ザ・グレート・展開予測ショー

A tale of glasses 〜いいんちょの野望〜


投稿者名:斑駒
投稿日時:(05/ 2/14)

「ただいま〜……あれ? これは?」

 事務所に帰ってきて、何気なく周囲を見渡したタマモの目に、無造作に机の上に置かれたメガネが映った。
 質素な四角型フレームに大きなレンズ、およそファッション性のかけらも無いメガネだ。

「?……誰のメガネだろ。変装用かな?」
 何気なく手にとってかけてみる。
 その瞬間、視野がぐわんと歪む。
「ッ! 何よコレ。ものすごく度が強いじゃない。いったい誰が……?」
「タマモ!?」
「あ、横島」
 メガネをかけたまま入り口の方にくるりっと向き直る。

 開け放たれたドアの前に突っ立っているのは、焦点がズレてぼんやりと人型が確認できるだけだが、横島に間違いない。
 それが分かるのは、別に特別なことでもなんでもない。いつもデニムの上下を着ているから、色調で丸分かりなだけだ。

「ねえ、これ。このメガネなんだけど。誰の? どうしたの?」

 なにげなく外してみせようとして、動きが止まる。いや、止まらざるを得なかったのだ。
 ただ普通にかけただけのメガネが、どんなに力を入れても外すことがでない。
 なにも、マンガのように顔の形が変わるくらいメガネを引っ張っているわけではない。
 まるで空間に鋲で打ちつけられたかのように、その場にピタリと止まって動かないのだ。

「……なにコレ?」
 内心ではとっても焦りながらも、タマモは反射的に平静を装って呟いた。
 横島の目の前で無様に慌てる様子を見せたくない…というところまで考えをめぐらせたわけでもない。
 いつでも平静を装うのは、クセというか、ほとんど習性だ。

「おまえなぁ……」
 グレイタイプの宇宙人のようなフォルムに見える横島の肩が、ガックリと落ちた。
 タマモの内心など察する様子も無い。というかもともと察するような人間でもない。
「俺も昔は同じようなことやったけど、まさか俺がやられる立場になるとは……」

「なに? なんなの? これ?」
 タマモが焦れて、返答をせかす。とはいえ、ある程度答えの察しはついていた。
「それなぁ……」
 横島はなんとも情けない声と共に、ため息をついた。
「呪われてるんだよ」

 答えはやっぱり、タマモの予想したとおりのものだった。




「だいたいおまえ、事務所なんか普段からロクなもん置いてないんだから、妖しいものにはちょっとは警戒しろよ」
「なによっ、あんたなんかに言われたくないわ。……ツッ!」
 いつも通り上目遣いでキッと睨みつけようとして、眼球の奥に重たい痛みが走る。
「おっ、おい。大丈夫か!?」
「平気。なんでもない」
 実際、痛みはあるが、なんでもない。ただ、度の強いメガネに目がついていかないだけだ。

「そっか。取り敢えず体に害があったって話は聞かなかったからな。たぶんその点は大丈夫だとは思うけど……」
 横島はとりあえずホッとしたように胸をなでおろした。
 しかし、タマモにとっては何一つ安堵できることはない。
 害は無いというが、健全この上ないタマモの目にとって、このメガネは視野を歪める毒でしかないのだ。
「ねえっ、どういうことなの!?」
 自然と声も尖ったものになる。
「ま、まあ落ち着け。心配するな。一生取れないってわけじゃないから」
 タマモとて、一生取れないなどとは毛ほども思っていない。
 ただ、一刻も早く取りたいだけなのだ。
 イライラが、普段の倍以上のペースで募っていくような気がする。なんだか軽く頭痛までしてきた。

「そのメガネは、ある私立高校の理事長の、高二になるひとり娘のものなんだけどさ……」
 イントロだけ聞いただけで、なぜ美神令子ではなく横島がこの仕事をしているのかが分かった。
 私立の理事長というキーワードから二つ返事で令子が依頼を受け、
 高二になる娘というキーワードで横島が奮起したのだろう。
 タマモは、なんとなく頭痛とイライラが増したような気がして、軽くこめかみを押さえた。

「それがある日突然はずせなくなって、それ以来おかしな夢を見るようになったらしい」
「ふうん……」
 タマモにとっては、そんな話はどうでもいい。
 ただこのメガネが取れればいいのだ。
 しかし横島は、思いっきりしかめっ面のタマモに気づかず、話を続ける。

「その夢っていうのが、大きな木の下で目の前に男が居て、何か話をするなんていう意味の分からんもんで、心当たりが何も無くて困った理事長が美神さ……」
「ストップ!!」
 タマモは、自分の眉間を指で解きほぐしながら、もう片方の手で横島を制した。
 こんな仕草一つとるにも、メガネが邪魔になって思うように行かない。
 いい加減、我慢の限界だ。

「経緯はいいから。結局、このメガネはどうしたのよ。はずれたから、ここにあるんでしょ?」
「それなんだよなぁ……」
 横島は、歯切れ悪く言葉を切って、頭を掻くような仕草をした。 

「『脱』の文珠を使って、なんとか取り外して来たんだけど……」
「なぁんだ。それを早く言いなさいよ。だったら、同じ方法で外せばいいじゃない」
 最初から、それだけ言えばいいのに…と思わないでもなかったが、ともかくタマモの心は軽くなった。
 やっと、この地獄のような視界から開放されるのだ。

「そん時は服まで一緒に『脱』げて、チカン呼ばわりされるわ警察呼ばれかけるわで大変だったんだが……ここで再現してみるか? おまえが良ければ俺はいっこうに構わな……」
「構うわよバカ!!」
 タマモは、即応的に目の前の人間を思いっきりぶっ叩いた。

 横島としては、特に下心のようなものは無く、本当に構わないのだろう。
 この男のスケベ心は、自分と同年代かそれよりも上方向にしか働かないらしい。
 もっと簡潔に言えば、豊満なプロポーションを具した女性だろうか。
 タマモがそれに該当するとは、ちょっと悔しいが自分でも思わなかった。
 この男にとって、興味の無い肢体を暴くのに遠慮するなど、むしろ気が回りすぎているくらいだ。

 でも、それとこれとは、話が別!
 特に下心が無くたって、見られて平気なんてことは、断じて無い!!








「……まあ、とりあえず、そのコが夢に見たとかいう場所に行ってみるしか無いだろうな」
 横島は、頭に出来たたんこぶをさすりながら、言った。
 普段からどつかれ慣れているので、このくらいはなんということも無いし、すぐに治るだろう。

「場所は分かるの?」
「知らん!……テッ」
 即答すると、早くも二個目のコブを作ることになった。
 なんだかこーゆータマモは、妙に美神さんに似てるかもしれない。

「なんで知らないのよ! もうっ!」
「し、知りようにも、何せ手がかりが無かったわけだし……」
 詰め寄るタマモの顔のあまりの近さに、横島はちょっとどぎまぎした。
 慣れないメガネで、まだ距離感が掴めないせいだろうか。

「そうだっ。きっとおまえもいま寝れば同じ夢を見るだろうから、それを手がかりに……」
「イヤよっ!今すぐなんとかしたいの! だいたいメガネかけたまま眠れるわけないじゃない!」
 タマモはこう言うが、世の中にはメガネをかけたまま寝られる人間も居る。
 現に横島の高校のメガネの友人などは、普段から授業中にメガネをかけながら爆睡している。
 そもそも今回の依頼主だった女の子も、夢を見たのなら、メガネをかけたまま寝ていたはずだ。

「……いっそ、これはこれでカワイイし、ずっとかけっぱなしで慣れちまうってのはどーだ?」
 ふと、思いついて言ってみる。
「え……? ばっ、ばかっ……なに言ってんのよ! 却下よ却下! こんなの、うざったくて仕方ないわ!」
 タマモは、最初キョトンとしたあと、全力で否定した。
 オーバーなリアクションが、ちょっと面白かったが。
「やっぱダメか。だよなぁ……」
 自分でも、ずっとメガネをかけた生活なんか、御免こうむりたい。
 仕方なく横島は、無い頭を絞って、何か良い考えを探した。

