ザ・グレート・展開予測ショー

美神SOS!(2)


投稿者名:竹
投稿日時:(04/12/21)

 山の中腹、深い森の中に一軒の小屋が建っていた。
 中に入れば部屋も何も無い、囲炉裏だけの簡素な小屋である。



 チャプン……

 女は、水の張った桶から手拭いを救い上げると、適度に絞り、布団の中で眠っている美神の額にそっと乗せた。
 ……傷を負い気絶した美神に、手当てを施した彼女こそが、この小屋の主である。人間ではない、いわゆる妖怪変化と呼ばれる類のモノだ。彼女は猫の変化───化け猫だった。
 側でその様子を見ていた横島が、流石に神妙な態度で彼女に言う。
「ありがとう、美衣さん……。すいません、お手数を掛けちゃって」
「良いんですよ。横島さんは、私とケイにとっては恩人なのですから。美神さんにも結局は見逃してもらった事になりますし、少しくらいご恩返しをさせて下さいな」
 困った時はお互い様ですよ、と言って、美衣は微笑んだ。本人にそのつもりは無いのだろうが、その笑顔はどこか妖艶に見える。
 いかんいかん、そう思いつつも、煩悩が補充されてまた一つ文珠のストックが増えた事を横島は感じていた。
「えっと……、その、美神さんは大丈夫なのかな」
「そうですね……、命に別状は無いようですけど、暫くは下手に動かさない方が良いかと。……私がヒーリングを使えたら良かったのですけどね……」
「い、いや、そんな美衣さんが気に病む事じゃ……」
 ここは、文珠を使うべきか。横島は思う。
 文珠にすれば、横島の霊力をどんな方向にも好きに向けられる。『治』と刻めば美神の傷の治療も出来るだろうし、『覚』と刻んで意識を回復させる事も出来よう。
 或いは、複数の文珠を使えば単純に霊力はその分掛け合わされるのだから、『全』『快』、『全』『回』『復』とか言う事も可能かも知れない。二つ三つの同時利用くらいなら、今の横島にも出来る。
 文珠とは、非常に汎用性の高い能力なのである。
 例えば、六道冥子や小笠原エミは(少なくとも、斉天大聖の修行を受ける前の)美神に匹敵する霊力を持ってはいるが、美神のように神通昆や霊体ボウガンを使いこなす事は出来ない。
 一方、美神は冥子やエミのように一芸に秀でている訳ではない。その術を行うに耐える霊力を持っていたとしても、持って生まれたセンスと技術を習得する努力が無ければ、行使する事は不可能なのである。
 しかし、文珠を使えばどうか。
 横島は、文珠に『剣』と刻む事で自らが意識して造り出せるよりも完成度の高い霊波刀を出現させた。
 『式』と刻めばその文珠は式神として動いてくれるであろうし、『呪』と刻めば任意の相手に呪いを掛ける事も容易いだろう。
 詰まり、凝縮された横島の霊力分を、何の縛りも無く、好きな方向へ無駄なく放出できると言う事だ。抑も横島の霊力が高い事を考えれば、これは殆ど反則と言っても良い。
 ……とは言え、そう、結局は文珠とは横島の霊力なのである。
 故にそれ以上の事は出来ないし、横島の霊力が尽きれば弾切れである。
 造り出すのだって、そうそう簡単にはいかない。──ので、幾らか造り置きしてストックしている訳だが……。
 先程の魔族の男から逃げ出すのに、三つも消費してしまった。この後、あの男がまた襲ってくるかも知れないし、何が起こるか分からないこの状況だと、文珠は少しでも多く残しておきたい。
 それでも文珠一つで美神の傷が治るのなら安いものかもしれないが、悪霊に受けた傷も魔族の男に食らった霊波砲の衝撃も、どちらもかなりの重傷を負わせていたようだ。逃げる途中で慌てて『治』の文珠を押し付けてみたが、美神が目覚める事すらなかった。動脈を掻き切られただけなのとは、違うらしい。
 現在のストックは、先ほど補充された分を含めても二つ。両方を美神の治療に費やしたとしても、恐らく大した効果は望めまい。
 結論としては、横島にはどうする事も出来ない。
 とすれば、このまま自然回復を待つのが一番だろう。取り敢えず落ち着いたようだし、美神の意識の回復を待って麓に下り、美智恵にでも連絡を取って、どこかオカルト系の治療が出来る大きな病院へ搬送してもらうのが良いだろうか。
「さて……、後は寝かせておいてあげるのが一番でしょう」
 横島が悶々と頭を捻っていると、それを見透かすかのように美衣が立ち上がった。
「え、あ、そうだな……」
「……」
 我に返って意味も無く慌てる横島を見て、美衣は、くすっ、と微笑んだ。
「食事の準備をしますので……、横島さんはくつろいでて下さいね」
「うー、いや。何か手伝う事あるかな?」
「良いですよ。……あ、それなら、ケイと遊んであげて下さい。喜びますから」
 そう言って座を立つ美衣からは、矢張りどこか妖艶な香りが漂ってくるように、横島には思えた。





