外にも微笑めいた表情を浮かべる彼女の姿。メドーサは感心したように目を細める。

「へぇ…『もう、あきらめました』…ていうツラじゃあないね…」
「まだまだ、勝負はこれからだって思ってます。私は、横島さんのことが好きだから……自分の気持ちに嘘なんてつきたくないです…」

…そう言って笑うことのできる彼女に姿に、メドーサは一瞬目を奪われてしまう。たかが人間の少女に……。今日の自分は、どうかしている…。

「やれやれ…爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね…うちの大将に」
「え?」

「…褒めてるんだよ。いいから流せ」

ぶっきらぼうに言い放つと、メドーサは一歩を踏み出した。床に転がる、黒い刺叉を拾い上げ…
その顔に、険しげな視線をたたえながら――――――――…




「…おそらく、横島さんに追い詰められたあの時の力が、彼女本来の能力だったということなんでしょうね。
 過去数度にわたり使用してきた破壊的な霊波は、この魔族自らが生み出した、虚飾の仮面にすぎなかった…」

不意に…。
頭上から小竜姫の声が響く。こちらの様子を見守る、美神たちからは大分離れた位置。いつの間にか近づいていた彼女の影に、横島は戸惑う。
「虚飾…?」
タマモが引き継ぎ、眉根をよせる。小竜姫は笑みを浮かべたまま…

「横島さんなら分かるんじゃないですか?微弱な霊波を強力なソレへと変貌させる手段。どうして増幅干渉を解除すると同時にユミールの力が急激な低下を見せたのか…」
「?」
「霊波同調ですよ。彼女は自らの波動をぶつけ合い、力を高めていたんです。文珠ほどの絶大な効果は期待できないものの、持続時間は半永久的。
 文珠の力は、その効力さえかき消した…」

その瞳に、わずかに霞んだ蔑みの色。小さな奇異に、横島は猛烈な違和感を覚える。
止める間もなく、小竜姫はユミールの肩を包みこみ……

「…治療をしなくては…ね。私の霊力を、彼女に送り込みましょう」
「え?ちょ…ちょっと待ってくださいよ!小竜姫さま…!」

「……なんです?何か問題でも―――――――――――――

―――――――言葉が途切れた。
瞬間、小竜姫の表情が、満面の笑みを保った形で硬直する。首筋にそえられた刺叉の先端。見下ろすメドーサを背後に認め、彼女は穏やかに口を開いた。

「何のつもりですか?メドーサ」
「……どうも妙だとは思ったが…。治療にかこつけて、小娘い何か細工でもするつもりかい?」

細工…。
そのうすら寒い残響に、横島は小さく息を飲む。小竜姫の口元から、嘲笑がこぼれる。

「…突然、何を言い出すかと思えば…。アナタはどんな根拠があってそんな……」
「利き腕。たしか小竜姫は右肩だったはずだ」
ヤケドを負った相手の左肩を指差し、即答する。睨めつけるメドーサの視線を前に、小竜姫の顔がさらに嗤った。

「ユミールとの戦闘で負った傷ですが…。これがどうしたっていうんです?」
「あたしらは剣術家だ…素人とは違う。とっさに何かあれば、小竜姫は利き手をかばう筈なんだよ。反射的にね…」
「…!」

女はかすかに目を剥いた。言いがかりを……無傷の左肩をさすりながら、忌々しげにそう呟き……
しかし次の刹那、広い講堂に人影が差す。


「…横島さん!タマモさん!早く『そいつ』から離れて!」
「―――――え…?な……」


…小竜姫だった。左肩を押さえ、部屋へと飛び込んでくるそのたたずまいは、間違いなく彼女の姿そのもので…。
横島はもとより、タマモまでもが驚きに2人の竜神を見比べる。
「…そこに居る翼人との戦闘の後、パピリオとはぐれてしまって……でも、これは一体…」
目の前に立つ自らの似姿に、小竜姫は顔を青くした。

思い出す。そう…一度だけあったのだ。似姿と小竜姫本人とが入れ替わることの出来る、その機会が。
何故、部屋に設置されたガーディアンは、先に侵入していた『小竜姫』に、何ら反応を示さなかったのか…。
何故、彼女は…知るはずのないユミールの名を、当たり前のように口にしていたのか……。その答えは―――――――――…

