ザ・グレート・展開予測ショー

逢魔の休日 -No Man Holiday- <Scene 5>


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 8/ 9)

ローマには数多くの噴水が存在し、今なお市民の憩いの場となっている。

かつて古代ローマの時代に築かれた壮大な水道橋は、帝国の衰退と共に蛮族の侵入によって破壊され、他の遺跡と共に荒野の中に埋もれてしまっていた。。
やがてルネッサンスの頃になると、神の国としてのローマ帝国復活を夢見る法王が、ヴァチカンに集まる各国の巡礼者や王族たちに自らの権勢を誇示するために再建を図るようになった。
そして水道橋がひとつ完成するたびに、建設に尽力した貴族や豪商たちが、競って様々な意匠を凝らした噴水を造るのが慣例となっていた。

バルベリーニ広場の中心にあるトリトーネの噴水は、レスピーギの交響詩・ローマ三部作の題材になったほどローマを代表する噴水の一つであるが、ベスパはメトロの入り口に近い、こじんまりとした蜂の噴水のほうを好んだ。
噴水というよりはちょっとした水飲み場といった感じではあるが、そばの大木に隠れるようにして設置されている姿に、どこかしら心ひかれるものを感じていた。
その噴水は、背丈の倍ほどはある貝のオブジェから流れる水を、バルベリーニ家の紋章である三匹の蜂が飲みに来ているという構図になっている。
貝は遥かギリシア文明以前の頃、貨幣として流通したこともあるように富を象徴するものであると同時に、ボッティチェッリの『ヴィーナス誕生』にも描かれたように、生と美を象徴するものでもあった。
それを知ってか知らずか、ベスパは遠巻きに囲む追手のことも忘れて、満々と水を湛える噴水を愛しそうに眺めていた。

「ベスパ、ベスパってば!」

横島に肩を揺さぶられて、はっとしたようにベスパが顔を上げる。
せっかく感傷に浸っていた至福のひとときを邪魔されて、ほんの少し不満げにベスパが睨む。

「うるさいね。いい男ってのは女を急かすものじゃないよ」

「そんなこと言っている場合か! こんなときに何をぼんやりしてるんだ」

「・・・三匹の蜂っていうのはさ、どれかが欠けても駄目なのさ」

「何の話だ?」

「さてね」

「・・・そんなことより、なんだかまずいことになりそうだぞ」

そういって横島は、噴水を囲む広場を半円を描くように指し示す。
さっきの男たちがこちらを取り囲むようにして、それぞれの配置についている様子がわかる。
何をするつもりなのかはわからなかったが、どうやら二人をただ追い掛け回すのは止めにするつもりらしい。

「困ったねえ。本気でやるつもりなのかい?」

ベスパはさして困った様子でもない顔で横島に聞く。

「俺が知るかよ」

「そりゃ、そうだけどさ」

「―――で、どうするんだ? とりあえず、噴水を盾にして様子を見るか?」

その言葉にベスパはとんでもない、というふうに大きく反応する。

「そんなことをしたら―――――」

百戦錬磨の武人でも震え上がるような冷ややかな目で睨む。

「お前を先に殺すよ」

横島は、一瞬だが確かに向けられた殺気に戸惑い、頬を冷汗が流れるのを感じた。

「じゃあ一体どうしろと―――――」

「ちょっと待ちな」

ベスパは片手を上げて、不満の声をつのらせる横島を抑える。
その視線の先には、冷凍コンテナを積んだ一台の大型トラックが、左折ランプを点滅させて止まっているのが見えた。
全面に『パスタリート・ピッツァリート』のイオニア式円柱を模したロゴを大きく描いた車体がゆっくりと交差点に進入し―――――彼らの姿を隠す。

「逃げるよ! ポチ!!」

「わかった!!」

そう言うが早いか、二人はほとんど同時に走り出し、狭いトレンティーノ通りを駆け抜けていった。


石造りの家々がひしめき合うように建ち並ぶ、細くて薄暗い路地を縫うように二人はひた走る。
横島は家の軒先に置かれたゴミ箱に足を取られてよろけるようになりながらも、なんとかベスパに遅れぬようについていく。

「どこ行くんだよ、いったい!?」

「いいから黙ってついてきな」

そうこう言ううちにも、路地の向こうや脇から、奴らが口々に何かをわめきながら追いかけてくるのが見える。
何を言っているのかはよくわからなかったが、それでも「いたぞ!」とか「こっちだ!」とか言っているのは理解できるのが、なんとなく可笑しかった。
だが、その声が段々と範囲を狭めてくるのがわかると、次第に笑っていられる余裕はなくなっていった。

「おい、なんかマジでやばいぞ!?」

「ポチ! こっちだ!」

もう何度曲がったか数えられないぐらいに角を曲がると、不意に広い通りに出た。
眩い太陽の光に一瞬目を奪われるが、ベスパはすぐさま目標を確認し、駆け寄っていく。
通りの歩道には誰かを待っているのか、スクーターを脇に停めて口笛を吹きながらキーをじゃらじゃらと玩んでいる少年の姿が見えた。

「Affittare!」(借りるよ!)

手の上に軽く放り投げられたキーをすばやく掴み取ると、少年をやさしく突き飛ばしてすばやくスターターに差し込む。
まだ真新しいピアッジォ社製のスクーターは、ベスパの求めに応じてすぐにエンジンを動かし始める。

「早く乗りな!」

言われるまでもなく横島が飛び乗ると、独特のけたたましい音を立てて走り出した。
横島が恐る恐る振り向くと、悪態をついて罵る男たちと、可哀想にスクーターを盗られて呆然としている少年の姿が見えた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa