ザ・グレート・展開予測ショー

雨(1)


投稿者名:NATO
投稿日時:(04/ 8/22)

「タマモが、家出!?」
思えば、これが全ての始まりだったのだろう。
もちろん、水面下で蠢いていたいろいろな要素を含めればこれには些か語弊があるのかもしれない。
だが、事が表立って動き出し、地表のはるか下にもぐりこんでいたものたちが一気に噴出したこの瞬間こそ、始まりであると私は思うのだ。
過去。
この言葉の重みに気がつくために、一体どれだけの犠牲を必要とするのだろうか。
これは、清算すら許されぬ過去を背負った者たちの記録である。


横島は焦っていた。
久方ぶりのまともな食事にありつくために訪れた事務所を玄関口で引き返し、決して運動に向いているとは思われない体躯を信じられないスピードで動かしながら、彼は町中を走り回っていた。
「くそっ!どこにいったんだ!?」
あたりかまわず尋ね人の名を叫び散らしたあと、あれだけの距離を走り回ったにしては驚くほど静かな呼吸と共に、悪態を散らす。
金毛白面九尾狐。
あの事件から程なくはじめたバイトのおかげで、かつての彼とは比べ物にならないほど蓄えた知識が、警鐘を鳴らしていた。
彼女を、一人にしては置けない。
また、彼は走り出す。
先ほどのものに輪をかけた、もはや人の域を超えた速さで。
走り抜ける際に、叫んだ言葉に反応した男たちの持つ特有にして共通した空気が、彼の焦燥をさらに強いものにしていた。
なんとしても、見つけなければ。
その思いばかりが先にたつ。
「……                 」
もし、その一見するとただの勘違いした長髪のおっさんが本当にその通りの人物であったのなら、彼は間違いなく見落とし、声を耳に止めることもなく走り抜けていっただろう。
「まちたまえ。といったのが聞こえなかったのかな?」
横島が通り過ぎた、十数メートルの先に届くほど強烈な殺気。
彼は咄嗟に右手に力を溜め、振り返る。
「……西条?」
殺気の出所が知り合いであったというにも拘らず、横島は手に溜めた霊気を戻そうとはしない。
「そんなに構えないでくれたまえ。いまここで君とやりあう気はない」
その言葉にようやく霊気を体に戻す。
「なんの、用だ?」
「なあに、妖狐を探すのに霊気を探ろうともしないほど焦っている少年を諌めようと思っただけさ」
彼の苛立ちを楽しむかのように男、西条は笑った。
「あ」
初めて年相応の空気をまとった横島は、霊気をときながらも構え続けていた体を完全に少年のそれに変える。
「……わりぃ」
ほんの一言でも、西条には通じたのだろう。
嫌味な笑いを苦笑いへと移しながら、ゆっくりと横島に近づく。
「そう。それが君のいいところだ。大丈夫。タマモ君も、そう簡単にどうにかされはしないさ」
「……ああ。そうだな」
「ま、とはいえ彼女が危ういのは変わらない。さっさと探しに行ってあげたまえ」
始めの沈黙に何かを感じ取ったのか、西条は開きかけた口を別の言葉に置き換え、踵を返す。
「助かった。ありがとな」
落ち着いた横島の声に片手を挙げることで返しながら、西条は歩き出した。
「見つけたら、僕のところへ来たまえ。少々厄介なことになっている」
「ああ。わかった」
西条に背を向けると横島は、今度は少し早足程度の速さで歩き出す。
町中にあふれる雑多の中から当たり前のように見つけた、尋ね人の霊気を追って。
「さて、と。仕事が山積みだ。まったく。女性を追い掛け回していられる君が羨ましいよ」
西条の言葉は横島の耳に入ることなく、くたびれた中年のぼやきとして虚空に消えた。

