ザ・グレート・展開予測ショー

Peeping Tom (1) ?


投稿者名:ちゅうじ
投稿日時:(04/11/21)

とある昼下がり。季節は夏。
立っているだけで汗が吹き出るうだるような空気の中、電気屋の前に立てば観測史上何番目というニュースがテレビから流れていた。
そんな暑い日の出来事である。



息も絶え絶えな様子で一人の男性がレンガ造りの事務所のドアを開けた。
一等地に居を構える事務所にしては場違いな印象を与える、ぱっとしない外見で中肉中背のどこにでもいそうな男であった。
確かに場違いであるがその事務所は彼の職場であり、彼は事務所の立ち上げ当初からいる最古参のスタッフであったので、ベルも鳴らさずに入ってきたのはいつものことであった。

今日は依頼が入っているわけではない、オフの日なのだから。
貴重な休みにわざわざ仕事をしにきたわけでもなかった。
そもそも休日出勤は認めないのが、若くて美人であこぎなことで有名な所長の経営方針。


『だって法律で休日は割り増しにしないといけないんだもん』
とはその所長の談である。
けちなことでも有名な所長ならば、と納得するものも多いが他にも理由はある。
いろいろなところでお役所に目をつけられている彼女にとって、僅かな隙も見せるわけにはいかなかった。
以前ならば実際は働いているのに,、休日であるように書類をごまかして仕事を入れていたものである。
しかし度重なる摘発を受けた彼女には、税務署を筆頭にどこからか目が光っている。彼女を対象にした特別チームが組まれたとの噂もあった。
彼女はその情報の裏づけがほしいと思ったが、あまり藪をつついたら蛇が出てきてしまうかもしれないので確証は得られなかった。
ただの噂かもしれない。でも万が一を考えたら……と、身に覚えのある彼女は疑心暗鬼に陥った。
もし労働基準法違反で訴えられたら芋づる式に家宅捜索を受け、仕舞いには脱税やら何やらで重加算税が課せられそうだと、有り得るかもしれない未来を想った。
彼女が定休日なるものを導入したのにはそういうわけがあった。


彼はサラリーをもらう立場にいる。
この業界、歩合制であるほうが多いのだが、安定志向の彼のお給料は月々決まっている。
そして彼はベテランであったがそれが待遇と一致することは無い。年功序列など最初からこの事務所にはないのだから。
彼の立場は事務所の中では底辺にあった。無論のこと給料も同様に。
頂点は億万長者で底辺はすずめの涙。搾取する側とされる側、資本主義の一つの形がここに顕在化していた。

彼は社会主義者になろうかと考えることがある。銀行で通帳に記載された数字を見るときは毎度のように考える。
いつか階級闘争を仕掛けて革命を起こしてやる! とは彼のひそかな、所長の人となりを考えればあるいは大それたというべき野望であった。


そして今日は月末給料日前――真夏だというのに彼の財布の中は寒々しい風が吹いている。

事務所の会計は黒字であり、左団扇で暮らしていれば所長も給料を上げようかと考えることはある。
たまにたまーにごくまれにだが。
しかし彼の給金の使い道を辿ると――それが生活レベルの向上に繋がらず、ただ女性に貢ぐだけとあっては――昇給をなかなかする気にならない。
男が女に貢というと得てして卑猥な想像をしてしまうものだが、それは誤解というものであった。
今彼が飢えているのは、ちょっと女の子にはいい格好をしてみたい、という程度のプライドのため、隣部屋の貧乏家族に食事を奢ったせいなのだ。
類は友を呼ぶのか、彼のアパートには似たような境遇の人間が多かった。
助け合いの精神、古き良き日本のお付き合いがそこにはあった。
彼はそのために虎の子のへそくりを使ってしまった。
へそくりといっても福沢さんではないし、新渡戸のおじさんでもない。
『我輩は猫である』的な物書きがたった一人だけ彼の財布に住み着いていた。
孤独から逃げだせた彼は、ラーメン屋のレジの中でたくさんの仲間と出会えただろう。


餓死する前に昼飯をお相伴に預かろうと、彼は炎天下の中事務所に歩いてきた。
給料はそうそう増やしてはくれない所長だが、飯だけは食べさせてくれる。
それは所長の優しさなのだが、居候三杯目にはそっと出しくらいの遠慮はほしいものと思っていた。



冷房が効いた室内に入ったことで緊張が解けたからか、彼の疲労感はむしろ増した。
腹も減ったし脱水症状になっているかもしれない、疲れは足に来ている。
疲労困憊という言葉がそのまま今の彼には当てはまった。
彼は階段の段差がこんなにきついとは思わなかった。
それでも登山の要領でのっしりのっしりと体を持ち上げていく。
一段上がるごとにその場に座り込みたくなる。まだいくらも上っていないのに彼は目の前の段数を数えた。
……残りは十三階段あった。それが何かを暗示しているようで余計に気が滅入る。
超えることのできない絶壁のようにさえ感じた。彼にはただ前に進むしか道は残されていなかった。