「横島にーちゃーん。ほらほら、見てっ。にーちゃんに教えてもらった竹蜻蛉、自分で作れるようになったんだよっ」
 美神の側を離れ、囲炉裏端に座った横島に、小学生くらいの少年が飛び付いてきた。
 美衣の息子のケイである。
 この化け猫母子と横島が知り合い、行動を共にしたのは、たったの二日間だけだったが、ケイはすっかり横島になついてしまっていた。
 もともと子供好きな横島は、子供の世話が得意だったりする。存外に大人だ。子供相手に相手の目線で話せるのは、彼自身が幼いからなのかも知れないが。
「おお、上手いじゃねーか」
「えへへー。あれから、いっぱい練習したからね。にーちゃんに教えてもらった通り」
「へぇ、そうか」
「うんっ。あ、にーちゃんに作ってもらった奴は、勿論ちゃんと大事にとってあるよ」
 じゃれついてくるケイを膝に乗せ、頭を撫でてやる横島。
 ふと斜め前を見ると、同じように囲炉裏を囲んでいる少女が、こちらをじっと見ていた。
「……何だよ、メドーサ」
「いや……別に?」
 少女……と言うか、メドーサ(ギャルヴァージョン)である。胡座の状態から、片膝を抱えて横島の方を見ている。ミニスカートで。
「お前……、止めろよ、その座り方。パンツ見えてんぞ」
「何だい、こう言うの好きだろ?」
「いや……、そりゃ好きは好きだけど……ごにょごにょ……」
 メドーサに揶揄されて、口籠もる横島。女の子は大好きだが、オープン過ぎるのも過ぎるので目のやり場に困る。
「はっ……、何だ、意外と純情じゃないか」
「おおよ、純情も純情。俺ほど純情な奴もそうはいないぜ」
「良く言うよ……」
 いや、しかし、高校生と言ったら普通はこんなものだろう。寧ろ、確かに横島は純情な方かも知れない。彼は、ただ素直すぎるのだ。それは、恥知らずとは少し違う。
「けどあんた、あのアシュ様の眷属の蛍娘と出来てたんじゃないのかい。今更パンチラくらいで、何をそんな初な反応を」
「や……、その、ルシオラとはキスくらいまでしか行ってないから」
 見殺しにしてしまった嘗ての恋人の話題に入り、横島の表情は少し曇った。しかしメドーサは、それに気付かず続ける。
「ああ? あれからけっこう経っただろ。まだそんなもんなのかい」
「じゃなくて……、つーか、その、お前と戦った後すぐにルシオラは死んじまったから」
「……戦死か?」
「ん、まあ、そんなとこ。……つーか、悪ぃ。まだ、その事は吹っ切れてなくてさ。出来れば……なるだけ触れないどいてくれねぇか」
「ふぅん……? まっ、良いけどね……」
 頬杖を着いたまま、メドーサはそう答えた。その探るような憮然とした表情からは、彼女がその事についてどう思っているかは読み取れない。
「──それ良か、お前の方こそどうなんだよ。あんとき死んだ筈じゃなかったのか。それが、どうしてケイと一緒に居るんだよ」
 ここでこれ以上この話題で沈んでも仕方無いと思い、横島は話題を変える。魔族の男に追われ飛び降りた崖の下で偶々やってきたメドーサとケイに見付けられてから、ずっと思っていた疑問である。
 そう、メドーサは死んだ筈なのだ。
 その事実に、間違いはない筈だ。殺したのは、誰あろう横島本人なのだから。宇宙船と東京とで、二度に渡り引導を渡してやった筈だ。
 しかし、今、メドーサはこうして目の前に座っている。
 これは、どう言う事なのだろうか。
「は……、こちとらこう見えても竜神族の端くれだよ? 幾ら文珠とは言え、お前の攻撃を一発食らっただけで死んじまう訳ないだろ」
「はぁ……そんなもんなのか」
 適当に相槌を打ちながら、と言うかこいつは神様なのか悪魔なのかはっきりしてほしい。と、横島は思った。
 まあ、どっちにしても似たようなものだし、ジークフリートのような例を考えれば、実は大した違いは無いのかも知れない。抑も横島には、神通力と魔力の違いも分からなかった。
「ま、とは言え弱体化してるのは、確かなんだけどね。それこそ、お前の文珠一個でねじ伏せられちまう程にな」
「え? でも、生きてるじゃん。どうして?」
「だから、あたしはあの場から『消』えただけなのさ。テレポーテーションて奴だよ。死んだ訳じゃない」
 淡々と語るメドーサ。
 お互いに感情を殺したような、それでいて砕けた会話。それは矢張り、嘗て命懸けで争ったと言う微妙な距離感の為せる業なのだろうか。
 ただ、居心地はそんなに悪くない。
 そんな二人の間に、話に入れず憮然とした顔をしていたケイが、堪らずに割り込んできた。
「ねー、横島にーちゃんはメドーサねーちゃんの事、知ってるの? 二人は、どんな関係なのさ」
 ケイの質問に、横島は迷う。……どう答えれば良いものか。
「えっと、だな。それは……」
「敵同士さ」
「おい!」
 悩んでいた横島を尻目に、メドーサはあっさりとストレートに言ってしまった。
「ええっ、敵同士?」
「そうだよ。何度か殺し合いをした事もある。実際、あたしは一度こいつに殺されてるしね」
「ええ〜!?」
「因みに、キスをした事もある」
「脈絡が分からないよ、メドーサねーちゃん!」
 まあ、とどめを刺したのは一応マリアなのですが。
「つーか、何……。もしかして、俺らのこと恨んでたりするのか、メドーサ」
 あっさり敵同士とか言い出したメドーサに、横島が恐る恐る尋ねる。正直、やっぱりメドーサは怖い。あんな殺し合いは、もうご免だ。
「そうだねぇ。まあ、あたしだって元は武神だ。人間風情にあそこまで舐められて死に恥まで掻かされたんだ、憎い気持ちはある」
「うぇ……」
「ただ、アシュ様がお亡くなりになった今、あんたらと争う理由が無いのも事実だ。ここで喧嘩なんぞすれば、美衣に迷惑が掛かるし、取り敢えず、ここに居る間は安心して良いよ」
「そっすか……」
 それは、何だ。夜道には気を付けろとか、そう言う事なのか。激しく疑問に思いながらも、怖くて訊けない横島だった。
 なので、代わりにもう一つの疑問を尋ねる。
「つーか……、そんでお前は何でケイや美衣さんと一緒に居るんだ?」
 生きている理由は分かった。しかし、それがどうして美衣の家に居るのかは聞かされていない。
 美衣とケイの母子は、横島に逃がされた後、再開発の波を避けこの山に移り住んだと言うのは、美衣から聞いていたが。
「んー、あたしはアシュ様派として神族魔族にも指名手配されてるからね。あの後なんとか生き延びたものの、神界にも魔界にも帰れなくてね。結局、下界で暮らすしかなくなったのさ」
「ああ、そう言う話だったっけ」
「そうだよ。で、だ。しかしだな、ずっと魔界で生活してた魔族が下界に土着して妖怪になるのって、けっこう大変なんだよ。抑もが、魔族と生粋の妖怪とじゃ霊基構造が違うからな」
「そうなんだ」
「いや、それくらい知っとけよ、お前は」
「いや、ははは……」
 見習いとは言えプロのゴーストスイーパーにしては、専門知識が無さ過ぎる。痛いところを突かれて誤魔化し笑いをする横島だが、まあ、しかし分かる気はする。シロやタマモを見ていると、とても“皮を被せただけ”には見えない。
「まあ、あたしは下界での生活も長いから楽っちゃ楽だったんだけど、それでもね」
「ふぅん……」
「そんで、人目に付かないとこに逃げようと思ってこの山に入ったとこを、美衣と出会ったんだ。困った時はお互い様とか言って寝床と食い扶持を用意してくれるもんだから、他に行くとこも無いしでずるずると世話になってるって訳さ」
「そうなんだ……」
 横島は、ちょっと意外なものを見た気がした。
 何か、けっこう丸くないか、こいつ。
 “仕事”をしてない時のこいつは、こんな感じなのだろうか。執念深い嫌な奴だと思っていたが、案外捌けていて付き合い易いかも知れない。
 しかし、或いは……とも思う。
 一度手に入れた力を中途半端に失ってしまい、気力が無くなってしまったのではないか。
 丁度、今は眠っている自分の師匠のように。
「? どうしたい」
「んにゃ……、何でもねぇよ」
「?」
 そんな様子に、膝の上のケイが小首を傾げた。





