ザ・グレート・展開予測ショー

約束


投稿者名:臥蘭堂
投稿日時:(05/ 3/21)

 ピート――ピエトロ・ド・ブラドーがその屋敷を訪れた時、主である老人は、庭を使用人が押す車椅子で散策中で、丁度、門扉をくぐったピートを出迎える形になった。
 ピートが右手を挙げて挨拶するのに笑って応えた老人は、車椅子を押していた使用人に、茶の用意をするように言った。使用人が頭を下げて退がると、ピートは彼の代わりに老人の車椅子を押しながら、口を開いた。
「お元気そうで、安心しましたよ。風邪を召されたと聞きましたから」
「は。お前までそんな事言うのかよ。大体なあ、風邪なんぞ毎年ひいとるわい。全く、その度に騒ぎやがって」
「無理もありませんよ、ほら、風邪は万病の元と言うでしょう」
「いや、アレはその、ホレ、アレだ。昔よ、俺達がまだ、高校生の頃か、俺が風邪ひいたってんで、クラスの連中が大騒ぎしただろう。アレと同じだ」

 老人の言葉に、ピートは苦笑を漏らした。実に、この人らしい言い草だな、と。それこそ、高校生だった頃とほとんど変わらぬ言葉使いが、無性に嬉しかった。

 見た目は、だいぶ変わってしまった。無理もない。初めて会った頃から、既に七十年が経過しているのだ。かつて、老人の雇い主だった彼の夫人を始め、多くの友人知己が、既に鬼籍に入っている。
 今日に至って尚、老人の認識や言葉がはっきりとしているのを、喜ぶべきなのだ。この人の人格が崩壊して行くのを見るのは、恐らく、途方もない苦痛に違いないだろうから。

「ともあれ、大事にして下さいよ。まだまだ僕一人じゃ、協会を取り仕切るなんて、無理なんですからね」
「おめーは鬼か……足腰も萎えた年寄りまでこき使おうだなんざ、ウチの女房並みのアコギっぷりだぞ」
「ああ、それだけは勘弁して下さい。あの人と同列だなんて、恐れおおいと言うか、何と言うか」
「素直に『嫌だ』と言え」

 どちらからともなく、笑いが漏れた。しかし、老人の笑い声は、途中から咳に変わり、それは、ピートが背中をさすっても、中々止まらなかった。
「すまねえ……いやあ、咳き込むまで笑ったのなんぞ、久しぶりだなあ」
「もう、屋敷に戻りましょう。まだまだ冷えますし」
「いや。もう少し、ここにいようや」
「でも」
 ピートの抗議を、老人は右手を挙げて制した。
「なあ、ピートよぅ。女房がアッチに行っちまってから、何年になると思う」
「え? ええと……確か、もう十年近くになりますか」
「八年さ。八年前だよ。あのごうつくばりがよぅ、俺より八年も先に逝っちまいやがった。世界が滅んでも自分は生き延びるなんてほざいてた癖によぅ」
 ピートは、車椅子のハンドルから手を放し、老人の横に並んだ。俯く老人の背中を、見たくなかったのだ。
「そんでな、アイツと来たらよ。亡くなったその晩から毎日俺の枕元に出てきやがるんだ。やれ浮気すんなーとか、やれ女中の尻触るなーとかよぅ。まったく、GSが化けて出てくるんじゃねえってんだよなあ」

 本当なら、苦笑の一つもするべきなのだろう。しかし、ピートには、どうしても笑みを浮かべる事が出来なかった。形だけでも、笑ってみせる事が、出来なかった。

「それがな、一昨日の事よ。『もう来ない』なんてぬかしやがってなあ」
「成仏、なされたんですか」
「あれがそんなタマかよ」
 老人は、くつくつを肩を揺らして笑った。それが、また咳に変わるのではないかという予感が、ピートを恐れさせたが、今度は、老人もこらえたようだった。
「何の事ぁねえ。ようやっと輪廻の都合がついたから、先にそっち行ってるとよ。『今度も勝つのはアタシ』だとさ。っ……たく、つくづく手前勝手な女だぜ、アレぁ」

