ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE〜追放者〜(11)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/ 5/28)

 ――――時は、やや遡る。


 雪之丞らと“ヒルコ”が廃坑での戦いを繰り広げるおよそ二ヶ月前……南米・ブラジルとペルーが国境を接する、アマゾン源流に程近いジャングルの奥地……その地下において、二つの異形が言葉を交わしていた。

 一つは人間の形にはほど遠い、さながら土を焼き固めたかのような色と複雑な文様を施された肌を持つ、明らかな異形。
「おお、来たかメドーサ!」

 メドーサ……目を輝かせる三頭身の異形にそう呼ばれた、美貌とまがまがしさを兼ね揃えたもう一つの美しき異形は、鉛で覆われたアタッシュケースを無造作に床に放り投げ、己の半分以下の体高しか持たない異形に向け、苛立たしげにいう。

「挨拶はいいよ。今回分のプルトニウムは持って来て、アタシの方の用件は済んだんだ……さっさとそっちの用件を言いなよ、土偶羅様」


「なんだ、やけに気が立っているではないか……」筒状の口から器用に言葉を排出しながら、土偶羅という名の……土偶の身体を持つ兵鬼は、改めて美しき白い異形を見る。

 見れば、二、三箇所に傷を負い、紫の血を滲ませていた。

「どうした?!お前ともあろう者が手傷を負うとは」

 仏法を守護する護法竜神に匹敵する……配下の中でも格段に高い戦闘能力を誇る、魔に堕した女竜族に向けての心配半分、そのメドーサという名の女竜族に対して傷を負わせた敵への警戒を半分滲ませながら、尋ねる土偶羅。


 心配声で尋ねる土偶羅に対してメドーサは渋面で受け答える。

「ま、かすり傷さね。人間相手と思って、ちょっと油断しちまっただけさ」苦々しく吐き捨てた後に、メドーサは真剣な表情で続ける。「……でも、早いトコ月の魔力を奪う計画を実行に移さないと――念のために、見当違いの場所におびき寄せた上で追っ手三人とも殺してやったけど……よりにもよって南米のどこかにアジトがある、ってトコを絞られちまった。そうそう見つからないとは思うけど、さっき殺った奴には天使が混じってたし、その上魔族まで引っ張って来られて総動員のローラー作戦で重点的に調べられたら、ココも一年保たないかも知れないね」

「それはまずいな……一先ずはアシュ様が仰っていた通り、美神令子とか言う時間移動能力を持ったGSの暗殺計画を、あえて断片的にリークすることで神魔両陣営を撹乱することにするが――別のアジトも確保しておかねばならんから……ある意味いい機会だったかも知れんな」


 いい機会、という言葉にメドーサは怪訝そうな表情を浮かべる。


「と、いう訳で儂の本題なのだが――」

 土偶羅はその言葉と共に、傍らに無造作に置いた木箱の蓋を三本指で器用に開けた。地下のぼやけた光が、一メートル四方の大きめの木箱の内容物によって増幅され、目映い黄金の輝きとなって地下を照らす。

「受信アンテナを創っていた時に掘り出してしまってな……お前には一苦労掛けるが、コレを売り捌いてもらえんか?」

「何でアタシが――」
 
「じゃあ、儂やハニワ兵が売り捌けると思うか!?ベルゼブルには出来るか?デミアンみたいなガキの姿しか取ろうとしない奴が、財宝売ろうとしてもまともな額を受け取れると思うか?!」

 メドーサの抗議を遮り、反論する土偶羅。


「……………………あと一人いたんじゃないの?」


「……いたような……いなかったような―――そんなことはどうでもいい!
 兎に角、一番適任なのは、人間の中に入り込み、エージェントと称してプルトニウムだの精製ウランだのを入手しているお前しかいないのだ!」


 ただでさえ主には半ば捨て駒として認識されている、暗殺部隊の一人でもあるサングラスの筋肉魔族が聞いたならば、夕日の沈む海岸を泣きながら疾走しそうな酷いことを口走りながら、土偶羅がさらに言い募る。

 仲間内での人間型の魔族の少なさを言われては、メドーサは折れるしかなかった。木箱の中にあった福々しい表情の男の像を手にとりつつ、メドーサは言う。

「しょうがないね……アタシはパシリじゃないってのに――アシュ様が目を覚ましたら言っときなよ。こういった雑用も出来るような、まともな人間型の眷属を何人か作っといてくれ……ってね」


 “鷲”のコードネームを持つ米国人の武装執行官――その死後に転生した天使によって受けた肩の傷から滴る一筋の血をそのままに黄金の像に触れた邪悪な竜族は、何時の間にか昂ぶっていた気が治まっていたことを悟った。


