ザ・グレート・展開予測ショー

雨外伝(上)


投稿者名:NATO
投稿日時:(04/10/31)

33

読み上げる言葉は決まっていた。
「今から異端審問を開始する」
だから、いつも開くページを決めていた。
「――よって汝らを浄化し、その罪を贖わせん。これで異端審問を終わる」
そこには、こう書かれている。
「これより、刑の執行を開始する」
あまりにも有名な言葉。
「汝の隣人を愛せよ」と。

雨。
洋館を出て、顔にあたる雫で気付く。
ぽつぽつと落ちるそれは、見る間に勢いを増し。
舗装された道路を叩く水の音が涼やかに響く。
「そんなところで、なにをしている?」
立ち尽くす少年は、顔色一つ変えなかった。
血濡れの黒い聖衣に身を包む、自分を見ても。
「……殺したの?」
なじるような声ではない。
確認。
「……ああ」
浄化だ。などと訂正する気にはなれなかった。
自分は確かに、この屋敷の中の人間を一人残らず絶命させたのだから。
「そう」
少年は、呟いた。
ただ、呟いた。
「……用事だったのか?」
「別に。いつも立ち寄ると食べ物くれたから」
スラムの餓鬼。
数年前の、自分。
食事と引き換えに自由と一欠けらの良心を切り捨てる前の。
「……煙草、買ってきてくれないか?」
ポケットから無造作に小銭を取り出し、放り投げる。
「銘柄は?」
器用に受け取りながら、少年は聞いた。
「なんでもいいさ」
少年は頷くと、駆け出した。
地面がばしゃばしゃと音を立てる。
「……」
歩きながらポケットから濡れたシガレットケースを取り出すと、マッチを擦る。
空から落ちる水が、服についた血を洗い落としていった。

34

「食べないのかい?」
差し出されたパン。
その誘惑を前にして、五歳の餓鬼がこれだけいえれば上等だろう。
「神の名の下に俺に食わせるくらいなら、そこの奴にくれてやれ。俺はあと十日持つが、そこの女は今日一杯持たない」
あと何日持つか。
どうすれば、死ぬか。
実例が転がるこの場所ではそんなことばかり覚えていく。
薄汚い路地で、ごろごろと転がっている餓鬼。
そんな中の一人だった。
親がどうしてるのかは知らない。
生きるために必要ないことは忘れ、名残は染み付いた日本語だけだった。
「……そうかい」
初老の男。
初めてではなかった。
俺は「特別」らしく、教会とやらが保護したいのだそうだ。
行った方が楽なのは分かっていた。
だが。
「……おい!」
思わず立ち上がる。
その男は、おもむろに地に転がる少女に近づくと、持っていたパンを口にねじ込んだ。
今日で死ぬ少女に、パンを飲み込む力などありはしない。
スープとて、おそらく栄養に変えることは出来ないだろう。
少女は吐き出すことも出来ず、ただ涙を浮かべ弱々しく体を振る。
男の脇に押し入り、パンを少女の口から引き抜く。
「……君が、君の「愛」で彼女に与えたのではないのかい?」
君の、選択だ。
男はそういった。
沈黙。
見上げる少女の、目。
恨むことも、憎むことも疲れたような。
この年にはあまりにも老成で、この年で死ぬ者にしか持ちえぬほど純粋で。
「望むならそのパンは君の物だ。そして、この少女はそれを取る取らないに関わらず、死ぬ」
さあ、どうする?
初老の男。
物腰から温厚な偽善野郎だと思っていたが、違うようだ。
「……分かった。行くよ」
パンを半分に千切り、欠片を無理やり自分の喉に詰め込む。
吐き気を待って、そのまま飲み込んだ。
残りの半分を、少女の横に置く。
「……行こうか」
男は、それをじっと待っていた。
置いたパンに、注がれる幾つもの飢えた視線。
あのパンを食べられるのは少女ではないという事くらい、分かりきっていた。
俺も、この男も、最低の偽善野郎だ。

35

「――ご苦労だった」
簡潔な一言。
報告の後。
荘厳なる教会の中で、戦果として人殺しを語る。
入り口にある礼拝堂の隅で仕切りの向こうから話すようなことだった。
「……失礼します」
沈黙。
くだらない言葉でもかけようと口を開きかける老人を遮り、背を向ける。
「すまない」と
この男にだけは言われたくなかった。
息の詰まる虚構から抜け出して、煙草に火をつける。
雨。
緑の芝生が歓喜に震え。
雨の冷たさに、あの路地裏の餓鬼が死ぬ。
雨が止めば月が出て。
盗んだ傘が売れずに、あの路地裏の餓鬼が死ぬ。
あの少女が、どうなったのか。
あたりまえのことが、起こっただけだった。

