ザ・グレート・展開予測ショー

赫奕(かくやく)たる異端


投稿者名:犬雀
投稿日時:(05/ 6/ 2)

『赫奕(かくやく)たる異端』


「ねえ、今日はね。お友達が遊びに来てくれたの。ネズミさんとか蜘蛛さんとか。」

「うん。いっぱい遊んだよ。」

「あ、お饅頭だぁ〜。ありがと!」

「うん。待っているよ。もうすぐねお母さんたちが迎えに来てくれるの。」

「えへへ。だってわかるんだもん。」

「あのね。もう少しで出来上がるんだ。あ、お花ありがとうね。」

「だから…もうすぐお別れだね。」






道端に止めた車のボンネットから白煙が吹き上げている。

「ついてないね。こんなところで車が故障とは…」

「先生。そろそろ新しい車を…いえ、なんでもありません。」

元々はそれなりに高級車だったのだろうが、年季が入ったその車体のあちこちには錆が浮いていた。
その錆の一筋を撫でながら師匠の目に浮かんだ一滴の涙を見てピートは言いかけた台詞を途中で飲み込んだ。
彼にもわかっている。唐巣神父にそんな金があるわけはないのだ。
ピートの心に師匠に対する申し訳なさが起きるが、それが顔に出たのだろうか唐巣は何気ない仕草で目の端を拭うと努めて明るい声を出した。

「とりあえずどこかで電話でも借りよう。ここはどうやら圏外のようだしね。」

唐巣の言葉にピートもあたりを見まわすが、見える限りにあるのは緑も鮮やかな、キュウリだろうか背の高い作物が植わっている畑。
そして畑ギリギリまでせり出している里山の森があるだけで人家がある様子は無い。

果たして人家などあるのだろうか?と首を傾げるピートに唐巣は笑って見せた。

「畑があるということは人が近くに住んでいるということさ。道は必ずどこかに続いている。さあ歩いていこうか。」

「はい。」

そして師弟は真夏の砂利道を歩き出した。
セミの声が今日も暑くなりそうだと彼らに告げていた。

十分ほど歩いたところで彼らの目の前には里山の麓を埋めるような大きな門を持つ一軒の豪邸が現れる。
時代がかったその造りといい、黒光りする年代物の門柱といい、それが歴史ある旧家であることは日本の文化に疎いピートにも想像がついた。

その家から少し離れたところには小さな寺がある。
寺の背後には小規模ながら墓地もあるところを見れば、この旧家の先祖も葬られているのかも知れない。

「うーむ…立派なお屋敷だねぇ…」

「そうですね…」

屋敷の前に佇む師弟。
開け放たれた門から見える範囲の庭も綺麗に手入れされている。
植木の大きさや古さから見ればそれなりに由緒や格式のある屋敷なのだろう。
それに気後れしたというわけではないが師弟はなかなか門を潜ることが出来なかった。

唐巣が眼鏡に手を当てて静かな声を出す。

「感じるかねピート君?」

「はい」と答えて密かにその魔眼の力を解放するピート。
彼の目にはこの屋敷に纏わりつく澱んだ霊気のようなものが薄っすらと見て取れた。

「何かの霊障でしょうか?」

「いや…そこまで酷いものではないようだ。もしかしたら何かの妖怪かも知れない。」

「妖怪ですか?」

「ああ、古い家には妖怪が住み着くことがある。だが一概に悪しきものとは言えないからね。座敷わらしのように家人に幸せをもたらすものもいる。」

「そうですね。」

自身も人外の存在であるピートにとって人と共存する妖などは今更聞くまでもないことである。
実際、彼の友人知人には人に害を為さない妖怪が多く居る。
だがそれをそうと認められる聖職者はそうは居ない。
いや聖職者に限らず一般人でもそうだろう。
彼が通う学校や友人たちの方がむしろ非常識と言われるかも知れないのだ。

唐巣が異端と言われるのは「魔」とか「妖」とか言うカテゴリーにこだわらない柔軟な思考ゆえなのかも知れない。

「とにかく電話をお借りしよう。」

そう言って唐巣が門を潜ろうとした時、横合いから獰猛な唸り声のようなものが聞こえてきた。
咄嗟に師匠を庇おうと立ちはだかるピートの前に現れたのは、一見したところ熊とも猿ともつかない風貌の男。
その手に大きな植木バサミを持っているところを見ればこの家の庭師か使用人なのだろう。
男はハサミをこちらに向けたまま獣のように唸り続けている。
唐巣が男に頭を下げ、電話を借りたい旨を告げてもその声は鳴り止まない。
相変わらず不審者を見る目でこちらを睨みつけている男にも唐巣は温和な表情で話しかけ続けた。