「…残念だったね。もう言い逃れは出来ないよ?」
メドーサが冷ややかな問いを投げかける。

……。
……………。

『…いつから、気付いていた……?』


それは、もはや見知った声ですらない。沈黙を破ったのは、甲高い女の声。突きつけられた刺叉の刃を意にも介さず、女は体を震わせる。
「はじめから。口調やしぐさは完璧だったが…あいつの性格を見誤ったね。あんな物騒な爆弾を目の前にぶら下げられて、小竜姫が誰かとの共闘を拒むわけがない。
 例えそれが、犬猿の仲のアタシであっても…」

…視界の隅で、『小竜姫』の顔が溶け落ちた。
人型が崩れ、白色の光を放つ液体が…ドロリと床に零れ落ちる。液体が壁面を侵食し…セントラルビルから溢れ出す、大量の光。それらは、瞬く間に大地へと染みわたる。

《…っ…ふふっ…私は、ユミールを殺せと忠告したはずですよ?横島忠夫サン……》

大地の底から鳴り響く、気だるげな声音。
夕闇に包まれた街の地表に、巨大な奈落が口を開けた。あまりにも巨大な破滅の空洞。否。それは空洞ではない……傷口だ。
切り裂かれた世界が、凄まじい勢いで血を噴き出す。グチャグチャと……どす黒い血漿が、街一帯を濡らしはじめる。


…おぞましい何かが、地の底から這い出ようとしていた。


「…!?この声…!お前、さっきの………」

《気付くのが遅すぎるんじゃないかしら?まったく人間の愚鈍さには、相も変わらず吐き気がしますね…。
 そして、私の忠告さえ理解できないお馬鹿さんには………罰が必要です》

身構え立ち上がろうとする横島の足首が、真っ赤な水面に浸される。
タマモが震え上がるその先で…その場に居合わせた誰もが言葉を失うその先で……周囲の光がくぼむ。一片の強大な光の前に、この世のありとあらゆる光が落ち窪んでゆく。

《…GAME OVER………》

病的なまでに白い、一本の巨大な腕が……大木のごとく、奈落のうちから突出した。
その幅はビルほどもあり、大地をかきむしる指先は、甚大ではあるものの、相対比で見れば、骨と皮のみの異常な細さ。
手のひらや二の腕の肉が次々に裂け、パクパクと上下に動き出す。
裂け目から生じたものは口。腕そのものに、無数の唇が貼り付いただけの、醜悪な異物。一際、長大な八つの大口が、幾重もの呪怨の言葉を撒き散らす。


『人間よ…』 
『卑小にして救い難き者たちよっ…』
『我ら旧き神々を忘却し、偽りに踊らされし愚か者どもめっ!』

『我は滅びの光』
「刻を逆しまに廻す者』

『ひざまずくがいい……我を讃えよ!』

『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
『キヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!』


――――――――…。


「…ぁ……ぁ…ぁ…」

体を抱いて、タマモがその場にうずくまる。震える彼女をかばいながら、横島は防御結界を作り出した。
…こんなもの、気休めにさえなりはしない。かく言う自分も、立ち込める霊気の強大さに、今にも気が触れてしまいそうだ。

「……くっ…もう少しだけ、我慢してろよ…っ…タマモ…」

3つの文珠の放つ、蒼白の光が、横島の体を包み込む。タマモを抱え、限界に近い加速を伴い、彼はその場を離脱した。
視線の端で、ユミールが白霧に飲み込まれてゆく。手を伸ばそうとした横島は………あまりにも隔たれた彼女との距離に歯噛みする。
長さにして、わずか10メートルと少し。しかしその間隔は、今の彼にとって絶望的なまでに遠い。

(…くそ…っ!)
苦痛に喘ぐタマモの顔を覗き込み……横島は強く地を蹴った。体が宙を浮き、飛翔する。
今は一刻も早くこの場所を離れなければ…。
霊的にニュートラルな位置づけであるはずの人間が……人間の霊体が存在を圧迫されるほどの霊圧。
『其処にただ居る』たったそれだけの行為で、人間など簡単に死の淵へと追いやってしまう……超高位の霊格。
闘う、などという次元の相手ではない。魔族であるタマモは、すでに奴の霊波に当てられ、霊体が崩れかけている。

―――――覚えていないかな?たしか、前世の君を殺したと思うんだが……
(この感覚…あのクソ野郎と初めて会ったときとまるっきり……いや、少し違うか……?)