36

洗礼名「アマデウス」。
ある天才音楽家につけられたことで有名なこの名は、教会では「よそ者」の証だった。
同時に、「神に愛されし者」の意味を持つこの名は。
教会に飼われるような、特殊な能力を持つことを意味していた。
だが、彼は本当に「特別」だったらしい。
本来なら実験室に送られるところを、エクソシストとして正式に雇用された挙句、「人の殺し方」まで教えてもらえたのだから。
「異端審問官 唐巣=アマデウス=和弘」
名前など、付けられていたはずも無い。
それが、親なのか、知り合いなのかさえ知らなかった。
日本語で、唯一覚えていた「人名」に、時に育ちの悪さへの蔑称にさえ成る「洗礼名」。
嘘で塗り固められた名を持つ虚構の荘厳さの住人。
それが、当時の唐巣だった。
異端審問官。
エクソシストの中から選ばれる、教会の「闇」。
キリスト教の影響下において、キリスト教に与しないモノを監視し、時にこれを「浄化」する。
唐巣は、その「高尚なる使命」を復唱するたびに心の奥底で嘲笑う。
宗教は、少なからず「狂気」なのだ。
ただそれが多数派か、少数派かの違いに過ぎない。
結局やっていることは、思想に当てられた戦争とたいした違いは無かった。
神が愛するなら好きにすればいい。
だが、俺は神を憎む。
十五年に亘った教会の誇る「教育」も、物心ついたときから浸ってきた「真実」を前には、嘲笑う糧を与えたに過ぎなかった。
唐巣は神を信じない。
それでも、神の持つ力だけは。「気まぐれにいくらでも人を殺せる」暴虐さだけは、彼自身の見てきたものが語っている。
――唐巣は、神の救いを信じない。

37

「……何をしている?」
行くところも無い。
気まぐれの散歩。
ふと、思い立ち今日の「仕事場」へと足を運ぶ。
処理は済んでいるはずだった。
「……煙草。頼まれてただろ」
さっきの餓鬼。
「それで、馬鹿正直に待ってたってのか?」
金目のものを渡すのは、くれてやることと同義。
少なくとも、唐巣は渡された金を持ち主のために使ったことは無かった。
そうでなければ生きていけなかったし、そうすることが当たり前だったからだ。
「……」
餓鬼は、無言でポケットから放り投げる。
受け取る。
自分が吸っている煙草と、同じ銘柄だった。
「入ってく時、たまたま見えたんだ」
眼が行く。洋館。
「俺が入る前からいたのか」
「ここにくれば食べ物がもらえる。確実に一日一度は。それだけ食えば、死なない」
おそらく、この洋館の前を行動の拠点にしていたのだろう。
一日一度の約束された食事。
贅沢な話だった。
「……謝る、べきなのかな?」
「……」
何も言わなかった。
「この仕事で、俺は飯にありついている。まあ、五分五分ってところか」
「あんた」
呟く様に。
「その服、似合わないな」
苦笑。
「そうだな。約束を守った、お前が着るべき服だ」
「……違うね」
少年の、目。
澄んでいた。
「たった一度のパン。たった一さじのスープ。そんなもんで「愛」とか言い出す馬鹿の着る服だよ」
「……そして、嘘と虚構と侮蔑と憎悪で建っている、化け物屋敷の制服だ」
顔を見合わせる。
笑った。
「煙草、くれないか」
「ああ」
ちょうど、切れたところだ。
封を切り三本取り出した。
二本を渡す。
「……」
じっと見つめたあと、一本をぼろきれのようなズボンのポケットにしまった。
火をつける。
マッチを投げた。
ぎこちない手つきでマッチを擦ると、火をつける。
マッチ箱が投げ返される。
少年が、むせこんだ。
苦笑。
むっとしたように、また吸い込む。
二三度繰り返すと、慣れたようだ。
――吸い切る。
二本目に火をつけた。
少年も、ポケットから取り出す。
「いいのか?」
「いいさ。友達からもらったものだ」
友達。
餓鬼の言葉が、少しだけ心に響いた。

38

「―――これより、「浄化」を行う」
聖書とやらは壊れたレコードのように「汝の隣人を愛せ」と繰り返す。
――分かってるよ。そのために二軒隣の住人を殺してるんじゃないか。
聖衣に付く返り血。
どうでもよかった。
腕を貫く鉛球。
持っている玩具で返す。
能力は使わない。
これで死ぬなら、それはそれで、いい。
自分の能力の意味を知ったとき、二度とは使わないと決めた。
銃器を習ったのは、それでも「人を殺さねばならなかったから」
その能力の「保持者」が殺したことに意味があると知ってから、唐巣は人の殺し方だけを覚えていった。
できるだけ、「ただの殺人者と変わらぬよう」に。
――いつも通り、全てを浄化した。
表へ出る。
ぼろいアパート。
こんなところで敬虔に祈りをささげる悪魔の手先。
祈る者が十字架に貼り付けられた醜男なら、「忠実なる神の僕」だったのだろう。
吐き気がする。
胸元で十字を切った。「神様。あなたの忠実な僕たる私は、いま、あなたの名の下に殺戮を犯しました」。自分に出来る最大級の祈り。
ずいぶん昔からの癖になっていた。
「――終わったの?」
「……ああ」
少年。
今回の、情報提供者。
「煙草、くれないか」
「……ああ」
無言のままポケットから二本取り出し、一本を投げる。
たった、一切れのパンに殺された敬虔なる悪魔の手先。
「一切れのパンに命を賭けるのが、俺やあんただけじゃ不公平だろう?」
少年の言葉。
いちいち心に突き刺さる。
「……本当に、それだけでいいのか?」
「……くどいよ。煙草がまずくなる」
そう言った少年を、笑う気にはなれなかった。