唐巣の丁重な姿勢にやっと警戒心が解けたのか、男はハサミを体の脇に垂らすとしわがれた声を上げた。

「ここは由緒正しい天沼様のお屋敷だ。よそ者は入れるわけにはいかねぇ。電話なら隣の寺で借りればええ。とにかく出て行け!!」

その無礼な言いようにピートが抗議しようとするのを片手で制して、唐巣は男に頭を下げると失礼を詫び男に背を向けた。

「さあ行くよ。ピート君。」

そして師弟はまだこちらを睨みつけている男の視線を背に感じながらもその場を後にした。

隣と言われていた寺だったが歩いて見れば結構な距離があった。
おそらく寺の裏手の墓地が先ほどの屋敷と隣接しているのだろう。
それゆえに寺の玄関まではぐるりと回りこまねばならなかったようだ。

玄関で声を上げると寺の住職はすぐに出てきた。
どことなくアンパンを思わせるような丸顔の住職は牧師が寺を突然尋ねてきたことに驚いたようだったが彼らから理由を聞くとすぐに相好を崩した。
どうやら見かけどおり温和な人物らしい住職は彼らを寺に招き入れ、唐巣が電話で修理の手配をしている間に麦茶とよく冷えたスイカを出してきてくれた。

恐縮するピートにもにこやかに麦茶を勧めてくるあたり、この住職も唐巣と同じように柔軟な思考なのか、それとも霊能がまったく無くピートが人外の存在であると気がつかないのか、彼から発せられる気配はどうみても霊能者のそれではないことからピートは後者とあたりをつけとりあえず世間話を始める。

卓上に置かれた麦茶の氷が溶けきる前に唐巣が戻ってきた。
その表情が暗いことに気がついたピートの視線を感じたのだろう、唐巣は苦笑いを浮かべる。

「いや〜。困ったよ。明日じゃないとレッカー車が出せないそうだ。」

「今から宿といっても…」

「ああ…無理だろう。まあ幸い天気もいいし草枕でも結ぶさ。」

金銭的にも無理だということは承知のピートである。
もともと深夜の仕事が多いGSであるから野宿などなんとも思っていないのではあるが流石にこの時期はやぶ蚊が多かろうと師匠を案ずれば、彼らの会話から事情を察したのであろう住職が話に加わってきた。

「なんなら今晩ここに泊まればよいじゃろう。大したもてなしも出来んが精進物で良ければ晩飯ぐらいは馳走しますでな。」

ニコニコと笑いかけてくる住職に恐縮しつつ遠慮する唐巣たちだったが、田舎の人は意外にこういう時は押しが強いもので、ついには住職に押し切られ一夜の宿を借りることになった。

夕餉の前に風呂を進められ、今時珍しい薪の風呂を堪能して住職の用意してくれた浴衣に着替えた師弟が涼を求めて外に出てみれば、住職が小さなお膳を持って墓地の方にと向かうところに出くわした。

「お勤めですか?」と聞く唐巣に住職はこっくりと頷く。

「お霊供膳じゃよ。」

子供の飯事に使うような小さな椀に飯や汁、そして菜が盛られている。
変わったことと言えば饅頭が一つ余計に添えられていることだろうか。
他の宗教とは言え他人の信仰に敬意を払うことに抵抗のない唐巣は温和な笑みで住職に話しかけた。

「私も神に仕える身です。差し支えなければご一緒しても宜しいでしょうか?」

唐巣の申し出に住職は驚きの目で彼を見た後にっこりと頷いた。



住職に案内された裏手の墓地には粗末な墓石や卒塔婆が並んでいたが、どれも綺麗に掃除が行き届いており、それがこの住職の人となりを感じさせる。
やがて墓地の一番奥の一際豪華な墓石の前まで来ると住職はお霊供膳をその前に置き読経を始めた。

