ザ・グレート・展開予測ショー

醜女 後編


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(05/ 3/27)

あくる日。

道士が深い眠りから覚めたのは、はや辰の刻も半ば(午前八時)になろうかという頃だった。
普段であれば夜が明けぬうちから起きているのが常であるが、やはり見えぬ疲労が溜まっていたのか、今日に限ってはただの一度も目を覚ますことはなかった。
あわてて身を起こすが、すっかりと明るくなった室内を目にして、ついぞその動きを止める。
水温むこの季節の朝寝坊はまことに堪えられぬものがある。
偶にはこんな日もよいか、と思い直し、一つ大きく伸びをして布団の中へ潜り直した。

かなり遅い朝餉をゆっくりと取り終えた頃合を見計らい、半分ほど開かれた障子の向こうより声を掛けてくる者があった。
昨日、廊下で鉢合わせしたあの腰元だった。

「道士さま」

「何か」

姿勢良く背中を伸ばしたまま、どこかくつろいだ気配を漂わせて道士は言った。

「姫様が茶を一服進ぜたい、と申しております」

その問いにはすぐに応えず、道士は障子の先に写る景色に目を向けた。
隠れて見えぬ木の枝から二羽の雀が駆け降り、庭の上をちょこちょこと千鳥足で歩いている。
やがて、奇跡的に残っていた石灯籠の上に飛び移ったかと思うと、何かを見つけたのか、慌しい様子で飛び去っていった。
その様を見届けてから、ようやくに口を開いて言った。

「―――半刻後(約一時間)伺う、と御伝えあれ」

「かしこまりました」

音も立てずに腰元が去っていくと、道士は静かに目を閉じた。
そよとも動かぬうららかな気配の中、伝えるべき事の是非を繰り返し己に問うていた。
それはあたかも、好々翁が微睡みのうちに過ごしているかのようにも見えた。



張り詰めた空気が漂う茶室に、釜の湯が沸き立つ音と、茶筅を回す音だけが響いていた。
まだ洗練されるほどには遠いが、さすがに武家の娘というべきか、女華姫の点前もなかなかのものであった。

「おキヌのことは、もう気にせぬがよかろう」

不意に道士がそう話しかけると、手を止めることこそなかったものの、僅かに女華姫の手元が乱れた。

「―――なかなか、そうはまいりませぬ」

立て終えた茶を差し出しながら申し訳なさそうに女華姫は言った。
飾り気のない武骨な黒楽茶碗も、女華姫の手になるとまるでぐい呑のようであるが、今日はそれが手に余るように見えた。
道士は茶碗を受け取り、手のひらで回して口をつける。やはり、茶の味に迷いが感じられた。
それもまた好ましい、と思えた。

再び訪れた沈黙を破り、今度は女華姫のほうが口を開いた。

「わらわは醜い女じゃ」

自嘲するでもなく、淡々とした口調で言い放つ。

「あのくじを引いたとき、わらわの頭は恐怖でいっぱいじゃった。何故じゃ! 何故わらわが死なねばならぬ! 誰か代わってくれぬか! そればかり考えておった」

「―――――」

「わらわの無様な有様を見兼ねておキヌが志願してきた時、わらわはそれにすがってしまった。何の罪もない、心優しい村娘のおキヌに」

女華姫はじっと拳を固く握り締めて耐えていた。茶杓など、とうに二つに折られている。
へし折れた柄にじっと目を落とし、女華姫が真情を吐露している間、道士は何も言わずに座っていた。
聞いているのかいないのか、また、聞かせているのかいないのか釈然としないままに、話だけが続けられていった。

「―――わらわは器量の良いおキヌに嫉妬していたのやも知れぬ。それがために無二の友と思っていた者を死なせ、自分はのうのうと生きておる。口では生命に違いなどない、と言っておきながら浅ましい事じゃ」

堰を切ったように放たれていた奔流も次第に勢いを無くし、程なく途絶えて枯れた。
再び茶室に沈黙が降り、沸々とたぎる湯の音だけが部屋を満たす。

求められてもいない相槌を打つことをせず、道士はじっと茶碗を眺めていた。
昨今流行りの濃厚鮮美な色彩を放つ茶器ではなく、手づくねで拵えた黒楽茶碗は豪放磊落に見えながらもどこか繊細で、前に佇む姫の人となりを良く現していた。
だがそこに、おキヌの死の責任という自責の念が、曜変のように色を成して染み付いていた。

誰もが口にこそしないが、事の次第がどうであれ、結局のところおキヌは人身御供になるのを避けられなかっただろうと思う。
あのとき、未婚で十五になる娘は三十人ほどはいたが、身寄りのない孤児であった者は他にいない。
いかに皆に慕われていたとはいえ、家族のいる者とそうでない者とでは、その結果は日を見るよりも明らかだった。
おキヌもそれを察していたからこそ、自ら名乗りを上げたのであろう。他の者全ての代わりとなって。

おキヌは死んだ。
しかし、全てが失われたわけではない。その恩に報いてやる可能性が残されていた。
あるいは、この姫ならばあるいは救えるやも知れぬ、そう思わせる何かが感じられた。
ならば、伝えねばならぬ。
死津喪比女を封じた秘術の、おキヌの死の本当の意味を。



道士が全てを語り終えた頃には、狭い茶室は西日で照らされていた。
淡い光に彩られ、張り詰めた緊張も幾分か和らいだように思えた。
おキヌを再び生き返らせる事が出来る、それがどれほどの難事であっても嬉しかった。

「じゃが、ひとつ問題が残る」

明るい表情を取り戻した女華姫に釘を刺すかのように、道士は言った。

「仮に全てが上手くいっておキヌが生き返ったとしても、そこは遥か遠い先の世、おそらく数百年の後であろう」

親類縁者もなく、身寄りも知人もない時代の孤児となって、大きく変わってしまうであろう世の中で生きていかねばならぬ。
そのような中では、如何にしても幸せを見つけられるようになるとは思えなかった。
数百年も暗闇の中で孤独に過ごさねばならぬおキヌに対し、あまりにも惨い仕打ちと言えた。

「なれば、如何すればよいのじゃ」

その孤独を思い、身震いする気持ちで女華姫は尋ねた。
生き返ったおキヌにそのような思いなど、断じてさせてはならなかった。

「帰る家を、家族を作って待っていてやらねばなりますまい」

死津喪比女を見張り、眠るおキヌを見守り続け、親から子へ、子から孫へと代々伝え、いつしか目覚めたときには家族として受け入れる、そんな家を作ってやらねばならなかった。
不幸にも一度は失った家族を再び得ることこそ、おキヌの奉公に対しての何よりの褒美となるであろう。

「それをわらわが―――?」

「さよう」

姫として幸せになる道を捨て、生きては会えぬおキヌのために残りの生涯を費やさねばならぬ。まだうら若き娘にとっては残酷とも言える話である。
だが、女華姫に躊躇いなど、欠片ほどにもなかった。

「なれば、否やもござりませぬ」

道士に相対して姿勢を正し、畳に三つ指をついて深々と頭を下げた。

「ふつつかではござりますが、何卒よろしくお願い申し上げまする」

やがて上げた顔には、晴れ晴れとした笑顔があった。



女華姫は器量の良くない、醜女と呼ばれる女である。
だが、魂の高潔さを思わせる、美しい笑顔の持ち主であった。

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