 土偶羅と交わした馬鹿話の所為だ、と思いつつ日本人以外に馴染みの薄い造作の黄金像を木箱にしまい込んだメドーサは気付くことはなかった。


 黄金像の表面に付着した血が、染み込んでいくことに……そして、己の発していた竜気が黄金像にこびりついたことに。



 もしも彼らの主が培養槽で眠りについていなければ、その黄金の像が、かつてこの国で主神として祀られていた者であることに気付いたであろう。そして、彼らの主が無意識のうちに飢えに負け、竜族の血を啜ってしまっていたかつての主神に気付いたならば、権力争いに負け、左遷された先で失意の末に死した後、『天神』として祀られることになった古き時代の日本の右大臣の怨霊を己の眷属とした時のように――いや、力を持った人間の魂を配下にした時以上の強力な眷属を作り上げることが出来たに違いない。



 だが、彼らは気付くことはなかった。



 古き神と反逆の魔神が、片や失意のうちに、片や甘美なる滅びの誘惑に駆られつつ――それぞれ眠りについていたがために……。



 結果、全ての物質の基であると同時に、世の錬金術師の全てが追い求めてならない究極の真理でもある“賢者の石”―――これを肉体として持つ古き神・“ヒルコ”は、天地に弓引く魔神・アシュタロスの下を離れ、地球の裏側の大企業に、他の財宝と十把一絡げに400万ドルというお値打ち価格で売り捌かれてしまった。





 そうして舞い戻ったかつての故郷で―――ヒルコは白き邪竜族の姿を取っていた。




「め……メドーサ、だと!!」
 右手に二股に別れた槍状の長物――刺叉――を持つその姿に、思わず驚きの声を上げた雪之丞に対して、三人の口から同時に二つの質問が上がる。

「日本人……お前、あのメドーサを知っているのか?」
 最初の質問は悪名高き魔族ということを理解してのファルコーニのもの。


「メドーサ女史が何で?」
 もう一つは、上得意のエージェントの姿が突然現れたことに対しての、村枝商事の二人が発した疑問であった。

「俺にとってはこの魔装術の師匠に当たる、魔族の女だよ――最低最悪な奴さ」たった一つの回答で、同時に三人の質問に返答した雪之丞は、「何で知ってるんだよ?」たった一つの質問で同時に三人に問う。

「法王庁のブラックリストに載っていたからな……名前だけは知っている」
 キリスト教徒でなければ仲間の名前であっても覚えようとしない男が、あっさり答えた。

 どうやら、敵なら比較的楽に覚えることが出来るらしい。

 
「主にキエフ支社でつながりを持っている上得意客だよ。先に言っていた『黄金の恵比寿像』……あれを買わないか、と私のところに持ちかけたのも彼女でね」
 雪之丞の質問に答えたもう一人は、賢一だった。

 その賢一に対して、眼鏡を押し上げながら黒崎が進言する。
「しかし社長……彼女が魔族ということになると、対外的に後々まずいことになりかねません―――馬場支社長には悪いとは思いますが、メドーサ女史の関連した企業と政府との取引は停止しておくに越したことはないでしょう。
 それにしても、何度か取引上会うことはありましたが……確かに食えない相手でしたね。まさか魔族とは思いもしませんでしたが―――」











 眼鏡を押し上げながらの黒崎の含み笑いが、坑道に響いた。
















 『お前が言うか!』――――――この場に立つ黒崎以外の全ての存在……会ったばかりの恵比寿神や、敵としてしか対峙していない“ヒルコ”ですらも沈黙で抗議するだけという、やや薄ら寒い空気が……流れる。








 凍りついた空気を斬り裂いたのは、やはり黒崎だった。

 呆気に取られていた“ヒルコ”の間合いを侵略し、その手に持つ刺叉の内懐に飛び込んだ黒崎は、左手に持ったシグを連射する。

「このようなものが!」
 刺叉の柄を……本身を巧く扱い、シグから発射された銀の弾丸全てを弾き飛ばす。

「そうですか」
 右のポケットから引き出した、拳に収まった筒状の何かを軽く放り投げると、後ろに跳び下がりながらマガジン内に残った四発の弾丸全てを“ヒルコ”の顔面目掛けて撃ち込む。

「……ならば、それはどうです?」

 致命傷には程遠いが、喰らうのも痛くて仕方ない、厄介な弾丸を弾き落とすのに躍起になってしまった“ヒルコ”には、よく判らない筒状のもの――やはり海兵隊対霊チームから横流しした対霊武器の一つである焼夷手榴弾を構う暇などなかった。