ピートとて住職が読む経が般若心経であるぐらいはわかる。
隣で手を合わせている唐巣に習って手を合わせているうちに周囲の気配が清められていくのを感じた。
それは霊能ではなく真摯に霊たちの成仏を願う住職の徳のなせる技だろう。
霊能の強弱に捕らわれがちだった自分にとっては新鮮な驚きである。
手を合わせながら目の前の住職の無言の教えに感謝の念を抱き、聞き入っているうちに日は沈み始めていた。

やがて読経が終わる。

そして住職は墓前からお霊供膳を下げるとそれを持ったまま墓石の裏にと回った。
その行動に疑問を感じて唐巣たちが後ろに続いていくと、住職は墓の後ろの草叢の前に手にしていたお霊供膳を置き一礼して草叢をかき分ける。

草叢の中から現れたのは古い地蔵であった。
子供の身の丈ほどのその石仏は温和な笑顔で目を閉じ、薄汚れた赤い前掛けをかけてはいたがまるで磨かれたかのようにすべすべとした石の肌を晒して立っている。

住職はお霊供膳を地蔵に供えると再び読経を始めた。

今度の経はピートには聞き覚えが無いものだったが先ほどのとは違って日本語がベースなのかその言葉の意味はところどころで理解できた。

もの問いたげなピートの視線を感じたか唐巣は読経の邪魔にならぬように小声でピートに説明する。

「地蔵和讃というものだよ。早逝した子供の成仏を願うものだね。」

やがて読経が終わると住職は唐巣たちに頭を下げ静かにその場を立ち去ろうとする。
供えられた膳がそのままなのに気がついてピートが声をかけても住職は笑うだけで寺へと戻っていった。



夕餉は質素ではあったが味は良かった。
食後の茶の煎れ方も申し分なく、住職が二人を心からもてなしてくれているのが伝わってきて自然と感謝の念がわいてくる師弟である。

やがてピートが先ほどから気になっている疑問を住職に尋ねてみた。

「あの…先ほどのお地蔵様のことなんですが…」


「なぜあんな人目につかない場所にあるのか?」
「あのお経はどういう意味か?」
「膳を下げないのは?」

仏寺で過ごすことがあまりないピートにとっては色々と好奇心を刺激したのだろう。失礼かとも思ったが住職の人柄に甘えて好奇心の赴くままに質問してみる。
住職は最初は戸惑ったようだったが、元々は話好きなのだろう茶で口を濡らすと語り出した。

「あれは賽の河原地蔵和讃と言っての。親より先に死んだ子はそれだけで罪とされる。」

「なぜですか?」

「子を失って嘆かぬ親はあるまい?親を嘆かせることこそが罪じゃ。そんな子供たちは極楽に逝けず賽の河原で父母や兄弟のために石を積み続けるのじゃ。それが罰ということじゃの。だがどれほど石を積んでも終わりは無い。積み終わる前に鬼が来てみんなひっくり返してしまうのじゃよ。そして子供たちは手から血を流しながら石を積み続けるのじゃ。」

住職はまた茶を口に含んだ。

「じゃが、それではあまりに子供が哀れじゃろう。だから親は願うのじゃよ。地蔵菩薩にわが子を鬼から隠してくだされ守ってくだされとな。それが先ほどの経の意味じゃ。」

おそらく外国人に見えるピートに配慮したのだろう。住職の説明は簡単ではあったがピートはなんとか大意をつかめた。

「ではなぜあのような場所に?」

唐巣の質問に住職は一瞬躊躇の色を見せたが嘆息するとゆっくりと語り出した。

「あの墓は隣の天沼のものでな。天沼の先祖代々の霊が眠っておる。天沼家は元々この地の名家で昔は本陣だったこともあるのじゃ。そして天沼家はこの辺り一帯の大地主でもある。」

言外に匂わされた「この地では天沼に逆らう人は居ない」との意味を感じとる唐巣。
まだ若く外国人のピートにはその辺のニュアンスは伝わらないようだが、彼は黙って聞いていることにしたようだった。

「今から10年ほど前じゃった。先代の当主が早死してのう。一人息子だった跡取りは18歳で天沼の家を継がねばならなくなった。じゃが母一人子一人とは言え格式ばった暮らしが嫌だったのだろう。天沼の跡取り息子は高校の同級生の娘と駆け落ちしたのじゃよ。」

どこからか迷い込んだ蛾を手で払いながら住職は話を続ける。
いつしかその声に苦いものが混じり始めていた。

「母親は烈火のごとく怒り狂ったがのう…八方手を尽くしても息子の行方は知れんかった。ところが六年程前に息子夫婦が子供を連れてひょっこりと帰って来たのじゃ。」

住職は立ち上がると窓から外を見上げる。
雲ひとつない夜の空には満月が昇り始め、コオロギだろうか虫の音も響き始めていた。

「母親はますます怒り狂った。だが一人息子ゆえに勘当も出来ん。結局は認めざる得なかったのじゃよ。そして親子は仲睦まじく暮らし始めた。」

住職は目を落とすと口の中で「表向きはな…」と呟く。
だがそれは吸血鬼であるピートにとっては充分な音量であった。つい口に出して「どういうことですか?」と聞いてしまうのは彼の若さなのかも知れない。
住職は驚いた顔をしたが一つ嘆息すると先を続けた。

「母親は気性の激しい女でのう。そんな女が可愛い息子を誑かした憎い娘を許せるはずは無いのじゃよ。嫁さんはいびりにいびり抜かれたんじゃろうな。ある日、突然姿を消してしまった。」

「家出ですか?」

「まあそうじゃろ。若い娘には耐えられるものではない。そして家には子供と息子が残された…。」

そして住職は再び夜空を見上げた。
ピートは住職の目に涙が溜まっているのが見えた。

「残された子供は雪と言ったがな。可愛くて優しい娘じゃった。わしなんかもよく「お坊様」と懐かれたもんじゃった。だが母親が居なくなってからと言うもの雪は毎日のように当時はまだ道に置かれていた地蔵に祈り続けたのじゃ。」

住職の目からは涙がこぼれ始めたが彼はそれをさほど気にした様子は無かった。
おそらくは雪という幼子のことを思い浮かべているのだろう。
涙を流しながら住職の話は続いていく。

「毎日、毎日、野の花や泥の団子が地蔵様に供えられておった。おやつも禄に貰えなかったのじゃろうなぁ。それでもたまにわしが飴玉とかをやるとな…地蔵様に供えに行くのじゃよ…。そりゃ嬉しそうに笑ってのう…そして「お母さんが早く帰ってきますように」…と小さな手を合わせて祈るのじゃ。」

何時しか様々な虫の無く音が響き始めた室内に今ははっきりとすすり泣く住職の声が広がっていく。

「じゃが…ある日、雪が消えた。村の者が総出で探したが雪は見つからなかった。警察が入ってもついに雪の行方は知れんかった…妖にさらわれたか、神隠しか、雪は忽然と消えた。そして暫くして息子もあの家を出たらしい。おそらく雪が居なくなって居たたまれなくなったのじゃろう。母親の話では東京の大学に入りなおすとのことじゃったが、それも本当かどうかはわからん…戻ってくるかどうかもな。」

住職は雪という少女の父親が戻ってこないと思っているのだろう。
それほどまでにあの天沼という旧家は人を、いや家族さえも寄せ付けない空気を放っていた。

「では…あの地蔵様は雪ちゃんという子のお墓なんですか?」

幼子の墓として地蔵を置くというのは聞く話だ。
だが住職は唐巣の問いに首を横に振った。

「いや…あの母親が雪の墓なぞ作るはずなぞない。ましてや先祖の墓に納めるものではない…じゃからあの地蔵様はわしが道路拡張で撤去されるというのを引き取ってこっそりあそこに置いたのじゃよ。わしにはそれくらいしか出来んかった。」

住職の話にピートは声も無く俯いた。
この心優しき吸血鬼の少年にも雪という少女のはかなさと住職の悲しみが伝わったのだろう。
ピートの心に後悔の影がさす。
立ち入ったことを聞いたと住職に謝罪しようと口を開きかけたピートだが、謝罪の言葉は彼の師匠の台詞に遮られ音になる前に消えていった。

なぜなら唐巣の声は除霊の仕事に向かうときのそれだったから。

「ご住職。先ほどのお膳を下げなかったわけは?」

唐巣の言葉に住職は戸惑いの色を浮かべながらも答える。

「それがなぁ。あの地蔵様の前にお膳を置いておくと翌朝には綺麗になくなっているのじゃよ。」

「カラスか野犬が食べるのでは?」

「そうかも知れぬ。じゃが綺麗にまた並んでいて中身だけが無くなっているのじゃ。カラスや野犬ならもっと荒らすじゃろ?」

「そうですね」と考え込むピートに住職は微笑みかけた。

「わしは御仏の慈悲じゃと思っとる…あるいは雪の霊が食うているのかも知れぬ。それとも妖かのう…」

「そうかも知れません。」

明らかに冗談で言ったはずの言葉を真剣に返されて怪訝な顔をする住職に唐巣は自分が東京から来たGSであることを明かして見せた。
驚いた表情を浮かべる住職。
話には聞いたことがあるだろうがGSを見るのは初めてなのだろう。

