これからの情景 II
投稿者名:Alice
投稿日時:(04/12/ 7)
これからの情景 II
美神が除霊に失敗して怪我を負ったと聞いたのは、夕方過ぎだった。横島もまた、別途除霊の最中であり連絡が取れなかったからである。
慌てて入院先の病院に向かったが既に事務所に帰ったと聞いた時は、大した怪我ではなかったと分かって横島も安堵した。
深夜というほどでもなかったので美神の事務所に顔を出すことにして向かったが、出向いた先に灯りは点いていなかった。一応、玄関は点してはいるものの、ひょっとしたら美神もマンションに帰ったのかもしれない。
おキヌも六道女学園を卒業してから別にマンションを借りて暮らしている。シロとタマモにしたって、家事を取り仕切っていたおキヌが外に出た今では六道の女子寮に放り込まれた。以前は夜も賑やかだったGS美神事務所も一応の寝床は用意してあるものの、暮らす場所ではない、純粋に事務所然とした佇まいとなっている。
玄関まできて、横島はまず最初に変だと感じたのは、人工幽霊とは別に真っ暗な屋敷に潜む人の気配である。流石にGSとしての実体験に基づいた勘ゆえに、間違いはないだろう。とにかく、外にいるだけでは仕方がないと、中に入ることにした。
「久しぶりだな。人工幽霊壱号。夜分にすまんが美神さんは? 一応確認するが怪我は大丈夫なのか?」
『お久しぶりです。ただいまオーナーはいらっしゃいますが、今は休んでおられるようです。怪我については左足に打身を。大したことはなかったようです』
「そっか、良かった。つーか、今美神さん寝てるのか。だったら今夜は止めといた方が良いな。また明日にでもくるよ」
明かりが消えていたのは美神が既に就寝しているから、お見舞いということでお情け程度にマーケットで買ってきた果実を玄関のノブにかけて帰ろうと思った矢先、
『いえ、本日は除霊で手違いがあって、少し気落ちしておられるようです。今も客間にいらっしゃいますしお休みにはなられてませんから、是非お会いになって上げて下さい…』
美神がいるという意味合いの人工幽霊の言葉もあるのだが、室内からは暗くてなんとなく良くない空気が漂っている。
「明かり、点いてないけど美神さん、寝てるんじゃないのか?」
玄関から扉を指差して横島。
『どうか元気付けて上げて下さい…』
「なんだかなぁ」
人工幽霊の口(?)が重いのにはオーナーを気遣うなにかがあるのだろうが、どうにも解せない。アルコールを飲んでなければ、加えて荒れていなければ良いなと、ついぞ吐いたため息。この分だとおキヌたちは帰らされたのだろう。
そもそも、人工幽霊がここまで気を使っているくらいだ。できることなら関わりたくないとも思うが、一応は師匠の見舞いに来たのだ。顔を出すくらいは礼儀だろうと諦めて改めて中に入った。
「こんばんはー。おじゃましまーす」
居間に繋がる扉を開ける時、きついアルコールの匂いを覚悟したが、拍子抜けするほどに普通だった。けれどそれもつかの間。代わりと言ってはなんだが、負のオーラが漂っていた。先ほど感じたよくない空気の原因に違いない。
「美神さん、います……よね?」
「……」
「……」
「……」
居たか、と心の中で暗鬱になる。美神の返す沈黙は相当な不機嫌さを感じさせて横島が培ってきた危険度を計るバロメータは最大の部位を指していた。
「…えっと、怪我したって聞いて。あーっと、これはお見舞いなんですけど」
よそよそしく果実が入った袋を掲げて美神がいる方を伺う。
真暗な部屋で、美神がソファーに座っているのはわかった。
「あのー、美神さん。寝てます? 寝てたら返事してくださーい」
勿論眠っていたら返事などできるはずはない。できれば返事をしないで欲しいという横島の望みのようなもの。
起きているのか、寝ているのかの判断はできなかったが、人工幽霊の言葉からして、美神は恐らく起きているのだろうと横島は考える。
「…おきてます…よね?」
横島の遠慮勝ちが言葉に、ようやっと反応したのか、美神が意識を取り戻したかのように返事をかけた。
「え、あぁ。横島クン……か…」
横島は寝ていたのか、と一瞬思ったが、そうではなさそうだった。純粋に気を抜いていただけだったのかもしれないのが、ただごとではないことだけはわかる。
仮にも美神は超がついてもおかしくないほどに凄腕のGSなのだ。部屋が暗かったとはいえ、横島が接近したこと、そして同室にいたことすら気がつかなかったとすれば、なにかしら異変を感じ当然だった。
