ザ・グレート・展開予測ショー

遠い空の向こうに その9(最終話)


投稿者名:青の旋律
投稿日時:(05/ 3/ 6)

         9  







今世界の消滅、新世界の創造。
デタントの名の下に繰り返される予定調和の小競り合い。
その中で敗者の王として君臨し続けなければならない苦悩。
やがて下した決断がそれだった。

その野望は多くの魔族を惹き付けた。
この世界は魔族に住み良い世界では決してない。
神は無条件で崇拝され、魔は無条件で忌み嫌われる。
そこに明確な理由などはない。
改善される見込みもない。
魔族にとってこれほど理不尽な世界があるだろうか。
もしもその世界を変えようとする者がいるならば、賛同してそれに懸けてみたいと思うのは当然。

でもあのヒトは知っていた。
世界を自分の都合の良い世界に変えようと思い動いた事。
それ自体がこの世界の予定調和である事を。
それこそが神の望んだシナリオ。
弱者を蹴散らし踏みにじり己が野望を求めんとする悪魔。
その悪を懲らしめ秩序という名の世界を存続させる事が神族の理想的世界像なのだから。

だから消滅を求めた。
魂の呪縛から逃れる事を望んだ。
そしてその願いは叶えられた。
もうこの世界に魔神アシュタロスが現れる事はない。
もうあのヒトをこの修羅の世界に呼び戻してはいけない。
それこそがアシュ様の遺志。
そう私は心に強く刻み込んでいた。







「連絡ありませんね、美神さん」

美神令子除霊事務所の所長室。
窓の外をしきりに眺めてはおキヌが令子に声をかける。
おキヌは明らかに痩せ衰えていた。
近づいた令子もまたひどく衰弱した顔をしている。
二人はつい先ほど目覚めたばかりだった。

石化と戦ったもう1つの戦いがそこにはあった。



横島と蛍子が去ってから令子たちもその場を離れていた。
狙撃者の気配が消えたとはいえ、相手が単独とは限らない。
その段階で『護』の結界の外へ出るのは危険だ。
だが保育園という場所が令子たちに結界を出る決意をさせる。
一般人、まして子どもを巻き込みかねない場所に長居はできない。
気合と根性で石の身体を奮い立たせ歩き出す。
おキヌはその傍らでほぼ休みなしにヒーリングを続けた。
令子、横島という超一級GSと肩を並べる治癒のエキスパートに成長したおキヌ。
だがそれでも進行を食い止めるだけで精一杯。
石化に特化した銃弾のエネルギーには勝てなかった。

幸いな事に追撃はなかった。
1m進むのに数分かかる遅々とした歩みで向かったのは堤防。
保育園でよく散歩に行くというそこは小高く平坦で実に目立つ。
だが見通しもきくため敵の接近にも気づきやすい。
1本の木に腰を降ろし神経を研ぎ澄ます。
無限にも思える数時間が過ぎる。
都心方向に黄色の光が見えたのは夕闇迫る薄暮の頃だった。

「けっこう無茶するわね」

令子は即座にそれが石化無効結界と気づいた。
その範囲の広大さに感嘆の声を漏らす。
術や結界にも造詣の深い令子はそれがそんなに簡単な事ではないと知り尽くしていた。
確信めいた顔で都内の中心部まで進んでいく。
アスファルトに不可思議な足跡を残しながら。
おキヌはヒーリングを淀みなく続ける。
これほど長時間ヒーリングを続けた例はない。
おキヌだからこそ耐えられているのだろう。
普通の人間なら恐らく衰弱死しているに違いない。
令子とて石化した身での行動と狙撃に対しての警戒で極限まで霊力を放出し続けていた。
その間、石化無効結界に入るまでの9時間あまり。
人界に五人といない莫大な霊力の二人は結界に達した時点でほとんど力尽きていた。
ヒーリングから解放されたおキヌが最後の力でネクロマンサーの笛を取り出す。
奏でる音色が人工幽霊壱号を呼んだ。
コブラに憑依した人工幽霊壱号が令子とおキヌのところへ駆けつける。
事務所に辿り着いた時、すでに二人の意識は途切れていた。

