ザ・グレート・展開予測ショー

この子可愛いや!


投稿者名:とおり
投稿日時:(05/ 1/11)

「−−−−−この子の可愛さ限りない。山では木の数、萱の数。星の数よりまだ可愛、ねんねねんねや、おねんねや・・・・」

タオルケットをおなかの上に掛けて、張り替えたばかりのい草のにおいがする畳に横になっている春香の胸をやさしく反復する様にたたき、寝かしつける。
お布団に仰向けになっている、幼い体。ようやく生え始めた頭髪はまだ細く、絹糸のようだ。
手や足も小さく、その指はまだ閉じている事が多い。そんな手を上から握ると、暖かさが感じられる。
すこし首を横にして、小さい呼吸で眠る春香を見て、私も安心する。

「ふとん、持ってきただよ」

声がして、後ろを振り返る。
早苗おねえちゃんが、お布団を両手に抱えている。
敷き布団と、春香の色違いのタオルケット。綿が多い、夏用のお布団。早苗お姉ちゃんでも楽に持てる重さだ。
少し硬さはあるが、熱を持たないため今夜の様な暑い夜には嬉しい。

「あ、お姉ちゃん。悪いわね、お布団出してもらって」

「気にする事ないべさ。普段、育児で大変なんだから。実家に帰って来ている時くらい、ゆっくりしていくといいべさ」

そう、私は今御呂地村の氷室の実家に帰ってきていた。
春香を出産して4ヶ月あまり、白井総合病院(現代医学は敗北しないとよく言っている院長が経営している、あの病院)で出産して自宅で子育てをしていた私は、春香をお義父さんとお義母さんに引き合わせる為もあり、里帰りをしていた。
忠夫さんも、自宅で1人で子育てをするよりは、しばらく実家でのんびりしておいでと言ってくれ、その言葉に甘えさせて貰っている。
もう3週間になるが、お義父さんお義母さんは後3ヶ月は居なさい、なんて言っている。
それもこれも、春香が可愛いのだろう。