39

「ご苦労だった」
少年の唐巣を引っ張ってきた初老の男。
今はもう立派な糞爺だ。
唐巣の、専属だった。
「……本当に、無償だったのかね?」
面倒な手続きはごめんだった。
パン一枚の報酬。小銭とて付いてはいけない。
こいつらに、その意味など分かりはしないだろう。
「……ご不満ですか?」
別に情報の方からやってくることは、珍しく無い。
儀式の生贄に選ばれた信徒などが主だったが。
「スラムの子なのだろう?できるだけのことは……」
言葉が詰まる。
思い出したのだろう。
「なら、あそこにいる連中全員連れてきますか?」
唐巣の、たった一度の脱走。
「……すまな「いいです」」
この男に、謝罪だけはさせたくなかった。
男も、黙る。
「……失礼します」
「やはり、「能力」は使わんのかね」
理解者。といえるのだろうか。
少なくとも、「こっち」の人間の考え方を、否定はしない。
聖衣の内に隠す玩具をそろえたのも、この男だった。
「……あんたらの飼い犬じゃなくなったら、考えますよ」
そのときは、顔も知らぬ同僚が自分を殺しに来るだろう。
そんなことは分かっていた。

40

独房のようなアパート。
十字架一つ置いてはいない。
床と変わらぬような硬さのベッドに寝転がり、煙草に火をつける。
染み付いたモノ。
静かな、あまりにも静かな瞳。
メルシア。
一欠けらの、その半分のパンさえ食えずに死んだ少女。
それに比べて、自分が恵まれているとは思わなかった。
不幸や幸福などという概念自体、自分に理解など出来はしないのだ。
それでいい。
人を殺す人間は、幸福でも不幸でもいけない。
そう思っていた。
紫煙をくゆらせる。
映ったのは、少年と、自分。
同じで、明らかに違う。
変われる者、変われない者。
手を、拭えぬ汚れに浸した者。
あいつを、俺のようにしてはいけない。
理由は無かった。
メルシア。
唐巣の、最初の「殺人」

41

「……ヨーロッパの、魔王?」
ヨーロッパ以外に魔王がいてたまるか。
煙草の煙を吐き出しながら、電話口の声を聞く。
「そいつが、次の相手。ですか?」
「うむ。「即浄化」しろとの通達だ」
滅多に無いことだった。
わざわざ「殺せ」と向こうが言ってくるのは。
結果は変わらないわけだが。
「……」
「教会内部の人間が、関わっている可能性がある」
沈黙。
笑った。
「……まるで寝取られた惨めな男だな。相手の方を、殺せと?」
「言葉を慎みたまえ。……が、事実だ」
この老人は。
「裏切った女の方は、いいんですか?」
異端審問会に「もみ消し」程度の依頼が届く。
相当の上流が関わっているはずだ。
「改めて、浄化。ないしは……「破門ですか」
「うむ」
破門。
「この世界」に住んでいるものにとっては、「死」以上のものを意味する。
教会の構成員が、本気で死後の救いを求めている馬鹿であると同時に。
「寝返った馬鹿な女が、自分の女も殺すわけか」
家族や縁者も、ただではすまない。
「そういうことになるな」
「あんたの手元に、もう揃ってるんでしょう?」
書類。たった一枚の紙切れに過ぎないが。
「……ああ。それが条件で、Dr.カオスとやらの「浄化」を審問会で請け負った」
家族。
それがいない少年。
煙草の煙。
「君にしか、出来そうに無い。ある程度のわがままは通ると思うが?」
このジジィ。胸の奥で、舌打ちをする。
どこまで知っているのか。
案外、この仕事を請けたのも。
「……俺も、この仕事に一つ条件をつけますよ」

42

まず、金と、家だ。
それだけあれば、暖かさなど後から付いてくる。
そう思っていた。
温かいスープは、大きな鍋と寒さを遮る壁なしに飲めはしないのだ。
少年には、何も言う気は無かった。
言ったところで、偽善だ。
いや、自身に善という正当化さえさせていない以上、自己欺瞞よりたちが悪い。
皮肉からの、親切。
自分で分かっていながらやるあたり、相当に汚れたものだ。
そう思う。
「その件、完全にもみ消す代わりに、餓鬼を一匹面倒みるよう、話をつけてください」
それでも、何もしないで汚れていくのを眺めるのには、少年が自分に似すぎていた。
分かっていた、はずだった。
この部屋があてがわれた後、最初に飲んだスープ。
舌を、火傷しただけだったことを。

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