ザ・グレート・展開予測ショー

バスト・オブ・ザ・ハート(後編)


投稿者名:ザ・ルシオラーズ
投稿日時:(04/ 9/ 6)


「ぶっ!?」

 学校の屋上を爆砕したルシオラは、しばらくの間怒りに任せて街の上空をぶんぶん飛び回っていたが、不意に結界に激突してべしゃりと墜落した。いつの間にか美神事務所に戻ってきていたのだ。のろのろと起き上がって玄関から事務所に入る。

「……うう、なんなのよう、私に何の恨みがあるのよう……」

 ルシオラは半泣きだった。鼻をぐすぐすと鳴らし、手の甲で目を擦っている。そして触覚が萎れている。

「……いーわよいーわよ、どーせ私に胸なんてないわよう……しくしくしく」

 愚痴りながら普段の待機場所である居間に入ると、美神がいた。

「あ……」

「どどどどどうしたのっ!?」

 泣き顔のルシオラという見慣れないものを見て、美神はがたたんっ、と座っていた椅子を蹴立てるほどうろたえた。

「み、美神さんっ! 実は……っ!」

 ルシオラは美神にすがりついて事情を説明しようとしたが、そこではたと止まった。目の前を――いや、ルシオラと美神の身長は同じぐらいなので、やや目線を下げて、凝視する。つまり、これでもかと存在感を主張する美神の胸を。折しも、夏。夏は暑い。そして美神事務所のエアコンはなぜか調子が悪い。しかもこの時間帯は一人だけであるという気安さもあったのだろう、美神はタンクトップ一枚で胸元を広げて団扇で扇いでいるという、かなり扇情的な姿だった。

「……? どうかした?」

 もちろん、美神に悪気があるわけはない。しかし当然、その豊かを通り越して余っている谷間がルシオラの目に痛い。今の彼女にこれはあまりにも酷というものである。

「……学校で……ヨコシマが……胸が……」

 ルシオラはそれでも、なにか堪えるような表情で、ぼそぼそと事情を説明しようとした。

「――なによっ! 巨乳なんて、巨乳なんてえーっ!!」

 無理だった。

「……なんだったの、あれ?」

 美神の呟きに答えるものは誰もいなかった。人工幽霊壱号は慎み深いのである。





 泣きながら事務所を飛び出したルシオラはしかし、そこで立ち尽くしてしまった。学校での出来事は悔しいが、さりとてどうすれば良いかも分からない。途方にくれていると、肩をぽんと叩かれた。

「ルシオラさん……」

「……誰?」

 それは、どうやってかルシオラに追いついたキヌだった。しばし、無言で互いの胸を見詰め合う。

「……大丈夫。ない者にはない者の意地があることを思い知らせてあげましょう!!」

 一つ頷いて、キヌが微笑みながら言った。慈愛と力強さを併せ持った、彼女の魅力を前面に押し出したかのような笑みである。

「おキヌちゃん……!」

 平坦な二人の間に、奇妙な友情が芽生えていた。案外、これこそがこの二人の仲の良い理由なのかもしれない。

「でも、具体的にはどうするの?」

「私に考えがあります。――ドッペルゲンガーにはドッペルゲンガーで対抗すればいいんじゃないでしょうか!!」

「……どういうこと?」

 ルシオラが問いかけ、キヌが答える。しかしルシオラにはキヌが何を言っているのか理解できていないようである。

「つまりですね、私たちがドリアングレイの絵の具を使って横島さんを描くんですよ。横島さんのドッペルゲンガーを見れば偽者がそれに興味を持つかもしれないし、少なくとも本物の横島さんは嫉妬します。ええ、間違いなく!」

 キヌは握りこぶしを振り上げて力説した。理屈はともかく、かくして方針は決まったのである。





 そして再び暮井宅。ドアは無残にもルシオラがぶち抜いたそのままになっていた。しかし二人はそんなものには目もくれずにずかずかと上がりこむ。

「あら。私の作品の出来はどうだった?」

 暮井はルシオラに壊したドアの弁償を迫るでなく、のほほんと聞いてきた。しかしルシオラはそれに対してぎろりと一瞥をくれるだけで答えず、妙に据わった眼差しで迫った。

「……ドリアン・グレイの絵の具をお借りしますよ? どこにあるんですか?」

「無いわよ。美神さんに没収されたもの」

「じゃあどうやって私の絵を描いたんですか!!」

 激昂しかけるルシオラを手で制し、暮井はゆっくりと玄関のほうを指差した。それにあわせてルシオラとキヌの二人も振り返る。

「……午前中で私の授業終わったから帰ってきたんだけど……え? なに?」

 そこには暮井本人のドッペルゲンガー(以下くれいと表記)が立っていた。

「彼女は、いわばドリアン・グレイの絵の具の塊よ。ちょっとぐらいなら提供してもらえるの。普通の絵の具で薄めて使うんだけどね」

 だからオリジナルとの入れ替わりの効果がなかったのかもねと暮井は続けたが、二人は聞いていなかった。部屋のどこからかリムーバー液を探し出して、掌にべっとりと塗りたり、指をわきわきと蠢かしながらくれいににじり寄る。