マリア似の人型ロボットが二人を運んでいく。
数年前から導入していたマリアの簡易量産型試作機だ。
開発にはカオスや厄珍が携わり、簡単な日常動作ができる。
ロボットの肝である頭脳はなく人工幽霊壱号が憑依して動かす。
愛称は『GM(ジム)』。
なぜGMかという問いに横島は断固として叫んだという。

「簡易量産型といえばGM! ジェガンでもダガーでもなーい!」

意味の分からないままその場の誰もが了承して決着がついた。
そんな泥酔した横島や令子を運ぶのに大助かりのGMが仮眠室に入っていく。
横島の仮の住居としての色合いも強いその部屋のベッドに二人を寝かせる。
二人の疲弊した顔を見て人工幽霊壱号はある種の感動を覚えていた。
これほどの状態に彼女たちを追い込む輩がこの世界にいた、という事に。
横島がその相手と戦っているのは分かっていた。
事務所の窓をビリビリと震わすほどの霊気と魔力の圧力。
一瞬煌めいてすぐ消える照明弾のような閃光。
人工幽霊壱号は否定的な予想をしていた。

(蛍子さんがいません。すでに殺されたか、横島さんが守りながら戦っているか。
しかし守りながら戦えるほど易い敵ではないでしょう……)

そして結界の出力を最大に上げる。
外界の情報をシャットアウトするほどの強力な結界。

(お二人が目覚めるまで、せめて私がお護りしなければ……)

自身が消耗してしまう事も承知で人工幽霊壱号は結界を張り続けた。
その中で眠り姫二人は8時間に亘って眠り続けたのだった。



人工幽霊壱号が結界の出力を元に戻して外界の情報を入手する。
大気には衝突した霊気と魔力の破片が混じっている。
顔なじみのスズメが昨夜未明にかけての話をしてくれた。
都心上空で巨大な光の球が2つ動き回っていたという。
ぶつかっては光を散らし、空を白く染めたのだとか。
おかげでよく眠れなかったと不満顔のスズメだった。

その喧騒も今は遠く。
それが戦いの終結を物語っているのは間違いない。
どんな形で結末を迎えたのか―――
石化銃弾一発に苦戦した自分たちを思いやる。
おキヌは不安を隠せずただ窓の外を見つめ続けた。

「大丈夫よ。何の心配も要らないわ」

令子がおキヌの横に立ち、外を一瞥すると軽い口調で言い放った。
その顔は本当に何の心配もしていないような晴れやかさ。

「でも……」
「あの宿六が蛍子の成長を待たずして死ぬと思う?」
「それはそうですけど……」
「心配するだけムダよ。今にケロッとした顔で戻ってきてバカバカしくなるから」

おキヌの不安げな表情をかき消すように令子は断定した。

「アイツは必ず帰ってくるわ。ここへね」
「そう、ですよね」

横島が蛍子をみすみす殺させるわけはない。
蛍子を置いて自分だけ死ぬわけもない。
おキヌが笑顔を取り戻す。
令子もおキヌの表情の変化に頷いて応える。

「それにしても、本当に何やってんのかしら、あのロクでなしは!」

窓の外から遥か遠くの空を見上げた令子が呟いた。
心に膨らむ黒い意識を必死に抑え込みながら。







「アシュ様の、そばへ……?」

5歳児体型の少女が驚きの声でゴルゴーンに近づいた。
その口調は蛍子ではなくルシオラのそれだ。
傍らにいる横島も驚いた表情でゴルゴーンを見つめている。

「蛍子の魂を奪うのが目的じゃなかったのか? お前の本当の目的は……」
「ふ、バカにしたわね?」

気を悪くしたような声でゴルゴーンが苦笑する。
だが少しの動作すら苦痛だったらしく、すぐ苦悶した表情に変わった。

「女には、いくつも顔があるものよ」

白濁した瞳はすでに何者も捉える事ができない。
だが視線はルシオラに向いていた。
ルシオラもまたゴルゴーンに視線を合わせ、納得したような表情で頷く。
横島はその二人を交互に見比べて顔をしかめる。

「あなたには一生わからないわ」
「……きっとね」

やや冷淡な4つの瞳が横島を見つめる。
複雑な女心がこの男に分かるはずもない。
自分のために千年待ち続けた女の愛情。
それに気づいたのだって、再会して10年経ってようやくという鈍感ぶりなのだ。

「放っとけ」

苦笑いの顔で横島が息巻いた。
その声を聞いて再び苦悶を浮かべながらゴルゴーンが笑う。

「ルシオラの魂を奪うのが目的よ。それが組織の方針で、私の任務」

過去の事を口にするような口ぶりで淡々と話し出す。

「私はプロよ。そこに感情の介入は許さない」
「けっこう感情剥き出しだったと思うが」
「うるさいわね……そうよ」

横島の呟きに少し怒りながら肯定する。
プロとして冷静沈着を心がけてきたのに情けない話だ。

「プライドも何もズタズタよ」

この男のペースに振り回されて自分を見失った。
どこから狂ったのだろう。
すでに光を失い殺気が消え果てた視線睨むように横島を見据える。
その姿が横島にはひどく儚げに見えた。
さらにゴルゴーンがため息をつきながら呟く。

「アシュ様もずいぶん闘いにくかったでしょうね」
「そうね」

その言葉にルシオラも大きく頷く。
横島の荒唐無稽な戦法はルシオラもよく知るところだ。
南極での一戦、コスモ・プロセッサを巡る決戦。
魔神アシュタロスを相手に一歩も二歩も引きつつ裏へ回るような戦法。
真面目なアシュ様が困惑してペースを乱したのは言うまでもなかった。

「放っとけ!」

何となく褒められている気がしない。
横島が再び苦笑で息巻いた。

「でもそれも済んだ話」

ゴルゴーンが晴れやかな声で言い放つ。
その声には悔いのない、ある種の達成感すら漂っている。

「私は敗れた。任務は失敗。今の私はただの一魔族の女。そしてもう長くもないわ。
だから最期に本当の願いを言っただけ」
「ゴルゴーン……」

互いに全力で死闘を演じてきた。
その中で感じたゴルゴーンの意志。
それは復讐心でも破壊衝動でもないプロとしての使命と秘めた情熱。
それゆえか横島とルシオラにゴルゴーンへの憐憫の情が芽生えていた。

「本当にアシュタロスが好きなんだな。最初は関係ないって言ってたから」
「ふっ」

横島の声にゴルゴーンが鼻で笑う。
苦痛に歪む顔を、気を悪くした横島が睨んだ。

「何だよ」
「魔族にとって憎悪と怨念は力の源のようなものよ。実際にアシュ様に憎しみを持っているのはヌルくらいだわ」
「そうね。アシュ様を憎む魔族はそう多くないと思う」

アシュタロスをよく知る二人が声を揃える。
横島もそれは感じていた、いや今も感じている。
結果的に戦う事になり、その過程でルシオラすら亡くした。
それでもアシュタロスに対する憎しみは湧き上がらなかった。
アシュタロスの行為そのものは許されないし許すつもりもない。
だが魔であるゆえに憎まれ敗北する宿命を背負わされた魔神の苦悩は少しだけわかる。
自分もまた、この世界に理不尽な扱いを受けてきた者の一人だ。
イイ男は無条件で全てを肯定されブサイクは無条件で阻害される社会。
美形の男をことごとく呪いで抹殺しようと妄想した事もある。
もしもその世界を変えようとする者がいるならば自分もその中に飛び込んだかも知れない。
思えばアシュタロスも自分も似ているのかも。

「似てないから」
「ええ、全然似てない」

一層冷ややかな目線で自分を見る二人に気づいて横島が我に返った。
ゴルゴーンなどはもはや使えないのに石化の魔眼を発動しそうな威圧感で睨みをきかせている。
横島は真剣に自分の特性について考えた。