「……っ!」
夕方。子供たちのいなくなった公園のブランコに腰掛け、長くなった影を眺めている少女。
急に増えた影と、見知った少年の匂いにあわてて振り返る。
「よお。さがしたぞ」
くしゃり。
後ろにまとめた九つの髪を乱さないように注意しながら、横島はタマモの頭を撫でた。
町中で叫びながら走り回っていた少年とも、事務所で馬鹿をしでかしてどつかれている少年とも違う、男の顔。
夕焼けが差し掛かり、眩しそうに目を細めながらそれでもしっかりと自分の目を捉えて笑いかける横島に、抗うことが出来るほどタマモは強くなかった。
「ヨコ……シマ」
声がかすれる。視界がにじむ。体が震える。
「横島……っ」
流れ落ちそうになる涙を必死に目の端にとどめながら、最早ぼやけて像を捕らえることも出来ないままにすがりつくように見上げるタマモを、横島は抱きしめる。
「大丈夫」
力強く、やさしい声。
そのたった一言の暖かさにすすり泣く脆弱な少女の頭を撫でたまま、横島は抱きしめる手に力を込めていた。
2,5
始めから、気になっていたわけではない。
常軌を逸した女好きの、水素イオンより軽い餓鬼。
そう思っていた。
それは、確かに間違っていなかった。
かつての少年はそうであったし、いまもそうあろうとしていることに変わりはない。
少なくとも見た目には。
事務所のメンバーがなぜ彼に魅かれるのかなど、わかりたいとも思わなかった。
だが。
見てはいけなかったのだろう。
彼は泣いていた。
同僚にセクハラをかましながら、依頼人の女性を口説きながら、上司に殴られながら、悪霊をナンパしながら、彼は啼いていた。
タマモがやってきてからしばらくして、矢鱈に大口の依頼が入ってくるようになってから、横島はしばしば事務所に来ないことがあった。
三日から一週間。
それでも横島はそれ以上の時を絶対に事務所から離れていることはなかった。
やがて高校を卒業し仕事を任されるようになり、計算聡い美神が横島の霊力の保有量と回復量に目をつけ、取るに足りない報酬の仕事を大量に押し付けるようになっても、彼はそれを笑顔で承諾し、馬鹿高いマージンをとられながらもセクハラで元を取りながら、彼は事務所に通い続けた。
ある日、二週間ほど彼は事務所に来なかった。
そのときのメンバーの焦燥振りは、酷いもので。
あわてて押しかけたアパートは、すでに取り壊されていて。
美神なら探すこともたやすかったろうに、警察も探偵も使うことすら思い浮かばぬほど焦っていた。
タマモだけは、冷静だった。
彼がいてもいなくても、どちらでも構わなかったからだ。
だから、彼女が最初に横島を見つけたのは双方にとって僥倖だったろう。
油揚げを買った帰り道、左腕と右足からおびただしい血を流し、体を引きずるように歩く彼を、見つけたのはタマモだった。
薄気味悪げに避ける周囲の者をよそに、彼は、笑っていたのだ。
同僚たちが優しいと賞し、タマモもまたそれだけなら他人よりはましかもと思っていたその笑顔を、まだ二十歳に届くかどうかの少年が、体中血まみれになりながら顔に貼り付けていた。
彼のそれが慟哭だと気がついたのがタマモであったのは、双方にとって幸いだった。
恐怖に駆られながらなぜか逃げることも出来ず、叫びそうになりながら声は出ず。
呆然と立ち尽くすタマモに、横島は気付くと貼り付けた笑顔を強めた。
まるで当たり前のように。
タマモには本当なら怖気をふるうはずのそれが、なぜかとても美しく見えた。
まるで、それが彼の本当の笑顔であるように思えたのだ。
さらに一週間後、「大家に追い出されて新しい家を探してました」と笑いながら顔を出した横島は、事務所のメンバーから当たり前のように手酷い仕置きを受けた。
そして、口をつぐんでいたタマモに、感謝と共にこっそり頭を撫でながらあの笑顔を―――。
それから、時折横島は本当の笑顔を見せるようになった。
ほとんど差異は見られなかったし、気がついても見とれるだけだった同僚たちの中、タマモだけがその意味を知っていた。
タマモが横島に興味を持ったのは、彼がもたらす安らぎからでも優しさからでもなく、ずたずたに引き裂かれた心で歓喜に吼える、少年の中の「男」にだった。
3b
「落ち着いたか?」
タマモの背中を軽く叩きながら、横島は言った。
「……ありがとう」
涙を止めたタマモは名残惜しげに体を離す。
「さて、戻るか?」
首を振る。判っていたのだろう。横島も軽く頷いただけだった。
「んじゃ、しばらくは姿をくらますか」
当たり前のように付き合う気でいる横島。
「……うん」
タマモもまた、それが彼にとって当たり前であることを知っていた。
「んじゃ、そのまえに……」
横島はタマモを庇うように前に出る。
「……」
いつの間にか、何人かの男が、暗くなった公園に集まっていた。
横島は右手に霊気をこめると、静かに目を細めた。
「タマモは、渡さない」

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