「……えーと? あの?」

 くれいはいつもの浮世離れした雰囲気を失い、いかにも嫌な予感がしますといった表情で後ずさった。冷や汗がこめかみを伝う。

「大丈夫、痛くしませんから。この液も水で薄めました」

「ええ、ちょーっとだけですよ……」

 言っていることは優しいが、目が血走ってはあはあと息が荒くて、一種鬼気迫る様子がある。それにいつの間に回り込んだのか、キヌはくれいの背後に立ち、挟み撃ちの状況である。これで怯えるなと言う方が無理だろう。くれいは助けてくれと目でサインを送るが、無情にも暮井は無視した。にやにや笑いながら椅子を引き寄せ、鑑賞体勢である。

「き、きゃーっ!?」

 最初の一手が触れた。いつぞやの事件を知るものならわかるだろうが、くれいの着ている服もすべて絵の具である。つまり、リムーバー液で溶ける。そしてルシオラとキヌはその溶け落ちた部分を手で救い、傍らに置いた深皿に垂らしていく。絵の具に戻ったそのどろりとした流動体は虹色に光っている。使用者の念によって色が変わるのだ。二人の作業は続く。

「ちょ、ちょっと待っ……」

 肌色が見えた。溶けかけた服をまとっているという、ちょっとありえないその姿は、三人の女性が密着しているという状況も合わさって、言ってしまえばかなりいやらしい。くれいも服を維持しようと努力しているらしく、全裸にはなっていない。それが救いになっているかどうかは微妙なところだが。

「そんなとこ……っ!?」

 どこを触っているのだろうか。キヌとルシオラに挟まれているため、暮井からはあまりよく見えない。いや、全然見えない。

「……」

「……」

「……これぐらいでいいでしょうか?」

「うん、十分ね」

 時間にして数分。深皿がいっぱいになったところで、二人はようやくくれいから手を離した。リムーバー液と絵の具でべたべたになった手を洗いに洗面台に向かう。そしてその場には、半裸のまま放心してへたりこんでいるくれいが残された。どういうわけか息が上がっていてほほがうっすらと紅潮しているが、理由は無い。情事の後の女性の様子に酷似してはいるが、もちろんそんなわけは無い。

「大丈夫?」

「……」

 暮井が問いかけたが、返事は無かった。





「さて、絵の具も手に入ったし」

「ええ、絵を描きましょう!」

 手の汚れを落としたルシオラ達は、部屋の隅からベレー帽とゆったりとした黒の服、そして絵筆とパレットを拾ってきて着替えた。画家スタイルである。どうもコスプレしているようにしか見えるのは、着慣れていないからだろう。なんにせよ、気合は入っているようだ。

「じゃあ、お先に」

 そう言って先にカンバスに筆をのせたのはルシオラである。

「そうね……ヨコシマって……ムードも分かってないってゆーか……いつも飢えてるってゆーか……」

 さらさらと人物画が描かれていく。

「……こんな感じ?」

 そしてできあがったものは。

「――ル、ルシオラあああっ!! 俺は、俺はもうーっ!!」

 色欲の塊だった。ありとあらゆる液体を垂れ流しながらルシオラに突貫する。

「いつも空気読めって言ってるでしょうがーっ!!」

「ぶべらっ!?」

 ルシオラの怒声と共に、唸りを上げて放たれた尖った拳がその顔面に突き刺さった。そして壁に叩きつけられたあと、ぴくぴくと痙攣しながら倒れこむ。情けない姿である。

「……ルシオラさんには、横島さんがあーゆーふーに見えてるんですね……その気持ちは分かりますけど」

「……言わないで」

 淡々と突っ込んでくるキヌの台詞に、ルシオラは頭を抱えた。

「それじゃあ、次は私が描いてみますね」

 そして今度はキヌがカンバスに向かう。 

「確か横島さんって……部屋の中は掃除に行くたびにゴミだらけだし……押入れの中にえっちな本が隠してあったり……」

「う、生まれる前から愛してましたーっ!!」

「私以外に飛びつくなーっ!!」

 やはり色欲の塊と化してしまったキヌ作のドッペルゲンガーを、ルシオラはさらりともの凄いことを叫びながら踵で蹴り飛ばした。キヌが少々むっとした表情を見せたのは、まあ、そういうことである。

「……はあ。どうしよう、これじゃあさすがに……」

「そうですね……全然似てないってわけじゃあ、ないんですけど……」

 折り重なって倒れている二体のドッペルゲンガーを眺めながら、二人そろってため息をついた。確かに横島の内面の一部を如実に現せているが、いかんせんこれでは使い物にならない。そもそも、彼女らが表したかった横島の内面は、色欲の塊ということではないはずだ。ましてや二人は絵の練習などしたことがない。つまり、二体のドッペルゲンガーの外見はピカソに近い……と言うとピカソに失礼なので、単純に下手くそだ。

「ふう……仕方が無いか。もともと、私が蒔いた種だしね。これくらいはやろう」

 そう言って、今度は暮井が筆をとった。びしっ、びしっ、と見る見るうちにオリジナルよりもずっと男前な横島が描き上げられていく。贅肉はもちろんのこと、無駄な筋肉の無い、すらりと鍛え上げられた体躯は、まるで研ぎ澄まされた日本刀のようである。しかしそれでいて表情は柔らかく、その人懐っこい笑みは女性を魅了してやまないだろう。

「……うわあ」

「……誰これ?」

 ルシオラとキヌは呆れとも感嘆ともつかない声を上げた。

「横島クンのつもり。こう、自分の描きたいように描くのは得意なのよね」

 それはそれですごい才能である。





 そして戦いの場、学校へ。時間はちょうどすべての授業が終了したところである。

「授業、終わったね。今日はバイト無いし、このまま家に帰る?」

「あ、ああ、そうすっか……」

 横島に向かって、その隣の席に座っているルシヲラが言った。小首をかしげて、それはもう可愛らしく。しかしそれに対する横島の答えは冴えない。この男にも一応、このルシオラが偽者であるという意識はあるのだ。ただ、乳に負けただけである。

「ふう、それにしても、疲れちゃった……ヨコシマー、揉んでちょうだい?」

「えっ? えっ?」

 その横島の心境を知ってか知らずか、ルシヲラは唐突にそんなことを言い出した。それを聞いた横島は、思わずルシヲラの胸に手を伸ばす。しかしその手は寸前でルシヲラに掴まれ、肩にまわされた。

「もう、ヨコシマのえっち……」

 そして言った。

「……そういうのは、みんなの見てないところで、ね?」

「う、うおおおあああっ!!」

 当然のごとく、横島は血涙と鼻血を噴出させて喜んだ。もちろんこの瞬間、相手がルシオラの偽者であることなどすっかり忘れている。

「――それじゃあ早速帰って……」

「帰って、な、に、を、す、る、の、か、し、ら?」

「ル、ルシ――!?」

「別に? 強いて言うなら、あなたにはとてもできないことよ」

 突然窓をぶち抜いて教室に飛び込んできたルシオラが、机の上に仁王立ちになって凄んだ。どうでも良いが、物を壊しすぎである。しかしルシヲラは、本物を目にして動揺しまくっている横島をしりめに不敵に笑った。そして掴んだままだった横島の手を、おもむろに自分の豊かな胸に押し付けた。

「や、やーらかい……」

 それを見たルシオラは髪と触覚を逆立てて怒り狂ったが、やおら(小さい)胸を撫でながら深呼吸を繰り返した。そして「落ち着いてー、ここでキレちゃ駄目よー」と呟きながら、きっと顔を上げると、ゆっくりと教室の扉を指差した。すると、まるで測ったかのようなタイミングで教室の扉が開いた。
 ルシヲラに、電撃のような衝撃が走った。そこにはキヌと、そして明らかに横島ではない横島(以下邪と表記)が立っていた。

「……なんだ、あれ?」

「横島クン、っぽいわよ?」

「でも……明らかに横島クンじゃないわ」

「だよなあ。みょーに見てくれは良いけど、なんか変だな」

 教室がどよめいた。その中で、ルシヲラと邪は見つめあい、言葉を交わした。

「……」

「……」

「……あなただったのね……私の、運命の人は……」

「ああ……そうだ。俺も、君と出会うために生まれてきたような、そんな気がする」

「私、あなたを見た瞬間に、無くした半身が見つかったような、そんな気がしたの」

「わかる……わかるよ」

「――でも、私……目が、曇ってたんだわ……あんな……あんな人をあなたと間違えるなんて……」

「――君は、優しいひとだから」

 わけが分からない。

「……まさか、ここまで激烈に利くとは思いませんでした……」

「そうね……なんなのかしら、あれ。……なんか不愉快だわ」

「まあ、いいじゃないですか。狙い通りなんですし」

「……そうね」

 背景にバラでも背負ったかのような会話を展開するドッペルゲンガーの二人を見て、ルシオラとキヌは唖然としていた。ちなみに横島はというと、ルシヲラにぶん投げられて黒板に張り付いていたりする。とりあえず誰も気に留めていなかったが。