「う〜ん…………やっぱコイツを使うしかないかな」
 手の平に文珠を出して、つまみ上げる。
「ちょっ、ダメよ!やめなさいよ! 大声出すわよ!!」
 途端に顔を真っ赤にして極端な拒否反応を示すタマモに、横島は苦笑した。

「バカ。違うって。こいつに込める文字は、『脱』じゃなくてコレだ!」
 横島が軽く手に意識を集中すると、翡翠色の玉の中に『導』という文字が浮かび上がった。
「……?」
 しかしタマモには文字が見えないらしく、不審そうな顔で文珠をまじまじと眺めている。
 その表情がなんだか子供みたいにあどけなくて、妙にかわいい。

「まあ、任せとけって。処置する前のメガネを無造作に置いといた俺も悪いんだし、責任もってなんとかするから」
 ふと、自分が誤ってシメサバ丸を起こしてしまった時の事を思い出す。霊能に目覚める前の、まだ横島に何の力も無かったころのことだ。
 あのとき美神さんは、特に横島の失敗を責めるでもなく、ただシメサバ丸を封印することだけに集中していた。
 今となっては、そんなシチュエーションで横島が責められないことなど、とても考えられないが。

 ともあれ、今はなんとなく、あのときの美神さんの気持ちが分かるような気がした。
 プロである自分が、責任もって、なんとかしてやらないと……








「ねえ、横島。なんだか私、妙に周囲の視線を集めてるみたいなんだけど……」
「……」

「ねえ、ねえったら! 横島!!」
「…………」

「なに他人のフリしてんのよ!!」
 タマモは、傍らで知らん顔を通している横島の腕を、ぎゅっと抱き掴まえた。
 いまは横島の文珠で判明した目的地に向かって、歩き始めた矢先だった。

「べ……べつに。タマモがかわいいから、みんな振り返ってるんじゃないか?」
 そう言われるとまんざらでも無いが、そう言う声も掴んだ手も少し震えているし、コイツ笑ってるんじゃないだろうか?と思う。
 しかし、何がいったいそんなに面白いのだか、モノがまともに見えないタマモには、ぜんぜん分からない。

「ぇ……と、目的地は、けっこう遠いみたいだな……」
「……っと」
 掴んだ腕をさりげなく振りほどかれて、タマモはよろけた。
 実を言うと、一人で平衡感覚を保って歩くのも、けっこうつらいのだ。

「お、おいっ、大丈夫か?」
 今にも電柱に抱きつきそうになったタマモを、横島が慌てて引き戻した。
 期せずして横島と目が合う。
「う……よ、横島ぁ……」
 頭はガンガンするし、なんだかだんだん気持ち悪くなって来るし、とても大丈夫どころではない。
 普段はぜったいに吐かない弱音も、いまは吐いてしまいそうだった。
 そして今頼れる相手は、目の前の横島しか居ない。
 つい甘えるような声にもなってしまう。が……
「ぷっ………」
 笑った。
 目の前の横島が、明らかに自分と顔を合わせて噴き出した。

「な に が お か し い の よ !?」
 甘える気持ちなど一気に消し飛び、タマモは横島のほっぺたと思しき部分を思いっきりつねり上げた。

「ひへへ………ひひはいは?」
 頬を引っ張られてまともに発音されていないが、「聞きたいか?」とでも言ったのだろうか。
「言 う の よ!」
 タマモは最後に力いっぱいねじり上げて、手を離した。

「いてて……言うけど、怒るなよ」
「早く言いなさいよ!」

「俺たちはいま、文珠に導かれて目的地に向かっている。実際には、目的地に向かって伸びたビーム状の道しるべに従って歩いてるわけなんだが……」
「道しるべ? 私には見えないけど、それが何かおもしろいの?」
 見えるわけがない。いまの自分には、隣を歩く横島の顔すらまともに判別できないのだ。

「そりゃ、おまえには絶対に見えないだろうな。他の人間には見えてると思うんだけど……」
「だ か ら な ん な の よ!!」
「あだだだだ」
 イライラに任せて、横島のこめかみを両こぶしでグリグリしてやる。
 むしろ頭痛が酷い自分のこめかみを解きほぐしたい気もするけど、これはこれでちょっと気持ちいいかもしれない。

「いや、文珠の力で、おまえのメガネから、ビーム状に光が出てるんでよ。目的地に向かって。それを正面から見るとおかしくってさ……って、うわちっ!!」
 タマモは無言で、横島の頭に狐火を投げつけた。

 道理で、行き交う人間がみんな注目するはずだ。
 まさか、自分がそんなに恥ずかしいことになっていようとは。
 それを横島なんかに笑われたのが、さらにムカつく。
 ってゆーか、メガネもビームも、全ての元凶はあいつだ。

「あちちち。おまえ、なにすんじゃー! 死ぬかと思ったやないか!」
「なによ。もとはと言えばあんたが悪い………ぷっ、あははは」
「……?」
 狐火に焼かれた横島の頭が、焦げてアフロのようにチリチリになっていた。
 ぼんやりとしか見えなくても、これはおもしろい。

 これで恥ずかしさはあいこってことで、横島にこのことは黙っておこうと、タマモは思った。








「……なあ、ちょっと。もう他人のフリとかしないから、もーちょい離れて歩いてくれよ」
 『導』の文珠はタマモに怒られたので、いまは『探』の文珠で反応する方角に向かって歩いている。
 だから、タマモの目からビームはもう出ていない。
 しかし、それでもやっぱり人目を引く。
 それというのも、タマモがさっきからずっと腕にべったり抱きついたまま歩いているからで……

「なあ、頼むから、もうちょっと離れて歩いてくれよ」
 視線を集めるのは、実際にタマモがかわいいからというのもあるのだろう。
 しかしそれ以上に、ここはホテル街の真っ只中なわけで、自分らはここではどう見ても異質なわけで……
 かと言って、文珠の反応に従う限りは、ここを迂回して通るわけにはいかないし……

「コラー! そこっ! なにひそひそ話しとるんや! 犯罪とかとちゃうぞ!……ああもう、タマモ!」
「……なに?」
 通りの向こうに、こっちを見てひそひそ話しているカップルが居たのだが、たぶんタマモには見えていないのだろう。
 っていうか、返事をして横島の方を見上げたタマモは、しっかりと目を瞑っていた。

「おま、なに目ぇ瞑っとるんじゃーー!」
「……ん。目、開けてんの、疲れたし。アタマ痛いし」
 どうりで、さっきから横島の腕にぶらさがるようにして歩いていたわけだ。

「目ぐらい開けろ! んで、もうちょい、離れて歩け!」
「えぇー? いいじゃない。腕くらい貸しなさいよ」
 タマモはそう言って少し開けていた目をまた閉じ、腕をぎゅっと抱きしめて来る。
 普段なら嬉しいが、いや、べつに子供に抱きつかれても嬉しかないが……やっぱりちょっと嬉しいかも。いやいや……
 ともかく、いまは場所が悪い。

「聞き分け無いこと言うな。置いてくぞ!」
「あ……」
 少ない理性を動員して、強引に手を振りほどいて、歩いて行こうとする。
 が、タマモはその場でへたり込んでしまった。

「もう、ケチッ! そんなに言うなら、ちゃんと自分で歩くわよ。でも、ちょっと休憩して行きましょ。休憩!」
 ひそひそひそひそひそ
「ばっ、休憩とかゆーな! 違うっ!コラ、そこのひそひそカップル! これは断じて違うぞ! ホラ、立てって、タマモ」
 横島は、あせってタマモを立ち上がらせようと引っ張る。