「もしかしたらですが…先ほどの天沼さんのお宅の周りやお地蔵様の周りで霊気のようなものを感じました。そして…」

立ち上がり、窓越しに月明かりに照らされる墓場を見る唐巣。

「今どんどん強くなってきています。」

「なんと!真か?もし雪の失踪に妖が関係しているなら!」

「はい。もしかしたら雪という子を助けることが出来るかもしれません。」

「確約は出来ませんが…」と言う唐巣に住職は両手を床につけて頼み込んだ。

「頼む!わしで出来ることならなんでもする!どうか雪を!」

異教の牧師にさえ頭を下げるその姿は唐巣に通じるものがある。
それほどに雪という少女のことを気にかけているのだろう。
その様子は師弟にますますこの住職に対する好感を持たせるものだった。

「わかりました。ですが費用とかの心配は要りません。一宿一飯の恩という奴です。」

ちょっと役者めかせた唐巣の台詞に住職は泣き笑いで応えた。




ピートの感知した霊気の流れをたどって再び墓地に歩みいる三人。
そしてピートが示したのは先ほどの天沼家の墓である。
だが霊気の流れは更にその後ろから続いていた。

墓の裏手に回った住職が驚きの声を上げる。

「地蔵様がおられぬ!」

確かにそこには地蔵も膳も無い。
変わりに草叢の後ろから何かが動く気配がする。

「行ってみよう。」

唐巣の言葉に頷いて注意深く藪を進む三人の前に両手で膳を支えて宙を浮くように歩く地蔵の後姿が現れた。
驚く住職の口を塞ぐピート。
住職もわかったのだろう。声を抑えて頷くとなるべく音を出さないように二人の後に続いた。

尾行する三人のことなど気にもかけないのか地蔵はゆっくりと進み続ける。
虫の音は途切れることは無く、それは地蔵がこの世のもので無いことか、はたまた地蔵の放つ優しい空気のようなものを感じ取っているのかも知れない。
草一本倒すことなく、虫一匹踏み潰すことなく地蔵は進み続け、そして天沼家の塀の破れ目を潜り抜けて中に消えていった。

不法侵入とは知りつつも三人は後に続く。
地蔵の歩みはそのまま敷地の端にひっそりと立つ苔むした土蔵の前まで続いた。

地蔵は土蔵の入り口ではなく横手に回ると壁の前で立ち止まり、ゆっくりと温和な微笑を湛えた顔で石の体をかがめお膳を壁に向けて差し出す。

三人の目には満月の光の中、土蔵と地面の隙間から差し出される小さな白い手が見えた。
白い手は何やら丸い輪のようなものを握っている。

唐突に虫の音が消え、三人の耳にはか細い子供の声が聞こえてきた。



「お地蔵様…今日も来てくれたんだ…でもね…雪はお母さんたちの所に行くの…今日でお別れなの…いつもご飯ありがとうね…」

か細い、それでいてはっきりと聞こえた声に住職の顔に驚愕と恐怖の色が浮かび上がる。

「まさか!まさか!まさか!!」

温和な住職の顔が驚愕に彩られその口からは血を吐く様な叫びが上がる。

「何と言うことじゃ!何と言う酷い仕打ちじゃ!!5年!5年もこんなところに閉じ込めておいたというのか!!」

辺りはばからぬ大声でありながら人が来る気配は無い。
唐巣もピートも目の当たりにしたその凄惨な現実に声も無い。

地蔵はその石の手を隙間から差し出された雪の手に重ねる。
温和な笑みを湛えた地蔵の石の瞳からあふれ出す涙が雪の白い手を濡らし、それは月の光に照らされてキラキラと輝き、雪の手に握られた輪のようなものが枯れた花で作られた数珠であることを唐巣たちに教えた。