「――酷い! 酷すぎるわ! 私を騙したのね!! 私の運命の人を騙って、この貧乳なんて縁の無いふくよかでかつ、肥満とも縁の無いスレンダーで、毎晩同級生のいやらしい夢に強制出演させられてあーんなことやこーんなことを童貞君の無理な要求に答えさせられるんだけど所詮は夢、幻で、朝起きた後に空しい気持ちにさせるような素晴らしい身体と書いてナイスバディに触れるなんてっ!」

 唐突に、ルシヲラは横島を指差し、邪にすがりついて泣き喚いた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「――どうしたんだい?」

「私……私、汚れてしまったわ……私のこの身体は……もう、純潔じゃないの……だって、あなたのふりをして近づいてきた、ケダモノのようなあの男に……誰もいない屋上で、体をまさぐられ……嫌がる私を無理矢理……ううっ……もう、あなたの愛を受け取る資格なんて、私には……ごめんなさい……っ」

 めぎり、と。ルシヲラがその言葉を放った瞬間、どこからか骨肉の潰れるような音が響いた。ごぎゃ。ぶぢ。そんな音が続く。ぎゃあ、とか。クラスメイト達は、黒板のほうから目をそらしている。そこには、キヌとルシオラがいた。いや、鬼が二匹と言ったほうが正確か。 しかしそんな些事は無視して、ルシヲラと邪のラブロマンスは続く。

「――そんなことは、ない。君は……君は綺麗じゃないか! ……それでも、それでも君が自分を汚れているというのなら、俺が抱きしめて……そして、清めてやる!! そうだ、俺は、君とともに在るために存在しているのだから!!」

「――っ!!」

 感極まったのか、ルシヲラは言葉もなく邪に抱きついた。邪も包み込むように抱きしめた。BGMは謎の異音であるが、絵にはなっている。観客の誰もがまったく感動していないが、それはたしかに美しい光景であった。これぞ愛、である。たぶん。

「……」

「……」

「じゃ、そゆことで」

「……は?」

 そのまま永遠の時がすぎるかと思われたが、唐突に終わりが来た。ルシヲラと邪は連れ立って教室を出て行ったのである。手など振りつつ、ばいばーい、などと言っている。クラスメイト達は、木枯らしに吹かれたような、そんな顔でそれを見送った。謎の異音はいつの間にか止んでいた。

「……」

「……と、とりあえず、帰るか」

「そ、そうねっ!!」

「うん、そうだな、帰ろう! うん、帰ろう!」

 そして皆、ぞろぞろと連れ立って教室を出て行った。わけのわからないものに遭遇した人間の行動パターンは、怯えて動けなくなるか、とりあずそれを忘れて布団に入るかのどちらかなのである。
 後に残ったのはルシオラにキヌ、そして横島(らしきもの)。ついでに愛子。

「……なーんか釈然としないけど、いっか。ヨコシマは帰ってきたし。あれも一応、ヨコシマを振ったってことよね」

「……そうですね。私たちも帰りましょうか。愛子さん、さようなら」

 ルシオラがずるずると横島(らしきもの)を引きずって教室を出ようとした、その時。――地響きを立ててそいつらは現れた。

「ねーちゃーん!!」

「女、女ーっ!!」

「うわっ、きゃーっ!?」

「なに!? なんなのこいつら!? 横島クン!? 横島クンねっ!?」

「……あ゛」

「忘れてた……」

 ルシオラとキヌ作の、二体のドッペルゲンガーである。暮井宅でのびていたはずだが、復活してそこで暴れている。絵心の無い二人が書いた、どうしようもなく下手くそな外見をしているのだが、どういうわけか先ほどの美形横島よりも横島として認識されやすいようだ。日頃の彼の行いによるものだろう。

「ま、待たんかーっ!! 明日から俺が学校に来れなくなるようなマネをするんじゃないっ!!」

「うわ、三人に増えた!?」

「乳! 尻っ! フトモモーっ!」

「こっち来んなー!!」

「変態ー!!」

「こいつらは俺じゃねえーっ!!」

「ど、どーするの? あれ……?」

「ど、どうしましょう……?」

 騒ぎはますます混乱の様相を呈してきている。二体のドッペルゲンガーは何度殴り倒されても女生徒達に猛然と飛び掛っていた。横島はその二体を捕獲しようと奮闘している。しかし女生徒達からは同じものと見なされていた。そしてルシオラとキヌはその光景を呆然と見ている。

「青春よねー」

 一人教室に残っていた愛子が、窓の外を眺めつつしみじみと呟いた。まるで横島の頭部からドクドクと流れる液体のように赤い夕日が綺麗だった。



END

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