「この癖、直さな命に関わるな」



「うッ!」

ゴルゴーンが苦悶の表情で呻く。
命の灯火が消えるのも時間の問題だ。
自分でもそれが分かる。
訴えるような顔で横島に問いかけた。

「アシュ様の転生先、あなたなら知っているんじゃない?」

横島は奥歯を噛み締めていた。
言っていいのか。
その判断をつけかねていたからだ。
横島はアシュタロスの転生先を知っていた。
令子から聞いていた。
それは全てが終わり、事件の全貌を総括した時に語られていた。



魔神アシュタロスは神・魔界の最高指導者によって罪を許された。
願いは受け入れられ魂の呪縛から解き放たれたのだ。
しかし宇宙意思による輪廻転生のシステムが両者の力でくつがえるわけではない。
アシュタロスは転生する。
それが変わる事はない。
ただ転生先が変わるのだ。
魔族ではなく、もちろん神族でもない存在に。

『だから人間なんだって。
ま、どこの国の誰のところに生まれるとかまでは追跡できないみたいだけどね』

前世の自分を創った父親の転生後を思いやったのか。
そう語った令子は少しだけノスタルジーな顔を浮かべていた。



もちろんこの事は三界のトップシークレットだ。
今までも誰も語った事はないし、それは許されない。
魔神としての全てを失った魂はすでにアシュタロスではない。
その意味で魔神アシュタロスは完全にこの世界から消滅した。
だがそれを良しとしない連中が暗躍している。
ゴルゴーンやヌルのいる組織もそうだ。
そういう連中がアシュタロスの転生を知れば今回と同じ事が起こるのは間違いない。
そいつらにとっては、いくら全ての力を失っても魔神の魂である事に変わりはないのだ。
だが……
横島はゴルゴーンの様子に邪悪さを見出す事ができなかった。
そこにあるもの。
それはただ純粋に愛しいヒトのもとへ行きたいという切なる想い。
それはただ純粋に絆を求める一人の女のひたむきな願い。
立ち上がり目を閉じて考える。
自分と令子の出会いは運命でも何でもなかった。
ただバイトを探していた時に、偶然ポスターを貼りに外へ出ていた令子に会っただけ。
それが運命や絆というなら。
たとえ世界の端々で生まれ出でたとしてもきっと巡り会えるに違いない。
覚悟を決めた目でゴルゴーンを見下ろす。

「保障はできない。本当にアシュが好きなら、自力で辿り着いてみな」

冷たく言い放つ。
だがゴルゴーンは、まるで無邪気な子どものような顔で微笑んだ。

「……ありがとう」

心からの感謝の言葉。
その声に思わず横島の顔も笑う。

「よし、逝ってこいッ!」

残り少ない霊力で気合を入れると空中に文珠が2つ浮かび上がる。

―――『転』『生』―――

ゴルゴーンの周りを円を描くように回転しながら黄色い光の粒を撒き散らす。
その中で胸のところに手を組んだゴルゴーンがゆっくりと光の粒に変わっていく。

「ゴルゴーン……」

願いが叶いますように。
ルシオラが胸に手をあて祈る。
その右肩を腰を下ろした横島が包み込む。
ルシオラは肩に当てられた横島の右手を胸に当てていた左手で覆うように添えた。
温かさが互いを包み込んでいるのを感じる。
二人が見守る中、光の粒が昇り始めた。
螺旋状に回転しながら徐々に朝もやのかかる空へと拡散していく。
その光が一粒も見えなくなるまで、横島とルシオラはその行方を追い続けていた。



数年後。
関東きっての財閥、芦グループの社長夫妻に待望の第一子が生まれる。
優太郎と名づけられた男の子は順調に成長し、やがて若くして社長の座に就く事になる。
その傍らには幼稚園時代からずっと一緒という一人の美人秘書が付き従っていた。
崇手 能生(すうて のう)という名のその女性。
彼女がゴルゴーンの転生後かどうかは誰も知らない。