「初孫よ」

そう言ってお義母さんが村中を紹介して周ったのは、少し恥ずかしかった。

「まあまあ、可愛らしい事」
「いい子だべ」
「名前は、なんていうの?」
「あは、すうすう眠ってるー」
「お母さんに甘えているのが、嬉しいんだべさ」

村の人たちからそんな言葉を、よく貰った。

「いや、おキヌちゃんもお母さんらしくなっただな」

私が帰って来てから、お姉ちゃんもよくそんな事を言って。






――――不意に私の胸に浮かぶ、小さな違和感。
春香が生まれてから、少しずつ大きくなる、感情。






早苗お姉ちゃんが寝入った春香を起こさないよう、そっと枕元に近づいて、ささやいた。

「春香ちゃん、また少し顔がおキヌちゃんに似てきたかな?」

「いやだ、まだわかんないわよ。赤ん坊の顔なんて、すぐ変わるんだから」

「いんや、この子はおキヌちゃん似だべさ。目元なんかそっくりでねえか。おキヌちゃんには悪いけど、忠夫に似なくて良かっただよ」

「もう、なにそれ」

「それだけ美人ってこった」

「忠夫さん聞いたら怒るわよ」

「聞こえやしねーべさ、東京にいるんだから。もし近くにいたとしても、別に言う事も変わらないけどな」

「知らないわよ、忠夫さん案外気にするんだから。もしそこの茂みに潜んでたりしてたら、いじけるわよ」

「案外もういるんでねーか?出て来い!っていったら、飛び出してきそうでねか?」

女二人で、くすくすと笑う。確かに、忠夫さんなら本当にそこの茂みから出てきてもおかしくは無いかもしれない。

「・・・まあ、もう親になったで、昔みたいな痴漢っぽい事はしないべ。なんたって、こんなに可愛い娘と可愛い奥さんがいるんだでな」

「もう、本当に。忠夫さん、最近はちちしりふとももーとか叫んだり、お風呂を覗きに来たりしないんですからね。ちゃんとしてるんです」

そうすると、早苗おねえちゃんはにやりと笑って。早苗おねえちゃんがこんな顔をするのは、からかいの種を見つけた時だ。

「へえ〜、<最近は>ねえ〜」

「え・・・あ・・・、あうあう・・・」

顔を真っ赤にして、口をパクパクさせる。どうやら、早苗おねえちゃんの罠にはまってしまったようだ。

「ふふふ・・・、じっくり教えていただきましょうか〜」

「いやー」


そんな、たわいも無い事を話して早苗おねえちゃんは自分の部屋に戻っていった。
今夜ももう遅い。電気を落として、眠りにつこうと春香と一緒に横になった。
お布団の柔らかさが心地よく、眠りを誘う。
部屋の障子は開け放っているので、そのおかげか、夜風が部屋を通り抜けて涼しい。
眼に入るのは、今にも落ちてきそうな星の群れ。空の隅々まで輝いていて、なんで空が明るくならないのだろうかと不思議に思う。

「・・・星の数よりまだ可愛・・・」

ふっと、子守唄が口をつく。




――――私の胸に、痛みが走る。




「おかあさん、おとうさん・・・」

この歌を教えてくれた、顔も思い出せない両親を思って。
母親である、自分を思って。
















−−−−−この子可愛いや!−−−−−
















深夜2時。浅い眠りから覚めた私は、春香の様子を見る。今日は、すやすやと寝てくれているようだ。
口元のよだれをふき取り、体を直してあげる。
夏とはいえ、山間部は冷える。部屋も寒気が入り始めていたので、障子を閉めようと縁側に出た。

空には雲ひとつなく、星の光で山々が照らされている。このあたりの山は線が硬く、男性的な印象を受ける。
黒々とそびえ立つ様子は、昼間見るよりも威厳を感じさせ、また不気味さも与える。
視線を移すと盆地にある街の街灯が目に付く。あの明かりのあるところには生活があり、家庭がある。
夜が明ければ、寝静まった人たちはまた生活を始める。
台所から聞こえる炊事の音、朝だと告げる母の声。働きに出る父。学校に向かう子供。
どこにでもある、当たり前の生活がそこにはあるのだろう。
私達の生活の様に。そんなことを思う。



でも、時々。私は不安に囚われる。



娘は可愛い。私の宝、そう言い切れる。この子の為なら、なんだって出来る。

だけど。
おしめを変えるとき。ミルクを吐き出した時。体をふいてあげる時。熱を出した時。背中をさする時。夜泣きする時。
春香を、胸に抱いているとき。

私は不安に囚われる。
これでいいんだろうか・・・。
これからも、きちんと育ててあげられるんだろうか。
そんな漠然とした不安が、頭から離れない。
考えすぎなのかもしれない。でも。
感情の<しこり>は日増しに大きさをまし、その違和感が無くなる事は無い。

「おかあさん、おとうさん・・・」

答える人がいるはずもない夜空に向かって、そうつぶやいた。



翌朝。
いつものように朝食を済ませて、洗濯をしていると電話がなった。
今時珍しい黒電話。ジリリリとなるベルの音が、私は好き。

「はい、もしもし氷室ですけど」

電話からは、何日かぶりで聞く声が飛び出してきた

「あ、おキヌちゃん?俺、忠夫だけど!」

「忠夫さん?どうしたんです、こんな朝早く」

「いや、ICPOから依頼のあった件が今日解決してさ。久しぶりに、二人の顔も見たくなったんで、そっちに行こうかな、と思って」

「来なくていいだぞ」

「「えっ!?」」

いつの間にやら、早苗おねえちゃんが電話を奪っていた。

「やだ、早苗おねえちゃん!」

「なんだ、早苗か!おい、こなくていいってどういう事だ!」

「言葉の通りだ。親はなくとも子は育つ。春香にはおキヌちゃんさえいれば、十分だで」

ちくり。お姉ちゃんの言葉が胸を刺す。
違う。私は―――。


「こら、今なんつった!待ってろよ、今す・・・」

ガチャン、チーン。
めったに聞かない音が響いて、電話が切れた。

「ちょっと、お姉ちゃん・・・」

「なーに、すきんしっぷだべさ。それに、忠夫なら来ると言ったら来るべさ。せいぜい、覗かれまくった昔のお返しをしてやらんとな」

「・・・」

この2人は親族になっても相変わらず漫才ばかりしている。
今でこそ「すきんしっぷ」などと言うけど、早苗おねえちゃんの忠夫さんへのイメージは最低だったものだから、結婚する時も大変だったのを思い出す。
だけど、最近になってようやく認めてきてくれたのか、昔のようにめくじらを立てることも少なくなった。
まあ、少なくなってこの有様なのだけど・・・。

「それに、おキヌちゃんも忠夫が早く来てくれたほうが嬉しいべ」

「?」

「3週間も会ってないんだ、甘えるといいべさ。だんなに会えなくて、さびしかったんだべ?ちょっと落ち込んでるようだったでな」

「もう。お姉ちゃんったら・・・」

気づいていたんだ、お姉ちゃん。
でも、落ち込んでいたのは、そうじゃない。
気持ちの中にあったのは、自分自身への疑問。
母親である、自分への違和感。

離れない、気持ち。

そう。

私に。孤児の私に。
両親を知らない、母の愛情を知らない私に、母親が務まるのだろうか。
愛情を注いであげられるのだろうか。

そんな、気持ち。



ほどなくして。
キュルルルル、キキー。ばたん。
車から降りる音がしたと思うと、大きい声が聞こえてきた。

「くおらー、早苗。出てこーい」

「・・・相変わらず、人間じゃねえだな」

「いくらなんでも、人間には違いないわよ」

「東京からここまで、ものの5分で駆けつけてくるやつを人間なんていわね」

「・・・あう」

忠夫さんには文殊がある。きっと、複合させて転移に使ったのだろうけど、確かに普通の人間に出来る芸当では無い。

「ま、あんなやつでも可愛い妹のだんなだで。迎えにいってやっか」

「もう」

そして春香を抱いて、鳥居までお姉ちゃんと一緒に歩いていった。


「久しぶりだな、忠夫」

「あ、早苗!お前、あの電話はだな・・・」

「お帰りなさい、忠夫さん。春香も待っていたわよ」

「おキヌちゃん。ああ、ただいま」

「あー」

「春香も。いい子にしてたか」

「なんだ、私の時とエライ違いだな」

「当たり前だ」

「あんだとー」

二人の視線が交わる。どことなく火花が散ったりしているように見えるのは、気のせいでは無いと思う。

「全く。2人とも大人気なく、怒ったりしないの」

「いや、でもあれは早苗がだな」

「いいでねえか、おかげで早く到着できたべ」

「お前なあ・・・」

「はいはい、もうそこまでにしてください。忠夫さん、除霊作業が終わった後すぐでしょ?お風呂沸かすから、とりあえず着替えてきてく

ださい」

「・・・ああ、そうさせてもらうかな」

「あーあー」

「どうしたの春香。・・・あらあら、おしっこしちゃったのね」
「忠夫さん、私おむつを変えてきますから。部屋に上がって、用意してくださいね」

「わかったよ」

「じゃ、春香行こうか」

春香を連れて、いったん戻ろうとすると。戻り際、お姉ちゃんが忠夫さんに話す声が耳に入った。

「そういえば、忠夫・・・」

なんだろう、お姉ちゃんが自分から穏やかに話すなんて、あんまり無かった事だけど。

「ほぎゃー、あー」

「気持悪いの?急ぎましょうね」

私は気をとられて、その事は忘れてしまった。


夜。
親子で川の字になって寝ていた。
横になりながら、夕食の時の事を思い返す。
また早苗おねえちゃんと忠夫さんとで漫才があったのだけれど、お義父さんとお義母さんも笑っていた。
やっぱり、忠夫さんがいると、家族がそろうと笑いが生まれる。

