ザ・グレート・展開予測ショー

これからの情景 I


投稿者名:Alice
投稿日時:(04/12/ 7)

 見慣れた―わけでもない幾度の、本当に片手で足りるくらいしか訪れたことのない一室。
 目が覚めた瞬間、考えることもなく胃が痛み、体がきしんだ。男性の本能がごとく身が縮こまる思いにさせられて、体中を流れる血液の代替に、血管を溶かすがごとく胃酸が流れているかのような錯覚を覚える。
 ため息も出ない。いや、出せるはずもない。なにより、目が覚めてから一分は息をするのも忘れていたくらい。ともすれば流石に生きている以上、動物として酸素を取り込まねばならず、意識とは裏腹に体が呼吸を求めた。目が覚めてから驚愕しっぱなしで、遥か彼方へとふきとんでいた意識が戻ってくる。
 冷静になれば、いや、冷静になれるわけはないのだが、考えることができるようになればなるほどに彼、横島忠夫は焦燥にかられるのだった。
 ともかく、力の込められていない、それでいてとても暖かい女性の手のひらに掴まれている自分の腕が、まるで別の生き物のように思えて仕方がなかった。
 
 
 
 
 
   これからの情景 I
 
 
 
 
 
 勢いだった。それはもう例えようのないくらいに勢いだった。つい、体が勝手に動いてしまった。
 勢いで美神令子と寝てしまったことは、彼にとって少なからず罪悪感を与えた。弱みにつけこんでしまったかもしれない。
 動転していただろうし、多分、自分は本能のままに行動してしまったに違いない。
 それだけでも自己嫌悪に陥るのに、疑心に駆られてしまえば、彼女が自棄に走っての行動だったのではないかと考えてしまう。で、あれば、自分はさらに傷つくのだ。
 起こってしまったことへの反省なんてしきれるものでもないし、償いができるわけでもない。もとより、反省なんてしてはいけない。
 師匠であり、また先輩であり、自分にとっての目標。彼女を、追いつきたかった美神令子を頼りない自分の腕に収めたことは、眼前の事実であり相違ないのだから。
 事実を認識できているのであれば、浮き足立っている暇などない。横島は心の中で自らを鼓舞し、落ち着けるように深い呼吸をする。かろうじて自分を取り戻す。冷静になれ、と言い聞かせる。
 睨み付けていた天井から隣を覗いてみて…落ち着いたはずの気持ちはすぐさま動揺の一途を辿る。
 そこには、美神令子が眠っていた。当然のことながら服は着ていない。
 胸元にシーツをたぐりよせてはいるものの、薄布一枚の下を想像して昨晩のことをついぞ思い出し、改めて横島忠夫は赤面する。
 なんとなく想像していたが、美神は男性経験を持っていなかった。恐らくは強がっているのだろうということはわかっていた。いつからかは覚えてはいないが、気がついてしまった。
 無理をさせてしまったかもしれない。いや、無理をさせたに違いない。考えてしまって申し訳なく思う。
 基本的にGSSは直接的な痛みには強い。心霊現象を相手にしていれば、命をかけることだって日常になる。血生臭くて当然のことで、必然、怪我や病理に犯されるも少なくない。美神にしたって、恐らくは昨晩以上に痛みを伴う苛烈な経験が恐らくはあった。
 それでも、だ。美神は女の人だった。少なくとも、横島が思う限りでは、昨晩の美神令子は小さな女の子に過ぎなかった。
 たたのアルバイトだった自分。成り行きのままに彼女は雇い主から師匠になった。師匠になってくれてからは共に戦線を張ったこともあった。足を引っ張ってばかりで。それでも、まるきり自信はないが、一人の稼ぎ手として育ててくれた人だった。生きることの心構えを教えてくれて、自分がもっとも尊敬できる人間。
 なのに、昨晩の彼女は女性ではなく、たった一人の、守るべき女の子でしかなかった。
 改めて横島は愕然とする。自分が知っている美神令子とは気丈な女性だった。男性以上にやり手の敏腕GSで、他人に対して弱味を見せることを徹底的に嫌う。そんな女性。無論美神とて完璧ではない。間違えることも失敗することだってある。しかし、彼女の殻は強固にできていた。強くあれる。強がることで誤魔化せてしまう。でも、殻に隠れた真実。彼女の本当は、紛れもない女の子だったのだ。
 