《心配しなくても、腕以外を具現化させるつもりはないわ…。だってそうでしょう?必要ないし、これ以上はアナタたちを消し飛ばさない自信が無い…》

天空から荘厳な、そして邪悪な声が響き渡る。うそぶくその声には、絶え間ない狂気が、寄生するようにこびりつき……

《さあ…お逃げなさいな…。私はね、蟻を嬲り殺すのが大好きなのですよ、横島サン?
 一本ずつ足を引きちぎって、順番にプチプチと押し潰す………その感触の心地よさといったらもう……うふふふっ》

…一人でやってろっ!心のうちで怒鳴りながらも、横島の背筋を冷たい悪寒が駆け巡る。
上空から振り向けば、そこには深紅の大口を無数にまとう巨大な腕。ずいぶんと距離を稼いだつもりが、おそらくは未だ敵の射程圏内さえ脱していない。

「横島さん!」
「!小竜姫さま!?みんなも…無事か…」

小竜姫とメドーサに背負われる仲間たちの姿に、横島は安堵の息をつく。一応の危険域を抜けたこともあり、タマモの呼吸もようやく安定し始めていた。
体にのしかかる、あのとてつもないプレッシャーも今は薄い。

「…にしても、一体、何がどうなってんだ…。状況は?」
「タマモちゃんと同じく、こっちはシロちゃんが意識を失って危険な状態なの。これ以上ここに留まるのは危険だわ。」
問いかける横島に、シロ同様、メドーサの首筋へとつかまる美智恵が答えた。面白くないといった風ではあるが、メドーサも特にそのことを咎めはしない。

「……逃げるしかないってことですか。野郎…都心のド真ん中で好き勝手暴れまわりやがって…」

「ただでさえ桁の違う相手です。倒すことは考えないで、横島さん。今は、生き延びて体制を立て直すことだけを考えましょう。
 神魔界との連絡さえ取れれば…やりようは幾らでも―――――――」

「…生き延びることが出来れば、ね」

小竜姫の言葉を、メドーサがさえぎる。炎上する街の景色……珍しく何かに焦る彼女の顔を、全員が一斉に凝視した。

「実際、どうする?超加速が使える人材が私も含め3人いるとして……。そう簡単に逃がしてくれると思うか?『アレ』が…」

大気に哄笑が貫き抜ける。都市を形成するビル群が、恐ろしい勢いで崩れていく。眩い光が、いっさいのものを……
神薙の言う通り、街から住人を締め出したことは正解だった。まさかコレを彼女が予見していたとも思えないが…。

「神薙先輩や西条…Gメンの人たちとか、スズノやパピリオはどうするんですか?きっとまだあの中に…」
「………。」

しぼり出すような横島の声。美智恵は悲しげに目を伏せる。
硬く握りしめられた彼女の両手に、横島はすべてを理解した。……それを知ったとき、同時に自分が何をしたいと思ってしまったのかも…。
(………。)
横島はわずかな時間、押し黙る。自分の馬鹿さ加減は一応自覚していたつもりだが……今回ばかりはほとほ呆れる。
だけど、それでも……もう、決めてしまったことだ。

「…私は、止めたほうがいいのかしらね…。あなたを…」

黄金の火の粉が飛び散る、まるで嘘のような景色の中。美智恵が目線を反らしたまま、そうつぶやき…。
横島は参ったとばかりに頬をかく。問いには答えず、彼はそのまま頭を下げた。

「…他のみんなのこと、お願いしてもいいですか?」
「わかったわ…。任せてちょうだい」

周囲に浮かぶ、仲間たちの怪訝そうな表情。それらをちらと一瞥し、横島は苦しげなタマモの横顔に目を向けた。
抱きかかえた彼女の温もりを感じながら、すこしだけ悲しげにうつむいて…