笑いの中で、安心している自分に気が付く。

「忠夫さん、来てくれてよかった」

「ん?」

「来てくれてよかったって。そう思ったの」

「どういたしまして。こんなのでよければ、いつでも」

「ふふっ」

「どうしたの?」

「いや、ちょっと実家に帰ってきてただけなのに。なにかその言い方、おかしいですよ」

「そうかな」

「そうよ」

お互いに布団の中で笑いあう。
隣の春香は、ぐっすり夢の中だ。
タオルを掛けなおす。
ちいさく上下する胸が、なんとも可愛らしい。

「この子も」
「今日は、ご機嫌でしたよ」

「そう、なのかな」

「そう、ですよ」





――ちくり。また、違和感。こころにこびり付いた、寂しさ。






「おキヌちゃんは?」

「えっ?あたし?」

「そう。おキヌちゃんは?」

「私も、もちろん」

数瞬。間が空いて。

「ご機嫌、でしたよ」







―――違う。私は、ご機嫌なんかじゃ無かった。







「・・・なにか、悩み事?」

忠夫さんが体を起こして。
春香の頭の側を手を伸ばして。
私の手を握って、そう言った。
忠夫さんの手の暖かさが、心地いい。

「話して、ごらんよ」

「・・・ん」

私は考えをめぐらせて、でもなんでだろうか、言う気にはならなかった。
甘えたくなかったのかもしれない。

「ごめんなさい」
「私の、問題だと思うの」

「・・・そう」

「でも、なるべく抱え込まないで。俺に、相談してくれよ」

なんでわかっちゃうのかなあ・・・。少し悔しかったけれど、そんな心遣いが、嬉しかった。










それから、2・3日。
忠夫さんは、春香の面倒などを手伝ってくれていて、私もそんな忠夫さんたちと、のんびり過ごしていた。

「山菜を、取りにいこう」

忠夫さんが、言う。
早苗おねえちゃんが、夕食のおかずにと頼んだらしい。

「春香は早苗が見てくれるから。ちょっと山を歩きがてら、ね」

「いいですよ」
「でも、ポイントわかってるんですか?」

山菜の生えているポイントは、大体がその家の秘密になっている。
とりすぎを防いで、株が絶えるのを無くすためだけど、美味しい物だから・・・という理由の方が強いだろうな、と思う。
そういう私も、そんな恩恵にあずかっている訳だけど。

「ああ、早苗が秘密だぞ、なんて言いながら教えてくれた」

「へえ」

私は、ちょっと感心していた。
おねえちゃんなら、忠夫には絶対教えね、なんて言いそうだけれど、少し2人の距離が近くなったのだろうか。

「じゃ、少し暑いけど、出ようか」









昼下がり。まだ日差しはきつさが残って、暑さが引く気配はまだ無い。
空は高くて、歩いて上る坂の先には、今いる山々よりも高い入道雲が誇らしげにそびえている。
吹き抜ける風は土のにおいと草のうっそうとした青臭いにおいをはこんでくる。
木々はその暑さを楽しむように、少しでも多くの日の恵みを受けようと、枝いっぱいに葉をつけている。

「だいじょうぶ、おキヌちゃん?」

「ええ」

忠夫さんが心配そうに声を掛ける。
確かに歩きで上るには少しつらい坂だけれど、でも木々の木陰が多いせいか、汗は然程かいていない。
私は氷室神社を眼下に確認すると、その小ささに歩いてきた距離を実感した。
普段見慣れた鳥居や社が今は自分の手のひらよりも小さい。
視線を移すと、山肌を埋める緑が、目に飛び込んでくる。
原生の森は雑然としているようで、一定の法則でなりたっている様にも見える。
蝉の声は、それを証明しているかのように、繰り返し繰り返し聞こえてくる。
山の頂から見る街は、まるで陽炎に包まれているように揺らめいて街はどこかおぼろげで、空の入道雲が、よりいっそう街の存在感を希薄にさせていた。

「あ、これこれ」

私はフキを見付けて、根元を折り、かごに入れる。
他にもヨツバヒヨドリ、ガガイモ、アオミズなんていう山菜が取れて、私はご機嫌だった。
今夜のおかずには十分過ぎる量が手元にあった。山なんだけれど、大漁という感じ。
忠夫さんはというと、来ようと言ったくせに山菜をちくいち写真とあわせているから、結局あまり取れなかったみたいだ。
都会育ちの忠夫さんがいうには、私が見つけるのが早すぎるという事なんだけれど。
今夜、どういう風に料理しようかと考えていると、木の隙間から西日が差して、もう日暮れなのだと教えてくれた。