「くそ……」
 一方その頃、美神を襲った魔族の男は、横島達を見失った崖の上で立ち尽くしていた。
「……」
 横島達の足取りを知る即座に術を、男は持ち合わせていない。
 しかし、時間を掛ければそれだけ連中は遠くへ逃げる。もしも、このまま人里まで逃げられてしまったら、厄介な事になる。
 どうすれば良い。
 途方に暮れる男の背後に、不意に誰かが立ったような気がした。
「……貴様か。脅かすな」
 いや、実際立っていた。男は振り向くと、背後に居た者に声を掛ける。
「貴方が鈍感なだけよ。こんなに近付いているのに気付かないなんて」
「それにしても、声を掛けるくらいしても良いだろう」
「ふふ、それもそうね」
 訪問者は、女だった。彼と同じ、魔族である。
 そして、彼の“仲間”だった。
「……何をしに来た。この任務は、俺がやる事になっていただろう。ボスからも許可は貰っている筈だ」
 男は、不機嫌そうに言う。
 それを、女は平然と受け止める。
「分かってるわよ。ただ、この任務は私達にとって絶対に失敗を許されない仕事でもある。より確実に達成する為に、私が助っ人に来たって訳」
 愉快そうに微笑みさえしながら、女は自分がここに来た訳を説明する。が、男は気に入らなかったようだ。
「いらん」
「駄目よ、ボスご直々の命令だもの。それに……、貴方は早くこの仕事を終わらせて、お兄さんの仇討ちにいかなきゃならいんでしょ?」
「……美神令子も、仇の一人だ」
「確かに貴方のお兄さんが殺される理由は彼女にあったけど、直接手に掛けたのは悪魔ワルキューレ……じゃなかったっけ。良く知らないけど」
「……」
 男は黙り込む。
 要するに、女はこう言いたいのだ。貴方にとって美神令子は、それほど重要な仇でもないでしょう、と。
 それはその通りであるし、だからこそ彼は、美神に関しては自らの手で息の根を止める事に執着しなかったのだ。
 彼は、鈍感だが真面目な性格だった。だからこうして、兄の仇を憎んで殺そうとしている。
 そんな彼は、自らの我が儘で組織の都合を悪くする事を好まなかった。
「……分かった」
「そう」
「それで……、奴らの居場所は分かるのか」
「まあ、大体は推測できるわね。あ、そうだ、それと……」
 それと。
 そう言った女の背後から、“何か”が現れた。
「そいつは──」
 男は、眉を顰める。
 なぜ、こんなモノがここに居るのか。こんな長閑な下界の山の中には、あまりにも場違いな存在だ。
 訝しげな表情で“それ”を見る男に対して。
「彼は……今回の任務の、もう一“匹”の助っ人よ」
 女は、そう言って妖しく微笑った。