「…ごめんな。そんかわし次に目、覚ましたときは……絶対となりに居てやるからさ…」

「……よこ……しま…?」

瞼を閉じたまま、霞んだ視界で、それでもタマモは、指先で横島の姿を探し続けていた。その掌に触れながら、横島が振り向く。
浮遊する文珠が輝きを放つ。

「タマモのこと頼みます、小竜姫さま」

「!?横島さん…!?」 「ちょ……横島くん!あんた、まさか…!」

美神の言葉がかき消される。
小竜姫にタマモを預けた直後、横島は巨大な『腕』のもとへと飛び出した。

《――――――あらあら……どうして逃げないのです?それじゃあ、ちっとも面白くないわ。それとも一思いに殺してほしいということかしら?》

わずかに虚を突かれ、異形の口が、不満げにウゾウゾと蠢く。それに横島は小さく笑い……

「お前、ほんと人間のこと舐めきってんだな…。人界に来るなら、オレたちとアシュタロスの闘いぐらいはちゃんと調べとけよ」

《………何?》

「…文珠ってのはな、こういう使い方も出来るんだよっ……!」

瞬間。横島の腕に強力な霊気が収束する。その出力に目を剥くと同時に、『腕』は気づいた。
横島の傍らを浮かぶ文珠に刻まれた一つの文字………『模』の文珠。光が渦巻く。『腕』の声音から余裕が消えた――――――――――!

《ば、馬鹿な…!くっ……おのれっ…ジャミングが間に合わない…!?》

数秒の空隙。『模』の文珠は、『腕』の霊波により、一瞬で効力を失った。…しかしその一瞬で十分だった。
横島が放つ霊波砲の一撃は、敵自身の霊力を伴い四方に弾ける。
爆発。焼けただれる皮膚に、異形が苦悶の絶叫を上げた。

《ぎゃあああああああああああああああああ……っ!!!わ、わたくしの…わたくしの、腕が…。き、貴様ぁああああああああっ!!》

それは致命的なスキが生じた一瞬。『腕』の怒り、嫌悪、憎悪……その全てが自分という一点に向けられた『好機』。
超加速を発動しながら、横島は声を張り上げる。自分を見守る、大切な人たちのもとへと届くように……

「美神さん!先に行っててください!オレは西条のバカとか、その他モロモロを見つけてきちゃいますから!」

「な…馬鹿!何、勝手なこと……!」

「だ〜いじょうぶですってば!要はゴキブリのように逃げ回って、そこらへん駆けずり回るだけじゃないっすか!下着ドロやるのとなんも変わりませんって!」

軽口を叩いた後、もう一度タマモの顔を一瞥して……横島は街に向かって駆け出した。
……この馬鹿横島ぁっ!!
聞きなれた罵声を浴びせられ、横島は内心苦笑する。…涙声で美神に怒鳴られるのは、はじめてだった。


                                ◇



〜appendix.31 『死』


―――――この世のものとは思えない、おぞましい絶叫が轟いた。
悪夢から目覚め、ユミールはとっさに飛び起きる。視界に入ったものは…血のように赤く、自らの衣を冷たく濡らす奇怪な水面。
次々と崩れてゆくビルの群れ…。

あぁ…まだ自分は夢の続きを見ているんだ…。ぼんやりとそうそう考え、ユミールは天頂の空を低く仰いだ。
雲一つない、ぞっとするほど澄んだ青空。その風景の中、怪物がこちらを見下ろしている…。
そんな絵があることを、彼女は昔得た知識から把握していた。どうしてこんなことを思い出したのだろう?
理由は簡単。だって目の前の光景が、あまりにもその絵の世界と酷似しているんだから……。

「…え?」

少しずつ、意識が覚醒していく。肉の灼ける匂いが鼻を突き、彼女は思わず目を疑った。
腕と口だけの『怪物』が、押しつぶすように、自分の顔を見下ろしている……。

「な…っ!?お、お前は…!」
頭の中で閃光が弾けた。自らの立場と目の前の存在……全ての記憶が蘇り、同時に、あらゆる情報が流れ込む。
怒りの形相で、ユミールは『腕』を睨みつけた。

「何故、お前がここにいる…?混沌ですらないお前が、下界に降りることは許されていないはずよっ。分をわきまえて、さっさと神界に……」
《…分をわきまえるのはどちらだと思いますか?この腐れ鳥がっ!》

「…っ!?」
『腕』が力を開放する。その絶大な霊圧に気圧され、ユミールはガクリと片ヒザをついた。苦しげに息を吐きながら、気丈にも敵を睨みつけ…

「…まさか……私たちを裏切る気?そんなにお兄ちゃんに殺されたいの?」
《…っ!?黙りなさい。ダハーカの威を借ることしかできない下等生物が…私に唾を吐きかけないないでくださるかしら?汚らわしいっ!》

