ザ・グレート・展開予測ショー

EXILE〜追放者〜(5)


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/ 4/24)

 そこは心地いい『世界』だった。

 変化には乏しいが、静かなことは何者にも勝る、至上の喜びだ。

 ほぼ無尽に流れ続ける『流れ』に身を洗えば、空腹感も失せていく。

 まどろみ、目覚め、静けさに身を任せ、刻とともに引き起こされる空腹感は『流れ』に
身を洗い、漱げば自然と満ちていく。

 ……どれくらいの時をそう過ごしていたかは判らない。だが、彼にとっては一つの完成された『世界』だった。




 その静寂に満ちた『世界』が初めて崩されたのは―――人間の世界で言うところのおよ
そ30年前のことだ。



 世界の『壁』を砕き、塒(ねぐら)を引き裂いた無法な輩に、彼は牙を振るった。

 報いを受け、引き裂かれた無法者から流れ出る液体に、彼は酔った。

 『ああ、何故この味を忘れていたのだろう』かつて味わったことのあるその蠱惑的な酩
酊感に身を委ね、彼は思う。

 彼の『世界』だった昏い洞までの道を作っていた侵入者達をたびたび引き裂き、その酩
酊感に狂おしいまでの官能を味わう日々は、始まりと同じく、唐突に終わった。

 拡がったはずの『世界』を、多量の土砂によって狭められたのだ。

 再び元の洞に押し込められた彼は再びの眠りに入ろうとする。

 ――だが、まどろむことは出来ても、寝付くことは最早無理だった。


 一度思い出した美味に取り憑かれていたことも確かに理由の一つだ。


 だが……それ以上に、彼がその牙で引き裂き、美味な液体を彼にもたらした、無法な侵
入者という『他者』というものを感じてしまったことが、彼にこの『世界』で覚醒して以
来感じることのなかった“孤独”という感情を引き起こしていた。


 衝動と爆発寸前の感情を、諦めで幾度となくごまかし続けたが、ついに限界が来た。

 自分と同じ“匂い”を感じ取ってしまったのだ。

 静寂に満ちた彼の『世界』を自ら壊すことには多少の抵抗があった。

 だが、初めて感じた『同族』への念は、あまりに強かった。感情を爆発させ、尾を振るう。

 50年以上かけて掘り進められ、補強された坑道に土砂を被せただけの脆い封は、彼が
尾を震わせることによってあっけなく砕け散った。

 感じ取った“匂い”の真下で再び尾を振るう。

 重いものが彼の近くに落ち、その一つから“匂い”の源が零れ落ちた。

 あの液体の匂いが刺激的な芳香を漂わせるが、今はどうでもいい。今はただ、彼の完全
な世界で、この物体に染み付いた同族の匂いを感じる方が先決だった。

 かつて、その身を三つに切り分けられて退治された末に霊道に封じられ、飽くなき飢え
を、霊道を通る死霊を流し込むことによって擬似的な満腹感を与えられていた漆黒の蛇……
怠惰ではあるが、邪悪な竜の眷属が、30年ぶりに覚醒した。




 ……それは、雪之丞らが坑道に足を踏み入れる三日前のことであった。












 一番最初に意識を取り戻したのは、黒崎だった。
 音響兵器を受けた経験は一度ある。今回受けたものとは違い、瞬間的に破壊的に巨大な
騒音を発して相手を無力化する暴徒鎮圧用の音響砲ではあったが、超振動の波をぶつける
ことで無力化する、という点では変わりはない。
 雪之丞が声を掻き消された瞬間、『無音』という名の変化を逸早く察知した黒崎は目を
閉じることで眼鏡の破損による失明の危険を減らし、両手で耳を塞くことによって鼓膜
を……ひいては三半規管や脳を保護するとともに、どうしても受けてしまう空気振動によ
る衝撃を、口を開くことによって“抜け”を早めることに務めてやり過ごしていたのだ。

 コンマ1秒に満たない気絶を経て覚醒した黒崎は、目を開いて自分の置かれた状態を確認する。
 『ダメージは……ない。目は……大丈夫か。音も……聞こえる。平衡感覚……異常なし。
が……光源が奪われたか』
 どうも相手の無音を作り出す能力は、時間にして5秒あるかどうかの、ごく限られた時
間のみに可能なのだろう。少なくとも、足元で擦れる砂の音や「く…」と、毒づく雪之丞
の声が聞こえている以上、今現在はその能力を使ってはいない。