横島とルシオラは大展望台の上に並んで腰を降ろしていた。
東の空から朝日が顔を出し始めている。

「朝日も……なかなか」
「そうね」

二人で見られれば何だっていい。
結局のところ二人はそう思っていた。

「ここで別れたんだったね」
「ああ。そうだったな」

しみじみと過去を振り返る。
ルシオラはこの場所でした事を思い出した。
それは霊基を分けるための行為。
だが死を覚悟していたルシオラにとっては最後のキス。
横島は覚えてもいないその行為を思い出してルシオラが思わず赤面した。

「でもこれからは一緒」

ルシオラが照れ隠しとばかりに大げさな動きで横島の懐に乗る。
顔を近づけられて横島は苦笑しながら応えた。

「父娘だけどな」
「そうね。頼むわよ? パパ」

ルシオラが首を抱えるように抱きついてくる。
包むように背中に手を添える。
受け入れた体重が増し、力が抜けたようにもたれかかってきた。
ずるりと落ちてくるのを押さえる。
ルシオラの目が閉じたまま開かない。

「ルシオラ……?」

脇を抱えて軽く揺らす。

「ん……? パパ?」

目を細めて眠そうにしながら応えた。
その口調は年相応の甘い舌使い。

「蛍子……だな」

驚くのもおかしな話だ。
変な確認をする横島の頭上から声がした。

「こっちよ、ヨコシマ」

横島と蛍子が見上げる。
半透明のルシオラが、15年前の姿そのままに浮かんでいる。

「ルシオラ!」
「蛍子ちゃん。楽しかった?」
「うん! とっても楽しかったよ!」

横島にとっては意味が分からない会話で二人が微笑みあう。
そしてルシオラが少し名残惜しそうな笑みを浮かべた。

「もう行くわ。たぶんもう出る事はないと思う」
「……そうか」

夢が終わる。
朝とともに醒める夢。
分かっていた事だ。
それでも横島の顔は落胆を隠せない。

「悲しむ事じゃないわ」
「ああ、そうだな」
「ルシオラ、どこか行っちゃうの?」

蛍子が驚いた顔でルシオラに問いかける。
守ると言った。
ずっとそばにいると思っていたのだ。

「ええ。遠いところへね」

ルシオラが空の彼方を指さす。

「あの空の向こうに」
「空の向こうに?」
「そう。遠い空の向こうに」

微笑むルシオラは決して別れの雰囲気を漂わせていない。

「また会える?」
「ええ。きっと会えるわ」

そうキッパリと言い切られると不思議なものだ。
まるで本当に空の向こうにいるような感覚になってくる。

「……分かった」

蛍子が微笑みを返す。
ルシオラは安堵に満ちた微笑で蛍子を見つめた。

「ルシオラ」
「何?」

ふいに真面目な顔になった横島を見てルシオラがキョトンとした目をする。
何かを言いかけながら横島が視線を落としていく。

「ルシオラ……その……」

幸せだったか?
そう聞こうとしてためらう。
その問いかけがルシオラに1つの答えを強要するような気がして。
何と答えさせたいのだ、自分は?
横島はその質問をするのが卑怯な事だと自分でも気づいていた。
うつむく横島にルシオラが微笑みかける。
消え入りそうな身体で心からの愛情を込めた言葉を紡いだ。

「幸せだわ」
「え?」

その言葉に顔を上げる。
嘘偽りのない強い瞳。
誇りに満ちた表情でルシオラが笑いかけている。

「ヨコシマ、私は幸せだわ。今までも、そしてこれからも……」

ルシオラの身体が上昇する。

「ルシオラ!!」

空に溶けるように。
朝日の中にゆっくりと染み込んでいく。
横島は空を見上げ続けた。
一瞬も逃さないように。
心のフィルムに焼き付けた。



「パパ、泣いてるの?」

空を見上げた父親はまるで泣いているようだった。

「……ああ。パパ、前も1度ルシオラとお別れしたんだ」
「ルシオラと?」
「ああ」
「寂しい?」

少しだけ声色を落として蛍子が肩を落とす。
さよならがツラく悲しい事だと蛍子も十分知っていた。

「でもね、とっても幸せだったって。そしてこれからも幸せになるんだよ」
「? よく分かんない?」
「いーのッ!!」

横島が蛍子を抱き上げる。
その声に淀みはない。
15年抱えてきた気持ちに1つの区切りがついた気がしていた。
思い出は、遠い空の向こうに。
忘れるわけではない。
消えるわけでもない。
見上げれば、また思い出せる。
同じ空の下にそれはあるのだ。
これからもずっと。