 初めは下心丸出しで近づいた。常識にとらわれない、当時の自分からしてみればとんでもない女性で、でも、年月が経って、気がついてみれば肩を並べることができるようになればと、強く思うようになっていた。
 自分と彼女とは格が違う。一緒に仕事をする度に、彼女の才能を実感する度に、美神令子、その人の凄さを見せ付けられる。右も左もわからなかったころは気がつくことすらできなかったこと。
 今になってわかる。彼女の力とは努力していたことだ。ずっと一緒に仕事をしていた時、既に彼女は一流と謳われていた。二十歳そこそこの小娘。そんな吹聴だってあったに違いない。けれども彼女は真っ向から突き進み、道なきを均し(ならし)、なければ強引にでも切り開いて、自分やおキヌを引っ張ってくれた。道を用意して、遥か高みから見守っていてくれた。
 才能だけで強くなれる、そんな人間なんていやしない。いてはいけない。美神の背中を追ってきた、追い続けて、やっと手をかけることができそうになってきて、横島は実感を持てるようになった。努力を続けるからこそ、今の彼女があったと。
 生きていることを悔いるほどに打ちひしがれ、挫折した姿を幾度となく見られた。徹底的に蔑まれ、励まされ、叱咤されて、考えることを覚えた。考えて、考え抜いて、考え続けて、答えは未だ見出せないけれど、それでも今、やっとのことで自分は立っていられる。
 当然のごとく学校の教師以上に彼女は自分に道を示してくれたはずだった。恐らくは両親よりも、自分に生きる意義と自信を、そして誇りを与えてくれた。それら全てをひっくるめて、彼が彼女に覚えた感情。
 多分、きっと、それこそは憧憬だった。
 幼い時分、男の子が純粋に正義の味方に憧れるのと同じようにして、いつしか横島忠夫は美神令子に憧れた。
 
 彼女に、自分は触れても良いのだろうか。憧れに、自分のような半人前が触れても良いのだろうか。刹那、浮かんだ疑問。
 食い入るように美神を見つめながら、横島はその寝姿にそっと、本当に畏れながらにして手を伸ばす。だが、美神が身じろいで横島が触れる寸前に逃れてしまい、伸ばした手のひらは結局のところ空を切った。
 空を切った手のひらを握る。
 単なる偶然にせよ、触れることができなかったことに、横島は少しだけ安堵した。
 まだ、触れてはいけないのかもしれない。まだ、自分は高みを、彼女を護って上げられるくらいには、力をつけなくてはいけないのかもしれない。
 今までの自分を振り返って考える。果たして、なにかを掴むことができたのだろうか。なにも掴めなかったのではないだろうか。空の拳はなにも語ってくれない。ただ、問いかけることを許すだけに過ぎない。
 不意に、脳裏を過ぎった小さな光。
 昨晩、美神との夜を過ごす間は、欠片も思い出すことがなかった彼女のことが思い出だされる。
 自分は確かな何かを掴むことが、抱きしめることができるのだろうか。そんなことをしても赦して貰えるのだろうか。
 
 それは誰に? 自分は誰に赦しを請えば良い?
 
 自らの問いかけに応える者は誰もいない。そこにはただ耐えるしかない孤独があるだけだ。でも、いつかは乗り越えなくてはいけない。生きている限り、このくらいの壁は幾度となく立ちはだかり続けるのはわかっている。
 ただ、越えてしまうことが、怖い。答えを知ってしまう、その時が訪れてしまうのが怖いのだ。
「俺ってやつはホントに。まったく、ダメだよ…なぁ」
 なにも捕まえられなかった空の握り拳、その後ろ手に眠る美神の背中が被って、自らの不甲斐なさを漏らしてしまった。
 それっきり、横島忠夫は長いため息を一つ、十数分の間、何も考えられずに過ごすしかなかった。
 
 
 
 
 
 続く

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