「! おい、横島……」
「ふぇ……?」
 膝の上で丸くなって眠ってしまったケイを撫でながら自分もうとうとしていた横島は、突然顔を上げたメドーサの声で目を覚ました。
「どした、メドーサ」
「……感じないのかい? 鈍感な奴だね」
「え……」
 そう言われて、霊感を研ぎ澄ましてみる。
 ……が、鈍感なのは確かなので何も感じ取れない。美神に関する勘なら、良く当たるのだが。
「強い妖気が近付いてくるよ。……あんたらを襲った奴が、追い掛けてきたんじゃないの かい」
「うぇえ!? ちょっ、マジかよ。まだ美神さんは目を覚ましてすらいないのに!」
 せっかく落ち着けたと言うのに、今、下手に動かしたら治るものも治らない。
 いや、それ以前に逃げ切れるのか。頼みの美神は、まだ意識が戻らないと言うに。
「ど、どうすりゃ良いんだよ〜〜〜〜」
 悲鳴を上げる横島に、メドーサが嘆息した。
「情けない男だね。こんなのに何度も出し抜かれたのかと思うと、目眩がするよ……」
 こいつは土壇場で力を発揮するタイプだとは知っていても、こう言う醜態を見てしまうと何とも言えなくなってしまう。
「──やるんなら、美衣やケイに迷惑が掛かんないように表でにしなよ」
「う〜、やっぱそれしかねぇのかな〜」
「ったく、だらしないね。ここまで来ちまったんだから、ビシッと腹括ったらどうだい。男だろ?」
「〜〜……っ」
 矢張り、自分が迎え撃って追い返すしかないのか。
 けど、やっぱり怖い。臆病者と罵られようと、逃げられるものなら逃げてしまいたい。
 しかし──
「……」
 首を回して、美神の寝顔を見る。
 やるしかない。
 やらないなどと言う選択肢は、元より存在していない。
「くっ、くっそ〜……。や、やるしかないかぁ〜……」
 そう言って、震えながらも玄関へと向かう。
 横島には勝率は計算できなかったが、正直そんなに高くはないだろう。
 しかし、それでも征かなくてはならない。
 “その時”の判断くらいは、自分で出来るつもりだ。
「よ、よ〜し、行くぞぉ〜……」
 そう言って扉に手を掛けつつも、震えが止まらない横島を見て、メドーサが溜め息と共に立ち上がった。
「……しゃあないね、助太刀してやるよ。役に立てるかは保証しないけどね」
「えっ!?」
 意外なものを見るような目つきで、横島はメドーサを振り返る。
 いや、事実驚いたのだ。あのメドーサが自分に協力してくれるなんて、一体全体どう言う風の吹き回しだろうか。
「あんたが死んだら、ケイが泣くだろうからね。それに……」
「それに?」
 聞き返す横島に、メドーサは一拍おいた後でニヤリと笑う。
「あたしが殺す前に、あんたに死なれちゃ困るからね」
 そう言って、メドーサは掌から三叉槍を顕した。