「っ…きゃぁああああああああっ!!」

さらに高められる霊圧。異常なまでのプレッシャーに、ユミールの四肢が砕けかかる。
『腕』の反応は、明らかに常軌を逸していた。憎悪、呪怨、屈辱……何よりも恐怖に彩られた声…。渇いた笑いが、空間を踊る。

《そうよ…良い機会だわ…。見せしめに…この小娘を殺せばいいのよ…。う…ふふっ……ははははははっ!
 自分のお気に入りが粉々にされたら、アイツはどんな顔をするのかしらねぇっ!!》

かかげられた『腕』から、赤い凶悪な光が煌めく。

(――――――――…。)

ユミールは空ろな瞳で、ただその光景に見入っていた。全身から力が抜ける。もうどうでもいい…。薄れかけた精神の中、彼女は思考することを放棄した。
次に瞳を開ける時、私は一体、何を見ることになるのだろう?闇か…孤独か…。
寒いのも、独りになるのも、もう嫌だった。

(――――――――私は…いつになったら…………)

すべてが……闇に……



「…言ってることが思いっきり三文悪役だぞ……クソババア…!」


…その声は、まるで風のようだった。
少し聞いただけで、分かる。『彼』はすでに限界を迎えている…体力も、霊力も。
混沌である自分が絶命するほどの霊圧に…人間である『彼』が耐えられるはずない……。それなのに、彼は承知で向かってきた。

走って、走って…。
息も絶え絶えになりながら、私の腕を掴み上げ……。私を助けようとして…しかし、その場に崩れ落ちてしまう。
どうしようもないことは分かってるはずなのに……それでも、私の肩を守るように…。


「…横島……………くん?」


ユミールは、信じられないといった風に、目の前の人間を見つめ続けた。

「うあ…なんだこりゃ……。助けようとして失敗して、ブッ倒れるって……男として最悪じゃん。カッコ悪……」
顔色が悪い。軽口を叩く声が震えている。彼の霊体が、ほとんど壊れかけていることが、一目で分かる。

「どうして………」

唇が動く。表情を隠した横島の瞳が、かすかに優しく細められた気がした。

「……。んなこと言われても…なんとなく、ほっとけなかったから来ただけだよ…。それとまぁ…お前ってあと2、3年したら美少女に化けそうだし勿体ないかなぁって…」
自分を笑わせようとしているのか…。力無い声が耳元に届く。
横島の声は途切れようとしていた。少女の肩を抱いたまま、彼の腕から、少しずつ熱が失われていく。

「……。」

「オレってさ……なんか、初めてて本気で好きになった女の子を助けたときも……何も考えてなかったんだ……。
 ただ、このままじゃいけないって思って……。その子、夕陽見るのが好きだって……そう、言ってて……」

「…………。」


それなのに…オレは………


…ユミールは、それ以上の言葉を聞き取ることが出来なかった。
それきり、横島は動かなくなる。弱々しい心音が……じょじょに、じょうじょに遠ざかっていく。ユミールは小さく息を飲み込んだ。

目の前の景色は…まるで世界の果てのようで――――――――。


(―――――――…守りたい………)

刹那の時、唐突に思う。あの日、自分の命が奪われて以来、はじめて望んだ。
はじめて願った。

(私………この人を守りたい―――――――!)

視界が赤い光に包まれていく。

《終わりです……死になさい、虫けらども………!》

体を突き抜ける無慈悲な声。ユミールの頬を涙が伝った。

そして、すべてが……。
すべてが、果てない闇に、飲み込まれていく―――――――――…。



『あとがき』

絶体絶命(爆)どうも、こんにちは。かぜあめです。ここまでお付き合いくださりありがとうございました〜
今シリーズ最大の山場ですね。
横島は主人公ですからそれほど心配いりませんが(汗)、ユミールがなんだか死にそうな空気…という噂がアドバイザーの間で広がっています(笑
前3シリーズは、どちらかと言うと『肉体的に強い横島』を描くことが主体だったのですが、今回は精神的にも強い横島を描いてみたかったので…
なんかどう足掻いても絶対勝てそうにない敵に登場してもらいました(笑)
「どう考えても勝ち目なんてない」状況でそれでも頑張る男の子というのは、それだけで無条件にカッコいいものだと思います。
それでは〜次回が終わるとエピローグに入ります。横島がどうやってこの危機を乗り越えるか、よろしければご注目ください。

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