 老人の言葉の意味に、ピートは悲鳴の衝動に駆られた。

 輪廻の、都合。それはつまり。ああ、でも。でも、まだ。まだ僕は。あなたを。あなたと。

「ピートよぅ」
 老人の、途方もなく優しい声に、混乱する心を取り戻した。
「え……あ、何――ですか」
「泣いてるぞ、お前」
「あ」
 老人の言う通りだった。触れてみるまでもなく、頬が濡れていた。顔の筋肉もぐしゃぐしゃに歪んでいた。多分、今自分は相当に身も世も無い泣き顔になっているのだろうと、ピートは思った。
「なあ、泣くなよぅ、ピート」
「でも……でも、僕は……僕はぁ」
「泣くなってばよぅ。ったく、お前と来た日にゃあ、そういう所ぁ昔っから変わんねーなあ……じゃあ、よう。こうしようや。約束だ。一つ、約束しようぜ、なあ」
「やく……そく、ですか?」
 老人は、子供のように涙を流すピートの手を引いて、自分の前にひざまずかせると、右手の小指を差し出した。
「ああ、約束だ。良いか、俺はじき、女房ん所へ行くだろう――ああ、だから泣くなって。けどな、行った先でもお前の事ぁ憶えておいてやる。そんで、すぐにお前の所に行ってやる。女房の目ぇ盗んででもよぅ。だから、な」
「そんな、そんなの無理ですよ。いくらあなただって、そんな事」
「お前なー、俺を誰だと思っとるんだ? つーかな、俺が誰の亭主やってたと思っとるんだ。アレとン十年も夫婦やってられたんだ、それに比べりゃどうって事ねーだろうよ」

 なあ、と笑ってみせる老人の顔を、何とかまともに見ようと、必死で涙をぬぐった。その視界に、老人の右手の小指がぼんやりと浮かんだ。ピートは、自然にその指に、自分の小指を絡ませた。

「だから、な。一々泣くなっつーの。そりゃあな。俺達ゃお前と違って死んじまうよ。けどよう。なあ、こうすればよ」
「じゃあ、約束ですよ。良いですね、絶対。絶対ですからね」
「ま、男相手の約束なんぞ、何ともぞっとしねーけどな。ああ、そんな恐い顔すんなって。何、女房だって事情を話せば付き合ってくれるさ。アイツ、何のかんの言って俺にメロメロだからなあ」
「そんな事言ってて良いんですか。聞かれてたら、後が恐いですよ」

 もう、ピートの顔は、歪んではいなかった。



 その後一週間と待たず、老人は、不帰の人となった。

−−−−−

 葬儀の席で、弔辞を聞きながら右手の小指を見詰めるピートに、今では数少なくなった――と言うよりは最後の一人となったクラスメイトの女性が、怪訝な顔で尋ねた。
「どうしたの、ピート君?」
「ああ、いえ別に」
 何でもないと答えようとして、ピートはふと、その同窓生の事を見詰めた。彼女もまた、人とは異なる時間を生きる存在なのだ。だから。

「その――実はね」

 この人とも約束しておけば、確実ですよね。奥さんには、叱られるかも知れないけれど。


――了――

−−−−−
後記
こちらでは、初投稿になります。臥蘭堂と申します拙文書きで御座います。
この短編と呼ぶのもおこがましいような短い文章は、馬家大姐様の描かれましたある絵と、それに付されていた文にインスパイアされたものです。
もっとも、馬家大姐様の御作とは、スタンス等が異なってしまったかも知れませんが、私としましては、まあ、こうしてやりたかったかなあと。
とまれ、拙文ではありますが、余暇の共とでもしてお楽しみいただけましたら幸いです。

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