時間の感じ方は相対的なものであるが、階段を上り終えた彼には十分が一時間にも感じられた。
すでにぐうの音も出ない。
よろよろとドアノブに手を掛けひねる。
体を預けるように部屋に入った。



ようやくたどり着いた事務所で彼はどこからか声を掛けられた。

「こんにちは、横島さん」
「……うっす」

声を掛けたのは事務所の管理人たる人工幽霊壱号。掛けられた声に数瞬遅れて彼――横島は挨拶をした。

返事をするのもつらい。
高校のときはいくら食事を抜いても平気だった。自分はもう若くないということなのか。
高校卒業からいくらも経っていないのに横島はそんなことを考えた。

「今日はどうしたんです?」
「いやー……美神さん…いる? 飯食わせてもらおうと思ってさ」

ちょっとだけ言いにくそうに用件を告げる、相変わらずなその姿に人工幽霊壱号は苦笑した。

「オーナーはいまちょっと……」


そこまで人工幽霊壱号がいったとき、横島の耳にある音が聞こえてきた。
僅かだが室内にはシャワーの音が響いていた。
あぁ、シャワーか……。横島がその音を知覚した瞬間、彼は変身した。
さきほどまでの辛い様子はどこにいったというのか、横島の様子はがらりと――目は爛々と鼻息は荒く獣のような動きに――変わった。
その耳には人工幽霊壱号の声も届いていなかった。感覚からは空腹も疲労も消えている。
横島の思考はその音源にベクトルを向けた。

変身した横島はあることを実行に移す。
あること、それは覗きである。アルファベットで表すとNOZOKI。英語で言えばPeep。横島はPeeping Tom、直訳すれば覗き男であった。
信じられないことに横島の覗き行為は事務所の風景、いつものことであった。
シャワーの音が聞こえれば条件反射で覗きをする悪癖をこの男、横島忠夫は持っていたのである。
女子更衣室や露天風呂などを覗くことをノルマといって憚らなかった。
一日一覗き、覗かなければ調子は出ないというのだから、彼は人として多分終わっていた。
すずめの涙で働く理由、それは女の園でたった一人の男という状況があったからこそだ。

この日事件は起こるべくして起こったのであり、今までそれが生じなかったのが不思議なくらいであった。




この事務所には四人の女性が暮らしている。
全員がこの事務所のスタッフである。高額納税者のトップに立つ事務所の支配者である所長、事務所の家事を一手に引き受け賄いもこなす家事万能の元幽霊、自称横島の弟子――狼少年ならぬ狼少女、そして――GS協会の資料では妖弧とあるが――年齢不詳、戸籍なしの外見中学生。


横島がその頭脳に長年蓄えてきたNOZOKIデータベースを検索すると、この時間帯で浴室を使用するのは所長であるという結論が得られた。

ぐるりと首をめぐらせた。
ロビーには誰もいない、台所には……誰もいない。
何気ない風を装いながら横島は扉を空けて階段を上る。
そうして次々に部屋を調べて行き着いた先は屋根裏部屋……ここにも誰もいなかった。
状況を見て取った横島はほくそ笑んだ。よっしゃぁ!! と防音が利いていれば叫んだことだろう。できないので両手を握ってガッツポーズをとる。


誰かがいたのなら横島も多少は躊躇したかもしれない。
ただしここで言っておきたいのは躊躇するだけであって諦めるわけではないということだ。
そんなときは屋根からヤモリ、またはスパイダーマンよろしく覗くのが横島の行動パターンであった。
ただこちらは逃げ道が無い。そして今まで何度と無くやってきた方法でもある。

いつもいつも、さりげなーく邪魔をする女性陣はいない。
これならば正攻法でいける。正面から脱衣場に入るなんて久しくやっていなかった。その分意外性、奇襲効果が望める。
横島は覗きが成功することを半ば確信した。
その目は血走り、背中には禍々しいオーラが漂っていた。



横島の脳裏からは人工幽霊壱号のことも消えていた。もちろん人工幽霊壱号は横島を見ていた。
始めは何をする気かと様子を眺めていた人工幽霊壱号その様子から察した。
普段ならここで報告をするのだが、今回彼――便宜的に彼と呼ぶ――は何も言わなかった。
何も言わないがこれから起こることを思うと楽しくて仕方がなかった。
彼にとっての娯楽とは事務所で起こるドラマ。
長いこと一人だけで年月をすごしてきた彼にとって、彼ら彼女らが起こすどたばた劇は、作り物であるはずの彼に人生の楽しさを教えてくれたのだ。
特にお気に入りだったのが横島の絡んだ痴話げんかと、お仕置き虐殺ショーであった。
しかし、毎度のようにそれを見れば多少は飽きが来る。
どんなご馳走でもパターン化はいけない。そろそろ違った味を楽しみたいものだと彼は平素願っていた。