 右手で懐を探る。
 米海兵隊・対霊チームから横流ししたシグが黒崎の指に触れた。銀弾も装填されており、
いかに霊的な素養はなくとも、万一の場合にはいくらかの戦力にはなる。
 だが、この漆黒の闇の中、地下で長いこと生活してきたであろう相手はこちらの位置を
把握している率は高いが、こちらはそうは行かない。

 『目』……視覚があてにならないというのは何よりも大きいハンデなのだ。


 かといって、このまま手をこまねいていたところで、待つのは死のみだ。

 『……それならば、どうする?』


 決断は、驚くほど早かった。


 数秒前の記憶の中にあった映像を引き出し、現在の暗闇に当てはめる。

 記憶の中にある通路の奥に向け、見当で銃爪を二度引く。

 気配から察するに、二人とも立ち上がってはいない。当たることはないはずだ。
 万が一当たったら――運がなかったと諦めてもらう。

 銃火が漆黒の闇を白く染めた。



 ごく一瞬に過ぎない、だが、強い光に照らし出された坑道の映像を記憶……以前の映像
と見比べ、違いを解析する。

 右側の坑道に、僅かにわだかまった影を見つけた。


 左手がポケットに収められたジッポーを探り当てる。

 記憶を頼りに銃爪を引きながら、黒崎はジッポーに火を点し……右側の坑道へと軽く放り投げた。











 雪之丞が突然の衝撃を受けてから目を覚ますまでは、5秒を要していた。

 黒崎と違い、咄嗟に備えていた訳ではない。だが、それでも魔装術の兜によって耳元を
ある程度カヴァーしていたことに加え、つい慌てて叫んでしまったという軽率と言っても
いい焦りが、体内に蓄積される振動の逃げ場を作り出し、雪之丞がこれだけの短い時間で
目覚めるという幸運を生み出していた。

「く…」言いつつ、起き上がろうとするが、足元がふらつく。

 銃火が二度坑道を照らすが、一瞬の光と、光に照らされた黒崎の姿が目に飛び込むだけで、音は聞こえない。

 鼓膜に、そして、三半規管にダメージを蒙っていた雪之丞の戦闘能力は半減していると
言っても過言ではなかった。
 しかし、内心で舐めていた相手に先手を打たれたという事実が、雪之丞の戦意に火を点けていた。


 仄かな光――黒崎の放り投げたジッポーの火が、坑道の数メートルにはかなくも確かな光をもたらす。

 暗い坑道を、近づく黒い蛇の姿が視界に入った。

「おおおおッ!!」

 『これ以上、好きにさせるかッ!』その強力な意思を込め、雪之丞の両手から霊波砲が
連続して発射された。














 白がかった光を放つ霊波砲は……その殆どが坑道のあちこちに当たった。
 そりゃ当然である。平衡感覚ぐちゃぐちゃなのに飛び道具なんか使うからだ。

 乱射された六発の霊波砲のうち、天井付近に着弾した一発が、坑道に皹を入れる。
「げ……やべぇ!!」
 やべぇ、じゃねーよ。誰のせいだ、誰の。


 ナレーションがツッコんでいる場合ではなかった。『音響兵器』によって大きなダメー
ジを受けていた坑道が、落盤を起こしたのだ。










 …………黒い蛇の真上で。













 えっと……なんと言うか―――――――――――――結果オーライ?





 

 もちろん、そんなはずはなかった。



 己の世界――廃坑に押し込んで来た、騒音を撒き散らす『侵入者』の一人が放った白い
光によって傷を受けてしまった彼は怒り狂っていた。

 『まだ動けるのか』そう思い、尾を振ろうとする。だが、頭上から崩れ落ちてきた巨大
な岩盤が彼に襲い掛かっていた。

 今すぐに攻撃衝動を満たすことは諦めた。目標を変更し、尾の方向を前方から上へと変
化させる。

 音速の衝撃波が発射された。

 完全に落下するより早く、1tを楽に超える岩は超振動を直接尻尾から送られて粉砕される。



 が、その衝撃波は、雪之丞の霊波砲によって決して小さくないダメージを受けていた横
合いの壁にも、きっちりと止めを加えていた。

 崩れ落ちる壁。そして、『黒い蛇』の身体に大量の土砂が降りかかる……見境なしに反
撃するからだ。



 ま、言うのは酷だろうが……所詮は動物だった。
 

「こ……これで終わりじゃ、ねぇ……よな?」
 あまりに間の抜けた『黒い蛇』の姿に目を点にする雪之丞だが、耳に残った残響が徐々に治まっていく中、その警戒を解いてはいない。