 横島がメドーサと共に表に出ると、そこには案の定、先ほど美神を襲った魔族の男が居た。
「……また貴様か、文珠使い。貴様には用は無いと言った筈だ。美神令子を出せ」
「う……、うるさい! お前を祓うのなんか、俺で充分じゃ!」
 冷たい眼で鬱陶しそうに横島を見る男に、横島は精一杯の虚勢を張る。はったりである。上手くすれば、これで美神は既に回復しているのだと勘違いしてくれるかも知れないが、この状況ではそんなこと望むだけ損だろう。
「仕方無いな……。ならば、貴様を斃していこうか」
「ひっ……」
 そう言って凄んだ男の気迫に、横島は思わず後退った。恐怖で逃げ出してしまいたい衝動を、美神に対する恩と愛着と乳尻太腿を思い出して必死に封じ込める。
 メドーサは、どうやら男の眼中には無いらしい。彼女は、傍観者面して近くの木に寄り掛かっている。
「ふ……、安心しろ。貴様の相手は俺ではない」
「何?」
 訝しむ横島。
 少し身体をずらした男の背後から、“何か”が姿を現した。
「グオォォオ!」
 ──それは、醜悪な化け物だった。
 自我の有無さえ明らかではない、硝子玉のような瞳。大きく裂けた口の、あれでは口を締められないだろうと言う程に外側に迫り出す鋭い牙。
 頭には、前に一本・後ろに二本の角が生え、混濁した色の肌には血管が浮き上がって見える。
「グワギェアァアアーッ!」
 意味も無く咆吼する化け物。二足歩行はしているが、言語能力は持ち合わせていないらしい。
「あれ、でも……?」
 横島は気付く。
 どっかで見たような……?
「どこでだっけなぁ……」
 とは言え、美女なら兎も角、除霊した魔物を横島がいちいち覚えている筈は無い。それは、自分が一番良く分かっている。
 自分とは、そう言う奴だ。
「……」
 そんな風に考えが至り、流石に凹む。
 自分に自信の無い人間は、自分の短所が良く見えるものだ。
 ただ彼は、それに対して自己嫌悪と共に仕方無いかとも思える人間であるのだが。諦めてしまうのではなく、受け入れる事が出来るのだ。
 それでいて自分の長所に目が届かないのが、彼が“天才”ではなく“変態”と呼ばれる所以なのだろう。
「! あーっ、思い出した」
 凹みついでに、錆び付いた記憶の棚が開かれたらしい。不意に、横島は目の前の化け物について思い出した。
「ナンデヤネンだ!」
「……何だそりゃ」
 ナンデヤネン。
 寧ろ、お前が何でやねんだ。腕を組んで木に寄り掛かっていたメドーサが、思わずつっこみを入れた。
「何だ、お前、覚えてないのかよ。お前の手下だった奴じゃんか。ほら、スイーパー試験の二次試験の三回戦で、俺と戦った──」
「て……もしかして陰念かい?」
「そう、それ。そいつ」
「全然違うじゃないか……」
 メドーサの頬に、冷や汗が流れた。
 だが、彼女も思い出した。そう言えば、あんな感じだったような気がする。そんな事、いちいち覚えてはいないけれど。
「ふ……、そう言う事だ」
 二人のやりとりを見て、男が言う。
「こいつは、我々の仲間がGS協会とやらから奪ってきた“駒”だ。理性すらない下級魔族だが、貴様の動きを止める事くらいなら出来るだろう? 今はこんな姿とは言え、こいつは貴様らの同胞だったのだからな」
「く……」
 男の言葉に、横島は唸る。
 修羅場には慣れっこのゴーストスイーパーとは言え、人間同士の殺し合いなど殆ど経験は無い。
 それは、目の前の化け物──陰念にしてもそうだ。命の危険があったとは言え、あの時は試合だった。しかし、今は……