「さぁ、帰ろう!!」

横島の文珠が2つ輝きを放った。







「あ、帰ってきましたよ、美神さん」

事務所の窓から外を見ていたおキヌが令子に声をかける。

「どうやら無事みたいね」

まだ遠い位置に見えるその姿に、令子は一安心の表情を浮かべた。
二人がおぼつかない足取りで玄関へ向かう。
道路を男と少女が手をつないで近づいてくる。
その足取りは軽やかで、まるでどこかへ遊びに行っていたかのようだった。
事務所の前に立つ二人を見て、少女が叫んだ。

「あ、ママ―――――ッ!!」
「蛍子! 大丈夫だった?」
「うん!」

蛍子が走ってきて令子に抱きつく。
頬を擦り合わせて感触を確かめる様はまるで何年ぶりかの再会のよう。
その姿にゆっくりとした歩みで近づく男が微笑む。

「横島さん、それ……!」
「あぁこれ? 大丈夫、もう治ってるんだ」

おキヌが走り寄り、血だらけのスーツ姿を見て息をのんだ。
平気な顔で答える横島に安堵の表情。
横島が逆に心配した顔でおキヌを見た。

「おキヌちゃんこそ……大丈夫?」
「えぇ……ちょっと疲れましたね……」

その顔に別の戦いがあった事を感じる。
そしてその戦いに勝利したもう一人と顔を合わせた。

「おかえり。一張羅が台無しね。経費で落とせないわよ?」
「そっちこそ。憎まれっ子世にはばかるっつーがやっぱり無事だったか」

互いに憎まれ口を叩きながら見つめ合う。
その視線で双方が互いをいかに心配していたかが傍目には分かった。
だが素直じゃないのがこの夫婦。
おキヌは少し呆れて、少し羨ましくなった。

「パパ、変な事してなかった?」

令子が微笑みながら蛍子に聞く。
その目は決して笑っていない。
まるで容疑者を取り調べる刑事のように疑いの目が横島に向けられる。

「失礼な。俺は誠実紳士だ」

そう断言する横島の後頭部に変な汗がにじむ。
我ながらちょっと熱くなっていたと思う。
いろんな意味で。
だがルシオラは意識を失っていたし他に見ていた者もない。
大丈夫。

「ルシオラとお別れしたの」

蛍子が少し寂しそうな顔で訴える。
令子とおキヌが蛍子を見てすぐに横島に視線を向けた。
横島が少し目を細めて軽く頷く。

「ああ。少し話してきたよ」

その顔があまりに晴れやかで二人が顔を見合わせる。
横島が納得したのなら、それでいいのだろう。
二人の顔にも微笑が戻った。

「そう、何て?」

令子が問う。
横島の心に未だ残り続けるルシオラへの愛情。
それを令子は受け入れていた。
すでに切り離せない横島の一部として。
ルシオラの事があって初めて横島はヒトを愛する事に自信と誇りを持った。
その意味では感謝ですらある。
浮気に関しては断固として認めない。
だがルシオラに関しては寛大な令子だった。

「しっかり頼むわねパパ、だって」
「ぷっ 何それ」

令子が笑う。
おキヌも笑う。
蛍子もつられて笑っていた。
横島は幸せを感じていた。
これからもずっとこんな幸せが続くのだ。
シロもタマモももうすぐ来るだろう。
感動のクライマックスだ。
空を見上げる。
遠い空の向こうを。
今日も1日いい天気だ。
ああ、長い長い戦いは終わった。
横島が一人脳内で感動のエンディングテロップを流している。
蛍子が令子に声をかけた。

「ママ? あのね……」

顔を赤らめ、もじもじしながら手をぶらぶら振り回した。

「何? 蛍子」

腰を落としている令子が蛍子と目線を合わせる。
そして蛍子が照れながらキッパリと言い放った。

「パパね、蛍子の中に入ってきたんだよ!」
「え゛」

瞬間、その場にいる全員の動きが停止した。







令子とおキヌの頭から全ての情報がホワイトアウトする。
それってそれって……
まさか。
一方の横島も口を開けたまま固まっていた。
それは同期合体の事を言っているのだろうか?
って事はあの時蛍子は起きていたと……!?