そんな彼の前にご馳走の種が蒔かれたのだ。
もしも望むとおり事が運んだとき、この場で起きるのはいつもの中学高校生の恋愛劇では無い。
今までなかったシュチュエーションとそれが引き起こすであろう連鎖反応をシュミレートする。
結論に至った彼は浴室の女性に何も告げなかった。

くっくっく、と聞こえない笑みをもらす彼はある意味で横島の共犯者であった。
方向性こそ違えど根源は一緒。ベクトルの角度がちょっと違う。
他人の不幸は蜜の味。失敗しても損するのは横島だけ。彼はどちらにしてもドラマを見られる。ドラマはドラマでも昼ドラだろうけれど。
自分のメリットのために彼は傍観者に徹した。そうしていつものように記録を撮る。
人はそのような行いを覗き、それを行うものを出歯亀という。


いつもと違ったのはただ一つ、横島が覗こうとした対象が魅惑的な肉体をもつ上司でなかったというただ一点である。
だから報告もされなかった。
横島のデータベースに足りなかったものは、この猛暑という要因を省いていたことである。
ひょっとしたら彼自身が暑さにまいっていたのかもしれない。


横島はそろりそろりと空き巣のように風呂場に近づく。バンダナでマスクのように口を覆った姿はまさにそれだった。
その顔はにやけてはいたが彼には油断など無かった。不思議なことに女性はこういったことには勘が働くのだ。
覗きは経験がものをいう。
幸いにして――覗かれる側にすれば不幸にして――横島には銭湯や女子高の更衣室で鍛えられた長年の経験があった。


横島は脱衣場に鍵がかかっていることを確認すると、懐から常備しているピッキングツールを取り出し、手馴れた様子で開錠した。
それにかかった時間はわずかに十数秒。見つかれば即現行犯逮捕。
その手際の良さに、人工幽霊壱号は流石だとうなった。

油を注して音が鳴らないように扉を開けた横島は、目の前に広がった光景に思わずどきりとした。
ガラス越しにぼんやりとではあったが女性のシルエットが映っている。
その肌色に理性は崩壊間近、メルトダウン寸前の原子炉のように心は沸き立つ。
横島の鼻息はますます荒くなり、心の中で天使と悪魔はタップダンスを踊りだした。

ここで横島が籠に入っている衣服を見れば事は未遂で終わった。
残念なことに彼は下着よりも裸に興味がある正常な思考の持ち主である。
いっそ下着の匂いや感触、はたまた被るといった行為に励むような変態であれば結果は違ったものになったであろう。

横島と彼女の間を隔てるのはその扉だけだった。
ここまでくれば覗くという行為は成功したも同然。
ここで一気に扉を開けて彼女の肢体を目に焼き付けようか、それとも隠れてその艶姿をじっくりと鑑賞しようか。
目の前には二股に分かれた道があった。

ここで悩んだ。
横島の頭脳はことこういったことに関する計算については地球シュミレーターにだって負けはしないだろう。
時間にして数秒間、その間にどれだけのことを考えたのか人工幽霊壱号には分からなかった。


そして決断は下された。


横島はゆっくりとゆーっくりとガラスに近づく。
すでにそれは覗きというレベルではなく強姦の疑いがかけられても言い訳できないものになった。
覗かれたときの彼女の反応が見たいと横島は思った。
横島の妄想の中では、風呂場というシュチュエーションで雰囲気さえ作り出したら一戦やらかすことも可能だった。

まだシャワーの音は途切れていない。横島に気づいた様子も無い。
タイルに反響して聞き取りにくいが、ふんふんと鼻歌がリズムを刻んでいた。
それがまた横島を興奮させるカンフル剤となった。
ここまできたらもう止まらない。

興奮ここに極まれりといった様子は横島だけではない。人工幽霊壱号も今までに無いくらい興奮していた。
どくん…どくん……と規則正しい音がどく、どく、どく、どくとペースアップした。
横島の脳内に流れるバックミュージックいつの間にか激しいものに変わる。
目の目に広がるであろう桃源郷を想像して、横島の胸は少年のようにときめいた。さらにその先を想像した人工幽霊壱号の胸もときめいた。
覚悟を決めた横島はふかく息を吸い込み、全身に力を込める。
そして……






そこに一つの美の完成形を見た。

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