ドスゥ!

「!?」
 くぐもった音がして、辺りに紫色の血が飛び散った。
「な……っ」
「ふん……」
 メドーサの握った三叉槍が、陰念の腹を貫いたのである。
「グギャアアァアアアッ……!」
 刺し貫かれた陰念は断末魔の悲鳴を上げ……、それきり動かなくなってしまった。
「……」
 横島は、その光景に固まってしまった。
 ピクリとも動かなくなり、それでもなお紫の液体を流し続ける陰念を、信じられないものを見るような目つきで凝視する。
「ど、どうして……」
 譫言のように呟く。
 メドーサは、槍に付いた血を払いながらそれに答える。
「どうしてだって? 馬鹿な事を訊くね。あいつの話を聞いてなかったのかい。ああしなきゃ、あんたが死んでたよ。それとも、あんたが自分で引導渡してやりたかったってか。そりゃ、すまなかったね。あんたが動かないから、てっきり──」
「い、いや、そう言う事じゃなくて……」
「どう言う事だよ」
「何も殺さなくても……。お前の弟子だった奴なのに……」
 途切れ途切れに言葉を吐き出す横島の瞳に映るのは、非難と言うよりは疑問の色が濃い。
 その視線を受け、メドーサは大きく溜息をついた。
「──奴はGS協会とやらのところから奪われてきたんだろう? 当然、適切な治療も受けてないだろうし、あれからだいぶ経ったって言うのにまだあれじゃ、もはや人間に戻れる望みは無い。このまま一生理性すら持ち得ないとすれば、ここで殺してやるのが温情ある措置ってもんじゃないのかい」
「……だけど──」
 理性を無くした亡霊達を、あの世へ送る。ゴーストスイーパーとして、いつもやっている事だ。しかし、陰念は先程まで確かに生きていた。安楽死についての是非は、横島は考えた事も無かった。
「それに……」
 俯いて黙り込んだ横島の顔を覗き込み、メドーサが言葉を継ぐ。
「それに……?」
「忘れたのかい、あたしゃ人間なんて下等なゴミだくらいにしか思ってないんだよ」
 そう言って、彼女はまたニヤリと笑った。


「ふん……、予想外だな。予定では、これで文珠使いに傷の一つくらいは付けられる筈だったのに」
 陰念の死体を見下ろして、男が嘯く。
「まあ、良い。俺の役目は、お前を美神令子から引き離す事だからな」
 自分に視線を浴びせながら発せられたその言葉に、横島はふと顔を上げる。
「おい……? どう言う意味だよ、それ……」
「……すぐに分かる」
 そう言うと、男は身を翻してその場を立ち去った。
「お、おい! ちょっと待てよ、どう言う事だ!?」
 横島の呼び掛けを無視し、男の姿は森の奥へと消える。
「……」
 突然に飛び込んできた情報を、横島はそのあまり性能が良いとは言えないドドメ色の脳細胞で必死に分析する。
 が、計算するまでも無く、答えは一つだ。
「……っ! まさか──!」
 振り向いて小屋まで駆け戻ると、荒々しく扉を開ける。


 その中にあった光景は──



 壁に空いた大きな丸い穴。
 血の流れる右肩を押さえ、膝を着いている美衣。
 熱病に冒されたかのように震え、立ち尽くすケイ。
 そして。


 先程まで美神が寝ていた筈の、空になった布団──。


「……!」
 横島は、絶句した。




「……いきなり壁に穴が空いたかと思ったら、女の人が入ってきて。私も抵抗したのですけど……。ごめんなさい、美神さんが連れ去られて──」
 負傷した美衣の報告を、横島にどこまで理解できただろうか。
 しかし兎に角、重要なところは伝わったようだ。
「……そ……そんな……、美神さ……」
 目の前にあるのは、否定のしようの無い“最悪の結果”。
「う……」
 それを前に。



「うあああああああっ!」
 横島は、吼えた。

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