「ちょ……待って。もう、アタマ痛いの通り越して、気持ち悪くなって来てさ……。休憩くらいつきあってよ。あんたさっき責任もつとか言ってたでしょっ……うっ」
 タマモは、真っ青な顔をして口元をおさえ、また屈みこもうとする。
 ひそひそ。ひそひそひそひそ。
「ちょっ、おいっ! ちが、セキニンとか、絶対に違うぞ!おまえらの想像と違うって! ああ、もう……くそっ」

 メガネをかけて歩くのが、そんなにキツいことだとは知らなかった。
 周囲の視線は、そんな事情などなおさら知るべくも無いだろう。

 進退きわまった横島は、へたり込んだタマモを抱きかかえて、走り出した。
 ともかく、この場から離れるのが先決だ。

 しかし、女の子をお姫様抱っこして走る様子は、また新たなひそひそ話を誘発しそうではあった。








「着いたぞ。目、開けられるか?」
 言われてタマモは、ゆっくりと目を開いた。
 抱っこはあまりにも恥ずかしいので途中で降ろしてもらい、そこからは目を瞑ったまま手を繋いで引いてもらって来たのだった。

「……木ね」
「……ああ、木だな」
 目の前にあるのは、それ以外に表現しようの無いただの木だった。

「実はここ、どっかの高校の中なんだ。少しは予想してたけどな。俺、ちょっと木かメガネについて聞き込みしてくるから」
 言うが早いか、横島は繋いでいた手をパッと離す。
「え? 私は?」
 離された手を、タマモが素早くはっしと掴みなおす。

「そりゃおまえ、さすがに校内で仲良く手を繋いで聞き込みってわけにはいかんだろ。ここで待っててくれよ。ちょっとの間だから」
「え―――?」
 正直言って、この状態で知らない場所に独りというのは、心細い。
 かといって、たしかに手を繋いだまま他人にモノを訊いて回るのは、恥ずかしい。
 タマモは、しぶしぶ掴んだ手を離した。

「すぐ戻って来るから、そこ動くなよ!」

 言い残して横島は、走って行ってしまった。
 仕方なくタマモは、木の根元に座り込んだ。




 全く、とんだ災難だ。
 今日は事務所に戻ったあと、やりかけのテレビゲームをクリアしてしまおうかと思っていたのに。
 たしかに、不用意にメガネをかけてしまった自分も悪いけど。

 ふと、メガネに手を伸ばす。
 やっぱり、取れない。
 それでも慣れてきたからか、イライラ感や違和感はだいぶ緩和されて来ていた。
 ずっと目を休めて来れたので、目の奥に感じる痛みや頭痛も少し収まっている。

 考えてみれば、横島も意外とイイヤツなのかもしれない。
 半分はアイツの責任とは言え、ここまで面倒見てくれるし、殴られても文句言わないし。
 ……雇い主の教育の賜物だろうか。




「おいっ、おまえ、中学生じゃないのか?」
 ぼーっとしていたタマモに、突然声がかかる。
 顔を向けると、全体的に黒い人型。横島ではない。ここの学生だろうか?

「うちに何の用だ? ここで何をしている?」
 タマモの頭の中で目の前の人影は、学ランを着た番長のようなイメージで固まった。
 木を背にして立ち上がり、無言で身構える。

「よその学校から来たのか? まあいい。向こうで話を聞こうか」
 人影が、手を伸ばしてくる。
 タマモは、狐火で撃退してやろうと、すぅっと息を吸い込む。

「あ―――っ、スンマセン!ゴーストスイーパーです。そいつ、ウチのモンです。タマモ、待たせたな!」
「横島ぁっ!」
 黒い人影の代わりに、割って入ってきた青い人影が、タマモの手を掴んだ。

「ゴーストスイーパーだと!?」
 黒い人影が、横島の方を見る動きをした。
「そうか、仕事か。俺はまたてっきり授業をエスケープして来た中学生かと……」
 ぶつぶつ言いながら、黒い人影は去って行った。