変に酔っ払っていなかったことや、荒れていなかったことにに安堵はしたが、美神然としたの居高々な立ち振る舞いはどこにも見当たらない。姿にどこか拍子抜けしてしまう。
「どうしたんですか? らしくないぐらいにずいぶんと落ち込んでるようですけど…」
言い過ぎたとも思ったが、少しくらい強く言った方が突っかかってくるだろう。そうすればいつもの、自分が知っている美神令子になってくれると考えていたが、その反応は暗い。
「それは…。アンタだって聞いてるんでしょ? 除霊で大失敗をやらかしたのよ。そりゃあ私だって少しくらい落ち込むわ。横島クンも弟子の癖にずいぶんと意地が悪いのね…」
見たことがないほどに、どこかしら疲れた表情を見せる美神の姿に、ツンと胸が痛んだ。
普段の美神であれば、こうはいかない。横島の言葉に噛み付いてきたはずだった。
「そんなつもりじゃ、なかったんですが…」
「良いわよ。別に…」
過去、幾度かは除霊に失敗したことがないわけではない。でも、美神はなにかに理由をつけて責任転嫁をしてしまえる、そんな図々しさがあった。加えて必ずと言って良いほどに逆襲してみせる強さ。美神令子らしさがあったはずだった。
でも、今、自分の目の前にいる女性、美神令子にはそれがまったく感じられない。
「…電気、点けても良いですか? 目、悪くしますよ…」
横島が声をかけてから、ずっと真暗なままだった。玄関の明かりはつけてきたので、美神からは横島の立ち姿が良く写る。
「別に本を読んでたわけじゃないわ。ただ点けるのが面倒臭かっただけよ」
人口幽霊に言えば直ぐに点けてくれる。いや、夜に人の気配を察知すれば勝手に照らしてくれるはずだった。横島には美神の言葉が嘘だと直ぐにわかったが、なにも言わずにおいた。
「人口幽霊…頼めるか?」
横島の言葉で居間に光が広がる。気をきかせたのか、人口幽霊からの返答はない。
明りの下、来客用のソファーに美神は仰向けで寝転がっていた。
「確かに目は悪くならないかもしれませんけど、風邪は引きますよ…」
「…わかってるわよ。お節介ね。立ってないで、座ったら?」
「…えっと、はい」
一応、いらついてはいるようだが、逆に少しだけだがホッとした。落ち込んでいるだけの美神をこれ以上みたいとは思わなかったからだ。
「お見舞いに果物、メロンでも買ってきたんですが食べます?」
「………今はいいわ」
「そう、ですか…」
明りがついてからも、美神は寝転がったまま。目頭を被せるようにして腕を組んでいたため、その表情は見えない。横島の存在を無視するかのような仕草に居心地の悪さを感じてでた言葉だった。返した美神の言葉も随分とそっけないもので、横島は心に針を刺されたかのような気持ちにさせられる。
「で、わざわざお見舞いにきてくれたわけだ。横島クンは」
果物を断られて言葉がなかった横島に美神が声をかける。
「まぁ、そうですけど…。怪我、大したことがなくて良かったです」
「そうね…」
あくまで横島とは喋りたくないのか、美神の言葉はどこか冷たい。
ふてくされているようには見えないが、拒絶していることだけははっきりとわかってしまい、横島は一抹の寂しさを感じた。別に愚痴くらい聞いてやれるのに、と。
「俺に手伝えることって、ありますか?」
だから言ってしまった。かけるつもりはなかった言葉だった。つい、言ってしまったのだ。美神の姿が、いつもより小さく見えてしまって。
そしてすぐさま、美神が息を呑んだことで、それが失言だと理解した。
「ないわ! ひよっ子のアンタになにができるっていうのよっ!」
「っ! す、スンマセン…」
横島の言葉にカッときてしまい、美神が声を荒げる。美神もまた、それが醜い八つ当たりであるとわかって居心地を悪そうに歯噛みする。とっさに謝った横島もまた、見慣れぬ師の姿を見たくなくて、目を逸らす。
時間にして数十秒の沈黙。先に口を切ったのは美神だった。ソファーから身を起こして、横島の正面に座り直すが、横島はいまだ、美神の方に顔を向けることができなかった。
「結局のところ、私も横島くんもひよっ子なのよ。たかだか二十もそこそこ。ママや西条さんからしてみれば私なんてまだまだだったってことね」
西条のというキーワードに湧き上がる反意に憮然とするものを抑えて、横島は『らしくない』と、心の中で呟く。