 ピンはポケットの金具に引っ掛けて抜いていた。

 抜き打ちで不意を衝く――そのために磨いた技であった。


 猛炎が“ヒルコ”の身体を包み、坑道を朱に染め上げる。



「む、無茶しやがる」
 魔装の鎧を纏った少年が、マガジンを取り替える眼鏡の企業戦士に向けて呟く。

「殺し合いですよ?――多少の無茶は……必要です」
 言いながら、黒崎は纏わりついた霊気によって炎を両断しながら突き込まれた刺叉を横に一歩だけ進んで躱すと、拳銃を持ったままの手を跳ね上げ、両手の甲を使って完全に刺叉のベクトルをあさっての方向へと操作する。

 雪之丞から読み取ったメドーサの記憶から生み出した武器を振るうことによって剣呑さが増したことには違いないが、隙も大きくなった“ヒルコ”に向けて、踏み込みながらの両掌の一打を、黒崎は“ヒルコ”の豊かになった胸板に向けて……叩き込んだ!


 見た目が女であろうと容赦も何もない打撃――ごく短い間合いから放つ、形意拳の“虎撲手”と呼ばれる両掌の打撃――を打ち込み、メドーサの身体を持つ“ヒルコ”を再度炎へと押し返した黒崎は、それを誇るでもなく言う。
「それに、相手が誰であろうと、反射的に身体を動かす――昔、映画スターにもなった高名な武術家が言っていた『考えるな、感じろ』という奴ですが――最低限これが出来ないようでは、生き残ることは出来ない……そんな戦いを潜り抜けてきましたしね」


 下手なGS……例えば、十二もの式神に頼りきってなし崩し的に悪霊を駆除してきたような、破壊力だけはブルドーザー並みのものを持つひ弱な式神使いよりも、遥かにシビアな死線を潜ってきている正体不明の企業戦士は、雄叫びを上げて炎を振り払った“ヒルコ”の攻撃を捌きながら続ける。

「その次にある段階は言うなれば『感じるな、考えろ』――自己の動きをイメージ通りに行い……発した力がどのように相手に作用するかを理解し、認識すること」右足を引っ掛けるように立った状態で出足を払いつつ、捌き、流した“ヒルコ”の攻撃の勢いを加えたカウンターの打撃としての右の裏拳を当てる。

 「そして、何より必要な……最終的な段階は『感じたことを、考えろ』反射的な感覚をも反芻して思考し、瞬時に判断を下す……これが出来れば、相手の動きの兆しも見極めた弱点も、全てを理解することが出来ますよ。このように――相手が神であろうとも、ね」




 淡々と語りながら“神”をも圧倒する黒崎に、雪之丞は改めて恐れを感じつつも、その言葉を刻みつける。



 『考えるな、感じろ』この有名すぎる言葉は知っていた。だが、後に続く二つの言葉は文字通り考えたこともなかった。

 武術の中では不文律として存在しながら、あの有名すぎる一節だけが一人歩きしたがために無視された大切な二節――これを雪之丞が新鮮な気持ちでしっかりと刻み込んでいたその時、“ヒルコ”が不敵な笑みを浮かべた。



「ご高説……ご苦労―――ならば見るがいい、私の……“神”としての力というものを!」





 ヒルコが、加速した。








 一閃――――――!


 



 亜音速で薙ぎ払われた刺叉に、血が纏わり付いていた。


 一瞬遅れて……黒崎の両の二の腕から血が吹き出す!

 

「私がこの身体の持つ力を引き出せていないだけだったというのに――ずいぶん嘗めた口を聞いてくれたものだな」腱を切断され、銃を取り落としてしまった黒崎から雪之丞に目線を移し、ヒルコは続ける。「それにしても……お前の師に当たるこの女魔族――相当な強さではあるらしいな……よくこれだけの相手を知っていた。触れることで得たお前の恐怖の記憶のお陰で、私は力を手に入れることが出来たよ」
 それまで自分を圧倒していた黒崎を苦もなく屠るだけの圧倒的な力を得た恍惚によってであろう、饒舌に舌を回す“ヒルコ”。


「…ッ……ぬかせ!」
 黒崎が倒されたことに……しかも、その原因が自分自身が抱き続けてきたメドーサへの恐怖であることに逆上つつも、雪之丞は、黒崎の離脱の時間を稼ぐために突進する。