 タマモの全身から、張り詰めていた力が抜けた。
「良かった。おまえ、もう少しであの体育教師、黒コゲにするところだったろ」
 横島も違う方向でホッとしたらしく、ため息をついた。
 どうやら人影は、黒いジャージの上下を着た体育教師だったらしい。

「横島ぁ。あんたが遅いから、あんなのに声をかけられるんじゃない!」
 心細かったのを隠すために、つい声を荒げる。
「悪かったな。でも、収穫はあったぞ。たぶんこれで当たりだろ。この木は聞いた話によると……」

 横島の話では。
 この学校では、この木の下で告白すると、そのカップルは一生結ばれるとかいう伝説があるのだという。

「なによ、そのどっかのゲームみたいな設定は」
 タマモは、以前に中古屋で安かったから買ったけど、つまらなかったので途中で投げ出したゲームのことを思い出した。
「知らねーよ。だいたいどこの学校にも、理不尽な伝説や七不思議のひとつやふたつはあるもんだ。こんな話が本当だったら俺だって、俺だってチクショー」
 人間の迷信深さには、たまに驚かされることがある。
 いったい何がどうなって、そんな伝説が生まれるものやら。
 しかし、横島の言うようにこの話が本当なら、それはそれで悪くないかもしれない。

「……で、このメガネについては?」
「あ……? ああ、それはよく分からないんだけど、とりあえずここ最近この学校で死人とかは出てないらしいから、生霊のたぐいじゃないか?」
 妄想の世界を声に出しながらトリップしていた横島が、タマモの質問で元の軌道に戻る。
「その伝説に固執しながら結局何も無く卒業していったメガネの女生徒会長、人呼んで『いいんちょ』の伝説なんかも聞いたけど、そういう無念の想いがこの木に溜まってたんじゃないか? それで、たまたま木の下を通った今回の依頼主の子のメガネにそれが乗り移った。まあ、こんなトコだろ」
「無念の想いが、蓄積する木ね……」
 やっぱり、迷信なんて、ロクなもんじゃないかもしれない。

「ま、なんにせよ、たぶんここで告白の真似事でもすれば、無念は晴れて、メガネも外れるだろ。いいか?タマモ」
「は……?」
 いいも何も、告白? 横島が自分に? いや、真似事か。でも、一生結ばれる……?

「行くぞ……」
「ちょっ、まっ……」
「あ――――――。そういえば、なんて言えばいいんだ?」
「て。……あんたねぇ」
 焦っていた気持ちが、一気に冷え込む。

「まあいいか、適当で。え――タマモ、」
「は、はいっ?」
 うわぁ、「はい」ってなに?「はい」って?
 内心、自分で自分のセリフにつっこみを入れて、一人で赤くなる。
 改めて肩に手なんか置かれたもので、つい舞い上がってしまった。

「ずっと前から好きでした…………う〜ん。なんか照れるな、これ」
 ものすごく棒読みなのだが、それでもタマモの顔がカァッと赤くなる。
 こんなこと、他人に言われるのは初めてだし。横島だし。…………横島だし?

「あれ? 外れねーな。もっぺん試してみるか」
 当の横島は、タマモのメガネに手をかけて、外そうと試みていたが、どうやら外れないらしい。

「ぇっと――好きです。付き合ってください。――愛してます。――毎日みそしるを……あ、これはプロポーズの言葉か」
 横島の口から次々と飛び出す告白の言葉に逐一反応して、頬がぼっと熱くなる。棒読みなのに、真似事なのに。
 もう、何がなんだかわけが分からなかった。

「………外れないか」
 なんかもう、外れる外れないなんて、どうでもいい気がしてきた。
 タマモは、メガネにかけられた横島の手に、そっと自分の手を添えた。
 その手まで、なんだかぼうっと熱くなってる気がする。この熱は横島に伝わるだろうか。

「……ね、やっぱり、真似事じゃなくて……さ。本気の告白じゃなきゃダメなんじゃない?」
 口をついて出てきた言葉は、こんなものだった。
「本気ってもなぁ……」
 横島の言葉が含むニュアンスに、少しずきりと胸が痛む。