「今までずっと片肘張ってきたけど、少し疲れたのかもね」
美神が浮かべた自嘲的な笑みは、益々もって横島を苛立たせる。
「らしくない。全然らしくないッスよ。俺が知ってる美神さんだったら…」
つい意気が込んで、普段は控えるようになった昔の口調になってしまった横島の言葉に被せるようにして美神は言った。
「じゃあ、私はあなたが知らない美神令子なのかもね」
美神と目があった。だが、横島はなにも言えない。
自分が知らない美神令子が、確かな実体をもって眼前にいる。けれども、かける言葉も思い浮かばない。
「コーヒー、淹れるわね」
立ち上がった美神の姿を追うこともせず、横島はソファーに身を沈めることしかできなかった。
―― 久しぶりに良い話だったのよ
―― 気乗りもしたし、気持ちも十分引き締めた
―― 難易度はギリギリ一人でこなせるレベル
―― 調子が良かったつもりだったのかしら、助っ人は要らないって思ったわ
―― でも、それが誤り。サポートを入れるべきところで、私は大丈夫と自分を奢った
―― GSとしてあるまじきミスをした。初歩の初歩で失敗
コーヒーを淹れて戻ってきた美神が、細々と事の顛末を語りだした。
それは独り言のようで、横島が口を挟む余地がないもの。
結果は除霊対象であったビルの崩落だった。美神自身は軽症とはいえども怪我を負って、ついでに契約者には違約金だって払わなければならない。
「まったく、私も随分と焼きが回った物ね。失敗する前に引き返す判断すらできなかった。敵を見誤ってこの有様だもの…」
滑稽な風を装ってはいるが、
「本当、おキヌちゃんを連れていかなくて正解だったわ」
改めて自虐的な微笑を浮かべる美神に、そんなことはない、と、とっさに告げようとしたが横島はタイミングを逃した。
美神が冒したミスが致命的であったことを、同じGSとして、一線に出て戦う者として理解できてしまったからだ。
「明日は仕事?」
「…いえ、別にそれほど忙しいってワケじゃないッス」
「そ、今夜は付き合わない。結構いける口だったでしょう?」
美神は手首をかしげてグラスを持つ仕草を見せる。
「いえ、今日は止めときます」
呑める気分ではなかった。今の美神を前にすれば、きっとまた、失言を漏らしてしまう。
それだけは避けたかった。
「そ、つまらないわね」
「その、すんません」
「別にそのくらいで謝んなくったって良いわよ」
つまらなそうに手をひらひらさせて答える美神だが、横島には美神の弱音を垣間見たような気にさせられた。横島がいることで、心の均衡はぐらついている。気持ちのバランスをとるためにも、横島は邪魔者でしかなかった。
「じゃあ、今日はこれで失礼します」
会釈して、所在無く立ち上がった横島。
少し遅れるようにして、美神も立ち上がって見送ろうとした、が、できなかった。
限界だった。
精一杯の強がりだった。
自分を卑下してみせたのも、怒ってみせたことも、全部。
「美神…さん…」
唇を噛み締めて美神は勢い良く立ち上がる。
「私は!」
喋ろうとして声がつまってしまう。
「私はっ!!」
息もつけず、苦しそうに、まるで呪いのごとく彼女は声を振り絞った。
全身を震わせて、美神は叫んだ。
―― 彼に追い越されるような気持ちにさせられて焦っていた
いつだって目の前にいる男は自然体だった。
ただ、それだけのこと。
―― 負けたと思ってしまうことが怖かった
なにをいまさら焦っていたのだろうか。
能力的にはとっくに抜かれていた。あとは実戦経験の差に過ぎなかったが、まだ大丈夫だと思っていた。いつまでも、彼は、横島忠夫は自分の弟子だと思っていた。
それはとっくの昔に間違った見解だった。
認めるしかない。自分は、美神令子は、横島忠夫に、今、この瞬間にこそ追い抜かれてしまったのだ。
息が震える。認めてしまった。裂けそうだった気持ちが霧散していく。張りつめていた気が抜けてしまった。
追いつめられた感情は決壊する寸前。涙で視界が滲んだ。
まるで自分が馬鹿みたいで、立ち尽くしたままに、美神令子は顔を覆って声を殺して泣いた。
目の前に、知っている女がいた。
目の前に、知らない女の子がいた。
彼女は泣いている。
かける言葉は見つからない。
ならば、横島忠夫は、美神を抱き締めるしかなかった。
続く
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