ザ・グレート・展開予測ショー

逢魔の休日 -No Man Holiday- <Scene 10>


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 9/13)

さらりとした地中海の初夏の風が、カンピドーリオとパラティーノの丘の間を吹きぬけていく。

四方を小高い丘に囲まれたこの窪地は、決して晴れることのない霧が立ち込め、一様に葦が生い茂るだけの、およそ人の住まぬ湿地帯であった。
しかし、紀元前八世紀頃に最初の都市国家が誕生すると、その七つの丘の中心に位置する立地条件から次第に市が立つようになり、自然と人々の集まる場所となっていった。
それからおよそ二百年の後、王政ローマ時代のタルクィニウス王が大規模な排水溝を建設し、湿地帯を干拓して都市機能の整備を完成させると、ローマの隆盛と共に発展していった。
以来、この地は王政、共和政、帝政ローマと続いて政治、経済、社会の中心地となり、数多くのフォロや神殿、凱旋門などが建てられ、およそ八百年もの長きに渡って栄華隆盛を誇ることとなった。

だが、驕れる者も久しからず、盛者必衰の理は世の東西を問わぬものである。
衰退した帝国の分裂と瓦解が止まらぬ中、コンスタンティヌス帝がササン朝ペルシアの脅威に備えるべく、ヨーロッパへの入り口とも言うべき要衝ビュザンティオンに遷都すると、この地は急速に衰退していった。
かつては荘厳たる威容を誇った都市は次第に寂れ、やがて打ち捨てられて土くれに埋もれる荒野へとなっていった。
いつしかそれは、人々の伝承に語り継がれる、幻の都となっていったのである。

フォロ・ロマーノの全景を望む小道を散策し、眼下に拡がる遺跡をベスパは静かに眺めていた。
傍に立つ横島はおろか、ベスパもまたこの光景を目にするのは初めてであったが、得も言われぬ感慨が溢れてきて、どこか心動かされるものがあった。
思えばそれは、彼女の主たるアシュタロスが遠大な計画を始めた頃、まだ彼が”ソロモン72柱の魔神”と呼ばれず、古の神の一人でもあった頃と変わらぬ眺めだった。
空の陽はまだ高く、扇情的な落日の情景には遠かったが、それでも神々の黄昏を感じさせるには充分であった。

「・・・アシュ様」

我知らず口をついて出るベスパの呟きを、横島はそっと聞き流した。
彼の胸の中にも、かつて愛した女の姿が思い浮かぶ。だが、それはもはや甘く、そして苦い過去の記憶でしかなかった。
今はまだ判らぬやも知れぬが、いつしかベスパにもそれが判る日が来るだろう、横島はそう信じていた。
傍らの石に刻まれた”Tempora mutantur, et nos mutamur in illis(時は移ろい、人はみな同じからず)”というラテン語の碑文が、訪れる者をいつも優しく嘲笑っていた。


凱旋門から聖なる道を歩くと、意外に建物が密集していることに驚かされる。
現存する遺跡の間にも崩れた石柱や要石があり、隙間のないほどに建ち並んでいたことを偲ばせる。
遥か古代の人々が歩いたのと同じ道に立つことに思いを馳せ、道行く人は皆、愛する人と寄り添うように歩いていた。
ベスパと横島もまた、ごく自然と肩を触れさせて歩いていく。

「・・・なあ、ヨコシマ」

復元された元老院の赤レンガを見上げているとき、躊躇いがちにベスパが聞いた。

「今、誰かいるのかい?」

さほど装飾のない殺風景な壁から視線を降ろし、ゆっくりとベスパのほうに顔を向ける。
その表情は驚いているようでもあり、不機嫌なようにも見えた。
瞬きの間ほど、黙ったままベスパの目を見つめるが、やがてまた前の壁に戻して言った。

「・・・いないよ」

「うそ」

「好きな人はいるさ。たぶんあっちもそうだと思う。でも・・・」

「でも?」

「あんな気持ちにはまだ、な」

ここで横島は、ちょっと肩を竦ませるような素振りをした。

「こればっかりは自分でもどうしようもないさ」

「・・・そう」

それが誰だかは横島は言わなかった。聞かなくてもわかっていた。

「俺の事より、ベスパのほうはどうなんだ? 軍隊にだっていい男ぐらいいるんだろ?」

「そ、そりゃあ、まあ、いることはいるけど、あたしは別に・・・」

思いもかけず自分にふられて、ベスパの頬が少し赤くなる。

「なんだなんだ、まんざらでもないって顔じゃないか」

「バ、バカを言わないでよ!」

より一層顔を赤くしてベスパが声を上げるが、つと色を消して呟く。

「・・・あたしも、一緒なのさ」

半ば予想通りの答えを聞いた横島は、やおら天を仰いで言った。

「ああ! ブルータスよ、お前もか!!」


短い階段を登り、ヴェネチア宮殿のあたりに来る頃になると、空もようやくに赤みを帯びてくるようになった。

「なあ、そろそろ日が暮れそうだけど、これからどうする?」

「ぞうだねえ、もうそんなに時間は残っていないだろうし―――――」

ベスパは思案顔で迷っているふうに見せるが、最期に行くべきところは一つしかなかった。

「ねえ、あと一つだけ付き合ってくれるかい?」

「ああ、別に一つだけとは言わず、何ヶ所だってかまわないけど」

「いや、もう、そこだけで充分さ」

そう言ってベスパは、夕暮れの雑踏の中を腕を引くようにして歩く。
心なしか、急ぎ足になっているような感じだった。

「おいおい、そんなに引っ張らなくても大丈夫だって。一体どこへ行こうってんだ?」

ほんの少し名残惜しそうな笑顔を浮かべて言った。

「―――――システィーナ礼拝堂さ」

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