ザ・グレート・展開予測ショー

逢魔の休日 -No Man Holiday- <Scene 11>


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 9/20)

エヌマエーレ二世通りから橋を渡り、近年修復されて綺麗になったサント・スピリト病院の横を抜けると、誰もがよく知っている建物が目に入ってきた。
自分たちの向かっているほうに何があるか気づいた横島は、うわずったような情けない声を上げた。

「お、おい、ベスパ、こっち来ちゃまずいだろ」

「まずいって、何が?」

「何がって、お前―――――」

横島はそれだけ言うと、二の句が告げなくなってしまうが、はたしてそれも無理はない。
そこはつい今朝方、彼が放り出されるように出てきた場所―――――カトリックの総本山、ヴァチカンであった。
今も血眼になってローマ市中を、もしかするとイタリア全土を捜索しているに違いない連中の本拠地に近寄るなど、およそ自殺行為以外の何物でもない。

「さっき言ったじゃないか、システィーナ礼拝堂に行く、って」

「あれはヴァチカンじゃないか!」

回廊の先に浮かぶ、サン・ピエトロ寺院の特徴的な円形ドームを指差して、横島は叫んだ。
嘘をつくのもいいかげんしろ、と言わんばかりに顔を真っ赤にして怒鳴る。これ以上は我慢が出来なかった。
ベスパはそんな横島の表情を見て、さして驚いたふうでもなく片眉を上げて言った。

「なんだ、知らなかったのかい? 礼拝堂はあの中にあるんだよ」

「な―――――」

事も無げに言われる事実に、横島はかつてない衝撃を受けた。
システィーナ礼拝堂が建っているのは、つい先日、依頼を受けて訪れたヴァチカン宮殿の隣になる。
一般には極秘扱いとされたヴァチカン宮殿の地下深くには、ヨーロッパの歴史上様々な災厄をもたらした魔具や悪魔などが、今もなお厳重に封印されている。
そんなところのすぐ近くを、かつてアシュタロスの一味として世界を震撼させたベスパが訪れようというのであれば、およそ考えられることは一つしかない。
仮にベスパが何をしようというのでなくとも、そのまま黙って帰してもらえる保障など、どこにもあるはずがなかった。

「別について来なくてもいいさ。無理に危険な場所に連れてくわけにもしかないしね」

「危険って―――――それがわかっていて、何故」

「あたしにはどうしても見たいものがあそこにはあるのさ。そうでなくちゃ―――――」

死んでも死にきれない、と言おうとしてやめた。
わざわざそんなことを聞かせたくもなかったし、今となっては大した意味もなさそうに思えたからだ。
今だどうしていいかわからずに立ち尽くしている横島を見て、音を立てずにそっと歩み寄った。

「今日はありがとう。おかげで楽しかったよ」

そう言ってベスパは、横島の頬に軽くキスをする。

「Addio」(さようなら)

微かに伝う唇の湿り気が消えぬうちに、ベスパは静かに離れていく。
広場の石畳の上を歩いていく後ろ姿を見つめ、横島はなおも逡巡していた。
雑踏に隠れるベスパの影を追いながら、そっと頬に右手を触れてみる。
その別れの言葉の意味を、彼はまだ誤解したままでいた。

「くそっ!!」

頬の感触を振り切るように吐き捨てると、石段を上がろうとしているベスパの小さな影に向かい、駆け出していった。



意外にも、門の中には何のトラブルもなく入ることが出来た。
オレンジと紫色のストライプを基調とした制服に身を固めた衛兵や、ときおり見かける警備員の姿に内心びくびくとしていたのだが、彼らは他の観光客のことばかり気にしているようで、横島やベスパのことなど全く注意を払う様子もない。
無事に門をくぐると、ほっ、と安堵のため息が皆の口々から漏れるが、それはすぐに、ほう、という感嘆のため息へと変わる。
滑らかなアーチを描く天井は想像よりも遥かに高く、いくつもの通路が連なるホールは、それ自体が一つの街であるかのように大きかった。
そして、天井や壁、柱といったものを埋め尽くす、数々のフレスコ画や彫刻、装飾の見事さに、誰しもが足を止めて見入っていた。

だが、ベスパはそんなものには見向きもせず、まるで何かに引き寄せられるかのように、奥へ奥へと歩いていく。
コンスタンティヌスの間を抜け、地図の回廊を通ってラファエッロの間へ入る。
有名な『アテネの学堂』の前は黒山の人だかりで、あちらこちらから点るフラッシュの瞬きが途切れることはない。
古代ギリシアの哲学者たちを描いた絵に、横島は少しだけ興味をそそられるが、ベスパはそんなことを意に介さず、さらに奥へと進んでいく。

こじんまりとしたウルヴァヌス八世の礼拝堂を過ぎ、幾段かの階段を上がったところがシスティーナ礼拝堂の入り口にあたる。
15世紀後半に建てられたこの礼拝堂は、教皇選挙が行われる場所としても名高く、ヴァチカンの中でも格式の高い部屋となっている。
そのため、内部の写真撮影は禁じられており、その旨を告げる警備員が一段と厳しく観光客の群れを監視していた。
一瞬、その警備員の目がこちらのほうを向いた気がして、思わず横島は首をすくめてしまう。
だが、ベスパはまったく気づく様子もなく、静かにじっと佇んでいた。
内心の興奮を隠し切れないのか、微かに打ち震えているようでもあった。

扉の前で待たされたのはほんの数分にも満たないが、ベスパには生を受けてから一番長い時のように感じられた。
ふと、隣からしきりに話し掛けてくる人がいることに気が付いた。
人の良さそうな柔らかな物腰の老婦人で、ようやくに願いの叶うことを神に感謝し、その喜びを語っていた。
自分の正体を知らぬままに話しかけられることに内心困惑するが、それでも軽く、ええ、とだけ答えた。
ああ、これでもう思い残すことはないわ、と感極まったように老婦人は呟き、お若いあなたにはわからないでしょうけれど、と笑って付け加えた。
それを聞いたベスパはにっこりと笑い、そうですね、と言った。


そして今、終着点へと通ずる扉がゆっくりと開かれていった。

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