 狙うべきは……やはり中心線。


 だが、打撃が当たる直前……今まではその一撃を素直に受け続けていた“ヒルコ”が、半歩だけ軸線をずらす。

 『八卦掌の……走圏の歩法』両手を握り込むことは出来ないが、意識をコントロールすることによって自ら痛覚を遮断した黒崎が“ヒルコ”の動きから、それを連想した。

 軸をずらされた打撃が、メドーサの姿をとった“ヒルコ”の右肩口に当たる。

 身体を捻って、流された―――だけでは、なかった。

 打撃の勢いに任せて腰から上を捻じり上げ、反転どころかさらに一周して540度という人体には絶対に不可能な回転を実現させ、“ヒルコ”は力を溜め込み……解放した。

 飛び込んだ雪之丞に、横殴りに振るわれた刺叉の柄を躱す術はない。左手をガードに差し上げ、同時に暴発覚悟で左手から放った霊波砲で出来る限りその勢いを減殺するが……それでもなお、威力全体の一割程度を減らすのがやっとといえた。

「……あれも『化剄』か?」ガードした体勢のまま吹き飛ばされる雪之丞、そして、軽量とはいえ真一文字に雪之丞の身体を数m弾き飛ばした“ヒルコ”を見比べつつ、一旦賢一の傍らにまで退いた黒崎が、思わず驚きの声を上げる。

 相手の力を受け流し、自分の力として逆用する……その見地から言えば、間違いなく化剄には分類されるかもしれないが……その体の使い方は黒崎の常識の外にあった。


「なるほど……これも『人間の研鑚』とやらか……たかが、と思っていたが、実際に使ってみると、案外役に―――」



 得意げに喋る“ヒルコ”の言葉を途中で遮る銃声が響く。

 白銀のベレッタから立ち上る硝煙と黒崎の出血を押さえ込む淡い光――この二つを纏い、ファルコーニが一歩を踏み出した。

「ならば……神の御業ならばどうだ――古き神よ!」

 その言葉に呼応するかのようなタイミングで、周囲の精霊石が閃光を放つ!

 閃光弾に匹敵する強力な光が収束し、全方位から襲い掛かった。

 熱を帯びた光の帯が“ヒルコ”の身体を前後左右上下を問わずに切り刻み……頭上から飛来した銀の弾丸が“ヒルコ”を打ち抜く。

 思わずうめく“ヒルコ”の頭上から、さらに降りかかるものがあった。

 跳弾によって砕かれた岩の破片――クレイモアやこれまで“ヒルコ”が放った空振り、焼夷手榴弾の爆発によって散々ダメージを受け続け、脆さを増していた天井から落ちてきた……天井の残骸の一部だった。

 ――――皹が広がる。

「やべぇ!」飛び起きるなり、飛び退る雪之丞。

「社長、こちらへ!」
 辛うじて癒着したとはいえ、痛みを遮断しなくては動かすのに支障が出る腕で賢一の手を取った黒崎が滲む血を構わずにさらに数メートル下がる。


 ファルコーニの放った銀弾によって、落盤が引き起こされた。



 そして、ファルコーニは……一歩も動かずに――左手を握り込んだ。


 縦に斬り裂かれたカソックが、内からの暴力的な嵐によって吹き散らされ、はためく。


 クレイモアだった。ファインセラミックで作られたボディスーツにギミックとして内蔵されたファルコーニの奥の手が、幾千もの牙を吐き出す。

 神の御業――そう言い放って古き神を相手取ったその時には、既に銀髪の聖職者の目には、土煙の中から飛び出す“ヒルコ”の姿が見えていた。

 黒崎の見せるような、先手を奪い、自らの望む方向に追い込んでいく“誘導”や相手の心理を見切る“洞察”からくる先読みとは全く異質の……見えている動きに併せて攻撃を加える“予知”に基づいた先読み―――いかに人外の速さを得た“ヒルコ”といえど、動きを完全に“見られて”の先制攻撃には、対処は出来ない……はずだった。






 瞬間――“ヒルコ”の姿が、消えた。


 さらに半瞬の後、ファルコーニの目の前に現れた“ヒルコ”には、一切の傷も残っていなかった。

 全方位から“ヒルコ”の身体を斬り裂いたレーザーによる傷が塞がる様はファルコーニの“予知”にも見えていた。

 だが、クレイモアによる攻撃は当たったのならば癒着も許さない広範囲を根こそぎ奪い去る……メドーサの形を取ってはいるが、本来一定の形を持たない“ヒルコ”であっても、喰らってしまえば最初にクレイモアによる攻撃を受けた時のように、僅かなりとも動きを奪われるはずなのだ。


 つまり、完全に見てから躱したのだ。


「『神の御業』か……貴様らの信じる神など――こんなものだ。私を愛し、私が愛した彼らを謂われもなく殺した貴様らのなぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」