 案の定、黒山のようにうず高く降り積もった岩混じりの土砂が弾ける。

 黒金剛の色をした鱗が破れ、赤紫色の血が滴っている。

 静寂を汚し、自らに怪我を負わせた侵入者への怒りは、最高潮に達していた。
 どう見ても自業自得としか言い様がないが、所詮爬虫類並みの知能しかもっていない最
下級の邪竜……怒りを侵入者達にぶつけることしか考えていない。
 尾を振り、静寂を作り出そうとしたその矢先……強烈な光が『黒蛇』の視界を奪った。


 法王庁に属する武装執行官・“隼”こと、エンツォ=ファルコーニは、『黒い蛇』の放
った衝撃波をまともに受けてしまっていた。20秒ほどの時を経てようやく目覚めること
は出来たが、防御も備えもない状態で超振動を喰らってしまっては、目覚めたところで身
体機能はまともに働いてはくれない。

 脳をシェイクされ、三半規管は未だにワルツを踊っている。視界だけははっきりしてい
るが、立ち上がれもしないこの状態ではろくに銃を撃つことは出来ない。

 だが、見えており、口もはっきりと動くなら、出来ることはある。

 死んだ父の後を継ぎ、15で武装執行官となってから10年余り……その中で最も多く
呟いた聖書の一節を、ファルコーニはこの時もまた呟いた。

「『主は言われた―――“光あれ”!』」

 床でかすかな灯りとなっているジッポーの火が放つ光が、ファルコーニの言葉に従うか
のように増幅した。

 ようやく『黒蛇』の全身が顕わになった。

 ところどころから出血はしているが、全身の殆どを黒い鱗で覆い、尾の先だけにはそれ
まで幾度となく行った脱皮の名残である古ぼけた皮の白を纏っている。


 沈黙を生み出す尾を持つ、漆黒の肌をした巨大なガラガラヘビ――サイレント・ワイン
ダーとでも言おうか――と例えるしかない外見を持つ黒蛇は、転生して初めて受けた突然
の強力な光に戸惑いつつも、尾を振ろうとするが、出来なかった。

「『主は光を見て“善し”と言われた』」
 光に一瞬怯む内に続けられたこの一節に伴い、増幅された光が位相を変えて集約され、
特に強力な一条の光の帯となって尾を灼き切っていたからだ。

 超振動によって周囲の音を塗りつぶし、静寂と衝撃を与える音響兵器の如き尾をレーザ
ーの一閃によって切り飛ばされたガラガラヘビは、怒りとともに口を開く。

 胃から揮発性の高い酸を吐き出す。
 外氣に触れた酸はあっという間に炎と化し、長さ数メートルにも及ぶ火線となってその口から伸びた。



 だが、怒りに任せたその炎はあまりに力任せすぎた。

 蛇の眉間に9ミリの穴が穿たれる。

 黒崎のシグから放たれた、銀の牙だ。

 直後、アッパー気味に打ち上げる雪之丞の右の拳が蛇の顎を無理矢理閉じる。

 炎が途切れたかどうか、というタイミングで……打ち降ろした雪乃丞の左の拳が、黒蛇
の頭を地面に叩きつけた。

 貴様はロシア出身のプロボクサーか、といわんばかりの、必殺の威力を込めたコンビネーション・ブローだった。




「飲み込んでいる様子もないし……ここにはないようだな」
 生前愛した沈黙に抱かれる黒蛇を見下ろし、雪之丞は言った。
 霊力を存分に込めた両拳で黒蛇に止めを刺したことへの充実感は、数秒で消えている。
むしろ、強敵がいないというのに『黄金の恵比寿像』の探索を続けなければならないとい
うことへの面倒さがその表情からはうかがえた。

 だが、面倒とはいえ、請け負ったからには全力を尽くす。

 それが、雪之丞が裏世界での数々の仕事を経て身に付けた、シンプルだが間違いのない処世術だった。

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