「蛍……子ちゃん? 何かとっても誤解を生みそうな発言だからもう少し分かりやすく」
「えー? うん、裸の女の人もいっぱい」
「蛍子ちゃん!!」

横島が訂正しようと腰を下ろす。
すると蛍子が首に抱きついた。

「楽しかったね!」
「そ、そうか?」

思わず鼻の下が伸びる。
だがそれが疑惑に追い討ちをかける事になった。
横島の視界に赤い悪魔が揺らめく。
さっきまで弱々しかった霊力が目に見えて上がっている。
そしてとびきりの微笑を向けてきた。

「ちょっと、横島クン?」

令子の右手にはいつの間にか神通棍が握り締められていた。
たぎる霊力で神通鞭へと強化変形している。
周囲に風が巻き起こり長い髪が逆巻く。

「蛍子ちゃん、中に入りましょ?」
「うん、わかった」

おキヌが怒りを抑えて蛍子と事務所内に入っていく。
あれほどの力なら横島はただでは済まない。
ならば自分の出番は治療の際だ。
人工幽霊壱号が不穏な空気を即座に察する。
おキヌたちが事務所に入ったと同時に結界の出力を上げた。

「あ、蛍子ちょっと待っ」
「説明してくれる?」

笑顔で詰め寄る令子だが、すでに聞く耳など持っていない。
横島はこうなった後の展開がありありと予測できていた。
それでも必死に弁解しようと試みる。

「え、いや……あの、違うんスよ。これには理由が」

言葉が出てこない。
口から出ようにも得体の知れない圧力に押されて戻ってしまう。
上級魔族ゴルゴーンを相手に一歩も引かなかった弁舌。
それが目の前の元下級魔族、現人間を相手にしてショボショボと縮こまっている。
稲妻が轟いた。

「貴様、自分の娘に何しくさっとんのじゃ―――――ッ!!!」

大きく振りかぶって振り下ろされる神通鞭。
犬のように四つん這いで逃げながら横島は必死に叫んでいた。

「違うって〜〜〜〜〜〜ッ!!」



おキヌちゃんが応接室を片付けている。
お誕生会を開いてくれるんだって。
さっきシロ姉ちゃん、タマモ姉ちゃんから電話があった。
もうすぐ二人も来るみたい。
保育園でのお誕生会は残念だったけど、みんなに祝ってもらえるから嬉しい。
パパもママも大丈夫で嬉しい。
二人も嬉しかったのかな。
まだ上に上がってこないけど。
きっとラブラブしてるのかな。
いいな。
蛍子もパパとラブラブしたいな。
いいんだ。
昨日はいっぱいしたもんね。
ルシオラはいなくなっちゃったけど、パパには蛍子がいるからね。
大きくなったらきっとルシオラみたいになるから。
そうしたらケッコンしようね、パパ。

蛍子の誕生日が1日遅れで始まろうとしていた。
空は抜けるような青。
遥か遠くまで見通せるような、澄み渡った青だった。







……ただ、一部の地域を除いては。

東京都内の一部で超局地的に雷雨が吹き荒れていたのは誰も知らない。

「ルシオラ、説明してくれぇ〜〜〜〜ッ!!!」







          遠い空の向こうに  完







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

青の旋律です。最終話をお届けします。
推敲を何度もしたので破綻なく終われているとは思いますがいかがでしょう?
いろいろアドバイスをいただいた斑駒さん、最後まで読んでくださった方、コメント下さった方、
本当にありがとうございました。


「常世の逝かれた仮面堂」では現在「その3」まで連載しています。
興味を持たれた方は引き続きそちらの方でもよろしくお願いします。

それではまた。

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