「忠夫さん、そろそろ下りましょうか」

「ああ、そうだね」
「でも、その前に」

「なんです?」

「ちょっと休憩していかない?」

やっぱり忠夫さんは慣れなかったのか、疲れがたまっているみたいだった。

「じゃあ、あそこの沢で休んでいきましょうか」

沢のそばで水筒からお茶をコップにいれて、忠夫さんに渡す。
冷たい麦茶が、疲れた体に心地いい。

「結構、たくさん取れたね」

「ええ、本当に」
「今夜はてんぷら、おひたし、お漬物、炊き込みご飯・・・。おいしい物ばっかりですよ」

そう言うと、忠夫さんのお腹がなった。


「やだ、そんなにおなかすいてたんですか?」

「あはは。いや、結構山を上ったり下りたりしたからなあ」

「腕によりを掛けて、作りますね」

「ありがとう、おキヌちゃん」

「しっかし、俺はいい嫁さん貰ったよなあ」
「春香も、いいお母さんで幸せだ」

「・・・えっ」

忠夫さんの、言葉。
私の中にあった違和感が、もたげる。

「違います、忠夫さん。・・・いいお母さんだなんて・・・」

「なに、照れなくてもいいじゃな・・・」

そこまで言うと、口をつぐむ忠夫さん。
少し顔が強張る、私。

「違うんです、忠夫さん」
「違うんです」









「忠夫さん、私不安なんです」

忠夫さんは横に座って、じっと話を聞いてくれている。

「きちんと春香を、あの子を可愛がってやれるのかどうか」
「おかあさんも、おとうさんも顔すら覚えていない」
「覚えているのは、子守唄くらい」
「そんな私が、母親をやっていけるのかな、って・・・」

「そっか・・・」

忠夫さんは、私の話を黙って聞いてくれていた。

「それでこの間から、なにか悩んでいたんだね」

「うん・・・」


「おキヌちゃん、周りをみてごらん」
「なにが見える?」

「何がって・・・、森・・・」

「そう、森が見えるよね」

「ん・・・」


「種から苗木、そして成木になるまで。どのくらいの時間がかかるんだろう」
「そんな木が集まって、森になるまで。この森は、どのくらいの時間を掛けて、立派な森になったんだろうね」
「人も、一緒なんじゃないかな・・・」
「俺たちは確かに子供が生まれて、形の上では親になった」
「でも、何が出来るかなんて言われたら、ほとんど何も出来ないと思うんだよ」
「お互いに、四苦八苦してる。くしゃみ一つで、大騒ぎだったろ?」
「おキヌちゃんは、春香のために何がしてやれるんだろうって言った。なら」
「これから出来る事を、増やしていけばいいんじゃないかな、少しずつね」
「何が出来るか、一生懸命考えながらね・・・」


私は、忠夫さんの言葉をじっと聞いていた。ひぐらしの蝉の音がうるさいくらいに聞こえていたのが、いつの間にか聞こえない。


「おキヌちゃん、俺はこう思うんだよ」
「人は子供が産まれたら親になるんじゃないんだ、子供と一緒に、親になっていくんだよ」


「親に・・・なっていく・・・」


「きっと、おキヌちゃんのおかあさんもおとうさんも同じだったはずだよ」
「君が覚えている、子守唄だって」
「どんな気持ちで、歌ってくれたんだろうね?」
「お母さんの気持ちを、想像してごらんよ」

「おかあさんの・・・気持ち・・・」

忠夫さんに言われ、考えようとしたとき。
私の心に、ある風景が流れ込んできた。










――――――おぎゃあ、おぎゃあ

「おお、よしよし。どうしただ」

優しげな、声。どうやら、自分は背に担がれているらしい。
目が良く見えない。白っぽい視界。
体があやす様に左右に動く。担いでくれているのは、女性のようだ。背中の細さとやわらかさが、そう教えてくれる。