 狂気を孕んだ眼光がファルコーニを捕らえた。


 女竜族の姿を模した“ヒルコ”の姿が掻き消える。

 右の肩口に……右の背に……左の脇腹に―――セラミックのボディアーマーに皹が入り、血が飛沫く。


「一撃では死なせないぞ……我らの恨みを――全て刻み込んでやる!」

 音よりも速い速度域で、“ヒルコ”が呟く。


 憎き仇の面影を残す、『十字架を持つ白人』の血に酔いしれ、既に狂気に堕ちてしまった古き神は、更に深き奈落へと……進んでいった。


「――超加速まで、かよ」
 雪之丞は苦々しげに吐き捨てる。その語調には諦めの色は薄いが、メドーサが持っていることは知ってはいたものの、文字通り、『見たこと』がないために『恐怖する』こと自体がありえない超加速までも使いこなす“ヒルコ”への底知れない恐怖は…じわりと生まれ始めていた。



 全ては偶然だった。雪之丞に師事した、同時に最大の『恐怖』の対象となっていたメドーサが“ヒルコ”に血と竜気という450年ぶりの活力をもたらしたことも、そのメドーサがたまたま“ヒルコ”を含んだ財宝の買い取り先として選んだ『馴染みの企業』が村枝商事だったことも、“ヒルコ”にこびりついた竜気に惹かれた黒い蛇妖が、雪之丞達をこの廃坑に足を運ばせる要因となった落盤事故を起こしたことも……。


 だが、雪之丞の預かり知らないその偶然の積み重ねが、全てを“ヒルコ”に利していることを悟ったとしても、雪之丞に『諦める』という選択肢はなかった。


 勝ち目は薄い。だが、諦めても生きては帰れない。何より―――こんな心のまま死んでしまっては、天国のママに顔向けできない!!


 雪之丞がその思いに衝き動かされようとしていた時、もう一人の『諦めることをしない男』の言葉が雪之丞の耳朶を打った。



「このままでは勝てない――黒崎君……私には何が出来る?何をしたら勝てる?」

 心得はおろか、寸鉄一つ帯びていないにも関わらず、自分に出来ることはないかを探ろうとする賢一の言葉に、あくまで冷静に見極めた上で黒崎が答える。


「勝ち目そのものは薄いかもしれませんが……敵には……あのメドーサ女史の姿をとった“ヒルコ”とやらには精神的に幾つかの隙があります。そこを突き、動きを止めることさえ出来ればあるいは……といったところでしょう。ですが、動きを止めることは出来ても、一撃で倒さないと――」


 その黒崎の言葉に、闘志を燃やして反論する雪之丞。
「倒してやるよ。俺も俺なりにあいつの弱点は掴んでるんだ!それに、俺以外にやる奴はいねぇだろ」

 諦めることをしない……常に前を向き、生き残る道を模索する人間達の言葉が――かつて自らが捨てたヒルコのあまりに強い絶望と恨み、そして狂気を目の当たりにし、諦めに縛られようとしていた恵比寿神を衝き動かした。

「ちょい兄ちゃん……こっちに来てみ」傍らに雪之丞を呼び寄せ……その手に触れる。

「人間であるはずの自分らが勝ち目を探してる、というのにワシが諦めておったら、アカンわなぁ」

 雪之丞に流れ込む力――強い神気により、受けた傷が塞がっていく。

 身体機能が活性化したことで代謝能力が向上し、自然治癒力が爆発的に高まったのだ。

「一時的に限界を超える力を出せるようにはしたったから……これである程度あいつの動きにもついていけるかも判らん……せやけど、今の体感時間で……3分や!それ以上は身体の方が保ってくれん。たとえ自分がどれだけ鍛えておってもな。
 それまでにケリをつけや、ええな!」

 恵比寿神の叱咤を受け、雪之丞は意識を集中した。



 弄るようにファルコーニを切り刻み、苛むヒルコの姿が見える。スピードそのものは若干違うが、捕らえられない動きでもない……言うなれば相手がボールでこちらはそれを打つバッターのようなもの――そう認識した雪之丞は、飛び込んでの一撃を“ヒルコ”に叩き込む。


「人間風情が―――邪魔を……するなぁ!!」
 復讐に酔い、血に酩酊していた矢先、突然乱入してきた人間に向けて、怒りの声を上げる“ヒルコ”。

「うるせぇ!粘土野郎が!!」
 己の恐怖が生み出してしまったメドーサのコピー……その恐怖を振り払い、過去と決別するべく――それ以上の怒気を滲ませて、雪之丞が吼える。



 負けることの出来ない雪之丞の戦いが――幕を開けた!!

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