ザ・グレート・展開予測ショー

逢魔の休日 -No Man Holiday- <Scene 14>


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/12/13)

皮肉なことに、ベスパが死に向かいつつあることで、横島はようやく身体の自由を取り戻すことが出来た。
まだ立ち上がることは出来なかったが、それでも手のひらに精神を集中させる。
激しい痺れが残るせいか、文珠は結実する直前であえ無く霧散を繰り返す。
だが、横島はあきらめようとはしない。
囚われのベスパを助けるため、再び蟷螂の斧を振り上げようとあがくのだった。

男はベスパを真正面に見据えながらも、右斜め後方で身を起こす横島の気配を察していた。
顔を向けて確かめる余裕などないが、容易ならぬ気が集まりつつあるのが感じられた。
法術・体術ともにヴァチカンに並ぶ者なし、と言われる男であったが、今はまったく無防備な姿を側面に晒している。
文珠は言うに及ばず、素人の放つ銃ひとつでたやすく自分を倒すことが出来るだろう。
彼女を滅するのが先か、自分が倒されるのが先か、それはほんの僅かな時間の差でしかなくなっていた。

かつてアシュタロスは、魔と神は同じカードの裏表にすぎない、と言った。
平和で活気に満ちた世界の創造も破壊も自らの性によるものではなく、互いに必要とされる役割を演じているのにすぎない、と。
無慈悲で意図せざる造物主は虚数の空間にのみ存在し、そこには露ほどの光も闇も存在しない。
実数の空間において生命が生まれて初めて、漠然とした善と悪が構築され始めるのである。

デカルトは人間の根本を探求して、「我思う、ゆえに我あり」と説いた。
そして、魔と神においてのそれは、「我思わるる、ゆえに我あり」となる。

死への刻限が近づいているベスパを、何故ヴァチカンは殊更に滅しようとするのか、その答えがそこにある。
幸いなことにアシュタロスの呟きを直接耳にしたものは一人しかいなかったが、その告発は、おそらくアシュタロス自身が想像する以上に極めて重大な意味を持っていた。
この世界は絶対的な者によって統治されてきたのではなく、ただ運営されてきただけに過ぎないということを。

だが、人はパンのみにて生きるものにあらず、と言ったイエスの言葉のとおり、未だ揺籃期にある人類は神と魔という幻想を必要としていた。
それがために、唯一の証人たるベスパの存在を認めるわけにはいかないのである。


「くそっ!!」

ようやくに結実した文珠を見つめ、吐き捨てるような思いが口をついて出る。
そこにあるものは普段とはまるで違う、大豆ほどの大きさしかないものだった。
これでは術者はおろか、小さな子供を傷つけることすら難しいだろう。
己の未熟さを呪う言葉が頭の中を駆け巡るが、今はこれ以上のものを望むべくもない。
横島はその小さな文珠にありったけの念を込め、ぎごちない手つきで放り投げた。

瞬きすらする余裕もない男の視界に、何か小さなものが飛び込んでくるのが見えた。
それが何かはわかっていたし、それがどのような作用を及ぼすかもわかってはいたが、それでも男は動くことが出来なかった。
小さな文珠は、ベスパを捕らえ続けている結界に吸い寄せられるように入り、消えた。
あたかもスローモーションのように見えるその様子を眺め、男はついに自分が間に合わなかったことを悟った。
悪魔の女を滅し、そして救ってやることが出来なかったことを深く悔やみながら。

この場に似つかわしくない、ぽふん、といった軽い音を立てて文珠が爆ぜた。
それは極々小さな力に過ぎなかったが、結界に注がれる微妙なバランスを崩すのには充分だった。
光り輝く結界はガラス細工のように粉々に砕け散り、力を失った術者はがくり、と床に倒れた。
ベスパもまた、糸を切られたマリオネットのように崩れ落ちる。

「ベスパッ!!」

くずおれるベスパを見て、身体の痺れも忘れて横島は駆け出していた。
重い身体を叱咤し、結界のあった場所を踏み越えて近づいていく。
透き通るほどに冷たい大理石の床は白く、そこに横たわるベスパの姿は、水面に沈みかけているようにも見えた。

「ベスパッ!! 大丈夫かっ!? しっかりしろっ!!」

抱き上げた身体は信じられないほど軽く、細く長い手足はだらりとして力がなかった。
遅すぎたかに思えたとき、微かにベスパのまぶたが動いているのがわかった。


徐々に白んでいく世界の中で、ベスパはぼんやりとした意識の海にまどろんでいた。
ゆらゆらと漂う波間に浮かびながら、ベスパは深く静かに沈んでいく。
この沈み行く先が何かはわかっていたが、最早ただ身を任せるだけだった。

「―――――」

もうほとんど水面下に沈みかけていたとき、ふいに頭上から響く何かが聞こえた。

「―――――! ――――――!」

死者のラッパにも似たその音は、始めは低く、次第に大きくなっていく。

「―――――パ! ―――――――ベスパ!」

それが自分の名を呼ぶ声だと気づいた瞬間、ベスパは黄泉の国から放り出され、天へ向けて落下していった。

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