「おまえ、どうしたんだ」

農作業の手を休めて、男が言う。

「いえ、この子がまた泣き出して。どうしたんだべ」

「最近は地震や日照りで不作続きだからな・・・。この子も不安なのかもしれねえ」

「死津喪比女、でしたか・・・。早く、領主様がなんとかしてくれるといいんだけれど」

「まあ、領主様は良い方だで。昨年の日照りの時も、年貢を減免してくださった。きっとなんとかしてくださる」

「そう、そうよね。」

「んだ。わしたちは、子供の為に頑張るしかねえ。また不作では、よく食わす事も出来なくなる」

「そうだべな・・・。」

「もしそうなったら、地震で亡くなったばっちゃ達に会わす顔がないでよう」

「おぎゃあ、おぎゃあ」

いっそう激しく泣く私。そうすると、抱えてくれていた女性は私を背中から胸に抱き変えた。
ぼんやりと見える顔。懐かしい様な、その顔――。

「よしよし。お歌さ歌ってやるでな、機嫌をなおしてくれよ」


「おキヌ」


えっ・・・。言われた時、初めて気が付いた。これは、私の記憶。
小さい小さい時の、かすかな記憶。
この2人は、おかあさん、おとうさん――。

「−−−−−この子の可愛さ限りない。山では木の数、萱の数。星の数よりまだ可愛、ねんねねんねや、おねんねや・・・・」












意識が戻る。
私は、はっと気が付いた。おかあさんの気持ち。
苦しい中、泣く事と笑う事しか出来ない赤ん坊を育てていく時の、不安な気持ち。

「私・・・」

そうなんだ。
不安じゃないはずなんて、ないんだ。
なにが一番、この子にとっていい事なのか、悩んで、失敗して。
きっと、手探りで。
でも、だからこそ。いっぱいの愛情を込めて、歌ってくれていたに違いないんだ。

おかあさんは、自分のお母さんにいろんなことを教わったのかもしれない。教われなかったかもしれない。
それは、もう私にはわからない。
なら。私の子供たちには、不安な気持ちを残す事が無いように。
精一杯、ぶつかっていこう。
おかあさんが残してくれた、子守唄と一緒に。
そう、思えた。

横の忠夫さんを見る。その顔は笑っていて。今の事が忠夫さんのやった事だとわかった。

「ずるいですよ。文殊を使うなんて」

「はは。高校時代の事を思い出してね。うまくいくかな、ってさ」

「もう。でも」
「許してあげます」

私はそう言って、忠夫さんの胸に頭を寄せた。










「あ、おキヌちゃん!よかっただ〜」
「この子が、泣き止まなくて、困ってただよ」
「眠ってもくれないし、オムツも濡れていないし、ミルクはさっき飲んだし・・・。私にはわがんねで・・・」

下山すると、早苗おねえちゃんが困った様に駆け出して来た。
春香をそっと私に預ける。

「よしよし、どうしたの」

「あー、あー」

先ほどまでとは打って変わって、ぐずらなくなった春香。

「・・・なんだ、春香は寂しかっただか。やっぱり、お母さんが一番だべな」

そう言って、にっこり笑う早苗おねえちゃん。
私はお姉ちゃんを見て。

「山菜を取りに行けって勧めたの、お姉ちゃんでしょ」

「え・・・。あはは、なんのことだべ?」

お姉ちゃんは目を逸らしながら、手を頭の後ろに回して、答える。
全く、お姉ちゃんはわかりやすい。
思わず笑みがこぼれて、お姉ちゃんと笑いあった。


そして、胸の中で安らぐ春香を見て。私は少し罪悪感を覚えた。
この子は私の事を疑ってなんか無い。私をお母さんである事を、疑ってなんか無い。

うん、春香。
お母さん、しっかりしなくちゃね。










それから1週間して、私達家族は東京に戻った。
帰り際、早苗おねえちゃんが

「早くまた戻って来い、この馬鹿を抜いて」

なんて言ったもんだから、また漫才になってしまったのだけれど。

帰る途中、私は横島さんと初めて出会った、あのがけ下に来てもらった。
私はこの場所で、どうしても言いたい事があった。

記憶の中であった、おかあさんとおとうさんに。

ガードレールの脇、車の展開場所。
御呂地村が見渡せる、この場所に立って、言った。


「おかあさーん、おとうさーん」
「私は、今でも、元気です」
「私にも、娘が出来ました」
「私は二人の顔も知らないけれど」
「せいいっぱい生きて、二人に会えた時に胸を張れるように」
「私、頑張るから。立派に育ててみせるから」
「見守っていて、ください」


300年前だけれど、確かにここにいた、私の両親に向けて。
この声が届けばいいと思いながら。









――――――それから1年位して。

私達に新しい家族が出来た。
忠夫さんはその子を夏喜、と名づけた。
まるであの日の事を名前に込めたみたいに。
私がそう言うと、忠夫さんは顔をかきながら

「ああ」

と言った。

「あの日の事は、俺だって嬉しかったんだからね」

照れくさそうに、答えてくれた。

「ふふっ」

私は笑顔で返して。
2人目の子。
夏喜に、初めての挨拶をした。
なんて言うかは、決まっていた。


「生まれてくれてありがとう、夏喜」






「私が、お母さんよ」





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