「じゃ、さ、私が言うわ。いい?聞いて?横島。私ね、私……」
 横島の顔を、じいっと眺める。
 輪郭は、だいたい掴める。目が、あの辺で、鼻は、あそこで、口は……あの辺りだろうか。
 なんだか、すごく近いように感じた。ちょっと寄れば届きそうな距離……

「私、もしかしたら、あんたのことが……」
「ちょっ、タマモ? も少し離れ……って、おまえ、なに目ェ瞑って……おいっ、それは、もしかして、キ……」
 横島がうろたえて何か言ってるけど、気にしない。
 なんで自分がこんなことしているのかも、よく分かんないけど、気にしない。

「あんたのことが……好き!……なの、かもっ」
 語尾は濁ったけど、本当の気持ちの告白。


 しかし次の瞬間、予想していた柔らかな感触は無く、代わりになぜか硬質な感触が伝わってきた。
「あぅっ!!? ……あいたー。なによもうっ!!」
 唇が触れる前に、メガネがぶつかってしまったのだ。
 勢いよく思いっきりぶつけたので、鼻のところがジンジン痛い。

「ああもう、メガネなんてイヤっ!」
「タマモ、それ……」
「え?」
 見上げると、複雑な表情の横島が、こちらを指差していた。
 視線の先を見ると、自分の手に、メガネがぶら下がっている。痛んだ鼻をさするとき、無意識に外していたらしい。

「あ…………………外れた。の。ね」
 タマモは、外したメガネをまじまじと眺めたあと、横島の顔を見た。
 メガネを外した今は、細部までよく見える。目、鼻、口、くちびる……

「……あはは。やっぱり、告白が本気だったから良かったのかな?」
 なんだか照れくさくなって、誤魔化し笑いをする。
「本気って、おまえ………」
「まー、いーじゃない。メガネは外れたんだし。気にしない、気にしない!」
 タマモは、つとめて明るく言って、横島の腕を掴まえた。
 さっきはどうしてあんなことしようとしたのか自分でも分からないけれど、このポジションはすっかりお気に入りになった。それだけは、自分でもはっきりと分かる。




「な――にしてるんでござるかっ?」




 突如、タマモと横島の前に、シロが落ちてきた。
 誇張ではなく、本当に落ちてきたのだ。目の前に。

「シロッッ!? おまえ、どっから降って来たんだ!?」
「せんせーの帰りが遅いから、匂いを追って探しに来たんでござるよ♪」
 答えになっていない。
 でもまあ、このバカ犬のことだから、すごい勢いで走ってきて、道路側から学校の塀を飛び越えて入って来たのだろう。

「あ――っ、タマモ! 自分だけ先生にくっついて、ズルイでござる! だいたいずうっと一緒にこんなところまで来て、何してたんでござるか?」
 シロは言いながらちゃっかり横島のもう片方の腕にしがみつき、タマモの方をじっとりと睨んだ。

「さあ……ね」
 タマモはもったいぶった微笑を浮かべながら、手にしたメガネをもてあそんでみせた。
 これを誤ってかけなければ、いまこうしている自分も無かったかと思うと、ちょっとした感慨もある。

「……? 誰のメガネでござるか?…………うわー、これ、頭がクラクラするでござるなぁ」

「「あっ!!??」」

 横島とタマモは、思わず声を上げた。

「へっ?………………あれ?これ、どうやって取るのでござるか?」

 そう言って二人の方を向いたシロの顔には、しっかりと問題のメガネが鎮座していたのだった。








学内のサークル『伝説評議会』のファイルでは、
いいんちょの野望は、伝説の木の下で自分が誰かに告白されることではなく、
片想いだった男の子に自ら告白する事であった
……とするのが、公称解釈とされている。

なお、この伝説評議会でこれ以降、
女の子に、自分から告白する勇気を与える「いいんちょのメガネ」の伝説が、
語り継がれるようになったかどうかは、定かではない。

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