「うおぁぁぁぁぁ!!」

泣き叫びながら土蔵に駆け出す住職に唐巣たちも続く。
か細い隙間から差し出された細い手見たピートが霧と化して土蔵の地下に隠された土牢の中からやせ衰えた少女を救い出した。

月の光の中、住職の話によれば実際には10歳程度であろう少女は骨と皮ばかりにやせ衰えその背も6歳ほどに見える。
5年の間一度も手入れされなかった髪が顔を覆っていたがピートが優しくそれを掻き分けるとその下から衰弱しながらも清らかな美しさを感じさせる顔が現れた。

しかしその目は今閉じられ、その口から漏れる呼吸もか細い。

見守る三人と地蔵の前で少女は薄っすらと目を開け、覗き込む唐巣の顔を見つめると「お父さん…」と呟いて再び目を閉じ、そして二度と開けることは無かった。

「わしがわしが!もっと早く気づいておれば!もっと信心があれば!!」

住職の悔恨の叫びが闇を切り裂くように響いたとき、彼らの背後で凄まじいまでの霊気の嵐が巻き起こる。

振り返った彼らの前で霊気を吹き上げているのは石の地蔵。
その石の瞳からあふれ出していた涙も今は枯れ、その温和な顔にピシリとヒビが入ると卵の殻が向けるようにボロボロと崩れ落ち、その下から現れるは烈火の如き憤怒の形相。

裂けた口元から伸びた牙をキリキリと噛み鳴らし、血の眼光を放って天沼の屋敷を睨みつけるその様はまさしく怒り狂った鬼神そのものであった。

轟!

突然沸き起こった風が旋風となって地蔵の回りをまわる。
そして風は刃となって土蔵の壁を切り裂いた。

崩れた土壁から覗くのは二人分の白骨。

男女のそれと思しき白骨が示した真実に立ち尽くす唐巣たちの前で、憤怒の形相を浮かべた地蔵は砕け散り、巨大な炎の鬼となって天を仰ぐと怒りの咆哮をあげる。

その憤怒の向く先が天沼邸であることに気がついて、咄嗟に雪の亡骸を抱いたまま飛び出そうとするピートの肩が唐巣の手によってつかまれた。
痛みすら感じさせるほど強い力でつかまれた肩にピートが唐巣のほうを振り向いた瞬間、烈風があたりを吹きぬけ三人をなぎ倒す。

そして風が止んだ時、そこには唐巣たちしか残っていなかった。

雪の亡骸も、土蔵の壁に塗りこまれた白骨も、そして炎の鬼も消えていた。

否、魂をも凍らせるような哄笑に振り向いたピートが見たのは、天沼邸の空で狂ったように踊る炎の鬼の姿。

鬼は時折、下を睨みつけては口から火炎を放ち、それが燃え広がるとまた愉快そうに笑い、手を打ち足を鳴らして踊りまわる。

そして天沼邸は紅蓮の炎に包まれた。


鬼は天沼の家が焼け落ちるまで踊り続けていたが、完全に燃え落ちたのを見届けると焼け跡に降り立ち、家の残骸の中に手を突っ込むと炭で出来た人形のようなものを引っ掴んでそれを天に掲げると再び哄笑をあげる。

そして鬼はその消し炭を握り締めたまま高らかに笑いながら流星のように尾を引いて北の空へと飛び去っていった。

膝をつき念仏を唱え続ける住職。

その住職の体のまわりに、どこから現れたか蛍のような三つの光が現れ、そのうちの最も小さな光が彼の周りを静かに回ると、やがて満足したのか後の二つの光に従うようにゆっくりと天に昇っていった。



「ピート君…君には神の声が聞こえたかね?」

呆然と天に昇っていく無垢な光を見詰めていたピートに唐巣が話しかけてきた。
未だかって聞いたことの無いような師匠の暗い声音に驚くピート。
自分を驚きの目で見ているピートに気がついたのか唐巣の顔に自嘲の笑みが浮かぶ。

「私には聞こえたよ。『許せ』とね…。だから私は許した…。」

そして唐巣は真っ直ぐに天に向かう三つの光に目を向けて呟いた。

「やはり…私は異端なのだよ。」



夜が明け始めていた…。





後書き
ども。犬雀です。
今回はちと暗いのを書いてみたくてこんなん書きました。
題名を決めてからネタを考えるのは初めての試みであります。
どうでしたでしょうか?

PS。アドバイスくださった方々に感謝を込めて…。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa